良い文章だ "当の本人にはひけらかしている自覚すらないので、私のこういう悪口に対しては一貫して被害者ぶるだろうし、しかも苛立たしいことに被害者であるのは事実だ。かれらは何も悪いことをしていないのである。"
そういえばエモいが何なのかよくわかっていない...。ていうか解像度が低い用語だと思って勝手に見下している。
「私が苛つくのは、感性さんが自らの感性を誇りにおもっていることによって、私が馬鹿にされている気分になるからだと思う」それも感性だと思うけど。
うちの旦那は感性が枯れている。何を呼びかけても響かず憶えていない。別人か?記憶喪失か?と不安になるほど忘れている。驚くほど心が動かない。「花が綺麗」「そうなんだ?」。この文章の人はまだまだ甘い
この人は「感性さん」を冷笑していることにプライドを持つ、言語化したがるタイプの「感性さん」になっていると思うのだがそれはいいんだろうか?別によくないか?どうでも…/感性と技術は共存するというのは同意
ひけらかしていると言うよりは酩酊してる感ありますね/「陶酔」を知った上で「酩酊」って表現してんだよ言葉覚えたての中学生か
言いたいことは分かるけど分析美学を盾にした長文の早口感がすごい
これはよく分かるわ。俺が日本純文学が嫌いな理由が詰まってる。海外文学だとなぜかこういう感性あんま出てこない。
エモくて熱のある良い文章であった。
最近知った全アという概念(?)の読書版みたいな感じがある
そもそも「感性」とかいうフワフワ言葉を使うことに負け感ある。物事をより単純でつまらない文字列に分解できてこそ理解だと思ってるので
クドクドと長い。もっと端的に言いなさい。中身のない話をいつまでもグジグジと繰り返していてイライラする
W
エモってもはやUSエモしかわからない
ポジティブな感性さんを憎むネガティブな感性さんという構造にしかなっていないのだが。そりゃ全然関係ない言及もしてない人間に文句言われたら言われた方からしたら完全に被害者だろう。
こういう生々しくて自覚的な冷笑は個人的に好き
例に挙げてある「感性さん」は表現力が陳腐でどこかで聞いたようなものを組み合わせただけ。多分、感受性の強さと、非凡な言語化が合わさるとキラーフレーズや名作と呼ばれるものが生まれるんだと思う。
“ツイッターで感性をされているのをみるとイライラする。たぶん、noteの方がひけらかし感がないというのが大きいのだろう。ツイッターのほうがパフォーマンス感が強い。” カルシウムが足りてない可能性ある。
ミイラ取りの苛つきだから冷笑ではなく「冷笑ポーズで精神的勝利」だろう
すっかり夏になってしまった。で始まるブログで何を言ってるんだ
ウユニ塩湖かインドで人生を変えてこう。
的確な※欄「このような書き手は「別に冷笑です」「自分がやっていることはゴミだと理解しています」といった予防線を張り巡らせ、正当化に終始している。結果として、文章全体が自己弁護の応急処置に(略)」
自己陶酔的で、詩的な比喩表現を使っていることへの嫌悪感?
自身の加害性や独善性に言及しながらも、人の感じ方や表し方にマウント取ったままなことに変わりないのね。「いや救わなくていい」って言葉からも、根は深いのが伺える。この人の魂はずいぶんと強いらしい。
“「命を刈られた」” 他はなんとなく見たことある表現だったけどこれだけ初めて見た気がする。Twitter検索しても感性の文脈で使ってる人ほとんど居なかったな。生死の危機の意味が多かった。
冷笑という態度ではなく、熱を持って嫉妬しているな。夏っぽい、面白い文章
この人とは旨い酒が飲めそうだと思った。/このレベルの人が書いてるんだから、これは自分も同族であることは理解した上での諧謔だよ
なんか美人が言う「ほら、私ってブスだから」みたいな文章。
“感性ぶってるくせに、実のところ技術と発想力とトライアンドエラーでゴリ押している*2” ”*2:漱石や山田尚子もこれだ。愛している。“ いやな文章だなーと思って読んでたけどこの一節で好感度が上がった
感性の言語化は人類の歴史の中でやり尽くされているので、文学やら詩やらある程度網羅してきた人にとってはまたかよという感覚が生まれるのはわかる。
“私の文化的生活のほとんどは、訳の分からない古典を読んでつまんねーと思いながら教養ポイントをゲットして教養レベルをアップさせることにある”これはめちゃ好ましいな
感性さんに苛立つと言う感性をお持ちの方。
この文脈の「感性」って多様な事象を指しており確かに苛つくな、と思う部分とそれはいいんじゃないか?と思う部分がある
あー、高市総理も「感性さん」っぽいよね。感性さんが苦手な人は多分、ゲージュツ方面にコンプレックスがあって、そこを上手くくすぐられると簡単にエウリアンに絵を買わされるから気を付けてください(隙自語)
感と性を入れ替えて読んでみてください。大変な事になりますよ
私も大袈裟な表現はあまり好きではないけど、ABテストするとエモい方が圧倒的に成績がいい。ビジネスマンするならこの人が一皮剥けないといけないと思う。精神的勝利したいだけなら今のままでもOK。
これを書かせるのは感性ではないの?何が違うの?
近親憎悪っぽい。似た者同士だし仲良くなれるといいね。/ ......とか書いたけどブコメに似たような冷笑返しが並んでてゾッとする!!! 良くない!!!!! これは罠だ!!!!!!!!!!
自分は自分の感性の豊かさにプライドを感じている人間だが、この名文を読んで魂が震えて、命が刈られるようなぞっとする思いをした
記事でも言ってる通り「感性さん」に対する冷笑は加害行為であり不当なんだがこの文章自体はとても良かった。でもこれがバズると感性さんという蔑称が産まれるんやろなあ
「一貫して被害者ぶるだろうし、しかも苛立たしいことに被害者であるのは事実だ。」ふふ、ところどころ面白い。もう少し短く纏めたら人気でそう
応援してたアイドルが雲の写真をブログに載せだした時の残念な気持ちを思い出す
"ヨルシカも感性さんだったが、『二人称』がよかったので排除した"なんとなく言いたいことがわかってしまうので笑った
自己批判かな。そんなに卑下しなくてもいいんだよ。
冷笑はネトウヨの始まり。気をつけなさい
大げさな割にずれている感じがイラつくというなら少しだけわかる。「雨上がりに濡れたアスファルトに映る滲んだ影ってじんわり温かい気がする」も、季節によるだろとしか思えなかった。
ひとつめの例は見覚えある
クラシックな趣味批判?金持ちからだけ巻き上げていた構造を、一般化して推し文化等にも普及したというか。金が余って暇な人が増えた、という点はいいことかもしれない。
「感性」の一言でこれだけ書けるんだから、あんたも大そうな感性持ってるよ(コンプレックスまでは読んだ)
途中までしか読んでないけど、それ「鼻につく」って言葉で昔から言われてるやつでは。
なんとなく共感はする。最近の人類は naive がネガティブな評価であることを忘れすぎ
冷笑に感じなかったな。この人は言語化能力が高い感性さんだな、とは思った
近親憎悪なんだろうなぁ。大袈裟な表現は見かけるとウザったいとは思うけど、こんなに長々と呪怨を書くほど熱量抱かないよ。
冷笑さん/気持ちはわかる、オレも似たようなところがある。ただし正当化する気は全くない。
こういう文章も冷笑されてるかもしれないから、お互い様でいいんじゃないかな。
同族嫌悪でしょうな
理系が文系を蔑視するようなやつか
あいつ百歩も逃げてやんのダセー!!
京都人のフルパワーいやみだ(川床を夏の風物詩として扱うのは京都人くらいなものだろうという板東蛮族の偏見)
「私は自分の感性にコンプレックスがある」「冷笑してごめんねという申し訳なさが大きいが、あらゆる冷笑はこれを無視することに始まるのであり、止める気もさらさらない」大変だね
自分はこの著者の感覚に近い。ロジックや文脈を差し置いて、全てを「感性」的なものでしか説明しないのが、反知性的主義に通じるように感じるから。
大抵の言語化が下手な人は、自分の代わりに何かを言語化してくれる人をありがたがるものなのだが、それがあてつけに感じるようなタイプもいるってことか。
どわーw「冷笑からは一歩距離を置くわたし」かっこよwww 臆病な自尊心と尊大な羞恥心きちーw
なぜ価値観はひとそれぞれなのに価値に客観性があるといえるのか。
感性さんとやらがどうこうというより、好きな感性と嫌いな感性があるというごくごく普通の話に見える
造語には寛容でありたいけど名付けやレッテル貼りの暴力性に無自覚な人が多くて取り扱い注意だと思う
楽しんで読めた。ただ完成さんがアンチ言語化という部分があまりピンとこなかった。表現することは、言語化ではないのだろうか。言語表現の重点が観察の正確な描写ではなく、自分の感性の描写寄りってことなのかな。
AI驚き屋と何が違うんですか!
小説等はしらんけどツイッターでは表現の過剰さを競争している感じがするから嫌なんだよね 適切な大きさの表現があると思う 一生のお願いを何回もする人を見ている感覚に近い この嘘つきめという冷めた視線になる
感性というより情緒に近い気がする。
好きな事感じた事を自由に書いていいのがSNSというものじゃないんだろうか。自分を押し殺して冷笑する文化は一時的に気持ちよくして自分を救うどころかさらに自分の内側に篭ってしまうことだと思う。マチズモの悪影響
これが「感性さん:ver冷笑」ね
むつかしいな。わからん。
集団的冷笑すんなお前ら
言語化を軽視するのはほんとによくないな。言語化する技術を学ぶコストと言語として絞り出すコストの両方を費やさずに済む一方で、正に言語化しないことそのものによって自分を高みに置いた気になる。割と悪質。
大仰に感性をひけらかすのも、それに対して冷笑するのも、結局マウントの取り合いで辟易とする
「感性さん」は「感性さん」を冷笑している。
いつか他人を気にせず生きられるようになれるといいですね
ノリが合わないだけ
感性さんを冷笑しているとき、それもまた冷笑されているのだ
誰かを冷笑したい気持ちも感性にふくまれているのではないか?
こういうクソな記事がクソなまま放り出されるのがはてなブログの夏っぽいな
まあそういうタイプが洒落臭いとか鼻につく、という感覚はある。
例示されているようなポスト群を見て、全米が泣いた!と連呼されているような白々しさを感じることは確かにある。
ちょっとわかるかも〜と思いながら読んでたけど、流石に藤本タツキを冷笑する度胸は俺にはない
この人は言語化を単なる出力と決めつけて、出力と同時に入力であることを無視している。原理的に避けるのが難しいことまで「単に技術が足りない」「単に魂が弱い」と強引に言い切る態度に筆者の妄執を感じる。
内容はよく分からんが素人が書いたショートショートくらいの分量の文章でここまで愉快軽快に読めたことはそうないので非常に良かった。
面白かった。折に触れて読み返したい / 「水中では懺悔も口笛もあぶく やまめのようにきみはふりむく」めちゃくちゃいい
面白かった。煌めく氷の心から反射した光が収斂して炎として顕現したような気持ちになった
『素晴らしい情景など大量の映像情報を見たとき』に、現状では言語という記号に落とし込んで情報整理しておかないとその時の情報や感情が全て抜け落ちてしまう感じがする。感情を言語以外の情報で残せればいいのにね
外から力が働かなければ、ずっと同じ運動を続ける。それは慣性。民営化する前の郵政省。それは官製。
長い、メンヘラの四文字で終わるだろこんなの
『感性さんは、自らの感性を明示的に誇示したりはしないんだが、実のところ感性が豊かであることそれじたいにプライドをもっていて、それをツイッターやらなんやらでひけらかしている』
感性に優劣なんてないと思ってるけどな。高級レストランの料理を美味いと思うのと、なか卯の親子丼がうまいと思うの、どっちが価値があるとかないよ。
気取ってんじゃねーよと、インターネットで取り繕われているおしゃれに辟易してるのはあるかも。と思いました。
感性さんを排除し続けたおかげで、俺のツイッターにはごく短文コメントの猫の金玉とラーメンの写真しか上がってこなくなった。そもそも、SNSなんてこんな程度でいいでしょ。
これはこれでおれって知的アピール(ドヤ顔)過ぎて感動で震える。
これを否定的に読むのも分かるけけど、言ってるのも分かる。丁寧に綴られた、自分には人として大切な感性があると言いたいだけの文章特有の空虚さがある。
というか誰でも自分が思うところの「感性さん」的文章を冷笑しているんじゃないのかな。いっぽうで自分でも別な種類の「感性さん」な文章を書いてしまいがちで。自分も含めてなわけだが。
いや、あなたの感覚は合ってる。感性さんは普通に文章を書かず感性ぶるから、プライドはあるよ。ただ僕は、感性ぶった文章を読んだ時は、上手く書いたなとは思うけど、冷笑までは行かない。
聞いたことない言葉だった。みんなそれぞれ別の場所で生きてるんだなあ
同じことが「知性」にも言えて、知的であろうと努力してる人がいると、「あいつは自分が賢いと思ってる/俺を見下している」と解釈して反知性主義へ走る人が出てくる。トランプ支持者とか反リベラルはそういうタイプ
感性というより癇癪の類なので、「屁理屈だろ」と読んでてめちゃくちゃ腹が立ち、怒りで破いた本ある。中島義道さんだったと思う。あとにも先にもそれ一冊だけだけど/ブコメのエモいほうが成績良いって話が面白い
数年前、夏真っ盛りにエアコンが壊れたときいろんな涼の取りかたを試したが、いちばん効果があったのが「陰毛を剃る」でした。それ以来夏は全剃り。今年の夏もパイパンです
「酩酊」でなく「陶酔」では。
自慰行為なんて本人がいくら気持ちよかろうともはたから見れば不気味なだけで、扉開けて自慰行為しているのも良くないけどわざわざ晒して冷笑するのもどうかなというお気持ちです。
冷笑がそもそも感性的振る舞いである
私は馬鹿にされてるとは感じないけど、心を動かされたときに「感動した」って言葉を使う人と、むやみに表現をインフレさせる人とは、感性が違うなあって距離を置くかな。
5ちゃんの冷笑精神を五千字くらいかけて自己分析した文章
冷笑コンプレックスさんじゃん。
『本人が否定しようがしまいが、これは私の確たる観察結果であり妥当な想像だ。』無敵すぎるてw//俺が考察界隈を冷笑してるのと同じような話だな〜と思って読んだ
感性に対する評価軸が欠落しているように感じる
みんなよくこんなつまらん文章読むなぁ。/人気記事に上がってくるのも意味不明。
まあ分かる
私の乏しい人生経験から学んだ事は、冷笑は人生のQOLを著しく低下させるのでやめたほうがいいということだな
「はてなの茶碗」のまくらを論理化したらこんなに長くなるんだ。
自分に酔っている人間に対して「わかる」「それな」などとただ反射するような、まるで洗練させる気のない感性さんはどちらも冷笑対象ではあるが、これが社会に歓迎される飲みニケーションなのでしょうか?
あいつらは感情的な感覚過敏、つまり単に精神的不安定を患ってるだけなので、生温かく見守っておけば良いよ
知性でも感性でも、どちらか片方でいいから身につけてくれ。どちらもあまりに足りない文章、半分でギブアップした。
今って感性さん風なのが一つのブームだと思う。本とコーヒーとレコードと古着が好きなやつ。この人種をなんて呼べばいいか分からなかったから嬉しい。「感性さん」を積極的に使ってこの夏を涼しく過ごしたいと思った
感性とか知性と言語化能力は分けた方が良い、外国に行くと感性知性が衰えたわけではないのに表現できないからアホに見られる現象がある
きも
慣性さんを冷笑していると電車で大変なことになる
いいとか悪いとかはもう一旦置いといてさ、「すっっげぇウゼぇ」というのはすごいわかる。世の中こんなにみんな違ってみんないいなら、誹りは受けるからこの気持ちも堂々と言わせてほしいというならすごいわかる。
冷笑自体がもうダッセェのでそれを堂々と言っちゃうその感性が…
誰かが感性が豊かであることにプライドをもっているとか、それをひけらかしているとか、言ってることが意味不明なのでなんかすごい。被害妄想でおかしくなってるのでは?
清少納言(春はあけぼの)が嫌いな紫式部の可能性/「表現することの恥ずかしさ」というものがコンプなんだろ。恥ずかしさを捨てて「オシャレサブカル表現者」になりきる。演者になりきらないと。
他人にケチつけるのが大好きな感性が一番しょうもないのだけど、小人には小人の自由というのがあるのだろうし関わることもなさそう
何かを繊細に感じる心とそれを表現する時につい出てしまう「地獄のミサワ」的な言葉の問題は分けて考えたい。表現の仕方にこそ「感性」が問われると考えるべき。
“当の本人にはひけらかしている自覚すらない”なるほど確かに自覚は無いようだ
草
わろた。けど文学だなとも思う。
まあ自分に酔っ払ってる文章にはむず痒さがあるわな
冷笑という行為にはそれ自体他者からの冷笑を免れない側面はあると思う。それを認識した上で踏みとどまったり、他者を認めることをしない限り、その袋小路をぐるぐる回るだけだと思う。
俺なんかに感性があるかはわからんが、どうしようもないくらい泣けて仕方ねえ音楽とかに出会うと語彙とかなくなるんだよな。まあそういう時はSNSとかにかけるような状態じゃないわけだが。
まぁでもXにpostするってことはひけらかしたい気持ちが少なからずあるってことよね、noteのほうがまだマシってのはわかる
ボコボコで可哀想だけど、指向性が外を向いてるSNSの、反射神経で生きてる感性さんと、内を向いてる作家の感性さんを同じ概念にしているのが、まだまだ雑すぎたのでは…。見た目上でも出力の質が全然違うし。
こういう小っ恥ずかしい自分の内面を臆面もなく文章化してさらけ出せるのもまた感性。同族嫌悪か、自分とは違う種類の感性を持つ相手が羨ましいのか。
感性だらけの文、すごいな。「自分の方が感性すごいぞ」って理解であってる?
君たちまとめて拗らせくんだね
冷笑って言葉 なんかよく使われるようになりましたよね( ͡° ͜ʖ ͡°)
『感性さんと冷笑さん』て絵本を描こう。
冷笑してないじゃんw 冷笑ってのはこういうこと
他人を冷笑するなんて恥ずかしいことだと思っていたのだけど。
集めたことなかったな。スルーしてた。
いい感性しとると思うで
うんうん、それもまた感性だね!
感性さんとかいう薄ら寒いレッテル言葉を思いついて、あわよくば流行って欲しいというエゴが見え見え。分断煽り+承認欲求モンスターに他人の感性を冷笑する資格はない。
「「感性さん」を冷笑している」を冷笑している
若い頃は感性が豊かだと言うがそれは経験のなさの裏返しな気もするのだけど。感性高いの究極系ってただのメンヘラだぞ
温帯だった頃に有効な習慣だった打ち水を、亜熱帯化したと分かってるのに未だ効果的であると誇るその感性もまた冷笑できる素材になってるような。暑すぎると意味ないんだよな、逆に湿度が上がって不快になる。
https://x.com/i/user/1717487580005142528 https://researchmap.jp/oishishun
1%の「わかる」と99%の「でもこいつ嫌い」
冷笑系♪冷笑系♪
感性さんを笑う時、他人から感性さんだと笑われるのだ
まあねえ。普遍的価値観と言語化の中で価値を示すことを拒絶して、お前個人の感性をあまりにも素朴に提示することに価値があると勘違いするな、って自分も割と思っちゃうし擁護する風潮に微妙な不快感はある。
犬のかがやきはどう思う? おれは好き
それが虚偽広告等の「無価値(悪)」で無い限りは放置するほうが正しい。感性豊かな*実存そのもの*を否定するのであれば、そのほうが悪なので原則としては増田のほうが消え去るべき。
何を冷笑するか決めるのが感性だろ?
これ自体がもう、他人に対しても自分に対しても感性さんではない?言語化して他人に示そうとした時点で誰でも感性さんになる。大仰な表現を恥ずかしげもなくやる勇気に対する嫉妬。
「感性さん」を冷笑している - netenete.
良い文章だ "当の本人にはひけらかしている自覚すらないので、私のこういう悪口に対しては一貫して被害者ぶるだろうし、しかも苛立たしいことに被害者であるのは事実だ。かれらは何も悪いことをしていないのである。"
そういえばエモいが何なのかよくわかっていない...。ていうか解像度が低い用語だと思って勝手に見下している。
「私が苛つくのは、感性さんが自らの感性を誇りにおもっていることによって、私が馬鹿にされている気分になるからだと思う」それも感性だと思うけど。
うちの旦那は感性が枯れている。何を呼びかけても響かず憶えていない。別人か?記憶喪失か?と不安になるほど忘れている。驚くほど心が動かない。「花が綺麗」「そうなんだ?」。この文章の人はまだまだ甘い
この人は「感性さん」を冷笑していることにプライドを持つ、言語化したがるタイプの「感性さん」になっていると思うのだがそれはいいんだろうか?別によくないか?どうでも…/感性と技術は共存するというのは同意
ひけらかしていると言うよりは酩酊してる感ありますね/「陶酔」を知った上で「酩酊」って表現してんだよ言葉覚えたての中学生か
言いたいことは分かるけど分析美学を盾にした長文の早口感がすごい
これはよく分かるわ。俺が日本純文学が嫌いな理由が詰まってる。海外文学だとなぜかこういう感性あんま出てこない。
エモくて熱のある良い文章であった。
最近知った全アという概念(?)の読書版みたいな感じがある
そもそも「感性」とかいうフワフワ言葉を使うことに負け感ある。物事をより単純でつまらない文字列に分解できてこそ理解だと思ってるので
クドクドと長い。もっと端的に言いなさい。中身のない話をいつまでもグジグジと繰り返していてイライラする
W
エモってもはやUSエモしかわからない
ポジティブな感性さんを憎むネガティブな感性さんという構造にしかなっていないのだが。そりゃ全然関係ない言及もしてない人間に文句言われたら言われた方からしたら完全に被害者だろう。
こういう生々しくて自覚的な冷笑は個人的に好き
例に挙げてある「感性さん」は表現力が陳腐でどこかで聞いたようなものを組み合わせただけ。多分、感受性の強さと、非凡な言語化が合わさるとキラーフレーズや名作と呼ばれるものが生まれるんだと思う。
“ツイッターで感性をされているのをみるとイライラする。たぶん、noteの方がひけらかし感がないというのが大きいのだろう。ツイッターのほうがパフォーマンス感が強い。” カルシウムが足りてない可能性ある。
ミイラ取りの苛つきだから冷笑ではなく「冷笑ポーズで精神的勝利」だろう
すっかり夏になってしまった。で始まるブログで何を言ってるんだ
ウユニ塩湖かインドで人生を変えてこう。
的確な※欄「このような書き手は「別に冷笑です」「自分がやっていることはゴミだと理解しています」といった予防線を張り巡らせ、正当化に終始している。結果として、文章全体が自己弁護の応急処置に(略)」
自己陶酔的で、詩的な比喩表現を使っていることへの嫌悪感?
自身の加害性や独善性に言及しながらも、人の感じ方や表し方にマウント取ったままなことに変わりないのね。「いや救わなくていい」って言葉からも、根は深いのが伺える。この人の魂はずいぶんと強いらしい。
“「命を刈られた」” 他はなんとなく見たことある表現だったけどこれだけ初めて見た気がする。Twitter検索しても感性の文脈で使ってる人ほとんど居なかったな。生死の危機の意味が多かった。
冷笑という態度ではなく、熱を持って嫉妬しているな。夏っぽい、面白い文章
この人とは旨い酒が飲めそうだと思った。/このレベルの人が書いてるんだから、これは自分も同族であることは理解した上での諧謔だよ
なんか美人が言う「ほら、私ってブスだから」みたいな文章。
“感性ぶってるくせに、実のところ技術と発想力とトライアンドエラーでゴリ押している*2” ”*2:漱石や山田尚子もこれだ。愛している。“ いやな文章だなーと思って読んでたけどこの一節で好感度が上がった
感性の言語化は人類の歴史の中でやり尽くされているので、文学やら詩やらある程度網羅してきた人にとってはまたかよという感覚が生まれるのはわかる。
“私の文化的生活のほとんどは、訳の分からない古典を読んでつまんねーと思いながら教養ポイントをゲットして教養レベルをアップさせることにある”これはめちゃ好ましいな
感性さんに苛立つと言う感性をお持ちの方。
この文脈の「感性」って多様な事象を指しており確かに苛つくな、と思う部分とそれはいいんじゃないか?と思う部分がある
あー、高市総理も「感性さん」っぽいよね。感性さんが苦手な人は多分、ゲージュツ方面にコンプレックスがあって、そこを上手くくすぐられると簡単にエウリアンに絵を買わされるから気を付けてください(隙自語)
感と性を入れ替えて読んでみてください。大変な事になりますよ
私も大袈裟な表現はあまり好きではないけど、ABテストするとエモい方が圧倒的に成績がいい。ビジネスマンするならこの人が一皮剥けないといけないと思う。精神的勝利したいだけなら今のままでもOK。
これを書かせるのは感性ではないの?何が違うの?
近親憎悪っぽい。似た者同士だし仲良くなれるといいね。/ ......とか書いたけどブコメに似たような冷笑返しが並んでてゾッとする!!! 良くない!!!!! これは罠だ!!!!!!!!!!
自分は自分の感性の豊かさにプライドを感じている人間だが、この名文を読んで魂が震えて、命が刈られるようなぞっとする思いをした
記事でも言ってる通り「感性さん」に対する冷笑は加害行為であり不当なんだがこの文章自体はとても良かった。でもこれがバズると感性さんという蔑称が産まれるんやろなあ
「一貫して被害者ぶるだろうし、しかも苛立たしいことに被害者であるのは事実だ。」ふふ、ところどころ面白い。もう少し短く纏めたら人気でそう
応援してたアイドルが雲の写真をブログに載せだした時の残念な気持ちを思い出す
"ヨルシカも感性さんだったが、『二人称』がよかったので排除した"なんとなく言いたいことがわかってしまうので笑った
自己批判かな。そんなに卑下しなくてもいいんだよ。
冷笑はネトウヨの始まり。気をつけなさい
大げさな割にずれている感じがイラつくというなら少しだけわかる。「雨上がりに濡れたアスファルトに映る滲んだ影ってじんわり温かい気がする」も、季節によるだろとしか思えなかった。
ひとつめの例は見覚えある
クラシックな趣味批判?金持ちからだけ巻き上げていた構造を、一般化して推し文化等にも普及したというか。金が余って暇な人が増えた、という点はいいことかもしれない。
「感性」の一言でこれだけ書けるんだから、あんたも大そうな感性持ってるよ(コンプレックスまでは読んだ)
途中までしか読んでないけど、それ「鼻につく」って言葉で昔から言われてるやつでは。
なんとなく共感はする。最近の人類は naive がネガティブな評価であることを忘れすぎ
冷笑に感じなかったな。この人は言語化能力が高い感性さんだな、とは思った
近親憎悪なんだろうなぁ。大袈裟な表現は見かけるとウザったいとは思うけど、こんなに長々と呪怨を書くほど熱量抱かないよ。
冷笑さん/気持ちはわかる、オレも似たようなところがある。ただし正当化する気は全くない。
こういう文章も冷笑されてるかもしれないから、お互い様でいいんじゃないかな。
同族嫌悪でしょうな
理系が文系を蔑視するようなやつか
あいつ百歩も逃げてやんのダセー!!
京都人のフルパワーいやみだ(川床を夏の風物詩として扱うのは京都人くらいなものだろうという板東蛮族の偏見)
「私は自分の感性にコンプレックスがある」「冷笑してごめんねという申し訳なさが大きいが、あらゆる冷笑はこれを無視することに始まるのであり、止める気もさらさらない」大変だね
自分はこの著者の感覚に近い。ロジックや文脈を差し置いて、全てを「感性」的なものでしか説明しないのが、反知性的主義に通じるように感じるから。
大抵の言語化が下手な人は、自分の代わりに何かを言語化してくれる人をありがたがるものなのだが、それがあてつけに感じるようなタイプもいるってことか。
どわーw「冷笑からは一歩距離を置くわたし」かっこよwww 臆病な自尊心と尊大な羞恥心きちーw
なぜ価値観はひとそれぞれなのに価値に客観性があるといえるのか。
感性さんとやらがどうこうというより、好きな感性と嫌いな感性があるというごくごく普通の話に見える
造語には寛容でありたいけど名付けやレッテル貼りの暴力性に無自覚な人が多くて取り扱い注意だと思う
楽しんで読めた。ただ完成さんがアンチ言語化という部分があまりピンとこなかった。表現することは、言語化ではないのだろうか。言語表現の重点が観察の正確な描写ではなく、自分の感性の描写寄りってことなのかな。
AI驚き屋と何が違うんですか!
小説等はしらんけどツイッターでは表現の過剰さを競争している感じがするから嫌なんだよね 適切な大きさの表現があると思う 一生のお願いを何回もする人を見ている感覚に近い この嘘つきめという冷めた視線になる
感性というより情緒に近い気がする。
好きな事感じた事を自由に書いていいのがSNSというものじゃないんだろうか。自分を押し殺して冷笑する文化は一時的に気持ちよくして自分を救うどころかさらに自分の内側に篭ってしまうことだと思う。マチズモの悪影響
これが「感性さん:ver冷笑」ね
むつかしいな。わからん。
集団的冷笑すんなお前ら
言語化を軽視するのはほんとによくないな。言語化する技術を学ぶコストと言語として絞り出すコストの両方を費やさずに済む一方で、正に言語化しないことそのものによって自分を高みに置いた気になる。割と悪質。
大仰に感性をひけらかすのも、それに対して冷笑するのも、結局マウントの取り合いで辟易とする
「感性さん」は「感性さん」を冷笑している。
いつか他人を気にせず生きられるようになれるといいですね
ノリが合わないだけ
感性さんを冷笑しているとき、それもまた冷笑されているのだ
誰かを冷笑したい気持ちも感性にふくまれているのではないか?
こういうクソな記事がクソなまま放り出されるのがはてなブログの夏っぽいな
まあそういうタイプが洒落臭いとか鼻につく、という感覚はある。
例示されているようなポスト群を見て、全米が泣いた!と連呼されているような白々しさを感じることは確かにある。
ちょっとわかるかも〜と思いながら読んでたけど、流石に藤本タツキを冷笑する度胸は俺にはない
この人は言語化を単なる出力と決めつけて、出力と同時に入力であることを無視している。原理的に避けるのが難しいことまで「単に技術が足りない」「単に魂が弱い」と強引に言い切る態度に筆者の妄執を感じる。
内容はよく分からんが素人が書いたショートショートくらいの分量の文章でここまで愉快軽快に読めたことはそうないので非常に良かった。
面白かった。折に触れて読み返したい / 「水中では懺悔も口笛もあぶく やまめのようにきみはふりむく」めちゃくちゃいい
面白かった。煌めく氷の心から反射した光が収斂して炎として顕現したような気持ちになった
『素晴らしい情景など大量の映像情報を見たとき』に、現状では言語という記号に落とし込んで情報整理しておかないとその時の情報や感情が全て抜け落ちてしまう感じがする。感情を言語以外の情報で残せればいいのにね
外から力が働かなければ、ずっと同じ運動を続ける。それは慣性。民営化する前の郵政省。それは官製。
長い、メンヘラの四文字で終わるだろこんなの
『感性さんは、自らの感性を明示的に誇示したりはしないんだが、実のところ感性が豊かであることそれじたいにプライドをもっていて、それをツイッターやらなんやらでひけらかしている』
感性に優劣なんてないと思ってるけどな。高級レストランの料理を美味いと思うのと、なか卯の親子丼がうまいと思うの、どっちが価値があるとかないよ。
気取ってんじゃねーよと、インターネットで取り繕われているおしゃれに辟易してるのはあるかも。と思いました。
感性さんを排除し続けたおかげで、俺のツイッターにはごく短文コメントの猫の金玉とラーメンの写真しか上がってこなくなった。そもそも、SNSなんてこんな程度でいいでしょ。
これはこれでおれって知的アピール(ドヤ顔)過ぎて感動で震える。
これを否定的に読むのも分かるけけど、言ってるのも分かる。丁寧に綴られた、自分には人として大切な感性があると言いたいだけの文章特有の空虚さがある。
というか誰でも自分が思うところの「感性さん」的文章を冷笑しているんじゃないのかな。いっぽうで自分でも別な種類の「感性さん」な文章を書いてしまいがちで。自分も含めてなわけだが。
いや、あなたの感覚は合ってる。感性さんは普通に文章を書かず感性ぶるから、プライドはあるよ。ただ僕は、感性ぶった文章を読んだ時は、上手く書いたなとは思うけど、冷笑までは行かない。
聞いたことない言葉だった。みんなそれぞれ別の場所で生きてるんだなあ
同じことが「知性」にも言えて、知的であろうと努力してる人がいると、「あいつは自分が賢いと思ってる/俺を見下している」と解釈して反知性主義へ走る人が出てくる。トランプ支持者とか反リベラルはそういうタイプ
感性というより癇癪の類なので、「屁理屈だろ」と読んでてめちゃくちゃ腹が立ち、怒りで破いた本ある。中島義道さんだったと思う。あとにも先にもそれ一冊だけだけど/ブコメのエモいほうが成績良いって話が面白い
数年前、夏真っ盛りにエアコンが壊れたときいろんな涼の取りかたを試したが、いちばん効果があったのが「陰毛を剃る」でした。それ以来夏は全剃り。今年の夏もパイパンです
「酩酊」でなく「陶酔」では。
自慰行為なんて本人がいくら気持ちよかろうともはたから見れば不気味なだけで、扉開けて自慰行為しているのも良くないけどわざわざ晒して冷笑するのもどうかなというお気持ちです。
冷笑がそもそも感性的振る舞いである
私は馬鹿にされてるとは感じないけど、心を動かされたときに「感動した」って言葉を使う人と、むやみに表現をインフレさせる人とは、感性が違うなあって距離を置くかな。
5ちゃんの冷笑精神を五千字くらいかけて自己分析した文章
冷笑コンプレックスさんじゃん。
『本人が否定しようがしまいが、これは私の確たる観察結果であり妥当な想像だ。』無敵すぎるてw//俺が考察界隈を冷笑してるのと同じような話だな〜と思って読んだ
感性に対する評価軸が欠落しているように感じる
みんなよくこんなつまらん文章読むなぁ。/人気記事に上がってくるのも意味不明。
まあ分かる
私の乏しい人生経験から学んだ事は、冷笑は人生のQOLを著しく低下させるのでやめたほうがいいということだな
「はてなの茶碗」のまくらを論理化したらこんなに長くなるんだ。
自分に酔っている人間に対して「わかる」「それな」などとただ反射するような、まるで洗練させる気のない感性さんはどちらも冷笑対象ではあるが、これが社会に歓迎される飲みニケーションなのでしょうか?
あいつらは感情的な感覚過敏、つまり単に精神的不安定を患ってるだけなので、生温かく見守っておけば良いよ
知性でも感性でも、どちらか片方でいいから身につけてくれ。どちらもあまりに足りない文章、半分でギブアップした。
今って感性さん風なのが一つのブームだと思う。本とコーヒーとレコードと古着が好きなやつ。この人種をなんて呼べばいいか分からなかったから嬉しい。「感性さん」を積極的に使ってこの夏を涼しく過ごしたいと思った
感性とか知性と言語化能力は分けた方が良い、外国に行くと感性知性が衰えたわけではないのに表現できないからアホに見られる現象がある
きも
慣性さんを冷笑していると電車で大変なことになる
いいとか悪いとかはもう一旦置いといてさ、「すっっげぇウゼぇ」というのはすごいわかる。世の中こんなにみんな違ってみんないいなら、誹りは受けるからこの気持ちも堂々と言わせてほしいというならすごいわかる。
冷笑自体がもうダッセェのでそれを堂々と言っちゃうその感性が…
誰かが感性が豊かであることにプライドをもっているとか、それをひけらかしているとか、言ってることが意味不明なのでなんかすごい。被害妄想でおかしくなってるのでは?
清少納言(春はあけぼの)が嫌いな紫式部の可能性/「表現することの恥ずかしさ」というものがコンプなんだろ。恥ずかしさを捨てて「オシャレサブカル表現者」になりきる。演者になりきらないと。
他人にケチつけるのが大好きな感性が一番しょうもないのだけど、小人には小人の自由というのがあるのだろうし関わることもなさそう
何かを繊細に感じる心とそれを表現する時につい出てしまう「地獄のミサワ」的な言葉の問題は分けて考えたい。表現の仕方にこそ「感性」が問われると考えるべき。
“当の本人にはひけらかしている自覚すらない”なるほど確かに自覚は無いようだ
草
わろた。けど文学だなとも思う。
まあ自分に酔っ払ってる文章にはむず痒さがあるわな
冷笑という行為にはそれ自体他者からの冷笑を免れない側面はあると思う。それを認識した上で踏みとどまったり、他者を認めることをしない限り、その袋小路をぐるぐる回るだけだと思う。
俺なんかに感性があるかはわからんが、どうしようもないくらい泣けて仕方ねえ音楽とかに出会うと語彙とかなくなるんだよな。まあそういう時はSNSとかにかけるような状態じゃないわけだが。
まぁでもXにpostするってことはひけらかしたい気持ちが少なからずあるってことよね、noteのほうがまだマシってのはわかる
ボコボコで可哀想だけど、指向性が外を向いてるSNSの、反射神経で生きてる感性さんと、内を向いてる作家の感性さんを同じ概念にしているのが、まだまだ雑すぎたのでは…。見た目上でも出力の質が全然違うし。
こういう小っ恥ずかしい自分の内面を臆面もなく文章化してさらけ出せるのもまた感性。同族嫌悪か、自分とは違う種類の感性を持つ相手が羨ましいのか。
感性だらけの文、すごいな。「自分の方が感性すごいぞ」って理解であってる?
君たちまとめて拗らせくんだね
冷笑って言葉 なんかよく使われるようになりましたよね( ͡° ͜ʖ ͡°)
『感性さんと冷笑さん』て絵本を描こう。
冷笑してないじゃんw 冷笑ってのはこういうこと
他人を冷笑するなんて恥ずかしいことだと思っていたのだけど。
集めたことなかったな。スルーしてた。
いい感性しとると思うで
うんうん、それもまた感性だね!
感性さんとかいう薄ら寒いレッテル言葉を思いついて、あわよくば流行って欲しいというエゴが見え見え。分断煽り+承認欲求モンスターに他人の感性を冷笑する資格はない。
「「感性さん」を冷笑している」を冷笑している
若い頃は感性が豊かだと言うがそれは経験のなさの裏返しな気もするのだけど。感性高いの究極系ってただのメンヘラだぞ
温帯だった頃に有効な習慣だった打ち水を、亜熱帯化したと分かってるのに未だ効果的であると誇るその感性もまた冷笑できる素材になってるような。暑すぎると意味ないんだよな、逆に湿度が上がって不快になる。
https://x.com/i/user/1717487580005142528 https://researchmap.jp/oishishun
1%の「わかる」と99%の「でもこいつ嫌い」
冷笑系♪冷笑系♪
感性さんを笑う時、他人から感性さんだと笑われるのだ
まあねえ。普遍的価値観と言語化の中で価値を示すことを拒絶して、お前個人の感性をあまりにも素朴に提示することに価値があると勘違いするな、って自分も割と思っちゃうし擁護する風潮に微妙な不快感はある。
犬のかがやきはどう思う? おれは好き
それが虚偽広告等の「無価値(悪)」で無い限りは放置するほうが正しい。感性豊かな*実存そのもの*を否定するのであれば、そのほうが悪なので原則としては増田のほうが消え去るべき。
何を冷笑するか決めるのが感性だろ?
これ自体がもう、他人に対しても自分に対しても感性さんではない?言語化して他人に示そうとした時点で誰でも感性さんになる。大仰な表現を恥ずかしげもなくやる勇気に対する嫉妬。