選択的夫婦別姓について軽く読めるものを書くつもりだったのだが、長くなってしまった…。(もう少し参考文献などを書いたほうがいいのかも知れないけど、力尽きたので最低限だけ)。
歴史的な視点から制度の変遷を考察する点では有意義だが、それだけで選択的夫婦別姓の導入を正当化するのは乱暴。共通の言語・文化・民族・国家意識を持つ人々が主権国家として統治される、国民国家を続けるかどうか
まあそうだよね、時代と共に社会が変わってきたから、名前のあり方や重要性も変わってきたよね。強制的夫婦同姓も一つの通過点でしかない
偏っている自覚がないのが面白い。夫婦別姓は女性のキャリア構築を支援するためがこの方の主張の根幹にあるが、そもそも姓が変わるだけでキャリア構築の障害になる方がおかしいと思うものでは。他にも指摘可能な部分
挙げられてる論点に関して推測・想像してた事に沿っていたのでやっぱりそうか感 | 人口の大半を占める層が国民/臣民として存在認識された=伝統に加わったと考えると明治以降のこれが伝統って感覚になるのかもとは思う
100年続けば以前の制度を知る人は全員死ぬわけで、十分に伝統だよね。呼称はわかれば何でもよく手続きはIDで管理されればよいんでしょうが、不幸を減らしつつ移行するのはかなり難しいと思うんよな
江戸期の農民は苗字を持っていたが公的表示は「〇衛門」なので「〇衛門家」と言われる。子供は男は〇衛門倅✕✕、女は〇衛門娘△△と表記される。女に苗字が無いなら江戸期に苗字は無い事になり、新たな大発見だ。
"人類を他の動物と分つものは脳のサイズでも道具の利用でも壊れた本能でもなく、姻族関係を利用した社会形成だ" この長文の序盤でこんなトンデモ書かれたら脱落せざるを得ない
単純に19世紀当時、西洋諸国は夫婦別姓だったから、明治政府はそっちが「文明的」と短絡して(不平等条約改正のため)西洋の猿真似をしたら、100年後、西洋諸国の方が手の平を返して別姓の方が先進的になった皮肉
夫婦同姓がそこそこ何十年か続いちゃったという「歴史」はこれにどう組み込まれるの?
名字が変わったら「おめでとう」と言われるのは十分に文化なんだよなぁ。それが良いか悪いかは別にして。
「夫婦同姓」は「伝統的な考え方」などではなく、むしろ近代化と資本主義、国民国家による統制の強化といったことと結びついている。
選択的夫婦別姓についてはどーでもいいよんなもん、永久に棚上げしとけ派です。長えー!筆者の労力には敬意を表するけど読み飛ばした。部分部分で興味深い点はあるのでそこは改めて読んでみます。
昭和期までは誰も問題にしてなかった夫婦別姓が、平成になって消費税増税非正規雇用と格差拡大の文脈でクローズアップしてきた事実を重く見るべき。選択制夫婦別姓を導入すれば確実に今より格差拡大する。
選択的夫婦別姓反対派の理由は理屈じゃない。他人の自由を許さないとかそういう根本的なところにあるから、いくらでも反対理由を創出できる
後で読む
夫婦別姓を解禁することが日本の伝統文化の破壊というなら、ビールの税率を他の酒並みに下げることも日本の伝統文化の破壊だよ?いいの?
現代の日本国のアイデンティティは明治国家と敗戦時の米国からの影響で形成されてるので文化相対主義をとるのに尊重しないのは乱暴。文化人類学的には人類は多種多様なのは前提事項として。
まぁ、後回しでええじゃろ。ほかの政治的課題を優先してほしい。個人的には「選択的」なら夫婦別姓でもいいじゃんと思うけど、まぁ、選択したら理由を問われる面倒な世の中をなんとかしてからでも遅くないかな
ドールズの子トルフィンってやつだ!!!!!!
一般人はそういう本当の歴史・伝統を知らなくて普通であり、自分がそれまで経験したことを「伝統」の語で呼んでいるだけである。そして彼らが基づきたいのはその「伝統」の方であり、実際の伝統はあまり関係がない。
たとえ強制的夫婦同性が有史以来の伝統であっても、女性が経済進出していなくても、「出生時の名前を変えない権利」は人権だと思う。
加藤陽子氏が「明治憲法では女帝による皇位継承は易姓を意味するとして認められず、姓が変わっては万世一系が崩れるという呪縛が別姓を望む他者の選択をも制限すべきとの意識を支えている」と書いていた。
日本は単一民族国家みたいなコメを月曜の朝っぱらから読んでしまってげんなりしてる。
選択的夫婦別姓が時代の流れだ、は同意する。人類史を考えるのは同姓強制派が「同姓強制が歴史」だ、というから顧みているのであって、そうでなければ利便性だけで十分。記事の通り歴史などないのは明らかだ。
昔からの村の伝統料理、がたかだか戦後期からだったという話を何かの本で読んだなぁ
軽く読めるもの…?
もちろんそうで、夫婦同姓強制派は、自分がした選択が時代錯誤の誤りだったことを認めたくないんだと思う。過ちを若者に強制することで、自己正当化したい。罪悪感から逃れたい/気持ちはわかるがあきらめろ
日本だけ見ると、明治時代に名前の構造を簡略化した無理が出てきてる。控えめに見ても氏・姓・苗字・屋号・諱・字・幼名・通称があったのに姓・諱だけになった。別姓でも仕事では屋号を使うなら問題はなかったろう
パブロ・ピカソの本名みたいに先祖の名前や両親の姓を可能な限り載せるみたいな文化圏もあるわけで、特に正解が無さそう。ただ、既存の住民台帳システムの改修や一般的な入力フォームの変更とか考えると頭痛い
最後に出て来る夫婦別姓の利点がアカデミアの話=貴族階級の話としか感じられないので、庶民側としては行政による管理コストが低くなる夫婦同姓維持するべきというルサンチマンが湧きました
尾脇秀和『氏名の誕生』(2021)『女の氏名誕生』(2024)
アイデンティティやキャリアのためなら、「選択的」ではなく強制別姓か、旧姓強制あるいはミドルネームが適切では。男性改姓者が身近に複数いるけど、家の同定のための強制同姓であって性別ではないと感じる。
面白い/大衆とエリート層で夫婦別姓に対する考え方が真逆なのは、久野収の顕教密教論も参照できるか。戦前日本は大衆に天皇を絶対君主と崇めるように教えたがエリート層はそんな「教え」は1ミリも信じていなかった
ドラゴンボールで悟空がブルマに「孫悟空だ」て名乗った時に、まだ苗字があるの?て言われたのを思い出すなど。
日本の庶民は150年ぐらい前に名字をもらっているのだから、それ以前は姓がなかったので伝統と言っても100年ちょっと。当時は姓がもらえたことは超嬉しかったらしいから、激しい拘りがあるのも分からないでもない。
アカデミアでは論文著者名と日本戸籍名は一致していなくてもいいから、どっちでもどうでもいい話。時代がかわったと言うのなら、親子関係の変化が同姓維持派のモチベーションになっていることも認めないとね
この問題は「全員に同姓を強制する理由が不明瞭」「導入済みの諸外国で大きな問題はない」で話は済んでいる。通称使用を拡大するなら別姓を認める方がシンプル。他にもっと大事な問題があるのでサクッと改正すべき。
歴史的経緯はおもしろいなあ/夫婦同姓が管理上都合が良かったというのは大きな「事情」だよなあ/「伝統」論者は、たいがい三代前まで(馴染みのある範囲?)ぐらいしか関心がないので耳を貸さないかもしれんなあ。
“皇室や高位の貴族からすれば夫婦別姓こそが伝統” 日本でも欧州でも近代におかみが庶民を管理するために姓の概念が固定化されただけなので、伝統云々言う人々は管理されるのが好きなんだろう
id:mc22_90 さん アカデミアの事情で一族男児最後の苗字を失った立場としては簡単に否定してほしくない。でも私は妻のアカデミアンとしてのキャリアを最大限尊重したし、その理由はあった。海外所属なら意味があるよ。
差別の問題なのに意味のないことを書いてらぁ。
なんで、女性が前提って気がした。
歴史的に、日本では階層によって「出自が重要なので実家の名を名乗る」「名を呼ぶのは無礼なので官職で呼ぶ」「苗字はなく屋号で呼ぶ」等が混在しており、平民の苗字を義務化した明治政府にも方針の混乱があったと。
「選択的夫婦別姓」について家族と姓の人類史から考える|Sho Kasuga
選択的夫婦別姓について軽く読めるものを書くつもりだったのだが、長くなってしまった…。(もう少し参考文献などを書いたほうがいいのかも知れないけど、力尽きたので最低限だけ)。
歴史的な視点から制度の変遷を考察する点では有意義だが、それだけで選択的夫婦別姓の導入を正当化するのは乱暴。共通の言語・文化・民族・国家意識を持つ人々が主権国家として統治される、国民国家を続けるかどうか
まあそうだよね、時代と共に社会が変わってきたから、名前のあり方や重要性も変わってきたよね。強制的夫婦同姓も一つの通過点でしかない
偏っている自覚がないのが面白い。夫婦別姓は女性のキャリア構築を支援するためがこの方の主張の根幹にあるが、そもそも姓が変わるだけでキャリア構築の障害になる方がおかしいと思うものでは。他にも指摘可能な部分
挙げられてる論点に関して推測・想像してた事に沿っていたのでやっぱりそうか感 | 人口の大半を占める層が国民/臣民として存在認識された=伝統に加わったと考えると明治以降のこれが伝統って感覚になるのかもとは思う
100年続けば以前の制度を知る人は全員死ぬわけで、十分に伝統だよね。呼称はわかれば何でもよく手続きはIDで管理されればよいんでしょうが、不幸を減らしつつ移行するのはかなり難しいと思うんよな
江戸期の農民は苗字を持っていたが公的表示は「〇衛門」なので「〇衛門家」と言われる。子供は男は〇衛門倅✕✕、女は〇衛門娘△△と表記される。女に苗字が無いなら江戸期に苗字は無い事になり、新たな大発見だ。
"人類を他の動物と分つものは脳のサイズでも道具の利用でも壊れた本能でもなく、姻族関係を利用した社会形成だ" この長文の序盤でこんなトンデモ書かれたら脱落せざるを得ない
単純に19世紀当時、西洋諸国は夫婦別姓だったから、明治政府はそっちが「文明的」と短絡して(不平等条約改正のため)西洋の猿真似をしたら、100年後、西洋諸国の方が手の平を返して別姓の方が先進的になった皮肉
夫婦同姓がそこそこ何十年か続いちゃったという「歴史」はこれにどう組み込まれるの?
名字が変わったら「おめでとう」と言われるのは十分に文化なんだよなぁ。それが良いか悪いかは別にして。
「夫婦同姓」は「伝統的な考え方」などではなく、むしろ近代化と資本主義、国民国家による統制の強化といったことと結びついている。
選択的夫婦別姓についてはどーでもいいよんなもん、永久に棚上げしとけ派です。長えー!筆者の労力には敬意を表するけど読み飛ばした。部分部分で興味深い点はあるのでそこは改めて読んでみます。
昭和期までは誰も問題にしてなかった夫婦別姓が、平成になって消費税増税非正規雇用と格差拡大の文脈でクローズアップしてきた事実を重く見るべき。選択制夫婦別姓を導入すれば確実に今より格差拡大する。
選択的夫婦別姓反対派の理由は理屈じゃない。他人の自由を許さないとかそういう根本的なところにあるから、いくらでも反対理由を創出できる
後で読む
夫婦別姓を解禁することが日本の伝統文化の破壊というなら、ビールの税率を他の酒並みに下げることも日本の伝統文化の破壊だよ?いいの?
現代の日本国のアイデンティティは明治国家と敗戦時の米国からの影響で形成されてるので文化相対主義をとるのに尊重しないのは乱暴。文化人類学的には人類は多種多様なのは前提事項として。
まぁ、後回しでええじゃろ。ほかの政治的課題を優先してほしい。個人的には「選択的」なら夫婦別姓でもいいじゃんと思うけど、まぁ、選択したら理由を問われる面倒な世の中をなんとかしてからでも遅くないかな
ドールズの子トルフィンってやつだ!!!!!!
一般人はそういう本当の歴史・伝統を知らなくて普通であり、自分がそれまで経験したことを「伝統」の語で呼んでいるだけである。そして彼らが基づきたいのはその「伝統」の方であり、実際の伝統はあまり関係がない。
たとえ強制的夫婦同性が有史以来の伝統であっても、女性が経済進出していなくても、「出生時の名前を変えない権利」は人権だと思う。
加藤陽子氏が「明治憲法では女帝による皇位継承は易姓を意味するとして認められず、姓が変わっては万世一系が崩れるという呪縛が別姓を望む他者の選択をも制限すべきとの意識を支えている」と書いていた。
日本は単一民族国家みたいなコメを月曜の朝っぱらから読んでしまってげんなりしてる。
選択的夫婦別姓が時代の流れだ、は同意する。人類史を考えるのは同姓強制派が「同姓強制が歴史」だ、というから顧みているのであって、そうでなければ利便性だけで十分。記事の通り歴史などないのは明らかだ。
昔からの村の伝統料理、がたかだか戦後期からだったという話を何かの本で読んだなぁ
軽く読めるもの…?
もちろんそうで、夫婦同姓強制派は、自分がした選択が時代錯誤の誤りだったことを認めたくないんだと思う。過ちを若者に強制することで、自己正当化したい。罪悪感から逃れたい/気持ちはわかるがあきらめろ
日本だけ見ると、明治時代に名前の構造を簡略化した無理が出てきてる。控えめに見ても氏・姓・苗字・屋号・諱・字・幼名・通称があったのに姓・諱だけになった。別姓でも仕事では屋号を使うなら問題はなかったろう
パブロ・ピカソの本名みたいに先祖の名前や両親の姓を可能な限り載せるみたいな文化圏もあるわけで、特に正解が無さそう。ただ、既存の住民台帳システムの改修や一般的な入力フォームの変更とか考えると頭痛い
最後に出て来る夫婦別姓の利点がアカデミアの話=貴族階級の話としか感じられないので、庶民側としては行政による管理コストが低くなる夫婦同姓維持するべきというルサンチマンが湧きました
尾脇秀和『氏名の誕生』(2021)『女の氏名誕生』(2024)
アイデンティティやキャリアのためなら、「選択的」ではなく強制別姓か、旧姓強制あるいはミドルネームが適切では。男性改姓者が身近に複数いるけど、家の同定のための強制同姓であって性別ではないと感じる。
面白い/大衆とエリート層で夫婦別姓に対する考え方が真逆なのは、久野収の顕教密教論も参照できるか。戦前日本は大衆に天皇を絶対君主と崇めるように教えたがエリート層はそんな「教え」は1ミリも信じていなかった
ドラゴンボールで悟空がブルマに「孫悟空だ」て名乗った時に、まだ苗字があるの?て言われたのを思い出すなど。
日本の庶民は150年ぐらい前に名字をもらっているのだから、それ以前は姓がなかったので伝統と言っても100年ちょっと。当時は姓がもらえたことは超嬉しかったらしいから、激しい拘りがあるのも分からないでもない。
アカデミアでは論文著者名と日本戸籍名は一致していなくてもいいから、どっちでもどうでもいい話。時代がかわったと言うのなら、親子関係の変化が同姓維持派のモチベーションになっていることも認めないとね
この問題は「全員に同姓を強制する理由が不明瞭」「導入済みの諸外国で大きな問題はない」で話は済んでいる。通称使用を拡大するなら別姓を認める方がシンプル。他にもっと大事な問題があるのでサクッと改正すべき。
歴史的経緯はおもしろいなあ/夫婦同姓が管理上都合が良かったというのは大きな「事情」だよなあ/「伝統」論者は、たいがい三代前まで(馴染みのある範囲?)ぐらいしか関心がないので耳を貸さないかもしれんなあ。
“皇室や高位の貴族からすれば夫婦別姓こそが伝統” 日本でも欧州でも近代におかみが庶民を管理するために姓の概念が固定化されただけなので、伝統云々言う人々は管理されるのが好きなんだろう
id:mc22_90 さん アカデミアの事情で一族男児最後の苗字を失った立場としては簡単に否定してほしくない。でも私は妻のアカデミアンとしてのキャリアを最大限尊重したし、その理由はあった。海外所属なら意味があるよ。
差別の問題なのに意味のないことを書いてらぁ。
なんで、女性が前提って気がした。
歴史的に、日本では階層によって「出自が重要なので実家の名を名乗る」「名を呼ぶのは無礼なので官職で呼ぶ」「苗字はなく屋号で呼ぶ」等が混在しており、平民の苗字を義務化した明治政府にも方針の混乱があったと。