『アマニタ・パンセリナ』が1995年、小山田圭吾のROJインタビューが1994年(QJは1995年)。このへんの誇張・捏造は当時のサブカル鬼畜系/悪趣味系文化と地続きなんだと思う
このような指摘は私小説的小説においては重要な証言となる。事実は事実としてあるので、「あれはフィクション」で済まされるものではなく、作品は評価し直され、読まれ直す必要がある。
没後何度も「中島らもはどうしようもない人だったんだな」ということをこのように知らされるんだけど、それでも確かに心慰められた時期があったことは否定できずその度にゆらゆらする。
“悪いけれどそれは、私には「ヘルハウス」と呼ばれたらもさんの自宅兼ジャンキーの巣窟の、ハクづけのためだったような気がする。”
“中島らもの著作から角谷美知夫を知ろうとしても無効だ。 あそこにいるのは、らもさんによって造り上げられた、らもさんの華々しきジャンキー・ライフを彩るひとつの駒としての角谷君にすぎない。”
らもだから
中島らも、奥さまか娘さんに嘘ばっかり書いてる(誇張だらけ、奥さまエピソードを自分のこととして書く)って言われてた記憶があるから話半分に読んでたな
「どうして、らもさんがそんなふうに角谷君を描いたのか」→「ミイさんといっしょにお風呂に入っている写真も見せてくれた。さらに、言わなくてもいいことまで」案外ヘルハウス時代を後悔していたのかも。知らんけど
この人が追悼CDのライナーに書いて色々非難された何百倍らもは非難されてるんじゃないのかな?発行部数が桁違いなんだし。とてもいい記録。
バンドオブザナイトは執筆前から構想を何処かで聞いたか読んでいたが、まぁなんつーか、ここまで憤れる人って日本に数名しかないだろうなと思った。
この二作は何となく読まずにいたが読んでみよう/そもそもらも氏自身が双極性障害で、"水に似た感情"は躁状態で書いた支離滅裂なものだったりする。書かれた方はたまったもんじゃないだろうけど
今で言うなまものですね。理由は単純で奥さんの前彼が憎かったのか、許しきれなかったのでは。
俺は兵庫県知事再選以降、関西人は中島らもの様に真実よりおもろい方が価値があると考えていると思っている。
中島らも未履修。
そうは言っても『ガダラの豚』は傑作なんだよなあ
まあ、らも氏自身も故人なので反論も弁解もできないんだけどね。
なんかブログ主の恨みつらみが先に来て正視できないw。中島らもはアル中の自伝的私小説「今夜、すべてのバーで」とメタ視観が秀逸な「頭の中がカユいんだ」を推す。
まあらもさんもまともじゃなかったのだろうなあ、という感想。それにしてもあれらの登場人物の1人1人にも物語、繋がりがあるんだなと。当たり前だけど。
エッセイの中であからさまに嘘と分かる冗談ネタも入れまくってる人なので、まぁそんな感じだろうなくらいの感覚では読んでたな。
鮫肌文殊もらもさんのことあまりよく言わないよね
【こんな時代が来るとは思っていなかった――故・角谷美知夫について】 中島らもが『アマニタ・パンセリナ』や、『バンド・オブ・ザ・ナイト』の中で造り上げたにせ角谷君|Reiko.A/東 玲子
『アマニタ・パンセリナ』が1995年、小山田圭吾のROJインタビューが1994年(QJは1995年)。このへんの誇張・捏造は当時のサブカル鬼畜系/悪趣味系文化と地続きなんだと思う
このような指摘は私小説的小説においては重要な証言となる。事実は事実としてあるので、「あれはフィクション」で済まされるものではなく、作品は評価し直され、読まれ直す必要がある。
没後何度も「中島らもはどうしようもない人だったんだな」ということをこのように知らされるんだけど、それでも確かに心慰められた時期があったことは否定できずその度にゆらゆらする。
“悪いけれどそれは、私には「ヘルハウス」と呼ばれたらもさんの自宅兼ジャンキーの巣窟の、ハクづけのためだったような気がする。”
“中島らもの著作から角谷美知夫を知ろうとしても無効だ。 あそこにいるのは、らもさんによって造り上げられた、らもさんの華々しきジャンキー・ライフを彩るひとつの駒としての角谷君にすぎない。”
らもだから
中島らも、奥さまか娘さんに嘘ばっかり書いてる(誇張だらけ、奥さまエピソードを自分のこととして書く)って言われてた記憶があるから話半分に読んでたな
「どうして、らもさんがそんなふうに角谷君を描いたのか」→「ミイさんといっしょにお風呂に入っている写真も見せてくれた。さらに、言わなくてもいいことまで」案外ヘルハウス時代を後悔していたのかも。知らんけど
この人が追悼CDのライナーに書いて色々非難された何百倍らもは非難されてるんじゃないのかな?発行部数が桁違いなんだし。とてもいい記録。
バンドオブザナイトは執筆前から構想を何処かで聞いたか読んでいたが、まぁなんつーか、ここまで憤れる人って日本に数名しかないだろうなと思った。
この二作は何となく読まずにいたが読んでみよう/そもそもらも氏自身が双極性障害で、"水に似た感情"は躁状態で書いた支離滅裂なものだったりする。書かれた方はたまったもんじゃないだろうけど
今で言うなまものですね。理由は単純で奥さんの前彼が憎かったのか、許しきれなかったのでは。
俺は兵庫県知事再選以降、関西人は中島らもの様に真実よりおもろい方が価値があると考えていると思っている。
中島らも未履修。
そうは言っても『ガダラの豚』は傑作なんだよなあ
まあ、らも氏自身も故人なので反論も弁解もできないんだけどね。
なんかブログ主の恨みつらみが先に来て正視できないw。中島らもはアル中の自伝的私小説「今夜、すべてのバーで」とメタ視観が秀逸な「頭の中がカユいんだ」を推す。
まあらもさんもまともじゃなかったのだろうなあ、という感想。それにしてもあれらの登場人物の1人1人にも物語、繋がりがあるんだなと。当たり前だけど。
エッセイの中であからさまに嘘と分かる冗談ネタも入れまくってる人なので、まぁそんな感じだろうなくらいの感覚では読んでたな。
鮫肌文殊もらもさんのことあまりよく言わないよね