前作とあわせて必読。8-9割の人は流されてでも学校に行くのがベターだし、残りの人をどうしたら良いかはこれからも問われ続けるのでしょうね。
チェリーピッキング🍒? 不登校の物語が義務教育はスルーしたけどそれなりの大学へ入学できましためでたしめでたしなのは何だろう
今、院生か 色々背景あるけどまあ不安なのは不登校になったあと外に出られるのかってことだよな 今の社会は言うても外に出て他人と関わって成果で評価されるわけで、学校みたいな支援や扱いはないからなあ
学校は社会の縮図では無いと思う。学校より野蛮な社会もあるのは分かるが、学業以外求めるべきでは無い認識 / “他者のなかで、社会の一員になっていく「社会化」。そして、その人自身になっていく「主体化」”
うちの娘は中学入学とコロナが重なって不登校になったが、学校側の根強いサポートもあって2年生からは普通に登校し始めた。外部が「行かなくていい」だけを「よきもの」とするのは少し無責任じゃないかな。
行けない理由の家庭事情(お金)と心の問題は独立した2値じゃないと思うよ
本筋とは異なるけど、こういうAIに書かせた文章って、どこまでが筆者の考えなのか分かりにくいし、ハルシネーションを疑ってしまう。自分の言葉で書いて欲しいけど、もう時代的に難しいのかな
学校が軍隊的規律を学ぶ場とまで言わなくても、基礎教養と社交をどう身につけるかは課題。だから、古き良き欧風金持ちのように家庭教師をつけ、社交の場を用意できるなら不登校は問題が少ないんだけどね
「働き方アリの法則」のように例外的な人は必ずいる。行かなくていい、はそういう人への言葉であって全体向けではないよ。
(精神を壊すぐらいなら)「行かなくていい」って話で、機内食でチキン選ぶ感じでいいって言ってる人ってあんまいないのでは?SNSの話は、現実のグロさが丸められてる可能性があって、ヌルい選択に見える人もいるのかも
そもそも「みんなが学問を身につけ賢くなれば(ワルイ大人や権力者に騙される人はいなくなり)世の中から争いごとは消え平和になってく」がデタラメ(ますますみんな争うだけ)だったので「行かなくていい」になっただけ
学校に行くのも行かないのも、本人に合った選択が大事。学校の支援も必要だし、不登校からの成功談だけでなく、成功の形は人それぞれという視点も忘れたくない。
ミュートに追加:東大
学校に行かなくていいという代表格は堀江貴文。レールがなくても生きていける人の言葉。凡人は行くべきだよ。
松下幸之助は小学校4年で中退。それでも『経営の神様』になった。
AI(旧NotebookLM型+STTとTTS、動画イラスト生成、深掘り仕放題)で教師の質のバラツキを回避し、効果的効率的な知識習得法は安価で実行可能故に、学校に行く必要が無い「一定層」も発生。問題はそれに適応できない層が大半
学校は、社会(人間関係)の作り方をあまり教えない。「なんとなくルールを読み取って従え」って感じ。部活やボーイスカウトなど、課外活動ではコミュニティ維持活動に参加する機会がある。
東大の大学院まで行ってここまで内容の薄い文章を書くなんてなんの勉強をしてたんだ?この人
学者さんらしく、マクロな視点で次の時代を模索する記事。だから、ミクロな視点で今現在に不登校な子どもが(その親が)どうすべきかについては何も語っていないのに注意
教育の義務は「教育を受けれる環境を整える」と言うことなので、そもそも子供が登校を拒否るような学校の環境を改善できていないなら、公務側が義務違反であり、職務の責任を果たしていない(教育基本法第5条)
「学校に行かなくていい」ことによって社会化と主体化が得られないなら、それを獲得できる場を学校以外に作るというのが方策だろうし、さすがにそれくらいは思いついてそうだが。
不登校をめぐる150年の歴史と思想を体系的にまとめてて秀逸なnote家族以外の公的空間での学びをどう担保するかの問いが鋭い
両親共に教師だったんで学校が辛くても不登校という選択肢がなかったんだけど、教育の義務は学校に行かせる義務ではないとも思ってるんでちゃんと教育が行われることを前提に「学校は行かなくていい」と思ってるよ。
ふと羽仁進の子供のことを思い出した
これは俺の問題なんだけどあの頃歯を食いしばって懐に刃物を忍ばせてギリギリのところで無遅刻無欠席を通したのに、こんなにあっけらかんと不登校が社会の要所に配置されてるの見るとほんとバカを見たな俺ってなる。
ゆきぼんかな(´・ω・`)
総論であって各論はまた別の話になるんよな
妻が保育士試験受けたときに教育史一緒に勉強したが不登校と筆者の体験を軸に総ざらいする良記事だと思います。私は全然AI臭は感じなかった。
面白かった。一つの切り口で150年をこれくらいの分量で捉えられるの凄い。/AIっぽいか?
学校に行かないとやっていけないような人はもはや自分の人生を生きるに値しないよ。社会的には障害者と言ってよい
件の積極的不登校漫画では、姉の不登校姿を見て妹が「学校は行かなくてもいい」と解釈+学習する描写があるのに加え、学外での居場所を作らずに育成している。これを良しと思えるなら行かせなくてもいいのでは?
他人には学校に行かなくていい、と言う人も自分の子供だったらそうは言わない人は多いのでは。つまり、(将来あなたがどうなっても私には影響ないから)行かなくていい、なのでは。
(金がないなら学校に通った方が他人に説明しやすい人生を送れるかなとは思う)
日本の不登校研究は厚みがあるんだけど、全然顧みられてなくてちょっと残念ではある。『不登校、選んだわけじゃないんだぜ』は名著だと思うけどな https://www.arsvi.com/b2000/0501kr.htm
家より学校がやっぱり良いと感じたから学校に戻れるわけで、選択の結果なんよ。学校が選択にならない子供もいる
いい分析だと思ったが、AIと書いている人がいてびっくりした。断言はできないが、参考文献を最後にずらっと並べているし、AIだとすればすぐにばれるだろう。なんでも、とりあえずAIと言っておこうとしてないか?
社会は進歩するべきだ。つまり、学校行って大学行って会社で40年務める耐え続けた人だけが幸せになれる社会ではなく、学校行けなかった人の大半も幸せになれる社会になるべきだ。大変だけど。
(「教育をうけるのは国民の義務、それを放棄するならペナルティはあるべきだし〔ここらは異論もあろうけど〕、行政はカバーせねばならない。個別に家庭教師をつけるコストをだれが負担するか」問題では?
行かなくていいわけじゃないよ。行かないと詰むわけじゃないから思い詰めるなって話なんよ。
平等ならいいのかw こぼれ行く弱者だけ筋トレスクールでも作ればw でもそれは軍隊かもねw 君たちインテリは大嫌いでしょ?www
「教育には、数字では測れない『社会化』と『主体化』もある。(…)この三つを並べると、不登校の議論で見落とされやすいものが見えてくる。(…)社会化は、よく知らない他人がいる場所でしか、なかなか起きない。」
“デューイの言う「社会の縮図」としての教室。気の合わない相手とそれでも何とか一緒に作業を終わらせる。アーレントの言う「世界」への入口。無条件に受け入れてくれるわけではない他人と距離を測りながら過ごす”
次の指導要領では、不登校児童は校内支援教室で特別の教育課程を組めることになる。時代とともに少しずつ良い方向に変化していくといいね。
発達障害当事者ですが、健常の子の不登校と発達障害が背景の不登校は分けて考えた方がいいと思う。ASD特性による不登校は社会不適応とリンクする。学校空間にすら耐えられない脆弱性をどうするかが問題だ
「美味しんぼ」で見たw/いじめ等で心身の危険があるなら無理に行く必要はないけど、それ以外のしょーもない理由なら行くべき。長い人生の中の義務教育9年間すら我慢出来ない人間は、社会に耐えられないよ。
読んでない。自殺する子が増えて、死ぬぐらいなら行かない選択をして生きた方が良いみたいな、切羽詰まった提案だったと記憶してる。うちら子供の頃、学校休むという発想自体が世の中に存在しない感じだったし。
学校に行かなくていいの先の話でしょ?こないだのと何が違うの。そこが無ければ学校に行かなくていいなんて言わない。
欲しい言葉は「(私が面倒みるから)学校行かなくていい」だけど、現実「学歴は?」なのよね。わざわざ「学歴が普通」じゃない人を、企業は採ってくれない。
アメリカは進化論教えるとこはいかなくていいってのもたまに世界まる見えで出てくるよな。
東大の教育学部がみぃちゃん専攻と揶揄される理由が良く解る文章。学校について語るなら、それがまず近代国家の装置であるという前提から話をしないと無意味なのに、哲学者のノーエビデンス妄言を連ねて学問ごっこ
現実的には学校は知識や教養を身につけるだけではなく、集団社会の中での振る舞いを会得したり、自分がどうあるべきかを考えたりする場としても機能している。それを回避した子を如何にケアするかが今後は問われると
ブコメが厳しくてびっくりしたよ、、前回ってやつを読んでこよう
“不登校の「いま」については、たくさんの調査と言葉がある。でも、不登校の「その後」――十年後、二十年後に、その人がどう生きているのか――については、驚くほどわずかなことしか分かっていない。”
対立じゃなくて調整が必要なこと また不登校で傷や欠損を抱える人を勇気づける いい文章だと思ったけど、、
エジソンの伝記には学校を追い出された少年エジソンのエピソードがでてくるし、窓際のトットちゃんでも小学校を退学になってる。
行くとか行かないとか 最初に言い出したのは 誰なのかしら 駆け抜けてゆく 私のメモリアル。教育さえ受けられればどうでもええわ。
行かないのは良いけど、自分の人生は自分で責任を持つことになるのは理解しないと駄目。
AIだとは思わなかった。その時の社会常識に寄せてAIは短くまとめるだろうから。社会学は経済から文化、文明、医学、生物学など様々な切り口がある。大学院生だから色んな知識にふれる機会があるからかな。
社会化のところは、「能力」があれば後天的に対応が可能(筆者含め)なんだと思う
学校給食の貧相さが話題になる今の日本で、通常ルートからこぼれ落ちた子の「社会化」「主体化」を誰がどう担っていくのかを考えるのは大変そう
ブコメ、一つだけ。AIはこれ全部書けるほど賢くないよ
日本の問題なのだから日本特有の学校文化について語るべきなのに出羽国ばかり掘り下げるのは筋違いのはぐらかしだろ。学校は労働力を作る場所だった。少なくともこれまでは。
イリイチ"学校が貧しい国の人々に「学校に行けなかった自分は劣っている」と思わせる装置" デューイ"学校は社会の縮図" インフラとして公的教育はバリアフリーでなければならんが、平等で公平であるとは限らんよね。
「学校行かなくてもいいよ」のその先に、「でも、みんなが学校で学ぶことを別の方法で学ぶ必要があるよね」があるのは、教育史や不登校史を紐解くまでもない当たり前の話。
上の空みたいな文章体がAIっぽさを加速させてる。途中で力尽きた。学校行かなくても大成した人はいっぱいいる。で、そこまでの才能がない人はどう生きていけばいい?ってとこが気になる。書いてあったらすまない。
日本の学校、特に公立の小中学校はクラスの生徒数が多すぎるんだ。これだけで耐えられない生徒が少なからずいる。大人数で集団行動できるスキルってみんなが持っているものではない。兵隊養成校じゃないんだからさ
「学校は、何のためにあるのか」← 日本の場合は、明治維新後の急速な工業化のなかで、時計仕掛けのように動く勤勉な労働者・兵隊(≒国民)を作るためにあった。本当は 80~90年代にゆっくり変化する筈だったのだが…
知識や考え方の整理として良い
人気コメントのほとんどがこの記事を読んだとは思えない
多様性と言うのは単に合わない人もいるってのを認めるところから始まる。そこからどこが合わないかどうやって合わせるか合わせるのを諦めて代替手段を探すかという話になる。行かなくてていいで済む話ではないという
過去にこんな議論があったよ、と経緯をまとめてくれているノートのに、なぜブコメは辛辣なのか。。。 快刀乱麻な解決策を求めてたのかしら。。。 なお、手で書いてると思うよ。この感じ。
ほとんどの人がレールしか歩いてなくて、レールを歩くことが人生の幸福であるという洗脳されてる地獄。別に特別な才能がなくて誰でもレールの外を歩けるし、生きていけるし、幸福です。
8割くらいの大多数の人は学校行く方が楽、そのまま会社員に。学校行かないで個人で活動していくのはハードだよ。後から資格・免許は取りにくいし、就職したくなっても卒業要件満たさず書類で落ちる。
金と力がない国民を引き上げるのには極めて有効だが、それでもすべての人に向いたものではない。8割ぐらいは学校がないと何もできない。不登校でもなんとかなるのは資金やリソースがあるケースに限られるよ
"「社会の縮図」としての教室。そこでは、気の合わない相手とも同じ班になり、意見がぶつかり、それでも何とか一緒に作業を終わらせる。" 分かるが「気の合わない」じゃ済まない人もいるので。
AIなん?>トップコメ/読みたいが長すぎてしんどい。
批判してるコメがAIに思えてきたw
不登校小学生youtuberゆたぼんも、高校に行きたくなって高校受験するが不合格、その後に苦労して受験勉強して今は通信制高校で勉強してるからな… 彼は知名度や人脈があってそれで稼げてるけど、それがない人だと
とてもおもしろく読んだ。自分が不登校に対してどういう視点を持っているかに気付くきっかけになった、素晴らしいまとめ。
著者の方の個人的な体験談をもう少し聞きたかったかな。不登校だけどどうやって頑張ってここまでやってきたか的な話。
この文章AIなの?長くて読みづらいから途中離脱したんだけどAIならもっと整理されてる気がする
公立中学は動物園らしいから(まだ擦る) / 将来苦労するぞ系の正論は、太宰メソッドっぽくなるので難しいんよな。
今の大きな変化は2016年、2019年あたりからなのか、ちょっと行き過ぎにも思えるが /文化資本の元ネタの人いい指摘するなあ、中立性か /いい分析と問題提起だなあ
(あくまで妄想でしかないけど、知識部分と要所である未来に向けての提案は自分の言葉だけど、現在の不登校を語る箇所はAIに任せたままの部分があると思う。当事者であるが故の客観化しにくい部分というか…)
AI警察さんはトレパク警察に戻ってもろて…
中学3年の時までは勉強することに苦痛を感じなかったけど高1あたりから面倒になったから中学受験に受かって豊島岡女子学園 中学校・高等学校卒業になってよかった。私の性格上不登校で高校卒業まで行けない
学校に行かなくて良いけど勉強はしなきゃダメだ。
文脈の整理が利用用途でハルシネーションってなんだよ。普通の人間は人に見せる前に読み直すでしょ。
ちょっとだけ言及あるけどホームスクーリングは僻地じゃなければむしろ自分の教育に信念がある人たちがやってる印象
「学校に行かなくて良い」だの「働いたら負け」だのの、この手の甘ったれた言説は、真に受ける馬鹿が出てくるからよくないんよな
学校が単に知識伝授の場ではなく、人間関係構築や規律をもって生活する術を学習する場でもあるという前提は重要。/ただし従来の学校のそれは超実践主義で、上手くやれない子を何とかする為のノウハウを持たない。
うちの子もコロナから始まり中学3年間不登校。それでも持ち直せたのは本人の焦りと自分にあった高校を自分の足で見に行き選べたこと。でも学費だけで年100万円かかる。選びたかったけど選べなかった子供たちは…
「学校に行かなくていい」は、誰が言い始めたのか?元不登校・東大院生が描く150年の思想地図|みずま
前作とあわせて必読。8-9割の人は流されてでも学校に行くのがベターだし、残りの人をどうしたら良いかはこれからも問われ続けるのでしょうね。
チェリーピッキング🍒? 不登校の物語が義務教育はスルーしたけどそれなりの大学へ入学できましためでたしめでたしなのは何だろう
今、院生か 色々背景あるけどまあ不安なのは不登校になったあと外に出られるのかってことだよな 今の社会は言うても外に出て他人と関わって成果で評価されるわけで、学校みたいな支援や扱いはないからなあ
学校は社会の縮図では無いと思う。学校より野蛮な社会もあるのは分かるが、学業以外求めるべきでは無い認識 / “他者のなかで、社会の一員になっていく「社会化」。そして、その人自身になっていく「主体化」”
うちの娘は中学入学とコロナが重なって不登校になったが、学校側の根強いサポートもあって2年生からは普通に登校し始めた。外部が「行かなくていい」だけを「よきもの」とするのは少し無責任じゃないかな。
行けない理由の家庭事情(お金)と心の問題は独立した2値じゃないと思うよ
本筋とは異なるけど、こういうAIに書かせた文章って、どこまでが筆者の考えなのか分かりにくいし、ハルシネーションを疑ってしまう。自分の言葉で書いて欲しいけど、もう時代的に難しいのかな
学校が軍隊的規律を学ぶ場とまで言わなくても、基礎教養と社交をどう身につけるかは課題。だから、古き良き欧風金持ちのように家庭教師をつけ、社交の場を用意できるなら不登校は問題が少ないんだけどね
「働き方アリの法則」のように例外的な人は必ずいる。行かなくていい、はそういう人への言葉であって全体向けではないよ。
(精神を壊すぐらいなら)「行かなくていい」って話で、機内食でチキン選ぶ感じでいいって言ってる人ってあんまいないのでは?SNSの話は、現実のグロさが丸められてる可能性があって、ヌルい選択に見える人もいるのかも
そもそも「みんなが学問を身につけ賢くなれば(ワルイ大人や権力者に騙される人はいなくなり)世の中から争いごとは消え平和になってく」がデタラメ(ますますみんな争うだけ)だったので「行かなくていい」になっただけ
学校に行くのも行かないのも、本人に合った選択が大事。学校の支援も必要だし、不登校からの成功談だけでなく、成功の形は人それぞれという視点も忘れたくない。
ミュートに追加:東大
学校に行かなくていいという代表格は堀江貴文。レールがなくても生きていける人の言葉。凡人は行くべきだよ。
松下幸之助は小学校4年で中退。それでも『経営の神様』になった。
AI(旧NotebookLM型+STTとTTS、動画イラスト生成、深掘り仕放題)で教師の質のバラツキを回避し、効果的効率的な知識習得法は安価で実行可能故に、学校に行く必要が無い「一定層」も発生。問題はそれに適応できない層が大半
学校は、社会(人間関係)の作り方をあまり教えない。「なんとなくルールを読み取って従え」って感じ。部活やボーイスカウトなど、課外活動ではコミュニティ維持活動に参加する機会がある。
東大の大学院まで行ってここまで内容の薄い文章を書くなんてなんの勉強をしてたんだ?この人
学者さんらしく、マクロな視点で次の時代を模索する記事。だから、ミクロな視点で今現在に不登校な子どもが(その親が)どうすべきかについては何も語っていないのに注意
教育の義務は「教育を受けれる環境を整える」と言うことなので、そもそも子供が登校を拒否るような学校の環境を改善できていないなら、公務側が義務違反であり、職務の責任を果たしていない(教育基本法第5条)
「学校に行かなくていい」ことによって社会化と主体化が得られないなら、それを獲得できる場を学校以外に作るというのが方策だろうし、さすがにそれくらいは思いついてそうだが。
不登校をめぐる150年の歴史と思想を体系的にまとめてて秀逸なnote家族以外の公的空間での学びをどう担保するかの問いが鋭い
両親共に教師だったんで学校が辛くても不登校という選択肢がなかったんだけど、教育の義務は学校に行かせる義務ではないとも思ってるんでちゃんと教育が行われることを前提に「学校は行かなくていい」と思ってるよ。
ふと羽仁進の子供のことを思い出した
これは俺の問題なんだけどあの頃歯を食いしばって懐に刃物を忍ばせてギリギリのところで無遅刻無欠席を通したのに、こんなにあっけらかんと不登校が社会の要所に配置されてるの見るとほんとバカを見たな俺ってなる。
ゆきぼんかな(´・ω・`)
総論であって各論はまた別の話になるんよな
妻が保育士試験受けたときに教育史一緒に勉強したが不登校と筆者の体験を軸に総ざらいする良記事だと思います。私は全然AI臭は感じなかった。
面白かった。一つの切り口で150年をこれくらいの分量で捉えられるの凄い。/AIっぽいか?
学校に行かないとやっていけないような人はもはや自分の人生を生きるに値しないよ。社会的には障害者と言ってよい
件の積極的不登校漫画では、姉の不登校姿を見て妹が「学校は行かなくてもいい」と解釈+学習する描写があるのに加え、学外での居場所を作らずに育成している。これを良しと思えるなら行かせなくてもいいのでは?
他人には学校に行かなくていい、と言う人も自分の子供だったらそうは言わない人は多いのでは。つまり、(将来あなたがどうなっても私には影響ないから)行かなくていい、なのでは。
(金がないなら学校に通った方が他人に説明しやすい人生を送れるかなとは思う)
日本の不登校研究は厚みがあるんだけど、全然顧みられてなくてちょっと残念ではある。『不登校、選んだわけじゃないんだぜ』は名著だと思うけどな https://www.arsvi.com/b2000/0501kr.htm
家より学校がやっぱり良いと感じたから学校に戻れるわけで、選択の結果なんよ。学校が選択にならない子供もいる
いい分析だと思ったが、AIと書いている人がいてびっくりした。断言はできないが、参考文献を最後にずらっと並べているし、AIだとすればすぐにばれるだろう。なんでも、とりあえずAIと言っておこうとしてないか?
社会は進歩するべきだ。つまり、学校行って大学行って会社で40年務める耐え続けた人だけが幸せになれる社会ではなく、学校行けなかった人の大半も幸せになれる社会になるべきだ。大変だけど。
(「教育をうけるのは国民の義務、それを放棄するならペナルティはあるべきだし〔ここらは異論もあろうけど〕、行政はカバーせねばならない。個別に家庭教師をつけるコストをだれが負担するか」問題では?
行かなくていいわけじゃないよ。行かないと詰むわけじゃないから思い詰めるなって話なんよ。
平等ならいいのかw こぼれ行く弱者だけ筋トレスクールでも作ればw でもそれは軍隊かもねw 君たちインテリは大嫌いでしょ?www
「教育には、数字では測れない『社会化』と『主体化』もある。(…)この三つを並べると、不登校の議論で見落とされやすいものが見えてくる。(…)社会化は、よく知らない他人がいる場所でしか、なかなか起きない。」
“デューイの言う「社会の縮図」としての教室。気の合わない相手とそれでも何とか一緒に作業を終わらせる。アーレントの言う「世界」への入口。無条件に受け入れてくれるわけではない他人と距離を測りながら過ごす”
次の指導要領では、不登校児童は校内支援教室で特別の教育課程を組めることになる。時代とともに少しずつ良い方向に変化していくといいね。
発達障害当事者ですが、健常の子の不登校と発達障害が背景の不登校は分けて考えた方がいいと思う。ASD特性による不登校は社会不適応とリンクする。学校空間にすら耐えられない脆弱性をどうするかが問題だ
「美味しんぼ」で見たw/いじめ等で心身の危険があるなら無理に行く必要はないけど、それ以外のしょーもない理由なら行くべき。長い人生の中の義務教育9年間すら我慢出来ない人間は、社会に耐えられないよ。
読んでない。自殺する子が増えて、死ぬぐらいなら行かない選択をして生きた方が良いみたいな、切羽詰まった提案だったと記憶してる。うちら子供の頃、学校休むという発想自体が世の中に存在しない感じだったし。
学校に行かなくていいの先の話でしょ?こないだのと何が違うの。そこが無ければ学校に行かなくていいなんて言わない。
欲しい言葉は「(私が面倒みるから)学校行かなくていい」だけど、現実「学歴は?」なのよね。わざわざ「学歴が普通」じゃない人を、企業は採ってくれない。
アメリカは進化論教えるとこはいかなくていいってのもたまに世界まる見えで出てくるよな。
東大の教育学部がみぃちゃん専攻と揶揄される理由が良く解る文章。学校について語るなら、それがまず近代国家の装置であるという前提から話をしないと無意味なのに、哲学者のノーエビデンス妄言を連ねて学問ごっこ
現実的には学校は知識や教養を身につけるだけではなく、集団社会の中での振る舞いを会得したり、自分がどうあるべきかを考えたりする場としても機能している。それを回避した子を如何にケアするかが今後は問われると
ブコメが厳しくてびっくりしたよ、、前回ってやつを読んでこよう
“不登校の「いま」については、たくさんの調査と言葉がある。でも、不登校の「その後」――十年後、二十年後に、その人がどう生きているのか――については、驚くほどわずかなことしか分かっていない。”
対立じゃなくて調整が必要なこと また不登校で傷や欠損を抱える人を勇気づける いい文章だと思ったけど、、
エジソンの伝記には学校を追い出された少年エジソンのエピソードがでてくるし、窓際のトットちゃんでも小学校を退学になってる。
行くとか行かないとか 最初に言い出したのは 誰なのかしら 駆け抜けてゆく 私のメモリアル。教育さえ受けられればどうでもええわ。
行かないのは良いけど、自分の人生は自分で責任を持つことになるのは理解しないと駄目。
AIだとは思わなかった。その時の社会常識に寄せてAIは短くまとめるだろうから。社会学は経済から文化、文明、医学、生物学など様々な切り口がある。大学院生だから色んな知識にふれる機会があるからかな。
社会化のところは、「能力」があれば後天的に対応が可能(筆者含め)なんだと思う
学校給食の貧相さが話題になる今の日本で、通常ルートからこぼれ落ちた子の「社会化」「主体化」を誰がどう担っていくのかを考えるのは大変そう
ブコメ、一つだけ。AIはこれ全部書けるほど賢くないよ
日本の問題なのだから日本特有の学校文化について語るべきなのに出羽国ばかり掘り下げるのは筋違いのはぐらかしだろ。学校は労働力を作る場所だった。少なくともこれまでは。
イリイチ"学校が貧しい国の人々に「学校に行けなかった自分は劣っている」と思わせる装置" デューイ"学校は社会の縮図" インフラとして公的教育はバリアフリーでなければならんが、平等で公平であるとは限らんよね。
「学校行かなくてもいいよ」のその先に、「でも、みんなが学校で学ぶことを別の方法で学ぶ必要があるよね」があるのは、教育史や不登校史を紐解くまでもない当たり前の話。
上の空みたいな文章体がAIっぽさを加速させてる。途中で力尽きた。学校行かなくても大成した人はいっぱいいる。で、そこまでの才能がない人はどう生きていけばいい?ってとこが気になる。書いてあったらすまない。
日本の学校、特に公立の小中学校はクラスの生徒数が多すぎるんだ。これだけで耐えられない生徒が少なからずいる。大人数で集団行動できるスキルってみんなが持っているものではない。兵隊養成校じゃないんだからさ
「学校は、何のためにあるのか」← 日本の場合は、明治維新後の急速な工業化のなかで、時計仕掛けのように動く勤勉な労働者・兵隊(≒国民)を作るためにあった。本当は 80~90年代にゆっくり変化する筈だったのだが…
知識や考え方の整理として良い
人気コメントのほとんどがこの記事を読んだとは思えない
多様性と言うのは単に合わない人もいるってのを認めるところから始まる。そこからどこが合わないかどうやって合わせるか合わせるのを諦めて代替手段を探すかという話になる。行かなくてていいで済む話ではないという
過去にこんな議論があったよ、と経緯をまとめてくれているノートのに、なぜブコメは辛辣なのか。。。 快刀乱麻な解決策を求めてたのかしら。。。 なお、手で書いてると思うよ。この感じ。
ほとんどの人がレールしか歩いてなくて、レールを歩くことが人生の幸福であるという洗脳されてる地獄。別に特別な才能がなくて誰でもレールの外を歩けるし、生きていけるし、幸福です。
8割くらいの大多数の人は学校行く方が楽、そのまま会社員に。学校行かないで個人で活動していくのはハードだよ。後から資格・免許は取りにくいし、就職したくなっても卒業要件満たさず書類で落ちる。
金と力がない国民を引き上げるのには極めて有効だが、それでもすべての人に向いたものではない。8割ぐらいは学校がないと何もできない。不登校でもなんとかなるのは資金やリソースがあるケースに限られるよ
"「社会の縮図」としての教室。そこでは、気の合わない相手とも同じ班になり、意見がぶつかり、それでも何とか一緒に作業を終わらせる。" 分かるが「気の合わない」じゃ済まない人もいるので。
AIなん?>トップコメ/読みたいが長すぎてしんどい。
批判してるコメがAIに思えてきたw
不登校小学生youtuberゆたぼんも、高校に行きたくなって高校受験するが不合格、その後に苦労して受験勉強して今は通信制高校で勉強してるからな… 彼は知名度や人脈があってそれで稼げてるけど、それがない人だと
とてもおもしろく読んだ。自分が不登校に対してどういう視点を持っているかに気付くきっかけになった、素晴らしいまとめ。
著者の方の個人的な体験談をもう少し聞きたかったかな。不登校だけどどうやって頑張ってここまでやってきたか的な話。
この文章AIなの?長くて読みづらいから途中離脱したんだけどAIならもっと整理されてる気がする
公立中学は動物園らしいから(まだ擦る) / 将来苦労するぞ系の正論は、太宰メソッドっぽくなるので難しいんよな。
今の大きな変化は2016年、2019年あたりからなのか、ちょっと行き過ぎにも思えるが /文化資本の元ネタの人いい指摘するなあ、中立性か /いい分析と問題提起だなあ
(あくまで妄想でしかないけど、知識部分と要所である未来に向けての提案は自分の言葉だけど、現在の不登校を語る箇所はAIに任せたままの部分があると思う。当事者であるが故の客観化しにくい部分というか…)
AI警察さんはトレパク警察に戻ってもろて…
中学3年の時までは勉強することに苦痛を感じなかったけど高1あたりから面倒になったから中学受験に受かって豊島岡女子学園 中学校・高等学校卒業になってよかった。私の性格上不登校で高校卒業まで行けない
学校に行かなくて良いけど勉強はしなきゃダメだ。
文脈の整理が利用用途でハルシネーションってなんだよ。普通の人間は人に見せる前に読み直すでしょ。
ちょっとだけ言及あるけどホームスクーリングは僻地じゃなければむしろ自分の教育に信念がある人たちがやってる印象
「学校に行かなくて良い」だの「働いたら負け」だのの、この手の甘ったれた言説は、真に受ける馬鹿が出てくるからよくないんよな
学校が単に知識伝授の場ではなく、人間関係構築や規律をもって生活する術を学習する場でもあるという前提は重要。/ただし従来の学校のそれは超実践主義で、上手くやれない子を何とかする為のノウハウを持たない。
うちの子もコロナから始まり中学3年間不登校。それでも持ち直せたのは本人の焦りと自分にあった高校を自分の足で見に行き選べたこと。でも学費だけで年100万円かかる。選びたかったけど選べなかった子供たちは…