“尾瀬に私は行ったことがありません。…そしてなぜかその時、子供のころの記憶が当時の感情とともによみがえってきたのです”
なぜに『中年期の終わり』じゃないのだ……
いい話だ
「中年期の危機」を感じての「危機から出口へ」が主題。中年期の危機を脱するためのヒントを得たという話。中年期が終わるわけじゃないから……
老いや衰えを受け入れて強さの鎧を脱ぎ捨てる心境の変化がしんみり刺さる文章
逆にある程度社会的な成功体験がないとこの境地に至ることができないのではないか
人生には終わりが来る。自身の防壁を高くし他者への見下しや攻撃性で取り繕うとも、むき出しの自分が人生と向き合ったときに、すべてが虚しくなる。そこからまた新しい人生が始まるのだろう。他者の痛みを理解して。
若い頃は感情が落ち着かず、その戒めるべきは色事にある。君子が壮年になると感情が堅く強いので、その戒めるべきはいさかいにある。君子が老年になると、感情はすでに衰えているので、その戒めるべきは物欲にある。
映画の市民ケーンで絶大な権力を持ち人生を謳歌したケーンが今際の際に浮かんだのは子供の頃あそんだソリの思い出…みたいなのを思った。ケーンは死の直前まで幸せとは?気が付かなかったけどこの人は。
こういう文章で泣きそうになるくらいには俺も年老いた。
こんなに頭の良い方でも、老いて弱気になって今更感のある事を長々と述べるようになってしまう。逆説的に言えば、ある程度の幼稚さがないと社会的に強く振る舞う事は難しいのかもしれない。
衛星になるとこうなるんだな、苦労する人生というのもそれはそれで悪くないということか
いいな
やはり筋肉 筋肉は全てを解決する
幼年期の終わり
中年の危機の頃が、第二の思春期と呼ばれるわけだな
文章上手いね。身に覚えある人も少なくないお話
思春期が少年期の喪失感、中年の危機が充実期の喪失感か。そして以後喪失感が続く
ワイはもう老年期の入口やで…と思ったが清水先生の方が年上だった。つらい…
老化は人生の有限性を否応なしに意識させるけど、それを頭で納得するのは難しいと感じてる。これまで抱いていた欲という生の原動力が減衰するから?それを満たすために生きていたことを空虚に感じるから?
大学のとき老人ホームに慰問に行って最後に「ふるさと」を演奏したらたいした演奏でもないのにみな泣き出したの思い出した。
よくわかる
“食欲が落ちている私にとって、フレンチのフルコースは負担になるものでした。” くそわかりみしかない…
幼年期の終わりみたいなタイトルと思ったら内容も幼年期の終わりだった。
中年期について素直な心情を丁寧に表現して下さってありがたい / それはそれとして、中年期になっても日々の仕事とリタイア後の経済不安で押しつぶされそうな人間は、この境地に至れるものだろうか。
この手の話を見るたびに本田鹿の子の本棚45話「死にぎわ」を思い出す。みじめに死ぬのじゃ!みじめに死ぬのじゃ!
我執を手放して行って良いですね。
歳取ると 昔の事を 思い出す 遠くて近い 甘く苦い日々
考えてみると、若いうちに、尾瀬に行ったことがあるのは、いい経験だったな。富士山も、北アルプスも、南アルプスも行った。もちろん、年取ってからもいけるけど。
虚無はすぐそこにある
男性の生き辛さを感じる。自分の弱さを認め他者に共感できる事こそが人としての強さ。男性がマチズモから自由になって自己肯定感を持つのは難しそう。この方は社会的に成功したから、この境地に至れた気もする。
こういう文章を読むとみんなけっこう人生を駆け抜けてるんだなと思ってしまう。自分はただただ年をとっていくだけだし。
50代半ばで老いか…
これだけ社会的な成功を納めても、そう思うもんなんだな。いわんや庶民をや。50代半ばになっても晩餐会でフレンチのフルコースなんて食べたこともないよ。お腹がもたれるから嬉しくないとか言ってみたい。
この方の感覚は特に異論はないし、尊重したいと思う。ただ、ここまでの余裕がない人も多いだろうなとも思う。
若い頃に絶望しなかったのか? そんなに夢と希望に満ち溢れてたか? 記憶を書き換えてるんじゃない? 人生の有限性なんて子供の頃から突きつけられてたけど
『やがてすべてが失われることを知った私は、以前だったら気にもとめなかった日常の感じ方が変わりました。「この体験はもうできないかもしれない」という感覚』なんとなく分かる。だから老後を有意義にしたい。
腱鞘炎でゲームができないことはつらい
立派すぎて幼い頃のつらさの話も謙虚な物言いも逆に自慢にしか思えず、そんな受け取り方しかできない自分が残念だ。人懐っこい性質などもともとなく、強さの鎧のかけらもないまま老年期に入り、息を潜めて生きている
死ぬまで強くなり続ければ傲慢でいられる。世の中を面白くするのはリングで戦っている人だし、リングから降りた人はつまらない。
歴史に名を残すような天才でもない限り、これぐらい必死にならないとそれなりの成功でさえ収められないのも事実。幼稚だと見下すのは簡単だが、こういう人たちの努力の上に我々の快適な生活が成り立っているのよね
老い老い
心に染み入る文章だ
別に若かろうが老いようがどーゆー生き様だろうがミルトン・ナシメントは美しいぞ。時間を超えるものは確かに存在する。https://youtu.be/nCyZXue3-KI?si=xBzwdd5maBkFR5jT
ここまで感傷的でなくとも同じようなことは考える。「頑張る」という原動力は振り返ると「悔しい」や「認められたい」だったりして、達成して得られるものもあるけど、取り返したかった感情は失われたままなんだよね
「若いころは、強くなれば、いろんなものが手に入って、幸せになれる。そして、いずれ悩みのない自分になれるという幻想をもっていました」。憧れた強さという鎧を脱いで本当の自分に還るとき。
「若いころは、強くなれば、いろんなものが手に入って、幸せになれる。そして、いずれ悩みのない自分になれる」「やがてすべてが失われることを知った私は、以前だったら気にもとめなかった日常の感じ方が変わり」
自分も含め古参のはてなユーザーは中年や老年なんだろうな。なんか皆が愛しいよ。
「今更感のある事を長々と述べる」「ある程度の幼稚さ~」俺は断固として真逆の意見を持つ。自分の心の弱く脆い所を曝け出しても誰かの何かの参考になればいいという至上の優しさと強さ、成熟の最終段階である
幼少期の傷を見ないようにして頑張っても、強さが失われたときに結局は立ち現われてくるという話に思える。なら最初から幼少期の傷を認めてそれのケアをしたほうがよくない?とも…。その余裕が現代にはあるのでは…
なぜかアーサー・C・クラークを思い出す
幼少期の戻れない美しい思い出やもう会えない人たちを想い感傷的になるが、後年振り返るとそれは幼少期だけでなく、いつの昔も振り返れば「この体験はもうできない」過去になる。日常のかけがえなさを大切にしたい
ビッグサイト隣のがん研有明の。 最先端最高峰のガン研究といわれてる。 基本紹介状がいるので、重めな人がやってくると推察される……。その精神科… そりゃ鎧無しで向き合ったら自分が壊れると思う………
でも、手放した部分を善意(打算もあるか)で褒めてくれたり、そのために席を設けてくれる人が現れて鬱陶しいなと思いつつ、たまには役割だ、仕方ないと引き受けようという日々もあるんでしょう?とは思った。
どこかで気持ちや考え方が落ち着いてくる時期がやってくる。
全然本題と関係ないけど、『幼年期の終わり』でなく『幼年期の終り』なのよね。
上位ブコメの通りで、一度承認を得られたからこその話で、お金と一緒よね。ちなみに、結構承認されてたはずの人が、年老いてからもう一度承認欲求が爆発するパターンも見かけるので感情は本当に厄介だなと思う。
心の平穏を守るために、色んな物を投げ捨て、見て見ぬ振りをしてきたと思わされた。
どんな立派な人でも、イジメられた人間は皆んな、こういう「本当の自分」を取り戻す物語を背負ってしまうよな。大きく見せることから解放されて、ようやく本当の幸せが実感できるようになるんよね。
ブコメの通り様々な角度で読み取れる深い文章。寂寥感もあるが、これは成熟した人生の発露かもしれない。ちなみに50代ならギラギラの人も多いので男性更年期らしさも感じる。筋トレしたら考えが変わったりして。
自分は大学にはいってまもなく、60代後半の教授に「歳をとったらどうなるのですか」ときいた。「好奇心は枯れない。精神は、二十歳のころとなにもかわらない。大人になった自覚はない」といわれた。成長などない。
長年培ってきた専門性や論理的な強さ(思考基盤)はそのままに、そこに人間としての根源的な感受性や弱さを統合していくことで、独自の価値や深みを見出すお年頃。言い換えれば「大人の無いものねだり」。
おじさんの感覚だね。テストステロン。おばさんはまた違う動きになるかな
“これからは強さも弱さも含めて、自分を素直に認められるとよいでしょう。そして、日常のなかで、やさしさや、美しさへの感受性を大事に育てていく。そうすれば、この危機の出口に立てるのではないか? ”
泣きそうになってしまった。 もしも、がんになって心が弱ってしまったら、こういう先生に相談するのも良いかも。
どんだけ自責思考の人なんだと驚きながら読んでたら今は落ち着いてるようで良かったな…というか本の宣伝できるくらいなら万々歳じゃないかい
中年にも穴はあるんだよな
年とると実感として身に沁みてくるんだろうなあ
"診療の際に自分の力を証明しようとすることはもうありません。"もっと詳しく。どういうこと?お医者さんのメンタルが診察結果に影響するのかな?結果は変わらないけど伝え方が変わるのかな?
男の人ってこうなりがちだよね、女だとこの年代は逆に「もう旦那の世話面倒他人の目なんかきにしねえ気も使わねえ今から私が主人公だ、自分本位で生きるぞ」って熟年離婚に踏み切る感じ。
身体機能の衰えで心の在り方が変わることからも、心と体は影響し合っているのがよく分かる。体が動くうちは一人でも寂しくなかった人が、加齢や病気等で急に寂しさを感じるようになったり。
なんていい文章なんだ/『夏の思い出』で一瞬ケツメイシが鳴りかけてしまった不覚
作者さまとそのお父さまには申し訳ないが、本当につよい人は社会の役にたたず社会を好きなようにうばっていく。もちろんそんな有害なつよさは迷惑だから人よりちょっとつよく、社会に与える人もいるから救われるんだ
“そういう弱さをもつ自分が、ここまで必死に生きてきた道のりを愛しく感じます” / 振り返った自分を愛せる人は少ない。でも自分だけは自分にそうあるべきなんだよね。
“こどものころ、私はさみしがりやで、人懐っこかったと思います。以前はそういう自分が嫌いで、強さの鎧で覆い隠そうとしました""今は、そういう弱さをもつ自分が、ここまで必死に生きてきた道のりを愛しく感じます"
素直な気持ちが淡々とした文章で書かれていてとても良い読み物だった。しかし、それはそれとして、この人のような社会的地位も成功も得られず、過去に縛られてずっと燻り続ける人達のことも考えてしまう。
関係無いかもだけど、先日フジロックで初めて見た平沢進(72)の"我"や"己"のパワーに圧倒されて帰ってきました。彼自身の揺るぎない軸が本当にすごかったです。すごかったとしか言葉にできない凄みでした。
音楽に感動して涙を流すなんてのはAIにはできないことだろうな
リアル尾瀬って今やくまが居たと思う。行かなくて正解。私ゃ自分を諸行無常、有為転変の中で生じた使い捨てのいち現象に過ぎないと思ってるからひどい身体的苦痛等を実際に受けなければ強さも弱さもどうでもいいな
50代に入ると負の意味で「驚愕する」ことが増える。自分の心身に関して。
“今は、だれもがみな「生きる」という、厳しくもあり愛しくもある現実と、その人なりのやり方で一生懸命向き合っている、とこころから思えています。”
常に生死に向き合っていて尚到達した境地に思える。立派
良い文章だ。
最近増田でよく見かける「金はあるけど満たされない」をエモく書くとこんな感じになるのでは、としか読めない貧乏人ですはい僻みです。
ボクも鎧なんか脱ぎ捨てて、日向ぼっこしてお昼寝するのが一番だと思うにゃ。弱さを認めると、撫でてくれる人の温もりがもっと感じられるはずだにゃ。
古代インド四住期の第3ステージ「林住期」そのもの
私四十代だけどこういう観点ないんだよな。二十のころから人生の意義も自分のしたいこともわからずに二十年鬱屈してたから。今はそれなりにしたいことしてて、精神的に諦めもついたし安定もしたけど堕落もした。
強くなれてしまうとそんな感覚になるのかなって思う。私は弱いままこの年まで来たから、弱い自分にも周囲への敵愾心も早々に手放したしそうせざるを得なかった
がん研病院の医師がこういう境地に至ったのいいなぁ。むかし会った同病院の有名外科医は自尊心の塊で話しにくい人だった。音楽のちからって、いつになっても神秘を感じるな。
最後まで自分にしか目線がいってなくて、つまらない人間だなと思った。
タイトルが絶妙。映画さびしんぼうを見たくなった。
うーん、なんだろう。自著のステマかなと思う程度には私の心が汚れていることが分かりました。
役立ってる事に喜びを感じるのは利己主義とは言わないよね。シュバイツァーでもマザー・テレサでも変わらんやろ。それを表向きの理由に、或いは自分をも偽って権力欲とかでゴリ押ししてたのを懺悔してるんならまあ…
中学校の国語の教科書のようだ…と読み続けたら、最後に自著のPR
私は五十代に到達しましたが日々若い人の活躍を妬みいかにして足を引っ張り皆んな不幸になることを願うばかりです。
優しい詩のような文章だな。人はいくつになっても迷うし惑うし、でもそれでいいんだろうな。自分を許せるかどうか。
美しい文だ
ここまでやりきってるだけいいよな。普通の人は何にもない。
私もまさに今自分の人生の振り返りをせずにはいられない時期にいる。社会的に成功した方でも同じなんだなあ。やはり最終的には内面の豊かさに救われるのか。つくづく人生は思索の旅だなぁと思う。
医師に定年はなく金はあるし先生先生とわっしょいわっしょいしてもらえる。まずそんな立場の人間が人生をボヤくのが野暮で不愉快だ。また、まだ不満というのなら、それはもう病気なので、入院か出家をお勧めする。
気持ちとしてわからんでは無いが、天人の嘆きというか縦の旅行の足りない人の文章だなあとも思う。医者で功徳も積んだだろうが人のためというなら尾瀬より日本のスラムや限界集落を回って欲しい
小3の頭に引っ越し,転校したから,それ以前の記憶が何か別の人生であるかのように,特別の箱に入っている。先日,その町の取るに足らない景色を撮った写真を偶然に見て,古い記憶が溢れ出て困惑するほどだった。
ミドルエイジクライシスを超えた人ってこういう感覚なんだろうな。そこまで枯れたくはないと思うがどうやろなあ
「衣食住、金銭的に困らない、家族に問題がない」と分かっているからこそ、この境地になれるんだろう。(賃貸暮らしで老後資金が少ないので、遥かに低次元な物質的な悩みを持つに至っております)
なんか泣きそうになるくらいにはおっさんだが、まだまだ中年期の入口かなあ自分は。わかってたら対処できることもたくさんあるのでありがたい。
寓話性すら感じる人生のテキストのような話だなぁ……同年代の俺は何も手に入れてないし強くなったこともないが、なんとなくわかる気がする。
FIREして金あるけど人生虚しいって内容で増田ブクマカ釣ってる自称金持ち心貧増田に呼んでいただきたい
中年期の出口は、第2の人生の準備の始まりの時であり、これからの人生のほうが遥かに大変と心づもりされたほうがいいかもしれない。人間は諦める事を知らず死ぬまで成長を欲する生き物です。
感心しつつもどこか別世界の物語を読んでいるような感じだ。一貫したストーリーに生きている人とそうでない人とで見ている世界が違うんだろう。わしは後者の人間だ。
音楽ってすごいよな。なんであんなに突然に心を揺さぶってくるのか
変化を楽しめれば、それは危機ではない
名曲だよねえ。夢見て咲いているって歌詞が好き。
何者かに成れた人間が贅沢言うな
45だけどまだこんな感覚はないなぁ
子どものころ夢中になった遊びをやってみると自分の再発見があるよ。人と比べてどうこうでなく、単にこれが自分なんだなあという感覚になる
自分は40代なのだけど「50半ばでこれかよ」って思っちゃった。その頃になるとまた色々感じるのかねぇ。得るも失うも全て一切苦であって、それを自覚しながらも何かを慈しみながら生きるのが程々でいいんじゃないかね
過去から現在、未来を物語にするナラティブアイデンティティで、過去の人生に意味づけをし、今後の人生を組み立てる力にする実践。セルフナラティブセラピーはアイデンティティの揺らぎに有効だし公開にも意味はある
いい文章だけど半分くらいネガコメもあるだろうなと思ったらやっぱりだった 何が人を分けるんだろう 自分なりに何かを成し遂げた実感の有無なのかな?
今65歳だけど、50代のときに考えたこと、悩んでいたことはすっかり忘れました。
“
Memento mori.
おぅ、ゴリゴリ削られる
続編が出たのかと
こういう全て悟り切ったと感じてる社会的地位の高い男性が、ひょんなことから、小悪魔的な魅力のある親子ほども歳の離れた女性に心を奪われて全てを失う様を見てみたい。
有明病院の「がん専門精神科医」ってことは数多くの人を看取ってきたはずだが、それでも還暦近くになるまでこういうことに気づかないのか、という。幾多のがん患者を他人事だと思ってないとできない仕事なんだろうな
いつか思い出したとき心の支えになり自己を肯定できるよう、子どもの思い出の記憶を積み上げるために頑張ってる。今時期は両実家の往復とか、炎天下の公園とか、ほんとしんどいけど..
ヘミングウェイが重なりそうで重ならなくて。でも重ねてイメージしてしまう感じ。40代の最大値と50代の最小値の開きって大きいよね。
更年期ではないのかな
十分じゃないですか・・・
老年期の入口だね。
この方に子どもはいるのだろうか?俺は子育てを通して似たようなことを考えるようになった
“強くなろう、認められよう。” それが達成させることのなくここまで来てしまった。これから何か別の答えを私も見つけられるだろうか。
筆者のように競争をやり切った人が「強さ」を手放すのは成熟である一方、まだ何も成し遂げていない人が競争から降りる正当化に使えば、成長を止める。その非対称性をわかっていながら免罪符にすることこそ「弱さ」
こういう人もいれば、トランプみたいな人もいるし、いろいろですね。
50代半ばでそんなこと言わないでよ。しかも頭の良い50代半ばよね。自分は老年期の入り口かしらね。しかも頭の悪い。ギョッとするわ。自分はまだまだ若いと嘘を信じ込ませて日々生きているのに。
「この体験はもうできないかもしれない」という感覚は、何気ないことに、愛しさを感じる才能を生みました。
強者となれた人のみがたどり着ける境地
"こころの傷を覆っていた強さがだんだんはがれていくと、再びその傷がむき出しになってきました。そして、こどもの頃のさみしさや虚しさをかかえた私、心細かった自分が、ふたたび姿を現しました。" わかりすぎる
“だれもがみな「生きる」という、厳しくもあり愛しくもある現実と、その人なりのやり方で一生懸命向き合っている”
もうキャリアをあがってもいいレベルの人はいいよなあ。消化に悪い重たい食べ物がしんどくなると老いを感じるのわかる。
人生走りきった後の一息で、こんな感想が出てくるようになりたいもんだね
老い
この結論、到達点を見るに如何に恵まれた人生だったか、と思わずにはいられない。
中年期の出口|清水研
“尾瀬に私は行ったことがありません。…そしてなぜかその時、子供のころの記憶が当時の感情とともによみがえってきたのです”
なぜに『中年期の終わり』じゃないのだ……
いい話だ
「中年期の危機」を感じての「危機から出口へ」が主題。中年期の危機を脱するためのヒントを得たという話。中年期が終わるわけじゃないから……
老いや衰えを受け入れて強さの鎧を脱ぎ捨てる心境の変化がしんみり刺さる文章
逆にある程度社会的な成功体験がないとこの境地に至ることができないのではないか
人生には終わりが来る。自身の防壁を高くし他者への見下しや攻撃性で取り繕うとも、むき出しの自分が人生と向き合ったときに、すべてが虚しくなる。そこからまた新しい人生が始まるのだろう。他者の痛みを理解して。
若い頃は感情が落ち着かず、その戒めるべきは色事にある。君子が壮年になると感情が堅く強いので、その戒めるべきはいさかいにある。君子が老年になると、感情はすでに衰えているので、その戒めるべきは物欲にある。
映画の市民ケーンで絶大な権力を持ち人生を謳歌したケーンが今際の際に浮かんだのは子供の頃あそんだソリの思い出…みたいなのを思った。ケーンは死の直前まで幸せとは?気が付かなかったけどこの人は。
こういう文章で泣きそうになるくらいには俺も年老いた。
こんなに頭の良い方でも、老いて弱気になって今更感のある事を長々と述べるようになってしまう。逆説的に言えば、ある程度の幼稚さがないと社会的に強く振る舞う事は難しいのかもしれない。
衛星になるとこうなるんだな、苦労する人生というのもそれはそれで悪くないということか
いいな
やはり筋肉 筋肉は全てを解決する
幼年期の終わり
中年の危機の頃が、第二の思春期と呼ばれるわけだな
文章上手いね。身に覚えある人も少なくないお話
思春期が少年期の喪失感、中年の危機が充実期の喪失感か。そして以後喪失感が続く
ワイはもう老年期の入口やで…と思ったが清水先生の方が年上だった。つらい…
老化は人生の有限性を否応なしに意識させるけど、それを頭で納得するのは難しいと感じてる。これまで抱いていた欲という生の原動力が減衰するから?それを満たすために生きていたことを空虚に感じるから?
大学のとき老人ホームに慰問に行って最後に「ふるさと」を演奏したらたいした演奏でもないのにみな泣き出したの思い出した。
よくわかる
“食欲が落ちている私にとって、フレンチのフルコースは負担になるものでした。” くそわかりみしかない…
幼年期の終わりみたいなタイトルと思ったら内容も幼年期の終わりだった。
中年期について素直な心情を丁寧に表現して下さってありがたい / それはそれとして、中年期になっても日々の仕事とリタイア後の経済不安で押しつぶされそうな人間は、この境地に至れるものだろうか。
この手の話を見るたびに本田鹿の子の本棚45話「死にぎわ」を思い出す。みじめに死ぬのじゃ!みじめに死ぬのじゃ!
我執を手放して行って良いですね。
歳取ると 昔の事を 思い出す 遠くて近い 甘く苦い日々
考えてみると、若いうちに、尾瀬に行ったことがあるのは、いい経験だったな。富士山も、北アルプスも、南アルプスも行った。もちろん、年取ってからもいけるけど。
虚無はすぐそこにある
男性の生き辛さを感じる。自分の弱さを認め他者に共感できる事こそが人としての強さ。男性がマチズモから自由になって自己肯定感を持つのは難しそう。この方は社会的に成功したから、この境地に至れた気もする。
こういう文章を読むとみんなけっこう人生を駆け抜けてるんだなと思ってしまう。自分はただただ年をとっていくだけだし。
50代半ばで老いか…
これだけ社会的な成功を納めても、そう思うもんなんだな。いわんや庶民をや。50代半ばになっても晩餐会でフレンチのフルコースなんて食べたこともないよ。お腹がもたれるから嬉しくないとか言ってみたい。
この方の感覚は特に異論はないし、尊重したいと思う。ただ、ここまでの余裕がない人も多いだろうなとも思う。
若い頃に絶望しなかったのか? そんなに夢と希望に満ち溢れてたか? 記憶を書き換えてるんじゃない? 人生の有限性なんて子供の頃から突きつけられてたけど
『やがてすべてが失われることを知った私は、以前だったら気にもとめなかった日常の感じ方が変わりました。「この体験はもうできないかもしれない」という感覚』なんとなく分かる。だから老後を有意義にしたい。
腱鞘炎でゲームができないことはつらい
立派すぎて幼い頃のつらさの話も謙虚な物言いも逆に自慢にしか思えず、そんな受け取り方しかできない自分が残念だ。人懐っこい性質などもともとなく、強さの鎧のかけらもないまま老年期に入り、息を潜めて生きている
死ぬまで強くなり続ければ傲慢でいられる。世の中を面白くするのはリングで戦っている人だし、リングから降りた人はつまらない。
歴史に名を残すような天才でもない限り、これぐらい必死にならないとそれなりの成功でさえ収められないのも事実。幼稚だと見下すのは簡単だが、こういう人たちの努力の上に我々の快適な生活が成り立っているのよね
老い老い
心に染み入る文章だ
別に若かろうが老いようがどーゆー生き様だろうがミルトン・ナシメントは美しいぞ。時間を超えるものは確かに存在する。https://youtu.be/nCyZXue3-KI?si=xBzwdd5maBkFR5jT
ここまで感傷的でなくとも同じようなことは考える。「頑張る」という原動力は振り返ると「悔しい」や「認められたい」だったりして、達成して得られるものもあるけど、取り返したかった感情は失われたままなんだよね
「若いころは、強くなれば、いろんなものが手に入って、幸せになれる。そして、いずれ悩みのない自分になれるという幻想をもっていました」。憧れた強さという鎧を脱いで本当の自分に還るとき。
「若いころは、強くなれば、いろんなものが手に入って、幸せになれる。そして、いずれ悩みのない自分になれる」「やがてすべてが失われることを知った私は、以前だったら気にもとめなかった日常の感じ方が変わり」
自分も含め古参のはてなユーザーは中年や老年なんだろうな。なんか皆が愛しいよ。
「今更感のある事を長々と述べる」「ある程度の幼稚さ~」俺は断固として真逆の意見を持つ。自分の心の弱く脆い所を曝け出しても誰かの何かの参考になればいいという至上の優しさと強さ、成熟の最終段階である
幼少期の傷を見ないようにして頑張っても、強さが失われたときに結局は立ち現われてくるという話に思える。なら最初から幼少期の傷を認めてそれのケアをしたほうがよくない?とも…。その余裕が現代にはあるのでは…
なぜかアーサー・C・クラークを思い出す
幼少期の戻れない美しい思い出やもう会えない人たちを想い感傷的になるが、後年振り返るとそれは幼少期だけでなく、いつの昔も振り返れば「この体験はもうできない」過去になる。日常のかけがえなさを大切にしたい
ビッグサイト隣のがん研有明の。 最先端最高峰のガン研究といわれてる。 基本紹介状がいるので、重めな人がやってくると推察される……。その精神科… そりゃ鎧無しで向き合ったら自分が壊れると思う………
でも、手放した部分を善意(打算もあるか)で褒めてくれたり、そのために席を設けてくれる人が現れて鬱陶しいなと思いつつ、たまには役割だ、仕方ないと引き受けようという日々もあるんでしょう?とは思った。
どこかで気持ちや考え方が落ち着いてくる時期がやってくる。
全然本題と関係ないけど、『幼年期の終わり』でなく『幼年期の終り』なのよね。
上位ブコメの通りで、一度承認を得られたからこその話で、お金と一緒よね。ちなみに、結構承認されてたはずの人が、年老いてからもう一度承認欲求が爆発するパターンも見かけるので感情は本当に厄介だなと思う。
心の平穏を守るために、色んな物を投げ捨て、見て見ぬ振りをしてきたと思わされた。
どんな立派な人でも、イジメられた人間は皆んな、こういう「本当の自分」を取り戻す物語を背負ってしまうよな。大きく見せることから解放されて、ようやく本当の幸せが実感できるようになるんよね。
ブコメの通り様々な角度で読み取れる深い文章。寂寥感もあるが、これは成熟した人生の発露かもしれない。ちなみに50代ならギラギラの人も多いので男性更年期らしさも感じる。筋トレしたら考えが変わったりして。
自分は大学にはいってまもなく、60代後半の教授に「歳をとったらどうなるのですか」ときいた。「好奇心は枯れない。精神は、二十歳のころとなにもかわらない。大人になった自覚はない」といわれた。成長などない。
長年培ってきた専門性や論理的な強さ(思考基盤)はそのままに、そこに人間としての根源的な感受性や弱さを統合していくことで、独自の価値や深みを見出すお年頃。言い換えれば「大人の無いものねだり」。
おじさんの感覚だね。テストステロン。おばさんはまた違う動きになるかな
“これからは強さも弱さも含めて、自分を素直に認められるとよいでしょう。そして、日常のなかで、やさしさや、美しさへの感受性を大事に育てていく。そうすれば、この危機の出口に立てるのではないか? ”
泣きそうになってしまった。 もしも、がんになって心が弱ってしまったら、こういう先生に相談するのも良いかも。
どんだけ自責思考の人なんだと驚きながら読んでたら今は落ち着いてるようで良かったな…というか本の宣伝できるくらいなら万々歳じゃないかい
中年にも穴はあるんだよな
年とると実感として身に沁みてくるんだろうなあ
"診療の際に自分の力を証明しようとすることはもうありません。"もっと詳しく。どういうこと?お医者さんのメンタルが診察結果に影響するのかな?結果は変わらないけど伝え方が変わるのかな?
男の人ってこうなりがちだよね、女だとこの年代は逆に「もう旦那の世話面倒他人の目なんかきにしねえ気も使わねえ今から私が主人公だ、自分本位で生きるぞ」って熟年離婚に踏み切る感じ。
身体機能の衰えで心の在り方が変わることからも、心と体は影響し合っているのがよく分かる。体が動くうちは一人でも寂しくなかった人が、加齢や病気等で急に寂しさを感じるようになったり。
なんていい文章なんだ/『夏の思い出』で一瞬ケツメイシが鳴りかけてしまった不覚
作者さまとそのお父さまには申し訳ないが、本当につよい人は社会の役にたたず社会を好きなようにうばっていく。もちろんそんな有害なつよさは迷惑だから人よりちょっとつよく、社会に与える人もいるから救われるんだ
“そういう弱さをもつ自分が、ここまで必死に生きてきた道のりを愛しく感じます” / 振り返った自分を愛せる人は少ない。でも自分だけは自分にそうあるべきなんだよね。
“こどものころ、私はさみしがりやで、人懐っこかったと思います。以前はそういう自分が嫌いで、強さの鎧で覆い隠そうとしました""今は、そういう弱さをもつ自分が、ここまで必死に生きてきた道のりを愛しく感じます"
素直な気持ちが淡々とした文章で書かれていてとても良い読み物だった。しかし、それはそれとして、この人のような社会的地位も成功も得られず、過去に縛られてずっと燻り続ける人達のことも考えてしまう。
関係無いかもだけど、先日フジロックで初めて見た平沢進(72)の"我"や"己"のパワーに圧倒されて帰ってきました。彼自身の揺るぎない軸が本当にすごかったです。すごかったとしか言葉にできない凄みでした。
音楽に感動して涙を流すなんてのはAIにはできないことだろうな
リアル尾瀬って今やくまが居たと思う。行かなくて正解。私ゃ自分を諸行無常、有為転変の中で生じた使い捨てのいち現象に過ぎないと思ってるからひどい身体的苦痛等を実際に受けなければ強さも弱さもどうでもいいな
50代に入ると負の意味で「驚愕する」ことが増える。自分の心身に関して。
“今は、だれもがみな「生きる」という、厳しくもあり愛しくもある現実と、その人なりのやり方で一生懸命向き合っている、とこころから思えています。”
常に生死に向き合っていて尚到達した境地に思える。立派
良い文章だ。
最近増田でよく見かける「金はあるけど満たされない」をエモく書くとこんな感じになるのでは、としか読めない貧乏人ですはい僻みです。
ボクも鎧なんか脱ぎ捨てて、日向ぼっこしてお昼寝するのが一番だと思うにゃ。弱さを認めると、撫でてくれる人の温もりがもっと感じられるはずだにゃ。
古代インド四住期の第3ステージ「林住期」そのもの
私四十代だけどこういう観点ないんだよな。二十のころから人生の意義も自分のしたいこともわからずに二十年鬱屈してたから。今はそれなりにしたいことしてて、精神的に諦めもついたし安定もしたけど堕落もした。
強くなれてしまうとそんな感覚になるのかなって思う。私は弱いままこの年まで来たから、弱い自分にも周囲への敵愾心も早々に手放したしそうせざるを得なかった
がん研病院の医師がこういう境地に至ったのいいなぁ。むかし会った同病院の有名外科医は自尊心の塊で話しにくい人だった。音楽のちからって、いつになっても神秘を感じるな。
最後まで自分にしか目線がいってなくて、つまらない人間だなと思った。
タイトルが絶妙。映画さびしんぼうを見たくなった。
うーん、なんだろう。自著のステマかなと思う程度には私の心が汚れていることが分かりました。
役立ってる事に喜びを感じるのは利己主義とは言わないよね。シュバイツァーでもマザー・テレサでも変わらんやろ。それを表向きの理由に、或いは自分をも偽って権力欲とかでゴリ押ししてたのを懺悔してるんならまあ…
中学校の国語の教科書のようだ…と読み続けたら、最後に自著のPR
私は五十代に到達しましたが日々若い人の活躍を妬みいかにして足を引っ張り皆んな不幸になることを願うばかりです。
優しい詩のような文章だな。人はいくつになっても迷うし惑うし、でもそれでいいんだろうな。自分を許せるかどうか。
美しい文だ
ここまでやりきってるだけいいよな。普通の人は何にもない。
私もまさに今自分の人生の振り返りをせずにはいられない時期にいる。社会的に成功した方でも同じなんだなあ。やはり最終的には内面の豊かさに救われるのか。つくづく人生は思索の旅だなぁと思う。
医師に定年はなく金はあるし先生先生とわっしょいわっしょいしてもらえる。まずそんな立場の人間が人生をボヤくのが野暮で不愉快だ。また、まだ不満というのなら、それはもう病気なので、入院か出家をお勧めする。
気持ちとしてわからんでは無いが、天人の嘆きというか縦の旅行の足りない人の文章だなあとも思う。医者で功徳も積んだだろうが人のためというなら尾瀬より日本のスラムや限界集落を回って欲しい
小3の頭に引っ越し,転校したから,それ以前の記憶が何か別の人生であるかのように,特別の箱に入っている。先日,その町の取るに足らない景色を撮った写真を偶然に見て,古い記憶が溢れ出て困惑するほどだった。
ミドルエイジクライシスを超えた人ってこういう感覚なんだろうな。そこまで枯れたくはないと思うがどうやろなあ
「衣食住、金銭的に困らない、家族に問題がない」と分かっているからこそ、この境地になれるんだろう。(賃貸暮らしで老後資金が少ないので、遥かに低次元な物質的な悩みを持つに至っております)
なんか泣きそうになるくらいにはおっさんだが、まだまだ中年期の入口かなあ自分は。わかってたら対処できることもたくさんあるのでありがたい。
寓話性すら感じる人生のテキストのような話だなぁ……同年代の俺は何も手に入れてないし強くなったこともないが、なんとなくわかる気がする。
FIREして金あるけど人生虚しいって内容で増田ブクマカ釣ってる自称金持ち心貧増田に呼んでいただきたい
中年期の出口は、第2の人生の準備の始まりの時であり、これからの人生のほうが遥かに大変と心づもりされたほうがいいかもしれない。人間は諦める事を知らず死ぬまで成長を欲する生き物です。
感心しつつもどこか別世界の物語を読んでいるような感じだ。一貫したストーリーに生きている人とそうでない人とで見ている世界が違うんだろう。わしは後者の人間だ。
音楽ってすごいよな。なんであんなに突然に心を揺さぶってくるのか
変化を楽しめれば、それは危機ではない
名曲だよねえ。夢見て咲いているって歌詞が好き。
何者かに成れた人間が贅沢言うな
45だけどまだこんな感覚はないなぁ
子どものころ夢中になった遊びをやってみると自分の再発見があるよ。人と比べてどうこうでなく、単にこれが自分なんだなあという感覚になる
自分は40代なのだけど「50半ばでこれかよ」って思っちゃった。その頃になるとまた色々感じるのかねぇ。得るも失うも全て一切苦であって、それを自覚しながらも何かを慈しみながら生きるのが程々でいいんじゃないかね
過去から現在、未来を物語にするナラティブアイデンティティで、過去の人生に意味づけをし、今後の人生を組み立てる力にする実践。セルフナラティブセラピーはアイデンティティの揺らぎに有効だし公開にも意味はある
いい文章だけど半分くらいネガコメもあるだろうなと思ったらやっぱりだった 何が人を分けるんだろう 自分なりに何かを成し遂げた実感の有無なのかな?
今65歳だけど、50代のときに考えたこと、悩んでいたことはすっかり忘れました。
“
Memento mori.
おぅ、ゴリゴリ削られる
続編が出たのかと
こういう全て悟り切ったと感じてる社会的地位の高い男性が、ひょんなことから、小悪魔的な魅力のある親子ほども歳の離れた女性に心を奪われて全てを失う様を見てみたい。
有明病院の「がん専門精神科医」ってことは数多くの人を看取ってきたはずだが、それでも還暦近くになるまでこういうことに気づかないのか、という。幾多のがん患者を他人事だと思ってないとできない仕事なんだろうな
いつか思い出したとき心の支えになり自己を肯定できるよう、子どもの思い出の記憶を積み上げるために頑張ってる。今時期は両実家の往復とか、炎天下の公園とか、ほんとしんどいけど..
ヘミングウェイが重なりそうで重ならなくて。でも重ねてイメージしてしまう感じ。40代の最大値と50代の最小値の開きって大きいよね。
更年期ではないのかな
十分じゃないですか・・・
老年期の入口だね。
この方に子どもはいるのだろうか?俺は子育てを通して似たようなことを考えるようになった
“強くなろう、認められよう。” それが達成させることのなくここまで来てしまった。これから何か別の答えを私も見つけられるだろうか。
筆者のように競争をやり切った人が「強さ」を手放すのは成熟である一方、まだ何も成し遂げていない人が競争から降りる正当化に使えば、成長を止める。その非対称性をわかっていながら免罪符にすることこそ「弱さ」
こういう人もいれば、トランプみたいな人もいるし、いろいろですね。
50代半ばでそんなこと言わないでよ。しかも頭の良い50代半ばよね。自分は老年期の入り口かしらね。しかも頭の悪い。ギョッとするわ。自分はまだまだ若いと嘘を信じ込ませて日々生きているのに。
「この体験はもうできないかもしれない」という感覚は、何気ないことに、愛しさを感じる才能を生みました。
強者となれた人のみがたどり着ける境地
"こころの傷を覆っていた強さがだんだんはがれていくと、再びその傷がむき出しになってきました。そして、こどもの頃のさみしさや虚しさをかかえた私、心細かった自分が、ふたたび姿を現しました。" わかりすぎる
“だれもがみな「生きる」という、厳しくもあり愛しくもある現実と、その人なりのやり方で一生懸命向き合っている”
もうキャリアをあがってもいいレベルの人はいいよなあ。消化に悪い重たい食べ物がしんどくなると老いを感じるのわかる。
人生走りきった後の一息で、こんな感想が出てくるようになりたいもんだね
老い
この結論、到達点を見るに如何に恵まれた人生だったか、と思わずにはいられない。