河野太郎がまともなことを言ってても総理になれないのはこういうところなのかもしれないね。
寄稿いたしました。日頃からどう生きているかが、一番の政治活動かもしれません。そうだとすると、自分ももちろんできていませんが/政治家自身の人徳については述べていないつもりです
三島由紀夫が昭和天皇に見たものを、この人(横浜市中区の人)は見ている。どこの誰だか知らんが(笑)
まさに。自分がチームみらいに期待しているのは、安野氏+候補者&りなくろさんの人徳に惹かれてるのが大きいな。国政とか自治とかに限らず、結局政治は好き嫌いが決めるものだよね
清濁併せ呑むような度量の大きな人士は居なくなり、セコい対立煽りの雑魚と世襲のガキばかりになった。
白紙投票を批判する目的が、自陣営に投票することを勧めてるのだという決めつけが気に入らない。違うよ、団体票の効果を増してしまうような行動が、意味ある抗議であるかのような言説を否定してるだけだよ
政治家ではないけどガンジーって凄かったよな。権力は全くないが権威は凄くある
相対主義的な良い文章。絶対的な正義があり、それを語れば誰もがその思想に恭順するみたいな考えは、選挙においては致命的な沼。そうした中でそれでも人の考えを変え得るのは確かに「人徳」なのかもしれない。
間違った選択を恐れ、当選しそうな候補に投じる間違い探しと選挙を捉える人もいる「自分の能力ではなにが正しいか見極められないと思い、投票はせずに世の中の人の良識にしたがおうというのも一つの見識ではないか」
参政党支持者は街頭声掛け頑張っているので並の日本人よりよっぽど頑張って政治している!!!!!!!
関係ないけど高齢者は65年間人生を生き残った強者だよなあって思った(´・_・`)高齢者が若者を敬わないのに敬老パスっているんだっけと
徳治かアレテーか。政治家たるもの哲学思想はしっかりおさえたうえで己が寄って立つ第一原則を示してほしいし、主権者の卵には古典教育を充実させるの大切。たぶん科学教育より8億倍くらいたいせつ。
複雑な社会システムを人徳とか敵・味方とかに擬人化するのは、台風を蝶々のせいにするのと同じで無理があるのではないかと思う。たぶんもっと抽象的な何かなんだよ、社会における流体力学みたいな
自分も含めて懐疑的に見てる人間の要素の一つだし、これによって多くの人に影響を与える政治が動いてはいけないと考えるものだよ。それぐらい不安定なものだし、ともすれば演出することも可能だよね。
政治の本質は妥協で、人徳/権威/理論/倫理/展望/金/etcは手段。/優先度の高い要求を通す為に低い部分では譲るというのが賢い振る舞いだが馬鹿が増えるとスムーズに運ばなくなる。
人徳ってのは確かにあるかもしれないな。ドイツのメルケルとか、外国人や外国人を受け入れるのに寛容な人が推してたのはこれが理由なのかもしれない。
「自分の気に入らない勢力」程度ならまだいい。彼らは危害を加えてくるのだ。しかし、批判で危害を加えてくる勢力を止めるのは無理だと大体の人は気がついてしまった。元々人徳なんて誰も持ってないから。
昭和のハマコーは国会の暴れん坊(且つ本人自身からも元ヤクザという発言があった)だったけど、結局人徳でねじ伏せた感はある。
政治は理屈ではなく如何に味方を増やすかとも言うので確かにそうかも/政治を現実だと思えない人からすれば参政党もピカレスクロマンを読むように共感できるのであろう
アリストテレスの修辞学でいうところのエトスですかね。正論で論破し続けたソクラテスの最後から我々も学べることがあるはず。
残念ながらこれはない。税金をチューチューさせてくれるアベは経団連とか官僚、岩盤支持層にとっては人徳があったとみなされるから。資本主義が極まった現代に人徳は通用しない。
このへんが参考になりそうな気がした。 https://www.rieti.go.jp/users/china-tr/jp/110427kaikaku.html
政争についてはそうかもしれんが、政治に求められるものはそうではないだろ。無駄に人たらしの才能がある奴に色々背負いこませても碌なことにはならんってジークアクスでやったばっかりだろ!
良くも悪くも人は「素敵な未来を思い描かせてくれる人」の言うことを聞くよなと思っている。批判は必要だが、それだけでは人に素敵な未来を思い描かせることはできないので、できるだけワクワクするよう伝えている
ボートマッチの欠点がこれで、議員は任期中に随時新たな問題に取り組むのだから、間接民主制においては既知の問題への一致度よりもその人の意見形成システムへの信頼度で選ぶべき。
本当に今の政治は「究極のところ」として残ったもので考えなきゃならない状況にまで行ってるんですかね。
人徳は冠婚葬祭年賀状
外から見たら一見親切で親しみやすいいい人なのに、実は…というのが多いので政治家を信用できない。公約など最初から守るつもりさえない。唯一の基準はドラッカーが言ったように「真摯さ」で判断することだと思う。
不確実な社会だからこそ思索と対話という社会の学びはあるけど、こと政治家の投票についてはその政治家の考え方とのマッチで、それは人徳についての好感度や違和感に表れるのだろうな
順序としては、よりよい政治システムに近づくと結果的に、人徳だと感じる振る舞いが出現する、という話だと思いますね。
白票やめて自民党に入れるよ
皆、絶対2060年位にはどうしようも無いよなぁって分かってて見ないふりするのなんで?毎回選挙前にマシな未来が来る振りするのも疲れない?120兆の歳入に対して団塊Jr後期高齢者時代は210兆社保だけで必要って無理やんw
徳治主義。儒教でも徳のない王を民衆が倒す事は否定されていない
黄金頭。年々増えてく社会保障費を考えると、破綻をどれだけ先延ばしにできるかって所はあるよな。人柄よさそうならキツくても許せるってのはあるか。小泉純一郎みたく。
人徳+キャラ立ちかなあ。予測可能性がほしい。で、適当に諸派で例を挙げると政策すら絞り込むほどの合理主義で動くあそことか、テックギーク性を押し出すあそことか。まぁ総じて分かりにくいところが多いけど。
俺には徳がないけど仲の良い親戚に徳がある人はいたけど支持政党は違った。この人には「徳」があるのか見えるのかなあ?財政破綻を避けるには専門家が国際的に中庸とする政策がまだありますからねえ。無責任知性?
君主の徳と官吏の徳と人民の徳はそれぞれ少しずつ違う(何
普段の振る舞い。結局のところ世襲だとしても後援者や国会とその裏側での他の国会議員や官僚、ロビイストとのやり取りに難が無いのなら、世間一般でどう思われようと問題ない。滑舌が悪かろうが漢字読めなかろうが。
白票を入れる自由のない国も、棄権する自由のない国もある(オーストラリアとか)。そういう意味でみんなは恵まれてると思うよ
私はもうちょっと理論を優先する。そんな「人治」「徳治」みたいなものではなく「法治」が欲しい。なので旧「立憲」民主党の最初の主張は良かった。今の立憲民主はそこがぼやけている。
“周りの二人、三人に影響を与えることができれば、それで十分” 目指すべきは徳治で間違い無いのだがこれではただのおともだち政治になってしまう。
はてなでは、みらい支持多いのかな。あまり支持しすぎてもつぶされてしまうぞ。
「そういう面もあるよね」という話。それ以上ではないし、作者もそう思って書いてるんだと思う。
投票以外で支持を表明する行動があるといいよね。マイナンバーと紐付けしてふるさと納税みたいに寄付の控除枠を投げ銭できるようにしたら楽しそうだなと(現状は確定申告必須でダルい)
1人の候補者や政党に投票するのではなく、許容できるかどうかで信任投票できるように選挙システムが変わってくれると良さそう。
ええええー 疑問 「政治はその人の人徳による」ブコメの「清濁併せ呑むような度量の大きな人士」ってのも分かるが そんなだと田中角栄のロッキード事件や デビ夫人が出そうで嫌だなー
リアルで知らない人の「人徳」は私には分からない。なので「これだけは私は嫌だな」と思うポイントが少ない党や人に投票している。人気ブコメの人は、安野氏の個人的お知り合いなのかな?そうじゃないなら凄いね笑
立法府と行政監督としての政府の政治家は異なる選び方を為されるべきではなかろうか?と常々考えている。個々の政治判断をする政治家だから人徳を求めてしまう。それは解る。が、客観公平な行政を縛るルール作りは、
そこに価値観や感性が異なる人でも重視せざるを得ない正義の構想があるかを軸に考える。例えば表現の自由のような。/立憲民主党や共産党が表現規制に転じた事を心の底から残念に思っていますよ。
政党に選択肢が無い場合は、最終的に人で選んでいる
人間が感情的な生き物なのだから、それらが代表を選ぶ選挙で感情が重要でないはずがない。人間が主体的なシステム設計で感情を廃することは出来ない。人間は霊長でも完全ではない。
違います、相撲の強さです
基本、共感するのだけど。 私見としては、『人徳』と国民一人一人の相互信頼の総積だと感じている。 / 参政党がヤバいのは相互信頼の方を削る事に躊躇が無い事だと感じている
政治家とは期待に応える事。期待されてない、期待しても応えない、応える気がない者に税金を使う必要はない。
自分は人格って言ってた。あと欲と怒りは捨てるべき。https://world24pong.hatenablog.com/entry/2016/02/26/070000
人狼ゲームとは噓吐きを見付けるゲームであって、そもそも政治家が嘘を吐けたらおかしいのであるから、人狼ゲームが成立したら駄目なのでは? 本来なら人徳なんてパラメータは参考にすらならないはず。
人間が感情で動かされるのは確かだがもうちょっとは理詰めで考えようよ。政治家の人徳をありがたがっていると多分ポピュリズムに足をすくわれる
ブコメから見て取れる人徳の低さによって、その人の支持政党は支持率を下げている。
“「おれが気に食わない政治勢力が躍進するのは、おれのせいだ」”
玉木や榛葉・安倍を人格者とみなしていたような連中もいるので、人徳という概念がそもそもあやふや
“せめて、周りの二人、三人に影響を与えることができれば、それで十分だ。自分一人の二倍、三倍だ”民主主義の要諦はこれに尽きる。さすが黄金頭さんだ。
僕らは究極の遥か手前の世界で生きてるので、たかだか2週間しかない選挙期間中に究極を語る必要を特に感じない。というか現実の対応で細かい話する時期にソレは単なる混ぜっ返しにしかならん
ネットの泥仕合っぷりに嫌気がさした気持ちはわかるが、「人徳」が答えなのはあまりピンと来ず。/「ファクト」の提示は絶対に必要でしょ。相手勢力には通じなくとも、第3者が見るなら意味はある.
完璧な人間は存在しないし嘘をつかない(誤ったことを言わない)人間も存在しないと思う。その上で現状を正視し、責任をとり周囲に適切な仕事を渡せてそうな人を実績を見て選びたい(自分も大した人間でない事も含めて)
他党の候補者引き抜いて「人徳のなせる業と言えましょう」と選挙参謀に言わせたい。光栄三国志みたいに。
そうそう、理想を言えば「人」で選びたいんだよね。例えば、減税か否かじゃなくて、その人がそれを選ぶなら託そうと思える人。信頼感、政治倫理。だから不倫や失言政治家は信頼が減点>「人となり、生きている姿勢」
人治主義がいいとは言わんがはてなの人達は油ギッシュなイデオロギーに寄り過ぎな感はあるよ/俺の選挙区は国民の候補が一番まともなこと言ってて党首があの盆暗じゃなければ気持ちよく投票するのにな!という気持ち
「人徳」なんてそれらしい言葉に包んでいるけどようは人気。我々が人の徳なんてものを判別できるわけがない。人気の高い人の意見が通り、そして選ばれる。だから皆に好かれましょうって?くだらないな。
敵味方に別れてパイを奪い合うだけではパイは大きくならない
そんな難しい事は考えてない。友人知人がいれば彼らに投票し、衆院選挙だと選挙区から二人(一人は選挙区、一人は比例)当選するように投票しとる。二人とも面識あるからな。今回れいわに投票するのは異例中の異例や。
徳治主義。そんな都合の良いものはないのだろうが、希望を持ち続けるしかないのだ。
気持ちは分かる。何事からも自由でいたい。みんなそう。ただ、人間の集団が自由に生きるには、現状では民主主義しか無いという結論が出てるわけで、それを維持する努力をせずに自由を望むのは、子供の言い分
最近は選挙に立候補するのは狂った人ばかりに思えてくる。気に入らない勢力もその"人徳"で支持を伸ばしてるのだとすると、悲しみしかないかもしれない。
私も、結局は政策で選ぶべきじゃないと思う。どういうビジョンや価値観、決定方針を持っているかが重要で、政策はその枝葉に過ぎない。
むしろ入口程度でなければいけないのでは。政治とはシステムへの参画ですからね。
耳触りの良い(実現するかも分からない)瞬間的なマニフェストを追ってても混乱してしまう。国政を担ってほしい、と思える"人"に対して投票しようと思う。
深い洞察に満ちた、読みやすく、そして考えさせられる文章。 “いくらあなたが理知やファクトを拡散したところで…もともとの味方を結束させて、敵はそれを嫌って、彼らは彼らでより結束してしまうだけではないか”
んな訳は無い。古今東西、有権者に対して利益誘導が出来るか否かだろ。そんな青臭い理想論なら、要らない。
だからどぶ板選挙活動が有効なのだろうなとも思う
この文章は、人が人に影響力をふるう時について、「人徳」だの「薫育」だのといったアナクロな言葉を持ち出して書いている。どうあれ合理や法治だけで人間が投票行動を決めるわけじゃないのは確か。
白票を投じるのは組織票の味方をしているだけ、というブコメはナルホド
政治の究極のところは「人徳」ではないのか?
河野太郎がまともなことを言ってても総理になれないのはこういうところなのかもしれないね。
寄稿いたしました。日頃からどう生きているかが、一番の政治活動かもしれません。そうだとすると、自分ももちろんできていませんが/政治家自身の人徳については述べていないつもりです
三島由紀夫が昭和天皇に見たものを、この人(横浜市中区の人)は見ている。どこの誰だか知らんが(笑)
まさに。自分がチームみらいに期待しているのは、安野氏+候補者&りなくろさんの人徳に惹かれてるのが大きいな。国政とか自治とかに限らず、結局政治は好き嫌いが決めるものだよね
清濁併せ呑むような度量の大きな人士は居なくなり、セコい対立煽りの雑魚と世襲のガキばかりになった。
白紙投票を批判する目的が、自陣営に投票することを勧めてるのだという決めつけが気に入らない。違うよ、団体票の効果を増してしまうような行動が、意味ある抗議であるかのような言説を否定してるだけだよ
政治家ではないけどガンジーって凄かったよな。権力は全くないが権威は凄くある
相対主義的な良い文章。絶対的な正義があり、それを語れば誰もがその思想に恭順するみたいな考えは、選挙においては致命的な沼。そうした中でそれでも人の考えを変え得るのは確かに「人徳」なのかもしれない。
間違った選択を恐れ、当選しそうな候補に投じる間違い探しと選挙を捉える人もいる「自分の能力ではなにが正しいか見極められないと思い、投票はせずに世の中の人の良識にしたがおうというのも一つの見識ではないか」
参政党支持者は街頭声掛け頑張っているので並の日本人よりよっぽど頑張って政治している!!!!!!!
関係ないけど高齢者は65年間人生を生き残った強者だよなあって思った(´・_・`)高齢者が若者を敬わないのに敬老パスっているんだっけと
徳治かアレテーか。政治家たるもの哲学思想はしっかりおさえたうえで己が寄って立つ第一原則を示してほしいし、主権者の卵には古典教育を充実させるの大切。たぶん科学教育より8億倍くらいたいせつ。
複雑な社会システムを人徳とか敵・味方とかに擬人化するのは、台風を蝶々のせいにするのと同じで無理があるのではないかと思う。たぶんもっと抽象的な何かなんだよ、社会における流体力学みたいな
自分も含めて懐疑的に見てる人間の要素の一つだし、これによって多くの人に影響を与える政治が動いてはいけないと考えるものだよ。それぐらい不安定なものだし、ともすれば演出することも可能だよね。
政治の本質は妥協で、人徳/権威/理論/倫理/展望/金/etcは手段。/優先度の高い要求を通す為に低い部分では譲るというのが賢い振る舞いだが馬鹿が増えるとスムーズに運ばなくなる。
人徳ってのは確かにあるかもしれないな。ドイツのメルケルとか、外国人や外国人を受け入れるのに寛容な人が推してたのはこれが理由なのかもしれない。
「自分の気に入らない勢力」程度ならまだいい。彼らは危害を加えてくるのだ。しかし、批判で危害を加えてくる勢力を止めるのは無理だと大体の人は気がついてしまった。元々人徳なんて誰も持ってないから。
昭和のハマコーは国会の暴れん坊(且つ本人自身からも元ヤクザという発言があった)だったけど、結局人徳でねじ伏せた感はある。
政治は理屈ではなく如何に味方を増やすかとも言うので確かにそうかも/政治を現実だと思えない人からすれば参政党もピカレスクロマンを読むように共感できるのであろう
アリストテレスの修辞学でいうところのエトスですかね。正論で論破し続けたソクラテスの最後から我々も学べることがあるはず。
残念ながらこれはない。税金をチューチューさせてくれるアベは経団連とか官僚、岩盤支持層にとっては人徳があったとみなされるから。資本主義が極まった現代に人徳は通用しない。
このへんが参考になりそうな気がした。 https://www.rieti.go.jp/users/china-tr/jp/110427kaikaku.html
政争についてはそうかもしれんが、政治に求められるものはそうではないだろ。無駄に人たらしの才能がある奴に色々背負いこませても碌なことにはならんってジークアクスでやったばっかりだろ!
良くも悪くも人は「素敵な未来を思い描かせてくれる人」の言うことを聞くよなと思っている。批判は必要だが、それだけでは人に素敵な未来を思い描かせることはできないので、できるだけワクワクするよう伝えている
ボートマッチの欠点がこれで、議員は任期中に随時新たな問題に取り組むのだから、間接民主制においては既知の問題への一致度よりもその人の意見形成システムへの信頼度で選ぶべき。
本当に今の政治は「究極のところ」として残ったもので考えなきゃならない状況にまで行ってるんですかね。
人徳は冠婚葬祭年賀状
外から見たら一見親切で親しみやすいいい人なのに、実は…というのが多いので政治家を信用できない。公約など最初から守るつもりさえない。唯一の基準はドラッカーが言ったように「真摯さ」で判断することだと思う。
不確実な社会だからこそ思索と対話という社会の学びはあるけど、こと政治家の投票についてはその政治家の考え方とのマッチで、それは人徳についての好感度や違和感に表れるのだろうな
順序としては、よりよい政治システムに近づくと結果的に、人徳だと感じる振る舞いが出現する、という話だと思いますね。
白票やめて自民党に入れるよ
皆、絶対2060年位にはどうしようも無いよなぁって分かってて見ないふりするのなんで?毎回選挙前にマシな未来が来る振りするのも疲れない?120兆の歳入に対して団塊Jr後期高齢者時代は210兆社保だけで必要って無理やんw
徳治主義。儒教でも徳のない王を民衆が倒す事は否定されていない
黄金頭。年々増えてく社会保障費を考えると、破綻をどれだけ先延ばしにできるかって所はあるよな。人柄よさそうならキツくても許せるってのはあるか。小泉純一郎みたく。
人徳+キャラ立ちかなあ。予測可能性がほしい。で、適当に諸派で例を挙げると政策すら絞り込むほどの合理主義で動くあそことか、テックギーク性を押し出すあそことか。まぁ総じて分かりにくいところが多いけど。
俺には徳がないけど仲の良い親戚に徳がある人はいたけど支持政党は違った。この人には「徳」があるのか見えるのかなあ?財政破綻を避けるには専門家が国際的に中庸とする政策がまだありますからねえ。無責任知性?
君主の徳と官吏の徳と人民の徳はそれぞれ少しずつ違う(何
普段の振る舞い。結局のところ世襲だとしても後援者や国会とその裏側での他の国会議員や官僚、ロビイストとのやり取りに難が無いのなら、世間一般でどう思われようと問題ない。滑舌が悪かろうが漢字読めなかろうが。
白票を入れる自由のない国も、棄権する自由のない国もある(オーストラリアとか)。そういう意味でみんなは恵まれてると思うよ
私はもうちょっと理論を優先する。そんな「人治」「徳治」みたいなものではなく「法治」が欲しい。なので旧「立憲」民主党の最初の主張は良かった。今の立憲民主はそこがぼやけている。
“周りの二人、三人に影響を与えることができれば、それで十分” 目指すべきは徳治で間違い無いのだがこれではただのおともだち政治になってしまう。
はてなでは、みらい支持多いのかな。あまり支持しすぎてもつぶされてしまうぞ。
「そういう面もあるよね」という話。それ以上ではないし、作者もそう思って書いてるんだと思う。
投票以外で支持を表明する行動があるといいよね。マイナンバーと紐付けしてふるさと納税みたいに寄付の控除枠を投げ銭できるようにしたら楽しそうだなと(現状は確定申告必須でダルい)
1人の候補者や政党に投票するのではなく、許容できるかどうかで信任投票できるように選挙システムが変わってくれると良さそう。
ええええー 疑問 「政治はその人の人徳による」ブコメの「清濁併せ呑むような度量の大きな人士」ってのも分かるが そんなだと田中角栄のロッキード事件や デビ夫人が出そうで嫌だなー
リアルで知らない人の「人徳」は私には分からない。なので「これだけは私は嫌だな」と思うポイントが少ない党や人に投票している。人気ブコメの人は、安野氏の個人的お知り合いなのかな?そうじゃないなら凄いね笑
立法府と行政監督としての政府の政治家は異なる選び方を為されるべきではなかろうか?と常々考えている。個々の政治判断をする政治家だから人徳を求めてしまう。それは解る。が、客観公平な行政を縛るルール作りは、
そこに価値観や感性が異なる人でも重視せざるを得ない正義の構想があるかを軸に考える。例えば表現の自由のような。/立憲民主党や共産党が表現規制に転じた事を心の底から残念に思っていますよ。
政党に選択肢が無い場合は、最終的に人で選んでいる
人間が感情的な生き物なのだから、それらが代表を選ぶ選挙で感情が重要でないはずがない。人間が主体的なシステム設計で感情を廃することは出来ない。人間は霊長でも完全ではない。
違います、相撲の強さです
基本、共感するのだけど。 私見としては、『人徳』と国民一人一人の相互信頼の総積だと感じている。 / 参政党がヤバいのは相互信頼の方を削る事に躊躇が無い事だと感じている
政治家とは期待に応える事。期待されてない、期待しても応えない、応える気がない者に税金を使う必要はない。
自分は人格って言ってた。あと欲と怒りは捨てるべき。https://world24pong.hatenablog.com/entry/2016/02/26/070000
人狼ゲームとは噓吐きを見付けるゲームであって、そもそも政治家が嘘を吐けたらおかしいのであるから、人狼ゲームが成立したら駄目なのでは? 本来なら人徳なんてパラメータは参考にすらならないはず。
人間が感情で動かされるのは確かだがもうちょっとは理詰めで考えようよ。政治家の人徳をありがたがっていると多分ポピュリズムに足をすくわれる
ブコメから見て取れる人徳の低さによって、その人の支持政党は支持率を下げている。
“「おれが気に食わない政治勢力が躍進するのは、おれのせいだ」”
玉木や榛葉・安倍を人格者とみなしていたような連中もいるので、人徳という概念がそもそもあやふや
“せめて、周りの二人、三人に影響を与えることができれば、それで十分だ。自分一人の二倍、三倍だ”民主主義の要諦はこれに尽きる。さすが黄金頭さんだ。
僕らは究極の遥か手前の世界で生きてるので、たかだか2週間しかない選挙期間中に究極を語る必要を特に感じない。というか現実の対応で細かい話する時期にソレは単なる混ぜっ返しにしかならん
ネットの泥仕合っぷりに嫌気がさした気持ちはわかるが、「人徳」が答えなのはあまりピンと来ず。/「ファクト」の提示は絶対に必要でしょ。相手勢力には通じなくとも、第3者が見るなら意味はある.
完璧な人間は存在しないし嘘をつかない(誤ったことを言わない)人間も存在しないと思う。その上で現状を正視し、責任をとり周囲に適切な仕事を渡せてそうな人を実績を見て選びたい(自分も大した人間でない事も含めて)
他党の候補者引き抜いて「人徳のなせる業と言えましょう」と選挙参謀に言わせたい。光栄三国志みたいに。
そうそう、理想を言えば「人」で選びたいんだよね。例えば、減税か否かじゃなくて、その人がそれを選ぶなら託そうと思える人。信頼感、政治倫理。だから不倫や失言政治家は信頼が減点>「人となり、生きている姿勢」
人治主義がいいとは言わんがはてなの人達は油ギッシュなイデオロギーに寄り過ぎな感はあるよ/俺の選挙区は国民の候補が一番まともなこと言ってて党首があの盆暗じゃなければ気持ちよく投票するのにな!という気持ち
「人徳」なんてそれらしい言葉に包んでいるけどようは人気。我々が人の徳なんてものを判別できるわけがない。人気の高い人の意見が通り、そして選ばれる。だから皆に好かれましょうって?くだらないな。
敵味方に別れてパイを奪い合うだけではパイは大きくならない
そんな難しい事は考えてない。友人知人がいれば彼らに投票し、衆院選挙だと選挙区から二人(一人は選挙区、一人は比例)当選するように投票しとる。二人とも面識あるからな。今回れいわに投票するのは異例中の異例や。
徳治主義。そんな都合の良いものはないのだろうが、希望を持ち続けるしかないのだ。
気持ちは分かる。何事からも自由でいたい。みんなそう。ただ、人間の集団が自由に生きるには、現状では民主主義しか無いという結論が出てるわけで、それを維持する努力をせずに自由を望むのは、子供の言い分
最近は選挙に立候補するのは狂った人ばかりに思えてくる。気に入らない勢力もその"人徳"で支持を伸ばしてるのだとすると、悲しみしかないかもしれない。
私も、結局は政策で選ぶべきじゃないと思う。どういうビジョンや価値観、決定方針を持っているかが重要で、政策はその枝葉に過ぎない。
むしろ入口程度でなければいけないのでは。政治とはシステムへの参画ですからね。
耳触りの良い(実現するかも分からない)瞬間的なマニフェストを追ってても混乱してしまう。国政を担ってほしい、と思える"人"に対して投票しようと思う。
深い洞察に満ちた、読みやすく、そして考えさせられる文章。 “いくらあなたが理知やファクトを拡散したところで…もともとの味方を結束させて、敵はそれを嫌って、彼らは彼らでより結束してしまうだけではないか”
んな訳は無い。古今東西、有権者に対して利益誘導が出来るか否かだろ。そんな青臭い理想論なら、要らない。
だからどぶ板選挙活動が有効なのだろうなとも思う
この文章は、人が人に影響力をふるう時について、「人徳」だの「薫育」だのといったアナクロな言葉を持ち出して書いている。どうあれ合理や法治だけで人間が投票行動を決めるわけじゃないのは確か。
白票を投じるのは組織票の味方をしているだけ、というブコメはナルホド