“どれほどボールペンのような出来事と、ボールペンのような出来事の話をできる人に、出会えるだろうか。”
妻に先立たれてホントに思ったのはこういう個人的で些細な他人にとってはきっとどうでもいいであろうことをちょっと話す相手がいなくなったんだなあってことだったからきっとそういうことなんだと思う
“ノートに書きつけてみれば書き心地がすごくよくて、お尻の辺りから喜びがぐわっと広がって” いいねえ
“銀座にきた、ボールペンを買った、書き心地がよかった、と、メッセージを打ってみる。宇宙一しらんがな案件のこれにすぐさま返信がくる。それを見て、ああやっぱりこの人に話してよかった、と”
なんだろ、良い文章なのに個人的にヒコロヒー氏に感じてる "演じてる" 感の根源がよくわからないんだよね。
ヒコロヒーさん、こういうちょっとややこしいところが大好きでもあるし大嫌いでもある。複雑な感情を喚起させる人だ。
この方は何をされてる方なの?
最高
「ヒコロヒーが書いた文章である」感がビンビンに伝わってくる言い回し>"さらに相手がよしなになろうとしている男性である場合なら"
賢そうな人だとは思っていたが、こんなに文才のある人やったんやな
よい散文だ。何気ない日常の幸せを話し合える幸せというのはよいものだと思う
日本エッセイスト・クラブのアンソロジーに載っててほしい。わからない人に勝手に説明すると、突然登場する「山口さん」は「世界はこれを愛と呼ぶんだぜ」という楽曲を作ったサンボマスターの山口隆さん。
https://participacionciudadana.minvu.gob.cl/sites/default/files/webform/money-questions.pdf
素敵な文章。こたけ正義感のラジオで「偉くなりなたい」と言っていた。こういう感性の人にどんどん上に行ってもらって時代を作って欲しい。
こういう誰に言うでもない感情をサラッと流せるのがtwitterだった気がする
ヒコロヒーは小説も大変よい。類まれなる文才の持ち主
“ボールペンを買ったことなんて絶対に言いたくない人もいるのに、なぜあなたにはこの喜びを伝えたくなるのだろうか。こんなにつまらないことは他の人には話したくない。あなたに話したい。”
すごく良い
ヒコロヒーは元多重債務者だから。もし売れずに、債務がそのままだったら、意識や注意は明日の支払いによって変質し、誰かに話したいという気持ちや感情すら喪失する…気がするんだけど。そういう話を聞きたい。
よいな。中村一義の「謎」を思い出した。
最近ぺんてるのCalmeというボールペンがお気に入りで自分の中では一番になった。書き味もデザインも手触りも好きだ。銀座に行かなくてもその辺で売ってるけど。ブログに書こうと思ったけど文才無いし面倒かった。
めちゃくちゃラブレター&プロポーズやん……こんなん読まされる相手がうらやましい(●´ω`●)
最後の「10月のことだった」で涙が溢れそうになった。この人の生の中にこのような出来事、気持ちがたしかにあって、それがこの人の生の10月という時の中にたしかにあった印だと思った。話してくれてありがとう。
ボク、ヒコロヒーさんの話、もっと聞きたいにゃ!💕
すてきなラブレターだった。「むやみに自信を奪うかやたらと張り合われるかの二択となって煩わしい思いをするだけである。とにかく自己開示はしたくない。厄介なだけだ」芸能界は大変だなあ。バランス感がないとやっ
自己開示のコミュニケーションが苦手な人は普段から自己開示以外の工夫でやり取りするのでこういう仕事に向いてるとかありそう
どうしよう、こんな素敵な人のことをずっとヒロコヒーだと思ってた…
コメントにちらほら同士がいてほっとしてるんだけど少し賢しらな印象を受けたなぁ、文章の上手さが鼻につく感じする。前にトーク番組見たときもなんかぶってる感じしたんだった。要するにあまり好きじゃないんだな。
「ヒコロヒーのヒッコロコント」って言うのが好きなのに、テレビであんまり聞けなくてかなしい。
うーん、いい感じなんだが狙いすぎで自意識過剰
そしてわたしは今日ヒコロヒーの文章を初めて読んだけど良かったで、あんたも読んでみ、と夫に伝えると思う。SNS未満、久々に会った友達に話すネタ未満、そういう呟きが落とせる関係ってのは有難いと思う
唸ってしまったぜ
地球平面説を信じてる人もテロや災害や家族の不幸でしんどい目にあって、話し相手や拠り所がない人みたく、社会的に孤立した人の愚痴の言える場所や拠り所とかになってたりするからなあ。
よく分からんが、エッセイストじゃないんだから何書いたって世に出したらただの承認欲求でしかないよ。どんだけ有名になろが金を手に入れようが満たされなくて不満だらけな乾いた人生送ってて乙としか言えない。
すてきな文章、と思ったけど若さのまぶしさを遠くから見るような痛みを感じた。
最近の女芸人はなんか別のとこで稼ぐみたいになってきてるなぁ。芸人というより別ので。番組やライブではやっぱ中心にはなりづらいし。
伊藤沙里に似ている人
いまちょうど、行きたくもない飲み会の帰りのシメのラーメン屋で、世界はそれを愛と呼ぶんだぜが流れてきたよ。ろくでもない一日だったが、一日の終わりにこの文章に出会えてよかったよ。
なんかみんなコメントにヒコロヒー味が入っている。
好きになってからしばらくして、昔大笑いした伝説の村の生贄コントをしていた女性ということに気づいた。喫茶店をめぐるYouTubeもいいんだよねえ
子供を持つ幸せをどのように書くだろうかと思った
こんな文章を書く人なんだ。かっこいい
ヒコロヒー昔いいなと思ってたけど本人と本人が見られたいであろうキャラとのギャップが気になり出してダメになった。それはそうと、宇宙一知らんがな案件に返事がくるというくだりはとてもよい
ブルータスの人脈、審美眼、編集力。すごいな。さすがマガジンハウス。
このくらいの自意識を僕はちょうどいいと感じる
古の不倫ブログの空気感
オールスター後夜祭でヒコロヒーさんが芸人のフィギュアの箱を破り投げたのがヤラセか本心かかしらないがびっくりした
随筆文を読んでいるという気持ちになった。エッセイというより、随筆。
ヒコロヒーの文章読んで、めちゃよかってん、て伝えたくなるのは何やろね
接続詞が少ない文章を書ける人ってすごいなぁーといつも思う。
「こうした些細な出来事を話したいと思うこと、そしてそう思える人がいること、それこそが人間関係における信頼であり安らぎである気がして」
とても好きな文章だ
島清恋愛文学賞を昨年受賞してんだ…。そしてこれまでの受賞者をみて改めてすげーなあと。片鱗は見えたしまだ出てきそう。/同じ芸人作家でも又吉とは別の資質だなあと。
私には文才がないので”世界じゃそれをエッセイと呼ぶんだぜ”としかいえない。できっこないをやらなくちゃ。
ヒロコヒーはん…
クイズ番組で出演されているのを見ていたけど、このような文章を書かれる方だったのですね。本を読んでみたいと思いましたよ。
本人の声で脳内再生されるぐらい、普段の喋り口調にあったいい文章だ。。
「直感的社会論」。なるほど感情の流れるまま綴っているようにも見えるが、やたらと拗らせまくりでこねくりまくりの文章にも思える。いずれにせよ面白く味わい深いことに変わりはない。
奥さんにも読んでもらって、「分かる分かる」って賛同してもらえたら嬉しいなぁ。
ヒコロヒー、こんなに良い文章を書く人だったのか。
この芝居がかった言い回し、今っぽいよね。
これは高度なノロケ話なのか!?
テレビで見る印象と実際はだいぶちがうキャラなんだろうか。そういう目で見られるのをなんかアレな感じでめんどくさいんだろう
こういう文章は大好きなんだけど、これに、自分でも気がつかないうちに影響されてまどろっこしくなる自分が好きじゃないので、あんまり読まない、読めると嬉しい
連載エッセイなんてやってたんだ〜!そして思ってたより若かった!
後で読む
なんつーか、ヒコロヒーの芸風から感じる、アン・ルイスの「あゝ無情」感が、『まさか、愛してる?』でダイレクトに
前半の、何を言っても自慢だなんだと歪めて捉える人がいる、というくだりに首肯。大人になると無邪気に話せる相手が減るよね。知らんがなメール送れる人を大切にしたい
素敵。連載ししてたんだ、過去分も読もう
テレビでたまに遭遇して話を聞いていた時に、この人は恥じらいのある人だと好感を持っていたが、それに違わぬいい文章を読ませてもらった。小説も読んでみたい。
36歳か。同年代なので、すごく響く文章だった。
最近、よくテレビでみるけど何をしている人か知らなかった。ピン芸人なんだ。文章もうまいから、面白いネタをやりそうだ。
漫画も小説もそうだが、女性の感性は細部に宿る。細やかな事象を敏感な情感で受け止める才能がある。
いい文章だ。
こんなややこしい恋文をもらっている人が本当にいるかもしれないのもおもしろいところ。本当はいないのかなー。でも実在して、次のストーリーもいつかチラ見せしてくれると嬉しい
些細な出来事を話したいと思うこと、そう思える人がいることそれこそが人間関係における信頼であり安らぎである気がして、今日ボールペンを買ったというただそれだけの事実がどれほどの喜びときらめきを私に与えたか
私の勘違いなのだけど、彼女は新宿ゴールデン街でもなければ三茶の三角地帯でもない銀座を知るイイ女と言う事が最近わかった。ANNのOPトークでは30分いかに私がイイ女かをしゃべり続けてた。場生感はファッションかも
合わせて読むとおもしろい⇒ https://posfie.com/@taimport/p/1szinVf『会話が苦手な人は自分のことにもあまり興味がない』
これができる人は多くはないけど少なくもないので、まあ出会いはあるだろうなぁ
こんな文才知らなかった。壇蜜日記をもっと純文学してさらにこじらせてる感じ。ふだんから小説とか読んでないとこういう文は書けないと思う。
いい文章。宇宙一知らんがな案件こそ信頼している相手でないと話せないし、信頼してない相手から話されても困る。
彼女は読書家/
「信頼」や「愛」は、「どうでもいいことを共有したいと思うこと」
“余計なことを言われてげんなりすることも、そういうことではないと釈明することも面倒臭い”
結局「誰がいつどこで言うか」が文芸でも他の芸事でも評価軸として重要なんだなと思わせるベタ。無名すぎる人がどんな名曲を歌っても面白いことをやっても、名文を書いても評価されないが、一方……ということ。
彼女の文章初めて読んだ。エッセイ小説みたいで読ませる。すき。
読ませるなあ
クソ窮屈な文章読まされたな思ったが「ささやかな幸福に生かされることばかりの私は、ささやかな不幸に殺される可能性もあるということを嫌というほどに自覚している」この一文はすごくよい。一篇の物語ができる。
ヒコロヒーと麻雀打ちたいな。ダマで三面待ちとかしそう。
うっとりするようなとても素敵な文章。自分には到底書けないという思いと人と比べることはナンセンスという考えが同時に湧いてきて混乱する。
"自ら風呂敷を広げて嫌悪の粒を収集する必要はない"
長期入院してた時に今日は暑いだのなんだのいつも何でもない話をしてくれる医師と看護師が数名いて今でも思い出すよ。テレビにもよく出る某国立病院でご自身達も多忙だったろうになんとありがたかったことか
サイコーやん
そうした話をする相手がいない生活でも何も困らないけど、いる生活をしていて楽しいですね。
蛭子能収が「くにとのつきあいかた」の後書きで「この連載タイトルを提案されたときは困惑した」みたいなこと書いてたけど、「直感的社会論」はそれ以上に無茶振りタイトルが過ぎる。という話をいま妻にした
人間のややこしい心の機微をなんとうまく言語化できていることか。思わずヒコロヒーの経歴をみてしまったがこの行為自体が何を期待してのことなのか、ヒコロヒーなら何と表現するだろうか
「ボールペンのような話をしたい人」 その一文に、胸がぎゅっとなりました。 誰かに話したいと思える出来事がある事、 そして話したいと思える相手がいる事。 それこそが、人生のささやかな幸福かもしれませんね。
「はーい へんしゅうさん 原稿できましたよ へろへろ〜」……で終わるのかと思った
どのボールペンだろう。是非okb48に投票して下さい | 時折TVで見かける程度だが、そういう人そうだなという印象で違和感なかった
なにか発信しようとしたときに受け取られ方を先回りして予想していろいろ身構えてしまいがちではある。
ほえ
1段落目、いや1行目から彼女の言う”アレな感じ”を受けた、自分の卑屈さを呪う
(ブコメだけ読んで)そういう話をする人いない 聞くのは毎日 時間は有限
ああ、女の人にスナック(宇宙一知らんがな話をしにいくところ)はないのか。
これ普通に面白い。彼女を芸人と思った事ないけど(ネタ見た事ない)、資質的にもお笑いの人じゃない気がする。笑ってくれるなら別にそう呼ばれて構わんけど、みたいな感じ。
平成元年生まれ。朝井リョウと同い年。四方八方に気を遣っているような雰囲気に、共通するものを感じる。
Aマッソ加納とやってたネットラジオめちゃくちゃ面白かったんだけど、忙しくなったからか一瞬で終わったの今でも残念なんよな
ヒコロヒー「直感的社会論」:あなたになら話したい。 | ブルータス| BRUTUS.jp
“どれほどボールペンのような出来事と、ボールペンのような出来事の話をできる人に、出会えるだろうか。”
妻に先立たれてホントに思ったのはこういう個人的で些細な他人にとってはきっとどうでもいいであろうことをちょっと話す相手がいなくなったんだなあってことだったからきっとそういうことなんだと思う
“ノートに書きつけてみれば書き心地がすごくよくて、お尻の辺りから喜びがぐわっと広がって” いいねえ
“銀座にきた、ボールペンを買った、書き心地がよかった、と、メッセージを打ってみる。宇宙一しらんがな案件のこれにすぐさま返信がくる。それを見て、ああやっぱりこの人に話してよかった、と”
なんだろ、良い文章なのに個人的にヒコロヒー氏に感じてる "演じてる" 感の根源がよくわからないんだよね。
ヒコロヒーさん、こういうちょっとややこしいところが大好きでもあるし大嫌いでもある。複雑な感情を喚起させる人だ。
この方は何をされてる方なの?
最高
「ヒコロヒーが書いた文章である」感がビンビンに伝わってくる言い回し>"さらに相手がよしなになろうとしている男性である場合なら"
賢そうな人だとは思っていたが、こんなに文才のある人やったんやな
よい散文だ。何気ない日常の幸せを話し合える幸せというのはよいものだと思う
日本エッセイスト・クラブのアンソロジーに載っててほしい。わからない人に勝手に説明すると、突然登場する「山口さん」は「世界はこれを愛と呼ぶんだぜ」という楽曲を作ったサンボマスターの山口隆さん。
https://participacionciudadana.minvu.gob.cl/sites/default/files/webform/money-questions.pdf
素敵な文章。こたけ正義感のラジオで「偉くなりなたい」と言っていた。こういう感性の人にどんどん上に行ってもらって時代を作って欲しい。
こういう誰に言うでもない感情をサラッと流せるのがtwitterだった気がする
ヒコロヒーは小説も大変よい。類まれなる文才の持ち主
“ボールペンを買ったことなんて絶対に言いたくない人もいるのに、なぜあなたにはこの喜びを伝えたくなるのだろうか。こんなにつまらないことは他の人には話したくない。あなたに話したい。”
すごく良い
ヒコロヒーは元多重債務者だから。もし売れずに、債務がそのままだったら、意識や注意は明日の支払いによって変質し、誰かに話したいという気持ちや感情すら喪失する…気がするんだけど。そういう話を聞きたい。
よいな。中村一義の「謎」を思い出した。
最近ぺんてるのCalmeというボールペンがお気に入りで自分の中では一番になった。書き味もデザインも手触りも好きだ。銀座に行かなくてもその辺で売ってるけど。ブログに書こうと思ったけど文才無いし面倒かった。
めちゃくちゃラブレター&プロポーズやん……こんなん読まされる相手がうらやましい(●´ω`●)
最後の「10月のことだった」で涙が溢れそうになった。この人の生の中にこのような出来事、気持ちがたしかにあって、それがこの人の生の10月という時の中にたしかにあった印だと思った。話してくれてありがとう。
ボク、ヒコロヒーさんの話、もっと聞きたいにゃ!💕
すてきなラブレターだった。「むやみに自信を奪うかやたらと張り合われるかの二択となって煩わしい思いをするだけである。とにかく自己開示はしたくない。厄介なだけだ」芸能界は大変だなあ。バランス感がないとやっ
自己開示のコミュニケーションが苦手な人は普段から自己開示以外の工夫でやり取りするのでこういう仕事に向いてるとかありそう
どうしよう、こんな素敵な人のことをずっとヒロコヒーだと思ってた…
コメントにちらほら同士がいてほっとしてるんだけど少し賢しらな印象を受けたなぁ、文章の上手さが鼻につく感じする。前にトーク番組見たときもなんかぶってる感じしたんだった。要するにあまり好きじゃないんだな。
「ヒコロヒーのヒッコロコント」って言うのが好きなのに、テレビであんまり聞けなくてかなしい。
うーん、いい感じなんだが狙いすぎで自意識過剰
そしてわたしは今日ヒコロヒーの文章を初めて読んだけど良かったで、あんたも読んでみ、と夫に伝えると思う。SNS未満、久々に会った友達に話すネタ未満、そういう呟きが落とせる関係ってのは有難いと思う
唸ってしまったぜ
地球平面説を信じてる人もテロや災害や家族の不幸でしんどい目にあって、話し相手や拠り所がない人みたく、社会的に孤立した人の愚痴の言える場所や拠り所とかになってたりするからなあ。
よく分からんが、エッセイストじゃないんだから何書いたって世に出したらただの承認欲求でしかないよ。どんだけ有名になろが金を手に入れようが満たされなくて不満だらけな乾いた人生送ってて乙としか言えない。
すてきな文章、と思ったけど若さのまぶしさを遠くから見るような痛みを感じた。
最近の女芸人はなんか別のとこで稼ぐみたいになってきてるなぁ。芸人というより別ので。番組やライブではやっぱ中心にはなりづらいし。
伊藤沙里に似ている人
いまちょうど、行きたくもない飲み会の帰りのシメのラーメン屋で、世界はそれを愛と呼ぶんだぜが流れてきたよ。ろくでもない一日だったが、一日の終わりにこの文章に出会えてよかったよ。
なんかみんなコメントにヒコロヒー味が入っている。
好きになってからしばらくして、昔大笑いした伝説の村の生贄コントをしていた女性ということに気づいた。喫茶店をめぐるYouTubeもいいんだよねえ
子供を持つ幸せをどのように書くだろうかと思った
こんな文章を書く人なんだ。かっこいい
ヒコロヒー昔いいなと思ってたけど本人と本人が見られたいであろうキャラとのギャップが気になり出してダメになった。それはそうと、宇宙一知らんがな案件に返事がくるというくだりはとてもよい
ブルータスの人脈、審美眼、編集力。すごいな。さすがマガジンハウス。
このくらいの自意識を僕はちょうどいいと感じる
古の不倫ブログの空気感
オールスター後夜祭でヒコロヒーさんが芸人のフィギュアの箱を破り投げたのがヤラセか本心かかしらないがびっくりした
随筆文を読んでいるという気持ちになった。エッセイというより、随筆。
ヒコロヒーの文章読んで、めちゃよかってん、て伝えたくなるのは何やろね
接続詞が少ない文章を書ける人ってすごいなぁーといつも思う。
「こうした些細な出来事を話したいと思うこと、そしてそう思える人がいること、それこそが人間関係における信頼であり安らぎである気がして」
とても好きな文章だ
島清恋愛文学賞を昨年受賞してんだ…。そしてこれまでの受賞者をみて改めてすげーなあと。片鱗は見えたしまだ出てきそう。/同じ芸人作家でも又吉とは別の資質だなあと。
私には文才がないので”世界じゃそれをエッセイと呼ぶんだぜ”としかいえない。できっこないをやらなくちゃ。
ヒロコヒーはん…
クイズ番組で出演されているのを見ていたけど、このような文章を書かれる方だったのですね。本を読んでみたいと思いましたよ。
本人の声で脳内再生されるぐらい、普段の喋り口調にあったいい文章だ。。
「直感的社会論」。なるほど感情の流れるまま綴っているようにも見えるが、やたらと拗らせまくりでこねくりまくりの文章にも思える。いずれにせよ面白く味わい深いことに変わりはない。
奥さんにも読んでもらって、「分かる分かる」って賛同してもらえたら嬉しいなぁ。
ヒコロヒー、こんなに良い文章を書く人だったのか。
この芝居がかった言い回し、今っぽいよね。
これは高度なノロケ話なのか!?
テレビで見る印象と実際はだいぶちがうキャラなんだろうか。そういう目で見られるのをなんかアレな感じでめんどくさいんだろう
こういう文章は大好きなんだけど、これに、自分でも気がつかないうちに影響されてまどろっこしくなる自分が好きじゃないので、あんまり読まない、読めると嬉しい
連載エッセイなんてやってたんだ〜!そして思ってたより若かった!
後で読む
なんつーか、ヒコロヒーの芸風から感じる、アン・ルイスの「あゝ無情」感が、『まさか、愛してる?』でダイレクトに
前半の、何を言っても自慢だなんだと歪めて捉える人がいる、というくだりに首肯。大人になると無邪気に話せる相手が減るよね。知らんがなメール送れる人を大切にしたい
素敵。連載ししてたんだ、過去分も読もう
テレビでたまに遭遇して話を聞いていた時に、この人は恥じらいのある人だと好感を持っていたが、それに違わぬいい文章を読ませてもらった。小説も読んでみたい。
36歳か。同年代なので、すごく響く文章だった。
最近、よくテレビでみるけど何をしている人か知らなかった。ピン芸人なんだ。文章もうまいから、面白いネタをやりそうだ。
漫画も小説もそうだが、女性の感性は細部に宿る。細やかな事象を敏感な情感で受け止める才能がある。
いい文章だ。
こんなややこしい恋文をもらっている人が本当にいるかもしれないのもおもしろいところ。本当はいないのかなー。でも実在して、次のストーリーもいつかチラ見せしてくれると嬉しい
些細な出来事を話したいと思うこと、そう思える人がいることそれこそが人間関係における信頼であり安らぎである気がして、今日ボールペンを買ったというただそれだけの事実がどれほどの喜びときらめきを私に与えたか
私の勘違いなのだけど、彼女は新宿ゴールデン街でもなければ三茶の三角地帯でもない銀座を知るイイ女と言う事が最近わかった。ANNのOPトークでは30分いかに私がイイ女かをしゃべり続けてた。場生感はファッションかも
合わせて読むとおもしろい⇒ https://posfie.com/@taimport/p/1szinVf『会話が苦手な人は自分のことにもあまり興味がない』
これができる人は多くはないけど少なくもないので、まあ出会いはあるだろうなぁ
こんな文才知らなかった。壇蜜日記をもっと純文学してさらにこじらせてる感じ。ふだんから小説とか読んでないとこういう文は書けないと思う。
いい文章。宇宙一知らんがな案件こそ信頼している相手でないと話せないし、信頼してない相手から話されても困る。
彼女は読書家/
「信頼」や「愛」は、「どうでもいいことを共有したいと思うこと」
“余計なことを言われてげんなりすることも、そういうことではないと釈明することも面倒臭い”
結局「誰がいつどこで言うか」が文芸でも他の芸事でも評価軸として重要なんだなと思わせるベタ。無名すぎる人がどんな名曲を歌っても面白いことをやっても、名文を書いても評価されないが、一方……ということ。
彼女の文章初めて読んだ。エッセイ小説みたいで読ませる。すき。
読ませるなあ
クソ窮屈な文章読まされたな思ったが「ささやかな幸福に生かされることばかりの私は、ささやかな不幸に殺される可能性もあるということを嫌というほどに自覚している」この一文はすごくよい。一篇の物語ができる。
ヒコロヒーと麻雀打ちたいな。ダマで三面待ちとかしそう。
うっとりするようなとても素敵な文章。自分には到底書けないという思いと人と比べることはナンセンスという考えが同時に湧いてきて混乱する。
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長期入院してた時に今日は暑いだのなんだのいつも何でもない話をしてくれる医師と看護師が数名いて今でも思い出すよ。テレビにもよく出る某国立病院でご自身達も多忙だったろうになんとありがたかったことか
サイコーやん
そうした話をする相手がいない生活でも何も困らないけど、いる生活をしていて楽しいですね。
蛭子能収が「くにとのつきあいかた」の後書きで「この連載タイトルを提案されたときは困惑した」みたいなこと書いてたけど、「直感的社会論」はそれ以上に無茶振りタイトルが過ぎる。という話をいま妻にした
人間のややこしい心の機微をなんとうまく言語化できていることか。思わずヒコロヒーの経歴をみてしまったがこの行為自体が何を期待してのことなのか、ヒコロヒーなら何と表現するだろうか
「ボールペンのような話をしたい人」 その一文に、胸がぎゅっとなりました。 誰かに話したいと思える出来事がある事、 そして話したいと思える相手がいる事。 それこそが、人生のささやかな幸福かもしれませんね。
「はーい へんしゅうさん 原稿できましたよ へろへろ〜」……で終わるのかと思った
どのボールペンだろう。是非okb48に投票して下さい | 時折TVで見かける程度だが、そういう人そうだなという印象で違和感なかった
なにか発信しようとしたときに受け取られ方を先回りして予想していろいろ身構えてしまいがちではある。
ほえ
“ボールペンを買ったことなんて絶対に言いたくない人もいるのに、なぜあなたにはこの喜びを伝えたくなるのだろうか。こんなにつまらないことは他の人には話したくない。あなたに話したい。”
1段落目、いや1行目から彼女の言う”アレな感じ”を受けた、自分の卑屈さを呪う
(ブコメだけ読んで)そういう話をする人いない 聞くのは毎日 時間は有限
ああ、女の人にスナック(宇宙一知らんがな話をしにいくところ)はないのか。
これ普通に面白い。彼女を芸人と思った事ないけど(ネタ見た事ない)、資質的にもお笑いの人じゃない気がする。笑ってくれるなら別にそう呼ばれて構わんけど、みたいな感じ。
平成元年生まれ。朝井リョウと同い年。四方八方に気を遣っているような雰囲気に、共通するものを感じる。
Aマッソ加納とやってたネットラジオめちゃくちゃ面白かったんだけど、忙しくなったからか一瞬で終わったの今でも残念なんよな