年齢と症状がうちの子とほぼ同じだった。ゆっくり目を閉じるあの子に「ありがとうね」「またね」を何十回も言いながら看取った瞬間がまざまざと蘇ったけど、それでもやっぱり安楽死はあっていいと今も断言できる。
エゴはどちらにも付くね“「きっと一緒に居られるだけで幸せ」。気持ちは痛いほど分かるが、一緒にいられることが加点1だったとしても、慢性的関節炎で減点、散歩に行けないで減点、食欲不振で減点、吐き気で減点、
愛玩動物の生き死には飼い主が責任を持つ。安楽死は苦しみを長引かせない為のもの肯定する。
安楽死の判断は出来なかったな。最後まで苦しませてしまった。
オーストラリアは野良猫も機械が毒物噴射して駆除する国だから死生観が違うわ。
飼い猫を苦しませたくないという気持ちが一番なので、否定は全くできない。その選択がその瞬間にできるかどうかは何とも言えないけれど。
元気なころの写真、ほとんどが「ちょっと目つきが険しい」感じで、そこがまた個性的でよい。苦しませ過ぎずに逝かせてあげたことや、本件での『安楽死は良いものです』を肯定する。
尊厳
うむ……
私の幼少期、ジステンパーを患った愛犬の安楽死経験がある。いまだに忘れてないな
人間の安楽死については非難轟轟だけど、ネコの安楽死については肯定的な意見が多いのだな。本人(猫)に意思の確認は不可能。人間とネコは違うといえばそれまでだけど、ちょっと意外(私は人間の安楽死も肯定派)。
犬を飼って居て老衰で亡くなったけどペットの安楽死というのは考えてしまう問題。苦しませずに長生きさせる方針が日本だけどそれは本当に幸せなことか?と考える。人間とは違う存在だからこそ考える
わたしはもともと安楽死賛成派なのだけれど、こういう感覚はやはり欧米人というか、そっちの感覚なんだろうな
沢山の写真。愛を感じる。
何匹もネコを看取って来たものとして、書かれていることはとてもとてもよくわかる。そのうえで、安楽死がいいものなのかどうかはまだよくわからない。
人間のエゴだねえ。
猫の話とはわかっているが、けっこうな苦境の中でsurvivingを選んだ身としては、これは医療者の立場であって本人(本猫?)の見ている世界の話とは分けたいと思った。
選択肢としてわたしはアリと思っているけど先代のときは獣医師から提案がないままだった。日本の獣医師は安楽死をどう思っているんだろう。
欧米では比較的ペットの安楽死を飼い主も受け入れてるようだけど背景には獣医という専門家の判断への信頼もあると思うがどうだろう。なお豪州での野良猫殺は食われて存亡の危機にある在来動物保護のためだよ…
猫 かわいい 飯まずそう
俺は、猫は好きだが、ペットを飼えないのは、最期を考えるからだな。楽しい日々と、最期の別れを天秤にかけたら、別れが悲しすぎる。
さて、現状で人間は野生なのか愛玩動物なのか。
この文章を読んで肯定的に思えたけど、人間含めて考えたら安楽死が良いのか分からない、また分からなくなった。
動物病院でケアされながらも16歳までしか生きられなかったなんてつらい。それにしてもタトゥー文化いいな。日本にももっと広がらないかな。
がんばっても1年以内に衰弱死しちゃうような状況だったのかな。医者の判断なんだからそんな感じだったんだろう。実家の猫は子供の頃だったからかみんな行方不明みたいな最後だったが両親がどうにかしてたのかな。
虹の橋の向こうへ旅立たれた猫。願わくばまた装いが変わってでも再会したい。
ほんとに命と真剣に向き合っておられる。こう言った葛藤を社会全体で受け止めていけたらな……
他の旅立ち方を否定するものではないが、惜しまれるくらいが良いのだろう。動物のいる職場はいいよな。飼い主が多いのは楽しそうだ。
安楽死が良いかどうか、猫は本人が選べないからわからない。同調圧力がーとか言われることはあるけど、人間は自分の意思で選ぶことができる。他人に迷惑かけてまで生にしがみつきたくない。
ペントバルビタールでの安楽死:本当に眠るように逝けてよかった。安心しました。(安楽死に筋弛緩剤やストリキニーネを使うやつは八大地獄へGo!)
涙なしには読めないよ/人間の場合、安楽死に追い込まれるような事態が悪というだけで主体的に選ぶ自由はあるべきだと思ってる。自殺だって自由なんだから。
飼い主側としては生きていてほしいけど、無理に生きていてほしいわけではない。こういう選択肢があるのはありがたいと思う。14年前の実家の初代猫とのお別れを思い出してちょっと泣いた。
先の見えない入院から連れ帰って最後の数日を家で過ごした犬を思い出して泣く。うちの先生からその提案は全く出なかったけども、最後の日々が安らかであったことを祈るばかりだ。
人間も同じだと思うんだけどな…
安楽死は(人間にとって)都合のいい話である。ただ、そもそもペットという存在自体が人間にとって都合のいいものであり、その生死だけに自然だのペットの意思だのを云々言うのも不自然だしな
もしかしたら奇跡的に復活するかもしれないという思いがどこかにあるんだよな。
所詮人間のための愛玩動物だしね。人間のエゴでそうなる。つまりタトゥーと同じ
ボク、病院猫ちゃんさみしいにゃん、でも豪州楽しんでにゃ!
欧米人みたいに癌と判明したから/年老いたから安楽死、はとてもできないけど、緩和する術の無い痛み苦しみの中で死を待つだけの日々になったら頑張って決心しようと思っている。
過去に一度だけ安楽死でお別れした猫がいる。最期の瞬間が嫌いな病院になってしまったのは可哀想で、それでも痙攣して吐いている状態で延命をとは思えなかった。選択の前後がしんどい。
ペット自身は判断できず意思の表明もできないし、飼い主の気持ちだけでの判断はエゴにしかならいし。人間とペットの関係性と獣医師の打てる手の間からどちらにするかを選べるべきで、片方を否定するのは思考停止。
人間もこんな風に死ねたら幸せだろうな。
用意できる中で一番いい別れだったんだろう
猫を飼うことは人間のエゴだし、安楽死を選ぶことも人間のエゴ。飼い主が正しい、猫が幸せだと思う選択をすればいい。お疲れ様。
( 死にかけた猫にはカワハギを食べさせてあげてくだされ。〔毎日要求されるとちょっと辛いけども、死ぬ前に一度は食べさせてあげたい〕 )
終末期ネコ介護したからアリだと感じる。猫の末期は慢性腎臓病や口内炎で、強制給餌、排泄の失敗、嘔吐、歯痛・よだれ、毛繕いできずみるみる不衛生な感じに…。強制給餌がやめられない感じになったら覚悟したい
かかりつけの獣医師も経験豊かな腫瘍専門医で大きい手術もこなしながら、この先生寄りの考え。(もちろん飼い主の意見は尊重される)無理に苦しみが長引いた子を沢山見てきたからなのか。いつか聞いてみたい
苦痛の延長であるかどうかか。でも最後にスモークサーモンもちゅーるも食べているのを見ると簡単に割り切れないだろうな。
昨年夏旅立ったうちの猫を思い出す。妻が出張から帰るのを待って、少し目を離している間に亡くなった。安楽死の決断をされた病院の皆さんに敬服します。
よく言う「自然な死」との違いについても書かれているので勉強になった。
「生かされる」苦痛を終わらせる決断か。ペットのQOLについて改めて考えさせられるな
猫を何度もお迎えして看取ってると幸せってなんだろう、長生きさせるのは飼い主のエゴなのかって悩む。日本だと延命させるのが愛って感じだけど猫は苦しくないのかなって気持ちになってしまう。
ねこもねこにより性格ちがうのでなんともなあ
ペットの安楽死を、容易に人間に拡大解釈してはいけない。
動物の安楽死と言えば競走馬の骨折がすぐ思い浮かぶが、このエンヤちゃんの場合と比べると苦しむ前にと言いつつもやっぱりペットだとそれなりに粘ってからではあるよね。
幸せな猫ちゃんだ…/実家で飼ってた猫、入院させてたら夜中に亡くなってしまったと連絡が来たんだよね。回復するかもという淡い期待があったせいで、最期そばにいてやれなかったの未だに悔やんでる。
多分この考え方が日本で理解されるには軽くあと20年はかかるだろうし、何なら永久に無理かも知れない。私も受け入れられない。
豪州含めた欧米社会は動物の安楽死へのハードルが低く、同時にペットをプレゼントに使う文化もあって相対的には命が軽い印象を受けるが、ペットとの付き合い方はより深く徹底している印象があって複雑
うう…猫…。がんの人もほんとに最後の方は安楽死ぽいよね…
ペットは人間の都合で去勢をしてわがままで飼ってる愛玩動物だから死期を人間が決めるのは別に変じゃない。変にノスタルジックになってペットの安楽死を反対する方がおかしい。猫生おつかれさまにゃ。
生き物の宿命として、死ぬまでの一定期間は醜く苦しむのが自然で、特別に可哀想がるのは変な気がする。とはいえ自分はできるだけ苦しみたくないのである。
つい先日、自然死として祖母を見送ったが、胃瘻も点滴もなく苦しそうに息をしながら少しずつ死に向かうのを家族と親族が入れ替わりながら3日も見守ったのは辛かった。こんな風にスッと逝かせられれば良かったのかな
安楽死というものにここまで向き合える記事はなかなかない
自分は早く死にたいんだけど、猫はずっといてほしいってら思っちゃったんだよね。うちの子たちは私ががんばればもう少し生きられたのかなとかいつも考えちゃう。でも苦しいのもかわいそうなんだよね。よくわからない
うちのトラ吉も年末にお星様になった。すごく長く生きてくれて、いい猫だった
“吐き気も下痢も関係なくなるから、本来食べてはいけないけど本人が大好きなものもいっぱい食べられた。”
悲しくて見てられないので、私はペット飼えないな。懐かれてしまったらどうしよう。
俺も自分自身の安楽死肯定派だけど、人間の場合、絶対に社会というものが絡むから簡単ではないね。愛玩動物は最初から最後まで人間が責任を持つべきという思想が広まっており、世話を放棄しない限り尊重されてよい。
一般化する必要なんてない。これは良かったんです。絶対に。誰が何と言おうとも。この人は獣医師だけど今回は飼い主として決断したのです。飼い主が動物のためを思って苦しんで決断したことは絶対に正しい。
何でも選択できる社会が健全なのではないかと思ってる。R.I.P Enya
うちの動物達はまだ若いけど、飼ってみてはじめて人と動物との絆が分かり、先生方の気持ちを思い大号泣。私は昔から圧倒的に安楽死肯定派(人も)。苦しい思いはしたくないし、大事な人・生き物にもしてほしくない。
抱っこするたびににこの子より私は長く生きてしまうだろう、その時が来た時私は、この子はどうなってしまうのか毎回のように考えてしまう
猫に意思確認できねーのに肯定できるわけねーだろ。逆に嫌になったわ。
号泣してしまった。自分の飼い猫が同じ状況になった時、この選択ができるのだろうか。
猫が苦しむとこ見たくねえし、んじゃ殺すかの精神 愛玩動物なんてそんなモンよな 人間主体主義|結局生かすも殺すも人間のエゴ 意思確認出来ない存在なら動物に限らず必中のエゴ領域展開 それが安楽死
本人は選ばなかったと思うけど、母と祖母を安楽死させてあげたかったなあと思う。そんな壮絶な最後ではなかったけどそれでも。
この反応見ると、日本でも人間の安楽死可決の可能性あるな。マジで早くしてくれ
「人が命の選別をしてはならない」という倫理観を絶対としてはいけないと思う。出来るのにやらないのは残酷すぎる。必要なのは命と必死で向き合うことだ。/号泣するからダメだよこれ😭
ただただ、人間の傲慢さが良く分かる話とブコメだ。苦しむ自由だってあるんだし、それを行使したいかどうかは当該猫にしか分からない。
ペットの安楽死はペットの意思を確認できないんだから飼い主の為にやるんだろ。自分が見ているのが辛いから注射を打ったんだろ。自己欺瞞であることから目を逸らすな。
できれば死なないでほしいという強烈な願いを持つ人が一致して「楽になってほしい」というならそれは正解だろ/安楽死に反対してるのは「死んでほしい」と思われることを恐れる人。その愛されない生き方を直せよと
「ガツガツ食べた。きっと数時間後には下痢と吐き気が来るだろう。だがもう関係ない。数時間後には眠るように旅立つ。だからいっぱいお食べ。今まで我慢していた分だけお食べ」愛猫の最期を思い出して涙が出てしまう
エンヤと取り巻く人々みんなが素敵。 安楽死については、なんだか一生答えを出せそうにないです。 (自分自身については肯定ですが)
基本弱みを隠す肉食動物の猫が苦しそうにするのはよほど辛いのだろうね
ペットに安楽死の選択肢はあるよね。うちは犬も猫も老衰だったけど…。人間の安楽死に反対派が多いのは日本人・日本政府を見てたら老人病人障害者に対し社会の圧力をかけることが容易に想像できてしまうからだろうな
私が小学校の時に飼ってた犬も「あすには安楽死」と言うところで息絶えたって親に聞いてよかったあーと泣いた記憶。でも大人になった今となってはそれがほんとに自然死だったかどうかは藪の中ね。。
なぜ「本人が喜ばない食事を半ば強制給餌」と安楽死の二択になるのかが解らない。食わずに衰弱して死ぬのが一番の苦痛である、という判断なのかも知れない。ならば、日本人の多くがそう感じないのはなぜか。
苦しんでも生きる自由はあり本猫にしかわからないのだから、と、皆に撫でられて好物食べて幸せな最期を迎える自由を奪うのもどうなんだろうという気持ち。選択肢自体はほしいなぁ。できれば私にも…
動物飼うのも安楽死させるのも傲慢な人間のエゴなのに、さも美談であるかのように語る人が嫌いだ
勝手に生殖能力を除去するのがアリなら安楽死させるのもアリなのでは
『愛玩動物はポジティブであるべきだ。』
選択肢があるのが羨ましい 俺は肯定したい
うちは今まで6匹見送っていて幸運にも全て夫婦で看取れたんどけど、もしもたった1人で逝かせることになったらどうしようと常々心配している(まだ4匹いる)なので安楽死も選択肢の1つとして持たないといけないよ
人間に生き物を飼う資格はないな。食い物にするならわかるが無意味だ。
ダメだ。ペットが死ぬ話を見ると目に汗が浮かぶ。
自死する動物はいない。苦しませたくないって気持ちからの"安楽死"は飼い主や獣医の価値観を“動物のため”と正当化しているのではないか、それは殺処分と何が違うのか、と言う視点は動物飼いとして常に持ちたい。
酷い事するなーと思った。老猫ならば殺さなくても長くはなかっただろうに。これはただの殺処分。安楽死「させる」じゃなくて「する」という言い方にも嫌悪感。自ら選べる人間の安楽死と同列に並べるべきではない。
『心臓病は常に内側から溺れる様なものだ。慢性的な腎臓病は24時間ずっと二日酔いで吐き続けるようなもので、肺炎になれば喉に物を詰まらせ続ける感覚に、感染症を起こせば40度の体温に焼かれながら命の炎を消費して
ワイも安楽死は制度として存在していいとは思うけど、それでも「他人に安楽死を勧める」という絶対超えてはいけないラインの存在も信じてる。この制度のある国にはこのラインを当たり前のように超えるものもある
ヒネったことや気の利いたことはいえない。悲しい。
犬だけどうちは選べなかったなー。未だに何が正解だったのか分からない。もっと散歩行けばよかったとか写真撮ればよかったとか後悔ばかり。
これだけ葛藤して選んだ道なら、全員納得する正解じゃなかったとしても間違いとまでは言えない気がするんだよな、人間でも本人に意思を確認できない状況なら同じようなことを考えるんだろうと思った
死は誰の物なのか。本人の物なのか残された人々の物なのか。人間にも十分に当てはまる話
別れはいつでも辛いものだ。love and lost.
人間の安楽死に関しても『総論反対・各論賛成』が多い気がする。制度としては否定しておきつつ、個別の事案については止むなしと考える人たち。
愛猫が足にもたれかかる重みを感じながら読みました。いつか来るかもしれない、決断をしなくてはいけない日までよくよく考えていこうと思います。
私はペットでも「積極的治療をするのは非人道的な段階に来てるので深く鎮静かけて枯れるのを見とる」っていう方法があったら選びたい。どう違うと問われると窮するのだけど、消極的安楽死というか…
何が正解では無いし決められるのは一生を見守ってきた飼い主だけだと思う。死を前にのたうち回るほどの激しい苦痛から解放する術として、頭の隅には置いている。
安楽死の是非などを除いても愛猫との生活を綴った良い記事。こんな記事を書ける人なのだからいろいろ考えた末に至った結論なのだろうと支持できる。
一生を終える、それは様々だ。ならどうやって最後を迎えるのか。当事者が選ぶべきなのだろうか。現代は選択肢が増えた。それは良いことでもあり、同時に悩みが増えた。自分ならどうする?
呼吸しているということが、生きているということではない。
どんなペットもだけど最後まで看取る覚悟をして愛してあげてほしい
安楽死はダメなんだ。避妊・去勢手術はいいのに。歪んでるとしか思えないな。
安楽死は肯定派だけど、いざ自分の猫がその場面になったときにその判断をできるかどうかはわからない。まだ4歳。でもいつかその日は必ず来るんだよなあ。今を大切に、死ぬほど楽しかったと思ってもらおう。
同じように安楽死に携わる獣医師(ほとんどの獣医師がそうか…)として、こんなにわかりやすく言語化できることに尊敬。というか、オーストラリアではみんな理解があるような感じで羨ましい。
自然界ならそもそも狩りもできずチキンもないし食べなくて老衰になるのかな。いろいろ考えさせられる。病院の方のタトゥーが結構大きめ。向こうの獣医も忙しそう。
これだけ食欲がありながらも安楽死を選ぶのには賛成しない。昔の猫は死ぬ姿は見せないとの迷信も信じているので、臨終に立ち会いたいとの人の思いは猫には迷惑かもしれない。
すごく共感した。自分の飼っている猫たちもいずれこういう日が来るし、その時に安楽死という選択肢があることの尊さを知れた。
泣いた
病院猫に別れを告げる - とある獣医の豪州生活Ⅱ
年齢と症状がうちの子とほぼ同じだった。ゆっくり目を閉じるあの子に「ありがとうね」「またね」を何十回も言いながら看取った瞬間がまざまざと蘇ったけど、それでもやっぱり安楽死はあっていいと今も断言できる。
エゴはどちらにも付くね“「きっと一緒に居られるだけで幸せ」。気持ちは痛いほど分かるが、一緒にいられることが加点1だったとしても、慢性的関節炎で減点、散歩に行けないで減点、食欲不振で減点、吐き気で減点、
愛玩動物の生き死には飼い主が責任を持つ。安楽死は苦しみを長引かせない為のもの肯定する。
安楽死の判断は出来なかったな。最後まで苦しませてしまった。
オーストラリアは野良猫も機械が毒物噴射して駆除する国だから死生観が違うわ。
飼い猫を苦しませたくないという気持ちが一番なので、否定は全くできない。その選択がその瞬間にできるかどうかは何とも言えないけれど。
元気なころの写真、ほとんどが「ちょっと目つきが険しい」感じで、そこがまた個性的でよい。苦しませ過ぎずに逝かせてあげたことや、本件での『安楽死は良いものです』を肯定する。
尊厳
うむ……
私の幼少期、ジステンパーを患った愛犬の安楽死経験がある。いまだに忘れてないな
人間の安楽死については非難轟轟だけど、ネコの安楽死については肯定的な意見が多いのだな。本人(猫)に意思の確認は不可能。人間とネコは違うといえばそれまでだけど、ちょっと意外(私は人間の安楽死も肯定派)。
犬を飼って居て老衰で亡くなったけどペットの安楽死というのは考えてしまう問題。苦しませずに長生きさせる方針が日本だけどそれは本当に幸せなことか?と考える。人間とは違う存在だからこそ考える
わたしはもともと安楽死賛成派なのだけれど、こういう感覚はやはり欧米人というか、そっちの感覚なんだろうな
沢山の写真。愛を感じる。
何匹もネコを看取って来たものとして、書かれていることはとてもとてもよくわかる。そのうえで、安楽死がいいものなのかどうかはまだよくわからない。
人間のエゴだねえ。
猫の話とはわかっているが、けっこうな苦境の中でsurvivingを選んだ身としては、これは医療者の立場であって本人(本猫?)の見ている世界の話とは分けたいと思った。
選択肢としてわたしはアリと思っているけど先代のときは獣医師から提案がないままだった。日本の獣医師は安楽死をどう思っているんだろう。
欧米では比較的ペットの安楽死を飼い主も受け入れてるようだけど背景には獣医という専門家の判断への信頼もあると思うがどうだろう。なお豪州での野良猫殺は食われて存亡の危機にある在来動物保護のためだよ…
猫 かわいい 飯まずそう
俺は、猫は好きだが、ペットを飼えないのは、最期を考えるからだな。楽しい日々と、最期の別れを天秤にかけたら、別れが悲しすぎる。
さて、現状で人間は野生なのか愛玩動物なのか。
この文章を読んで肯定的に思えたけど、人間含めて考えたら安楽死が良いのか分からない、また分からなくなった。
動物病院でケアされながらも16歳までしか生きられなかったなんてつらい。それにしてもタトゥー文化いいな。日本にももっと広がらないかな。
がんばっても1年以内に衰弱死しちゃうような状況だったのかな。医者の判断なんだからそんな感じだったんだろう。実家の猫は子供の頃だったからかみんな行方不明みたいな最後だったが両親がどうにかしてたのかな。
虹の橋の向こうへ旅立たれた猫。願わくばまた装いが変わってでも再会したい。
ほんとに命と真剣に向き合っておられる。こう言った葛藤を社会全体で受け止めていけたらな……
他の旅立ち方を否定するものではないが、惜しまれるくらいが良いのだろう。動物のいる職場はいいよな。飼い主が多いのは楽しそうだ。
安楽死が良いかどうか、猫は本人が選べないからわからない。同調圧力がーとか言われることはあるけど、人間は自分の意思で選ぶことができる。他人に迷惑かけてまで生にしがみつきたくない。
ペントバルビタールでの安楽死:本当に眠るように逝けてよかった。安心しました。(安楽死に筋弛緩剤やストリキニーネを使うやつは八大地獄へGo!)
涙なしには読めないよ/人間の場合、安楽死に追い込まれるような事態が悪というだけで主体的に選ぶ自由はあるべきだと思ってる。自殺だって自由なんだから。
飼い主側としては生きていてほしいけど、無理に生きていてほしいわけではない。こういう選択肢があるのはありがたいと思う。14年前の実家の初代猫とのお別れを思い出してちょっと泣いた。
先の見えない入院から連れ帰って最後の数日を家で過ごした犬を思い出して泣く。うちの先生からその提案は全く出なかったけども、最後の日々が安らかであったことを祈るばかりだ。
人間も同じだと思うんだけどな…
安楽死は(人間にとって)都合のいい話である。ただ、そもそもペットという存在自体が人間にとって都合のいいものであり、その生死だけに自然だのペットの意思だのを云々言うのも不自然だしな
もしかしたら奇跡的に復活するかもしれないという思いがどこかにあるんだよな。
所詮人間のための愛玩動物だしね。人間のエゴでそうなる。つまりタトゥーと同じ
ボク、病院猫ちゃんさみしいにゃん、でも豪州楽しんでにゃ!
欧米人みたいに癌と判明したから/年老いたから安楽死、はとてもできないけど、緩和する術の無い痛み苦しみの中で死を待つだけの日々になったら頑張って決心しようと思っている。
過去に一度だけ安楽死でお別れした猫がいる。最期の瞬間が嫌いな病院になってしまったのは可哀想で、それでも痙攣して吐いている状態で延命をとは思えなかった。選択の前後がしんどい。
ペット自身は判断できず意思の表明もできないし、飼い主の気持ちだけでの判断はエゴにしかならいし。人間とペットの関係性と獣医師の打てる手の間からどちらにするかを選べるべきで、片方を否定するのは思考停止。
人間もこんな風に死ねたら幸せだろうな。
用意できる中で一番いい別れだったんだろう
猫を飼うことは人間のエゴだし、安楽死を選ぶことも人間のエゴ。飼い主が正しい、猫が幸せだと思う選択をすればいい。お疲れ様。
( 死にかけた猫にはカワハギを食べさせてあげてくだされ。〔毎日要求されるとちょっと辛いけども、死ぬ前に一度は食べさせてあげたい〕 )
終末期ネコ介護したからアリだと感じる。猫の末期は慢性腎臓病や口内炎で、強制給餌、排泄の失敗、嘔吐、歯痛・よだれ、毛繕いできずみるみる不衛生な感じに…。強制給餌がやめられない感じになったら覚悟したい
かかりつけの獣医師も経験豊かな腫瘍専門医で大きい手術もこなしながら、この先生寄りの考え。(もちろん飼い主の意見は尊重される)無理に苦しみが長引いた子を沢山見てきたからなのか。いつか聞いてみたい
苦痛の延長であるかどうかか。でも最後にスモークサーモンもちゅーるも食べているのを見ると簡単に割り切れないだろうな。
昨年夏旅立ったうちの猫を思い出す。妻が出張から帰るのを待って、少し目を離している間に亡くなった。安楽死の決断をされた病院の皆さんに敬服します。
よく言う「自然な死」との違いについても書かれているので勉強になった。
「生かされる」苦痛を終わらせる決断か。ペットのQOLについて改めて考えさせられるな
猫を何度もお迎えして看取ってると幸せってなんだろう、長生きさせるのは飼い主のエゴなのかって悩む。日本だと延命させるのが愛って感じだけど猫は苦しくないのかなって気持ちになってしまう。
ねこもねこにより性格ちがうのでなんともなあ
ペットの安楽死を、容易に人間に拡大解釈してはいけない。
動物の安楽死と言えば競走馬の骨折がすぐ思い浮かぶが、このエンヤちゃんの場合と比べると苦しむ前にと言いつつもやっぱりペットだとそれなりに粘ってからではあるよね。
幸せな猫ちゃんだ…/実家で飼ってた猫、入院させてたら夜中に亡くなってしまったと連絡が来たんだよね。回復するかもという淡い期待があったせいで、最期そばにいてやれなかったの未だに悔やんでる。
多分この考え方が日本で理解されるには軽くあと20年はかかるだろうし、何なら永久に無理かも知れない。私も受け入れられない。
豪州含めた欧米社会は動物の安楽死へのハードルが低く、同時にペットをプレゼントに使う文化もあって相対的には命が軽い印象を受けるが、ペットとの付き合い方はより深く徹底している印象があって複雑
うう…猫…。がんの人もほんとに最後の方は安楽死ぽいよね…
ペットは人間の都合で去勢をしてわがままで飼ってる愛玩動物だから死期を人間が決めるのは別に変じゃない。変にノスタルジックになってペットの安楽死を反対する方がおかしい。猫生おつかれさまにゃ。
生き物の宿命として、死ぬまでの一定期間は醜く苦しむのが自然で、特別に可哀想がるのは変な気がする。とはいえ自分はできるだけ苦しみたくないのである。
つい先日、自然死として祖母を見送ったが、胃瘻も点滴もなく苦しそうに息をしながら少しずつ死に向かうのを家族と親族が入れ替わりながら3日も見守ったのは辛かった。こんな風にスッと逝かせられれば良かったのかな
安楽死というものにここまで向き合える記事はなかなかない
自分は早く死にたいんだけど、猫はずっといてほしいってら思っちゃったんだよね。うちの子たちは私ががんばればもう少し生きられたのかなとかいつも考えちゃう。でも苦しいのもかわいそうなんだよね。よくわからない
うちのトラ吉も年末にお星様になった。すごく長く生きてくれて、いい猫だった
“吐き気も下痢も関係なくなるから、本来食べてはいけないけど本人が大好きなものもいっぱい食べられた。”
悲しくて見てられないので、私はペット飼えないな。懐かれてしまったらどうしよう。
俺も自分自身の安楽死肯定派だけど、人間の場合、絶対に社会というものが絡むから簡単ではないね。愛玩動物は最初から最後まで人間が責任を持つべきという思想が広まっており、世話を放棄しない限り尊重されてよい。
一般化する必要なんてない。これは良かったんです。絶対に。誰が何と言おうとも。この人は獣医師だけど今回は飼い主として決断したのです。飼い主が動物のためを思って苦しんで決断したことは絶対に正しい。
何でも選択できる社会が健全なのではないかと思ってる。R.I.P Enya
うちの動物達はまだ若いけど、飼ってみてはじめて人と動物との絆が分かり、先生方の気持ちを思い大号泣。私は昔から圧倒的に安楽死肯定派(人も)。苦しい思いはしたくないし、大事な人・生き物にもしてほしくない。
抱っこするたびににこの子より私は長く生きてしまうだろう、その時が来た時私は、この子はどうなってしまうのか毎回のように考えてしまう
猫に意思確認できねーのに肯定できるわけねーだろ。逆に嫌になったわ。
号泣してしまった。自分の飼い猫が同じ状況になった時、この選択ができるのだろうか。
猫が苦しむとこ見たくねえし、んじゃ殺すかの精神 愛玩動物なんてそんなモンよな 人間主体主義|結局生かすも殺すも人間のエゴ 意思確認出来ない存在なら動物に限らず必中のエゴ領域展開 それが安楽死
本人は選ばなかったと思うけど、母と祖母を安楽死させてあげたかったなあと思う。そんな壮絶な最後ではなかったけどそれでも。
この反応見ると、日本でも人間の安楽死可決の可能性あるな。マジで早くしてくれ
「人が命の選別をしてはならない」という倫理観を絶対としてはいけないと思う。出来るのにやらないのは残酷すぎる。必要なのは命と必死で向き合うことだ。/号泣するからダメだよこれ😭
ただただ、人間の傲慢さが良く分かる話とブコメだ。苦しむ自由だってあるんだし、それを行使したいかどうかは当該猫にしか分からない。
ペットの安楽死はペットの意思を確認できないんだから飼い主の為にやるんだろ。自分が見ているのが辛いから注射を打ったんだろ。自己欺瞞であることから目を逸らすな。
できれば死なないでほしいという強烈な願いを持つ人が一致して「楽になってほしい」というならそれは正解だろ/安楽死に反対してるのは「死んでほしい」と思われることを恐れる人。その愛されない生き方を直せよと
「ガツガツ食べた。きっと数時間後には下痢と吐き気が来るだろう。だがもう関係ない。数時間後には眠るように旅立つ。だからいっぱいお食べ。今まで我慢していた分だけお食べ」愛猫の最期を思い出して涙が出てしまう
エンヤと取り巻く人々みんなが素敵。 安楽死については、なんだか一生答えを出せそうにないです。 (自分自身については肯定ですが)
基本弱みを隠す肉食動物の猫が苦しそうにするのはよほど辛いのだろうね
ペットに安楽死の選択肢はあるよね。うちは犬も猫も老衰だったけど…。人間の安楽死に反対派が多いのは日本人・日本政府を見てたら老人病人障害者に対し社会の圧力をかけることが容易に想像できてしまうからだろうな
私が小学校の時に飼ってた犬も「あすには安楽死」と言うところで息絶えたって親に聞いてよかったあーと泣いた記憶。でも大人になった今となってはそれがほんとに自然死だったかどうかは藪の中ね。。
なぜ「本人が喜ばない食事を半ば強制給餌」と安楽死の二択になるのかが解らない。食わずに衰弱して死ぬのが一番の苦痛である、という判断なのかも知れない。ならば、日本人の多くがそう感じないのはなぜか。
苦しんでも生きる自由はあり本猫にしかわからないのだから、と、皆に撫でられて好物食べて幸せな最期を迎える自由を奪うのもどうなんだろうという気持ち。選択肢自体はほしいなぁ。できれば私にも…
動物飼うのも安楽死させるのも傲慢な人間のエゴなのに、さも美談であるかのように語る人が嫌いだ
勝手に生殖能力を除去するのがアリなら安楽死させるのもアリなのでは
『愛玩動物はポジティブであるべきだ。』
選択肢があるのが羨ましい 俺は肯定したい
うちは今まで6匹見送っていて幸運にも全て夫婦で看取れたんどけど、もしもたった1人で逝かせることになったらどうしようと常々心配している(まだ4匹いる)なので安楽死も選択肢の1つとして持たないといけないよ
人間に生き物を飼う資格はないな。食い物にするならわかるが無意味だ。
ダメだ。ペットが死ぬ話を見ると目に汗が浮かぶ。
自死する動物はいない。苦しませたくないって気持ちからの"安楽死"は飼い主や獣医の価値観を“動物のため”と正当化しているのではないか、それは殺処分と何が違うのか、と言う視点は動物飼いとして常に持ちたい。
酷い事するなーと思った。老猫ならば殺さなくても長くはなかっただろうに。これはただの殺処分。安楽死「させる」じゃなくて「する」という言い方にも嫌悪感。自ら選べる人間の安楽死と同列に並べるべきではない。
『心臓病は常に内側から溺れる様なものだ。慢性的な腎臓病は24時間ずっと二日酔いで吐き続けるようなもので、肺炎になれば喉に物を詰まらせ続ける感覚に、感染症を起こせば40度の体温に焼かれながら命の炎を消費して
ワイも安楽死は制度として存在していいとは思うけど、それでも「他人に安楽死を勧める」という絶対超えてはいけないラインの存在も信じてる。この制度のある国にはこのラインを当たり前のように超えるものもある
ヒネったことや気の利いたことはいえない。悲しい。
犬だけどうちは選べなかったなー。未だに何が正解だったのか分からない。もっと散歩行けばよかったとか写真撮ればよかったとか後悔ばかり。
これだけ葛藤して選んだ道なら、全員納得する正解じゃなかったとしても間違いとまでは言えない気がするんだよな、人間でも本人に意思を確認できない状況なら同じようなことを考えるんだろうと思った
死は誰の物なのか。本人の物なのか残された人々の物なのか。人間にも十分に当てはまる話
別れはいつでも辛いものだ。love and lost.
人間の安楽死に関しても『総論反対・各論賛成』が多い気がする。制度としては否定しておきつつ、個別の事案については止むなしと考える人たち。
愛猫が足にもたれかかる重みを感じながら読みました。いつか来るかもしれない、決断をしなくてはいけない日までよくよく考えていこうと思います。
私はペットでも「積極的治療をするのは非人道的な段階に来てるので深く鎮静かけて枯れるのを見とる」っていう方法があったら選びたい。どう違うと問われると窮するのだけど、消極的安楽死というか…
何が正解では無いし決められるのは一生を見守ってきた飼い主だけだと思う。死を前にのたうち回るほどの激しい苦痛から解放する術として、頭の隅には置いている。
安楽死の是非などを除いても愛猫との生活を綴った良い記事。こんな記事を書ける人なのだからいろいろ考えた末に至った結論なのだろうと支持できる。
一生を終える、それは様々だ。ならどうやって最後を迎えるのか。当事者が選ぶべきなのだろうか。現代は選択肢が増えた。それは良いことでもあり、同時に悩みが増えた。自分ならどうする?
呼吸しているということが、生きているということではない。
どんなペットもだけど最後まで看取る覚悟をして愛してあげてほしい
安楽死はダメなんだ。避妊・去勢手術はいいのに。歪んでるとしか思えないな。
安楽死は肯定派だけど、いざ自分の猫がその場面になったときにその判断をできるかどうかはわからない。まだ4歳。でもいつかその日は必ず来るんだよなあ。今を大切に、死ぬほど楽しかったと思ってもらおう。
同じように安楽死に携わる獣医師(ほとんどの獣医師がそうか…)として、こんなにわかりやすく言語化できることに尊敬。というか、オーストラリアではみんな理解があるような感じで羨ましい。
自然界ならそもそも狩りもできずチキンもないし食べなくて老衰になるのかな。いろいろ考えさせられる。病院の方のタトゥーが結構大きめ。向こうの獣医も忙しそう。
これだけ食欲がありながらも安楽死を選ぶのには賛成しない。昔の猫は死ぬ姿は見せないとの迷信も信じているので、臨終に立ち会いたいとの人の思いは猫には迷惑かもしれない。
すごく共感した。自分の飼っている猫たちもいずれこういう日が来るし、その時に安楽死という選択肢があることの尊さを知れた。
泣いた