前の会社やめて一定期間無職だった期間が寂しかったな。社会的に所属する組織も接点も無くなると強烈な孤独や孤立感が湧いてくるというのを実感した。独立するとかの目標で無職になるのであればまた違うのだろうが。
私も寂しさと不安の区別がつかないんですよね。不安が生じないのなら、1人でいても苦しくなくて……
仏教で、諸行無常ってある。増田に合うのでは。物事は常に変わる。苦しみも喜びも移りゆくものだから、執着すんな、みたいな。
寂しい気持ちは、幸せな時間が存在したことの証明なんだと思うようにしよう。失いたくなくても失うし、年を取るし、いつかはみんな死ぬんだけど、寂しさを知らないことが、きっと一番寂しいことなんだろうね。
そういうのはまとめて実存的不安(existential crisis, existential dread etc.)と呼んで近代人の宿痾だと思っておく
何かの栄養素が足りないか、睡眠不足、日光不足、気温の急激な変化から来るものかもしれない
全ては終わりに向かってるんだよ。あらゆるものは風化し消える。50億年後には太陽すらなくなる。我々はその途上にいる小さな存在なんだよ。
別にまだ失ってもいないのに失った時のことを考えて勝手にマイナス感情に囚われてしまうのは人間の悪い所だ
さみしさこんにちは
基地外を観察すると嘘をついてはいけない本当の理由が分かる。嘘=曖昧さ=認識力の低下→結果無能。感情の本質は「差異」=状態の変化に由来→外的対象を必要とする満足と外的対象が不要の満足の2種類がある(文字数
ひとり好きなのに寂しいって凄く分かる。ひとりの自由がありつつ、会おうと思ったらいつでも信頼しあえる恋人や家族に会えるのが理想。
わたしは逆に地元の風景が変わってたり誰かとの縁が薄れたりするとるとかつての自分が存在した証拠ごと消えてくれたようで安心を感じることがあります(なぜ安心になるか説明できない)
現在の自分に充足感が足りていないと、不足を補うために、過去に失った部分に実は素晴らしいものがあったんじゃないかという疑念や幻想が生まれるのだと思っている
孤独は心の名探偵変化の謎解きは人生の醍醐味ですわね。
喪失感=恐怖で寂寥感で無いってこと?寂寥感を実感するには、諦感を持てる余裕が要るってことか。モノが捨てられるようになったように、歳をとるとどんどん諦めの境地になるから大丈夫。それ自体が寂しいけどね。
「どんな番組にも終わりはくる。人、それを最終回という!」近代だと3ヶ月ペースで何もかも終わって行くので、新陳代謝を受け入れないとついて行けない
喪われるさみしさ、喪われたものへの愛しさ あるよね 廃墟に感じるそれと似ている その気持ちはそのままで構わない いつか自分がその世界に還っていく日まで
自分で望んで一人でいる人は「一人が好き」と「他人といるのが嫌」の2パターンが有るのかな。俺は後者だから寂しいと思ったことないけど、前者の人は大変そうだ
逆に考えれば増田は変化に気付ける繊細な人なので、後は受け止め方次第かな。人に囲まれてる人って大体ノンデリな事が多いんだよね。そして孤独な人ほど優しかったりする。ままならないね…。
お久しぶりです鬼舞辻無惨様こちらにおられましたか。
さよならだけが人生だ
「最近レシートや包み紙が割と捨てられるようになってきた」良かったね。私も前は捨てられなかったよ。記憶力がないから、無くなると、その事実も消えてしまうようで怖かった。少しずつ慣れればいいよ。
自分も一人暮らしで、一念発起してものを捨てていると、自分の人生の整理感とその終わりに近づいている感覚がして一層寂しいものである
サウザーの苦悩は人類普遍。聖帝十字陵を建造しても癒されることはない
サウザーみたいなやつだな。気持ちはわかるが
家族や親友などのごく親しい人間でも、その関係を保つためのメンテナンスコストを払わずに恩恵だけを受け続けるのは難しい。独り身の気楽さを優先するなら、寂しさを受け容れるしかない。
自分も仄かな喪失感に苛まれたことがあったかも。若い時は物事を鮮明に記憶することができたし、火花のように閃く感受性もあった気がする。でも、大切なものを大切なまま繋ぎ止めておく感覚自体を失ってしまったな
ホッホッホーマック
長年ADHDやってると、どんなに大切な物でもうっかり無くすのが当たり前すぎて、新しい物を手に入れた瞬間から、失うシチュエーションをいくつも想定して覚悟を決める習慣がついてしまった。得ることは失うこと。
感情を表す単語は全てその名前が出処ですよ。そこから1ミリでも掘ろうとすると全部自分語りな訳で、それは私がこんな理由で寂しいと語ってわからないという単語で返事を欲してるそれ自体も寂しさかと。
寂しいという感情が元々ほぼない というかあっただろうか まったくわからない 金がないことを指すなら常時だし何かの喪失なんかで寂しいとはならない モノを捨てられないのは面倒なだけで可能ならガンガン
何度かブコメに書いたことあるけど、孤独と孤立は違うので要注意。一人で行ける馴染みのお店とか数年に一度は会える友達とか帰省できる実家があったり、仕事で必要とされていればまだ大丈夫。逆にそれが無いと詰む。
卒業入学シーズンがすごい苦手。今の自分に直接関係なくても昔を思い出して不安定になる。
寂しさに理由なんてないのよ。先ず寂しさがあって、人はその理由を探し始める。
“ものも捨てにくい。最近レシートや包み紙が割と捨てられるように” 家計簿とか日記付けるか、写真に撮って残しておいて、捨てれば良いんじゃね。存在したという事が文章や写真に残るでしょ。スマホで出来るし
プリントアウトして医者に持っていこう
雑誌の文通コーナーでソウルメイトを探すというのが昔は流行ったみたいだけどそういう寂しさは珍しくなってると思うけどな。
変化を怖がるのも根本は同じなのかもと思った。歴史勉強すると、特に近代は物凄い勢いで変化しているのが分かる。それを記録して残そうとするのが歴史。たぶんその背景にはたくさんの“寂しさ”がある。
「愛してその人を得ることは最上である。愛してその人を失うことは、その次によい。」
メロってんね。とんかつ食べてお風呂入って寝た方がいいと思う。脳に振り回されないようにほどほどにね。
“なくなることが怖い。あったことを証明できるものが思い出しかないことが怖い。”空いた穴の埋め方がわからないから、そこらにあるものかき集めて適当に埋めるけど隙間から寂しさが流れ込んでいつまでも埋まらない
自分の心を満足させてくれるものがなくなると寂しいいよね。
自分でも明確に言語化できないのだけど確かにあることや、短期的には問題ないけど長期的には問題ありそうなことというのは対応が難しい。たとえば猫カフェとかに行って変化するのかみたいなことは出来るかな。
帰るところがあるとき、寂しさは(マゾ的な意味で)好きだった。帰るところがあることを強く実感させてくれるから。今は帰るところが無いからきらい
これは死ぬこと(=自己の消滅)が怖い人と怖くない人の対立と多少被ってて、世界と自分の関わりの痕跡や証明が減ってくことが悲しい人と悲しくない人がいるだろう。自分はどちらも後者。自己の消失も痕跡の喪失も解放的
羨望かな。すべての人間が孤独なら寂しくないよ。
ハーゲンダッツを食べた後、ミニカップを洗って飾っていたが、何でこんなものとってんだと我にかえり定期的に捨てている。ジェラートについているプラスチックの小さな匙も保存しているが、はたしているのかな
寂しさというより総じて「変化」に対する恐怖を抱いてるように見えるが。永久不変のものはないので、「『永久不変のものはない』という事は不変である」というのを心の拠り所にしよう(哲学)
稲妻の将軍みたいだな。「永遠は…無かったのですね…」
寂しいという感情の意味がわからないという話かと思いきや、寂しさの四面楚歌で苦悩してる増田だった
変わる場所はとめどなく変わり続けるので、変化が少ない場所を探すしかない。と思って神社仏閣やら自然豊かな景勝地やら史料館やらに訪れている。細部は微妙に違うだろうけどまあまあ変わらない。
寂しい気持ちはあるが、はてブでコメントして星貰ったり、YouTubeで配信者の声聞きながら交流したりすれば収まるコスパの良さなので、わざわざ友人とか作ることもないかなという地点に落ち着いてしまう。
寒さや空腹感を寂しいと誤認する人たまにいる
増田みたいな悩みは一度仏教の四諦八正道を学ぶと良いかもね。その中だと寂寥感は愛別離苦や求不得苦に該当すると思うけど、わりと人類の普遍的な悩みなので、受け止め方や心の持ちようが提案されているよ。
人との交流はなくていいけど人のいないMMOは嫌なんだ
寂しい気持ちは性欲のように自然にポップしてくる欲求。性欲を落ち着かせるのに他人が必要ないように、寂しい気持ちを慰めるのにも実は他人は必要ない。自分で自分を説得したり、苦しかったらバタフライハグしたり。
わからんなぁ
ノスタルジアだな。タルコフスキーのノスタルジアを見ればわかるが最期は悲惨だ。
「腕」とか「胸」とかとだけ思ってたなかに「ここに骨があるのか」「こことここを筋がつなげてるのか」と分かるまではそれはずっと意識されないじゃないですか。寂しさもそんなふうに元からそこにあったのかも。
本編では寂しさの欠片もない邪悪!な御贔屓さま、お祭り作品で他ナンバリングキャラから「さびしがりや」との評をいただき、その派生ソシャゲでも「さびしさ」はわかるという爆弾を置いてサ終され、身の置き所がない
寂しくなったことがないからその感情がどう生まれるのか分からない、話ではなかった
手に入れたものじゃなくて、失うものの方に意識が向きがちなのなんでだろね。
死後の委譲や廃棄を考えると、モノの所有欲は減ると思う(´-`)まぁ人によるか
増田自身から来た感情以上でも以下でもなく、寂しいからといって何かが減るわけでも増えるわけでもない。また、侘び寂びの寂びという言葉があるように、寂しさはネガティブなだけではない。
一人だと寂しいけど誰かといるとめんどくさいんだよな、「一人で死ぬ覚悟を決める」「他人と比較しない」この二つを信条に生きるべきだよ。
ちょっと違うかもだけどひとりだと割とすぐテンパるんだよな。
たぶん寂しい味がする飴を舐めて、それを味わっちゃってるだけなんだよ。味が気に食わないなら吐き出せばいい、それはあなたの意思でいつでもできると思うから
野菜暫く食べないとそういう感情になる。キャベツ丸々食べると治る
本能
初期仏教を学ぶと少しは理解できるようになる。エゴを世界へ反映しちゃってるんだよ。
増田に当てはまるかわからないけど愛着障害ってものがあるよ。回避型とか色々あるから調べてみるのもいいんじゃないかな
すごくわかる
わかる。自分は覚えてるのに相手は忘れてしまった、みたいなズレが生じるのが嫌なんだよなあ。全部自分のものって思ってたのになくなってしまったとか。自分てこんなわがままだったんかと思って落ち込む。
すんごいわかる。忙しくなったらこういうこと考えなくなったので、暇な時間がありすぎるのもひとつかも…?
あまり寂しさを感じないからシングルなんだよな、むしろ自由を感じる。しかし人とは話したい。好きなタイミングでアウトプットをしたいだけのようではある。
焼きそば食って寝とけ
寂しいの感情がどこから来るか分からない
前の会社やめて一定期間無職だった期間が寂しかったな。社会的に所属する組織も接点も無くなると強烈な孤独や孤立感が湧いてくるというのを実感した。独立するとかの目標で無職になるのであればまた違うのだろうが。
私も寂しさと不安の区別がつかないんですよね。不安が生じないのなら、1人でいても苦しくなくて……
仏教で、諸行無常ってある。増田に合うのでは。物事は常に変わる。苦しみも喜びも移りゆくものだから、執着すんな、みたいな。
寂しい気持ちは、幸せな時間が存在したことの証明なんだと思うようにしよう。失いたくなくても失うし、年を取るし、いつかはみんな死ぬんだけど、寂しさを知らないことが、きっと一番寂しいことなんだろうね。
そういうのはまとめて実存的不安(existential crisis, existential dread etc.)と呼んで近代人の宿痾だと思っておく
何かの栄養素が足りないか、睡眠不足、日光不足、気温の急激な変化から来るものかもしれない
全ては終わりに向かってるんだよ。あらゆるものは風化し消える。50億年後には太陽すらなくなる。我々はその途上にいる小さな存在なんだよ。
別にまだ失ってもいないのに失った時のことを考えて勝手にマイナス感情に囚われてしまうのは人間の悪い所だ
さみしさこんにちは
基地外を観察すると嘘をついてはいけない本当の理由が分かる。嘘=曖昧さ=認識力の低下→結果無能。感情の本質は「差異」=状態の変化に由来→外的対象を必要とする満足と外的対象が不要の満足の2種類がある(文字数
ひとり好きなのに寂しいって凄く分かる。ひとりの自由がありつつ、会おうと思ったらいつでも信頼しあえる恋人や家族に会えるのが理想。
わたしは逆に地元の風景が変わってたり誰かとの縁が薄れたりするとるとかつての自分が存在した証拠ごと消えてくれたようで安心を感じることがあります(なぜ安心になるか説明できない)
現在の自分に充足感が足りていないと、不足を補うために、過去に失った部分に実は素晴らしいものがあったんじゃないかという疑念や幻想が生まれるのだと思っている
孤独は心の名探偵変化の謎解きは人生の醍醐味ですわね。
喪失感=恐怖で寂寥感で無いってこと?寂寥感を実感するには、諦感を持てる余裕が要るってことか。モノが捨てられるようになったように、歳をとるとどんどん諦めの境地になるから大丈夫。それ自体が寂しいけどね。
「どんな番組にも終わりはくる。人、それを最終回という!」近代だと3ヶ月ペースで何もかも終わって行くので、新陳代謝を受け入れないとついて行けない
喪われるさみしさ、喪われたものへの愛しさ あるよね 廃墟に感じるそれと似ている その気持ちはそのままで構わない いつか自分がその世界に還っていく日まで
自分で望んで一人でいる人は「一人が好き」と「他人といるのが嫌」の2パターンが有るのかな。俺は後者だから寂しいと思ったことないけど、前者の人は大変そうだ
逆に考えれば増田は変化に気付ける繊細な人なので、後は受け止め方次第かな。人に囲まれてる人って大体ノンデリな事が多いんだよね。そして孤独な人ほど優しかったりする。ままならないね…。
お久しぶりです鬼舞辻無惨様こちらにおられましたか。
さよならだけが人生だ
「最近レシートや包み紙が割と捨てられるようになってきた」良かったね。私も前は捨てられなかったよ。記憶力がないから、無くなると、その事実も消えてしまうようで怖かった。少しずつ慣れればいいよ。
自分も一人暮らしで、一念発起してものを捨てていると、自分の人生の整理感とその終わりに近づいている感覚がして一層寂しいものである
サウザーの苦悩は人類普遍。聖帝十字陵を建造しても癒されることはない
サウザーみたいなやつだな。気持ちはわかるが
家族や親友などのごく親しい人間でも、その関係を保つためのメンテナンスコストを払わずに恩恵だけを受け続けるのは難しい。独り身の気楽さを優先するなら、寂しさを受け容れるしかない。
自分も仄かな喪失感に苛まれたことがあったかも。若い時は物事を鮮明に記憶することができたし、火花のように閃く感受性もあった気がする。でも、大切なものを大切なまま繋ぎ止めておく感覚自体を失ってしまったな
ホッホッホーマック
長年ADHDやってると、どんなに大切な物でもうっかり無くすのが当たり前すぎて、新しい物を手に入れた瞬間から、失うシチュエーションをいくつも想定して覚悟を決める習慣がついてしまった。得ることは失うこと。
感情を表す単語は全てその名前が出処ですよ。そこから1ミリでも掘ろうとすると全部自分語りな訳で、それは私がこんな理由で寂しいと語ってわからないという単語で返事を欲してるそれ自体も寂しさかと。
寂しいという感情が元々ほぼない というかあっただろうか まったくわからない 金がないことを指すなら常時だし何かの喪失なんかで寂しいとはならない モノを捨てられないのは面倒なだけで可能ならガンガン
何度かブコメに書いたことあるけど、孤独と孤立は違うので要注意。一人で行ける馴染みのお店とか数年に一度は会える友達とか帰省できる実家があったり、仕事で必要とされていればまだ大丈夫。逆にそれが無いと詰む。
卒業入学シーズンがすごい苦手。今の自分に直接関係なくても昔を思い出して不安定になる。
寂しさに理由なんてないのよ。先ず寂しさがあって、人はその理由を探し始める。
“ものも捨てにくい。最近レシートや包み紙が割と捨てられるように” 家計簿とか日記付けるか、写真に撮って残しておいて、捨てれば良いんじゃね。存在したという事が文章や写真に残るでしょ。スマホで出来るし
プリントアウトして医者に持っていこう
雑誌の文通コーナーでソウルメイトを探すというのが昔は流行ったみたいだけどそういう寂しさは珍しくなってると思うけどな。
変化を怖がるのも根本は同じなのかもと思った。歴史勉強すると、特に近代は物凄い勢いで変化しているのが分かる。それを記録して残そうとするのが歴史。たぶんその背景にはたくさんの“寂しさ”がある。
「愛してその人を得ることは最上である。愛してその人を失うことは、その次によい。」
メロってんね。とんかつ食べてお風呂入って寝た方がいいと思う。脳に振り回されないようにほどほどにね。
“なくなることが怖い。あったことを証明できるものが思い出しかないことが怖い。”空いた穴の埋め方がわからないから、そこらにあるものかき集めて適当に埋めるけど隙間から寂しさが流れ込んでいつまでも埋まらない
自分の心を満足させてくれるものがなくなると寂しいいよね。
自分でも明確に言語化できないのだけど確かにあることや、短期的には問題ないけど長期的には問題ありそうなことというのは対応が難しい。たとえば猫カフェとかに行って変化するのかみたいなことは出来るかな。
帰るところがあるとき、寂しさは(マゾ的な意味で)好きだった。帰るところがあることを強く実感させてくれるから。今は帰るところが無いからきらい
これは死ぬこと(=自己の消滅)が怖い人と怖くない人の対立と多少被ってて、世界と自分の関わりの痕跡や証明が減ってくことが悲しい人と悲しくない人がいるだろう。自分はどちらも後者。自己の消失も痕跡の喪失も解放的
羨望かな。すべての人間が孤独なら寂しくないよ。
ハーゲンダッツを食べた後、ミニカップを洗って飾っていたが、何でこんなものとってんだと我にかえり定期的に捨てている。ジェラートについているプラスチックの小さな匙も保存しているが、はたしているのかな
寂しさというより総じて「変化」に対する恐怖を抱いてるように見えるが。永久不変のものはないので、「『永久不変のものはない』という事は不変である」というのを心の拠り所にしよう(哲学)
稲妻の将軍みたいだな。「永遠は…無かったのですね…」
寂しいという感情の意味がわからないという話かと思いきや、寂しさの四面楚歌で苦悩してる増田だった
変わる場所はとめどなく変わり続けるので、変化が少ない場所を探すしかない。と思って神社仏閣やら自然豊かな景勝地やら史料館やらに訪れている。細部は微妙に違うだろうけどまあまあ変わらない。
寂しい気持ちはあるが、はてブでコメントして星貰ったり、YouTubeで配信者の声聞きながら交流したりすれば収まるコスパの良さなので、わざわざ友人とか作ることもないかなという地点に落ち着いてしまう。
寒さや空腹感を寂しいと誤認する人たまにいる
増田みたいな悩みは一度仏教の四諦八正道を学ぶと良いかもね。その中だと寂寥感は愛別離苦や求不得苦に該当すると思うけど、わりと人類の普遍的な悩みなので、受け止め方や心の持ちようが提案されているよ。
人との交流はなくていいけど人のいないMMOは嫌なんだ
寂しい気持ちは性欲のように自然にポップしてくる欲求。性欲を落ち着かせるのに他人が必要ないように、寂しい気持ちを慰めるのにも実は他人は必要ない。自分で自分を説得したり、苦しかったらバタフライハグしたり。
わからんなぁ
ノスタルジアだな。タルコフスキーのノスタルジアを見ればわかるが最期は悲惨だ。
「腕」とか「胸」とかとだけ思ってたなかに「ここに骨があるのか」「こことここを筋がつなげてるのか」と分かるまではそれはずっと意識されないじゃないですか。寂しさもそんなふうに元からそこにあったのかも。
本編では寂しさの欠片もない邪悪!な御贔屓さま、お祭り作品で他ナンバリングキャラから「さびしがりや」との評をいただき、その派生ソシャゲでも「さびしさ」はわかるという爆弾を置いてサ終され、身の置き所がない
寂しくなったことがないからその感情がどう生まれるのか分からない、話ではなかった
手に入れたものじゃなくて、失うものの方に意識が向きがちなのなんでだろね。
死後の委譲や廃棄を考えると、モノの所有欲は減ると思う(´-`)まぁ人によるか
増田自身から来た感情以上でも以下でもなく、寂しいからといって何かが減るわけでも増えるわけでもない。また、侘び寂びの寂びという言葉があるように、寂しさはネガティブなだけではない。
一人だと寂しいけど誰かといるとめんどくさいんだよな、「一人で死ぬ覚悟を決める」「他人と比較しない」この二つを信条に生きるべきだよ。
ちょっと違うかもだけどひとりだと割とすぐテンパるんだよな。
たぶん寂しい味がする飴を舐めて、それを味わっちゃってるだけなんだよ。味が気に食わないなら吐き出せばいい、それはあなたの意思でいつでもできると思うから
野菜暫く食べないとそういう感情になる。キャベツ丸々食べると治る
本能
初期仏教を学ぶと少しは理解できるようになる。エゴを世界へ反映しちゃってるんだよ。
増田に当てはまるかわからないけど愛着障害ってものがあるよ。回避型とか色々あるから調べてみるのもいいんじゃないかな
すごくわかる
わかる。自分は覚えてるのに相手は忘れてしまった、みたいなズレが生じるのが嫌なんだよなあ。全部自分のものって思ってたのになくなってしまったとか。自分てこんなわがままだったんかと思って落ち込む。
すんごいわかる。忙しくなったらこういうこと考えなくなったので、暇な時間がありすぎるのもひとつかも…?
あまり寂しさを感じないからシングルなんだよな、むしろ自由を感じる。しかし人とは話したい。好きなタイミングでアウトプットをしたいだけのようではある。
焼きそば食って寝とけ