痛いのと苦しいのが嫌なので、できたら即死がいいな。 もしくは有情破顔拳
有史以来、やっぱりこっちの(生者の)世界がよかったと戻ってきた死者はいないので。/猫と母を看取るまで死ねないとは思ってるけど、そこだけつつがなく済ませたら後はどうでもいいや。
50代過ぎると体力低下で死を急にリアルに感じ始めるのめちゃくちゃ分かってつらい
なかなか死ねないことの方が怖いよね…
物心ついてから55歳位までは死ぬのが怖かったが、徐々になくなって会社員人生のラストスパートの頃にはあまり感じなくなったかも。 今でも怖くない訳ではないが、アディショナルタイムを有効に使いたいと思ってる。
宗教で脳を騙さないと辛いかも
やれる時にやりきっておかねば. yも結婚迄に1通りの遊びを(駅迄/ゟが絶望的に遅い地下鉄ではなくtaxiで行って)し, 結婚後は一切して居らぬ.
学生の頃に病気や事故で何度か死にかけてるが、どうにもならんことはどうにもならん
全身麻酔したとき意識がスコーンと途切れてあのまま目覚めなければ「死」なんだなと思ったら死そのものは怖くなくなった。死というかやり残すことが怖い。
穏やかな人生だったのかな。これまでに病院のベッドで生かされてるだけの親族を何人か見ているので、長生きでも健康ではない家系なのかと思うと死ねないことの方が怖くなってしまった。
あと何年生きるかは分からないのは同じだけど、怖いのは死ぬことではなくて、それに伴う苦痛。
死恐怖症(タナトフォビア)というやつかな。
正直そういった気持ちが分からないのは異常なんだろうか、と考えることがある
古代よりメメント・モリという忠告があるほど人は自分の死を意識できないんだから、自覚できただけ上等だろう。年老いるまで自分が死ぬことに気付けない人に比べれば、余程自分自身の人生を生きられると思うよ。
56で10年は普通に生きる気なんだ
そういう恐怖は死を知ったときからずっとあるものだと思っていたけど、年齢が上がるとまた感じ方も変わるものなのかしら。今のところは、立ち向かうのではなく付き合う感情だと思っている。
自分のはるか遠い祖先まで遺伝子がつながっている。次の世代に遺伝子が残せたならいいのでは?
親の老化や介護や死、自分の健康や金銭的問題とか… 死よりも前に、なんとかしないといけない困難がある。 死を怖がれるって、それ以外の問題について考えずに済んでるってことだから良いことかもね
漱石は49歳で没したが、この子供じみた56歳より、はるかに老成していた。
そういうのは小学生で終わるんじゃね リアルになってきたとして40代じゃないのか 健康でなんともなかった人だと遅い場合もあるかな 死線を超えてない場合もそうかもしれない
なんか取引先の30代の人が急遽癌になり色々大変だから担当から外れる、と本人から聞いた時を思い出した。なので自分は別の恐怖を与えた。簡単に死ねない、死ぬのは託すだけ、いくら辛くとも妻と子と生きてくしかない
一度本気で死を考えると、それ以降はいい意味で生への執着が薄れる気がする。なかったかもしれないおまけの人生を生きている感覚というか。
子供ができて成長していくごとにたら「あ、俺の意味終わったわ」とじんわりと思わされて「人はこうやって死んでいくんだな」という死生観が徐々にできてきたわ。
私は残されたコレクションが心配。価値のあるドールやフィギュアは遺書に処分先を書いてある。借金持ちで相続放棄してもらうことになる可能性があるので、私のものではなく、家族のものとしてある。
考えても仕方ないことだけど、恐怖が全くないとあっさり死を選んだりするかもしれない。
死を恐れるって、幼児くらいで経験して、そっからは日々生きてくことが、楽しかったり、大変だったりで考えなくなるもんだと思ってたが。 俺も56歳。最近、歳上の人達と仕事をすることになり、色々考えさせられてる。
なんか分かる気がする。買うものも勝手に「一生物」になりそうで値段とか気にしてられなくなる
死はピンとこない。老いの方が怖い
むしろ意外としなないで長生きするもんだなとだいぶおもってる/56歳なら世代的に本来1999年7月に人類ごとなくなってるはず
どうにかして自分の意識をネットの海に放てないか研究してる
なぜ死ぬのが怖いのか知りたい。怖いのは変だ、と、言いたいのではなくて、なぜ死にたくないのかを知りたいと思う。
むしろ長生きが怖い
死ぬのが怖いって考えるのが面倒臭くて止した。こういう感覚もろもろが鈍っていくのも死への行程なのかなぁ。
生きてるからこそ苦しむのだとお釈迦様が言ってたよ
とは言えまた10代からやり直せと言われたら、しんどいからこのまま年取って死にますと返す。
健康配慮してるし家系的にも長寿予定だけど、85歳越えて「(年老いて)みじめ…」とか言ってる母を見ると長生きするのも難儀だと思う。まあでも、死ぬ時は感覚を徐々に削がれていくので、きっと言うほど苦しくはない
まあ折返しをとっくに過ぎたのは自覚してる。子どもを得られない人生だったので、せめて職業人として若い世代に何かを伝えてからリタイアしたいと思っているが、働き方が昔と変わりすぎてそれも難しそう。
死ぬのは怖くないと言ったら嘘になるが意識があるのに体の痛みや不具合があるのは辛そう。先日114歳の最高齢者を見たけど
生命保険なり団信なりあれば、死自体はむしろアド。それに伴う苦痛なり衰弱なりで生き永らえてしまうこと、それでも自死を選べないであろうことが怖い。安楽死はよ。
子供がいると違うものかもな。
「死ぬのが怖い」と言い切れるのはむしろ健全。
死よりも老化がこわい
死ぬまでに絶対やっておきたいやり残しを実行して減らしていけば、いつ死んでもいいやって状態にならん?
逆だ、同じ56歳で「こんな長生きするとは」と本気で驚いてる。1970~80年代の少年期は人口爆発で危機だ米ソ核戦争だノストラダムスだと脅され、成人後は就職氷河期で底辺フリーターを続け、まだ死んでないだけラッキー
閉所恐怖症の人って「自分という必ず死ぬ入れ物」から出れない事に恐怖とかあるのかな?
祖父母や高齢の母親を見ていると、やる事が尽きて暇になると死ぬのを受け入れられるようなるみたいだ。孫ができてもそうみたい。私自身も何も怖くない。なぜなら300年くらい生きるつもりだから。死など遥か彼方。
というより生きてるという状態は不自然だとも思うのよね
死ぬのが怖いと思ったことはないかも。
ちょっと前まで子どもがすぐ死にそうで怖かった。今はもうすぐ親が死にそうで怖い、手続き的な面で。自分のことは考える余裕がない。
今のところは、大きな体調不良ないから幸せだなと毎日思える。
理屈でいえば無は体験できない→主観的には死なないんだけど、そこに至る過程がこわい
怖い理由がわからない。何かやり遂げたいこととか、見届けたいこととか、何かあるの???死ぬのなんて永遠の睡眠と何の違いもないだろう。病気になったらむしろ苦しみからの解放を願うよ。
運動しないと死ぬ身体なので肉体と精神の寿命は長いが、その前に車に轢かれるか崖に落ちて死ぬ率のほうが高いと思う
生きる方が怖い。死ぬべき時に死にたい。
死なずに資産がつきる方が怖い
この間エンディングノート書いた。
生きるまで生きたらば、死ぬるでもあろうかとおもふ。生きるだけ生きたら、死ぬだけさ
現在、いわゆる「ドパガキ」と呼ばれている世代がこれくらいの年齢になったら、もはやボケ老人みたいな認知能力しか残っていなくて、こういった不安すらもなくなっているのかもしれないとか、怖いことを考えたり
還暦超えてるけど、父親と祖父の寿命まで、あと数年。4年前まで一緒に仕事をしてた人が膵癌で急死して、ことさら我がこととして考えるようになった。/もう延長戦に入ったようなものだとは思っている。
近い年代だが若い時は死ぬのがすごく怖いものと感じてたが、今はずっと薄らぼんやりとした希死念慮に囚われて生きてる。
30代死ぬのが怖いから生き急ぐやりたいこと全部やってる
"死の概念が無かった幼少期 永遠に生きてると思ってた10代 "えー。そのころこそ怖かったがなあ。郷ひろみ「男の子女の子」でも「一度の人生大事な時間」のくだりが嫌いだったくらいには。
んなもん気にするだけ無駄やからな。そんなこと考えてる暇があったらやりたいこと1つでも多くやっとけ
親の死はほんとうに堪える。「親と自分」という家族から、「自分と子」という新しい未来のある家族に移行できる人は、すぐにした方が良いよ
いま50代だけど『死』自体への恐怖というより『残り時間の少なさ』と『衰える心身』への恐怖が圧倒的・・・『死』自体はまだイメージできない中途半端な年齢。
老いてどうしようもなくなる前に逝きたい、つまり近日
今まで何度か死にかけたので、考えてもしようがない。どう生きるか考えた方がいい。
身体や頭、心がどんどん衰えて死に向かってくのは怖いよね。誕生日が心の底から喜べなくなる。なので痛い苦しいは嫌だけどポックリ逝く系が幸せなのかもしれないと思ってる
お金が減ってくほうが怖いわ
個人的な考えだけど、わたしはALSや閉じ込め症候群の方がよほど怖い。疼痛があるのに治療が受けられないとか。人それぞれだから感じ方は違うだろうけど
60代に投入して6年経つのに、持病もあるのに、なかなか死にそうになくて困惑している。ガンで早死にすると思ってたんだけどなあ。
今は死よりも痴呆で生き長らえる方が怖い…というか嫌。/積読そのままにして逝くのは遺された家族に迷惑だろうから何とかしないと…と、思いつつ日々新たに本を買ってます😅
死ぬこと自体に対する恐怖がわからない人がいるのを見て衝撃を受けたが、物心ついてからずっと恐怖を抱いてきたので50代になってから今更怖くなるのもよくわからない
自分の人生がいつかぶつ切れになると考えると確かに怖くはあるのだが、いざ死んでしまえばその後には責任もないし、何も認識できなくなるのだから、死ぬ前に苦しむとかでなければ、まあいいのではと思っている。
怖いのは死に方、あるいは死に至るまでの生き方かなぁ 肉体的にも精神的にも苦痛なく死にたいものだ
蓄えが尽きたり身の回りのことが自分で出来なくなり認知が落ちても生き続ける方が怖くない?自力でトイレに行けるうちに死にたいよ。
仕事や家事や子の不登校や留年や未就職や親の介護や施設入居費…色々あるけど死ぬのは怖い。若い時からずっと。死にたくない。5分後に死ぬのは嫌だが必ず死の5分前は訪れる。夜中に叫ぶと家族が心配するので呻くのみ
20年どころか明日を迎えられないかもしれないのに。
あと何十年も生きてるかもしれない恐怖で働き続けてるので先が見えたほうが余生を楽しく過ごせるかもしれない
何も成してないのにしぬのは恥ずいっていうのはある。
怖いというよりただただ面倒くさい。親がこの先死ぬことも面倒くさい。とにかく家族の中で自分が初めに死にたいと思ってるけど、どうするのが自分も周りも面倒じゃないのか考えるけど、それも面倒で思考停止。
死に対する恐怖ってのはまだ感じてないけど、年齢を重ねて身体的に衰えを感じてきて、ああ、死に向かってるんだなあ…と思うようになってはきている。
大病して手術、入院すると少し変わるよ。死ぬ練習が1番の経験です。
毎日をそれなりに生きるので精一杯なのさ。
この壺を買うのです。
多分、生きてても、最早やることないなと思ったら死も受け入れられる 何に対しても執着がなくなる状態 生っていうのは、執着することなんだろう その内に美味しいもの食べたい、いい車に乗りたいって欲望もなくなる
そうなる時はそうなるしなーってあんま怖い感じしてない。基本なんとかなるベースで生きてるので、まあなんとかなるのよ。めんどくさいことが起きればめんどくさいけど、めんどくさいだけ。健康で生きられますように
独身子なしで今老犬を2匹飼っていて、あと3年くらいで見送る覚悟をしています。その時は悲しむでしょうが、自分が死ぬ時には鬼籍に入った親族たちと共にこの子たちに再会できるんだと思うと、怖さが少しなくなります
ソクラテスは毒を飲み駄目になっていく体を実況中継しながら死んでいったよ。死を目前にしても狼狽せず、散歩に出かけるくらいの気軽さで逝ったんだろうね。こんな感じで死ねたらいいな。
怖い種類もいろいろあるだろうが、自分の場合、みっともない死に様を晒しそうで怖い。ちょっとボケて周りに迷惑を掛けながら死んでいく老人が多い中、たぶん自分もそうなる。
近年介護職や清掃員に高齢者をよく見かけるようになったけどそこそこ給与を貰えてそこそこ自由が利いてそこそこ働けて誰かに感謝される人手不足の職場で生き生きしたいって人が増えてるのが背景にあるそうだ。
こうして宗教が生まれた。56になるまで気づかないのはこの国が平和だからだ
年下の中山美穂が何の前触れもなく逝ってしまったのを知った時に、自分もいつ消えるのかわかったもんじゃないなあと実感。高々人生そんなもん。なんの因果か無から生まれてきたのだから楽しめるだけ楽しんだものがち
今この現実世界を生きてる方が怖いだろ
死よりも体と頭がまともに動かせなくなる方が怖いけどな。動くうちにやりたい事、やってみたい事をやっておこう。
確かに死ねない事の方が怖いな。家族や知人がみんな死ぬどころの話じゃなく、赤色恒星と化した太陽に地球が飲み込まれた後も永遠に生き続けるとか、それなら死んで完全な無になった方がマシよ
死ぬのが怖いのは死ぬ気がないので、死ぬ準備をせずにぼぉっとしていて、その割にバカにされるのが嫌で何の準備もなく死に様を晒したくないという自意識がある。死んだら意識なんて無いのにね。
その歳以降はだいたいの人は早く死にたいような状況(肉体健康問題)か、死の恐怖以前の状況(痴呆=精神健康問題)になる
死は苦痛からの解放なのに、死を怖いと言えちゃう人は、よっぽど苦痛の少ない人生送ってきたんだろうと思ってるよ。痛く苦しいまま何十年も繋がれて長生きするのこそ怖い。
ダイの大冒険を読もう。ポップも同じ悩みを抱えていた。
いつ死んでも何も変わりませんよ。
タナトフォビアだとしたらあくまで神経症の一つとされ、症状が緩和する道もゼロではなく、ブコメ見る限り大勢の理解は及んでいないけど、私のように当事者もいる(死の恐怖でよくパニックが起きる)ことは伝えたい
50代、死ぬのは怖くないが死なないのが怖い。自力で生活出来る内は良いけど、頭や体がそれを許さなくなったら。あと10年もすれば庶民向け介護業界は労働者不足で維持できなくなるのは確実だし。
死なない方が怖いだろ。。カーズ様の気持ちを想像してみてよ。56歳にもなって有限性の不安に怯えるのは歴史認識や他者との関わりの浅さが原因だろう。
生まれる前のことは学べるけど、死んだ後のことは決して知り得ないし永遠に何も経験できないので死が怖い。何万年後何億年後の未来が知りたい。一度しか生きられないのだから同じ時代に生まれた人類はもっと協調をね
胃瘻がよいかというとわからん
幼稚園児の頃に祖父が他界して、死んだらどうなるかを考えこんで無になるのが恐ろしいとびびった記憶あり。おっさんになり胃カメラするのに意識落ちる系の鎮静剤を経験して、気にしても仕方ないなと大悟した。
死ぬのが怖いのは、たぶん死そのものより「まだ生きたい」ということなんだと思う。生きる不安と死の恐れに囲い込まれて、それでも今日を生きる。結局、それしかない。
いずれ来る死のことはあまり気にしてないけど、いま不意に死んだら家族は、と思うと怖い。
自殺できないほど老いてるわけではあるまい
だからこそやりたいことは全部やるようにしてる。最近貯金することより、自分が本当に欲しかったものを買うこと、やることに躊躇がなくなってきた。元気で体が動くうちに。
「自分がいない世界」という点では、死んだ後も生まれる前も同じ。生まれる前のことを考えても怖くないのに、なぜ死ぬことを怖がる? と、中島らもが書いていた。
死ぬのは怖くないけど、親の闘病なんか見てるから、苦しみたくないってのはある。
自分は、寝る時は意識が無くなり起きると意識が戻るので、毎日死んで毎日生き返っていると思っていると、友達に話した事がある。その友達に、それから毎日寝るのが怖くなったと言われた。悪い事をした。
こういう文章には「先生きのこる」を積極的にねじ込んでいきたい。
生まれなければ死ぬこともなかったと考えれば生と死は等価値で、生きることはゆっくり死んでゆくことかと。いつの頃からかこの最期のイベントが楽しみで仕方なくゆっくり死んでゆく毎日を楽しもうと思う。
わかりみが深すぎる。本当に恐ろしい。ただ恐ろしい。
死ぬことについて考えるのは学生時代に終わらせておけ。
歳食ったらボケーッとしてくるのはそういう死神の地相効果に対して獲得するパッシブスキルだと思ってるぞ、俺は そういう意味でアルツハイマーの薬なんかよし悪しって所感だ 頭ハッキリしたら怖いことが多すぎる
死ぬのは怖いし、死にたくはない。でも生まれて育って成人して子供作って孫が生まれてひ孫が生まれてまで経験したらそれはたぶん役満だ。一通りなんでも経験してから死にたいよね?ゲイだから無理だけど。
いつか◯◯できたらいいなあ(例・海外旅行)を一つずつ諦めないといけない。老い先短い、という言葉を噛み締めてる。
(ね、人生をつらくするのは不安あるいは恐怖でしょ?っていう…。それがどこに向いているかは各個人それぞれなんだけど…。)
死ぬまではマクドナルドで老人バイトをしてみたいし、死んだらどういうとこに行くのかワクワクするんだけど。病気やらで身体が動かなくなったら、我が子か行政が何とかするやろ、しらんけど。
子どもの頃の方が死が怖かった。今はあまり怖くない。やりたいことができたからかもしれない。悔いがない。
"穏やかな人生だったのかな""それ以外の問題について考えずに済んでる"<こういうマウント取る人こそ、自分はまだ死なないと思い込んでる。人間は動物なんだから、自殺を選ぶほど人生が辛い人でも死は恐怖だよ
大人になってから実家の父と祖父母、義父と義祖母と見送った。自宅での介護もあった。義父は本人の希望で自宅で看取った。その経験の中で、老いや死への恐怖がかなりやわらいだ。いいものを頂いたと思っている。
痛いのは嫌だけど、死ぬのは怖くない。死んだら66歳で亡くなったお母さんに迎えにきてもらって、たくさん甘えたい。お母さんに会いたい。
これ昔からよくわからないな。生を完走できるかのほうがずっと怖い。それか、まだやりたいことがあるのに人生が早く終わることが怖い、ならわかるけど。
なぜ貧しい者は幸いなのか、なぜ苦しむ者は幸いなのか。それは死が「救い」になるからだ。
“死の恐怖克服に役に立たなかったもの 宗教書、哲学書 役に立ったもの マラソン、山登り、全身麻酔” 全身麻酔?
痛みや衰え、家族の介護、生活の困窮、そっちのほうが怖い気がするけど、しょうがないしと思ってるし。受け入れる覚悟?なのかしら。
“今56歳。あと20年生きれるのかさえわかりません。 20年前は36歳。ついこの前です”→この書き方上手いな。たしかについこの前だしあっという間だわ。
怖がりつつ生きていくしかありません
葉隠にある通り、『武士道は死ぬことと見つけたり』だよ。 生きてること自体が大事ではなく、死に方(生き様)がしっかりしていれば、死ぬことそのものは怖くない。不慮の死も運命。広義で言うところのその人の寿命
あと何年生きられるか分からないから、シリーズの完結まで遊べるかどうか。
中途半端に寝たきりで死ねない恐怖と死後の諸々の面倒を誰が負担してくれるかの心配事の方が大きい。
最近は夜見る夢も、今の辛い日々より過去の楽しかった日々の方が増えた気がする。何なら起きて少しうれし泣きしてる時もある。このまま起きなきゃいいのに。
ボケたり寝たきりにならずにポックリ早死したい、という理由で筋トレし続けてるけど、このままだとヨボヨボでプルブルするまで長生きしてしまいそう。今50歳。怖い怖い
死に方を選べないのは怖い。死ぬこと自体は怖くはないが、技術革新を見られなくなるのが残念だなと思う。
死ぬまで生きよう。次に託そう
「このさき生きててろくでもないことが起こって不幸になるのは嫌だなー、親の介護とかもしかすると嫁の介護とか面倒いな、そんな目に遭うくらいなら早く死にたいな」と死を切望してる俺には理解しがたい心情だ。
「葬式に参列するのは、自分のしへのイメトレ、」みたいな説きいたことある。 自分だけ都会暮らしとかの事情で、そういう機会をスルーしてると、こうなるかもしれない。
やりたいことが年を追うごとに増えて、逆に知能や体力は自覚するほど劣化していって、いつまで、どこまでやれるんやろかと思うけど、いつ死ぬか分からんからこそ、今やれることを楽しむしかよなあ。メメントモリ。
死ぬことよりも収入がなくなった後も長く生きて貧困であえぐのが怖いので、いろいろ準備してますね…
自分が死ぬことより、家族と別れが来ることが何より怖い
死ぬのが怖いって、未練と苦痛への恐怖なんだろうけど、病気などで直面しているのならともかく、人間そう簡単には死なないから、そう思っているうちにだらだら年寄りになっているんだろうな。
4歳のトゥギャッたんは、歳をとることに憧れがあるよ〜。
とりあえず50になったら速攻で帯状疱疹ワクチン(シングリックス)を打つことに決めている。帯状疱疹(水疱瘡)ウイルスは相当身体に悪さをするというのが分かってきているみたいなので
よくわからない。今日死んでも別に悔いはない。なんか生き方の問題だと思う。今日が最後の日だとして、満足する日を過ごしてるか?とか毎朝考えれば良いのでは?
死ぬより怖い事なんて世の中にいっぱいありそうなどと思ってしまう。実際死への恐怖は諦める一択なので頑張ってくれ
ここでブコメしてるみんなも死んじゃうんだよなってなるとものすごい寂しさがある、悲しい。死にたくない
死んだら怖がれない
どんな賢者でも納得させる答えは出せない。悔いの無い様に一生懸命生きるしかない。それ以上は元気な内に考えても落ち込むばかりで良い事無いと思う。余命宣告後に考えれば良い。そんな事より部屋の掃除でもしろ。
ちょっと寿命が短すぎるんだよな。せめて300歳くらいまで生かせてくれ
最近死について考えることの多い倅が、次の世界でも日本に生まれてパパとママの家族になりたいと言っているのでほろりとなった。
あまりよくないことだけど、自分が死ぬこと自体にはそんなに恐怖はない。残された家族のことを考えるとまだ20年くらいは生きていたい。
子供らが小さい頃は死ぬのが怖かったけどもう大きくなったのでどんどん怖くなくなってきた 子供らを置いては死ねないという恐怖はきつかった
生きてるのに金がない方が怖い
パソコンデータに残る都合の悪いデータの断捨離はしておかないとなぁ…。呑気に「大友克洋全集」買ってる場合じゃないんだよな。
人生かけて何一つ成し得てない人ほど死を怖がる。なんか頑張って何かひとつ自分が納得いくことを成し得てればこういう恐怖心は抱かない。なーんにもしてなかったんだろうね
50年以上も生きさせてもらえると、死の恐怖とか感じないけどな?今後無能とされる恐怖の方が勝る。
信仰って、それが困難な道であればあるほど死への恐怖は薄れてくると感じる。金がなくても大満足の人生を歩める。
いま死んでも、子供が大学まで通って就職するくらいまでのカネはあるはずなので、まあいいかなと。それより、ボケたりカネが尽きて周りに迷惑かけながら生き続ける方が遙かに怖い。
生きることは基本面倒くさい。面倒くさいことほど大事なことだとわかっているから頑張って生きている。死は面倒から解放されること。頑張って早く解放されたいよ
いなくてもいいものとして生きてるから死んでもいいっす
AIが仕事を肩代わりしてヒマになるとこうなるのかも
多くの人が同じ感覚だと思うな。今っていってもいつの間にか今じゃなくなってるし。なので目の前のことだけ見て精いっぱい生きよう。
「死ぬ」を細分化して本当に怖いのは何なのか考えたほうがいいのでは。「死ぬのが怖い」はざっくりしすぎている。
いろんな意見あるけど怖さを紛らわすボケというのは、因果関係はないけどボケのメットとして一理あるなと思ってしまった
怖がるくらいならもっと健康に気を使えばいい。100歳超えて生きてしまう可能性について考えた方がいいと思う。
明日生きてるのかもわからんのに贅沢な
死、そのものが怖いというより、死に向かう際の苦痛が怖いというのが自分の気持ちとしては正確かなぁ。眠ってる間に死亡するとか、パッと消えられるなら、そんなに悪くはないような気もしている。
死そのものより、その前の苦痛と、妻を残していくことの方が怖いな。妻とは少し年も離れているから、おそらく私の方が先に逝く
それを解決するのが宗教だった気がするのに
人生の目標は苦しまずに死ぬことです
祈りなさい。安楽死様の降臨を祈りなさい。
すごくわかる。自分は小さい頃から急にこの恐怖に定期的に襲われてる。なんか根源的な恐怖で、生活や将来の不安とは全然違うものなんだよね
僕は自分の死よりも愛する人たちの死が怖い。そしてそれらの人たちが忘れられていくのが怖い。
自分も死が怖い。厳密には死というよりその後の無が怖い。死後の無は認識できないと理解しているけど怖い
うーん、自分は、残りの時間で子供に何を残せるか、みたいなことしかもはや考えてないし、体も心も衰えていくのを日々実感しているし、若いころに戻れるならありでも、衰えた体で生きながらえても、と思ってしまう
「死ぬのが怖い」今56歳、後20年生きれるのかさえわからない…みなさんはこの恐怖にどうやって立ち向かっているのですか?→死生観が焦点に、様々な考え方やアドバイスも
痛いのと苦しいのが嫌なので、できたら即死がいいな。 もしくは有情破顔拳
有史以来、やっぱりこっちの(生者の)世界がよかったと戻ってきた死者はいないので。/猫と母を看取るまで死ねないとは思ってるけど、そこだけつつがなく済ませたら後はどうでもいいや。
50代過ぎると体力低下で死を急にリアルに感じ始めるのめちゃくちゃ分かってつらい
なかなか死ねないことの方が怖いよね…
物心ついてから55歳位までは死ぬのが怖かったが、徐々になくなって会社員人生のラストスパートの頃にはあまり感じなくなったかも。 今でも怖くない訳ではないが、アディショナルタイムを有効に使いたいと思ってる。
宗教で脳を騙さないと辛いかも
やれる時にやりきっておかねば. yも結婚迄に1通りの遊びを(駅迄/ゟが絶望的に遅い地下鉄ではなくtaxiで行って)し, 結婚後は一切して居らぬ.
学生の頃に病気や事故で何度か死にかけてるが、どうにもならんことはどうにもならん
全身麻酔したとき意識がスコーンと途切れてあのまま目覚めなければ「死」なんだなと思ったら死そのものは怖くなくなった。死というかやり残すことが怖い。
穏やかな人生だったのかな。これまでに病院のベッドで生かされてるだけの親族を何人か見ているので、長生きでも健康ではない家系なのかと思うと死ねないことの方が怖くなってしまった。
あと何年生きるかは分からないのは同じだけど、怖いのは死ぬことではなくて、それに伴う苦痛。
死恐怖症(タナトフォビア)というやつかな。
正直そういった気持ちが分からないのは異常なんだろうか、と考えることがある
古代よりメメント・モリという忠告があるほど人は自分の死を意識できないんだから、自覚できただけ上等だろう。年老いるまで自分が死ぬことに気付けない人に比べれば、余程自分自身の人生を生きられると思うよ。
56で10年は普通に生きる気なんだ
そういう恐怖は死を知ったときからずっとあるものだと思っていたけど、年齢が上がるとまた感じ方も変わるものなのかしら。今のところは、立ち向かうのではなく付き合う感情だと思っている。
自分のはるか遠い祖先まで遺伝子がつながっている。次の世代に遺伝子が残せたならいいのでは?
親の老化や介護や死、自分の健康や金銭的問題とか… 死よりも前に、なんとかしないといけない困難がある。 死を怖がれるって、それ以外の問題について考えずに済んでるってことだから良いことかもね
漱石は49歳で没したが、この子供じみた56歳より、はるかに老成していた。
そういうのは小学生で終わるんじゃね リアルになってきたとして40代じゃないのか 健康でなんともなかった人だと遅い場合もあるかな 死線を超えてない場合もそうかもしれない
なんか取引先の30代の人が急遽癌になり色々大変だから担当から外れる、と本人から聞いた時を思い出した。なので自分は別の恐怖を与えた。簡単に死ねない、死ぬのは託すだけ、いくら辛くとも妻と子と生きてくしかない
一度本気で死を考えると、それ以降はいい意味で生への執着が薄れる気がする。なかったかもしれないおまけの人生を生きている感覚というか。
子供ができて成長していくごとにたら「あ、俺の意味終わったわ」とじんわりと思わされて「人はこうやって死んでいくんだな」という死生観が徐々にできてきたわ。
私は残されたコレクションが心配。価値のあるドールやフィギュアは遺書に処分先を書いてある。借金持ちで相続放棄してもらうことになる可能性があるので、私のものではなく、家族のものとしてある。
考えても仕方ないことだけど、恐怖が全くないとあっさり死を選んだりするかもしれない。
死を恐れるって、幼児くらいで経験して、そっからは日々生きてくことが、楽しかったり、大変だったりで考えなくなるもんだと思ってたが。 俺も56歳。最近、歳上の人達と仕事をすることになり、色々考えさせられてる。
なんか分かる気がする。買うものも勝手に「一生物」になりそうで値段とか気にしてられなくなる
死はピンとこない。老いの方が怖い
むしろ意外としなないで長生きするもんだなとだいぶおもってる/56歳なら世代的に本来1999年7月に人類ごとなくなってるはず
どうにかして自分の意識をネットの海に放てないか研究してる
なぜ死ぬのが怖いのか知りたい。怖いのは変だ、と、言いたいのではなくて、なぜ死にたくないのかを知りたいと思う。
むしろ長生きが怖い
死ぬのが怖いって考えるのが面倒臭くて止した。こういう感覚もろもろが鈍っていくのも死への行程なのかなぁ。
生きてるからこそ苦しむのだとお釈迦様が言ってたよ
とは言えまた10代からやり直せと言われたら、しんどいからこのまま年取って死にますと返す。
健康配慮してるし家系的にも長寿予定だけど、85歳越えて「(年老いて)みじめ…」とか言ってる母を見ると長生きするのも難儀だと思う。まあでも、死ぬ時は感覚を徐々に削がれていくので、きっと言うほど苦しくはない
まあ折返しをとっくに過ぎたのは自覚してる。子どもを得られない人生だったので、せめて職業人として若い世代に何かを伝えてからリタイアしたいと思っているが、働き方が昔と変わりすぎてそれも難しそう。
死ぬのは怖くないと言ったら嘘になるが意識があるのに体の痛みや不具合があるのは辛そう。先日114歳の最高齢者を見たけど
生命保険なり団信なりあれば、死自体はむしろアド。それに伴う苦痛なり衰弱なりで生き永らえてしまうこと、それでも自死を選べないであろうことが怖い。安楽死はよ。
子供がいると違うものかもな。
「死ぬのが怖い」と言い切れるのはむしろ健全。
死よりも老化がこわい
死ぬまでに絶対やっておきたいやり残しを実行して減らしていけば、いつ死んでもいいやって状態にならん?
逆だ、同じ56歳で「こんな長生きするとは」と本気で驚いてる。1970~80年代の少年期は人口爆発で危機だ米ソ核戦争だノストラダムスだと脅され、成人後は就職氷河期で底辺フリーターを続け、まだ死んでないだけラッキー
閉所恐怖症の人って「自分という必ず死ぬ入れ物」から出れない事に恐怖とかあるのかな?
祖父母や高齢の母親を見ていると、やる事が尽きて暇になると死ぬのを受け入れられるようなるみたいだ。孫ができてもそうみたい。私自身も何も怖くない。なぜなら300年くらい生きるつもりだから。死など遥か彼方。
というより生きてるという状態は不自然だとも思うのよね
死ぬのが怖いと思ったことはないかも。
ちょっと前まで子どもがすぐ死にそうで怖かった。今はもうすぐ親が死にそうで怖い、手続き的な面で。自分のことは考える余裕がない。
今のところは、大きな体調不良ないから幸せだなと毎日思える。
理屈でいえば無は体験できない→主観的には死なないんだけど、そこに至る過程がこわい
怖い理由がわからない。何かやり遂げたいこととか、見届けたいこととか、何かあるの???死ぬのなんて永遠の睡眠と何の違いもないだろう。病気になったらむしろ苦しみからの解放を願うよ。
運動しないと死ぬ身体なので肉体と精神の寿命は長いが、その前に車に轢かれるか崖に落ちて死ぬ率のほうが高いと思う
生きる方が怖い。死ぬべき時に死にたい。
死なずに資産がつきる方が怖い
この間エンディングノート書いた。
生きるまで生きたらば、死ぬるでもあろうかとおもふ。生きるだけ生きたら、死ぬだけさ
現在、いわゆる「ドパガキ」と呼ばれている世代がこれくらいの年齢になったら、もはやボケ老人みたいな認知能力しか残っていなくて、こういった不安すらもなくなっているのかもしれないとか、怖いことを考えたり
還暦超えてるけど、父親と祖父の寿命まで、あと数年。4年前まで一緒に仕事をしてた人が膵癌で急死して、ことさら我がこととして考えるようになった。/もう延長戦に入ったようなものだとは思っている。
近い年代だが若い時は死ぬのがすごく怖いものと感じてたが、今はずっと薄らぼんやりとした希死念慮に囚われて生きてる。
30代死ぬのが怖いから生き急ぐやりたいこと全部やってる
"死の概念が無かった幼少期 永遠に生きてると思ってた10代 "えー。そのころこそ怖かったがなあ。郷ひろみ「男の子女の子」でも「一度の人生大事な時間」のくだりが嫌いだったくらいには。
んなもん気にするだけ無駄やからな。そんなこと考えてる暇があったらやりたいこと1つでも多くやっとけ
親の死はほんとうに堪える。「親と自分」という家族から、「自分と子」という新しい未来のある家族に移行できる人は、すぐにした方が良いよ
いま50代だけど『死』自体への恐怖というより『残り時間の少なさ』と『衰える心身』への恐怖が圧倒的・・・『死』自体はまだイメージできない中途半端な年齢。
老いてどうしようもなくなる前に逝きたい、つまり近日
今まで何度か死にかけたので、考えてもしようがない。どう生きるか考えた方がいい。
身体や頭、心がどんどん衰えて死に向かってくのは怖いよね。誕生日が心の底から喜べなくなる。なので痛い苦しいは嫌だけどポックリ逝く系が幸せなのかもしれないと思ってる
お金が減ってくほうが怖いわ
個人的な考えだけど、わたしはALSや閉じ込め症候群の方がよほど怖い。疼痛があるのに治療が受けられないとか。人それぞれだから感じ方は違うだろうけど
60代に投入して6年経つのに、持病もあるのに、なかなか死にそうになくて困惑している。ガンで早死にすると思ってたんだけどなあ。
今は死よりも痴呆で生き長らえる方が怖い…というか嫌。/積読そのままにして逝くのは遺された家族に迷惑だろうから何とかしないと…と、思いつつ日々新たに本を買ってます😅
死ぬこと自体に対する恐怖がわからない人がいるのを見て衝撃を受けたが、物心ついてからずっと恐怖を抱いてきたので50代になってから今更怖くなるのもよくわからない
自分の人生がいつかぶつ切れになると考えると確かに怖くはあるのだが、いざ死んでしまえばその後には責任もないし、何も認識できなくなるのだから、死ぬ前に苦しむとかでなければ、まあいいのではと思っている。
怖いのは死に方、あるいは死に至るまでの生き方かなぁ 肉体的にも精神的にも苦痛なく死にたいものだ
蓄えが尽きたり身の回りのことが自分で出来なくなり認知が落ちても生き続ける方が怖くない?自力でトイレに行けるうちに死にたいよ。
仕事や家事や子の不登校や留年や未就職や親の介護や施設入居費…色々あるけど死ぬのは怖い。若い時からずっと。死にたくない。5分後に死ぬのは嫌だが必ず死の5分前は訪れる。夜中に叫ぶと家族が心配するので呻くのみ
20年どころか明日を迎えられないかもしれないのに。
あと何十年も生きてるかもしれない恐怖で働き続けてるので先が見えたほうが余生を楽しく過ごせるかもしれない
何も成してないのにしぬのは恥ずいっていうのはある。
怖いというよりただただ面倒くさい。親がこの先死ぬことも面倒くさい。とにかく家族の中で自分が初めに死にたいと思ってるけど、どうするのが自分も周りも面倒じゃないのか考えるけど、それも面倒で思考停止。
死に対する恐怖ってのはまだ感じてないけど、年齢を重ねて身体的に衰えを感じてきて、ああ、死に向かってるんだなあ…と思うようになってはきている。
大病して手術、入院すると少し変わるよ。死ぬ練習が1番の経験です。
毎日をそれなりに生きるので精一杯なのさ。
この壺を買うのです。
多分、生きてても、最早やることないなと思ったら死も受け入れられる 何に対しても執着がなくなる状態 生っていうのは、執着することなんだろう その内に美味しいもの食べたい、いい車に乗りたいって欲望もなくなる
そうなる時はそうなるしなーってあんま怖い感じしてない。基本なんとかなるベースで生きてるので、まあなんとかなるのよ。めんどくさいことが起きればめんどくさいけど、めんどくさいだけ。健康で生きられますように
独身子なしで今老犬を2匹飼っていて、あと3年くらいで見送る覚悟をしています。その時は悲しむでしょうが、自分が死ぬ時には鬼籍に入った親族たちと共にこの子たちに再会できるんだと思うと、怖さが少しなくなります
ソクラテスは毒を飲み駄目になっていく体を実況中継しながら死んでいったよ。死を目前にしても狼狽せず、散歩に出かけるくらいの気軽さで逝ったんだろうね。こんな感じで死ねたらいいな。
怖い種類もいろいろあるだろうが、自分の場合、みっともない死に様を晒しそうで怖い。ちょっとボケて周りに迷惑を掛けながら死んでいく老人が多い中、たぶん自分もそうなる。
近年介護職や清掃員に高齢者をよく見かけるようになったけどそこそこ給与を貰えてそこそこ自由が利いてそこそこ働けて誰かに感謝される人手不足の職場で生き生きしたいって人が増えてるのが背景にあるそうだ。
こうして宗教が生まれた。56になるまで気づかないのはこの国が平和だからだ
年下の中山美穂が何の前触れもなく逝ってしまったのを知った時に、自分もいつ消えるのかわかったもんじゃないなあと実感。高々人生そんなもん。なんの因果か無から生まれてきたのだから楽しめるだけ楽しんだものがち
今この現実世界を生きてる方が怖いだろ
死よりも体と頭がまともに動かせなくなる方が怖いけどな。動くうちにやりたい事、やってみたい事をやっておこう。
確かに死ねない事の方が怖いな。家族や知人がみんな死ぬどころの話じゃなく、赤色恒星と化した太陽に地球が飲み込まれた後も永遠に生き続けるとか、それなら死んで完全な無になった方がマシよ
死ぬのが怖いのは死ぬ気がないので、死ぬ準備をせずにぼぉっとしていて、その割にバカにされるのが嫌で何の準備もなく死に様を晒したくないという自意識がある。死んだら意識なんて無いのにね。
その歳以降はだいたいの人は早く死にたいような状況(肉体健康問題)か、死の恐怖以前の状況(痴呆=精神健康問題)になる
死は苦痛からの解放なのに、死を怖いと言えちゃう人は、よっぽど苦痛の少ない人生送ってきたんだろうと思ってるよ。痛く苦しいまま何十年も繋がれて長生きするのこそ怖い。
ダイの大冒険を読もう。ポップも同じ悩みを抱えていた。
いつ死んでも何も変わりませんよ。
タナトフォビアだとしたらあくまで神経症の一つとされ、症状が緩和する道もゼロではなく、ブコメ見る限り大勢の理解は及んでいないけど、私のように当事者もいる(死の恐怖でよくパニックが起きる)ことは伝えたい
50代、死ぬのは怖くないが死なないのが怖い。自力で生活出来る内は良いけど、頭や体がそれを許さなくなったら。あと10年もすれば庶民向け介護業界は労働者不足で維持できなくなるのは確実だし。
死なない方が怖いだろ。。カーズ様の気持ちを想像してみてよ。56歳にもなって有限性の不安に怯えるのは歴史認識や他者との関わりの浅さが原因だろう。
生まれる前のことは学べるけど、死んだ後のことは決して知り得ないし永遠に何も経験できないので死が怖い。何万年後何億年後の未来が知りたい。一度しか生きられないのだから同じ時代に生まれた人類はもっと協調をね
胃瘻がよいかというとわからん
幼稚園児の頃に祖父が他界して、死んだらどうなるかを考えこんで無になるのが恐ろしいとびびった記憶あり。おっさんになり胃カメラするのに意識落ちる系の鎮静剤を経験して、気にしても仕方ないなと大悟した。
死ぬのが怖いのは、たぶん死そのものより「まだ生きたい」ということなんだと思う。生きる不安と死の恐れに囲い込まれて、それでも今日を生きる。結局、それしかない。
いずれ来る死のことはあまり気にしてないけど、いま不意に死んだら家族は、と思うと怖い。
自殺できないほど老いてるわけではあるまい
だからこそやりたいことは全部やるようにしてる。最近貯金することより、自分が本当に欲しかったものを買うこと、やることに躊躇がなくなってきた。元気で体が動くうちに。
「自分がいない世界」という点では、死んだ後も生まれる前も同じ。生まれる前のことを考えても怖くないのに、なぜ死ぬことを怖がる? と、中島らもが書いていた。
死ぬのは怖くないけど、親の闘病なんか見てるから、苦しみたくないってのはある。
自分は、寝る時は意識が無くなり起きると意識が戻るので、毎日死んで毎日生き返っていると思っていると、友達に話した事がある。その友達に、それから毎日寝るのが怖くなったと言われた。悪い事をした。
こういう文章には「先生きのこる」を積極的にねじ込んでいきたい。
生まれなければ死ぬこともなかったと考えれば生と死は等価値で、生きることはゆっくり死んでゆくことかと。いつの頃からかこの最期のイベントが楽しみで仕方なくゆっくり死んでゆく毎日を楽しもうと思う。
わかりみが深すぎる。本当に恐ろしい。ただ恐ろしい。
死ぬことについて考えるのは学生時代に終わらせておけ。
歳食ったらボケーッとしてくるのはそういう死神の地相効果に対して獲得するパッシブスキルだと思ってるぞ、俺は そういう意味でアルツハイマーの薬なんかよし悪しって所感だ 頭ハッキリしたら怖いことが多すぎる
死ぬのは怖いし、死にたくはない。でも生まれて育って成人して子供作って孫が生まれてひ孫が生まれてまで経験したらそれはたぶん役満だ。一通りなんでも経験してから死にたいよね?ゲイだから無理だけど。
いつか◯◯できたらいいなあ(例・海外旅行)を一つずつ諦めないといけない。老い先短い、という言葉を噛み締めてる。
(ね、人生をつらくするのは不安あるいは恐怖でしょ?っていう…。それがどこに向いているかは各個人それぞれなんだけど…。)
死ぬまではマクドナルドで老人バイトをしてみたいし、死んだらどういうとこに行くのかワクワクするんだけど。病気やらで身体が動かなくなったら、我が子か行政が何とかするやろ、しらんけど。
子どもの頃の方が死が怖かった。今はあまり怖くない。やりたいことができたからかもしれない。悔いがない。
"穏やかな人生だったのかな""それ以外の問題について考えずに済んでる"<こういうマウント取る人こそ、自分はまだ死なないと思い込んでる。人間は動物なんだから、自殺を選ぶほど人生が辛い人でも死は恐怖だよ
大人になってから実家の父と祖父母、義父と義祖母と見送った。自宅での介護もあった。義父は本人の希望で自宅で看取った。その経験の中で、老いや死への恐怖がかなりやわらいだ。いいものを頂いたと思っている。
痛いのは嫌だけど、死ぬのは怖くない。死んだら66歳で亡くなったお母さんに迎えにきてもらって、たくさん甘えたい。お母さんに会いたい。
これ昔からよくわからないな。生を完走できるかのほうがずっと怖い。それか、まだやりたいことがあるのに人生が早く終わることが怖い、ならわかるけど。
なぜ貧しい者は幸いなのか、なぜ苦しむ者は幸いなのか。それは死が「救い」になるからだ。
“死の恐怖克服に役に立たなかったもの 宗教書、哲学書 役に立ったもの マラソン、山登り、全身麻酔” 全身麻酔?
痛みや衰え、家族の介護、生活の困窮、そっちのほうが怖い気がするけど、しょうがないしと思ってるし。受け入れる覚悟?なのかしら。
“今56歳。あと20年生きれるのかさえわかりません。 20年前は36歳。ついこの前です”→この書き方上手いな。たしかについこの前だしあっという間だわ。
怖がりつつ生きていくしかありません
葉隠にある通り、『武士道は死ぬことと見つけたり』だよ。 生きてること自体が大事ではなく、死に方(生き様)がしっかりしていれば、死ぬことそのものは怖くない。不慮の死も運命。広義で言うところのその人の寿命
あと何年生きられるか分からないから、シリーズの完結まで遊べるかどうか。
中途半端に寝たきりで死ねない恐怖と死後の諸々の面倒を誰が負担してくれるかの心配事の方が大きい。
最近は夜見る夢も、今の辛い日々より過去の楽しかった日々の方が増えた気がする。何なら起きて少しうれし泣きしてる時もある。このまま起きなきゃいいのに。
ボケたり寝たきりにならずにポックリ早死したい、という理由で筋トレし続けてるけど、このままだとヨボヨボでプルブルするまで長生きしてしまいそう。今50歳。怖い怖い
死に方を選べないのは怖い。死ぬこと自体は怖くはないが、技術革新を見られなくなるのが残念だなと思う。
死ぬまで生きよう。次に託そう
「このさき生きててろくでもないことが起こって不幸になるのは嫌だなー、親の介護とかもしかすると嫁の介護とか面倒いな、そんな目に遭うくらいなら早く死にたいな」と死を切望してる俺には理解しがたい心情だ。
「葬式に参列するのは、自分のしへのイメトレ、」みたいな説きいたことある。 自分だけ都会暮らしとかの事情で、そういう機会をスルーしてると、こうなるかもしれない。
やりたいことが年を追うごとに増えて、逆に知能や体力は自覚するほど劣化していって、いつまで、どこまでやれるんやろかと思うけど、いつ死ぬか分からんからこそ、今やれることを楽しむしかよなあ。メメントモリ。
死ぬことよりも収入がなくなった後も長く生きて貧困であえぐのが怖いので、いろいろ準備してますね…
自分が死ぬことより、家族と別れが来ることが何より怖い
死ぬのが怖いって、未練と苦痛への恐怖なんだろうけど、病気などで直面しているのならともかく、人間そう簡単には死なないから、そう思っているうちにだらだら年寄りになっているんだろうな。
4歳のトゥギャッたんは、歳をとることに憧れがあるよ〜。
とりあえず50になったら速攻で帯状疱疹ワクチン(シングリックス)を打つことに決めている。帯状疱疹(水疱瘡)ウイルスは相当身体に悪さをするというのが分かってきているみたいなので
よくわからない。今日死んでも別に悔いはない。なんか生き方の問題だと思う。今日が最後の日だとして、満足する日を過ごしてるか?とか毎朝考えれば良いのでは?
死ぬより怖い事なんて世の中にいっぱいありそうなどと思ってしまう。実際死への恐怖は諦める一択なので頑張ってくれ
ここでブコメしてるみんなも死んじゃうんだよなってなるとものすごい寂しさがある、悲しい。死にたくない
死んだら怖がれない
どんな賢者でも納得させる答えは出せない。悔いの無い様に一生懸命生きるしかない。それ以上は元気な内に考えても落ち込むばかりで良い事無いと思う。余命宣告後に考えれば良い。そんな事より部屋の掃除でもしろ。
ちょっと寿命が短すぎるんだよな。せめて300歳くらいまで生かせてくれ
最近死について考えることの多い倅が、次の世界でも日本に生まれてパパとママの家族になりたいと言っているのでほろりとなった。
あまりよくないことだけど、自分が死ぬこと自体にはそんなに恐怖はない。残された家族のことを考えるとまだ20年くらいは生きていたい。
子供らが小さい頃は死ぬのが怖かったけどもう大きくなったのでどんどん怖くなくなってきた 子供らを置いては死ねないという恐怖はきつかった
生きてるのに金がない方が怖い
パソコンデータに残る都合の悪いデータの断捨離はしておかないとなぁ…。呑気に「大友克洋全集」買ってる場合じゃないんだよな。
人生かけて何一つ成し得てない人ほど死を怖がる。なんか頑張って何かひとつ自分が納得いくことを成し得てればこういう恐怖心は抱かない。なーんにもしてなかったんだろうね
50年以上も生きさせてもらえると、死の恐怖とか感じないけどな?今後無能とされる恐怖の方が勝る。
信仰って、それが困難な道であればあるほど死への恐怖は薄れてくると感じる。金がなくても大満足の人生を歩める。
いま死んでも、子供が大学まで通って就職するくらいまでのカネはあるはずなので、まあいいかなと。それより、ボケたりカネが尽きて周りに迷惑かけながら生き続ける方が遙かに怖い。
生きることは基本面倒くさい。面倒くさいことほど大事なことだとわかっているから頑張って生きている。死は面倒から解放されること。頑張って早く解放されたいよ
いなくてもいいものとして生きてるから死んでもいいっす
AIが仕事を肩代わりしてヒマになるとこうなるのかも
多くの人が同じ感覚だと思うな。今っていってもいつの間にか今じゃなくなってるし。なので目の前のことだけ見て精いっぱい生きよう。
「死ぬ」を細分化して本当に怖いのは何なのか考えたほうがいいのでは。「死ぬのが怖い」はざっくりしすぎている。
いろんな意見あるけど怖さを紛らわすボケというのは、因果関係はないけどボケのメットとして一理あるなと思ってしまった
怖がるくらいならもっと健康に気を使えばいい。100歳超えて生きてしまう可能性について考えた方がいいと思う。
明日生きてるのかもわからんのに贅沢な
死、そのものが怖いというより、死に向かう際の苦痛が怖いというのが自分の気持ちとしては正確かなぁ。眠ってる間に死亡するとか、パッと消えられるなら、そんなに悪くはないような気もしている。
死そのものより、その前の苦痛と、妻を残していくことの方が怖いな。妻とは少し年も離れているから、おそらく私の方が先に逝く
それを解決するのが宗教だった気がするのに
人生の目標は苦しまずに死ぬことです
祈りなさい。安楽死様の降臨を祈りなさい。
すごくわかる。自分は小さい頃から急にこの恐怖に定期的に襲われてる。なんか根源的な恐怖で、生活や将来の不安とは全然違うものなんだよね
僕は自分の死よりも愛する人たちの死が怖い。そしてそれらの人たちが忘れられていくのが怖い。
自分も死が怖い。厳密には死というよりその後の無が怖い。死後の無は認識できないと理解しているけど怖い
うーん、自分は、残りの時間で子供に何を残せるか、みたいなことしかもはや考えてないし、体も心も衰えていくのを日々実感しているし、若いころに戻れるならありでも、衰えた体で生きながらえても、と思ってしまう