"構造的差別の知識がない…人権問題はパイの取り合いと考えている…理不尽な事に声を上げて良いと学んできていない…大学生で既にSNSで流布してる言説に染まっている…共通して大きな不安(+相対的剝奪感)を抱えている"
ま、「対話」ができるのはその能力のある人だという(どっちがわにせよ)不均衡な状態があるわけで、その際に必要なのは想像力と熟考する力なんやけど、どっちもいまのカリキュラムでは身につきにくいからなあ
日本のリベラルは、「日本は敵国条項があるから改憲したら他国から攻め込まれても文句いえない」とか言い出す。他国が日本人を虐殺する事を「仕方ない」と言い出す奴が、ファシストでなくて何なのか?
TERF(トランス排除的ラディカルフェミニスト)が現れた時、「え、あなた方がそれを言うの?」って驚いたの覚えてる。以前は女性はマイノリティという主張もあった(人口的には半数近いが…)
前提知識や人権意識の共有がないまま「対話」させると多数派の暴走になるの、ネットの炎上や学校の議論でも本当によく見る。ルールなき民主主義の危うさだな
『構造的差別への視点を持っていない』『人権問題は限られたパイの取り合いと考えている』『理不尽なことに声を上げてもいいと学んできていない』『声をあげる人たちを「わがまま」で「弱い人」とみなしてしまう』
人権教育よりも、法社会学を教えた方がいい
例えば女子枠は限られたパイの取り合いだと思うが、もしかして、一部の人は限られたパイの取り合いではないと認識している?
人権教育が、優しさとか気持ちの問題とされて道徳とゴッチャになってるのが醜悪。制度や法律の大前提で、どんな憎たらしい奴でも人権があるっていう仕組みであることを教えなきゃいけないと思う。
逆張りの意見が指示を得る。社会心理学だなー。
「間違い」を受け入れられない状況で議論や対話をしてはいけない。
もう正答が決まってるのに、「構造的な差別や人権の話は、すぐに白黒つかない、時間をかけて向き合わないといけない問題」というのは…。いっそ教室のボスは教師のオレ!お前ら生徒は「対話」せず従え!と言った方が
自分達の差別は仕方がないと問題を認識しているだけましで フェミニストの男性に対する眼差しは問題とも受けいられてもいない 最初の差別の正当化の感想なんてフェミニストが話してるんじゃないかと思ったくらい
"最低限の権利が共有されていない対話は容易にファシズムやポピュリズムの温床になり、多数派の語りやすさが対話力と誤解され、経験そのものが誤った確信を育ててしまう"
“人権の知識を子どもが持たないまま、民主主義教育や対話という理念先行で、ディスカッションさせると、(中略)その場の多数派の感覚が規範になり、少数派の子どもがそのつど自分の存在を弁明させられる”
対話と議論は違うわけで、場を仕切る先生の能力によるでしょう。議論に誘導したらそりゃマイノリティはキレるか黙るかしか道がないもの。
ガキの屁理屈も納得させられず「人権意識が醸成されてなくてつれーわ」とか言ってるの教育失敗だろ。「拙い講義をしてしまい申し訳ありませんでした」だろ
id:red_kawa5373 こういうのが典型だよね。「他国が日本人を虐殺する」とかどういう発想したらそうなるのやら。虐殺なら日本が敗戦した時に可能だったよ。今日の日本があるのは戦勝国の恩賜と日本の反省のおかげ
少子高齢化、競争力の低下、周辺地域の情勢不安、この社会情勢で「パイの取り合いではない」と言い切れるのか?「パイの取り合いだとしても、合意に近いものを探す」ことが今求められるものでは
はてなでも構造上の差別以外の話で論点をぼかす声大きいから宜なるかな | 元々構造上の差別は根本的解決までの道のりが険しいので、持続的注意力が弱くなってるご時世で扱うには焦点絞るとか工夫がいるかも
現代社会に生きる上での原理原則として小学校に入る前からインストールしておきたいもんだけど、大人も良く分かってないから思い遣りや配慮みたいなズレた話になりがち
今の人権教育はクソだな。特定の政治的立場を子供たちに刷り込むのは教育中立法違反。左翼版親学の刷り込みはやめろ。子供の人権侵害だ。洗脳講師対処テンプレ➡️https://note.com/ganot/n/nd487789cfad4
『正しい対話』が成れば私の考える『正しい答え』に行き着くみたいな傲慢が透けて見える。元から対話なんてそんなもんだよ。それで出た答えが間違い(と私が思う)なら、必要なのは『論破』とか別の方法論では?
人権知識がない段階での対話重視授業が多数派信念と少数派抑圧を強化する危険、多数派適合性が合理的・倫理的と認知される危険。危険を理解して場を設計・介入する必要。人権教育は民主主義教育と対話の土台と。
私もネガティブケイパビリティの問題なのかなと思ってるんだけどどうなんだろう/「多様性を拒否する〜」については私は答えあって、自分がイジェクトされてもいいなら言ってれば、という
トランスなんかは実際に色々な弊害が出てきて再び排除されたのが現実なのに、実態を見てないのはどっちなんですかね。
現実問題パイの奪い合いになってるだろ。果てはお前らは標準なんだからと、パイを大量に抱えてる奴が勝手に他人のパイを切り分けて配って行く。女子枠なんてその最たるもの。
“そしてかれらに共通しているのが大きな不安を抱えているということ” これはとても重要な観察だと思う。
まあでもこんなの大人でも同じでしょ。人の話を聞く時に「対話」なんてしようとしてるヤツが今の時分どれだけいる?dialogは遠くなりにけり。一億総debater時代。
そうだね、洗脳するなら幼年期からだよね(白目)
ゼロからフラットに考える機会が増えたのか、考えずに共感できる前提が徐々に崩れて行ってる。「ナチスは悪」的な右翼左翼共通の価値観も今や危うい。
小中高でできるのは「いろんな問題と意見があるんだよ」までじゃないかな。18で投票権、25超えたら被選挙権貰えるんだからそこで選択すりゃいいよ
各人それぞれマジョリティ性とマイノリティ性を併せ持っているのであって、「マジョリティ人間vsマイノリティ人間」という雑な対立は不毛
社会が貧困に流れてくに連れて、今まで自分が享受できてた富が失われていくからこういう方向に進みがちだよね。どうすればいいかはわからん
対話対話っていうてるけど子供らの口から出てくる言葉を一個一個相手とにらめっこしながら自分の頭で考えて向き合ってるわけじゃなく、ただ外側の教条に照らし合わせて善悪判定してるだけやしなんなんやこれ
FIREしたら精神的に安定したという話のとおり、今のままでも安定して暮らせる。という状況は抗不安材料として、とても大きい。 親の仕事が継げなくなった今だから、最初から競争にさらされるのが不安につながるんだよ
クソガキにはゲンコツでいいと思う。
これは単純に言えばオルグというか折伏というかそれをしろと。私立小の足切りが前提になる時点で教育論じゃなくて宗教論だと。/例えば外国人がクラスにいたら何もできないでしょう、この人。
これは凄い難しい問題ですね。叱ったとしても、公言してはいけないと学習するだけかも。「内心の自由」や「選択の自由」は鉄壁の人権なので、マイノリティ排除を掲げる政党への投票は止められないと思います。
対話の前提である真理/倫理への誠実性を欠いている者達とは対話不可能であるだけでなく対話をするべきではない。歴史修正主義に典型的な様にそれは妄言に場所を与える事にしかならない
人権を道徳や人倫(かわいそうバトル)で敷衍しようとしたがるこの人に問題があると思うんだよ。近代人権思想はもっと理詰め(冷酷)なもので知識も知性もない情熱だけの教師が扱えるものではない。
単に多数派に訴求しやすいことが説得力の高さと見なされがちというのは正しい指摘だと思うが、それ以外については「対話」をすると自分の結論ありきの主張が受け入れてもらえないという泣き言にしか見えなかった
そういった抱えがちな疑問や問題と向き合うために授業があるのではないのです?そういう結論に行きたがること自体を責めるのは意味がなくないです?
人権教育という単語を出すとウェッとなる人らが多すぎるんだけど、要はメタ思考・批判的思考・リテラシー教育の範疇だよな
ちゃんと教えればいいだけの話だろ。
“人権の知識を子どもが持たないまま、民主主義教育や対話という理念先行で、ディスカッションさせると、教室内でファシズムとポピュリズムが横行する”
子供にこの手の問題を理解して議論しろ何で無茶ぶりでさ。SNSの争いの通り、大人でさえ碌に出来やしないのに。学級会とかの悲惨な話、幾らでも出来る人は多いでしょ…
よくわかんないけど、この人のいう話し合いって「俺の言うことをきけ」だよね。話し合って、多数が納得しても自分の意見と同じにならなければ「話し合い」ではないんだよね
左派論客が『対話』『対話』と言いつつ全然自分の番組に批判してる側の人たちを呼ばない不思議が解明したような気がする。故ECDが『言うこと聞かせる番だ俺たちの』ってデモなんかで歌ってたけど、そういう事だよね
「足が速くないと役立たずと見做さられる村」に必要なのは『足が遅くても人間なんだよ』という道徳よりも、例えば全員が乗れるバスかもしれない。ただ、本当にバスで解決するかどうかを対話する必要がある。
社会の構造を実感として理解していない子供に差別というテーマでディスカッションさせても、主体からの意見しか出ないの当然では。それは"導く"という美辞麗句を被った自身のイデオロギーへの同一化の強制。
一般的な日本人には宗教的な道徳規範が薄い。それを下支えしていたのが、コミュニティ的な同調圧力や風習・慣習であって、核家族化が進みコミュニティ基盤がなくなった現代では道徳基盤を作る機会や建て付けがない。
自分の頭で議論して私と同じ考えになるべきだ!というのは実にリベラルな考えだと思う!私は保守なのでそもそも誰かの主張を間違いだと断じる人間の下で議論をするべきではない。議論は学ぶ気がないと成立しない。
「私たちの折伏方法について」みたいなタイトルにすればいいのに。
この手の人が言う「対話」って自分達の意見を押し通すためにしか使われてないよな。都合が悪くなるとすぐファシズムだの差別だのに逃げて「論破」やろ。この記事もそうなってるしそもそも対話する気なんかないやん。
わからんではないが、気に入らない意見を「間違っている」「染まっている」「ファシズム」と呼んで見下すのも、典型的なファシズムじゃないの
対話を教員の考えた「正解」を植えつける手段にすることも十分にファシズム的なんだわ。イデオロギーや思い込みで子供の可能性を狭めてしまっては、考える力は育たない。それは洗脳であっても教育ではない。
会話力の差は、AI持ち込み可の対話にすれば埋められると思う
自身をマジョリティの側に立っていると断言できるのすげーよなと思う
「構造的差別への視点を持っていない(知識がないから持てない)」←こう書くとすごく差別的w だが、現状マジョリティ側にいる者も白人国に行けば自分が差別される側とかいった相対的な見方の想像力は持ってほしい
構造的差別に抗うには世界を革命するしかないでしょう。あなたの進む道は用意してあります。(CV 緑川光)
『人権教育は、民主主義教育や対話の土台であって、あとから足すもので済むものではないとあらためて思う』
「マイノリティが適切な処遇をされると、自分たちのパイがマイノリティに奪われていると思い」我々はゼロサムゲームで考えがち。プラスサムの概念が足りてないっぽい
『僕は勉強ができない』で批判されていた「民主主義とは多数決のことです」みたいな誤見を言う教師が1980年代までのあるあるだったが、(蟻の歩みとはいえ)社会は進歩しているな。
「多様性」を掲げながら自分にとっての異論をファシズムとレッテル貼りして否定しつつ、すぐに答えはでない!モヤモヤに耐える力が足りない!と生徒に要求することが現代の教員の仕事なのか?本当にそれでいいのか?
「ポピュリズムの教室」の風景がママ繰り広げて笑う。答えがないのが倫理であるというのはトロッコ問題に集約される。
究極のマイノリティって、個人=自分なので、自分が不合理に差別・排除される覚悟はあるのかと。
私の原則はシンプルで、ファシズムだのナチスだのの単語を簡単に使う人は右派でも左派でも胡散臭いと思っている
冒頭から核心を突く。「差別があからさまな悪意のある言動としか認識しておらず、構造的差別への視点を持っていない」ここにもいっぱい居る。「差別」を矮小化し,無効化しようという企みが潜む。
「対話」が教室のファシズムを加速させる時|星野俊樹「とびこえる教室」
"構造的差別の知識がない…人権問題はパイの取り合いと考えている…理不尽な事に声を上げて良いと学んできていない…大学生で既にSNSで流布してる言説に染まっている…共通して大きな不安(+相対的剝奪感)を抱えている"
ま、「対話」ができるのはその能力のある人だという(どっちがわにせよ)不均衡な状態があるわけで、その際に必要なのは想像力と熟考する力なんやけど、どっちもいまのカリキュラムでは身につきにくいからなあ
日本のリベラルは、「日本は敵国条項があるから改憲したら他国から攻め込まれても文句いえない」とか言い出す。他国が日本人を虐殺する事を「仕方ない」と言い出す奴が、ファシストでなくて何なのか?
TERF(トランス排除的ラディカルフェミニスト)が現れた時、「え、あなた方がそれを言うの?」って驚いたの覚えてる。以前は女性はマイノリティという主張もあった(人口的には半数近いが…)
前提知識や人権意識の共有がないまま「対話」させると多数派の暴走になるの、ネットの炎上や学校の議論でも本当によく見る。ルールなき民主主義の危うさだな
『構造的差別への視点を持っていない』『人権問題は限られたパイの取り合いと考えている』『理不尽なことに声を上げてもいいと学んできていない』『声をあげる人たちを「わがまま」で「弱い人」とみなしてしまう』
人権教育よりも、法社会学を教えた方がいい
例えば女子枠は限られたパイの取り合いだと思うが、もしかして、一部の人は限られたパイの取り合いではないと認識している?
人権教育が、優しさとか気持ちの問題とされて道徳とゴッチャになってるのが醜悪。制度や法律の大前提で、どんな憎たらしい奴でも人権があるっていう仕組みであることを教えなきゃいけないと思う。
逆張りの意見が指示を得る。社会心理学だなー。
「間違い」を受け入れられない状況で議論や対話をしてはいけない。
もう正答が決まってるのに、「構造的な差別や人権の話は、すぐに白黒つかない、時間をかけて向き合わないといけない問題」というのは…。いっそ教室のボスは教師のオレ!お前ら生徒は「対話」せず従え!と言った方が
自分達の差別は仕方がないと問題を認識しているだけましで フェミニストの男性に対する眼差しは問題とも受けいられてもいない 最初の差別の正当化の感想なんてフェミニストが話してるんじゃないかと思ったくらい
"最低限の権利が共有されていない対話は容易にファシズムやポピュリズムの温床になり、多数派の語りやすさが対話力と誤解され、経験そのものが誤った確信を育ててしまう"
“人権の知識を子どもが持たないまま、民主主義教育や対話という理念先行で、ディスカッションさせると、(中略)その場の多数派の感覚が規範になり、少数派の子どもがそのつど自分の存在を弁明させられる”
対話と議論は違うわけで、場を仕切る先生の能力によるでしょう。議論に誘導したらそりゃマイノリティはキレるか黙るかしか道がないもの。
ガキの屁理屈も納得させられず「人権意識が醸成されてなくてつれーわ」とか言ってるの教育失敗だろ。「拙い講義をしてしまい申し訳ありませんでした」だろ
id:red_kawa5373 こういうのが典型だよね。「他国が日本人を虐殺する」とかどういう発想したらそうなるのやら。虐殺なら日本が敗戦した時に可能だったよ。今日の日本があるのは戦勝国の恩賜と日本の反省のおかげ
少子高齢化、競争力の低下、周辺地域の情勢不安、この社会情勢で「パイの取り合いではない」と言い切れるのか?「パイの取り合いだとしても、合意に近いものを探す」ことが今求められるものでは
はてなでも構造上の差別以外の話で論点をぼかす声大きいから宜なるかな | 元々構造上の差別は根本的解決までの道のりが険しいので、持続的注意力が弱くなってるご時世で扱うには焦点絞るとか工夫がいるかも
現代社会に生きる上での原理原則として小学校に入る前からインストールしておきたいもんだけど、大人も良く分かってないから思い遣りや配慮みたいなズレた話になりがち
今の人権教育はクソだな。特定の政治的立場を子供たちに刷り込むのは教育中立法違反。左翼版親学の刷り込みはやめろ。子供の人権侵害だ。洗脳講師対処テンプレ➡️https://note.com/ganot/n/nd487789cfad4
『正しい対話』が成れば私の考える『正しい答え』に行き着くみたいな傲慢が透けて見える。元から対話なんてそんなもんだよ。それで出た答えが間違い(と私が思う)なら、必要なのは『論破』とか別の方法論では?
人権知識がない段階での対話重視授業が多数派信念と少数派抑圧を強化する危険、多数派適合性が合理的・倫理的と認知される危険。危険を理解して場を設計・介入する必要。人権教育は民主主義教育と対話の土台と。
私もネガティブケイパビリティの問題なのかなと思ってるんだけどどうなんだろう/「多様性を拒否する〜」については私は答えあって、自分がイジェクトされてもいいなら言ってれば、という
トランスなんかは実際に色々な弊害が出てきて再び排除されたのが現実なのに、実態を見てないのはどっちなんですかね。
現実問題パイの奪い合いになってるだろ。果てはお前らは標準なんだからと、パイを大量に抱えてる奴が勝手に他人のパイを切り分けて配って行く。女子枠なんてその最たるもの。
“そしてかれらに共通しているのが大きな不安を抱えているということ” これはとても重要な観察だと思う。
まあでもこんなの大人でも同じでしょ。人の話を聞く時に「対話」なんてしようとしてるヤツが今の時分どれだけいる?dialogは遠くなりにけり。一億総debater時代。
そうだね、洗脳するなら幼年期からだよね(白目)
ゼロからフラットに考える機会が増えたのか、考えずに共感できる前提が徐々に崩れて行ってる。「ナチスは悪」的な右翼左翼共通の価値観も今や危うい。
小中高でできるのは「いろんな問題と意見があるんだよ」までじゃないかな。18で投票権、25超えたら被選挙権貰えるんだからそこで選択すりゃいいよ
各人それぞれマジョリティ性とマイノリティ性を併せ持っているのであって、「マジョリティ人間vsマイノリティ人間」という雑な対立は不毛
社会が貧困に流れてくに連れて、今まで自分が享受できてた富が失われていくからこういう方向に進みがちだよね。どうすればいいかはわからん
対話対話っていうてるけど子供らの口から出てくる言葉を一個一個相手とにらめっこしながら自分の頭で考えて向き合ってるわけじゃなく、ただ外側の教条に照らし合わせて善悪判定してるだけやしなんなんやこれ
FIREしたら精神的に安定したという話のとおり、今のままでも安定して暮らせる。という状況は抗不安材料として、とても大きい。 親の仕事が継げなくなった今だから、最初から競争にさらされるのが不安につながるんだよ
クソガキにはゲンコツでいいと思う。
これは単純に言えばオルグというか折伏というかそれをしろと。私立小の足切りが前提になる時点で教育論じゃなくて宗教論だと。/例えば外国人がクラスにいたら何もできないでしょう、この人。
これは凄い難しい問題ですね。叱ったとしても、公言してはいけないと学習するだけかも。「内心の自由」や「選択の自由」は鉄壁の人権なので、マイノリティ排除を掲げる政党への投票は止められないと思います。
対話の前提である真理/倫理への誠実性を欠いている者達とは対話不可能であるだけでなく対話をするべきではない。歴史修正主義に典型的な様にそれは妄言に場所を与える事にしかならない
人権を道徳や人倫(かわいそうバトル)で敷衍しようとしたがるこの人に問題があると思うんだよ。近代人権思想はもっと理詰め(冷酷)なもので知識も知性もない情熱だけの教師が扱えるものではない。
単に多数派に訴求しやすいことが説得力の高さと見なされがちというのは正しい指摘だと思うが、それ以外については「対話」をすると自分の結論ありきの主張が受け入れてもらえないという泣き言にしか見えなかった
そういった抱えがちな疑問や問題と向き合うために授業があるのではないのです?そういう結論に行きたがること自体を責めるのは意味がなくないです?
人権教育という単語を出すとウェッとなる人らが多すぎるんだけど、要はメタ思考・批判的思考・リテラシー教育の範疇だよな
ちゃんと教えればいいだけの話だろ。
“人権の知識を子どもが持たないまま、民主主義教育や対話という理念先行で、ディスカッションさせると、教室内でファシズムとポピュリズムが横行する”
子供にこの手の問題を理解して議論しろ何で無茶ぶりでさ。SNSの争いの通り、大人でさえ碌に出来やしないのに。学級会とかの悲惨な話、幾らでも出来る人は多いでしょ…
よくわかんないけど、この人のいう話し合いって「俺の言うことをきけ」だよね。話し合って、多数が納得しても自分の意見と同じにならなければ「話し合い」ではないんだよね
左派論客が『対話』『対話』と言いつつ全然自分の番組に批判してる側の人たちを呼ばない不思議が解明したような気がする。故ECDが『言うこと聞かせる番だ俺たちの』ってデモなんかで歌ってたけど、そういう事だよね
「足が速くないと役立たずと見做さられる村」に必要なのは『足が遅くても人間なんだよ』という道徳よりも、例えば全員が乗れるバスかもしれない。ただ、本当にバスで解決するかどうかを対話する必要がある。
社会の構造を実感として理解していない子供に差別というテーマでディスカッションさせても、主体からの意見しか出ないの当然では。それは"導く"という美辞麗句を被った自身のイデオロギーへの同一化の強制。
一般的な日本人には宗教的な道徳規範が薄い。それを下支えしていたのが、コミュニティ的な同調圧力や風習・慣習であって、核家族化が進みコミュニティ基盤がなくなった現代では道徳基盤を作る機会や建て付けがない。
自分の頭で議論して私と同じ考えになるべきだ!というのは実にリベラルな考えだと思う!私は保守なのでそもそも誰かの主張を間違いだと断じる人間の下で議論をするべきではない。議論は学ぶ気がないと成立しない。
「私たちの折伏方法について」みたいなタイトルにすればいいのに。
この手の人が言う「対話」って自分達の意見を押し通すためにしか使われてないよな。都合が悪くなるとすぐファシズムだの差別だのに逃げて「論破」やろ。この記事もそうなってるしそもそも対話する気なんかないやん。
わからんではないが、気に入らない意見を「間違っている」「染まっている」「ファシズム」と呼んで見下すのも、典型的なファシズムじゃないの
対話を教員の考えた「正解」を植えつける手段にすることも十分にファシズム的なんだわ。イデオロギーや思い込みで子供の可能性を狭めてしまっては、考える力は育たない。それは洗脳であっても教育ではない。
会話力の差は、AI持ち込み可の対話にすれば埋められると思う
自身をマジョリティの側に立っていると断言できるのすげーよなと思う
「構造的差別への視点を持っていない(知識がないから持てない)」←こう書くとすごく差別的w だが、現状マジョリティ側にいる者も白人国に行けば自分が差別される側とかいった相対的な見方の想像力は持ってほしい
構造的差別に抗うには世界を革命するしかないでしょう。あなたの進む道は用意してあります。(CV 緑川光)
『人権教育は、民主主義教育や対話の土台であって、あとから足すもので済むものではないとあらためて思う』
「マイノリティが適切な処遇をされると、自分たちのパイがマイノリティに奪われていると思い」我々はゼロサムゲームで考えがち。プラスサムの概念が足りてないっぽい
『僕は勉強ができない』で批判されていた「民主主義とは多数決のことです」みたいな誤見を言う教師が1980年代までのあるあるだったが、(蟻の歩みとはいえ)社会は進歩しているな。
「多様性」を掲げながら自分にとっての異論をファシズムとレッテル貼りして否定しつつ、すぐに答えはでない!モヤモヤに耐える力が足りない!と生徒に要求することが現代の教員の仕事なのか?本当にそれでいいのか?
「ポピュリズムの教室」の風景がママ繰り広げて笑う。答えがないのが倫理であるというのはトロッコ問題に集約される。
究極のマイノリティって、個人=自分なので、自分が不合理に差別・排除される覚悟はあるのかと。
私の原則はシンプルで、ファシズムだのナチスだのの単語を簡単に使う人は右派でも左派でも胡散臭いと思っている
冒頭から核心を突く。「差別があからさまな悪意のある言動としか認識しておらず、構造的差別への視点を持っていない」ここにもいっぱい居る。「差別」を矮小化し,無効化しようという企みが潜む。