梅仕事、都会のお金持ち(やお金持ち希望者)がやったら自由趣味で卓越性のディスプレイになるけど、田舎の庶民がやったら必要趣味でぜんぜんそんなことはありません。ブルデュー的に、意味がまったく違ってきます
高級梅干しが手土産で喜ばれるんですね。丁寧な暮らしをしたいけど時間が無い都会人にぴったりな土産物になるんですわ
ていねいな暮らしというのは手段を目的化した営みということなのかな 一方で目的を達成するための合理的な活動だとていねいというよりは生活になる そう考えると、家政婦を雇わず自分で家事をする富裕層はすでに丁寧
AIにやらせらば5分でできてしまうプログラムをわざわざ手で書く貴族趣味もそのうち生まれるか。もうあるかな。
民芸品評価批判にもつながる話で、個人的にはとても好きだし身近なものでありながら、都会生まれのために、その部分に自覚的であろうとしないと、いいものだと受け取るだけになりやすいものだと自制的に思っている。
ワグナス!! 評議会は我らの術を異端術法と決定したぞ!
梅の木が生えていない団地住まいのブルーカラー家庭が買ってきた梅で梅干し仕込むのはどう考えれば良いのか。俺も1kg500円の梅で梅シロップを大量に仕込んだけど、全然丁寧な暮らしじゃない
とはいえ家で仕込むのは味のレイヤーが好みも含めてダンチではある。味噌とか天地ほど違う
本筋とも意図ともまったく関係ないけど、塩分18%のでかくて高いのが好きな梅干し狂なので、ほんとに美味しい梅干しは梅干し専門店で買う。どでかくて皮薄くて実がたっぷりの南高梅塩漬け以外ありえない。
やはりどことなく田舎=貧乏みたいな括りを感じる
元暴れ小川の扇状地だったこの一帯のスーパーで紀州産南高梅の頒布会があるので、80年代終盤を経て一旦は都市なら地方も水準上がったんだろう。なお戦前のブルジョワはこんなことしないで茶室で鄙趣味気取ってたろう
みりんに(後略)
記事は無関係に売ってる梅干しは「梅漬け」だったり「甘い」ってのがあって、「売ってる梅」で塩っぱい梅干し作ってる。/ベーコンも本当に燻してるのはなかなか売ってない。
ネットもない昭和田舎と90年代から2000年代の都会との比較にみえる。ネット普及を起点に、インフレやインバウンド等で従来の都会らしさという記号への憧れは崩れている。余裕がある人は二拠点で差別化しているのでは
田舎は貧乏で梅漬けてるんだな。豊かだからだと思ってたわ。庭に梅の木があって梅がとれちゃって仕方ないから漬けとくかという時間もなくはないのは豊かさではないのか
必要「趣味」じゃない、単なる家事労働。父親が山菜採りしたらその始末は母親の仕事だったので、母はずっと愚痴文句言ってた(共働き)。 私も嫌々ながらたまに手伝ってた。
自由趣味と必要趣味の間もグラデーションよね。金持ちは世帯人数が多いから作った方が割安だったりも。うちのベランダバジルシソもほぼほぼ放置で育つ割に香りが段違い。趣味枠で語るより文化資本の方が納得感ある
前からこんなに社会学の話する人だっけ?
毎年律儀に実ってくれる梅を粗末にしたくない気持ちも大きいと思う。/梅干し漬けたりパンを焼いたり、編みものや刺繍をしたり、純粋な手仕事の愉しさが「丁寧」の根底にあるんじゃないかなぁ?階級論に傾きすぎでは
文化資本/「丁寧な暮らし」の最もスノッブな(鼻持ちならない)部分は、それが「素朴でお金のかからない生活」を装いながら、実際には膨大な「経済資本」と「時間資本」を前提としている点を隠蔽していること
私がしばしば主張する「個人主義ユートピア」( https://ta-nishi.hatenablog.com/entry/2023/12/23/044701 )は、まさしくここでいう「自由趣味」だけやってけばいい生活がすべての人々に開かれた社会状態のことをいっています。
田舎と都会の間がまるっきりすっぽ抜けてないか
今年は庭の梅が全くならなかった。
港区にも都営住宅は結構ありますよ。一方で成城石井はあまりないとおもう
そこそこ豊かに暮らしている上京民が実家/親族から送られてくる梅で行う梅仕事はどこに入りますか
実家も田舎だけど、近所付き合いで梅くれる人がいて、しゃーないから梅シロップ作ったりしてる、みたいな感じだったな
「梅仕事」という言葉がなんか鼻につくな。最近テレビでも流れてたけど。丁寧な暮らしは勝手にやってくれていいし、田舎での梅干し作りも勝手にやってくれていい。よかれと思っておすそ分けとかされると戸惑うかも
長年にわたり家族が裏庭にある梅の実で、塩分控えめ+酸っぱい梅干しを作ってた。しかし家族も梅の木も年老いた上に自分も忙しく、我が家の梅仕事は潰えてしまいそう/これが自由趣味か必要趣味かはわからない。
道楽や運動でやる趣味の畑仕事はマイペースにやれて楽しいけど、生計を立てるレベルになると途端に莫大な設備投資が必要になる上に運動強度も上がるからなあ。
欧州や米国の金持ちのワイナリー所有みたいな話に繋がってる世界に思う
何やねん梅仕事って。田舎者だけど、梅酒も梅干しもどうでもいいよ。趣味なんてどれも他人からすると意味ないんだよ。多分昔からそうでしょう? 梅が本題でないことはわかってる。
違うよ。ウサギ小屋で鎖自慢するための必要趣味。その必要趣味は肩肘張るために必要な俗物。孫が喜ぶから祖母が作る蜂蜜漬けは嗜好品作りで自由趣味。梅干し作りは無駄な出費を削る家事だから趣味ではない。
まあ俺の要件定義は自由趣味だしな
長々書いてるけど要は「旦那の手習い」でしょう。江戸時代の商家の旦那や隠居が芸事や芸術で無聊を慰めてたアレ。カントとかブルデューとかなんか衒学的な印象を受ける文章だ。
Brutusとかに出てくるのって世田谷区ではなく地方都市の落ち着いた家だったりするけどね。それこそ喧騒とは無縁の丁寧な暮らし。
(関係ないけど、フランスのインテリの文章ひでーな)
自分のことは自分でやる「修身」、丁寧な暮らしは人間性でのマウントの話だと思っていたのだがブルデューは日本人ではないので修身ではなく趣味、階級や格差の話になるのか。
自分で漬けた梅干しがいちばん好きだ。ふんわり感とかないけどさー。だから漬けてる。
三越とイオンと家で漬けた梅干しを食べ比べたことがあるか。私は三越のは食ったことがないが、スーパーで売ってるやつは自分で漬けたのとは別物だ。自家製の梅干しを食べるのが必要以上の卓越性なの?
ていないな暮らしを提唱する者は都会で梅仕事するようないけ好かない連中だ!ムキーッ!と、勝手に定義して勝手に憤っている奴らキモ過ぎる。気に入らないからと藁人形こしらえることに必死なキモい連中。
ディスタンクシオンを初めて読んだとき、「ああ、この人は右翼なんだな」と思った。実際はバリバリの左翼。そのぐらい抑制の聞いた精巧な分析やったんや。こういうのが学問なんやと、ずいぶんと教えられた気がした
最低賃金の1,023円でも、梅干しを自分で漬けるよりも買ってきた方が経済面で合理的だとおもうが。ただ「ていねいな暮らし」はただの趣味なのは間違いない。
ハリオのガラス容器でつけてたら丁寧な暮らし。古めかしい瓶でつけてたら田舎暮らし。ね、簡単でしょ?
趣味なのか、都会でスレきった心にふるさとを何とか繋ぎ止めるための儀式なのか。
“世田谷区や港区に住んでいるお金持ちの人にとって、6月に梅干しを漬けるのはやってもやらなくても本当は構わないことです”差別的な見解だな。幼少期からずっとやってる人もいるかもしれない。漬物だってそう
作り置きの料理を小分けにして冷凍パックするのが私の必要趣味だよ。全然やせないけど運動やめたらすぐ太るのでジムに行くのも必要趣味だよ。必要じゃない趣味…少ないな
低レイヤーな暮らし/休日にお金払って芋掘り体験するのも🍠
「ディスタンクシオン」は超面白かったが、文章が難しいというより不親切で難儀した。ブルデュー曰く「平易にすると(当時は)ナメられるから敢えて」らしく、読む際は解説本などで先に論旨を把握する方が楽かと思う。
“世田谷区に住むお金持ちがやったら卓越性ディスプレイ”世田谷の金持ちの中にはそこそこ「元農家金持ち」がいて日常の営為として梅干しつけたり筍取ったりしてる。もう少しステレオタイプの解像度上げた方が
「梅干しが必要なだけなら、イオンやまいばすけっとに行って来れば済む」これ燻製、麺、パン、果ては菓子の手作り等も該当しちゃうけど「自由趣味」でやってると全員プチブルになるの? プチブルの範囲広すぎない?
「梅仕事」という何か風流な響きの言葉はコロナ禍の頃にながら観していたNHK『やまと尼寺精進日記』という奈良・音羽山観音寺の「丁寧な暮らし」映像を流す番組で初めて知った。
たとえばバルミューダのジャンクレンジをわざわざ買ってきて修理して使うのは自由趣味なのか必要趣味なのか。そんなの考えるだけ無駄じゃねーかな。区分する「必要」がない
こういう本当にどうでもいいことを全力で書けるのがただただ人として怖い。絶対に知り合いたくないタイプの人間。
使い古してボロボロになったジーンズがあってこそ、買った時からボロボロのダメージジーンズはごっこ遊びとして意味を持つ。前者へのリスペクトなくして後者は成り立たない。
蜂蜜とか余計なものを加えていないすっぱい梅干が好きなので自分で漬けるしかない。ここ数年はキロ1000円突破してつらいのでいやいや漬けてるなら分けてほしい
忙しさで忘れがちな毎日の季節の移ろいや旬をちゃんと味わいながら生活する事が丁寧さ。忙殺され義務感で梅漬けても丁寧とは言わないし、タワマンでも田舎でも夕焼け毎日楽しめてれば丁寧。なんかズレてる。
梅仕事でこれだけの長文が書ける才能、ある意味凄い。
ていねいな暮らし = SNSに挙げるためのファッション
家計のためにやっていない事は自由趣味/今年は累計13kgの梅を梅シロップにしたがこれも自由趣味だろうな。ただ梅干しはまだしも梅シロップ/梅ジャムは入手性の意味で自分で作るしか無い
田舎でも通販でいい梅干しが買えるし、都内でも森でなってる梅をつける貧乏人もいるだろう
梅が巡り巡ってやってきて放置していたら腐るので後ろ向きな気持ちで作っている家庭がうちです
「あいつらのブコメは自由趣味、俺らのブログも必要趣味」
今時、田舎の年寄りさえ「買った方が安いし楽なんだけどなぁ」と言いながら畑作業してるぞ。
これ読んで成城石井行ったけど梅干しがなかった
高校の体育教官室のベランダで梅が干されてたなあ。あれは自由趣味だったのだろうか。塩抜きしてない梅干しを食べるには作るか、ふるさと納税しかない都民からは以上です。
消費することしかできない人たちの、自己効力感の確認。という側面はあるんじゃないかな。
たしかに、ジャムを作ってみたりしたときに「買った方が安くね?」ってなったりした。
大五郎が3ヶ月で文化酒になる梅仕事
フランス現代思想系の近代社会分析を政治問題に持ち込んでむちゃくちゃなことになったのが最近のトレンドです。我々は隣家の庭の芝生が青いことに憧れる性質を持つだけである。楽しければいいんだよ。
必要に追われてと言うより、田舎には田舎のそういう生活様式と伝統があり、金持ちでもばあさんと嫁が梅仕事をしていたりする。強いて言うなら「手間を惜しんで買うのは無精」という価値観がある。
『ていねいな暮らし』にアレルギーのある人が案外いるのだね(´-`)義務感で辛くなるのはわかるけど、楽しんでる人を腐したり貧乏の代名詞にするのは違うと思う。なお、この人がそうだとは言わない
ブルデューもフランス現代思想くくりか。まあそうだよな。
梅酒や梅シロップなんかは梅以外の材料もお金使うので大した節約にはならない。昔とは違い激安店で完成品が購入出来るのでちょっとした楽しみ位なら梅仕事するまでもない。
行為に対して、丁寧な暮らしと「ラベルをつけることそのもの」について
そうなのかもしれない。で、だからなんだよって話である。
なんか嫌らしい視点だなあ。都会の労働者階級をプチブル扱いして分断を煽ってるだけに思える。しょせんは労働者でしょうに。
季節ごとにスーパーに売ってる青山椒やラッキョウ、新生姜などの量を見ると、趣味ではなく家事として取り入れてる人は多いんだと思う。そういう人を余裕があって意識高い階級と言ってしまうのは乱暴な気も。
昔はお金持ちも乗り物に乗って移動していたのだな(Z世代) / 何気ない書き出し(しかも仮想の例示)だけで漫画のネタが生まれてしまった. お金持ち観が変容してる
いやー「梅仕事」についてここまで語ること自体にシロクマ先生の「ディスタンクシオン」を感じるな(w ちなみに我が家は取寄せた米を自家精米し土鍋で炊き、梅や生姜を漬けたり自宅で味噌作ったりしますが庶民です
「若者殺しの時代」という本では、80年代以前は都市部の家庭でも、食べ物や飲み物はあまり店で買わずに家庭内で生産されていたと書かれていました。できているお茶を金を出して買うとかありえない所業だったとも。
うーん?「ていねいな暮らし=支配階級の自由趣味」という定義付けに違和感。ていねいな暮らしは都市生活やデジタル化への反動として「生活の手触りを回復する為の実践」という感じだから、方向性が違うのでは?
ド田舎の俺んちも、代々の古い梅の木があって、梅仕事をしなきゃ(いけない)のだ。今年は裏年で開放されてほっとしている。剪定も大変だし
都会には金持ちしか、田舎には庶民しかいない感じですね。都会とは/田舎とはどこから?
梅の木は伸びる伸びる。手入れをサボれば数年で酷いことに。
時間があれば、梅仕事やらっきょう漬けや実山椒の塩漬けとかやってみたいな。あと、大葉やバジルみたいな薬味やハーブを育てる家庭菜園もやってみたい。食いしん坊だから。
都会vs田舎、金持ちvs貧乏と対立させて論じる事? たしかに一部スノッブな界隈はあるが、自分の生活と縁遠いので「好きにすれば」としか思わん。筆者はそういう界隈と近いとこにいるせいで反感が強いのかな。
SNSにあっぷしたいなら自由趣味だし、そう思わないなら必要趣味みたいな
よく分かんねえけど梅仕事ってワードは世田谷区の上流市民の間で流行ってるんすか?
卓越性の獲得、これ見よがしの浪費、以外のケースもある。財前直見的なライフスタイルへの同一化。資本主義社会の脱領土化、逃走線を引く。夫がいなくても人生楽しい…コンプレックスの抑圧に作用するケースもあるね
梅干しは安っぽい弁当に乗ってるカリカリの奴が一番好きなんだがそういう話ではなかったな
一生懸命隠してるけど、それでもうっすら滲む僻みが酷い。
半額の梅を救うのである。メンタリティは、その山の自然薯への思いと変わらない。そんなに分断しないでほしいな、あ、梅仕事してません。中国梅干し食べてるよ。安いからね。
自分「梅干し漬けたい」嫁「前のまだ残ってんだけど」というやり取りを5年以上続けてるが、全く梅干しがなくならない。
マリー・アントワネットはヴェルサイユ宮殿の一角に田舎の村を模した庭園「ル・アモー・ドゥ・ラ・レーヌ」を作り、宮廷生活の慌しさから一時逃れた。この丁寧なくらしが民衆の怒りを招いたことは言うまでもない。
面白い、自分のやりたい事は必要趣味なのかどうか考えてみよう
梅はね…送られてくるんだよ…(ヽ´ω`)/梅漬けが いいよ、干さなくて漬けるだけ。柔らかめな梅干し。水分があるので炊き込みご飯系にちょうど良い。
お味噌もつくってぬかどこも育てると完璧。今は杏が出始めてあっという間に終わるからジャムにしないとね
田舎と都会には確かに大きな差はある。でも、田舎暮らしではない、そもそも梅すら漬けられない人もいる。ゆえに田舎の小さな楽しみじゃないのかな。都会の人も、田舎の記憶を辿って漬ける人も多いのだから。
いいじゃん、“こみあげてくるような怒りが感じられる瞬間”が見える記事は悪くない
日本だと養老孟司の言う『手入れという思想』も合わさってると思うが
それすら「イケてるライフスタイル」というカタログからの消費活動 / どうしても他者にドヤれるかみたいな邪念がちょっと混じってしまうところに悲しみがある
梅干しを漬けたりするのは大量になる梅の実を処分するためだよ。あと家で漬ける梅干しは売られている梅干しとは基本的に別物。何も分かってない
都市や資本主義による人間性の疎外(この概念も怪しいが)に対抗するものとして丁寧な暮らし的なものがある,しかしそれも卓越性のゲームからは逃れられない,という構図かと思ってる 後者のレイヤーだけを見るのは歪では
志賀直哉の小僧の神様を思い起こさせるテキスト
「あいつらの梅仕事は自由趣味、おれらの梅仕事は必要趣味」 - シロクマの屑籠
梅仕事、都会のお金持ち(やお金持ち希望者)がやったら自由趣味で卓越性のディスプレイになるけど、田舎の庶民がやったら必要趣味でぜんぜんそんなことはありません。ブルデュー的に、意味がまったく違ってきます
高級梅干しが手土産で喜ばれるんですね。丁寧な暮らしをしたいけど時間が無い都会人にぴったりな土産物になるんですわ
ていねいな暮らしというのは手段を目的化した営みということなのかな 一方で目的を達成するための合理的な活動だとていねいというよりは生活になる そう考えると、家政婦を雇わず自分で家事をする富裕層はすでに丁寧
AIにやらせらば5分でできてしまうプログラムをわざわざ手で書く貴族趣味もそのうち生まれるか。もうあるかな。
民芸品評価批判にもつながる話で、個人的にはとても好きだし身近なものでありながら、都会生まれのために、その部分に自覚的であろうとしないと、いいものだと受け取るだけになりやすいものだと自制的に思っている。
ワグナス!! 評議会は我らの術を異端術法と決定したぞ!
梅の木が生えていない団地住まいのブルーカラー家庭が買ってきた梅で梅干し仕込むのはどう考えれば良いのか。俺も1kg500円の梅で梅シロップを大量に仕込んだけど、全然丁寧な暮らしじゃない
とはいえ家で仕込むのは味のレイヤーが好みも含めてダンチではある。味噌とか天地ほど違う
本筋とも意図ともまったく関係ないけど、塩分18%のでかくて高いのが好きな梅干し狂なので、ほんとに美味しい梅干しは梅干し専門店で買う。どでかくて皮薄くて実がたっぷりの南高梅塩漬け以外ありえない。
やはりどことなく田舎=貧乏みたいな括りを感じる
元暴れ小川の扇状地だったこの一帯のスーパーで紀州産南高梅の頒布会があるので、80年代終盤を経て一旦は都市なら地方も水準上がったんだろう。なお戦前のブルジョワはこんなことしないで茶室で鄙趣味気取ってたろう
みりんに(後略)
記事は無関係に売ってる梅干しは「梅漬け」だったり「甘い」ってのがあって、「売ってる梅」で塩っぱい梅干し作ってる。/ベーコンも本当に燻してるのはなかなか売ってない。
ネットもない昭和田舎と90年代から2000年代の都会との比較にみえる。ネット普及を起点に、インフレやインバウンド等で従来の都会らしさという記号への憧れは崩れている。余裕がある人は二拠点で差別化しているのでは
田舎は貧乏で梅漬けてるんだな。豊かだからだと思ってたわ。庭に梅の木があって梅がとれちゃって仕方ないから漬けとくかという時間もなくはないのは豊かさではないのか
必要「趣味」じゃない、単なる家事労働。父親が山菜採りしたらその始末は母親の仕事だったので、母はずっと愚痴文句言ってた(共働き)。 私も嫌々ながらたまに手伝ってた。
自由趣味と必要趣味の間もグラデーションよね。金持ちは世帯人数が多いから作った方が割安だったりも。うちのベランダバジルシソもほぼほぼ放置で育つ割に香りが段違い。趣味枠で語るより文化資本の方が納得感ある
前からこんなに社会学の話する人だっけ?
毎年律儀に実ってくれる梅を粗末にしたくない気持ちも大きいと思う。/梅干し漬けたりパンを焼いたり、編みものや刺繍をしたり、純粋な手仕事の愉しさが「丁寧」の根底にあるんじゃないかなぁ?階級論に傾きすぎでは
文化資本/「丁寧な暮らし」の最もスノッブな(鼻持ちならない)部分は、それが「素朴でお金のかからない生活」を装いながら、実際には膨大な「経済資本」と「時間資本」を前提としている点を隠蔽していること
私がしばしば主張する「個人主義ユートピア」( https://ta-nishi.hatenablog.com/entry/2023/12/23/044701 )は、まさしくここでいう「自由趣味」だけやってけばいい生活がすべての人々に開かれた社会状態のことをいっています。
田舎と都会の間がまるっきりすっぽ抜けてないか
今年は庭の梅が全くならなかった。
港区にも都営住宅は結構ありますよ。一方で成城石井はあまりないとおもう
そこそこ豊かに暮らしている上京民が実家/親族から送られてくる梅で行う梅仕事はどこに入りますか
実家も田舎だけど、近所付き合いで梅くれる人がいて、しゃーないから梅シロップ作ったりしてる、みたいな感じだったな
「梅仕事」という言葉がなんか鼻につくな。最近テレビでも流れてたけど。丁寧な暮らしは勝手にやってくれていいし、田舎での梅干し作りも勝手にやってくれていい。よかれと思っておすそ分けとかされると戸惑うかも
長年にわたり家族が裏庭にある梅の実で、塩分控えめ+酸っぱい梅干しを作ってた。しかし家族も梅の木も年老いた上に自分も忙しく、我が家の梅仕事は潰えてしまいそう/これが自由趣味か必要趣味かはわからない。
道楽や運動でやる趣味の畑仕事はマイペースにやれて楽しいけど、生計を立てるレベルになると途端に莫大な設備投資が必要になる上に運動強度も上がるからなあ。
欧州や米国の金持ちのワイナリー所有みたいな話に繋がってる世界に思う
何やねん梅仕事って。田舎者だけど、梅酒も梅干しもどうでもいいよ。趣味なんてどれも他人からすると意味ないんだよ。多分昔からそうでしょう? 梅が本題でないことはわかってる。
違うよ。ウサギ小屋で鎖自慢するための必要趣味。その必要趣味は肩肘張るために必要な俗物。孫が喜ぶから祖母が作る蜂蜜漬けは嗜好品作りで自由趣味。梅干し作りは無駄な出費を削る家事だから趣味ではない。
まあ俺の要件定義は自由趣味だしな
長々書いてるけど要は「旦那の手習い」でしょう。江戸時代の商家の旦那や隠居が芸事や芸術で無聊を慰めてたアレ。カントとかブルデューとかなんか衒学的な印象を受ける文章だ。
Brutusとかに出てくるのって世田谷区ではなく地方都市の落ち着いた家だったりするけどね。それこそ喧騒とは無縁の丁寧な暮らし。
(関係ないけど、フランスのインテリの文章ひでーな)
自分のことは自分でやる「修身」、丁寧な暮らしは人間性でのマウントの話だと思っていたのだがブルデューは日本人ではないので修身ではなく趣味、階級や格差の話になるのか。
自分で漬けた梅干しがいちばん好きだ。ふんわり感とかないけどさー。だから漬けてる。
三越とイオンと家で漬けた梅干しを食べ比べたことがあるか。私は三越のは食ったことがないが、スーパーで売ってるやつは自分で漬けたのとは別物だ。自家製の梅干しを食べるのが必要以上の卓越性なの?
ていないな暮らしを提唱する者は都会で梅仕事するようないけ好かない連中だ!ムキーッ!と、勝手に定義して勝手に憤っている奴らキモ過ぎる。気に入らないからと藁人形こしらえることに必死なキモい連中。
ディスタンクシオンを初めて読んだとき、「ああ、この人は右翼なんだな」と思った。実際はバリバリの左翼。そのぐらい抑制の聞いた精巧な分析やったんや。こういうのが学問なんやと、ずいぶんと教えられた気がした
最低賃金の1,023円でも、梅干しを自分で漬けるよりも買ってきた方が経済面で合理的だとおもうが。ただ「ていねいな暮らし」はただの趣味なのは間違いない。
ハリオのガラス容器でつけてたら丁寧な暮らし。古めかしい瓶でつけてたら田舎暮らし。ね、簡単でしょ?
趣味なのか、都会でスレきった心にふるさとを何とか繋ぎ止めるための儀式なのか。
“世田谷区や港区に住んでいるお金持ちの人にとって、6月に梅干しを漬けるのはやってもやらなくても本当は構わないことです”差別的な見解だな。幼少期からずっとやってる人もいるかもしれない。漬物だってそう
作り置きの料理を小分けにして冷凍パックするのが私の必要趣味だよ。全然やせないけど運動やめたらすぐ太るのでジムに行くのも必要趣味だよ。必要じゃない趣味…少ないな
低レイヤーな暮らし/休日にお金払って芋掘り体験するのも🍠
「ディスタンクシオン」は超面白かったが、文章が難しいというより不親切で難儀した。ブルデュー曰く「平易にすると(当時は)ナメられるから敢えて」らしく、読む際は解説本などで先に論旨を把握する方が楽かと思う。
“世田谷区に住むお金持ちがやったら卓越性ディスプレイ”世田谷の金持ちの中にはそこそこ「元農家金持ち」がいて日常の営為として梅干しつけたり筍取ったりしてる。もう少しステレオタイプの解像度上げた方が
「梅干しが必要なだけなら、イオンやまいばすけっとに行って来れば済む」これ燻製、麺、パン、果ては菓子の手作り等も該当しちゃうけど「自由趣味」でやってると全員プチブルになるの? プチブルの範囲広すぎない?
「梅仕事」という何か風流な響きの言葉はコロナ禍の頃にながら観していたNHK『やまと尼寺精進日記』という奈良・音羽山観音寺の「丁寧な暮らし」映像を流す番組で初めて知った。
たとえばバルミューダのジャンクレンジをわざわざ買ってきて修理して使うのは自由趣味なのか必要趣味なのか。そんなの考えるだけ無駄じゃねーかな。区分する「必要」がない
こういう本当にどうでもいいことを全力で書けるのがただただ人として怖い。絶対に知り合いたくないタイプの人間。
使い古してボロボロになったジーンズがあってこそ、買った時からボロボロのダメージジーンズはごっこ遊びとして意味を持つ。前者へのリスペクトなくして後者は成り立たない。
蜂蜜とか余計なものを加えていないすっぱい梅干が好きなので自分で漬けるしかない。ここ数年はキロ1000円突破してつらいのでいやいや漬けてるなら分けてほしい
忙しさで忘れがちな毎日の季節の移ろいや旬をちゃんと味わいながら生活する事が丁寧さ。忙殺され義務感で梅漬けても丁寧とは言わないし、タワマンでも田舎でも夕焼け毎日楽しめてれば丁寧。なんかズレてる。
梅仕事でこれだけの長文が書ける才能、ある意味凄い。
ていねいな暮らし = SNSに挙げるためのファッション
家計のためにやっていない事は自由趣味/今年は累計13kgの梅を梅シロップにしたがこれも自由趣味だろうな。ただ梅干しはまだしも梅シロップ/梅ジャムは入手性の意味で自分で作るしか無い
田舎でも通販でいい梅干しが買えるし、都内でも森でなってる梅をつける貧乏人もいるだろう
梅が巡り巡ってやってきて放置していたら腐るので後ろ向きな気持ちで作っている家庭がうちです
「あいつらのブコメは自由趣味、俺らのブログも必要趣味」
今時、田舎の年寄りさえ「買った方が安いし楽なんだけどなぁ」と言いながら畑作業してるぞ。
これ読んで成城石井行ったけど梅干しがなかった
高校の体育教官室のベランダで梅が干されてたなあ。あれは自由趣味だったのだろうか。塩抜きしてない梅干しを食べるには作るか、ふるさと納税しかない都民からは以上です。
消費することしかできない人たちの、自己効力感の確認。という側面はあるんじゃないかな。
たしかに、ジャムを作ってみたりしたときに「買った方が安くね?」ってなったりした。
大五郎が3ヶ月で文化酒になる梅仕事
フランス現代思想系の近代社会分析を政治問題に持ち込んでむちゃくちゃなことになったのが最近のトレンドです。我々は隣家の庭の芝生が青いことに憧れる性質を持つだけである。楽しければいいんだよ。
必要に追われてと言うより、田舎には田舎のそういう生活様式と伝統があり、金持ちでもばあさんと嫁が梅仕事をしていたりする。強いて言うなら「手間を惜しんで買うのは無精」という価値観がある。
『ていねいな暮らし』にアレルギーのある人が案外いるのだね(´-`)義務感で辛くなるのはわかるけど、楽しんでる人を腐したり貧乏の代名詞にするのは違うと思う。なお、この人がそうだとは言わない
ブルデューもフランス現代思想くくりか。まあそうだよな。
梅酒や梅シロップなんかは梅以外の材料もお金使うので大した節約にはならない。昔とは違い激安店で完成品が購入出来るのでちょっとした楽しみ位なら梅仕事するまでもない。
行為に対して、丁寧な暮らしと「ラベルをつけることそのもの」について
そうなのかもしれない。で、だからなんだよって話である。
なんか嫌らしい視点だなあ。都会の労働者階級をプチブル扱いして分断を煽ってるだけに思える。しょせんは労働者でしょうに。
季節ごとにスーパーに売ってる青山椒やラッキョウ、新生姜などの量を見ると、趣味ではなく家事として取り入れてる人は多いんだと思う。そういう人を余裕があって意識高い階級と言ってしまうのは乱暴な気も。
昔はお金持ちも乗り物に乗って移動していたのだな(Z世代) / 何気ない書き出し(しかも仮想の例示)だけで漫画のネタが生まれてしまった. お金持ち観が変容してる
いやー「梅仕事」についてここまで語ること自体にシロクマ先生の「ディスタンクシオン」を感じるな(w ちなみに我が家は取寄せた米を自家精米し土鍋で炊き、梅や生姜を漬けたり自宅で味噌作ったりしますが庶民です
「若者殺しの時代」という本では、80年代以前は都市部の家庭でも、食べ物や飲み物はあまり店で買わずに家庭内で生産されていたと書かれていました。できているお茶を金を出して買うとかありえない所業だったとも。
うーん?「ていねいな暮らし=支配階級の自由趣味」という定義付けに違和感。ていねいな暮らしは都市生活やデジタル化への反動として「生活の手触りを回復する為の実践」という感じだから、方向性が違うのでは?
ド田舎の俺んちも、代々の古い梅の木があって、梅仕事をしなきゃ(いけない)のだ。今年は裏年で開放されてほっとしている。剪定も大変だし
都会には金持ちしか、田舎には庶民しかいない感じですね。都会とは/田舎とはどこから?
梅の木は伸びる伸びる。手入れをサボれば数年で酷いことに。
時間があれば、梅仕事やらっきょう漬けや実山椒の塩漬けとかやってみたいな。あと、大葉やバジルみたいな薬味やハーブを育てる家庭菜園もやってみたい。食いしん坊だから。
都会vs田舎、金持ちvs貧乏と対立させて論じる事? たしかに一部スノッブな界隈はあるが、自分の生活と縁遠いので「好きにすれば」としか思わん。筆者はそういう界隈と近いとこにいるせいで反感が強いのかな。
SNSにあっぷしたいなら自由趣味だし、そう思わないなら必要趣味みたいな
よく分かんねえけど梅仕事ってワードは世田谷区の上流市民の間で流行ってるんすか?
卓越性の獲得、これ見よがしの浪費、以外のケースもある。財前直見的なライフスタイルへの同一化。資本主義社会の脱領土化、逃走線を引く。夫がいなくても人生楽しい…コンプレックスの抑圧に作用するケースもあるね
梅干しは安っぽい弁当に乗ってるカリカリの奴が一番好きなんだがそういう話ではなかったな
一生懸命隠してるけど、それでもうっすら滲む僻みが酷い。
半額の梅を救うのである。メンタリティは、その山の自然薯への思いと変わらない。そんなに分断しないでほしいな、あ、梅仕事してません。中国梅干し食べてるよ。安いからね。
自分「梅干し漬けたい」嫁「前のまだ残ってんだけど」というやり取りを5年以上続けてるが、全く梅干しがなくならない。
マリー・アントワネットはヴェルサイユ宮殿の一角に田舎の村を模した庭園「ル・アモー・ドゥ・ラ・レーヌ」を作り、宮廷生活の慌しさから一時逃れた。この丁寧なくらしが民衆の怒りを招いたことは言うまでもない。
面白い、自分のやりたい事は必要趣味なのかどうか考えてみよう
梅はね…送られてくるんだよ…(ヽ´ω`)/梅漬けが いいよ、干さなくて漬けるだけ。柔らかめな梅干し。水分があるので炊き込みご飯系にちょうど良い。
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いいじゃん、“こみあげてくるような怒りが感じられる瞬間”が見える記事は悪くない
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それすら「イケてるライフスタイル」というカタログからの消費活動 / どうしても他者にドヤれるかみたいな邪念がちょっと混じってしまうところに悲しみがある
梅干しを漬けたりするのは大量になる梅の実を処分するためだよ。あと家で漬ける梅干しは売られている梅干しとは基本的に別物。何も分かってない
都市や資本主義による人間性の疎外(この概念も怪しいが)に対抗するものとして丁寧な暮らし的なものがある,しかしそれも卓越性のゲームからは逃れられない,という構図かと思ってる 後者のレイヤーだけを見るのは歪では
志賀直哉の小僧の神様を思い起こさせるテキスト