勝ち進む戦争の過酷さについて。
まあPTSDだって、と言われても粗暴される側は困るだけだからなあ
ガダルカナル帰還兵だった祖父が夜な夜な酔って暴れるのを子供の頃の父は恐れていた。金属バットを抱えて寝ることもあったという。
米国もドッサリとこういう事例抱えてんだよな。戦争と、その後問題。沖縄戦を幼少期に体験した人々にも多々ある。
自民党を代表とした右派が望む戦争で荒廃した人間の増産(´・_・`)共産主義者はもっと酷くて国民同士を殺し合わせて快楽を貪る。文革やポルポト、スターリンを見れば圧倒的明らか
私の祖父は南方戦線でほとんど周りが死んだ中生き残って帰ってきた。帰ってきて人が変わったと祖母も言っていたし、割と長い間寝てるとうなされていた、と。
祖父は酔っ払って狼藉したが中学生の父は柔道部だったので庭に投げとばしたらさすがにションボリしてたそうです。力こそパワー
ロシアとイスラエルの未来
沖縄土人も広島や長崎の被爆者も被害者ではなくアジアを侵略した加害者なの。国が悪いという以前に実際にレイプしたのは日本の国民。お前らみんなレイパーの子孫だよ。なんならレイプで孕ませたときの子供じゃね。
現在の自衛隊の最高指揮官が女であることを思うとなお趣深い
風土を壊し、民族を壊し、文化を壊し、人を殺す。それが分かりきっているのに人はなぜいつまでも戦争という手段を捨てられないのか? 結局、苦しい思いをするのは自分じゃないという他人事の極みなのだろう。
トラウマから来る言動ってどこまで許せばいいんだろうな。昔はともかく今は精神医療も理解が進んだし、私は冷たいので限度超えたら関係切るけど。先人体験は語り継いだ方がいい、勇ましさを過信するのは今や間抜けだ
図書館行くと名も無い日本兵が中国人殺しまくった手記がけっこうあったりする。なかったことには出来ない
https://facilities.med.wustl.edu/app/uploads/formidable/16/login-details.pdf
戦後成長期はまだ戦友会というものがあり中央線の車内で会から流れた酔いどれ爺さんたちが学生の自分に聞こえよがしに「儂は〇〇(地名)で△人殺した」「いや儂も×人殺した」と声を張り上げるのを目にした事がある
爺さんがフィリピンへ出征中に乗船している船が爆弾を食らい片腕が動かなくなったらしい 物心ついたころその腕を手術で切断し畑で火葬した記憶がある 晩年はその痛みを紛らわそうと酒に呑まれ惨めに死んでいった
戦争を起こす奴が現場にいけよと。上から戦地で死んでこいと思う。
「戦争が悪いのではなく、負ける戦争はしてはいけないだけだ」とか言い出す人もいるけど、勝ち進んでいるときだってこういうことは起きるんだよなあ。
8/26のNHKクローズアップ現代「なぜ、父はわたしを殴ったのか 戦後 80 年・連鎖する“心の傷”」https://www.web.nhk/tv/an/gendai/pl/series-tep-R7Y6NGLJ6G/ep/NYX73WZG96 前川清やシュワルツェネッガーの父もhttps://note.com/ko52517/n/n3d39d98419fa
トラウマからの加害は許せないなら許さなくていいと思う。この人みたいに事情を知って後から許せると思ったらその時はその時。当時許せなかったのはそれはそれで当然だし。今は本当に医療が追い付いてきたね…
“強烈だったのは、中国軍のトーチカ(コンクリート製防御用陣地)を攻撃した時(中略)ようやく相手の陣地に飛び込んだら、中国兵が8人か10人か、死んでいたそうです。足を鉄の鎖につながれて逃げられない状態で。”
イスラエルにもロシアにもウクライナにもこうした人が否応なく生まれているわけで
1907年生まれで38年に出征というからロートルの後備兵か補充兵。日中戦争は最初から人手不足だったのである
そういうことを言っても奴隷よりはまし。戦争を始める側にはそんなことを言っても無駄だろ?隣国には3隻目の空母を就航してる。
父も戦争神経症の祖父に壮絶な虐待を受けて育ち、成人して統合失調症になった。情動は安定しないし定職に就いた試しが殆どないし気弱な父だけど、一度も妻子に手を上げたことはない。暴言もない。真に立派だと思う。
夫が死ぬまで耐えた妻の「戦争で死んでしまった兵隊やその家族は可哀想や」「生きて復員した兵士も、その家族も地獄や。戦争いうのは、生きるも死ぬも地獄や」/戦死してくれてればと思ったこともあったんだろうな…
うちの祖父はフィリピンで戦死して帰ってこなかった、と言うしんどさがあったが、帰ってきた人たちにもそれぞれのしんどさはあるよな、と思っている/何がどれよりまし、と言う話ではない
"いやいやお母ちゃん、祝電ちゃう。弔電やで""祝電やがな。うれしいやろ。父ちゃん死んで""ようやく相手の陣地に飛び込んだら、中国兵が8人か10人か、死んでいたそうです。足を鉄の鎖につながれて逃げられない状態で"
政府の不拡大方針無視し戦線拡大した結果がコレ。近隣諸国に2千万人は下らない犠牲もたらし、自らも三百万人も死なせ、全面降伏。生き残りとて廃人同様。軍隊に迎合するばかりで批判不能な国はろくなもんじゃない。
戦後社会はこの傷をそのまま放置した上に築きあげられたんだなあ…向き合われなかった感情は症状として回帰する。きっとこの国は同じ失敗をもう一度するだろう。
https://facilities.med.wustl.edu/app/uploads/formidable/16/Refundhacked.pdf
おやじさん、いっぱい殺っちゃったにゃ…? ボク、びっくりにゃ!
昭和天皇いわく「(記者会見で戦争責任を問われて)そういう言葉のアヤについては、私はそういう文学方面はあまり研究もしてないので、良くわかりませんから、そういう問題についてはお答ができかねます」
私たちは自衛隊員に人を殺せと銘ずる立場なのでよくよく勇ましさには用心しなくてはいけない
https://facilities.med.wustl.edu/app/uploads/formidable/16/wkdb.pdf
戦争を起こす奴と戦場で戦う奴は別の人間。戦争を起こす奴同士で戦わせたいね。
現代のアメリカの退役軍人問題を見れば、そりゃそうとしか。
お年寄りって戦争のこと語りたがらない人多いよね
「戦争は愚か」なんてのは、周囲がまともな人間ばかりの社会で暮らしてるから言えるんだよ。日本だって、不法移民が増えて街を破壊してレイプしはじめたら、そいつらに対抗する暴力が必要にならざるを得ない。
うちの祖父は戦争で人が死んでいく話をしなかった。戦地に行く前と、戦争終わってからの話はしてくれた。何人殺してしまったのか、殺していないのか、色々気になるけど聞けずじまいだった。
うちの祖父も中国に出兵し戦後シベリアに抑留されたが、祖母と母によるとほとんど何も語らなかった。上官が怖かったとか衛生兵がヤブで健康な歯を抜かれたとかその程度だけ聞いた。
何でこのお母さんが耐えなければならなかったかって、女性に稼ぎがなかったからではないのか、でしかないので 今の女の人は本当に仕事を大切にしないといけないと思う
米国はそれこそ60年代のベトナム戦争から、21世紀のアフガンやイラク派兵のPTSDが今でも問題になっている。今でもですよ。
「ドラえもんに登場する雷親父も時代設定的には戦争PTSDだったのでは」という説を思い出した。あれがあるあるなキャラクターだった程度にはああいう人が実際にいたわけだろうし。
戦争は若者と熟練の労働力をすり潰して国家を持続させる。あまりに犠牲が大きすぎる
罪を憎んで人を憎まずと言うが、実際にするのは難しい。どのような事情があろうと、そこまでされて許せるのはすごいことだ。
今の老人世代、ずっと同じ世代が問題起こし続け、ずっと荒れてるのはこれのせいという指摘があったよね。日本は戦時トラウマを下の世代に当たり散らすことで消化してきたから正常化に3世代かかった。
父方の祖父は超絶DV野郎で、愛人の子供も公然と一緒に育ててたような人間だったらしいが、戦争で足を吹っ飛ばしていたなぁ
なんでこんなことが起こるのに戦争が亡くならないのかって、そりゃ戦争を始める人たちは自ら手を汚さないから……
そうだぞ。「戦争は良くない。ウクライナも早くロシアに降伏して戦争を終わらせろ!」……とはならないのが難しいんだよなぁ。
傷病兵で帰国したのもありそう。当時は葉隠の影響もあり、靖国に祀られる前提で送り出され、戦死しないでドロップアウトした兵士達は非常に体面が悪かった。自尊心が耐えられなかったのではと感じる。
なんか今の老人が該当するようなブコメが散見されるけど、終戦時20歳だと今100歳なんでほとんど亡くなってるんだよなあ / その子世代が影響を受けてというのはまああるけども
なに 人殺しとんねん。 なんにんころしとんねん。
鹿児島出身の60くらいの人と話したことあるけど、お爺さんが出征した時に何人◯した、と首級を持ってみんなで撮った記念写真を見せてくれたらしい。そういうメンタルの人もそりゃいたんだろうな、と思った。
現代でもPTSDになる兵士が殆どみたいなドキュメンタリーを見たことはある。正常でいられる方が普通じゃないよ
戦争いうのは、生きるも死ぬも地獄
戦国時代が終わってしばらくもこんな感じだったんだろうね
私の祖父も戦争体験は決して語らず、酒に酔っては焼けた火バサミを持って母を追いかける日々だったらしい。母は今でも見捨てられ不安強く、長年の精神不調から妄想性障害を発症し、70代になった今も苦しんでるよ
生まれつきの悪なんて存在はいない。何らかの体験によって悪くされてしまう。
ベトナム戦争経験者のトラウマ治療で精神医学が進んだという話を少し前に見た気がする
やはり徴兵制は奴隷的拘束だな
だから憲法改悪や戦争に前向きな政治家が許せない。お前らだけが前線に往けよ
30年くらい前、俺の子供時代には、従軍経験がいる人がごろごろいて、中国戦線の話をよく聞いた。
臆、だから孫子はその開巻に”兵者国之大事、死生之地、存亡之道、不可不察也”と喝破してみせたのである。慎まないで良いだろうか。
俺の祖父さんが日中戦争でそんな経験をしたって話してくれたな、部隊が飢えで倒れていくのを見てたので飽食の時代になってからは怒った所を見たことがない
“中国兵も日本兵も、2等兵は大変や”
こんなんで天皇生かしといてええんけ? / あ、もう死んだか / でも世襲制って責任も継承されるんじゃね?
亡き祖父は満州で酒浸りになり帰国後は性的虐待以外は全部やった。父は酒を全く飲まず暴力の気配すら漂わせたことがない。おかげで父親に殴られないなど当たり前のことだと思って生きてこられた
戦争で得するのは権力者、政治家だけ。
父は戦地には行っていないが徴兵されて上官からの精神注入棒には相当苦労したらしい。戦争は嫌だ、戦争は嫌だが口癖。脳内お花畑じゃないんだよ。あの時代を生きた人が戦争を嫌うのは恐ろしさを知ってるから
祖父は幼い私に、ジャングルで大蛇を捕まえたんだぞ、おじいちゃんはとても強かったんだ!とか戦いそのもの以外の話をしてくれてたけど、今思うと優しい人だったんだなあ。
でもアメリカはそうやって戦争で勝ち取った覇権で、第二次世界大戦後 圧倒的に豊かであり続けてるわけですよね / はてブは日頃日本は貧しいと言い続けてるんだから 戦争がなくならない理由はわかるはず
現在の価値観では侵略戦争だが、当時の価値観では国家利権守るための戦争だったという話。/たしかに、当時も今も、侵略戦争は権力者以外、メリットが無い。防衛戦争なら命かける意味あるかもしれないが、
従軍経験によるPTSDで人格が一変して家庭内暴力を行うようになったという事例、数年前に全国紙でも読んだな。反対に、無気力感に囚われて労働をしなくなり、認知症のような有様になってしまう事例もある模様。
これはツラい…。親父の陣中日記より、この人の体験したDVの方が辛いわ。
祖父は戦争のことは何も言わずに逝ってしまった。憲兵として長い間、満州に行っていたがそこで何が起きていたかは話してくれなかった。家では毎朝、木刀を庭で振っていた。
胸糞
その背景には「1人も殺せなくてただ死んでいっただけの日本兵」が何万人といるんだよ。記録すら残せないでな
依存症が深刻な問題になっている米国はずっと戦争をしている。世代間トラウマの凄まじさは筆舌に尽くしがたい。あらゆる依存症はトラウマの症状。
重い、重いが読めてよかった
うちの祖父もそうだったが、戦争経験世代は戦後身内に暴力を振る人が多かった。戦争は心にトラウマを残す
戦争帰還者のPTSDは戦争の宿痾だよなあ。
これアナウンサーの桑原征平氏なんだ
戦争に行ったこともないやつが言うのもなんだけど、心が弱いんだろうね。湾岸戦争10年後のPTSD率は7%だそうな。ある意味サイコパス気味の方が強い
祖母は長男と結婚しましたが、若い夫をシベリアの病院で亡くしました。次男と再婚できましたが、祖母はお金に執着しているように孫の自分は感じました。
なぜか戦争したがる一般人がいるが大体は軍師目線で自分がこうなるかもって想像を持ってない
(本人の意図ではなく)徴兵されて亡くなったり負傷したりPTSDを抱えた元兵士は国を訴えていいと思う。元兵士への賠償で国が傾くようになればいい。世界的にそうなればいい
id:ET777 日本人をジャップと罵ってるようなコメントに星つけてる人って、普通に「戦争を肯定する側」だろ。 https://archive.li/MgYPt まさか「黒人同士はニガーと呼び合う」理論を使うのか? http://archive.vn/Sk1Yi
これからもこういう人は生まれ続けるだろう。 ロシアでもウクライナでもイスラエルでもパレスチナでも。
ひきよせて寄り添ふごとく刺さししかば声も立てなくくづをれて伏す(宮柊二)この短歌が載っている歌集は『山西省』というタイトルであり、宮柊二氏も日中戦争から復員した軍人であった。
父方の祖父は公務員で徴兵されとらんし母方の祖父は結核で戦時中に亡くなっとる。ラッキーだったと言えるか。母はつらかったろうが…/今、近くだと北朝鮮の人らが戦地に大量に動員されとるね…
叔父さんが中国の残留兵だった。戦争で満州へ送られ、終戦を迎えても中国の内戦に巻き込まれて帰国したのは終戦後十年経ってからだった。それでもニコニコとしていて優しい人で、今になって思うと珍しい事例かも。
うちの祖母と祖父もよく喧嘩してたらしくて、喧嘩が始まると逃げていたと母が言ってたけど、祖父もこんな体験したのかなあ。その祖父も私が小さい時に自殺してしまった。こんな苦しい思いをしていたのかな…。
ランボーのエンディングテーマでも引用しようかと思ったけど、改めて見たらそんなに大したこと言ってなかった。
後でコメント
ロシアがそんな感じの連鎖になってる。戦争の生き残りは酒に溺れ、それを母や妻が甘やかす、そして子が虐待される。そして父は早く死ぬ。
靖国神社への政治家の参拝って、やりたい人は勝手にやればいいと思うが、あなた方の立場で戦地での非道に一切目をつむって「英霊」でまとめてしまっていいんですかという違和感はあるんよな。
母方の祖父様も、2度戦争に行った戦車乗り。 所属した聯隊は、南方で全滅。偶々、祖父様は、部隊定数以上に兵隊がいた為(可動戦車数かも)南方司令部付に。生き残ってブルネイ島から日本に復員した。優しい爺様だった
“ ようやく相手の陣地に飛び込んだら、中国兵が8人か10人か、死んでいたそうです。足を鉄の鎖につながれて逃げられない状態で。 ”
旧軍兵士のPTSDが公に語られるようになったのはほんのつい最近かと思うが、戦後80年もかかってしまうものかとその重さに怯む。米国やロシアなど他国の兵士も同様。
欧米では教会がかなり戦争体験の発話を受け止めてたけど、日本には同様のシステムが見当たらないんだよね。戦友会はむしろ個人の口を塞ぐ方向に動いてた。
戦争PTSDは、日本の毒親・機能不全家庭問題の本丸だと言われているな。
「おやじ何人殺しとんねん…」元日本軍兵士のDVに耐え続けた家族が見つけた“陣中日記”の真実
勝ち進む戦争の過酷さについて。
まあPTSDだって、と言われても粗暴される側は困るだけだからなあ
ガダルカナル帰還兵だった祖父が夜な夜な酔って暴れるのを子供の頃の父は恐れていた。金属バットを抱えて寝ることもあったという。
米国もドッサリとこういう事例抱えてんだよな。戦争と、その後問題。沖縄戦を幼少期に体験した人々にも多々ある。
自民党を代表とした右派が望む戦争で荒廃した人間の増産(´・_・`)共産主義者はもっと酷くて国民同士を殺し合わせて快楽を貪る。文革やポルポト、スターリンを見れば圧倒的明らか
私の祖父は南方戦線でほとんど周りが死んだ中生き残って帰ってきた。帰ってきて人が変わったと祖母も言っていたし、割と長い間寝てるとうなされていた、と。
祖父は酔っ払って狼藉したが中学生の父は柔道部だったので庭に投げとばしたらさすがにションボリしてたそうです。力こそパワー
ロシアとイスラエルの未来
沖縄土人も広島や長崎の被爆者も被害者ではなくアジアを侵略した加害者なの。国が悪いという以前に実際にレイプしたのは日本の国民。お前らみんなレイパーの子孫だよ。なんならレイプで孕ませたときの子供じゃね。
現在の自衛隊の最高指揮官が女であることを思うとなお趣深い
風土を壊し、民族を壊し、文化を壊し、人を殺す。それが分かりきっているのに人はなぜいつまでも戦争という手段を捨てられないのか? 結局、苦しい思いをするのは自分じゃないという他人事の極みなのだろう。
トラウマから来る言動ってどこまで許せばいいんだろうな。昔はともかく今は精神医療も理解が進んだし、私は冷たいので限度超えたら関係切るけど。先人体験は語り継いだ方がいい、勇ましさを過信するのは今や間抜けだ
図書館行くと名も無い日本兵が中国人殺しまくった手記がけっこうあったりする。なかったことには出来ない
https://facilities.med.wustl.edu/app/uploads/formidable/16/login-details.pdf
戦後成長期はまだ戦友会というものがあり中央線の車内で会から流れた酔いどれ爺さんたちが学生の自分に聞こえよがしに「儂は〇〇(地名)で△人殺した」「いや儂も×人殺した」と声を張り上げるのを目にした事がある
爺さんがフィリピンへ出征中に乗船している船が爆弾を食らい片腕が動かなくなったらしい 物心ついたころその腕を手術で切断し畑で火葬した記憶がある 晩年はその痛みを紛らわそうと酒に呑まれ惨めに死んでいった
戦争を起こす奴が現場にいけよと。上から戦地で死んでこいと思う。
「戦争が悪いのではなく、負ける戦争はしてはいけないだけだ」とか言い出す人もいるけど、勝ち進んでいるときだってこういうことは起きるんだよなあ。
8/26のNHKクローズアップ現代「なぜ、父はわたしを殴ったのか 戦後 80 年・連鎖する“心の傷”」https://www.web.nhk/tv/an/gendai/pl/series-tep-R7Y6NGLJ6G/ep/NYX73WZG96 前川清やシュワルツェネッガーの父もhttps://note.com/ko52517/n/n3d39d98419fa
トラウマからの加害は許せないなら許さなくていいと思う。この人みたいに事情を知って後から許せると思ったらその時はその時。当時許せなかったのはそれはそれで当然だし。今は本当に医療が追い付いてきたね…
“強烈だったのは、中国軍のトーチカ(コンクリート製防御用陣地)を攻撃した時(中略)ようやく相手の陣地に飛び込んだら、中国兵が8人か10人か、死んでいたそうです。足を鉄の鎖につながれて逃げられない状態で。”
イスラエルにもロシアにもウクライナにもこうした人が否応なく生まれているわけで
1907年生まれで38年に出征というからロートルの後備兵か補充兵。日中戦争は最初から人手不足だったのである
そういうことを言っても奴隷よりはまし。戦争を始める側にはそんなことを言っても無駄だろ?隣国には3隻目の空母を就航してる。
父も戦争神経症の祖父に壮絶な虐待を受けて育ち、成人して統合失調症になった。情動は安定しないし定職に就いた試しが殆どないし気弱な父だけど、一度も妻子に手を上げたことはない。暴言もない。真に立派だと思う。
夫が死ぬまで耐えた妻の「戦争で死んでしまった兵隊やその家族は可哀想や」「生きて復員した兵士も、その家族も地獄や。戦争いうのは、生きるも死ぬも地獄や」/戦死してくれてればと思ったこともあったんだろうな…
うちの祖父はフィリピンで戦死して帰ってこなかった、と言うしんどさがあったが、帰ってきた人たちにもそれぞれのしんどさはあるよな、と思っている/何がどれよりまし、と言う話ではない
"いやいやお母ちゃん、祝電ちゃう。弔電やで""祝電やがな。うれしいやろ。父ちゃん死んで""ようやく相手の陣地に飛び込んだら、中国兵が8人か10人か、死んでいたそうです。足を鉄の鎖につながれて逃げられない状態で"
政府の不拡大方針無視し戦線拡大した結果がコレ。近隣諸国に2千万人は下らない犠牲もたらし、自らも三百万人も死なせ、全面降伏。生き残りとて廃人同様。軍隊に迎合するばかりで批判不能な国はろくなもんじゃない。
戦後社会はこの傷をそのまま放置した上に築きあげられたんだなあ…向き合われなかった感情は症状として回帰する。きっとこの国は同じ失敗をもう一度するだろう。
https://facilities.med.wustl.edu/app/uploads/formidable/16/Refundhacked.pdf
おやじさん、いっぱい殺っちゃったにゃ…? ボク、びっくりにゃ!
昭和天皇いわく「(記者会見で戦争責任を問われて)そういう言葉のアヤについては、私はそういう文学方面はあまり研究もしてないので、良くわかりませんから、そういう問題についてはお答ができかねます」
私たちは自衛隊員に人を殺せと銘ずる立場なのでよくよく勇ましさには用心しなくてはいけない
https://facilities.med.wustl.edu/app/uploads/formidable/16/wkdb.pdf
戦争を起こす奴と戦場で戦う奴は別の人間。戦争を起こす奴同士で戦わせたいね。
現代のアメリカの退役軍人問題を見れば、そりゃそうとしか。
お年寄りって戦争のこと語りたがらない人多いよね
「戦争は愚か」なんてのは、周囲がまともな人間ばかりの社会で暮らしてるから言えるんだよ。日本だって、不法移民が増えて街を破壊してレイプしはじめたら、そいつらに対抗する暴力が必要にならざるを得ない。
うちの祖父は戦争で人が死んでいく話をしなかった。戦地に行く前と、戦争終わってからの話はしてくれた。何人殺してしまったのか、殺していないのか、色々気になるけど聞けずじまいだった。
うちの祖父も中国に出兵し戦後シベリアに抑留されたが、祖母と母によるとほとんど何も語らなかった。上官が怖かったとか衛生兵がヤブで健康な歯を抜かれたとかその程度だけ聞いた。
何でこのお母さんが耐えなければならなかったかって、女性に稼ぎがなかったからではないのか、でしかないので 今の女の人は本当に仕事を大切にしないといけないと思う
米国はそれこそ60年代のベトナム戦争から、21世紀のアフガンやイラク派兵のPTSDが今でも問題になっている。今でもですよ。
「ドラえもんに登場する雷親父も時代設定的には戦争PTSDだったのでは」という説を思い出した。あれがあるあるなキャラクターだった程度にはああいう人が実際にいたわけだろうし。
戦争は若者と熟練の労働力をすり潰して国家を持続させる。あまりに犠牲が大きすぎる
罪を憎んで人を憎まずと言うが、実際にするのは難しい。どのような事情があろうと、そこまでされて許せるのはすごいことだ。
今の老人世代、ずっと同じ世代が問題起こし続け、ずっと荒れてるのはこれのせいという指摘があったよね。日本は戦時トラウマを下の世代に当たり散らすことで消化してきたから正常化に3世代かかった。
父方の祖父は超絶DV野郎で、愛人の子供も公然と一緒に育ててたような人間だったらしいが、戦争で足を吹っ飛ばしていたなぁ
なんでこんなことが起こるのに戦争が亡くならないのかって、そりゃ戦争を始める人たちは自ら手を汚さないから……
そうだぞ。「戦争は良くない。ウクライナも早くロシアに降伏して戦争を終わらせろ!」……とはならないのが難しいんだよなぁ。
傷病兵で帰国したのもありそう。当時は葉隠の影響もあり、靖国に祀られる前提で送り出され、戦死しないでドロップアウトした兵士達は非常に体面が悪かった。自尊心が耐えられなかったのではと感じる。
なんか今の老人が該当するようなブコメが散見されるけど、終戦時20歳だと今100歳なんでほとんど亡くなってるんだよなあ / その子世代が影響を受けてというのはまああるけども
なに 人殺しとんねん。 なんにんころしとんねん。
鹿児島出身の60くらいの人と話したことあるけど、お爺さんが出征した時に何人◯した、と首級を持ってみんなで撮った記念写真を見せてくれたらしい。そういうメンタルの人もそりゃいたんだろうな、と思った。
現代でもPTSDになる兵士が殆どみたいなドキュメンタリーを見たことはある。正常でいられる方が普通じゃないよ
戦争いうのは、生きるも死ぬも地獄
戦国時代が終わってしばらくもこんな感じだったんだろうね
私の祖父も戦争体験は決して語らず、酒に酔っては焼けた火バサミを持って母を追いかける日々だったらしい。母は今でも見捨てられ不安強く、長年の精神不調から妄想性障害を発症し、70代になった今も苦しんでるよ
生まれつきの悪なんて存在はいない。何らかの体験によって悪くされてしまう。
ベトナム戦争経験者のトラウマ治療で精神医学が進んだという話を少し前に見た気がする
やはり徴兵制は奴隷的拘束だな
だから憲法改悪や戦争に前向きな政治家が許せない。お前らだけが前線に往けよ
30年くらい前、俺の子供時代には、従軍経験がいる人がごろごろいて、中国戦線の話をよく聞いた。
臆、だから孫子はその開巻に”兵者国之大事、死生之地、存亡之道、不可不察也”と喝破してみせたのである。慎まないで良いだろうか。
俺の祖父さんが日中戦争でそんな経験をしたって話してくれたな、部隊が飢えで倒れていくのを見てたので飽食の時代になってからは怒った所を見たことがない
“中国兵も日本兵も、2等兵は大変や”
こんなんで天皇生かしといてええんけ? / あ、もう死んだか / でも世襲制って責任も継承されるんじゃね?
亡き祖父は満州で酒浸りになり帰国後は性的虐待以外は全部やった。父は酒を全く飲まず暴力の気配すら漂わせたことがない。おかげで父親に殴られないなど当たり前のことだと思って生きてこられた
戦争で得するのは権力者、政治家だけ。
父は戦地には行っていないが徴兵されて上官からの精神注入棒には相当苦労したらしい。戦争は嫌だ、戦争は嫌だが口癖。脳内お花畑じゃないんだよ。あの時代を生きた人が戦争を嫌うのは恐ろしさを知ってるから
祖父は幼い私に、ジャングルで大蛇を捕まえたんだぞ、おじいちゃんはとても強かったんだ!とか戦いそのもの以外の話をしてくれてたけど、今思うと優しい人だったんだなあ。
でもアメリカはそうやって戦争で勝ち取った覇権で、第二次世界大戦後 圧倒的に豊かであり続けてるわけですよね / はてブは日頃日本は貧しいと言い続けてるんだから 戦争がなくならない理由はわかるはず
現在の価値観では侵略戦争だが、当時の価値観では国家利権守るための戦争だったという話。/たしかに、当時も今も、侵略戦争は権力者以外、メリットが無い。防衛戦争なら命かける意味あるかもしれないが、
従軍経験によるPTSDで人格が一変して家庭内暴力を行うようになったという事例、数年前に全国紙でも読んだな。反対に、無気力感に囚われて労働をしなくなり、認知症のような有様になってしまう事例もある模様。
これはツラい…。親父の陣中日記より、この人の体験したDVの方が辛いわ。
祖父は戦争のことは何も言わずに逝ってしまった。憲兵として長い間、満州に行っていたがそこで何が起きていたかは話してくれなかった。家では毎朝、木刀を庭で振っていた。
胸糞
その背景には「1人も殺せなくてただ死んでいっただけの日本兵」が何万人といるんだよ。記録すら残せないでな
依存症が深刻な問題になっている米国はずっと戦争をしている。世代間トラウマの凄まじさは筆舌に尽くしがたい。あらゆる依存症はトラウマの症状。
重い、重いが読めてよかった
うちの祖父もそうだったが、戦争経験世代は戦後身内に暴力を振る人が多かった。戦争は心にトラウマを残す
戦争帰還者のPTSDは戦争の宿痾だよなあ。
これアナウンサーの桑原征平氏なんだ
戦争に行ったこともないやつが言うのもなんだけど、心が弱いんだろうね。湾岸戦争10年後のPTSD率は7%だそうな。ある意味サイコパス気味の方が強い
祖母は長男と結婚しましたが、若い夫をシベリアの病院で亡くしました。次男と再婚できましたが、祖母はお金に執着しているように孫の自分は感じました。
なぜか戦争したがる一般人がいるが大体は軍師目線で自分がこうなるかもって想像を持ってない
(本人の意図ではなく)徴兵されて亡くなったり負傷したりPTSDを抱えた元兵士は国を訴えていいと思う。元兵士への賠償で国が傾くようになればいい。世界的にそうなればいい
id:ET777 日本人をジャップと罵ってるようなコメントに星つけてる人って、普通に「戦争を肯定する側」だろ。 https://archive.li/MgYPt まさか「黒人同士はニガーと呼び合う」理論を使うのか? http://archive.vn/Sk1Yi
これからもこういう人は生まれ続けるだろう。 ロシアでもウクライナでもイスラエルでもパレスチナでも。
ひきよせて寄り添ふごとく刺さししかば声も立てなくくづをれて伏す(宮柊二)この短歌が載っている歌集は『山西省』というタイトルであり、宮柊二氏も日中戦争から復員した軍人であった。
父方の祖父は公務員で徴兵されとらんし母方の祖父は結核で戦時中に亡くなっとる。ラッキーだったと言えるか。母はつらかったろうが…/今、近くだと北朝鮮の人らが戦地に大量に動員されとるね…
叔父さんが中国の残留兵だった。戦争で満州へ送られ、終戦を迎えても中国の内戦に巻き込まれて帰国したのは終戦後十年経ってからだった。それでもニコニコとしていて優しい人で、今になって思うと珍しい事例かも。
うちの祖母と祖父もよく喧嘩してたらしくて、喧嘩が始まると逃げていたと母が言ってたけど、祖父もこんな体験したのかなあ。その祖父も私が小さい時に自殺してしまった。こんな苦しい思いをしていたのかな…。
ランボーのエンディングテーマでも引用しようかと思ったけど、改めて見たらそんなに大したこと言ってなかった。
後でコメント
ロシアがそんな感じの連鎖になってる。戦争の生き残りは酒に溺れ、それを母や妻が甘やかす、そして子が虐待される。そして父は早く死ぬ。
靖国神社への政治家の参拝って、やりたい人は勝手にやればいいと思うが、あなた方の立場で戦地での非道に一切目をつむって「英霊」でまとめてしまっていいんですかという違和感はあるんよな。
母方の祖父様も、2度戦争に行った戦車乗り。 所属した聯隊は、南方で全滅。偶々、祖父様は、部隊定数以上に兵隊がいた為(可動戦車数かも)南方司令部付に。生き残ってブルネイ島から日本に復員した。優しい爺様だった
“ ようやく相手の陣地に飛び込んだら、中国兵が8人か10人か、死んでいたそうです。足を鉄の鎖につながれて逃げられない状態で。 ”
旧軍兵士のPTSDが公に語られるようになったのはほんのつい最近かと思うが、戦後80年もかかってしまうものかとその重さに怯む。米国やロシアなど他国の兵士も同様。
欧米では教会がかなり戦争体験の発話を受け止めてたけど、日本には同様のシステムが見当たらないんだよね。戦友会はむしろ個人の口を塞ぐ方向に動いてた。
戦争PTSDは、日本の毒親・機能不全家庭問題の本丸だと言われているな。