(*´д`*)
「幼い頃に一度だけ目にした外国製の「穀類膨張機」(…)少ない米と燃料で子供達のお腹を満たせる(…)父の知人の大学教授を頼って設計図を(…)作り上げ(…)終戦直後、鉄の街(…)北九州市に単身、移り住み(…)当時20歳」
いまの若い人は、この機械が全国津々浦々のあらゆる街にやってきて子どもたちを喜ばせたことを知らんやろなあ。せいぜい祭りやイベントに出てくるぐらいと思ってるかもしれん。https://mazmot.hatenablog.com/entry/2025/03/31/130436
ポン菓子自体は戦前からあったらしいけど、そういう勉強してた人じゃない人が自分で機械を作ったということか。すごい。ポン菓子おいしいよね。むしろ戦前のポン菓子はどうやって作ってたんだろう?輸入品かな?
かつて見た機械ってポップコーンか何かをベースにされたのだろうか。すごいなあ
枝雀師匠の代書屋を思い出す。「おぉ~い、できたぞぉ~、危ないぞぉ~どけどけどけぇ~、いくぞぉ~」バァ~~ンッ!わたしの本職は「ポン」で~すhttp://kamigata.fan.coocan.jp/kamigata/rakug132.htm
子どものころ、ポン菓子屋さんが時々近所に回ってきてたなあ。そのころは米(と、確か砂糖も)を家から持って行って、ポン菓子への加工賃だけ払った記憶があるのだが。50年近く前の話だからなあ。
行動力の塊でかっこいい。裕福な家庭に生まれたことをこういう形で生かせる人もいるのだな…
今の人はブルーオーシャンばっかり探してて、同じ轍を爆走して追い抜いちゃうような人って少ない気がする。
知らなかった。凄いなぁ…
99歳!すごいニャ!ポン菓子、おいしそうにゃ!ボクもいっぱい食べたいにゃ!
この人がお腹いっぱい食べさせたいと思ってくれた時代からだいぶ離れてしまったけど、我が子たちポン菓子まだ大好きだよ。
「吉村さんは、今から80年前の終戦直後、日本で初めて「ポン菓子機」を製作しました」←自分が子供の頃は戦争なんてずっと昔の話と思っていたが、今よりずっと戦争に近い時代だったんだな、と思う。
朝ドラ向けすぎるテーマ。
俺もポン菓子と言えば枝雀(2代目)の代書屋。
うぉお、マジか オリジンやん すげぇ 最近食ってないから買ってこよ
出来たてが美味しいから巡回でやるポン菓子屋さんが多かったのよね。頼まれてから温めてポン
「自らも鉄の溶接や加工の技術を学び」ってすごいなあ/ポン菓子、ドカーンってすごい音するんだよね。残したいあのインパクト
こういう人にこそ勲章や国民栄誉賞が与えられるべきなのでは。
モノがなくてビタミンやミネラルどころかカロリーすら不足してた戦後にポン菓子機があったのを思い出して何とか製造法を専門家とかに協力して貰いながら自作するのバイタリティだなあ。
すごいなあ。お腹を空かせた子供に何か食べさせてあげるというのは純粋な善でありアンパンマンだよ。朝の連続テレビ小説の題材にぴったりだ
すげぇ使命感。こういう人には憧れしかない。すてきすぎる。
これぞ起業家精神・アントレプレナーシップだ。
やなせたかしとは別の手段でお腹いっぱいを実現された人なんだ。会社でお弁当食べながら映像見て涙出た。
一回だけ巡回のポン菓子作ってもらったことあるけどエンタメだよな
偉人だ
https://www.hotpepper.jp/mesitsu/entry/yoshinari-baba/19-00149 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%83%B3%E8%8F%93%E5%AD%90 /吉村利子さんの旧姓が橘とのこと。
すごい人だな、かっこいい。確かに若い頃のお顔立ちはとても可愛らしくて、そんな機械を開発したなんて当時の人も驚いただろうなと思うわ。
この方ではないだろうけど、小さい頃うちの田舎にもポン菓子屋さんが来てくれたなあ
子供の頃(20年くらい前)、お祭りで1回だけみたことある。あのニンジンの袋に入ってるあれって、こういう機械で作れるんだ。と、なんか印象に残ってる。(親や祖父母がなんか熱心に解説してくれた記憶)
なつい!!!!!!!
ボン菓子機(穀類膨張機)自体はアメリカ人の発明で1900年代初頭からあった。日本でも大正時代から導入されていた。吉村さんはそれをじっくり見てしっかり覚えていたのだろう。菓子自体はもっと前からあったようだ。
祭りで売られている印象しかないけど、昔は米を持ち込んで作ってもらってたのね。うちの地域では、ばくだんって呼ばれてた気がする。
さすが九州
小学校の近くによく出してた。
“みんな喜んで食べるんですよ。お金もらわんでもいいと思うくらい。” しびれる!
https://support.google.com/youtubekids/thread/334809840?hl=en&sjid=17558263665006485605-NC
さす九
厳密にはポン菓子機自体はそれ以前からあるけど、戦後にもっとも普及した九州型の開発者らしい。それにしても凄い人だし、素晴らしい仕事だと思う。
昔家の近所に軽トラでポン菓子屋が来てたなー、子供大集合。懐かしい。
ブコメにも近所に来てたって人結構いるんだな。いつくらいの話なんだろ
子供の時に一回だけ見たことがある
子供の頃、住んでた団地に定期的にこの機械を操作する人が来てた。家からお米を持って行くとポン菓子にして渡してくれる。素朴な甘さで美味しかったなぁ。まさか若い女性が独力で作ったものだったとは。
かっこいいおねえちゃんだ。数年前川と公園のそばにある職場の隣にポン菓子の行商が現れた。突然の爆発音にびびって外を見たらポン菓子で、爆発音を聞いてぽろぽろと人が集まっていておもしろかった。
こういう人がお札の顔になって欲しい。政治の匂いする人選よりこういう人が良い。
子供は飢えてるのがデフォな時代を生きてきた人だ
こんな女性が作っていたとは。朝ドラの題材にしてもいいくらいなのでは。詳しく知りたい。
https://support.google.com/youtubekids/thread/334817000?hl=en&sjid=6056553435019791253-NC
ポン菓子機自体はこの人以前から存在していて、日本軍が中国など各地に広めたという話もあるくらいなので、発明ではなくあくまでも「初の国産機器を開発して量産・普及させた」ということかな
一方、最近では物価高騰の煽りで基準に満たないカロリーの給食しか出せない=子供たちに腹一杯食わせられない、という話も。 https://news.yahoo.co.jp/articles/9c17be51736b6c8ff3af4b1646d7bf2c9ac4f54b
ポン菓子って言うけど最初に音を聞いたときポンどころじゃねえズドンって感じだろこれって思ってた
こんなにエンタメ要素のあるお菓子は他にない。
「鉄の容器に生米を入れて密閉し、加熱して圧力を高めます。10分後、留め金を木づちでたたいて一気に開放すると、10倍以上に膨れ上がった米が飛び出す」「今から80年前の終戦直後、日本で初めて「ポン菓子機」を製作」
“幼い頃に一度だけ目にした外国製の「穀類膨張機」”の実現の為に単身で鉄の町に移り住んで技術を習得して研究して実際に作ってしまうってすごすぎる。
ポン菓子今でもたまに食べる。好き
別の記事で「食べられるようにするために必要な燃料が少ない」という利点が述べられていて納得した。「米や雑穀を生煮えの状態で食べ、腹を壊す子ども」をどうにかしたかったのね。
これは素晴らしい金の使い方だなぁ。
自分の子供の時、ポン菓子屋が来たら米を持って行って、ポンと大きな音を立ててポン菓子を作ってもらってた。懐かしいしたまに食べたくなる。当時は北九州に住んでたけど、北九州で作られたのか。
若いのにすごいババアだな
“『みんなで仲良く何でも教えてあげてね』 『人のことを考えてみんなの幸せを考えられるよう努力してほしいです』”
穀類膨張機はアメリカのAlexander Pierce Andersonが1905年に特許を取ったので、1920年代には日本にも渡ってたらしい。機材もないところから大学教授と再発明して自作するバイタリティはすげーな
子供のころよく食べたなあ。タイでもポン菓子みたいなお菓子があったけどどうやって広まっていったんだろう。
これはすごい
お金もらわんでもいいと思うくらいか…。貰えるもんは貰いたい自分はそんな境地には達せないと思うから、こういう精神の人たちには敵わないなぁ。
子供の頃はポン菓子売りのおっちゃんが定期的に回って来てたなぁ。近くを通りかかる時は耳ふさいで早足だったわ。その横でドーン!
ポン菓子ってポップコーンと同じ原理なんだな
駄菓子屋で、いつもにんじん買って食べてた。もしかしたら親もそうだったかもと思うと偉大だー。
立派な方
いい話、函館に住んでた頃はドンキミって呼んでたなぁ…団地に売りに来ると嬉しくて買いに行ったっけ
子供のころよく駄菓子のにんじんを買って食べました。だれかの幸せを願って開発された技術は尊い
“吉村さんは小さな工場を構え、自動車部品を製造しながら資金を集めました。自らも鉄の溶接や加工の技術を学び、試行錯誤を繰り返して国産「ポン菓子機」を完成させました。”
今日から朝ドラ「あんぱん」が始まったけど、やなせたかし先生は「一番の正義は何かといえば、ひもじい人を助けること」って言ってるね。
開発者がまだご存命とは知らんかった。子どもにバカ受けするのよね。皆んなを笑顔にできる素敵な機械よな。https://youtu.be/e8GGKJ_ZIic?si=0LIV_cRd36AKhQ15
子供の頃、よく家の近くに来てた。ポン菓子屋さんがくると近所の誰かが見つけて、友達の家ピンポンしてみんな呼び集めて米と100円持って行列に並んでたなぁ。
「少ない米と燃料で」からスタートしていたなんて、知りませんでした。僕が子どもだった頃は、ポン菓子屋さんが巡回していました。米と砂糖と加工賃を持っていくと、ポン菓子にしてくれるのでした。懐かしいです。
『鉄の容器に生米を入れて密閉し、加熱して圧力を高めます。10分後、留め金を木づちでたたいて一気に開放すると、10倍以上に膨れ上がった米が飛び出す仕組みです』 ← この説明でわかるひとおるんか(´・ω・`)
「痩せた子どもを抱いて、おなかいっぱい消化のいいものを食べさせたいって。そればっかり思っていました。」 たぶん、この時代を実際に生き抜いたこの人から直接聞いたら、涙が出てくると思う。
生米と砂糖と小銭持ってドンって鳴る車きたらやってもらってた。関西の裕福な育ちのお嬢さんは人権意識が高いようで、不当な扱いには逆襲するパターンをいくつか思い浮かべることができる。
二十歳の娘が単身北九州で工場をやるとか、自分が親だったら認める自信がない。
めちゃくちゃ良い
https://www.youtube.com/watch?v=SA93otcb2B4 / アンパンマンと コラボさせたい。 / Feloの回答 > 1kgの米を持参すると、膨張後にはその体積が約10倍になるため、かなりの量のポン菓子が得られます。
今ちょうど戦争の動画ばかり見てるとこだった。敗戦後、自分たちの町にお菓子の機械が来てくれてどれだけ子供たちのお腹と心を満たしたか。高潔な志と行動力に感服した。こういう方にこそ国民栄誉賞を与えるべき。
何にでも人と歴史はあるんだな……と思わされた記事。最近はポン菓子すっかり見かけなくなりましたね
読めてよかった
米を普通に食べるより消化・吸収が良さそうな感じがするので、同じ量の米をより実になる形で摂取できそう/腹持ちはあまり良くないだろうけど一時的に満腹になるのも大事。
【戦後80年】「おなかいっぱい食べさせたい」国産ポン菓子機を開発した女性は99歳に いま子どもたちに伝えたいこと|FBS NEWS NNN
(*´д`*)
「幼い頃に一度だけ目にした外国製の「穀類膨張機」(…)少ない米と燃料で子供達のお腹を満たせる(…)父の知人の大学教授を頼って設計図を(…)作り上げ(…)終戦直後、鉄の街(…)北九州市に単身、移り住み(…)当時20歳」
いまの若い人は、この機械が全国津々浦々のあらゆる街にやってきて子どもたちを喜ばせたことを知らんやろなあ。せいぜい祭りやイベントに出てくるぐらいと思ってるかもしれん。https://mazmot.hatenablog.com/entry/2025/03/31/130436
ポン菓子自体は戦前からあったらしいけど、そういう勉強してた人じゃない人が自分で機械を作ったということか。すごい。ポン菓子おいしいよね。むしろ戦前のポン菓子はどうやって作ってたんだろう?輸入品かな?
かつて見た機械ってポップコーンか何かをベースにされたのだろうか。すごいなあ
枝雀師匠の代書屋を思い出す。「おぉ~い、できたぞぉ~、危ないぞぉ~どけどけどけぇ~、いくぞぉ~」バァ~~ンッ!わたしの本職は「ポン」で~すhttp://kamigata.fan.coocan.jp/kamigata/rakug132.htm
子どものころ、ポン菓子屋さんが時々近所に回ってきてたなあ。そのころは米(と、確か砂糖も)を家から持って行って、ポン菓子への加工賃だけ払った記憶があるのだが。50年近く前の話だからなあ。
行動力の塊でかっこいい。裕福な家庭に生まれたことをこういう形で生かせる人もいるのだな…
今の人はブルーオーシャンばっかり探してて、同じ轍を爆走して追い抜いちゃうような人って少ない気がする。
知らなかった。凄いなぁ…
99歳!すごいニャ!ポン菓子、おいしそうにゃ!ボクもいっぱい食べたいにゃ!
この人がお腹いっぱい食べさせたいと思ってくれた時代からだいぶ離れてしまったけど、我が子たちポン菓子まだ大好きだよ。
「吉村さんは、今から80年前の終戦直後、日本で初めて「ポン菓子機」を製作しました」←自分が子供の頃は戦争なんてずっと昔の話と思っていたが、今よりずっと戦争に近い時代だったんだな、と思う。
朝ドラ向けすぎるテーマ。
俺もポン菓子と言えば枝雀(2代目)の代書屋。
うぉお、マジか オリジンやん すげぇ 最近食ってないから買ってこよ
出来たてが美味しいから巡回でやるポン菓子屋さんが多かったのよね。頼まれてから温めてポン
「自らも鉄の溶接や加工の技術を学び」ってすごいなあ/ポン菓子、ドカーンってすごい音するんだよね。残したいあのインパクト
こういう人にこそ勲章や国民栄誉賞が与えられるべきなのでは。
モノがなくてビタミンやミネラルどころかカロリーすら不足してた戦後にポン菓子機があったのを思い出して何とか製造法を専門家とかに協力して貰いながら自作するのバイタリティだなあ。
すごいなあ。お腹を空かせた子供に何か食べさせてあげるというのは純粋な善でありアンパンマンだよ。朝の連続テレビ小説の題材にぴったりだ
すげぇ使命感。こういう人には憧れしかない。すてきすぎる。
これぞ起業家精神・アントレプレナーシップだ。
やなせたかしとは別の手段でお腹いっぱいを実現された人なんだ。会社でお弁当食べながら映像見て涙出た。
一回だけ巡回のポン菓子作ってもらったことあるけどエンタメだよな
偉人だ
https://www.hotpepper.jp/mesitsu/entry/yoshinari-baba/19-00149 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%83%B3%E8%8F%93%E5%AD%90 /吉村利子さんの旧姓が橘とのこと。
すごい人だな、かっこいい。確かに若い頃のお顔立ちはとても可愛らしくて、そんな機械を開発したなんて当時の人も驚いただろうなと思うわ。
この方ではないだろうけど、小さい頃うちの田舎にもポン菓子屋さんが来てくれたなあ
子供の頃(20年くらい前)、お祭りで1回だけみたことある。あのニンジンの袋に入ってるあれって、こういう機械で作れるんだ。と、なんか印象に残ってる。(親や祖父母がなんか熱心に解説してくれた記憶)
なつい!!!!!!!
ボン菓子機(穀類膨張機)自体はアメリカ人の発明で1900年代初頭からあった。日本でも大正時代から導入されていた。吉村さんはそれをじっくり見てしっかり覚えていたのだろう。菓子自体はもっと前からあったようだ。
祭りで売られている印象しかないけど、昔は米を持ち込んで作ってもらってたのね。うちの地域では、ばくだんって呼ばれてた気がする。
さすが九州
小学校の近くによく出してた。
“みんな喜んで食べるんですよ。お金もらわんでもいいと思うくらい。” しびれる!
https://support.google.com/youtubekids/thread/334809840?hl=en&sjid=17558263665006485605-NC
さす九
厳密にはポン菓子機自体はそれ以前からあるけど、戦後にもっとも普及した九州型の開発者らしい。それにしても凄い人だし、素晴らしい仕事だと思う。
昔家の近所に軽トラでポン菓子屋が来てたなー、子供大集合。懐かしい。
ブコメにも近所に来てたって人結構いるんだな。いつくらいの話なんだろ
子供の時に一回だけ見たことがある
子供の頃、住んでた団地に定期的にこの機械を操作する人が来てた。家からお米を持って行くとポン菓子にして渡してくれる。素朴な甘さで美味しかったなぁ。まさか若い女性が独力で作ったものだったとは。
かっこいいおねえちゃんだ。数年前川と公園のそばにある職場の隣にポン菓子の行商が現れた。突然の爆発音にびびって外を見たらポン菓子で、爆発音を聞いてぽろぽろと人が集まっていておもしろかった。
こういう人がお札の顔になって欲しい。政治の匂いする人選よりこういう人が良い。
子供は飢えてるのがデフォな時代を生きてきた人だ
こんな女性が作っていたとは。朝ドラの題材にしてもいいくらいなのでは。詳しく知りたい。
https://support.google.com/youtubekids/thread/334817000?hl=en&sjid=6056553435019791253-NC
ポン菓子機自体はこの人以前から存在していて、日本軍が中国など各地に広めたという話もあるくらいなので、発明ではなくあくまでも「初の国産機器を開発して量産・普及させた」ということかな
一方、最近では物価高騰の煽りで基準に満たないカロリーの給食しか出せない=子供たちに腹一杯食わせられない、という話も。 https://news.yahoo.co.jp/articles/9c17be51736b6c8ff3af4b1646d7bf2c9ac4f54b
ポン菓子って言うけど最初に音を聞いたときポンどころじゃねえズドンって感じだろこれって思ってた
こんなにエンタメ要素のあるお菓子は他にない。
「鉄の容器に生米を入れて密閉し、加熱して圧力を高めます。10分後、留め金を木づちでたたいて一気に開放すると、10倍以上に膨れ上がった米が飛び出す」「今から80年前の終戦直後、日本で初めて「ポン菓子機」を製作」
“幼い頃に一度だけ目にした外国製の「穀類膨張機」”の実現の為に単身で鉄の町に移り住んで技術を習得して研究して実際に作ってしまうってすごすぎる。
ポン菓子今でもたまに食べる。好き
別の記事で「食べられるようにするために必要な燃料が少ない」という利点が述べられていて納得した。「米や雑穀を生煮えの状態で食べ、腹を壊す子ども」をどうにかしたかったのね。
これは素晴らしい金の使い方だなぁ。
自分の子供の時、ポン菓子屋が来たら米を持って行って、ポンと大きな音を立ててポン菓子を作ってもらってた。懐かしいしたまに食べたくなる。当時は北九州に住んでたけど、北九州で作られたのか。
若いのにすごいババアだな
“『みんなで仲良く何でも教えてあげてね』 『人のことを考えてみんなの幸せを考えられるよう努力してほしいです』”
穀類膨張機はアメリカのAlexander Pierce Andersonが1905年に特許を取ったので、1920年代には日本にも渡ってたらしい。機材もないところから大学教授と再発明して自作するバイタリティはすげーな
子供のころよく食べたなあ。タイでもポン菓子みたいなお菓子があったけどどうやって広まっていったんだろう。
これはすごい
お金もらわんでもいいと思うくらいか…。貰えるもんは貰いたい自分はそんな境地には達せないと思うから、こういう精神の人たちには敵わないなぁ。
子供の頃はポン菓子売りのおっちゃんが定期的に回って来てたなぁ。近くを通りかかる時は耳ふさいで早足だったわ。その横でドーン!
ポン菓子ってポップコーンと同じ原理なんだな
駄菓子屋で、いつもにんじん買って食べてた。もしかしたら親もそうだったかもと思うと偉大だー。
立派な方
いい話、函館に住んでた頃はドンキミって呼んでたなぁ…団地に売りに来ると嬉しくて買いに行ったっけ
子供のころよく駄菓子のにんじんを買って食べました。だれかの幸せを願って開発された技術は尊い
“吉村さんは小さな工場を構え、自動車部品を製造しながら資金を集めました。自らも鉄の溶接や加工の技術を学び、試行錯誤を繰り返して国産「ポン菓子機」を完成させました。”
今日から朝ドラ「あんぱん」が始まったけど、やなせたかし先生は「一番の正義は何かといえば、ひもじい人を助けること」って言ってるね。
開発者がまだご存命とは知らんかった。子どもにバカ受けするのよね。皆んなを笑顔にできる素敵な機械よな。https://youtu.be/e8GGKJ_ZIic?si=0LIV_cRd36AKhQ15
子供の頃、よく家の近くに来てた。ポン菓子屋さんがくると近所の誰かが見つけて、友達の家ピンポンしてみんな呼び集めて米と100円持って行列に並んでたなぁ。
「少ない米と燃料で」からスタートしていたなんて、知りませんでした。僕が子どもだった頃は、ポン菓子屋さんが巡回していました。米と砂糖と加工賃を持っていくと、ポン菓子にしてくれるのでした。懐かしいです。
『鉄の容器に生米を入れて密閉し、加熱して圧力を高めます。10分後、留め金を木づちでたたいて一気に開放すると、10倍以上に膨れ上がった米が飛び出す仕組みです』 ← この説明でわかるひとおるんか(´・ω・`)
「痩せた子どもを抱いて、おなかいっぱい消化のいいものを食べさせたいって。そればっかり思っていました。」 たぶん、この時代を実際に生き抜いたこの人から直接聞いたら、涙が出てくると思う。
生米と砂糖と小銭持ってドンって鳴る車きたらやってもらってた。関西の裕福な育ちのお嬢さんは人権意識が高いようで、不当な扱いには逆襲するパターンをいくつか思い浮かべることができる。
二十歳の娘が単身北九州で工場をやるとか、自分が親だったら認める自信がない。
めちゃくちゃ良い
https://www.youtube.com/watch?v=SA93otcb2B4 / アンパンマンと コラボさせたい。 / Feloの回答 > 1kgの米を持参すると、膨張後にはその体積が約10倍になるため、かなりの量のポン菓子が得られます。
今ちょうど戦争の動画ばかり見てるとこだった。敗戦後、自分たちの町にお菓子の機械が来てくれてどれだけ子供たちのお腹と心を満たしたか。高潔な志と行動力に感服した。こういう方にこそ国民栄誉賞を与えるべき。
何にでも人と歴史はあるんだな……と思わされた記事。最近はポン菓子すっかり見かけなくなりましたね
読めてよかった
米を普通に食べるより消化・吸収が良さそうな感じがするので、同じ量の米をより実になる形で摂取できそう/腹持ちはあまり良くないだろうけど一時的に満腹になるのも大事。