『本当にこの世界は血が全てだ。お弟子さんと実子は違う。本当に違う。その体に流れる血に狂わされる人を何度も目の前でみてきた。』
「あなた歌舞伎が憎くて仕方ないんでしょう、でもそれでいいの、それでもやるの」万菊さんの言葉をこの人はどのような思いで受け止めたのだろうか。またいずれ交わる道もあると、無責任だけど、そう思いたい。
(内容と関係なくて恐縮だが)映画や小説の題名なら、『国宝』のように文章中では鍵括弧で包むべきだとは思う。ありふれた名詞ならなおさら。スマホで執筆していたら面倒くさいかもしれないけど。 https://w.wiki/EdER
映画の後、auddibleで聴いている。 語りが尾上菊之助…すごく上手いのでオススメ。小説とは所々違うけど、想像できない舞台の雰囲気とかが保管されるので、映画→小説も良いかも。
本来血と芸能は全く関係ないのにそれが伝統として強固に結びついてしまっているのは合わなかった時にとても不幸なことだと思う
内容何も関係ないが、こういう昔の増田でよく見たような文章も、noteの捨てアカで書かれるようになっちゃったのか……
血統の妙 血統の業
「国宝」は公開された週に見た。すごかった。近いうちにまた見ようと思っている。...記事に書かれていること、映画と同じように/この映画の一部のような感じで読んだ。すごい世界だね...。
この映画、歌舞伎役者含め観た人の多くがSNSで言及していてブームなんだなと感じる。観てみようかな、「血」の流れている寺島しのぶも出ていることだし
映画を見て、あっち側の人はどう感じるのだろうと思っていた。そのものずばりが綴られていた。だからこその人間国宝なんだろうと思う。人間に背負わせるにはあまりにも辛い業で国の矮小なトレードオフなんだと思う。
原作小説の作者・吉田修一は、歌舞伎の世界を書くならば、ど真ん中の看板役者を主人公にしたかった…ということをあとがきに書いてた。「■代目」と呼ばれる人たちの喜びと悲哀は、じゅうぶんに映像化されてましたね
【本当にこの世界は血が全てだ。お弟子さんと実子は違う。本当に違う。その体に流れる血に狂わされる人を何度も目の前でみてきた】團十郎、猿之助、最近の児太郎など、梨園は狂っているよね。
映画観て楽しんだけど、総じて滅ぼすべきという結論に至ったわ。ガバナンスが終わってる。
気になった、教皇選挙も見ないと
にゃにゃんと!舞台の裏側は大変なのにゃ。ボクも家出したい気分になったことあるけど、ご飯くれる人がいないと生きていけないにゃ。映画見て泣いちゃうなんて、ボクと同じくらい寂しがり屋さんにゃ?よしよし、猫
映画「国宝」の奈落から舞台にあがるシーン、あそこのカメラワークが役者の視線になっててめっちゃすごいのよね
きちんと休養を取りながら、無理のないペースで取り組む事では到達できない領域がある。/困ったことに、例え演者の人格が破綻していたとしても、その領域に達した芸には狂おしいまでに人を惹きつける魅力が宿る。
血と芸能は関連がないとはいえ、幼い頃から稽古することと芸能は関連が深いというのはあって、血がある方がそれだけ稽古期間を長く取れる環境にいられるんだよね…それが伝統芸能の難しいところ
見た。長かったけど面白かった。田中泯がすごい。ラストはうーーーん…って感じ。御曹司の立場で見たら私よりもうーーーーん…ってなっても仕方ない気がする。うーーーーん。
"もう二度と見れない映画だった" / 期待値上がり過ぎないようにしておくと、すごい映画だけど、本質的に一般受けする系統の映画ではないので眠くなる人もいるかも。
世界があまりに違いすぎて、申し訳ないけれど『国宝』自体よりそれを見た業界人の感想を面白く感じている。万菊さんの「あなた歌舞伎が憎くて仕方ないんでしょう、でもそれでいいの、それでもやるの」は重かった
「歌舞伎がテーマなのになんで東宝なんだ?松竹じゃねえの?」と思ったが松竹が作ったら歌舞伎俳優を使わざるを得なくなるので東宝だったのだな
なんてファックな
自分の子どもの才能を見て「講道館柔道」を子どもたちに継がせず「家業にしなかった」嘉納治五郎は間違ってなかったと常々思う。/祖母の言動を見るに「血筋」に拘り過ぎた貴方の家業は滅びの道を行ったと思う。
「国宝」を見たあと、同じような話は噺家では余り聞かないなと思ったんだけど、芸そのものはもちろん、体格とか顔つきとか暮らしに根ざす日々の所作とか、そういうのがあるんだろうなと。血脈の権威と呪い。
この手の家の人間の多くが狂人と化してしまい、それも芸だと許されない時代は大変だ。彼らの犯罪行為を見る度に、こんな界隈は滅ぼしてしまえという感情が消せなくなる。
すごい映画だった。舞台から見るあの景色は、長年の辛く厳しい修行に耐えてきた、かつ選ばれし者にしか見られない景色だと感じた。世の中の多くの人には味わえない景色
またBBCあたりに世界に暴かれるのかな
役者が渾身の役作りで芸に生きる狂気を演じてるのに、モブがセリフで「あんなふうに生きれない」みたいな陳腐の塊みたいなセリフを吐いてたのがホントに残念だった。あだち充漫画の解説キャラみたいだった
幼少から猛特訓してるから行ける領域って面はフィギュアスケートと同じだよな。その上で世襲制の色も強いから継ぐ前提のプレッシャーある上で小さい頃から教育を受けるっていう。
梨園とか爆破されるべき
映画としては尺の圧縮しすぎによる描写不足で私の中ではイマイチって評価(情報を食うタイプの映画)なんだけど、美術面はとても凄かったし、記憶の中にあの景色がある人にはそりゃあ鮮烈に映るだろうなと思う。
見たいんだよなあ国宝。子育て期間中は難しいかな… / 長くなると書いてあるから覚悟したが普通の分量。もしかしたらpatoさんに毒されてしまったのかもしれない。
歌舞伎もろくに観ていない人間だが、意図せず涙が溢れた。映像と、音楽の美に触れたと思った。
今日こんなエントリ見たばかり→ 世界初 親子の脳が類似する性別ごとのパターン 東北大学が発見
文頭から引き込まれるものがある。//鉤括弧ニキわろた
ミュージシャンのこういう話もみんな黙ってるだけで実はあるだろうと思ってる。チャラいロックでもね。
無縁の世界なのでどうでもいいけど虐待ありきなら私は受け入れられないな
血筋と芸が結びついてしまっていることの悲劇…とは思うけど、じゃあ血筋と無関係な実力主義であるはずの宝塚は芸界として理想的な団体だったかというとそうでもないわけでなあ…。
最近のブロガー達の長文に慣れてしまったのか全然少し長い話に感じなかった。映画も長尺だったがそれを感じさせない面白さがあった。
これは、すごいな。。
やっぱあの映画クソじゃね?としかまだ思えない。
「万菊さんみたいになるか、途中で止めるか、どっちかしかないんだよね、バレエでもさ、人生全部捧げるか、捧げないか」って話をバレエやってた人と話した。芸術には果てがない。
”無理のないペースで取り組む事では到達できない領域がある” いや別にないよ?理論に裏打ちされた体系付いたトレーニングの方がよほど効率的ですよスポーツと同じで。
「国宝はフィクションじゃない。現実だ。あんな話よく聞く。時間がずっとあそこだけ止まっている。彼らは芸に生きている。そこに現代が干渉する隙間はない」
id:ho4416 合ってようが合ってまいが不幸だと思うよ
すごいレビューだ。国宝、もう一度観に行きたくなった。
私は歌舞伎ファンではなく一度も見たことが無い為に真っ先に「人権…」と思ってしまった。幼少から打ち込み芸を極める凄みと尊さが存在するのは理解できるが、それにより人生を壊される人がいるなら恐ろしさが勝つ
親戚に人間国宝がいるんだけど(故人)、見たいような見たくないような。
うへえ俊介ってのか
芸事を極めるのに汎用的な論理は邪魔になることが多々あり、血や家を理由に幼い頃から叩き上げることでしか到達できない世界もまたある、とは思う。その時その瞬間の正しさだけでは語れない世界
国宝のオーディブルほんといいよな
"でも、それでも、私は日本舞踊が嫌いになれなかった。舞台を見ることも、演じることも、大好きだった。心底日本舞踊を恨み、愛している"
https://support.google.com/youtubekids/thread/354910655?hl=en&sjid=8724238065211238638-NC
歌舞伎も元々は芸養子で実力ある人を抜擢してたらしいじゃん?いまの血脈主義は松竹の広告宣伝戦略が悪いほうにハマったんだと思ったけど…まあでもみんな血統の物語好きだからかなあ
「国宝」面白かったけど、舞台の美しさをセリフで説明していて興醒め。ラストは特に。
ああ…クセになってんだ摺り足で歩くの…家庭の事情でね…
「美しい日本」でしょ欺瞞と幻想しか無い
血がにじむほど日本舞踊をやってたのに①超有名な千本桜の主人公の狐「忠信」を「義経」と二度も間違え②日舞では超マイナーな釣女に言及(しかも「釣り女」表記)するなど内容がおかしいので嘘かも。
子どもの頃、劇場の裏でよく遊んでくれた修行中のお姉さんやお兄さんがパタリといなくなることがあったってのがリアル…。他人事と思ってたら自分もってのが。
世襲の役者はつらそうだと共感するけど、世襲の政治家は悪魔扱いになるのが面白い。裏側は同じだと思うが。どっちも世襲を辞めればいいだけなんだが。/なりたくない世襲と成り上がり候補の政治ドラマ、見たいなあ。
血が繋がってないお弟子さんたちの中には、その血が狂おしいほど欲しい人もいただろうな。
でもこの人は逃げられた。やっぱさ、皇室は廃止すべきよね。人権ないのよ。
美しい文章
忌憚なく言えば馬鹿みたいだなと思った。こんなことやってるから、世界中から才能を集めて鎬を削るバレエやオペラに比べて芸の質で何段も落ちるのだ。西洋かぶれと言われても構わない。日本の芸ごとに未来はない。
“私は俊坊と同じ、伝統芸能の家に生まれた。”
私が名前も覚えてない登場人物のげんちゃんに言及されてるのがリアルだなと思った
劇場で2回観た。主役の喜久雄が象徴するように「血と芸能は分離可能」だが、物心つく前の幼少期から仕込まないと身に付かない&継承していけない芸というのは実際多く、更にその殆どで「一将功成りて万骨枯る」。
関わりたくないわーーーって改めて思った。歌舞伎を見に行くことはないと常々思ってる。
才能のある弟子がいれば養子や婿養子にして継がせるという形が殆どなく「血が全て」になってしまってるのであれば、受け継がれていく芸もその程度のものという事になりかねないのでは…
これすべて作り話とかしか思えない。伝統芸能の家の母親が『国宝』見ろって勧めるかね。普通は「ないわーーこれ」だろ。あと、日舞で三代目って、新舞踊?
国宝を見て 少し長い話になります。|navi
『本当にこの世界は血が全てだ。お弟子さんと実子は違う。本当に違う。その体に流れる血に狂わされる人を何度も目の前でみてきた。』
「あなた歌舞伎が憎くて仕方ないんでしょう、でもそれでいいの、それでもやるの」万菊さんの言葉をこの人はどのような思いで受け止めたのだろうか。またいずれ交わる道もあると、無責任だけど、そう思いたい。
(内容と関係なくて恐縮だが)映画や小説の題名なら、『国宝』のように文章中では鍵括弧で包むべきだとは思う。ありふれた名詞ならなおさら。スマホで執筆していたら面倒くさいかもしれないけど。 https://w.wiki/EdER
映画の後、auddibleで聴いている。 語りが尾上菊之助…すごく上手いのでオススメ。小説とは所々違うけど、想像できない舞台の雰囲気とかが保管されるので、映画→小説も良いかも。
本来血と芸能は全く関係ないのにそれが伝統として強固に結びついてしまっているのは合わなかった時にとても不幸なことだと思う
内容何も関係ないが、こういう昔の増田でよく見たような文章も、noteの捨てアカで書かれるようになっちゃったのか……
血統の妙 血統の業
「国宝」は公開された週に見た。すごかった。近いうちにまた見ようと思っている。...記事に書かれていること、映画と同じように/この映画の一部のような感じで読んだ。すごい世界だね...。
この映画、歌舞伎役者含め観た人の多くがSNSで言及していてブームなんだなと感じる。観てみようかな、「血」の流れている寺島しのぶも出ていることだし
映画を見て、あっち側の人はどう感じるのだろうと思っていた。そのものずばりが綴られていた。だからこその人間国宝なんだろうと思う。人間に背負わせるにはあまりにも辛い業で国の矮小なトレードオフなんだと思う。
原作小説の作者・吉田修一は、歌舞伎の世界を書くならば、ど真ん中の看板役者を主人公にしたかった…ということをあとがきに書いてた。「■代目」と呼ばれる人たちの喜びと悲哀は、じゅうぶんに映像化されてましたね
【本当にこの世界は血が全てだ。お弟子さんと実子は違う。本当に違う。その体に流れる血に狂わされる人を何度も目の前でみてきた】團十郎、猿之助、最近の児太郎など、梨園は狂っているよね。
映画観て楽しんだけど、総じて滅ぼすべきという結論に至ったわ。ガバナンスが終わってる。
気になった、教皇選挙も見ないと
にゃにゃんと!舞台の裏側は大変なのにゃ。ボクも家出したい気分になったことあるけど、ご飯くれる人がいないと生きていけないにゃ。映画見て泣いちゃうなんて、ボクと同じくらい寂しがり屋さんにゃ?よしよし、猫
映画「国宝」の奈落から舞台にあがるシーン、あそこのカメラワークが役者の視線になっててめっちゃすごいのよね
きちんと休養を取りながら、無理のないペースで取り組む事では到達できない領域がある。/困ったことに、例え演者の人格が破綻していたとしても、その領域に達した芸には狂おしいまでに人を惹きつける魅力が宿る。
血と芸能は関連がないとはいえ、幼い頃から稽古することと芸能は関連が深いというのはあって、血がある方がそれだけ稽古期間を長く取れる環境にいられるんだよね…それが伝統芸能の難しいところ
見た。長かったけど面白かった。田中泯がすごい。ラストはうーーーん…って感じ。御曹司の立場で見たら私よりもうーーーーん…ってなっても仕方ない気がする。うーーーーん。
"もう二度と見れない映画だった" / 期待値上がり過ぎないようにしておくと、すごい映画だけど、本質的に一般受けする系統の映画ではないので眠くなる人もいるかも。
世界があまりに違いすぎて、申し訳ないけれど『国宝』自体よりそれを見た業界人の感想を面白く感じている。万菊さんの「あなた歌舞伎が憎くて仕方ないんでしょう、でもそれでいいの、それでもやるの」は重かった
「歌舞伎がテーマなのになんで東宝なんだ?松竹じゃねえの?」と思ったが松竹が作ったら歌舞伎俳優を使わざるを得なくなるので東宝だったのだな
なんてファックな
自分の子どもの才能を見て「講道館柔道」を子どもたちに継がせず「家業にしなかった」嘉納治五郎は間違ってなかったと常々思う。/祖母の言動を見るに「血筋」に拘り過ぎた貴方の家業は滅びの道を行ったと思う。
「国宝」を見たあと、同じような話は噺家では余り聞かないなと思ったんだけど、芸そのものはもちろん、体格とか顔つきとか暮らしに根ざす日々の所作とか、そういうのがあるんだろうなと。血脈の権威と呪い。
この手の家の人間の多くが狂人と化してしまい、それも芸だと許されない時代は大変だ。彼らの犯罪行為を見る度に、こんな界隈は滅ぼしてしまえという感情が消せなくなる。
すごい映画だった。舞台から見るあの景色は、長年の辛く厳しい修行に耐えてきた、かつ選ばれし者にしか見られない景色だと感じた。世の中の多くの人には味わえない景色
またBBCあたりに世界に暴かれるのかな
役者が渾身の役作りで芸に生きる狂気を演じてるのに、モブがセリフで「あんなふうに生きれない」みたいな陳腐の塊みたいなセリフを吐いてたのがホントに残念だった。あだち充漫画の解説キャラみたいだった
幼少から猛特訓してるから行ける領域って面はフィギュアスケートと同じだよな。その上で世襲制の色も強いから継ぐ前提のプレッシャーある上で小さい頃から教育を受けるっていう。
梨園とか爆破されるべき
映画としては尺の圧縮しすぎによる描写不足で私の中ではイマイチって評価(情報を食うタイプの映画)なんだけど、美術面はとても凄かったし、記憶の中にあの景色がある人にはそりゃあ鮮烈に映るだろうなと思う。
見たいんだよなあ国宝。子育て期間中は難しいかな… / 長くなると書いてあるから覚悟したが普通の分量。もしかしたらpatoさんに毒されてしまったのかもしれない。
歌舞伎もろくに観ていない人間だが、意図せず涙が溢れた。映像と、音楽の美に触れたと思った。
今日こんなエントリ見たばかり→ 世界初 親子の脳が類似する性別ごとのパターン 東北大学が発見
文頭から引き込まれるものがある。//鉤括弧ニキわろた
ミュージシャンのこういう話もみんな黙ってるだけで実はあるだろうと思ってる。チャラいロックでもね。
無縁の世界なのでどうでもいいけど虐待ありきなら私は受け入れられないな
血筋と芸が結びついてしまっていることの悲劇…とは思うけど、じゃあ血筋と無関係な実力主義であるはずの宝塚は芸界として理想的な団体だったかというとそうでもないわけでなあ…。
最近のブロガー達の長文に慣れてしまったのか全然少し長い話に感じなかった。映画も長尺だったがそれを感じさせない面白さがあった。
これは、すごいな。。
やっぱあの映画クソじゃね?としかまだ思えない。
「万菊さんみたいになるか、途中で止めるか、どっちかしかないんだよね、バレエでもさ、人生全部捧げるか、捧げないか」って話をバレエやってた人と話した。芸術には果てがない。
”無理のないペースで取り組む事では到達できない領域がある” いや別にないよ?理論に裏打ちされた体系付いたトレーニングの方がよほど効率的ですよスポーツと同じで。
「国宝はフィクションじゃない。現実だ。あんな話よく聞く。時間がずっとあそこだけ止まっている。彼らは芸に生きている。そこに現代が干渉する隙間はない」
id:ho4416 合ってようが合ってまいが不幸だと思うよ
すごいレビューだ。国宝、もう一度観に行きたくなった。
私は歌舞伎ファンではなく一度も見たことが無い為に真っ先に「人権…」と思ってしまった。幼少から打ち込み芸を極める凄みと尊さが存在するのは理解できるが、それにより人生を壊される人がいるなら恐ろしさが勝つ
親戚に人間国宝がいるんだけど(故人)、見たいような見たくないような。
うへえ俊介ってのか
芸事を極めるのに汎用的な論理は邪魔になることが多々あり、血や家を理由に幼い頃から叩き上げることでしか到達できない世界もまたある、とは思う。その時その瞬間の正しさだけでは語れない世界
国宝のオーディブルほんといいよな
"でも、それでも、私は日本舞踊が嫌いになれなかった。舞台を見ることも、演じることも、大好きだった。心底日本舞踊を恨み、愛している"
https://support.google.com/youtubekids/thread/354910655?hl=en&sjid=8724238065211238638-NC
歌舞伎も元々は芸養子で実力ある人を抜擢してたらしいじゃん?いまの血脈主義は松竹の広告宣伝戦略が悪いほうにハマったんだと思ったけど…まあでもみんな血統の物語好きだからかなあ
「国宝」面白かったけど、舞台の美しさをセリフで説明していて興醒め。ラストは特に。
ああ…クセになってんだ摺り足で歩くの…家庭の事情でね…
「美しい日本」でしょ欺瞞と幻想しか無い
血がにじむほど日本舞踊をやってたのに①超有名な千本桜の主人公の狐「忠信」を「義経」と二度も間違え②日舞では超マイナーな釣女に言及(しかも「釣り女」表記)するなど内容がおかしいので嘘かも。
子どもの頃、劇場の裏でよく遊んでくれた修行中のお姉さんやお兄さんがパタリといなくなることがあったってのがリアル…。他人事と思ってたら自分もってのが。
世襲の役者はつらそうだと共感するけど、世襲の政治家は悪魔扱いになるのが面白い。裏側は同じだと思うが。どっちも世襲を辞めればいいだけなんだが。/なりたくない世襲と成り上がり候補の政治ドラマ、見たいなあ。
血が繋がってないお弟子さんたちの中には、その血が狂おしいほど欲しい人もいただろうな。
でもこの人は逃げられた。やっぱさ、皇室は廃止すべきよね。人権ないのよ。
美しい文章
忌憚なく言えば馬鹿みたいだなと思った。こんなことやってるから、世界中から才能を集めて鎬を削るバレエやオペラに比べて芸の質で何段も落ちるのだ。西洋かぶれと言われても構わない。日本の芸ごとに未来はない。
“私は俊坊と同じ、伝統芸能の家に生まれた。”
私が名前も覚えてない登場人物のげんちゃんに言及されてるのがリアルだなと思った
劇場で2回観た。主役の喜久雄が象徴するように「血と芸能は分離可能」だが、物心つく前の幼少期から仕込まないと身に付かない&継承していけない芸というのは実際多く、更にその殆どで「一将功成りて万骨枯る」。
関わりたくないわーーーって改めて思った。歌舞伎を見に行くことはないと常々思ってる。
才能のある弟子がいれば養子や婿養子にして継がせるという形が殆どなく「血が全て」になってしまってるのであれば、受け継がれていく芸もその程度のものという事になりかねないのでは…
これすべて作り話とかしか思えない。伝統芸能の家の母親が『国宝』見ろって勧めるかね。普通は「ないわーーこれ」だろ。あと、日舞で三代目って、新舞踊?