“「愛は飾らない」のキャッチコピーが印象的でしたよね。今でもパッケージには華美なデザインはなくシンプルがイメージです。”
最近の白黒パッケージとも少し似ていて、余計なものを省いてる。
ちゃんとしたものがお値打ちでってのが無印だったけど今では無印よりもちゃんとした出来のメーカーブランド品のほうが質が担保できる雰囲気。スーツケースなんかデカいやつはふにゃふにゃのペラペラだし。
堤清二はむしろ反資本主義の皮で資本主義をやりたかっただけなんじゃないかなと思う。そういう意味で斎藤幸平が着るべきはマルジェラじゃなくて無印
使用価値のみ云々ではなく消費者からしたら単にアホみたいに高くないシンプル路線が欲しかっただけのように思われる
カレー屋さんじゃないの?
ブランドを打破しようとした存在がブランドとして確立していくケースはたまに見られる。
無印がブランド化してしまったって話題、今年に入ってからもう何回も見たような気がする
無印良品は商品にブランドロゴを入れないいわゆるノーブランドの草分けで20年以上のロングセラー商品多数と普遍性があるのも嬉しい。今の状況だけで優劣を判断するのはどうかなと思う
都心部で飽きられたからガンガン地方に進出してるんやで
アンチブランドとして始まった無印が、いまや一大ブランドとして記号消費されてるの皮肉
無印よりスタプロのほうがよっぽど良いもの
無印良品が苦しくなるのは無印的なるものが上にも下にも伝播してってるってことなので、むしろ望むところなのでは
80年代の「思想」なんてそれ自体が "ファッション" 的だった気はしますがね。無意味にシリアスでなかったというべきか
思想強めな家だとてきめんに合うんだよなあ
思想がつよいというより思想の結晶だから
無印なのにパクリが現れるほどブランド化するのは皮肉を感じるよね。でも主張しないシンプルデザインは好き。
初期の無印(90年代前半)については「サクサク魚肉ソーセージ」と言う商品が超絶不味かった事しか覚えてない。
無印良品の家とかまさにブランド化のイメージ。気に入ってる商品もあります。でも昔買ったサーキュレーターはファンの軸がブレてて本体が微妙に振動するぐらいのクオリティだったので得意不得意はあるなと。
最初行ったとき、透明袋に単色商品説明だけ書いて「不要なデコレーションして価格上げるな!」って思想強めな感じだったな。変な感じだったけど、今じゃそれが普通になったんだからイイことだと思うよ。
記号論やボードリヤールをちゃんと理解していたら「使用価値」や「無印」がブランドに転化することは必然だと分かるはず。最初から反資本の衣を纏った資本主義の貫徹だと思っていたが
近年の出店姿勢は反資本主義を感じるよ、資本効率考えれば無理目な地方都市にも出店してて好感がもてる
セゾン系は郊外店がダメなイメージ。無印も練馬店は潰れたが、地方行くと意外にある。でも、何か中途半端。根本的にはこういう都市部の言葉遊びが関係していると思う。
ジョブズも愛用してたそうだし(恐らく参考にもしていただろう)、シンプルかつ統一的でオサレなデザインには人間の脳をハックする何かがあるのかも
当初は西友で細々と売られていたくらいだから。対抗したのかだいぶ遅れて私鉄系スーパーが集まって八社会というのを立ち上げて、今でも各社のPBとして続いてるわな。
堤清二は日テレ会長にもなった氏家とともにバリバリの共産党員だったんだよな。
ある程度ブランド化して独立した企業になった初期(の西友の役員さんがやってた頃)と比べても、今は別次元だよね。。
反資本主義はロングセラーの売れ筋商品だからな
APCもマルジェラも似たようなものだと認識してる。
たいていの商品は、使用価値のみで売れるだろ?装飾とか、ストイックな消費という価値も、使用価値ではないですか?イメージで、言葉を破壊しないでほしいなあ。それは資本の論理そのものだと思うけど。
まあまあ高級ブランドになってるのは、違和感あるのよね。
西友の店頭に並んだ当初は、「わけあって、安い」みたいなキャッチコピーがついてた記憶。今でも文房具は安くて良い品が多いと思う。
80年代というのは“ニューアカ(ニューアカデミズム)”なんて言葉が生まれ、小難しげな思想がファッションのように消費された時代かと。一方、糸井重里が“おいしい生活”なんて西武百貨店のコピー作ったのが82年
「思想が強い」ってネガティブな文脈で使われがち?どんなプロダクトでも思想はあるし、成功したプロダクトはどれも「思想」は強いよね。
無印は「印」を無くしたメーカー型落ち品があるので家電など専門的な技術が必要な商品はあまりオススメしない。それでも印を無くしたから「全て揃えると簡単に統一感がでる」のは無印だけの強みだよね
堤清二は共産党の広告の応援メッセージの常連。資本主義の権化だった親父からの反動である。宮中歌会の召人でもある。貴族左派。無印は「品質的にも価格的にもエコロジー的にも無難なもの」という安心感の記号
言葉に釣られ、0か1かで、現在のみを見てるとこういう誤解に陥る。1980年当時の「ブランド」と、現在の「ブランド」はまったく文脈として異なる。無印は大して変わらず、客や競合他社が変わり無印に寄っただけでは。
無印って昔は質が良かったけど最近は質が下がってる気がする
ブランド化は自覚的にやってるように見えるけどなぁ
「使用価値」ユニクロも当初はフリースやエアリズム等でそんな感じだった。あらゆる経済行為は資本主義に飲み込まれていくのだよ。
系列からは離れたファミマが似たようなことしてうまくいってるのも面白い。
スパークリングジュースは粉末が沈殿してる。
記号消費や結局は巡って記号消費になる反・記号消費が思想だとすると、いまどき流行りの「コスパ」や「タイパ」も思想。自分の中で当たり前になって意識していないだけ。とにかく気に入ったものを買えばいいよ。
“しかし皮肉なことにそれ自体がブランド化してしまった” でも、今は違う(ギュってこと?
マルジェラも同じ
今の無印のブランド価値とか商品の出来やコスパはともかく、「それなら無印にある」を一手に引き受けてくれるのは無印で買わない人にとってもいいことだと思う。
子供の頃、文通に使うレターセットが頻繁にはお小遣いで買えず。無印は質素でおしゃれなのに安価で、無駄を省いたとのアピールは安物だから使ってるのではないという自尊心を心地よく煽ってくれて、愛用してた。
無印良品がはじまった1980年12月ってダイエーの「セービング」もはじまったんだよね。片や親から独立して発展し、かたや早々に消えやがて親も滅びるという対照的な結果に
ヴェルサーチの対極って感じだったけどこれも恋愛のアナロジーだけどな。交換価値を考えるほうが卑怯だけど。
この枠は100円ショップが担っている。 しかしそれですら価値付けしようとしているが。まあスリコはすっかりブランド化したしね。
“無印は良品だと思ってたが、得意分野は家具であって衣類は苦手だとか。80年代後半から90年代の半ばでは西友でも取り扱ってました。”
昔、妻が無印を「西友のPB」と呼んでいて、いい人と結婚したなと思った。
"昔はそれで結構割高だったから一方でめっちゃ資本主義的でもあった""結局幅広くやってるけどどれも微妙、しかも地味になんでも高い"わしもこんなイメージ。カレーはうまい。
でもまだ無印は維持してる方だとは思うけど…どうなんだろ
ブランド?って小市民にとっての、言い換えれは田舎者やコガネ持ちOLにとってのブランドで、外商使って買い物してるような人達のブランドとは別物。単に空虚を埋める為のもので、前世紀には意味もあったけど何を今更
つつみんはガチの元共産党
ワークマンもそんな感じ。無印のブランド化は100円ショップの台頭も影響してそう。
30年前から言われてるね
無印商品を買いだすと、全部それで揃えたくなるのがすごい気がする。統一感が出て、なんかおしゃれになる。ボックスの大きさとかも同じなのかな、ピシッとそろう
「レス・イズ・モア」バウハウスが通った道。無印良品か登場した1980年代当時ミース・ファン・デル・ローエはすでにブランド化してた(って考えると100均はまったくバウハウス的ではない)
いやいやなに美化してんの。1号店は青山で細野晴臣の音楽が流れるオサレな店だぞ。田中康夫が当初から揶揄してた。
立ち上げ当時は田中一光を筆頭に日暮真三、麹谷宏、小池一子、杉本貴志といったドリームチームが組まれたんで、自然とブランド化されてしまったんじゃないかと思う
自分がたまたま知ってる昔のことを書くときに「お前らは知らないだろうけど俺様は知ってるから教えてやる」というスタンスで書くとみっともないことが分かったので気を付けようとおもいました
昔から無印はブランド化してましたよ。商品にブランドロゴが入っていないという意味で「無印」。1980〜90年代はハイブランドのブランドロゴを見せびらかす時代でした。
よく知らないけど何かのタイミングで堤さんすごいと思った/思想が強いってどういう意味で使ってるのか。あなたはそんなに思想がないのか
凡庸は嫌だとかいって、ユニクロと無印は使わない病気にかかってる。ウイグルの件で強化されてしまった。
いうてPARCOを抱えるセゾン・グループの事業だったわけで。コマーシャリズムと無縁なわけもないよね。
無印の2年前にダイエーが「ノーブランド」という名でPB展開をはじめて、西友の無印は「ノーブランドを和訳しただけじゃん」と当時思っていた
別に皮肉じゃなくてアイデンティティより金に転んだってだけでしょ。自分自身でそれを選んでるというか。特別悪いとも言ってなくて、だってみんなそうじゃん。
最初からブランドっぽくないブランドってイメージだったように思うけどな
これ皮肉じゃなくて、最初は確かにそのつもりだったけどある時、それも結構初期の段階で「無印良品」が強力なブランドとして認知されてることに気づいて方針転換したんだよ。
無印良品みたいな生活 は今のところ無印良品でしか実現は難しいのでは。家具、服、化粧品、カレーまで揃っている。そんな素敵な生活を提案してくれる企業が他にあるか?いや、ない。
売るほど利益が出るのだから、需要人口が有れば出店するし、商品開発等全体にかかる費用もtotalの需要人口規模でリクープできるか決めるので、過密地人口だけでは商品開発規模も半分になる
最初からそういうブランドというイメージなのだが
とはいえ、まだ薄いノートとか手軽に使い捨てられる文具とか作ってくれてるからありがたいけどね
四半世紀前に東京に出てきたころ、西友に店舗が入っていることが多く、プライベートブランドだと思っていた
そもそもの意図はともかく、大衆消費社会/記号消費の威力を見せつけられた件ではあるな。送り手の意図などではなく、買い手こそがそこに記号的価値を定義し、それを消費している。
消費者はわがままだなぁ...ど田舎にまで出店してくれて万歳だよ。80年代の醜悪なブランド消費とは似て非なるもの。皮肉でもなんでもない。
OEMのメーカーにいた。30年前には既に無印良品のシール付けただけでホームセンターの倍の値段で同じ商品売っていた。
元々そういうブランドとして見てる。デザインも統一性あるし。だからロゴが入ってなくても無印ばかりだと目にうるさいんだよね。
80年代と言えば浅田彰、中沢新一を筆頭にニューアカデミズムが浮かんできたね〜。
ボードリヤール「消費社会の神話と構造」
「思想つよかった」って、そりゃ、デザインは思想だろう。「思想よわい」と何の表現もできないじゃん。
ミニマリストとかノームコアとかクワイエットラグジュアリーみたいなファッションのトレンドが近づいたり遠のいたりするたびに再評価もされている印象
ブランドを否定することである種の人達に嫌われるという流れがブランド化してるというのが面白い。そしてブランドが否定されることに不快感を感じるのは寄って立つところの安心感を得られないことなのであろう
満薗 勇 消費者と日本経済の歴史-高度成長から社会運動、推し活ブームまで (中公新書 2815)
無印は「やらないこと」を徹底した世界観で成功したのだと思う。
当時、100均的、PB安い商品にしました的なニュアンスだった
田舎に住んでいたので、「無印良品」というブランドとは知らず、ノーブランドの代名詞なのかと思っていたなあ。あと、無駄が省かれていて安い、という印象はないな。スーパーのPBに比べたら(悪くはなくても)高い。
30年近く前の中学生の頃にそれを思った自分って天才なのかもってちょっと思ったってぐらい、皆思うことでは?
ブランドって、品質とかアフターサービスとか、そういう定量的に評価し得ないものを担保するための記号であって、無価値なものに価値を生み出す魔法の杖ではないと思うんだけどね。
北欧みたいな空気じゃなくて、ソビエト感出していたら売れなかっただろうな。やってることは共産主義の工場で作ったみたいな感じだよね。
実際、パステルカラーの日用品や文具があふれ返ってた1980年代中期、ちょっと背伸びした10代にとっては、白・黒・ベージュで無地が基本のシンプルさがむしろオシャレで大人っぽいというイメージは強かった
「無印がブランド化してしまったって話題、今年に入ってからもう何回も見たような気がする」20年近く前から繰り返しライターさんが雑誌などで記事の「枕」に書いているのでことさら新しい情報ではありませんね
安いけど品質もそこそこで、みたいな感じだったのに今は品質はそこそこのまま高くなってしまったイメージ。
シンプルでいることは派手にアピって手に取ってもらう機会を捨ててるわけなので高コスト。だからこそ無印とかのブランド性がないと成立できない
「わけあって安い」というコピーへの「べつにそんな安くはないよな…」というツッコミは当時からあったような
ムジリヤンは金に糸目をつけない
無印良品は1980年、西武百貨店の堤清二が「反『資本』の論理」として使用価値のみで売れる商品を作ろうと誕生させた…しかし皮肉なことにそれ自体がブランド化してしまった
“「愛は飾らない」のキャッチコピーが印象的でしたよね。今でもパッケージには華美なデザインはなくシンプルがイメージです。”
最近の白黒パッケージとも少し似ていて、余計なものを省いてる。
ちゃんとしたものがお値打ちでってのが無印だったけど今では無印よりもちゃんとした出来のメーカーブランド品のほうが質が担保できる雰囲気。スーツケースなんかデカいやつはふにゃふにゃのペラペラだし。
堤清二はむしろ反資本主義の皮で資本主義をやりたかっただけなんじゃないかなと思う。そういう意味で斎藤幸平が着るべきはマルジェラじゃなくて無印
使用価値のみ云々ではなく消費者からしたら単にアホみたいに高くないシンプル路線が欲しかっただけのように思われる
カレー屋さんじゃないの?
ブランドを打破しようとした存在がブランドとして確立していくケースはたまに見られる。
無印がブランド化してしまったって話題、今年に入ってからもう何回も見たような気がする
無印良品は商品にブランドロゴを入れないいわゆるノーブランドの草分けで20年以上のロングセラー商品多数と普遍性があるのも嬉しい。今の状況だけで優劣を判断するのはどうかなと思う
都心部で飽きられたからガンガン地方に進出してるんやで
アンチブランドとして始まった無印が、いまや一大ブランドとして記号消費されてるの皮肉
無印よりスタプロのほうがよっぽど良いもの
無印良品が苦しくなるのは無印的なるものが上にも下にも伝播してってるってことなので、むしろ望むところなのでは
80年代の「思想」なんてそれ自体が "ファッション" 的だった気はしますがね。無意味にシリアスでなかったというべきか
思想強めな家だとてきめんに合うんだよなあ
思想がつよいというより思想の結晶だから
無印なのにパクリが現れるほどブランド化するのは皮肉を感じるよね。でも主張しないシンプルデザインは好き。
初期の無印(90年代前半)については「サクサク魚肉ソーセージ」と言う商品が超絶不味かった事しか覚えてない。
無印良品の家とかまさにブランド化のイメージ。気に入ってる商品もあります。でも昔買ったサーキュレーターはファンの軸がブレてて本体が微妙に振動するぐらいのクオリティだったので得意不得意はあるなと。
最初行ったとき、透明袋に単色商品説明だけ書いて「不要なデコレーションして価格上げるな!」って思想強めな感じだったな。変な感じだったけど、今じゃそれが普通になったんだからイイことだと思うよ。
記号論やボードリヤールをちゃんと理解していたら「使用価値」や「無印」がブランドに転化することは必然だと分かるはず。最初から反資本の衣を纏った資本主義の貫徹だと思っていたが
近年の出店姿勢は反資本主義を感じるよ、資本効率考えれば無理目な地方都市にも出店してて好感がもてる
セゾン系は郊外店がダメなイメージ。無印も練馬店は潰れたが、地方行くと意外にある。でも、何か中途半端。根本的にはこういう都市部の言葉遊びが関係していると思う。
ジョブズも愛用してたそうだし(恐らく参考にもしていただろう)、シンプルかつ統一的でオサレなデザインには人間の脳をハックする何かがあるのかも
当初は西友で細々と売られていたくらいだから。対抗したのかだいぶ遅れて私鉄系スーパーが集まって八社会というのを立ち上げて、今でも各社のPBとして続いてるわな。
堤清二は日テレ会長にもなった氏家とともにバリバリの共産党員だったんだよな。
ある程度ブランド化して独立した企業になった初期(の西友の役員さんがやってた頃)と比べても、今は別次元だよね。。
反資本主義はロングセラーの売れ筋商品だからな
APCもマルジェラも似たようなものだと認識してる。
たいていの商品は、使用価値のみで売れるだろ?装飾とか、ストイックな消費という価値も、使用価値ではないですか?イメージで、言葉を破壊しないでほしいなあ。それは資本の論理そのものだと思うけど。
まあまあ高級ブランドになってるのは、違和感あるのよね。
西友の店頭に並んだ当初は、「わけあって、安い」みたいなキャッチコピーがついてた記憶。今でも文房具は安くて良い品が多いと思う。
80年代というのは“ニューアカ(ニューアカデミズム)”なんて言葉が生まれ、小難しげな思想がファッションのように消費された時代かと。一方、糸井重里が“おいしい生活”なんて西武百貨店のコピー作ったのが82年
「思想が強い」ってネガティブな文脈で使われがち?どんなプロダクトでも思想はあるし、成功したプロダクトはどれも「思想」は強いよね。
無印は「印」を無くしたメーカー型落ち品があるので家電など専門的な技術が必要な商品はあまりオススメしない。それでも印を無くしたから「全て揃えると簡単に統一感がでる」のは無印だけの強みだよね
堤清二は共産党の広告の応援メッセージの常連。資本主義の権化だった親父からの反動である。宮中歌会の召人でもある。貴族左派。無印は「品質的にも価格的にもエコロジー的にも無難なもの」という安心感の記号
言葉に釣られ、0か1かで、現在のみを見てるとこういう誤解に陥る。1980年当時の「ブランド」と、現在の「ブランド」はまったく文脈として異なる。無印は大して変わらず、客や競合他社が変わり無印に寄っただけでは。
無印って昔は質が良かったけど最近は質が下がってる気がする
ブランド化は自覚的にやってるように見えるけどなぁ
「使用価値」ユニクロも当初はフリースやエアリズム等でそんな感じだった。あらゆる経済行為は資本主義に飲み込まれていくのだよ。
系列からは離れたファミマが似たようなことしてうまくいってるのも面白い。
スパークリングジュースは粉末が沈殿してる。
記号消費や結局は巡って記号消費になる反・記号消費が思想だとすると、いまどき流行りの「コスパ」や「タイパ」も思想。自分の中で当たり前になって意識していないだけ。とにかく気に入ったものを買えばいいよ。
“しかし皮肉なことにそれ自体がブランド化してしまった” でも、今は違う(ギュってこと?
マルジェラも同じ
今の無印のブランド価値とか商品の出来やコスパはともかく、「それなら無印にある」を一手に引き受けてくれるのは無印で買わない人にとってもいいことだと思う。
子供の頃、文通に使うレターセットが頻繁にはお小遣いで買えず。無印は質素でおしゃれなのに安価で、無駄を省いたとのアピールは安物だから使ってるのではないという自尊心を心地よく煽ってくれて、愛用してた。
無印良品がはじまった1980年12月ってダイエーの「セービング」もはじまったんだよね。片や親から独立して発展し、かたや早々に消えやがて親も滅びるという対照的な結果に
ヴェルサーチの対極って感じだったけどこれも恋愛のアナロジーだけどな。交換価値を考えるほうが卑怯だけど。
この枠は100円ショップが担っている。 しかしそれですら価値付けしようとしているが。まあスリコはすっかりブランド化したしね。
“無印は良品だと思ってたが、得意分野は家具であって衣類は苦手だとか。80年代後半から90年代の半ばでは西友でも取り扱ってました。”
昔、妻が無印を「西友のPB」と呼んでいて、いい人と結婚したなと思った。
"昔はそれで結構割高だったから一方でめっちゃ資本主義的でもあった""結局幅広くやってるけどどれも微妙、しかも地味になんでも高い"わしもこんなイメージ。カレーはうまい。
でもまだ無印は維持してる方だとは思うけど…どうなんだろ
ブランド?って小市民にとっての、言い換えれは田舎者やコガネ持ちOLにとってのブランドで、外商使って買い物してるような人達のブランドとは別物。単に空虚を埋める為のもので、前世紀には意味もあったけど何を今更
つつみんはガチの元共産党
ワークマンもそんな感じ。無印のブランド化は100円ショップの台頭も影響してそう。
30年前から言われてるね
無印商品を買いだすと、全部それで揃えたくなるのがすごい気がする。統一感が出て、なんかおしゃれになる。ボックスの大きさとかも同じなのかな、ピシッとそろう
「レス・イズ・モア」バウハウスが通った道。無印良品か登場した1980年代当時ミース・ファン・デル・ローエはすでにブランド化してた(って考えると100均はまったくバウハウス的ではない)
いやいやなに美化してんの。1号店は青山で細野晴臣の音楽が流れるオサレな店だぞ。田中康夫が当初から揶揄してた。
立ち上げ当時は田中一光を筆頭に日暮真三、麹谷宏、小池一子、杉本貴志といったドリームチームが組まれたんで、自然とブランド化されてしまったんじゃないかと思う
自分がたまたま知ってる昔のことを書くときに「お前らは知らないだろうけど俺様は知ってるから教えてやる」というスタンスで書くとみっともないことが分かったので気を付けようとおもいました
昔から無印はブランド化してましたよ。商品にブランドロゴが入っていないという意味で「無印」。1980〜90年代はハイブランドのブランドロゴを見せびらかす時代でした。
よく知らないけど何かのタイミングで堤さんすごいと思った/思想が強いってどういう意味で使ってるのか。あなたはそんなに思想がないのか
凡庸は嫌だとかいって、ユニクロと無印は使わない病気にかかってる。ウイグルの件で強化されてしまった。
いうてPARCOを抱えるセゾン・グループの事業だったわけで。コマーシャリズムと無縁なわけもないよね。
無印の2年前にダイエーが「ノーブランド」という名でPB展開をはじめて、西友の無印は「ノーブランドを和訳しただけじゃん」と当時思っていた
別に皮肉じゃなくてアイデンティティより金に転んだってだけでしょ。自分自身でそれを選んでるというか。特別悪いとも言ってなくて、だってみんなそうじゃん。
最初からブランドっぽくないブランドってイメージだったように思うけどな
これ皮肉じゃなくて、最初は確かにそのつもりだったけどある時、それも結構初期の段階で「無印良品」が強力なブランドとして認知されてることに気づいて方針転換したんだよ。
無印良品みたいな生活 は今のところ無印良品でしか実現は難しいのでは。家具、服、化粧品、カレーまで揃っている。そんな素敵な生活を提案してくれる企業が他にあるか?いや、ない。
売るほど利益が出るのだから、需要人口が有れば出店するし、商品開発等全体にかかる費用もtotalの需要人口規模でリクープできるか決めるので、過密地人口だけでは商品開発規模も半分になる
最初からそういうブランドというイメージなのだが
とはいえ、まだ薄いノートとか手軽に使い捨てられる文具とか作ってくれてるからありがたいけどね
四半世紀前に東京に出てきたころ、西友に店舗が入っていることが多く、プライベートブランドだと思っていた
そもそもの意図はともかく、大衆消費社会/記号消費の威力を見せつけられた件ではあるな。送り手の意図などではなく、買い手こそがそこに記号的価値を定義し、それを消費している。
消費者はわがままだなぁ...ど田舎にまで出店してくれて万歳だよ。80年代の醜悪なブランド消費とは似て非なるもの。皮肉でもなんでもない。
OEMのメーカーにいた。30年前には既に無印良品のシール付けただけでホームセンターの倍の値段で同じ商品売っていた。
元々そういうブランドとして見てる。デザインも統一性あるし。だからロゴが入ってなくても無印ばかりだと目にうるさいんだよね。
80年代と言えば浅田彰、中沢新一を筆頭にニューアカデミズムが浮かんできたね〜。
ボードリヤール「消費社会の神話と構造」
「思想つよかった」って、そりゃ、デザインは思想だろう。「思想よわい」と何の表現もできないじゃん。
ミニマリストとかノームコアとかクワイエットラグジュアリーみたいなファッションのトレンドが近づいたり遠のいたりするたびに再評価もされている印象
ブランドを否定することである種の人達に嫌われるという流れがブランド化してるというのが面白い。そしてブランドが否定されることに不快感を感じるのは寄って立つところの安心感を得られないことなのであろう
満薗 勇 消費者と日本経済の歴史-高度成長から社会運動、推し活ブームまで (中公新書 2815)
無印は「やらないこと」を徹底した世界観で成功したのだと思う。
当時、100均的、PB安い商品にしました的なニュアンスだった
田舎に住んでいたので、「無印良品」というブランドとは知らず、ノーブランドの代名詞なのかと思っていたなあ。あと、無駄が省かれていて安い、という印象はないな。スーパーのPBに比べたら(悪くはなくても)高い。
30年近く前の中学生の頃にそれを思った自分って天才なのかもってちょっと思ったってぐらい、皆思うことでは?
ブランドって、品質とかアフターサービスとか、そういう定量的に評価し得ないものを担保するための記号であって、無価値なものに価値を生み出す魔法の杖ではないと思うんだけどね。
北欧みたいな空気じゃなくて、ソビエト感出していたら売れなかっただろうな。やってることは共産主義の工場で作ったみたいな感じだよね。
実際、パステルカラーの日用品や文具があふれ返ってた1980年代中期、ちょっと背伸びした10代にとっては、白・黒・ベージュで無地が基本のシンプルさがむしろオシャレで大人っぽいというイメージは強かった
「無印がブランド化してしまったって話題、今年に入ってからもう何回も見たような気がする」20年近く前から繰り返しライターさんが雑誌などで記事の「枕」に書いているのでことさら新しい情報ではありませんね
安いけど品質もそこそこで、みたいな感じだったのに今は品質はそこそこのまま高くなってしまったイメージ。
シンプルでいることは派手にアピって手に取ってもらう機会を捨ててるわけなので高コスト。だからこそ無印とかのブランド性がないと成立できない
「わけあって安い」というコピーへの「べつにそんな安くはないよな…」というツッコミは当時からあったような
ムジリヤンは金に糸目をつけない