書くことの快楽は俺ですら分かるから、マジでAI執筆は理解できない
ねじ式が代表作として芸術扱いされたことにつげ自身が戸惑っていたという話が面白かった。あの面白さや空気感をそのまま楽しめばいいのに、なんか深読みしたり高尚なものにしたがる奴が出てくるんだよな。
“人の家に行ってうだうだして、泊まった翌日かなんかに、その辺に転がっているのをパッと読む”わっっかるー!!私のつげ義春も完全にそれ。
町田康と又吉直樹の対談、無意味さの中に隠れた宝探しですわね。シュールな美味しさ、味わいたいですの!
めちゃくちゃ自由に喋らせてる感じ。すごく良いな〜。やはり徒手空拳で言葉を紡いで小説やお笑いにする人はわたし風情とは感覚がだいぶ違うな、と思わされる。
町田康が実はまだ二階にいる人みたいになってるじゃん!
町田康見るたびに歳取ってる。当たり前だけど
“体験する時間を短くして、概要だけを集めていくのは、栄養分を一切摂らずに、時間だけを費やす行為のように見えます” タイパについて
町田さんの近影をここ数十年観てこなかったので、イメージがイヌのジャケ写まで巻き戻ってて、わりと衝撃受けた。
告白は面白かった
つげさん、町田康、又吉、みんな大好きだなあ。こういう人らに囲まれて生きたい
“なんの変哲もない、河原の石を売るんですよね。売れるわけがないのに、せっせと集めて売ろうとする。若手芸人時代の感覚にシンクロしていた。井伏鱒二は目で見ている現象だけを緻密に描いていく。報告の文体”
時代がつげさんに追いついてきた感。高度成長だバブルだの明るい時代に惹かれていた人は落ちぶれた世界、落ちこぼれの世界の人、という感じが強かった。そういう上辺がなくなって露わになった本質的な世界だと思う
爆裂都市のイメージしかなかったから現在の町田康にびっくりしちゃった
こういう経験、電子書籍の時代には無くなっていくのかなぁ→“その辺に転がっているのをパッと読む。”
おもしろかった
最近、youtubeで良く拝見している
「「沼」を描いた時期に、井伏鱒二を読んでいたと語っています」「井伏は、画家を志していたこともあって、視覚が優位」
町田康が電撃ネットワークな人に見えた(今でもかっこいいよ、という意味で
記事の途中でへんなページ遷移がないのが素晴らしいものだと感じられます。U-NEXTの文藝サイトっていう変なポジションでしかこれできないのかなあ。困った話ですね。
新喜劇の偉大さがよくわかる
「長八の宿」「西部田村事件」は井伏鱒二的だよね。「私鉄沿線」は初期じゃないし野口五郎に駅の歌はそんなに多くないぞ。町田康が「21世紀枠に負けたのは末代までの恥」と言った高校野球の監督に似てきてびっくり。
町田康も古典の現代関西弁訳ばかりでなく、井伏鱒二みたいなのも書いてほしいわ
記憶の中のイメージが町田康と又吉か!なんか見た目が似てるな!と思って記事を開けたら町田康が変わり過ぎていてびっくりした。
つげ義春は締め切りに間に合わず明確なオチがない中途半端な原稿を提出したらそれが純文学みたいだと評価されたという話を聞いたことがある。偶発的な形であれ漫画表現の幅を大きく広げた第一人者だったのは確実
つげ義春対談 無意味という豊かさ - 町田康・又吉直樹 | WEB文芸誌 文学茶釜(何が出るかな)
書くことの快楽は俺ですら分かるから、マジでAI執筆は理解できない
ねじ式が代表作として芸術扱いされたことにつげ自身が戸惑っていたという話が面白かった。あの面白さや空気感をそのまま楽しめばいいのに、なんか深読みしたり高尚なものにしたがる奴が出てくるんだよな。
“人の家に行ってうだうだして、泊まった翌日かなんかに、その辺に転がっているのをパッと読む”わっっかるー!!私のつげ義春も完全にそれ。
町田康と又吉直樹の対談、無意味さの中に隠れた宝探しですわね。シュールな美味しさ、味わいたいですの!
めちゃくちゃ自由に喋らせてる感じ。すごく良いな〜。やはり徒手空拳で言葉を紡いで小説やお笑いにする人はわたし風情とは感覚がだいぶ違うな、と思わされる。
町田康が実はまだ二階にいる人みたいになってるじゃん!
町田康見るたびに歳取ってる。当たり前だけど
“体験する時間を短くして、概要だけを集めていくのは、栄養分を一切摂らずに、時間だけを費やす行為のように見えます” タイパについて
町田さんの近影をここ数十年観てこなかったので、イメージがイヌのジャケ写まで巻き戻ってて、わりと衝撃受けた。
告白は面白かった
つげさん、町田康、又吉、みんな大好きだなあ。こういう人らに囲まれて生きたい
“なんの変哲もない、河原の石を売るんですよね。売れるわけがないのに、せっせと集めて売ろうとする。若手芸人時代の感覚にシンクロしていた。井伏鱒二は目で見ている現象だけを緻密に描いていく。報告の文体”
時代がつげさんに追いついてきた感。高度成長だバブルだの明るい時代に惹かれていた人は落ちぶれた世界、落ちこぼれの世界の人、という感じが強かった。そういう上辺がなくなって露わになった本質的な世界だと思う
爆裂都市のイメージしかなかったから現在の町田康にびっくりしちゃった
こういう経験、電子書籍の時代には無くなっていくのかなぁ→“その辺に転がっているのをパッと読む。”
おもしろかった
最近、youtubeで良く拝見している
「「沼」を描いた時期に、井伏鱒二を読んでいたと語っています」「井伏は、画家を志していたこともあって、視覚が優位」
町田康が電撃ネットワークな人に見えた(今でもかっこいいよ、という意味で
記事の途中でへんなページ遷移がないのが素晴らしいものだと感じられます。U-NEXTの文藝サイトっていう変なポジションでしかこれできないのかなあ。困った話ですね。
新喜劇の偉大さがよくわかる
「長八の宿」「西部田村事件」は井伏鱒二的だよね。「私鉄沿線」は初期じゃないし野口五郎に駅の歌はそんなに多くないぞ。町田康が「21世紀枠に負けたのは末代までの恥」と言った高校野球の監督に似てきてびっくり。
町田康も古典の現代関西弁訳ばかりでなく、井伏鱒二みたいなのも書いてほしいわ
記憶の中のイメージが町田康と又吉か!なんか見た目が似てるな!と思って記事を開けたら町田康が変わり過ぎていてびっくりした。
つげ義春は締め切りに間に合わず明確なオチがない中途半端な原稿を提出したらそれが純文学みたいだと評価されたという話を聞いたことがある。偶発的な形であれ漫画表現の幅を大きく広げた第一人者だったのは確実