リュウジ的な「押し寄せるおいしさ」と、原理主義・伝統主義・素材主義的な「追いかけるおいしさ」を分ける提案
押し寄せる=自分の好みに合っている、追いかける=美味しさがわかるようになる、みたいな?
ペペロンチーノ食べたくなっちゃった
美味しんぼでやっとったやん。究極と至高。
キャンティのバジリコや壁の穴のたらこスパゲッティ。さらにはナポリタンやドリア。イタリアンについては昭和の方がフレキシブルじゃないかな。
わかるわー、究極のパンケーキとか聞くたびに笑ってしまうわー、と回答を読み始めたのだけど、なんか問いと回答で論点がずれている気がする。
どちらかといえば乳化原理主義、押し付ける味よな。
味変したい
ハレとケの何故かケの料理ほど謎の原理主義者が湧きがち。日常己で作る料理に正しさなどあるまいて。振る舞う範囲で美味しくいただければよかろうに。原典に当たるのはそれはそれで楽しいものではあるがね
こんな風に物事を俯瞰できて、誰にとっても受け入れ可能な説明ができる人が各分野に必ず1人はいたらいいのにと思う。いるけど単に自分が見つけてないてだけなのかな。
元祖とか本家も価値が分からない。
よく読めてないが、戦争の回避について書かれていた。すごい、なるほどなあ
イタリアのシェフたちを見ると原理主義ぺぺロンチーノは少ないので、店舗で出すには弱いと感じているのだろう。魚醤を加えるシェフをよく見かけるので真似してる。
愛されるよりも愛したいマジでみたいな?
わかってて遊びで言うならいいんだけどね。間に受けちゃう人達と、それをカモにして商売してる人達がいるからね。
調理技術と社会とコミュニケーションの話が同時にできるの強いなー
ラーメンだとノス感とかいうやつね。
"おいしさには、押し寄せてくるおいしさと、こちらから探して追いかけるおいしさがあります" "社会全体が貧しかった時代においては、前者には圧倒的な希少価値" "現代において、前者はもはや稀少とは言えません"
日本で言うと「伝統的に正しい」卵かけご飯や猫まんまみたいな話になるのかな。
僕はペペロンチーノを作るときはにんにくとオリーブオイル、唐辛子しかいれない。でもリッチな味のが食べたければアンチョビやパンチェッタを入れるよ。でもそれをペペロンチーノとは言わない。それでいいんじゃね?
アーリオ(ニンニク)とオーリオ(オリーブオイル)とペペロンチーノ(唐辛子)以外のものが入ってるものはアーリオ・オーリオ・エ・ペペロンチーノではない。それだけの話。
何でもそうですが究極や最適をつくった人がほかのひとにむけておまえたちのは(料理だったら)俺よりおいしくない、と言えるからでは。つまり名誉欲、どうしても一番取りたいときってのは確かにある
片岡さんが昔アーリオオーリオの作り方という本を出していてね、これ楽しかったので貼っとくねhttps://www.amazon.co.jp/dp/4087470466
そうそう、おいしければなんでもええんやで(パスタへし折りながら)
美味しんぼを見ればわかるように、人は自分の信念を巡って争うことが大好きすぎるのだ。
押し寄せる美味しさか、良い表現だ。毎日食べたいか食べたくないかで分けてたわ
蕎麦を食べる時に、最初に何も付けずに蕎麦だけをたべて、蕎麦そのものを味を確かめるんだけど、みんなが食べてる蕎麦ってつゆの味じゃない?パスタも完璧な茹で方ならオリーブオイルと絡めるだけで美味いよ?
押し寄せる/追いかける、がわかるようでよくわからんかったので全体的によく分からなかった。
自炊好きと「追いかけるおいしさ」には近い価値観があると思うな
美味しいものが食べたいんじゃなくて「伝統をわかっている俺の方が偉い」マウントを取りたいってのが本当の動機なんだね
Twitterで起こってることは「バズる美味しさ」を求めてるので、稲田さんのはメタなんだけどメタじゃない。
外国の料理人が、卵かけご飯を「伝統的な日本料理」などと言って正しい作り方を唱えていたら私は笑ってしまうが、ペペロンチーノ論争もそういうことだろう。卵醤油白飯 のみで美味さを追求するもよし。邪道もよし。
誰でも仕事や趣味でやってること以外は深く考えず手っ取り早く正解とされてるやり方を求めてそれに合わせるみたいな事してるけど自分の分野になるとあいつらはなにも考えてない理解してないと言いたくなるやつ
いいはなし。「アンチがあああ」などと人格攻撃するひとに近づくと不幸になる(´・ω・`)
長い
美味さではなく本格を学びたい場合、プロのシェフの動画を参考にするけどなぁ。他だと「でも、それで金取ってるわけじゃないよね?」って感覚がどうしてもチラつく。罵って粋がってる素人のレシピなら更に要らない。
まずpeperoncinoとはイタリア語では唐辛子の意味 正しくはアーリオ オーリオaglio olioだからね^_^
俺たちは美味しんぼを食ってるんだよ(ドヤァ
そうだよ、みんな基本的には美味しんぼが好きなんだよ(だから、美味しんぼにもこれは間違っている本物ではないという美味しんぼムーブをする)
"しかし伝統的なペペロンチーノとは何かという話になれば、それはあくまで「仕方なく食べていたスパゲッティ」です。それすら無いなら仕方なくあるものだけで、という前提の中でベストを目指す執念の賜物。"
( パスタをへし折って深鍋でなく行平鍋でゆでてるけど、〔深鍋を洗うのがクソ面倒〕というシーンに合わせて作ってるからいいんだ。 )
イナダシュンスケ氏「選民思想的なもの…「基本的な(=正統な)ペペロンチーノに満足できないヤツは味覚が劣化しているのだ」「お前のペペロンチーノは材料が劣悪だからマズいのだ」これでは戦争不可避です」
この種の問題は、称賛の語句が多様化して、専ら虚偽広告に用いられる単語と別のものが幅広く使われるようになれば、だいぶ解決しそうと思っている
原理主義者が幅を利かせた環境はあまりよくない。カルボナーラも一時期ひどくて、権威主義的になっていた。でも保守派が多いのはそれはそれで恵まれた環境でもある。
ペペロンチーノからさらに無駄を省いて究極の極貧パスタを作ったとするとその名前はペになるのかンチになるのかで別れそうな気がするんだよね。
美味しい白米とは白米だけでも美味しいのだ。だがそれはそれとして梅干しや佃煮、さらにはご飯が進むオカズそ添えることで白米はさらに美味しくもなるのだ。
「問題はそういう物言いが簡単に、選民思想的なものに結び付いてしまうこと」「お前ら、『美味しんぼ』の時代から全くアップデートしてねえじゃねぇか」「追いかけるおいしさ」「押し寄せるおいしさ」
押し寄せる美味=受動的・即時的インパクト、外乱優位。わかりやすい旨味・塩味、しばしば油脂。かつては糖分も。/ 追いかける美味=能動的・構造的・文脈依存の内発的注意。咀嚼に伴う風味の放出も。かつては旨味。
地元の貧者のローカルフード。なので素材が悪い中でもできるだけ工夫して美味しくなるように調理された料理を、最良の素材で作ればもっと美味しくなる。
なるほどなあ。今日もさすがの稲田節である。
「押し寄せるおいしさ」とら「追いかけるおいしさ」つまり「ハサミ討ち」の形になるな…
対戦ゲームで勝ったり負けたりして喜び悔しがってる時に、なんでこんなに議論になるんでしょうかとか、結局みんな「勝利」が欲しいんでしょうねとか、冷笑系なだけやろ /俯瞰だの戦争だのじゃなく単に寒いやりとり
レシピ自体がシンプルでアプローチが無数にあるから。宗教っすわ
舌だけで感じる味覚と、情報として感じる味ってことですね
この人が嫌いではないが、さすがにイナダさんのMondだけ上がりすぎだろとはいつも思う。なんか仕組みがあるのかな?
これはすごい
好きに食えよでしかない
原理主義者の言う「本物の」とか「本来は」なんてのは、すべての料理があらゆる文化のごった煮の歴史の上での個人の好みでしかないことをわかってない。寿司が日本だけのものだなんてだれが決めたと。
ペペロンチーノなんてまずは美味しくないスタート地点があってそこにどうアレンジして美味くしていくかというアレンジゲームだということをもっと発信していかないと
例えば蕎麦や素麺をめんつゆで啜っているとき「もっと具を入れたら美味しいのに」とか言われても「それは別の料理でしょ。俺が今味わいたいのはこっちなの」ってなるでしょ。
「追いかける」の中には所謂「情報を食べる」的なうんちくを調味料に自分から美味しさを感じにいく態度も入ってるのかな?と思った(だから情報としての「伝統」等も重要になる)/修行的美味しさ、的な
まあ身も蓋もないこといえば、今のSNSとかでそうなってるのは、“究極の”とか“本物の”とか、そういう大仰な言葉を振り回して議論したほうがインプレ稼げるからってだけじゃないですかね?
何だか宗教の話みたい。多神教(好きに作れば、味覚なんて人それぞれ)と一神教(究極至高、ランキング1位)みたいな。
ボクの味付けはカリカリに猫缶を添えるだけだにゃ。こだわりすぎて疲れないでほしいにゃ!
辛いのが苦手で唐辛子を入れないんだけど、ニンニク(それもチューブ)だけだと物足りない。アンチョビ入れたら違う料理だし、似たようなナンプラー入れちゃう? 本物のニンニク使うとそれだけでも許せるんだけど。
じゃあなんでそんな議論が気になるのさ。それが答えなんじゃないの。
美味しさに享受的か探究的かの軸で語られるけど自己完結的か啓蒙的かも割れると思う。どのスタンスにせよマウント合戦になると燃える
”お前ら、『美味しんぼ』の時代から全くアップデートしてねえじゃねぇか。” げに
引き算とか足し算と言ったほうがいいのでは。引き算によって素材の味を楽しむ料理ならたくさんある。蕎麦とかバゲットとか。冷やしトマトとか冷奴なんかもそうかも。
何も食べたことがないド素人がイメージだけで言い張る可能性がある。最近こういう経験が全くないが我が強いガキが多い気がする。寿司も、ご飯に刺身が乗ってるモノ、程度の認識しかなさそう。料理には技術がある。
インターネットの中でしか強く言えない人達が承認欲求で言ってるだけです。今幸せな人は他人がどうとか知ったこっちゃない。
”イタリア料理は、国家ぐるみで「正解の味はある、そしてそれは最も伝統的なレシピによって作られる」みたいな世界観を意識的に構築” なるほど、パスタを半分に折るのは国家権力に対する抵抗になるのか(違。
別の名前をつければいいだけなのになんで他人の文化を軽視して自分を押し付けたいカルトが多いんだろう
あーこれぼくが、ココイチについて「おいしくないけどおいしい」と言ったり、なんかよくわかんない有名なインドカレーの店のほんとっぽいカレーについて「おいしいけどおいしくない」と言うのと同じかも
情報ムシャムシャシリーズ
『国家ぐるみで「正解の味はある/最も伝統的なレシピ』には、「地方は中央政府に、私はお前らに従属する存在ではない」的なアイデンティティのものだったりもすることに共感や美しさや敬意を見るかって話もあるね。
塩むすびは物足りないとアレコレ付け足したら、それは塩むすびじゃなく別のおにぎりだろうという話と、新しい名前をつけると塩むすびという名前のバリューが失われて希求力が無くなるという話が平行してるだけ。
ドット絵やチップチューンの美しさと、ハイスペックマシンで描かれるグラフィックやサウンドの美しさみたいなもので、そこに個人の好き嫌いはあっても優劣を見出すのはナンセンスって話ね
アーリオ・オーリオ・ペペロンチーノ・エ・コラトゥーラ
“この話、「追いかけるおいしさ」という補助線を引くと、たちまちわかりやすくなると思います。おいしさには、押し寄せてくるおいしさと、こちらから探して追いかけるおいしさがあります。”
なんか偉そうな質問に、一歩も引かず殴りふせる回答で返すイナダシュンスケ、喧嘩が上手い
ペペロンチーノってそこまでうまいもんじゃないし、っていうのが結論よね……
「これでは戦争不可避です。これが「ペペロンチーノ論争の正体です。お前ら、『美味しんぼ』の時代から全くアップデートしてねえじゃねぇか」
「追いかけるおいしさ」を追いかけて追いついた瞬間、それまで感じなかったおいしさが怒涛のように押し寄せてくる現象を「おいしさのツンデレ」と呼んでいる
結局、料理を楽しむより「自分の正しさ」を主張したい人が多いんたろうね。基本を理解したうえで、その日の気分で自由に楽しめばいいと思う。
様子見するように売ってこられた喧嘩を高額紙幣の束で買い取って展開した様子がこちらです
アレンジ料理はそれはそれこれはこれ問題で美味しければいいし自由だしありだと思うし自分もやるけれどけど、「定義」という意味では基本的にわたしも原理主義者ではある。
“結局みんな「正解」が欲しいんでしょうね”料理に限らずそう。買い物は一番安くていい商品を選びたくて、買った後安い店見つけたら絶望する、とかね。今目の前と向き合えないのは、色々余裕がないからだろうか。
突き詰め(追いかけ)メソッドは手間と努力と価格の費用対効果が悪いので今日も俺はリュウジレシピ(押し寄せメソッド)でゴマ油とダシ粉をドバァ|淡口らあめんと濃口らあめんみたいなモンやな
YouTube見る限りだと、ペペロンチーノは好きにやってよさそうだが、カルボナーラはローマ式とかトスカーナ式とかいろいろイタリア人が言い争っている。
タコ刺しに酢と味噌を足したら酢味噌和えだし、肉じゃがにカレー粉を足しても肉じゃがだと言えるのか、それとも違う料理か。問われてるのはそういう事だと思うんだ。
食も言葉と同じだよな。原則を定義したところで時代とともに変遷していく。時には定義も上書きされる。定義を知っておくのは悪くはないがそこに拘って変化を受け入れられなくなってはいけない。
これ発端はいつものアイツがコラボ商品に絡めて強めの発言したことが発端じゃない?要は全員養分
友人はグルメで味の素使わない派なんでニンニクだけで旨味たっぷりのペペロンチーノ振舞ってくれる。私は味の素ドバッ、の舌破壊済みは軽蔑するがうま味調味料自体は使ってて洋食はシチュー除き不使用、再考するか
ラーメンハゲは「やつらはラーメンじゃなく情報を食っているんだ」と露悪的な言い方したけど,イナダシュンスケ「我々は化学的な味だけでなく文化も含めて味わってるんです」とより洗練された言葉にしたわけだ
究極の、だったら至高の、にして欲しかった
素麺のたとえ、分かりやすいな
途中押し寄せると追いかけるを誤記してるわね
ゲームのRTAと同じで好きなものを好きという表現の一種。ペペロンチーノに限ってはレシピがシンプルな故、より美味しくとかより手早く味を落とさずとか料理のプロでない人も各々の究める道を見出すから議論が弾むと。
日本人が遠い異国の料理をあれやこれや語るのも滑稽に思える。映画「たんぽぽ」からも進歩してないね(古い)
そういやペペロンチーノ、ニンニクと唐辛子だけの奴って食べた事ないんだよな。なんだかもったいなくて、何かしら具を入れてしまう。要するに食い意地に負けてしまう。
“『美味しんぼ』の時代から全くアップデートしてねえ”(笑))ペペロンチーノってグランブルーでエンゾがすげー嫌そうに食べてたママンのスパゲッティだよね?我がペペロンチーノには人参と玉葱と厚切りベーコンが必
足し算で得られる美味しさと、引き算で得られる美味しさ、かな?前者は口に含みさえすれば味わうことのできるリッチな食体験で、後者は己の舌の解像度でもって見つけ出す必要があるほど僅かな違いに見出だされる味覚
料理って簡単に序列付ける話題に紐付くから本当面倒臭い。食いたいもの食えばいい、味覚なんてほぼ体調次第/嫁とおかんの飯こそ至上。イタ公以外が語るペペロンチーノ談とか情報に汚染されたポジトークで話半分よ
他に美味しくする手段はあれど、縛りプレイをした上でうまくできるという引き算の美学的な扱いなんかねぇ。どちらがうまいと言うよりもレギュレーションの違いか
イタリアはイタリアの都合で、伝統を明文化する必要があるのだろう。日本は伝統的に外からもたらされるものにこそ価値があるので、日本の影響が入る前の本物を体験したがる習慣がある。
ペペロンチーノに限らず究極の、とか本物の、とかをなんでこんなに議論になるんでしょうか。私のペペロンチーノの場合、今日は味の素を入れてうま味強めでいこうとか、今日はソリッドな感じでパセリだけたっぷり入れようとか、その日の気分や、シーンに合わせて作れば良いと思ってしまいます。構造を理解せず、レシピありきで作るからそうなるのでしょうか。 | mond
リュウジ的な「押し寄せるおいしさ」と、原理主義・伝統主義・素材主義的な「追いかけるおいしさ」を分ける提案
押し寄せる=自分の好みに合っている、追いかける=美味しさがわかるようになる、みたいな?
ペペロンチーノ食べたくなっちゃった
美味しんぼでやっとったやん。究極と至高。
キャンティのバジリコや壁の穴のたらこスパゲッティ。さらにはナポリタンやドリア。イタリアンについては昭和の方がフレキシブルじゃないかな。
わかるわー、究極のパンケーキとか聞くたびに笑ってしまうわー、と回答を読み始めたのだけど、なんか問いと回答で論点がずれている気がする。
どちらかといえば乳化原理主義、押し付ける味よな。
味変したい
ハレとケの何故かケの料理ほど謎の原理主義者が湧きがち。日常己で作る料理に正しさなどあるまいて。振る舞う範囲で美味しくいただければよかろうに。原典に当たるのはそれはそれで楽しいものではあるがね
こんな風に物事を俯瞰できて、誰にとっても受け入れ可能な説明ができる人が各分野に必ず1人はいたらいいのにと思う。いるけど単に自分が見つけてないてだけなのかな。
元祖とか本家も価値が分からない。
よく読めてないが、戦争の回避について書かれていた。すごい、なるほどなあ
イタリアのシェフたちを見ると原理主義ぺぺロンチーノは少ないので、店舗で出すには弱いと感じているのだろう。魚醤を加えるシェフをよく見かけるので真似してる。
愛されるよりも愛したいマジでみたいな?
わかってて遊びで言うならいいんだけどね。間に受けちゃう人達と、それをカモにして商売してる人達がいるからね。
調理技術と社会とコミュニケーションの話が同時にできるの強いなー
ラーメンだとノス感とかいうやつね。
"おいしさには、押し寄せてくるおいしさと、こちらから探して追いかけるおいしさがあります" "社会全体が貧しかった時代においては、前者には圧倒的な希少価値" "現代において、前者はもはや稀少とは言えません"
日本で言うと「伝統的に正しい」卵かけご飯や猫まんまみたいな話になるのかな。
僕はペペロンチーノを作るときはにんにくとオリーブオイル、唐辛子しかいれない。でもリッチな味のが食べたければアンチョビやパンチェッタを入れるよ。でもそれをペペロンチーノとは言わない。それでいいんじゃね?
アーリオ(ニンニク)とオーリオ(オリーブオイル)とペペロンチーノ(唐辛子)以外のものが入ってるものはアーリオ・オーリオ・エ・ペペロンチーノではない。それだけの話。
何でもそうですが究極や最適をつくった人がほかのひとにむけておまえたちのは(料理だったら)俺よりおいしくない、と言えるからでは。つまり名誉欲、どうしても一番取りたいときってのは確かにある
片岡さんが昔アーリオオーリオの作り方という本を出していてね、これ楽しかったので貼っとくねhttps://www.amazon.co.jp/dp/4087470466
そうそう、おいしければなんでもええんやで(パスタへし折りながら)
美味しんぼを見ればわかるように、人は自分の信念を巡って争うことが大好きすぎるのだ。
押し寄せる美味しさか、良い表現だ。毎日食べたいか食べたくないかで分けてたわ
蕎麦を食べる時に、最初に何も付けずに蕎麦だけをたべて、蕎麦そのものを味を確かめるんだけど、みんなが食べてる蕎麦ってつゆの味じゃない?パスタも完璧な茹で方ならオリーブオイルと絡めるだけで美味いよ?
押し寄せる/追いかける、がわかるようでよくわからんかったので全体的によく分からなかった。
自炊好きと「追いかけるおいしさ」には近い価値観があると思うな
美味しいものが食べたいんじゃなくて「伝統をわかっている俺の方が偉い」マウントを取りたいってのが本当の動機なんだね
Twitterで起こってることは「バズる美味しさ」を求めてるので、稲田さんのはメタなんだけどメタじゃない。
外国の料理人が、卵かけご飯を「伝統的な日本料理」などと言って正しい作り方を唱えていたら私は笑ってしまうが、ペペロンチーノ論争もそういうことだろう。卵醤油白飯 のみで美味さを追求するもよし。邪道もよし。
誰でも仕事や趣味でやってること以外は深く考えず手っ取り早く正解とされてるやり方を求めてそれに合わせるみたいな事してるけど自分の分野になるとあいつらはなにも考えてない理解してないと言いたくなるやつ
いいはなし。「アンチがあああ」などと人格攻撃するひとに近づくと不幸になる(´・ω・`)
長い
美味さではなく本格を学びたい場合、プロのシェフの動画を参考にするけどなぁ。他だと「でも、それで金取ってるわけじゃないよね?」って感覚がどうしてもチラつく。罵って粋がってる素人のレシピなら更に要らない。
まずpeperoncinoとはイタリア語では唐辛子の意味 正しくはアーリオ オーリオaglio olioだからね^_^
俺たちは美味しんぼを食ってるんだよ(ドヤァ
そうだよ、みんな基本的には美味しんぼが好きなんだよ(だから、美味しんぼにもこれは間違っている本物ではないという美味しんぼムーブをする)
"しかし伝統的なペペロンチーノとは何かという話になれば、それはあくまで「仕方なく食べていたスパゲッティ」です。それすら無いなら仕方なくあるものだけで、という前提の中でベストを目指す執念の賜物。"
( パスタをへし折って深鍋でなく行平鍋でゆでてるけど、〔深鍋を洗うのがクソ面倒〕というシーンに合わせて作ってるからいいんだ。 )
イナダシュンスケ氏「選民思想的なもの…「基本的な(=正統な)ペペロンチーノに満足できないヤツは味覚が劣化しているのだ」「お前のペペロンチーノは材料が劣悪だからマズいのだ」これでは戦争不可避です」
この種の問題は、称賛の語句が多様化して、専ら虚偽広告に用いられる単語と別のものが幅広く使われるようになれば、だいぶ解決しそうと思っている
原理主義者が幅を利かせた環境はあまりよくない。カルボナーラも一時期ひどくて、権威主義的になっていた。でも保守派が多いのはそれはそれで恵まれた環境でもある。
ペペロンチーノからさらに無駄を省いて究極の極貧パスタを作ったとするとその名前はペになるのかンチになるのかで別れそうな気がするんだよね。
美味しい白米とは白米だけでも美味しいのだ。だがそれはそれとして梅干しや佃煮、さらにはご飯が進むオカズそ添えることで白米はさらに美味しくもなるのだ。
「問題はそういう物言いが簡単に、選民思想的なものに結び付いてしまうこと」「お前ら、『美味しんぼ』の時代から全くアップデートしてねえじゃねぇか」「追いかけるおいしさ」「押し寄せるおいしさ」
押し寄せる美味=受動的・即時的インパクト、外乱優位。わかりやすい旨味・塩味、しばしば油脂。かつては糖分も。/ 追いかける美味=能動的・構造的・文脈依存の内発的注意。咀嚼に伴う風味の放出も。かつては旨味。
地元の貧者のローカルフード。なので素材が悪い中でもできるだけ工夫して美味しくなるように調理された料理を、最良の素材で作ればもっと美味しくなる。
なるほどなあ。今日もさすがの稲田節である。
「押し寄せるおいしさ」とら「追いかけるおいしさ」つまり「ハサミ討ち」の形になるな…
対戦ゲームで勝ったり負けたりして喜び悔しがってる時に、なんでこんなに議論になるんでしょうかとか、結局みんな「勝利」が欲しいんでしょうねとか、冷笑系なだけやろ /俯瞰だの戦争だのじゃなく単に寒いやりとり
レシピ自体がシンプルでアプローチが無数にあるから。宗教っすわ
舌だけで感じる味覚と、情報として感じる味ってことですね
この人が嫌いではないが、さすがにイナダさんのMondだけ上がりすぎだろとはいつも思う。なんか仕組みがあるのかな?
これはすごい
好きに食えよでしかない
原理主義者の言う「本物の」とか「本来は」なんてのは、すべての料理があらゆる文化のごった煮の歴史の上での個人の好みでしかないことをわかってない。寿司が日本だけのものだなんてだれが決めたと。
ペペロンチーノなんてまずは美味しくないスタート地点があってそこにどうアレンジして美味くしていくかというアレンジゲームだということをもっと発信していかないと
例えば蕎麦や素麺をめんつゆで啜っているとき「もっと具を入れたら美味しいのに」とか言われても「それは別の料理でしょ。俺が今味わいたいのはこっちなの」ってなるでしょ。
「追いかける」の中には所謂「情報を食べる」的なうんちくを調味料に自分から美味しさを感じにいく態度も入ってるのかな?と思った(だから情報としての「伝統」等も重要になる)/修行的美味しさ、的な
まあ身も蓋もないこといえば、今のSNSとかでそうなってるのは、“究極の”とか“本物の”とか、そういう大仰な言葉を振り回して議論したほうがインプレ稼げるからってだけじゃないですかね?
何だか宗教の話みたい。多神教(好きに作れば、味覚なんて人それぞれ)と一神教(究極至高、ランキング1位)みたいな。
ボクの味付けはカリカリに猫缶を添えるだけだにゃ。こだわりすぎて疲れないでほしいにゃ!
辛いのが苦手で唐辛子を入れないんだけど、ニンニク(それもチューブ)だけだと物足りない。アンチョビ入れたら違う料理だし、似たようなナンプラー入れちゃう? 本物のニンニク使うとそれだけでも許せるんだけど。
じゃあなんでそんな議論が気になるのさ。それが答えなんじゃないの。
美味しさに享受的か探究的かの軸で語られるけど自己完結的か啓蒙的かも割れると思う。どのスタンスにせよマウント合戦になると燃える
”お前ら、『美味しんぼ』の時代から全くアップデートしてねえじゃねぇか。” げに
引き算とか足し算と言ったほうがいいのでは。引き算によって素材の味を楽しむ料理ならたくさんある。蕎麦とかバゲットとか。冷やしトマトとか冷奴なんかもそうかも。
何も食べたことがないド素人がイメージだけで言い張る可能性がある。最近こういう経験が全くないが我が強いガキが多い気がする。寿司も、ご飯に刺身が乗ってるモノ、程度の認識しかなさそう。料理には技術がある。
インターネットの中でしか強く言えない人達が承認欲求で言ってるだけです。今幸せな人は他人がどうとか知ったこっちゃない。
”イタリア料理は、国家ぐるみで「正解の味はある、そしてそれは最も伝統的なレシピによって作られる」みたいな世界観を意識的に構築” なるほど、パスタを半分に折るのは国家権力に対する抵抗になるのか(違。
別の名前をつければいいだけなのになんで他人の文化を軽視して自分を押し付けたいカルトが多いんだろう
あーこれぼくが、ココイチについて「おいしくないけどおいしい」と言ったり、なんかよくわかんない有名なインドカレーの店のほんとっぽいカレーについて「おいしいけどおいしくない」と言うのと同じかも
情報ムシャムシャシリーズ
『国家ぐるみで「正解の味はある/最も伝統的なレシピ』には、「地方は中央政府に、私はお前らに従属する存在ではない」的なアイデンティティのものだったりもすることに共感や美しさや敬意を見るかって話もあるね。
塩むすびは物足りないとアレコレ付け足したら、それは塩むすびじゃなく別のおにぎりだろうという話と、新しい名前をつけると塩むすびという名前のバリューが失われて希求力が無くなるという話が平行してるだけ。
ドット絵やチップチューンの美しさと、ハイスペックマシンで描かれるグラフィックやサウンドの美しさみたいなもので、そこに個人の好き嫌いはあっても優劣を見出すのはナンセンスって話ね
アーリオ・オーリオ・ペペロンチーノ・エ・コラトゥーラ
“この話、「追いかけるおいしさ」という補助線を引くと、たちまちわかりやすくなると思います。おいしさには、押し寄せてくるおいしさと、こちらから探して追いかけるおいしさがあります。”
なんか偉そうな質問に、一歩も引かず殴りふせる回答で返すイナダシュンスケ、喧嘩が上手い
ペペロンチーノってそこまでうまいもんじゃないし、っていうのが結論よね……
「これでは戦争不可避です。これが「ペペロンチーノ論争の正体です。お前ら、『美味しんぼ』の時代から全くアップデートしてねえじゃねぇか」
「追いかけるおいしさ」を追いかけて追いついた瞬間、それまで感じなかったおいしさが怒涛のように押し寄せてくる現象を「おいしさのツンデレ」と呼んでいる
結局、料理を楽しむより「自分の正しさ」を主張したい人が多いんたろうね。基本を理解したうえで、その日の気分で自由に楽しめばいいと思う。
様子見するように売ってこられた喧嘩を高額紙幣の束で買い取って展開した様子がこちらです
アレンジ料理はそれはそれこれはこれ問題で美味しければいいし自由だしありだと思うし自分もやるけれどけど、「定義」という意味では基本的にわたしも原理主義者ではある。
“結局みんな「正解」が欲しいんでしょうね”料理に限らずそう。買い物は一番安くていい商品を選びたくて、買った後安い店見つけたら絶望する、とかね。今目の前と向き合えないのは、色々余裕がないからだろうか。
突き詰め(追いかけ)メソッドは手間と努力と価格の費用対効果が悪いので今日も俺はリュウジレシピ(押し寄せメソッド)でゴマ油とダシ粉をドバァ|淡口らあめんと濃口らあめんみたいなモンやな
YouTube見る限りだと、ペペロンチーノは好きにやってよさそうだが、カルボナーラはローマ式とかトスカーナ式とかいろいろイタリア人が言い争っている。
タコ刺しに酢と味噌を足したら酢味噌和えだし、肉じゃがにカレー粉を足しても肉じゃがだと言えるのか、それとも違う料理か。問われてるのはそういう事だと思うんだ。
食も言葉と同じだよな。原則を定義したところで時代とともに変遷していく。時には定義も上書きされる。定義を知っておくのは悪くはないがそこに拘って変化を受け入れられなくなってはいけない。
これ発端はいつものアイツがコラボ商品に絡めて強めの発言したことが発端じゃない?要は全員養分
友人はグルメで味の素使わない派なんでニンニクだけで旨味たっぷりのペペロンチーノ振舞ってくれる。私は味の素ドバッ、の舌破壊済みは軽蔑するがうま味調味料自体は使ってて洋食はシチュー除き不使用、再考するか
ラーメンハゲは「やつらはラーメンじゃなく情報を食っているんだ」と露悪的な言い方したけど,イナダシュンスケ「我々は化学的な味だけでなく文化も含めて味わってるんです」とより洗練された言葉にしたわけだ
究極の、だったら至高の、にして欲しかった
素麺のたとえ、分かりやすいな
途中押し寄せると追いかけるを誤記してるわね
ゲームのRTAと同じで好きなものを好きという表現の一種。ペペロンチーノに限ってはレシピがシンプルな故、より美味しくとかより手早く味を落とさずとか料理のプロでない人も各々の究める道を見出すから議論が弾むと。
日本人が遠い異国の料理をあれやこれや語るのも滑稽に思える。映画「たんぽぽ」からも進歩してないね(古い)
そういやペペロンチーノ、ニンニクと唐辛子だけの奴って食べた事ないんだよな。なんだかもったいなくて、何かしら具を入れてしまう。要するに食い意地に負けてしまう。
“『美味しんぼ』の時代から全くアップデートしてねえ”(笑))ペペロンチーノってグランブルーでエンゾがすげー嫌そうに食べてたママンのスパゲッティだよね?我がペペロンチーノには人参と玉葱と厚切りベーコンが必
足し算で得られる美味しさと、引き算で得られる美味しさ、かな?前者は口に含みさえすれば味わうことのできるリッチな食体験で、後者は己の舌の解像度でもって見つけ出す必要があるほど僅かな違いに見出だされる味覚
料理って簡単に序列付ける話題に紐付くから本当面倒臭い。食いたいもの食えばいい、味覚なんてほぼ体調次第/嫁とおかんの飯こそ至上。イタ公以外が語るペペロンチーノ談とか情報に汚染されたポジトークで話半分よ
他に美味しくする手段はあれど、縛りプレイをした上でうまくできるという引き算の美学的な扱いなんかねぇ。どちらがうまいと言うよりもレギュレーションの違いか
イタリアはイタリアの都合で、伝統を明文化する必要があるのだろう。日本は伝統的に外からもたらされるものにこそ価値があるので、日本の影響が入る前の本物を体験したがる習慣がある。