薮は人工じゃないだろに。なんかすぐ原生林がどうこう言うやつはこの話実感できてないな
ナチュラル美人に思いを馳せるなどした⋯。スキンケアなどに膨大な投資と時間が必要⋯
地元の低山の頂上で自衛隊の訓練一行を見たが、彼らを登山道で見かけた登山客は誰もいなかった。そうか、山岳訓練=道なき道を行軍する。歩きやすい登山道は罠が仕掛けられているかも知れないし
登山道や手入れされた森だから安全なのであって手つかずのガチ自然はただの恐怖だよな
日本の土地で本当の自然林が残ってるところは、ほとんど残ってないよね。だいたい、杉か檜が植林されてる。
所謂「里山の自然」的なものも、かなり人工的な産物なんよな 剥き出しの自然は危険であまり美しくもない
田舎に住んでりゃ当たり前のことを今さら大仰に…w
道から外れると土がふわっとしてて緊張が走るのだよな。道迷いなどは何かに気を取られて気づかなかったのだろうか
作られた山林だからこそ分け入ることが出来る。
まぁ、手入れしていない山は、生い茂る植物を薙ぎ倒さないとそもそも入っていけないからな
人間の力で制御出来ていないレベルの自然のことね。究極的には、8月の豪雨や熊本地震、波状攻撃のようだった台風もそうなのだろう。
人の手が入ってない原生林って本当数えるほどしかない
“藪漕ぎもせいぜい片道4時間程度でGPSを使いながらなので”
さすがに自然=原生林の話じゃないだろ
2メートルぐらい離れたところで、カサカサカサ!ってなって、クマか!?シカか!?とかなってパニックになる。
ここ十年、正規からバリルート(破線)へ格下げされた登山道が急増してる。地元の方が高齢化で登山道の整備をやめた結果、リアル「また道が一つ死んだ。行こう、ここもじき腐海に沈む」ってなった道が数知れず(´;ω;`)
人工的な自然なのか自然的な人工なのか。
北海道で薮がガサガサしてる時の恐怖感ったら
登山道でピンクのテープを見失ったときはなぁ
周りに人の痕跡がなくなってることに気づいた時、ゾッとするんだよね…。
自分は「管理された自然が好き」と自覚してる。ガチの自然は怖くて不快な場合がほとんどだと思う。
やぶこぎという言葉を今知った
俺は別に自然を楽しむために登山してるわけじゃないので、日々整備してくれる方々に感謝しながら快適な登山道を登ってますありがとうございます
岩手や秋田青森辺りだと見渡す限り人工物がないみたいみたいな長い山道は割とある。そういう電線も上下水道も無いような山中で稀に一軒家の民家とか現れる。しかも現在進行形で人が住んでる気配がある。割とビビる
里山、田畑、果樹園、牧場、杉檜だらけの山etc.etc...こんなの自然とか言ってんの涙ちょちょぎれるわ。そもそも自然て何よ?現状はたまたま酸素が発生したからに過ぎんよ。命溢れる自然とか誰が言い出したんスかね?
手入れされてる自然は幸せよね。
ちゃんと登山道が整備されてるところしか登山しない派だけど、登山道から少し先に見える山だって、あっちに迷い込んだら無事に戻れないだろうな…って頻繁に思う。高尾山とかですら外れたら分からんよ
藪漕ぎ?漕がなくても、マチェットで藪を薙ぎ払いながら前進すれば楽ですよ。登山の前に捕まるリスクはありますけどね。
マダニ気をつけてな。ホントに。都内の道すら雑草刈られなくなったもんなあ
藪漕ぎという言葉を学んだ。虫怖いんで自分には出来ないなぁ。
奥秩父中心に沢登りしてから会津の普通の森の藪見たら絶望した。場所によっては原生林極めて快適。会津でも幸い恋ノ岐沢の源流はそんなことなかった。丹沢は鹿のせいでもっと楽になってるみたい?(極めてよくない)
人間は熊どころか鹿や猪にすら負ける脆弱な生き物だからな。何なら虫にも負ける
植物哲学、という本にそんなことが書かれていた気がする。人間は管理された自然でこそ安らげるみたいな話
藪漕ぎってそんな通じるワードなんだ??
以前、人が手を入れない自然は荒れるだけとコメントしたら、それは思い上がりだと指摘されていた事がある。手を入れていない自然は人の手に負えないという事が、あまり理解されていないように感じた。
「藪漕ぎ」←道のない藪の中を木の枝やササなどをかき分けて進むこと、なんだ(wikipediaより)。/登山道がショボければショボいほど、よく道を作ったな、維持するの大変そう、と思っている。
藪漕ぎという言葉があるのか
富士の樹海とかいうパワースポット
マダニ感染症の話を聞いて以来、意味もなく自然に立ち入るのはリスク行為でしかないと思うようになった。『登山や森林浴で感じる自然』
人が歩かないルートはあっという間に植物に覆われてしまう
『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』の森が植林で萎えたの思い出した。ちなみに極相を迎えた原生林は藪ボウボウとは違うよね?白神山地とか、知床とか行ったけど、割とひらけていたよ。
だいたい明治期にハゲ山化→洪水→植林のプロセスを辿って今の緑豊かな山になってるんじゃないか。で近年は鹿食害→ハゲ山化→土砂崩れっていう…
そうだよ
藪漕ぎ、歩く人が多くないのでそこに道はない、って感じなので
藪漕ぎって懐かしい言葉だな。。。自然はマジ怖い、ここで襲われたらヤバいし置いてかれたらミイラになると思ったわ。知人に連れられて行った沢登りは地獄過ぎて最悪だった
アサシンクリードシャドウズの山はリアルでめちゃくちゃ移動しづらいのでみんなプレイしよう!(布教)
都会の人間はそうだろう。森深い土地で育つと、その心細さこそ自然の醍醐味だと思う。月明かりしか頼れるものはなく木々がざわめく中、動物の気配に畏れと少しの期待と一人じゃないんだなという安堵が混じった感覚が
そういうところで視界がパッとひらけて滝壺とか遠い山の頂とかが見えると、あまりにも清浄で静謐で、そりゃあ信仰の対象にもなりますわって感じてしまうよね。
山城登りで、しょっちゅう思います。特に最近は赤色立体図で新遺構発見が増え、そのために藪漕ぎが増えた。心細いったらありゃしない。
まさにそれゆえ、古代の日本人は森の中にいきなり巨大な岩があったり、周囲から目立つ巨木を神の宿る場所と感じたのだろう。神道ではカミも自然もありたがく尊い物である以前に、人間にとって怖くて驚異の存在だった
やった事ないけど狩猟してる人はどういう道を歩いてるんだろう、すごいなぁといつも思ってる
“ここにいるべきではない感、分かる”
稀に熊のいるところだと、ガサガサガサ!って音するとかなりビビる。 高確率で鹿か猪だけど。
小さい庭付きの家買って雑草の生命力のすごさを知った(もうあきらめてぼーぼー、季節によって生え変わることも知った)
楽しむっていう感情自体、余裕を前提にした物だからなのかな。たしかに自然すぎるとこは怖い。渡良瀬遊水池とか、夜を想像するとゾクゾクする。
「本物のxxはこう」「だからパンピーはだめ」「ボクたちは賢い」みたいな藁人形だいすきよなぁX民。藁人形にマウント取ったって痛いだけだよ
同じものを見ても心理的安全性があるか無いかで全く違う感じ方をする。 / 藪漕ぎを実際に知っている人と知らない人では想像しているものがかなり違うかも。
まあ自然はカオスって事だもんな。あらゆる動植物や無機物の行動の成れの果て。
伊吹山に歩いて登ったとき、下山でその日最後の登山者になってしまったんだけど、林のない開けた山道を下るのは人からも自然からも見放された感触があった
山は手入れしないとすぐに自然へ帰っちゃうのよ(人の手に負えなくなるというのが正しいか)。なんなら舗装路すら跡形もなくなって歩けなくなる。
ひたすら庭師のタイムプラス動画見てて、「人の手の入ってる樹木」と「入ってない樹木」は見分けられるようになってきた。応用すると管理費削ってる会社やマンションはなんとなく分かる。
この感覚は分かるけど、この前久々に神宮の森に行って「自然の定義を勝手に狭めて『これは自然ではない』と言ってしまうのも勿体ない話だよな」とも思ったところ。
最近藪漕ぎしてて気付いた、登山や森林浴で感じる自然って人工的な部分が大きくて本物の自然は恐ろしかった「迷ったときの心細さはものすごい」
薮は人工じゃないだろに。なんかすぐ原生林がどうこう言うやつはこの話実感できてないな
ナチュラル美人に思いを馳せるなどした⋯。スキンケアなどに膨大な投資と時間が必要⋯
地元の低山の頂上で自衛隊の訓練一行を見たが、彼らを登山道で見かけた登山客は誰もいなかった。そうか、山岳訓練=道なき道を行軍する。歩きやすい登山道は罠が仕掛けられているかも知れないし
登山道や手入れされた森だから安全なのであって手つかずのガチ自然はただの恐怖だよな
日本の土地で本当の自然林が残ってるところは、ほとんど残ってないよね。だいたい、杉か檜が植林されてる。
所謂「里山の自然」的なものも、かなり人工的な産物なんよな 剥き出しの自然は危険であまり美しくもない
田舎に住んでりゃ当たり前のことを今さら大仰に…w
道から外れると土がふわっとしてて緊張が走るのだよな。道迷いなどは何かに気を取られて気づかなかったのだろうか
作られた山林だからこそ分け入ることが出来る。
まぁ、手入れしていない山は、生い茂る植物を薙ぎ倒さないとそもそも入っていけないからな
人間の力で制御出来ていないレベルの自然のことね。究極的には、8月の豪雨や熊本地震、波状攻撃のようだった台風もそうなのだろう。
人の手が入ってない原生林って本当数えるほどしかない
“藪漕ぎもせいぜい片道4時間程度でGPSを使いながらなので”
さすがに自然=原生林の話じゃないだろ
2メートルぐらい離れたところで、カサカサカサ!ってなって、クマか!?シカか!?とかなってパニックになる。
ここ十年、正規からバリルート(破線)へ格下げされた登山道が急増してる。地元の方が高齢化で登山道の整備をやめた結果、リアル「また道が一つ死んだ。行こう、ここもじき腐海に沈む」ってなった道が数知れず(´;ω;`)
人工的な自然なのか自然的な人工なのか。
北海道で薮がガサガサしてる時の恐怖感ったら
登山道でピンクのテープを見失ったときはなぁ
周りに人の痕跡がなくなってることに気づいた時、ゾッとするんだよね…。
自分は「管理された自然が好き」と自覚してる。ガチの自然は怖くて不快な場合がほとんどだと思う。
やぶこぎという言葉を今知った
俺は別に自然を楽しむために登山してるわけじゃないので、日々整備してくれる方々に感謝しながら快適な登山道を登ってますありがとうございます
岩手や秋田青森辺りだと見渡す限り人工物がないみたいみたいな長い山道は割とある。そういう電線も上下水道も無いような山中で稀に一軒家の民家とか現れる。しかも現在進行形で人が住んでる気配がある。割とビビる
里山、田畑、果樹園、牧場、杉檜だらけの山etc.etc...こんなの自然とか言ってんの涙ちょちょぎれるわ。そもそも自然て何よ?現状はたまたま酸素が発生したからに過ぎんよ。命溢れる自然とか誰が言い出したんスかね?
手入れされてる自然は幸せよね。
ちゃんと登山道が整備されてるところしか登山しない派だけど、登山道から少し先に見える山だって、あっちに迷い込んだら無事に戻れないだろうな…って頻繁に思う。高尾山とかですら外れたら分からんよ
藪漕ぎ?漕がなくても、マチェットで藪を薙ぎ払いながら前進すれば楽ですよ。登山の前に捕まるリスクはありますけどね。
マダニ気をつけてな。ホントに。都内の道すら雑草刈られなくなったもんなあ
藪漕ぎという言葉を学んだ。虫怖いんで自分には出来ないなぁ。
奥秩父中心に沢登りしてから会津の普通の森の藪見たら絶望した。場所によっては原生林極めて快適。会津でも幸い恋ノ岐沢の源流はそんなことなかった。丹沢は鹿のせいでもっと楽になってるみたい?(極めてよくない)
人間は熊どころか鹿や猪にすら負ける脆弱な生き物だからな。何なら虫にも負ける
植物哲学、という本にそんなことが書かれていた気がする。人間は管理された自然でこそ安らげるみたいな話
藪漕ぎってそんな通じるワードなんだ??
以前、人が手を入れない自然は荒れるだけとコメントしたら、それは思い上がりだと指摘されていた事がある。手を入れていない自然は人の手に負えないという事が、あまり理解されていないように感じた。
「藪漕ぎ」←道のない藪の中を木の枝やササなどをかき分けて進むこと、なんだ(wikipediaより)。/登山道がショボければショボいほど、よく道を作ったな、維持するの大変そう、と思っている。
藪漕ぎという言葉があるのか
富士の樹海とかいうパワースポット
マダニ感染症の話を聞いて以来、意味もなく自然に立ち入るのはリスク行為でしかないと思うようになった。『登山や森林浴で感じる自然』
人が歩かないルートはあっという間に植物に覆われてしまう
『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』の森が植林で萎えたの思い出した。ちなみに極相を迎えた原生林は藪ボウボウとは違うよね?白神山地とか、知床とか行ったけど、割とひらけていたよ。
だいたい明治期にハゲ山化→洪水→植林のプロセスを辿って今の緑豊かな山になってるんじゃないか。で近年は鹿食害→ハゲ山化→土砂崩れっていう…
そうだよ
藪漕ぎ、歩く人が多くないのでそこに道はない、って感じなので
藪漕ぎって懐かしい言葉だな。。。自然はマジ怖い、ここで襲われたらヤバいし置いてかれたらミイラになると思ったわ。知人に連れられて行った沢登りは地獄過ぎて最悪だった
アサシンクリードシャドウズの山はリアルでめちゃくちゃ移動しづらいのでみんなプレイしよう!(布教)
都会の人間はそうだろう。森深い土地で育つと、その心細さこそ自然の醍醐味だと思う。月明かりしか頼れるものはなく木々がざわめく中、動物の気配に畏れと少しの期待と一人じゃないんだなという安堵が混じった感覚が
そういうところで視界がパッとひらけて滝壺とか遠い山の頂とかが見えると、あまりにも清浄で静謐で、そりゃあ信仰の対象にもなりますわって感じてしまうよね。
山城登りで、しょっちゅう思います。特に最近は赤色立体図で新遺構発見が増え、そのために藪漕ぎが増えた。心細いったらありゃしない。
まさにそれゆえ、古代の日本人は森の中にいきなり巨大な岩があったり、周囲から目立つ巨木を神の宿る場所と感じたのだろう。神道ではカミも自然もありたがく尊い物である以前に、人間にとって怖くて驚異の存在だった
やった事ないけど狩猟してる人はどういう道を歩いてるんだろう、すごいなぁといつも思ってる
“ここにいるべきではない感、分かる”
稀に熊のいるところだと、ガサガサガサ!って音するとかなりビビる。 高確率で鹿か猪だけど。
小さい庭付きの家買って雑草の生命力のすごさを知った(もうあきらめてぼーぼー、季節によって生え変わることも知った)
楽しむっていう感情自体、余裕を前提にした物だからなのかな。たしかに自然すぎるとこは怖い。渡良瀬遊水池とか、夜を想像するとゾクゾクする。
「本物のxxはこう」「だからパンピーはだめ」「ボクたちは賢い」みたいな藁人形だいすきよなぁX民。藁人形にマウント取ったって痛いだけだよ
同じものを見ても心理的安全性があるか無いかで全く違う感じ方をする。 / 藪漕ぎを実際に知っている人と知らない人では想像しているものがかなり違うかも。
まあ自然はカオスって事だもんな。あらゆる動植物や無機物の行動の成れの果て。
伊吹山に歩いて登ったとき、下山でその日最後の登山者になってしまったんだけど、林のない開けた山道を下るのは人からも自然からも見放された感触があった
山は手入れしないとすぐに自然へ帰っちゃうのよ(人の手に負えなくなるというのが正しいか)。なんなら舗装路すら跡形もなくなって歩けなくなる。
ひたすら庭師のタイムプラス動画見てて、「人の手の入ってる樹木」と「入ってない樹木」は見分けられるようになってきた。応用すると管理費削ってる会社やマンションはなんとなく分かる。
この感覚は分かるけど、この前久々に神宮の森に行って「自然の定義を勝手に狭めて『これは自然ではない』と言ってしまうのも勿体ない話だよな」とも思ったところ。