それを「無」宗教とくくってよいかという話なのであって。
増田と同等の敬虔さがないと信仰があるとは認めない、としてしまうと、アメリカ人とか相当数が「無宗教」になっちゃうのでは。普段は忘れているが内心うっすら超越的な存在に畏敬の念がある、程度の人が多いのでは。
アメリカの福音派もプロテスタントのよう。意外だったけど聖書のみをよりどころにするプロテスタント方が原理主義的な会派が多いらしい。
何らかの宗教的行為に参加したからといって、その宗教を信仰したことにはならないし、日本人のほとんどは無宗教だよ。この増田が初詣に行ったらその瞬間に神道に帰依したことになるのか?
特定の宗教を信仰している、していないが無宗教になるのか?先祖にお墓参りをする、寺社仏閣の建築物を傷つけることを不敬と感じる、立派な信仰心だよ。聖書やコーランを踏めと言われたら抵抗感を感じるでしょ
日本でのクリスマスは商業的イベントという側面が強いけど、葬式と初詣は宗教だと思う。キリスト教の信仰とは違うけど。
宗教というよりも宗教の儀式に参加しているだけだからね。お天道様が見ている的な価値観は宗教的だけど、高校生時分で闇バイト強盗をする連中を思うとそれも廃れてきたかなとも。
宗教をこう言うことであると定義とするなら、日本のベース宗教は神道……多神教の自然崇拝じゃないかなあ
特定の宗教を信仰してはいけないという宗教を信仰する者は「貼紙禁止」と書かれた貼紙のようなもの
「土葬なんて、とんでもない!」というのも逆に宗教の一種と捉えないと、これまで日本にあった土葬の文化を、異教徒排斥の為だけに全面否定する人々を理解するのは難しい。新興カルト『the great replacement conspiracy theory』
信仰ではないね。宗教が元だった習慣、イベント程度の話だよ。だからクリスマスにイエスがでてくることはない
人それぞれやん。「日本人は」という話を議論する意味がないのよ。ベトナムが世界で一番無信仰が多く、80%超えなので参考に聞いてみたら?お寺に参拝したり、日本の習慣と割と似てます。
日本人は基本的にはアニミズム的なもんでしょ。クリスマスや初詣はイベント、葬式は儀礼的なもの。今はどうか知らんけど、仏教の教えだからダメとかじゃなく、ご飯を残すとお化けが出るぞみたいな方が多い
そもそも単に無宗教と言ってたけど、そういうイベントが宗教イベントだと言い出す人がでてきて、カウンターとして節操ないから無宗教、って落ち着いた印象。
クリスマスや初詣はイベントだな。バレンタインや花火大会と同格。葬式は区切りをつけるための手続かな。結婚式も手続だったけどこっちは省略する人も増えたね。
戦後の政教分離で宗教に対する印象が良くないので無宗教という人が増えただけで、実態はゆるやかな宗教観やスタイルがある。神仏習合含めて古来からベースは変わってないと思う
日本人は無宗教=クリスマス(およびバレンタインデー)含む 日本人は無宗教ではない=クリスマス含まず
最高裁の判例では「宗教とは超自然的・超人間的なものの存在を信じ、それを崇敬する心情に基づき、その存在との関係において人間の生活の諸問題を解決しようとする精神的活動であり教義・儀式・施設などを伴うもの」
信条=宗教なら、「ご飯は残さない」「他人に迷惑をかけない」「戦争だめ」みたいな日本人の常識の方が宗教なのか?
個人的にはむしろ信仰がないので神社では祈れないし初詣もいかない。仏陀の思想には関心をもつが葬式は茶番と思う。日本人の大半にとって神道や仏教は信仰以前の文化レベルで浸透しててそれに無自覚なだけだと思う
俺は信仰がないから神にも祈るし仏にも祈る。複数祈っても害なんて無いと思ってるからな。
いただきますは間違いなく宗教行為だと思う
人間にはどうすることもできない事象を飲み込むための「棚」。一神教の棚は丈夫で安心だけどとても狭くて大変。日本人の棚はよく壊れるけどあっちこっちに有るから騙し騙し使える
そもそも宗教という概念は明治政府が西洋の文化的な影響を押さえ込むために「宗教より上位の伝統的価値観」とした国家神道とセットで作り、「宗教ってのは排他的な強い信仰を持つ集団」と定義したんだよ定期。
どこのでもいいけどお守りとかお札とか持ったことない、踏みにじっても落書きしても何も思わない、なら無宗教でいいんじゃないかな。宗教によって信仰の形は様々なのだから増田の了見はかなり狭いとは思うけど。
増田が自覚的にキリスト教に入信した日本人だからそう感じているだけで。世界のほとんどの人は生まれつき自分の宗教が決まっていて、自分自身でそれをどうこうすることはないし、信仰心も関係ない
初詣は、年神にご利益を願っているわけで。葬式は、死者の成仏や安眠を願うわけで。もっとも、「お天道様が見てる」とか、「地獄に落ちるぞ」みたいなのはありますね。
信仰の強さと同様無宗教にも程度があるってだけなのに。自身と違う人間の存在に耐えられないザコの戯言よ/墓も聖書もコーランも踏めるが、それを大切にしてる人への配慮としてやらんだけ
『信仰』以外でも「ノンポリも1つの政治的態度」とかこういう言説全般好かんな、俺は。理屈としてはまあ成立しなくもないけど、そういう話してんじゃないんだよな〜〜っ! ってなる。
私は自分教であり、その中には既存の宗教科学哲学を分け隔てなくいいとこ取りするという考え方があるので初詣にも行くしハロウィンも楽しむしハラールに舌鼓をうつ。
大多数の日本人にとって宗教的行為は現世利益(不利益がこないことを含む)祈願なんで、それは他の文化の人から見て宗教の範疇に入るのかという疑問はある。
日本人の宗教観はこうである、と言う議論より日本人は無宗教である/ではない、とゼロイチで断定するような議論が好きな人はいて大体互いの定義で揉める/似たような例で理系文系論争する人のような安直な世界観だなと
信仰中心(一神教的)か慣習的・実践的(それ以外)かの違いでは。一神教的な考えだと日本人は無宗教だし、もう少し広く捉えれば無宗教ではない。
大体の人はネットで聞き齧ったそれっぽい言説を知ったかぶりしたいだけで何も考えてないですよ
アブラハムの宗教の人って強火過ぎて自分の宗派のあり方以外はそもそも宗教と認めないところがあるよな、という思いを強くした。一神教だから当然と言えば当然だが。
仏式の葬式は出すしお盆に墓参りするしn回忌には参加するし仏教徒だと思う。初詣でお札買うけど仏教では禁止されてないよね
無宗教(≒無神論?)もかなり強い意思のある考え方であって、おれ含めて多くの日本人がそこまで考え抜いている唯物論者かというと、そうでもないような気はする。信仰の形も色も濃さも色々だ、と、自分は思う
『これが私にとっての信仰のイメージなのだ』 そうそう増田、そこが考え始めて広げていく良いポイントなのでは。そこから進めてないなら今は材料不足ということだから、知るのが楽しいのでは。
自分を見つめるなんらかの大きなものの存在を認めていればそれが信仰じゃないかな
修行によって救われる仏教じゃ一般人の生活は成り立たないよ。だから増田のいうレベルの信仰にはならない。お経に生活に役立つ知恵とかあんまりないと思う。
イキってるやつが言いがちよな
欧米の無宗教ってキリスト教の一種で「反キリスト教徒」だから。日本はそういう無宗教ではない。
阪神タイガースは信仰
一神教の連中は「明文化された戒律があること」「文字化された教典があること」この2つがないと宗教とは認めない。だから神道では宗教と認められない。彼らの言う無宗教とはイコール「一神教信者では無い」だ。
うるせーっ 寺の坊主もクリスマス祝ってケーキ喰らう時代だ バカヤロー
自分は前から勝手に「深い宗教」「浅い宗教」は分けていて、後者は「風習」と交換可能と思っています。前者は「それが無いと人生を否定されるもの」で、「宗教は怖い」等の言説は前者のみに使うものという感覚。
本邦に於いては、宗教とは葬式をどのように執り行うかだけでよいと思ってる。あとは人様に迷惑かけない程度に好きに生きろ。
ヘイッガチクリだよW 信仰ってのは、エビデンスや証拠なしに、提示された主張を事実として受け入れることです。死んだキリストが復活したと信じるならば、それが信仰です。罪の自覚度とか善行とか関係ない。
無宗教や無信仰を公言する人の言動に対して「それも広義では……」みたいに言う人が面倒くさいんだよね
本気で知りたいなら、仏教の近代化を調べたらいいよ
お前はそれでいいや
「どちらにしようかな 天の神様の言うとおり」って言ってるときの神様って誰なんだろ(関係ないコメント)
申し訳ないけど突き詰めたら内輪以外は人間で無いという考えにストレートインしそうと思いました
自分自身や親族の葬式など不要と言い切れれば無宗教と言えるとは思う
無信仰とは実証・主知主義であらゆる決断を証拠と期待値計算で下す経済人だ。それは無理ゲーなので、人類は根源的な精神活動として不確実な世界で別の何かを基盤に生きてる。それが信仰で、集団的な信仰が宗教かな~
日本人一般はほぼ無宗教といっていい。普段数々の宗教系イベントに参加していながら、不参加に対して何も後ろめたい気持ちがないのならそれは「無」。ほぼ仏式の葬祭だけは例外な人は多いので、しいて言うなら仏教徒
私はあなたの信仰のあり方についてあれこれ言うつもりはないので、あなたも私の信仰のあり方についてあれこれ言わないでほしい。
でも日本人は漠然と神仏の存在を信じてる/畏れてる人が多いよね。親の葬式に僧侶を呼ばなかったり、古びたお守りをゴミ箱に捨てたりするのを嫌がる人が多い。バチが当たるぞと怒る人も。素朴な信仰の一種。
「マジで!?私も超オタクだよ!?ワンピースとか全巻持ってるし超好き!!」/どちらかというと推し活と宗教の境界線は…?塚ヲタとか虎キチとかは信仰ではないん?
宗教の影響を受けていれば無宗教ではないって屁理屈でしかないからな。「みんなキリスト教の影響を受けてるからキリスト教な」っていうくらい雑な屁理屈。
日本は無宗教じゃなくて多神教定期
日本人のクリスマスとかパーティーする口実でしかないので原罪について理解してる人もキリストに対して原罪を贖ってくれたことについて感謝してる人もほとんどいないと思う。年末に騒ぐ機会をありがとう程度では
それはいかにも創唱宗教っぽい考えなので、宗教の一派でしかない。多くの日本人の考えは自然宗教で多神教かつ現世利益がベースなのでそうではない。また日本の神は禍をもたらすことがあり、怒りを静める必要がある
日本人は何事に対しても無自覚。宗教に関しては神秘主義的信仰と勝手に呼んで批判してる。
実家の仏壇の位牌を「木だから燃えるゴミでいいか」とゴトっと捨てられるか、みたいな気はしないでもない。
挙げられたのは季節イベントだから言いたいことはわかいでもないが、神と仏があってだな…神棚拝んだり仏壇を拝んだり…特定の宗教観で他の宗教を語るのは危険そうだなと…
狂ってんなと思う人は、無宗教でよいかね? “自分の罪を自覚し、それを贖ってくれたキリストを受け容れることだ。それに伴い、聖書に書かれた道徳に従った生活を送る”
信仰はしてないのと神等が居るかどうかも知らんと言うようなスタンス。イベント類はなんか知らんけどそういう祭りがやってるからやろうぜと言う感じ。
初詣もクリスマスも葬式も全部祭りだと思えば日本人は祭り好きだよねで終わる話である
エイス、な無宗教ではないがほぼ無宗教、薄いアニミズムで無信仰ではない、くらいじゃないのかな
日本人は本質的に神の存在を信じていないんだけど、そこに神や祖先がいる、というロールプレイをする事で善良であろうとする心と調和を得る無明の民なんだよ、たぶんね。天国はあったらラッキーな宝くじ感覚
これだから一神教はいやなんだ
信仰・宗教とは何かて、一神教的な考えだけだとカバーし切れないんじゃないかな/祖霊信仰や精霊信仰的なもの、儒教的なものとか色々根付いているよね
クリスマスも初詣も葬式もしても堂々と無宗教と言っていい。無宗教ではないといっている人はなにも考えていないだけ。
宗教はみんな詐欺師の飯のタネで心の拠り所にしてんのアホだなーと思ってるし初詣やクリスマスの商業イベントもクソだと思ってるけど人間に擬態しているからそんなことは言わずにお賽銭も投げるしケーキも食べる。
その行事をやってたら信仰だってのは宗教とか信仰とかの話をする人にとってその方が語る対象が広がって話が盛り上がるという都合だけの特に意味のない定義だと思ってる
日本人と言っても色々だよ。クリスマス・初詣・葬式はイベントとして消費するけど別に本気で無くなっても良いと思ってるのでたぶん信仰は無い。でも親世代は葬式無しとか耐えられないだろうな。
厳密な教義への信仰心がないのは多神教ならではのユルフワな精神性なんだろうね。にしても10年前の増田か。11月にはトランプが勝つんだぞ。
日本は多神教というよりもアニミズム(自然崇拝、精霊信仰)に近いので、一神教の感覚で宗教か否か、を語れば、そりゃ無宗教になる。
唯一神を信仰する方にとって、神は絶対の法であったり、服従するもの、という感覚かなと思います。日本人にとって、神は無数に在り、用事のある時にこちらから参り、伺うものという感覚かも知れません。
増田は正にキリスト教の罪の文化からくる宗教観を持っている人なので、その基準で照らしてしまうと日本の八百万の神々やあらゆるものへの信仰はいまいちよくわからなくて当然かと。
たとえば外国人旅行者が日本の祭りに参加しても「入信した」とは言わない。同様に日本人の自分も入信したつもりはない。宗教由来の行事であることと、参加者が無宗教であることは矛盾なく両立する。
お守りを踏んだりぞんざいに扱えないならそれは無宗教ではないのだが、特定宗教を支持しないのと、無宗教は違うということを分かってない人は多い
八百万の神々がいるからな。てか特定の宗教に全てを捧げてる民族が怖すぎるんだよ。だからあんな戦争も起きるし崩壊する。本当に平和を願うなら多様性という名の日本のように受け入れるべき。
「日本人」で括るなら国際的な言葉で議論をするべきで、そうなると「無宗教」と「無神論」は指すものが違う。特定の信仰は無いが寺社に抵抗が無い人は「無宗教」、寺社に立ち入らず破却すべきと思う人は「無神論」。
信じるってのも難しい話で、「天罰が下るぞ!」って言ってる奴も本当に天罰が100%完全絶対超絶不可避運命確定レベルで天罰が下るとは思ってないだろうし、でも1%くらいは下るかもと思ってるのは、何?ってね。
一神教を信仰する人が日本で敬遠される理由が詰まった増田。何でもかんでも神のせい|おかげにするのは、「いただきます」の精神とは相容れない。誰も見ていなくても白飯を踏みつけられないのは信仰だと思う
0か1かってのが極端で日本人は祭り好き程度に考えときゃ良いんじゃ
神社の参拝方法に異常に厳格な人が増えてるのを見ると、それはもう無宗教とは言わん状態じゃね?と思うな。最初の二礼が頭を二回振ってるだけで凄い雑な人も多いけど。
なるほど,宗教と無宗教の間に弱宗教とかのカテゴリーを入れればいいのかな
宗教学的には違う。宗教行動をすることが信仰だからね。初詣なんか宗教行動の典型だろう
道徳や人生観の源流がどこにあるのかって話だよね?神道、仏教、儒教あたりのミックスだろうなぁ
痛みを止めたくて薬を飲むときは、痛みが引くまで何かに祈っているような気はする。それが宗教かっていうと違うだろうけど
スパモン教の信徒です / まぁ実際何を信じてるかというと、アニミズムというには霊魂的な何かの実在を信じてるほどでもなく、宗教というよりオカルト・呪術思考かなと。それを宗教にカテゴライズしたいならご自由に
あえて言うなら「低信心」で「多宗教」だわな
「私はプロテスタントなのだが、信仰を持つということは、自分の罪を自覚し、それを贖ってくれたキリストを受け容れることだ」←それは、プロテスタントであるというあなたの宗教観、ってだけでは。
いや、だから仏教以外は死ねよ。マジで親から強いられた以外で普通に宗教に触れたやつはおらんのか?アホすぎる。フラットに見たらハタチ過ぎて死ぬ代わりにどれに属するかと思ったら仏教しかない。
日本の庶民の宗教ってのは「念仏を唱えるだけで誰でも極楽に行ける」みたいなやつだよ。確かに何か一般信徒に戒律を課す系の信仰を持つ大多数の国々と文化圏が違う気はする
個人的には信仰というよりは習慣に近い
“私はプロテスタントなのだが、信仰を持つということは、自分の罪を自覚し、それを贖ってくれたキリストを受け容れることだ。それに伴い、聖書に書かれた道徳に”俺のイマジナリーカトリックはこういう言動する。
人が集まるイベントが好きなだけ
キリスト教も八百万の神の一柱にゆるーく集約されただけだよ
キリスト教の様な世界宗教だけが宗教であり、自然崇拝や祖先崇拝のような信仰のあり方は宗教とは認めないというのは傲慢な考え方だと思う。しかしそれを他者に押し付けないなら、増田にはそう考える自由がある。
増田が認めるもののみが信仰と言うのは別に構わないけど、他の人も同じ考えだと思うのはナイーブだと思うよ。浄土真宗とか増田から見たら信仰でも何でもないように見えるんじゃない?
クリスチャンだが、福音は勝利宣言や王の即位を知らせるニュースなので「人類は既に悪に勝利完了で新しい王はイエス」という知らせを「信仰」と表現する日本語がおかしい気もする。キリスト教は既存の宗教を超えてる
無宗教は信仰心ゼロだけど、初詣は0.000000001くらいの信仰心あるよ。
「無宗教はないがそこに信仰はない。単なる慣習」というのが多くの日本人の実態かと。
無宗教って言葉を過剰に嫌うって信仰していることにしたがってる人間は、他人が型にはまってないと不安で仕方が無いんだろうね
自分もそう思うが、これを適用すると昨今は海外も宗教者は少数派になってしまう。
信仰って言われると私には説明が難しいけど、日本の神道っていい意味で「いいかげん」なのが良いところだと思ってる。神社に行くだけで私の宗教は「神道」って宣言してオッケーだよね。神社に行かなくてもオッケー?
最近稲荷神社の竹に落書きした外国人に皆器物損壊的な怒りよりも祟りで盛り上がってたし、平将門の名前出すだけでもうっとなる人が居たり。何か超常的な存在や現象に畏怖を感じるのが日本人の信仰なんじゃないかなぁ
神道は宗教に非ず。土人のまじないなり。願わくはシントーシュライン()なんかに行っているあのあさましい連中が善智識に出遭い、その蒙を啓かれ、邪見を捨てて仏に帰依せんことを。
あまり賛成できないかな。キリスト教(一神教)的宗教ではないというだけで。クリスマス、初詣、葬式に共通に存在する精神的思考を受け入れることは宗教と言えると思う。
なんらかの信仰はあるんだよ。言語化されていないだけで / というか、言語化しないことが信仰の一部という気もする。円周をなぞることで中心を仄めかす的な
組織宗教と個人的な信仰もまた別物ではあるけど、日頃意識しづらくはある
インド行った時ヒンドゥー教は信仰するものじゃなく、彼らの世界を構成する一部として、当然のようにある規範なんだと感じた。日本人にが神社で手を叩いて拝むのもそうじゃね?宗教が日常の中で常識になっている。
わかる、名状し難き八百万の神に魂を売ったアジアの有色人種の信仰はキリシタンには到底受け入れられないだろう。ところで増田は名誉白人(蔑称)目指してんの?異教徒滅ぼして唯一神の千年王国建設するの?
うん、俺も宗教・信仰は自分の在り方と行動指針、道徳的規範を外部の決められた教条に求めるものだと思ってるから「日本は無宗教ではない」には批判的 もっと言うと普遍的正解があると確信してるのも宗教的
いってらっしゃいとかおかえりとかも祈りの一部だよ。無事行ってくることを祈り無事帰ってきたことに感謝する。無事は絶対じゃない以上人智を超えたものに祈る他はないから。これも信仰の一部じゃないの?
宗教行事やるだけで信者だと言うなら殆どの日本人はクリスチャンだわな。/バレンタインはチョコ業界がキャンペーンやって定着させたけど、初詣も明治に鉄道会社がキャンペーンやって流行らせたんよ。
日本人の主流派は神道や仏教の考え方の20〜30%くらいを内面化した人だろうな。敬虔な無神論者とは到底いえないが、真面目な信徒でもない。一方で日本のクリスチャンは信仰レベル80%以上な人しかいない。
オウムと近年では旧統一教会が宗教のイメージを悪くしてるけど、日本の仏教徒の総数は文化庁によると7000万人超。墓参り程度も含むだろうが、国民の半数以上が仏教徒の国だ。無宗教の国では無い。
欧米でもファンタジーの小説やゲームで様々な神が出てくるんだけど、クリスチャンはどんな感情でコレを観て遊んでるんだろう。一度聞いてみたい/id:kimioki 情報が古いな。今最も嫌われてる宗教集団は日本基督教団だよ
神様仏様ご先祖様あるいはお天道様は見守ってくれてるから、恥じない行いを心がける生活スタイルは信心があると言っても良いのでは。ダメ?
個人的には、上位存在と死者の尊厳を仄かにでも信じてるかどうかかな?「お天道様が見てる」「食べものには感謝していただく」とかもその一つ。家族の遺体が焼却施設で生ゴミと一緒に燃やされても気にしないか、とか
欧米で「私は無宗教」と言うと軽蔑されるのは道徳規範が無いと見做されるからでは。日本にも宗教的な道徳規範がある。阿弥陀様やお日様に見られてる、都会でもやらかすと陰口や文句言われて、村八分とか。
自分の理解する“信仰”と日本人一般の宗教感覚が噛み合わないって話は、明治以来ずっと議論されてきたテーマで、日本人のキリスト教徒がよく持つ葛藤だ。新渡戸稲造の武士道を読んでみるといい。
なんでそんな意味のわからない信仰を持つに至ったのか普通に興味ある
人の信仰をとやかく言うな。宗教にべき論を持ってくるやつはカルト。近寄ってはならない。
おばけがこわいならそれはもうなにかへの信仰心を持っていると思うの
信仰とはその宗教における「神」との「契約」なのでなんの契約もしていない日本の「宗教的なもの」の多くは信仰とは違うと思っている。あらゆる行動においてこれは「神」が許すか?と考えないでしょ?
クリスマスの飾り付けは楽しいけど、神様のことってよくわからにゃ…。ボクはおやつくれる人が一番好きだにゃ!
かねてから考えているが、無宗教とか信仰心がないとかではなく「習慣」だと思っている。Not religion or faith, it's habit.
最近、極論で世界を動かそうとするアメリカ福音派の存在が日本でも注目されるようになってきたので、ネットに現れる「無名のプロテスタント」は発火性が高そうで、釣り針でないと断言できない。
どこかのおっさんが作った聖書を真に受けるってすごい。それも大体アヒルの子みたいにただ最初に目にしたからというだけ。信者は知性がすごい
明治期に神道による仏教に対する宗教弾圧があって敗戦で国家神道が廃れた、という経緯があって宗教が世俗化していると理解
“こうした言説を述べる人にとっての「信仰」というのは一体どういうイメージなのだろう” さあね。聖書に書いてあるんじゃない?
私は人智が生み出した再現可能な科学技術を信仰しています。特に物理学の敬虔な信者です。それ以外の宗教はことごとく邪教なので折伏しなければならないという考えです。しかし、邪教の行事も楽しさは享受します。
自分が自覚しているのは罪ではなく業だ。大脳新皮質を抱えたサルという1匹の畜生でしかなく、どこかの何かが自分が喰らい奪うことの罪とやらを贖う意味はないし、贖われても天災は起こるし争いは続く。全能?笑止。
プロテスタントの増田はそうかもしれんが日曜に教会に行ってライブ(?)見て神様はどこかで見てるから正しい行いをしようみたいなカジュアルな信仰は多いと思うよ
鳥居に立ち小便してバチが当たるとかを信じてればもう立派な信仰だよ。拠り所とか指針とか増田の信仰観が厳格すぎるだけだ。日本人は皆信心深い。
そもそも宗教という概念自体が近代の発明でありウンヌンカンヌン
神依存者と神利用者は同じ穴の狢に過ぎないと考える。依存患者もご都合主義者も唯物的神不用者たるべく努力するべき。
少なくとも、仏教的・神道的な宗教行事を日本人が続けているのは文化や伝統に縛られているからであって、別に宗教的信仰があるからではないというのが私の結論。
冠婚葬祭というより怪談話を共有できる時点で何らかの宗教に基づいた価値観なのよ
日本人は「お天道様が見ている」という感覚を持つ。誰に知られずとも、天は全てを見通しているという感覚は宗教とは異なるが、結果として「誠実に生きる」という、非常に高い倫理基準を自らに課す国民性に繋がった。
シンプルに考えれば、キリスト教も、神道も、仏教も、なんでも表面的にイベントや様式を受け入れるのは「宗教にこだわりがない=無宗教だから」だと思うけど…
無宗教より曖昧に思える。特定の神を信仰しているわけではなくても死んだら終わりと確信している人がそんなにたくさんいるようには見えない
この議論はめちゃくちゃ有名で、出版・論壇的には1972年に刊行された「日本教について」が代表的。宗教学でも良く扱われるテーマ。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E6%95%99
大半の日本人にとってのクリスマスは宗教行事ではないね。初詣や葬式はまだ宗教性があると思う。ただ参加したから信仰があるかと言うと別問題よね。
べつにどれのことも本気で信じてるわけじゃないから無宗教なんじゃね?
世界宗教はそんな感じかもしれないけど、民族宗教は、明確な経典や教義がなくて、信仰心そのものより儀式や儀礼を重んじる傾向があるらしい。なら日本人はわりと宗教的だと思う。
俺は明らかに無宗教であり、宗教的イベントは単にイベント以上の意味を自分には見出さない。冠婚葬祭等も社会的礼儀として行っている
この人が言っているのは、「キリスト教やいくつかの宗教の宗教観」でしかない。仏教や神道はそもそも入信の儀式も神との契約もない。それもまた宗教だし、宗教観だよ。
ちゃんとキリスト教徒らから俺らの文化にタダ乗りするなと怒られた方がいいと思う
宗教の話なのか信仰の話なのか。
最初からそれを持ってたら意識はしないというのもあるけどな。だからあえて自己との調和を乱すんだけど。こうやって書いても形はないだろうな。
物事が自分で判断できません、ってのが信仰なのか
無神論とかアナーキストと日本人の宗教観をごっちゃにしてるだけかなと。日本人はクリスマスやバレンタインはキリスト教徒で盆や葬式は仏教で正月や祭りは神道
あなたはもうすでに大乗仏教の船に乗っています。しかも神道という素敵なエンターテイメントを見ながら。
カトリックで祝日もキリスト教由来のものばかりの国に住んでるけど、増田のように信仰心が篤い人はほぼいない。地元の文化の根底にキリスト教的発想があるよな、くらいで日本人の神道仏教に関する感覚と近いよ
日本は神仏習合してたので神仏が別れたのは160年くらい前で、それまで1000年間くらい神仏はほぼ同等だった期間の方が長い。違うものとして分けようという姿勢がそもそもの間違いの出発点なんだ
10年前の増田発掘だw /確かに日本人にありがちな非日常の冠婚葬祭に形だけ行う儀礼的無宗教。ただ無神論ではなく漠然とお天道様のような超人的なものを感じ、鳥居型置物が不法投棄防止として機能する。無契約な信仰
なんだろう、「英語を話します」って言うのにすごい個人差がある(カタコト?ビジネス?ネイティブ?)のと同様に、宗教についても信じる信じないの白黒じゃなくてグラデーションなんですよ、とか言えば伝わる?
その時その時でいろんな教えを取り入れてるだけだと思う 単一の教えを無批判に信じるのがリスクなんじゃないかと分かってる人が多いのかもしれない
無宗教とは「特定の宗教を信仰していない」状態なので、日本人の大半は無宗教だし、世界的にも先進国を中心に「無宗教」は増えている。「神は存在しない」と信じる「無神論」は無宗教は別物。混同するな。
クリスマスでハレの日を祝い(サンタクロースはマレビト)、仏式葬式でケガレを祓って死者を先祖(一柱)とする。なんでも広く薄く(悪い意味はなく)神道化されるんだよね
なんというか一神教界隈の特定の神のみを信仰していなければ信仰にあらずというのの裏返しが無宗教という意識な感じがする。いわゆる新興宗教にいいイメージがないのもそれが原因だろう。
我々の神はこういう人で、こういう奇跡を起こして、こういうことを禁じて~ってパッケージ化された宗教を信仰するという感覚が正直なところよく分からない。人付き合いには便利だろうけど打算的すぎない?
各種宗教と違い、契約ではないからな。
みんな神社行っとるから無宗教ちゃうがな
はてな教
「信仰を持つということは、自分の罪を自覚し」これはキリスト教独自の物では? 日本の神様たちは「罪」なんて知ったことじゃなさそうだし、仏様は優しく諭してくれそう。
信仰の度合いの話じゃないですかね?ガチ勢からみりゃぬるいお試し会員だけど、聖なる夜にホーリーみを感じるのは宗教かなと。讃美歌が美しいのも。初詣も仏前の葬式も。全て「お気持ち」でそれがいいと判断した結果
自分は浄土真宗だけれど、阿弥陀仏を信じれば浄土で救われるとされる。別に毎日、信じても南無阿弥陀仏と唱えるわけでもないけれど、何かふとした瞬間に心に思う時があれば、それは宗教に触れていると思っている。
教会のことどう考えてるんだろ?横のつながりもキリスト宗教の本質のひとつでしょう?
生まれながらに罪を背負ってるって宗教観の人、それで子供をつくる意味が分からん。
この話を真剣にするとメチャクチャややこしい話になるのでしたくないっす……
出家したり洗礼を受けたりしないと宗教を信じていないと思ってるかもしれないけど、どの宗教でも在野の熱心ではない信者というのは存在する。自分が死んだらお寺さんで葬式をあげるだろうと思ったら仏教でいい。
それで言う「無宗教」は「海外で無宗教って表明するとそういう信仰なのかと思われるくらい強いものと捉えられるから気をつけて」の話だから、定義の話であり、程度の話だなぁ
宗教人口統計は「あなたの宗教は何ですか?」という質問への本人の回答だけで分類される。儀礼をしているか、信仰が深いか、入信しているかは問われない。
この無宗教ではないって言説、元々が無宗教には高尚な概念を持つことができないという無宗教批判だったが、それへ日本人は実は無宗教じゃないんですよという苦し紛れの反応が起因してると理解している。
なにか困ったり不運があった時に「ジーザス」「オーマイゴッド」的な考えが出るかどうか、かなぁ。日本人の大多数のやつは文化・風習ではあるけど信教ではないと思う
比較対象を緩くとれば、いろいろ思考実験てきると思う。譲れない絶対的な前提を抱えて他人もそうすべきと考える人の心内側とか、自分の生活信条のうちのある種の部分とか。
どっちかというと、なんでもやっちゃう俺たち無宗教でスゴイ、宗教信じる奴なんて馬鹿って連中が多い。で、無宗教を気取りながら靖国に入れ上げちゃうのも目立つ
プロテスタントじゃないならカトリックなんじゃね。免罪符を買う程度には宗教的行為
クリスマスは宗教イベントとは感じないけど、初詣や葬式は宗教してるって感じするよ
道徳規範と宗教には境目がないと思ってるんだけど、本人には道徳のつもりでも周りからは宗教に見えるとかはありふれてるんだと思う
キリスト教の人って(他宗教の)隣人を愛さないよね
まほうつかいのリーキーさんによるとまほうつかいは最低でも8つの宗教に入る必要があるってさ
まあ体系的な教義を抱えずただ有難がるのは神話やアニミズムの類で、信仰が果たしている機能は無いから区別した方がいい。体系的で一貫性のある道徳観、世界観を支えるものが信仰だと思う。
( う~む。)(トランプ氏〔長老会派の由〕みるかぎり、かならずしも… )(誰か忘れたが「善人なおもて往生を遂ぐ、いわんや悪人をや」は理解できるとキリスト教圏の識者がいっておられた記憶 )
天皇の人間宣言以降、何かを信仰するということ自体への信頼感が揺らいでしまったことが根本にあるのではないかと思ってる。
無宗教というのは特定の宗教を信仰していないことであり、何も信仰していないということではないよ
日本人は転生した時に少しでも無双できるスキルがもらえるように、いろんな神様に媚を売っておきたいんだよ 知らんけど
クリスマスとかはどうでもいいけど、逆説の日本史の背景にある『「言霊、和、怨霊、穢れ」への無意識の信仰』というのはたしかにそういう側面もあるように思う。
特定の宗教に帰依していないと言う意味では、日本人は無宗教の人が多いかもな。ただその観点で言うと、〇〇宗の檀家だよと親に言われてる場合はどっち換算になるのかね?内心の話だけなら別だけど
世界的に日本的宗教観への言葉がなくて、日本語に無理に訳すと無宗教になったとか?多神教て良いのかな?
むしろ人は信仰がないと生きられないんじゃなかろうか
宗教と行事は別物。 クリスマス等々は自分にとってはただの季節を感じる行事でしかない。 宗教は別に自由だと思うが「何かをしてはいけない」という類のルールが厳しいのは困る。
「いただきます」の所作だけはマジで無自覚的な宗教だと思う。子供に無自覚にご飯食べる時はいただきますだよって言ってるもん
日本人はハロウィン、バレンタイン、エイプリルフール、クリスマスに花見だの夏祭りだの七夕だのを織り交ぜて楽しくて面白いならなんでもやってる。単に祭りが好きなだけだよ。
id:type-100 はタイトルへの反論を同じくその言説を否定している増田に対してぶつけてるのなぜ?/増田は信者の立場から「行事への参加が無宗教否定の根拠足り得ない」言ってるに過ぎないのに他ブコメも厳しいな。
宗教を持つこと=信仰ではない。日本語で正しく言えば「信心」だ。日常の端々に神仏が登場し、折に触れてそれらに祈念する。祈りの中身が現世利益か魂の救済かなどは関係ない。日本人は実に信心深い民族である。
“聖書に書かれた道徳に従った生活を送る” べきとするなら『敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい』『悪人に手向かってはならない。右の頬を打たれたら左の頬を向けよ』に反している人類は滅ぶべきでは?
スーツ着て名刺持ってればだいたいどのビルも入れるみたいな話
日本は広義の多神教だよ。トイレの神様もいるくらいだし。
その場だけの定義でいいからまず宗教とはこういうものであるという同意から始めないとこの話は意義ある議論にならないと思うんだ/若い頃からずっと気になってるんだけどそういう議論を見かけたことがない
id:filinion さん、アメリカでは、成人の約30〜40%が「月に1回以上」礼拝に行くそうですよ。ただ56%は全く行かないそうなので、半数が無宗教と言ってもいいかもですね。とはいえ日本人で月1で神社仏閣に行く数と比較したら
信仰はあるけど宗教への帰依は薄いといったところではないか。特定宗教の教義に厳密には従わないけど、明日の天気を願ったり死んだ人に見守って欲しいと祈ったりはするみたいな。
海外で無宗教というと相当に警戒される。神も仏も"全く"いないという考えで、当然、寺や神社などに一片のリスペクトも無い。レアだが、どの国にもいる。大抵は倫理観の無い、危ない奴だ。
賽銭を投げて神に祈ったり墓を作って死者の冥福を願ったりする人は無神論者ではないと思うが、無宗教でないとまで言えるかはわからない。
これって「個人的なことは政治的なこと」なんかと同じようなレトリックだと思うんだよな。宗教(政治)全般に対してのうっすらとした忌避感を取り除くためのもの。そうしないと次のステージ(勧誘)に進めないからね
宗教と言うのは古の人間が考えたファンタジー創作が広まったものに過ぎないということに中二の頃に認識してから自認は無宗教。宗教はアニメ創作と変わらない位置で楽しむものというスタンス。
無宗教ではなく極限まで世俗化しているといった方がいいだろう。日本人が本当に無神論者ならクリスマスを商売の道具に転用することもできん。
そりゃー南無阿弥陀仏って言えばヨシwな浄土真宗が流行るわけですわ
日本の葬式は大半が仏教系だそうだから、検討するなら神道じゃなくて仏教じゃないかしら
日本人はクリスマスも初詣も葬式もするから無宗教ではないという言説
それを「無」宗教とくくってよいかという話なのであって。
増田と同等の敬虔さがないと信仰があるとは認めない、としてしまうと、アメリカ人とか相当数が「無宗教」になっちゃうのでは。普段は忘れているが内心うっすら超越的な存在に畏敬の念がある、程度の人が多いのでは。
アメリカの福音派もプロテスタントのよう。意外だったけど聖書のみをよりどころにするプロテスタント方が原理主義的な会派が多いらしい。
何らかの宗教的行為に参加したからといって、その宗教を信仰したことにはならないし、日本人のほとんどは無宗教だよ。この増田が初詣に行ったらその瞬間に神道に帰依したことになるのか?
特定の宗教を信仰している、していないが無宗教になるのか?先祖にお墓参りをする、寺社仏閣の建築物を傷つけることを不敬と感じる、立派な信仰心だよ。聖書やコーランを踏めと言われたら抵抗感を感じるでしょ
日本でのクリスマスは商業的イベントという側面が強いけど、葬式と初詣は宗教だと思う。キリスト教の信仰とは違うけど。
宗教というよりも宗教の儀式に参加しているだけだからね。お天道様が見ている的な価値観は宗教的だけど、高校生時分で闇バイト強盗をする連中を思うとそれも廃れてきたかなとも。
宗教をこう言うことであると定義とするなら、日本のベース宗教は神道……多神教の自然崇拝じゃないかなあ
特定の宗教を信仰してはいけないという宗教を信仰する者は「貼紙禁止」と書かれた貼紙のようなもの
「土葬なんて、とんでもない!」というのも逆に宗教の一種と捉えないと、これまで日本にあった土葬の文化を、異教徒排斥の為だけに全面否定する人々を理解するのは難しい。新興カルト『the great replacement conspiracy theory』
信仰ではないね。宗教が元だった習慣、イベント程度の話だよ。だからクリスマスにイエスがでてくることはない
人それぞれやん。「日本人は」という話を議論する意味がないのよ。ベトナムが世界で一番無信仰が多く、80%超えなので参考に聞いてみたら?お寺に参拝したり、日本の習慣と割と似てます。
日本人は基本的にはアニミズム的なもんでしょ。クリスマスや初詣はイベント、葬式は儀礼的なもの。今はどうか知らんけど、仏教の教えだからダメとかじゃなく、ご飯を残すとお化けが出るぞみたいな方が多い
そもそも単に無宗教と言ってたけど、そういうイベントが宗教イベントだと言い出す人がでてきて、カウンターとして節操ないから無宗教、って落ち着いた印象。
クリスマスや初詣はイベントだな。バレンタインや花火大会と同格。葬式は区切りをつけるための手続かな。結婚式も手続だったけどこっちは省略する人も増えたね。
戦後の政教分離で宗教に対する印象が良くないので無宗教という人が増えただけで、実態はゆるやかな宗教観やスタイルがある。神仏習合含めて古来からベースは変わってないと思う
日本人は無宗教=クリスマス(およびバレンタインデー)含む 日本人は無宗教ではない=クリスマス含まず
最高裁の判例では「宗教とは超自然的・超人間的なものの存在を信じ、それを崇敬する心情に基づき、その存在との関係において人間の生活の諸問題を解決しようとする精神的活動であり教義・儀式・施設などを伴うもの」
信条=宗教なら、「ご飯は残さない」「他人に迷惑をかけない」「戦争だめ」みたいな日本人の常識の方が宗教なのか?
個人的にはむしろ信仰がないので神社では祈れないし初詣もいかない。仏陀の思想には関心をもつが葬式は茶番と思う。日本人の大半にとって神道や仏教は信仰以前の文化レベルで浸透しててそれに無自覚なだけだと思う
俺は信仰がないから神にも祈るし仏にも祈る。複数祈っても害なんて無いと思ってるからな。
いただきますは間違いなく宗教行為だと思う
人間にはどうすることもできない事象を飲み込むための「棚」。一神教の棚は丈夫で安心だけどとても狭くて大変。日本人の棚はよく壊れるけどあっちこっちに有るから騙し騙し使える
そもそも宗教という概念は明治政府が西洋の文化的な影響を押さえ込むために「宗教より上位の伝統的価値観」とした国家神道とセットで作り、「宗教ってのは排他的な強い信仰を持つ集団」と定義したんだよ定期。
どこのでもいいけどお守りとかお札とか持ったことない、踏みにじっても落書きしても何も思わない、なら無宗教でいいんじゃないかな。宗教によって信仰の形は様々なのだから増田の了見はかなり狭いとは思うけど。
増田が自覚的にキリスト教に入信した日本人だからそう感じているだけで。世界のほとんどの人は生まれつき自分の宗教が決まっていて、自分自身でそれをどうこうすることはないし、信仰心も関係ない
初詣は、年神にご利益を願っているわけで。葬式は、死者の成仏や安眠を願うわけで。もっとも、「お天道様が見てる」とか、「地獄に落ちるぞ」みたいなのはありますね。
信仰の強さと同様無宗教にも程度があるってだけなのに。自身と違う人間の存在に耐えられないザコの戯言よ/墓も聖書もコーランも踏めるが、それを大切にしてる人への配慮としてやらんだけ
『信仰』以外でも「ノンポリも1つの政治的態度」とかこういう言説全般好かんな、俺は。理屈としてはまあ成立しなくもないけど、そういう話してんじゃないんだよな〜〜っ! ってなる。
私は自分教であり、その中には既存の宗教科学哲学を分け隔てなくいいとこ取りするという考え方があるので初詣にも行くしハロウィンも楽しむしハラールに舌鼓をうつ。
大多数の日本人にとって宗教的行為は現世利益(不利益がこないことを含む)祈願なんで、それは他の文化の人から見て宗教の範疇に入るのかという疑問はある。
日本人の宗教観はこうである、と言う議論より日本人は無宗教である/ではない、とゼロイチで断定するような議論が好きな人はいて大体互いの定義で揉める/似たような例で理系文系論争する人のような安直な世界観だなと
信仰中心(一神教的)か慣習的・実践的(それ以外)かの違いでは。一神教的な考えだと日本人は無宗教だし、もう少し広く捉えれば無宗教ではない。
大体の人はネットで聞き齧ったそれっぽい言説を知ったかぶりしたいだけで何も考えてないですよ
アブラハムの宗教の人って強火過ぎて自分の宗派のあり方以外はそもそも宗教と認めないところがあるよな、という思いを強くした。一神教だから当然と言えば当然だが。
仏式の葬式は出すしお盆に墓参りするしn回忌には参加するし仏教徒だと思う。初詣でお札買うけど仏教では禁止されてないよね
無宗教(≒無神論?)もかなり強い意思のある考え方であって、おれ含めて多くの日本人がそこまで考え抜いている唯物論者かというと、そうでもないような気はする。信仰の形も色も濃さも色々だ、と、自分は思う
『これが私にとっての信仰のイメージなのだ』 そうそう増田、そこが考え始めて広げていく良いポイントなのでは。そこから進めてないなら今は材料不足ということだから、知るのが楽しいのでは。
自分を見つめるなんらかの大きなものの存在を認めていればそれが信仰じゃないかな
修行によって救われる仏教じゃ一般人の生活は成り立たないよ。だから増田のいうレベルの信仰にはならない。お経に生活に役立つ知恵とかあんまりないと思う。
イキってるやつが言いがちよな
欧米の無宗教ってキリスト教の一種で「反キリスト教徒」だから。日本はそういう無宗教ではない。
阪神タイガースは信仰
一神教の連中は「明文化された戒律があること」「文字化された教典があること」この2つがないと宗教とは認めない。だから神道では宗教と認められない。彼らの言う無宗教とはイコール「一神教信者では無い」だ。
うるせーっ 寺の坊主もクリスマス祝ってケーキ喰らう時代だ バカヤロー
自分は前から勝手に「深い宗教」「浅い宗教」は分けていて、後者は「風習」と交換可能と思っています。前者は「それが無いと人生を否定されるもの」で、「宗教は怖い」等の言説は前者のみに使うものという感覚。
本邦に於いては、宗教とは葬式をどのように執り行うかだけでよいと思ってる。あとは人様に迷惑かけない程度に好きに生きろ。
ヘイッガチクリだよW 信仰ってのは、エビデンスや証拠なしに、提示された主張を事実として受け入れることです。死んだキリストが復活したと信じるならば、それが信仰です。罪の自覚度とか善行とか関係ない。
無宗教や無信仰を公言する人の言動に対して「それも広義では……」みたいに言う人が面倒くさいんだよね
本気で知りたいなら、仏教の近代化を調べたらいいよ
お前はそれでいいや
「どちらにしようかな 天の神様の言うとおり」って言ってるときの神様って誰なんだろ(関係ないコメント)
申し訳ないけど突き詰めたら内輪以外は人間で無いという考えにストレートインしそうと思いました
自分自身や親族の葬式など不要と言い切れれば無宗教と言えるとは思う
無信仰とは実証・主知主義であらゆる決断を証拠と期待値計算で下す経済人だ。それは無理ゲーなので、人類は根源的な精神活動として不確実な世界で別の何かを基盤に生きてる。それが信仰で、集団的な信仰が宗教かな~
日本人一般はほぼ無宗教といっていい。普段数々の宗教系イベントに参加していながら、不参加に対して何も後ろめたい気持ちがないのならそれは「無」。ほぼ仏式の葬祭だけは例外な人は多いので、しいて言うなら仏教徒
私はあなたの信仰のあり方についてあれこれ言うつもりはないので、あなたも私の信仰のあり方についてあれこれ言わないでほしい。
でも日本人は漠然と神仏の存在を信じてる/畏れてる人が多いよね。親の葬式に僧侶を呼ばなかったり、古びたお守りをゴミ箱に捨てたりするのを嫌がる人が多い。バチが当たるぞと怒る人も。素朴な信仰の一種。
「マジで!?私も超オタクだよ!?ワンピースとか全巻持ってるし超好き!!」/どちらかというと推し活と宗教の境界線は…?塚ヲタとか虎キチとかは信仰ではないん?
宗教の影響を受けていれば無宗教ではないって屁理屈でしかないからな。「みんなキリスト教の影響を受けてるからキリスト教な」っていうくらい雑な屁理屈。
日本は無宗教じゃなくて多神教定期
日本人のクリスマスとかパーティーする口実でしかないので原罪について理解してる人もキリストに対して原罪を贖ってくれたことについて感謝してる人もほとんどいないと思う。年末に騒ぐ機会をありがとう程度では
それはいかにも創唱宗教っぽい考えなので、宗教の一派でしかない。多くの日本人の考えは自然宗教で多神教かつ現世利益がベースなのでそうではない。また日本の神は禍をもたらすことがあり、怒りを静める必要がある
日本人は何事に対しても無自覚。宗教に関しては神秘主義的信仰と勝手に呼んで批判してる。
実家の仏壇の位牌を「木だから燃えるゴミでいいか」とゴトっと捨てられるか、みたいな気はしないでもない。
挙げられたのは季節イベントだから言いたいことはわかいでもないが、神と仏があってだな…神棚拝んだり仏壇を拝んだり…特定の宗教観で他の宗教を語るのは危険そうだなと…
狂ってんなと思う人は、無宗教でよいかね? “自分の罪を自覚し、それを贖ってくれたキリストを受け容れることだ。それに伴い、聖書に書かれた道徳に従った生活を送る”
信仰はしてないのと神等が居るかどうかも知らんと言うようなスタンス。イベント類はなんか知らんけどそういう祭りがやってるからやろうぜと言う感じ。
初詣もクリスマスも葬式も全部祭りだと思えば日本人は祭り好きだよねで終わる話である
エイス、な無宗教ではないがほぼ無宗教、薄いアニミズムで無信仰ではない、くらいじゃないのかな
日本人は本質的に神の存在を信じていないんだけど、そこに神や祖先がいる、というロールプレイをする事で善良であろうとする心と調和を得る無明の民なんだよ、たぶんね。天国はあったらラッキーな宝くじ感覚
これだから一神教はいやなんだ
信仰・宗教とは何かて、一神教的な考えだけだとカバーし切れないんじゃないかな/祖霊信仰や精霊信仰的なもの、儒教的なものとか色々根付いているよね
クリスマスも初詣も葬式もしても堂々と無宗教と言っていい。無宗教ではないといっている人はなにも考えていないだけ。
宗教はみんな詐欺師の飯のタネで心の拠り所にしてんのアホだなーと思ってるし初詣やクリスマスの商業イベントもクソだと思ってるけど人間に擬態しているからそんなことは言わずにお賽銭も投げるしケーキも食べる。
その行事をやってたら信仰だってのは宗教とか信仰とかの話をする人にとってその方が語る対象が広がって話が盛り上がるという都合だけの特に意味のない定義だと思ってる
日本人と言っても色々だよ。クリスマス・初詣・葬式はイベントとして消費するけど別に本気で無くなっても良いと思ってるのでたぶん信仰は無い。でも親世代は葬式無しとか耐えられないだろうな。
厳密な教義への信仰心がないのは多神教ならではのユルフワな精神性なんだろうね。にしても10年前の増田か。11月にはトランプが勝つんだぞ。
日本は多神教というよりもアニミズム(自然崇拝、精霊信仰)に近いので、一神教の感覚で宗教か否か、を語れば、そりゃ無宗教になる。
唯一神を信仰する方にとって、神は絶対の法であったり、服従するもの、という感覚かなと思います。日本人にとって、神は無数に在り、用事のある時にこちらから参り、伺うものという感覚かも知れません。
増田は正にキリスト教の罪の文化からくる宗教観を持っている人なので、その基準で照らしてしまうと日本の八百万の神々やあらゆるものへの信仰はいまいちよくわからなくて当然かと。
たとえば外国人旅行者が日本の祭りに参加しても「入信した」とは言わない。同様に日本人の自分も入信したつもりはない。宗教由来の行事であることと、参加者が無宗教であることは矛盾なく両立する。
お守りを踏んだりぞんざいに扱えないならそれは無宗教ではないのだが、特定宗教を支持しないのと、無宗教は違うということを分かってない人は多い
八百万の神々がいるからな。てか特定の宗教に全てを捧げてる民族が怖すぎるんだよ。だからあんな戦争も起きるし崩壊する。本当に平和を願うなら多様性という名の日本のように受け入れるべき。
「日本人」で括るなら国際的な言葉で議論をするべきで、そうなると「無宗教」と「無神論」は指すものが違う。特定の信仰は無いが寺社に抵抗が無い人は「無宗教」、寺社に立ち入らず破却すべきと思う人は「無神論」。
信じるってのも難しい話で、「天罰が下るぞ!」って言ってる奴も本当に天罰が100%完全絶対超絶不可避運命確定レベルで天罰が下るとは思ってないだろうし、でも1%くらいは下るかもと思ってるのは、何?ってね。
一神教を信仰する人が日本で敬遠される理由が詰まった増田。何でもかんでも神のせい|おかげにするのは、「いただきます」の精神とは相容れない。誰も見ていなくても白飯を踏みつけられないのは信仰だと思う
0か1かってのが極端で日本人は祭り好き程度に考えときゃ良いんじゃ
神社の参拝方法に異常に厳格な人が増えてるのを見ると、それはもう無宗教とは言わん状態じゃね?と思うな。最初の二礼が頭を二回振ってるだけで凄い雑な人も多いけど。
なるほど,宗教と無宗教の間に弱宗教とかのカテゴリーを入れればいいのかな
宗教学的には違う。宗教行動をすることが信仰だからね。初詣なんか宗教行動の典型だろう
道徳や人生観の源流がどこにあるのかって話だよね?神道、仏教、儒教あたりのミックスだろうなぁ
痛みを止めたくて薬を飲むときは、痛みが引くまで何かに祈っているような気はする。それが宗教かっていうと違うだろうけど
スパモン教の信徒です / まぁ実際何を信じてるかというと、アニミズムというには霊魂的な何かの実在を信じてるほどでもなく、宗教というよりオカルト・呪術思考かなと。それを宗教にカテゴライズしたいならご自由に
あえて言うなら「低信心」で「多宗教」だわな
「私はプロテスタントなのだが、信仰を持つということは、自分の罪を自覚し、それを贖ってくれたキリストを受け容れることだ」←それは、プロテスタントであるというあなたの宗教観、ってだけでは。
いや、だから仏教以外は死ねよ。マジで親から強いられた以外で普通に宗教に触れたやつはおらんのか?アホすぎる。フラットに見たらハタチ過ぎて死ぬ代わりにどれに属するかと思ったら仏教しかない。
日本の庶民の宗教ってのは「念仏を唱えるだけで誰でも極楽に行ける」みたいなやつだよ。確かに何か一般信徒に戒律を課す系の信仰を持つ大多数の国々と文化圏が違う気はする
個人的には信仰というよりは習慣に近い
“私はプロテスタントなのだが、信仰を持つということは、自分の罪を自覚し、それを贖ってくれたキリストを受け容れることだ。それに伴い、聖書に書かれた道徳に”俺のイマジナリーカトリックはこういう言動する。
人が集まるイベントが好きなだけ
キリスト教も八百万の神の一柱にゆるーく集約されただけだよ
キリスト教の様な世界宗教だけが宗教であり、自然崇拝や祖先崇拝のような信仰のあり方は宗教とは認めないというのは傲慢な考え方だと思う。しかしそれを他者に押し付けないなら、増田にはそう考える自由がある。
増田が認めるもののみが信仰と言うのは別に構わないけど、他の人も同じ考えだと思うのはナイーブだと思うよ。浄土真宗とか増田から見たら信仰でも何でもないように見えるんじゃない?
クリスチャンだが、福音は勝利宣言や王の即位を知らせるニュースなので「人類は既に悪に勝利完了で新しい王はイエス」という知らせを「信仰」と表現する日本語がおかしい気もする。キリスト教は既存の宗教を超えてる
無宗教は信仰心ゼロだけど、初詣は0.000000001くらいの信仰心あるよ。
「無宗教はないがそこに信仰はない。単なる慣習」というのが多くの日本人の実態かと。
無宗教って言葉を過剰に嫌うって信仰していることにしたがってる人間は、他人が型にはまってないと不安で仕方が無いんだろうね
自分もそう思うが、これを適用すると昨今は海外も宗教者は少数派になってしまう。
信仰って言われると私には説明が難しいけど、日本の神道っていい意味で「いいかげん」なのが良いところだと思ってる。神社に行くだけで私の宗教は「神道」って宣言してオッケーだよね。神社に行かなくてもオッケー?
最近稲荷神社の竹に落書きした外国人に皆器物損壊的な怒りよりも祟りで盛り上がってたし、平将門の名前出すだけでもうっとなる人が居たり。何か超常的な存在や現象に畏怖を感じるのが日本人の信仰なんじゃないかなぁ
神道は宗教に非ず。土人のまじないなり。願わくはシントーシュライン()なんかに行っているあのあさましい連中が善智識に出遭い、その蒙を啓かれ、邪見を捨てて仏に帰依せんことを。
あまり賛成できないかな。キリスト教(一神教)的宗教ではないというだけで。クリスマス、初詣、葬式に共通に存在する精神的思考を受け入れることは宗教と言えると思う。
なんらかの信仰はあるんだよ。言語化されていないだけで / というか、言語化しないことが信仰の一部という気もする。円周をなぞることで中心を仄めかす的な
組織宗教と個人的な信仰もまた別物ではあるけど、日頃意識しづらくはある
インド行った時ヒンドゥー教は信仰するものじゃなく、彼らの世界を構成する一部として、当然のようにある規範なんだと感じた。日本人にが神社で手を叩いて拝むのもそうじゃね?宗教が日常の中で常識になっている。
わかる、名状し難き八百万の神に魂を売ったアジアの有色人種の信仰はキリシタンには到底受け入れられないだろう。ところで増田は名誉白人(蔑称)目指してんの?異教徒滅ぼして唯一神の千年王国建設するの?
うん、俺も宗教・信仰は自分の在り方と行動指針、道徳的規範を外部の決められた教条に求めるものだと思ってるから「日本は無宗教ではない」には批判的 もっと言うと普遍的正解があると確信してるのも宗教的
いってらっしゃいとかおかえりとかも祈りの一部だよ。無事行ってくることを祈り無事帰ってきたことに感謝する。無事は絶対じゃない以上人智を超えたものに祈る他はないから。これも信仰の一部じゃないの?
宗教行事やるだけで信者だと言うなら殆どの日本人はクリスチャンだわな。/バレンタインはチョコ業界がキャンペーンやって定着させたけど、初詣も明治に鉄道会社がキャンペーンやって流行らせたんよ。
日本人の主流派は神道や仏教の考え方の20〜30%くらいを内面化した人だろうな。敬虔な無神論者とは到底いえないが、真面目な信徒でもない。一方で日本のクリスチャンは信仰レベル80%以上な人しかいない。
オウムと近年では旧統一教会が宗教のイメージを悪くしてるけど、日本の仏教徒の総数は文化庁によると7000万人超。墓参り程度も含むだろうが、国民の半数以上が仏教徒の国だ。無宗教の国では無い。
欧米でもファンタジーの小説やゲームで様々な神が出てくるんだけど、クリスチャンはどんな感情でコレを観て遊んでるんだろう。一度聞いてみたい/id:kimioki 情報が古いな。今最も嫌われてる宗教集団は日本基督教団だよ
神様仏様ご先祖様あるいはお天道様は見守ってくれてるから、恥じない行いを心がける生活スタイルは信心があると言っても良いのでは。ダメ?
個人的には、上位存在と死者の尊厳を仄かにでも信じてるかどうかかな?「お天道様が見てる」「食べものには感謝していただく」とかもその一つ。家族の遺体が焼却施設で生ゴミと一緒に燃やされても気にしないか、とか
欧米で「私は無宗教」と言うと軽蔑されるのは道徳規範が無いと見做されるからでは。日本にも宗教的な道徳規範がある。阿弥陀様やお日様に見られてる、都会でもやらかすと陰口や文句言われて、村八分とか。
自分の理解する“信仰”と日本人一般の宗教感覚が噛み合わないって話は、明治以来ずっと議論されてきたテーマで、日本人のキリスト教徒がよく持つ葛藤だ。新渡戸稲造の武士道を読んでみるといい。
なんでそんな意味のわからない信仰を持つに至ったのか普通に興味ある
人の信仰をとやかく言うな。宗教にべき論を持ってくるやつはカルト。近寄ってはならない。
おばけがこわいならそれはもうなにかへの信仰心を持っていると思うの
信仰とはその宗教における「神」との「契約」なのでなんの契約もしていない日本の「宗教的なもの」の多くは信仰とは違うと思っている。あらゆる行動においてこれは「神」が許すか?と考えないでしょ?
クリスマスの飾り付けは楽しいけど、神様のことってよくわからにゃ…。ボクはおやつくれる人が一番好きだにゃ!
かねてから考えているが、無宗教とか信仰心がないとかではなく「習慣」だと思っている。Not religion or faith, it's habit.
最近、極論で世界を動かそうとするアメリカ福音派の存在が日本でも注目されるようになってきたので、ネットに現れる「無名のプロテスタント」は発火性が高そうで、釣り針でないと断言できない。
どこかのおっさんが作った聖書を真に受けるってすごい。それも大体アヒルの子みたいにただ最初に目にしたからというだけ。信者は知性がすごい
明治期に神道による仏教に対する宗教弾圧があって敗戦で国家神道が廃れた、という経緯があって宗教が世俗化していると理解
“こうした言説を述べる人にとっての「信仰」というのは一体どういうイメージなのだろう” さあね。聖書に書いてあるんじゃない?
私は人智が生み出した再現可能な科学技術を信仰しています。特に物理学の敬虔な信者です。それ以外の宗教はことごとく邪教なので折伏しなければならないという考えです。しかし、邪教の行事も楽しさは享受します。
自分が自覚しているのは罪ではなく業だ。大脳新皮質を抱えたサルという1匹の畜生でしかなく、どこかの何かが自分が喰らい奪うことの罪とやらを贖う意味はないし、贖われても天災は起こるし争いは続く。全能?笑止。
プロテスタントの増田はそうかもしれんが日曜に教会に行ってライブ(?)見て神様はどこかで見てるから正しい行いをしようみたいなカジュアルな信仰は多いと思うよ
鳥居に立ち小便してバチが当たるとかを信じてればもう立派な信仰だよ。拠り所とか指針とか増田の信仰観が厳格すぎるだけだ。日本人は皆信心深い。
そもそも宗教という概念自体が近代の発明でありウンヌンカンヌン
神依存者と神利用者は同じ穴の狢に過ぎないと考える。依存患者もご都合主義者も唯物的神不用者たるべく努力するべき。
少なくとも、仏教的・神道的な宗教行事を日本人が続けているのは文化や伝統に縛られているからであって、別に宗教的信仰があるからではないというのが私の結論。
冠婚葬祭というより怪談話を共有できる時点で何らかの宗教に基づいた価値観なのよ
日本人は「お天道様が見ている」という感覚を持つ。誰に知られずとも、天は全てを見通しているという感覚は宗教とは異なるが、結果として「誠実に生きる」という、非常に高い倫理基準を自らに課す国民性に繋がった。
シンプルに考えれば、キリスト教も、神道も、仏教も、なんでも表面的にイベントや様式を受け入れるのは「宗教にこだわりがない=無宗教だから」だと思うけど…
無宗教より曖昧に思える。特定の神を信仰しているわけではなくても死んだら終わりと確信している人がそんなにたくさんいるようには見えない
この議論はめちゃくちゃ有名で、出版・論壇的には1972年に刊行された「日本教について」が代表的。宗教学でも良く扱われるテーマ。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E6%95%99
大半の日本人にとってのクリスマスは宗教行事ではないね。初詣や葬式はまだ宗教性があると思う。ただ参加したから信仰があるかと言うと別問題よね。
べつにどれのことも本気で信じてるわけじゃないから無宗教なんじゃね?
世界宗教はそんな感じかもしれないけど、民族宗教は、明確な経典や教義がなくて、信仰心そのものより儀式や儀礼を重んじる傾向があるらしい。なら日本人はわりと宗教的だと思う。
俺は明らかに無宗教であり、宗教的イベントは単にイベント以上の意味を自分には見出さない。冠婚葬祭等も社会的礼儀として行っている
この人が言っているのは、「キリスト教やいくつかの宗教の宗教観」でしかない。仏教や神道はそもそも入信の儀式も神との契約もない。それもまた宗教だし、宗教観だよ。
ちゃんとキリスト教徒らから俺らの文化にタダ乗りするなと怒られた方がいいと思う
宗教の話なのか信仰の話なのか。
最初からそれを持ってたら意識はしないというのもあるけどな。だからあえて自己との調和を乱すんだけど。こうやって書いても形はないだろうな。
物事が自分で判断できません、ってのが信仰なのか
無神論とかアナーキストと日本人の宗教観をごっちゃにしてるだけかなと。日本人はクリスマスやバレンタインはキリスト教徒で盆や葬式は仏教で正月や祭りは神道
あなたはもうすでに大乗仏教の船に乗っています。しかも神道という素敵なエンターテイメントを見ながら。
カトリックで祝日もキリスト教由来のものばかりの国に住んでるけど、増田のように信仰心が篤い人はほぼいない。地元の文化の根底にキリスト教的発想があるよな、くらいで日本人の神道仏教に関する感覚と近いよ
日本は神仏習合してたので神仏が別れたのは160年くらい前で、それまで1000年間くらい神仏はほぼ同等だった期間の方が長い。違うものとして分けようという姿勢がそもそもの間違いの出発点なんだ
10年前の増田発掘だw /確かに日本人にありがちな非日常の冠婚葬祭に形だけ行う儀礼的無宗教。ただ無神論ではなく漠然とお天道様のような超人的なものを感じ、鳥居型置物が不法投棄防止として機能する。無契約な信仰
なんだろう、「英語を話します」って言うのにすごい個人差がある(カタコト?ビジネス?ネイティブ?)のと同様に、宗教についても信じる信じないの白黒じゃなくてグラデーションなんですよ、とか言えば伝わる?
その時その時でいろんな教えを取り入れてるだけだと思う 単一の教えを無批判に信じるのがリスクなんじゃないかと分かってる人が多いのかもしれない
無宗教とは「特定の宗教を信仰していない」状態なので、日本人の大半は無宗教だし、世界的にも先進国を中心に「無宗教」は増えている。「神は存在しない」と信じる「無神論」は無宗教は別物。混同するな。
クリスマスでハレの日を祝い(サンタクロースはマレビト)、仏式葬式でケガレを祓って死者を先祖(一柱)とする。なんでも広く薄く(悪い意味はなく)神道化されるんだよね
なんというか一神教界隈の特定の神のみを信仰していなければ信仰にあらずというのの裏返しが無宗教という意識な感じがする。いわゆる新興宗教にいいイメージがないのもそれが原因だろう。
我々の神はこういう人で、こういう奇跡を起こして、こういうことを禁じて~ってパッケージ化された宗教を信仰するという感覚が正直なところよく分からない。人付き合いには便利だろうけど打算的すぎない?
各種宗教と違い、契約ではないからな。
みんな神社行っとるから無宗教ちゃうがな
はてな教
「信仰を持つということは、自分の罪を自覚し」これはキリスト教独自の物では? 日本の神様たちは「罪」なんて知ったことじゃなさそうだし、仏様は優しく諭してくれそう。
信仰の度合いの話じゃないですかね?ガチ勢からみりゃぬるいお試し会員だけど、聖なる夜にホーリーみを感じるのは宗教かなと。讃美歌が美しいのも。初詣も仏前の葬式も。全て「お気持ち」でそれがいいと判断した結果
自分は浄土真宗だけれど、阿弥陀仏を信じれば浄土で救われるとされる。別に毎日、信じても南無阿弥陀仏と唱えるわけでもないけれど、何かふとした瞬間に心に思う時があれば、それは宗教に触れていると思っている。
教会のことどう考えてるんだろ?横のつながりもキリスト宗教の本質のひとつでしょう?
生まれながらに罪を背負ってるって宗教観の人、それで子供をつくる意味が分からん。
この話を真剣にするとメチャクチャややこしい話になるのでしたくないっす……
出家したり洗礼を受けたりしないと宗教を信じていないと思ってるかもしれないけど、どの宗教でも在野の熱心ではない信者というのは存在する。自分が死んだらお寺さんで葬式をあげるだろうと思ったら仏教でいい。
それで言う「無宗教」は「海外で無宗教って表明するとそういう信仰なのかと思われるくらい強いものと捉えられるから気をつけて」の話だから、定義の話であり、程度の話だなぁ
宗教人口統計は「あなたの宗教は何ですか?」という質問への本人の回答だけで分類される。儀礼をしているか、信仰が深いか、入信しているかは問われない。
この無宗教ではないって言説、元々が無宗教には高尚な概念を持つことができないという無宗教批判だったが、それへ日本人は実は無宗教じゃないんですよという苦し紛れの反応が起因してると理解している。
なにか困ったり不運があった時に「ジーザス」「オーマイゴッド」的な考えが出るかどうか、かなぁ。日本人の大多数のやつは文化・風習ではあるけど信教ではないと思う
比較対象を緩くとれば、いろいろ思考実験てきると思う。譲れない絶対的な前提を抱えて他人もそうすべきと考える人の心内側とか、自分の生活信条のうちのある種の部分とか。
どっちかというと、なんでもやっちゃう俺たち無宗教でスゴイ、宗教信じる奴なんて馬鹿って連中が多い。で、無宗教を気取りながら靖国に入れ上げちゃうのも目立つ
プロテスタントじゃないならカトリックなんじゃね。免罪符を買う程度には宗教的行為
クリスマスは宗教イベントとは感じないけど、初詣や葬式は宗教してるって感じするよ
道徳規範と宗教には境目がないと思ってるんだけど、本人には道徳のつもりでも周りからは宗教に見えるとかはありふれてるんだと思う
キリスト教の人って(他宗教の)隣人を愛さないよね
まほうつかいのリーキーさんによるとまほうつかいは最低でも8つの宗教に入る必要があるってさ
まあ体系的な教義を抱えずただ有難がるのは神話やアニミズムの類で、信仰が果たしている機能は無いから区別した方がいい。体系的で一貫性のある道徳観、世界観を支えるものが信仰だと思う。
( う~む。)(トランプ氏〔長老会派の由〕みるかぎり、かならずしも… )(誰か忘れたが「善人なおもて往生を遂ぐ、いわんや悪人をや」は理解できるとキリスト教圏の識者がいっておられた記憶 )
天皇の人間宣言以降、何かを信仰するということ自体への信頼感が揺らいでしまったことが根本にあるのではないかと思ってる。
無宗教というのは特定の宗教を信仰していないことであり、何も信仰していないということではないよ
日本人は転生した時に少しでも無双できるスキルがもらえるように、いろんな神様に媚を売っておきたいんだよ 知らんけど
クリスマスとかはどうでもいいけど、逆説の日本史の背景にある『「言霊、和、怨霊、穢れ」への無意識の信仰』というのはたしかにそういう側面もあるように思う。
特定の宗教に帰依していないと言う意味では、日本人は無宗教の人が多いかもな。ただその観点で言うと、〇〇宗の檀家だよと親に言われてる場合はどっち換算になるのかね?内心の話だけなら別だけど
世界的に日本的宗教観への言葉がなくて、日本語に無理に訳すと無宗教になったとか?多神教て良いのかな?
むしろ人は信仰がないと生きられないんじゃなかろうか
宗教と行事は別物。 クリスマス等々は自分にとってはただの季節を感じる行事でしかない。 宗教は別に自由だと思うが「何かをしてはいけない」という類のルールが厳しいのは困る。
「いただきます」の所作だけはマジで無自覚的な宗教だと思う。子供に無自覚にご飯食べる時はいただきますだよって言ってるもん
日本人はハロウィン、バレンタイン、エイプリルフール、クリスマスに花見だの夏祭りだの七夕だのを織り交ぜて楽しくて面白いならなんでもやってる。単に祭りが好きなだけだよ。
id:type-100 はタイトルへの反論を同じくその言説を否定している増田に対してぶつけてるのなぜ?/増田は信者の立場から「行事への参加が無宗教否定の根拠足り得ない」言ってるに過ぎないのに他ブコメも厳しいな。
宗教を持つこと=信仰ではない。日本語で正しく言えば「信心」だ。日常の端々に神仏が登場し、折に触れてそれらに祈念する。祈りの中身が現世利益か魂の救済かなどは関係ない。日本人は実に信心深い民族である。
“聖書に書かれた道徳に従った生活を送る” べきとするなら『敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい』『悪人に手向かってはならない。右の頬を打たれたら左の頬を向けよ』に反している人類は滅ぶべきでは?
スーツ着て名刺持ってればだいたいどのビルも入れるみたいな話
日本は広義の多神教だよ。トイレの神様もいるくらいだし。
その場だけの定義でいいからまず宗教とはこういうものであるという同意から始めないとこの話は意義ある議論にならないと思うんだ/若い頃からずっと気になってるんだけどそういう議論を見かけたことがない
id:filinion さん、アメリカでは、成人の約30〜40%が「月に1回以上」礼拝に行くそうですよ。ただ56%は全く行かないそうなので、半数が無宗教と言ってもいいかもですね。とはいえ日本人で月1で神社仏閣に行く数と比較したら
信仰はあるけど宗教への帰依は薄いといったところではないか。特定宗教の教義に厳密には従わないけど、明日の天気を願ったり死んだ人に見守って欲しいと祈ったりはするみたいな。
海外で無宗教というと相当に警戒される。神も仏も"全く"いないという考えで、当然、寺や神社などに一片のリスペクトも無い。レアだが、どの国にもいる。大抵は倫理観の無い、危ない奴だ。
賽銭を投げて神に祈ったり墓を作って死者の冥福を願ったりする人は無神論者ではないと思うが、無宗教でないとまで言えるかはわからない。
これって「個人的なことは政治的なこと」なんかと同じようなレトリックだと思うんだよな。宗教(政治)全般に対してのうっすらとした忌避感を取り除くためのもの。そうしないと次のステージ(勧誘)に進めないからね
宗教と言うのは古の人間が考えたファンタジー創作が広まったものに過ぎないということに中二の頃に認識してから自認は無宗教。宗教はアニメ創作と変わらない位置で楽しむものというスタンス。
無宗教ではなく極限まで世俗化しているといった方がいいだろう。日本人が本当に無神論者ならクリスマスを商売の道具に転用することもできん。
そりゃー南無阿弥陀仏って言えばヨシwな浄土真宗が流行るわけですわ
日本の葬式は大半が仏教系だそうだから、検討するなら神道じゃなくて仏教じゃないかしら