こんなだから、731部隊とかの極論出さなきゃならないんだろうな
日本の東北地方が貧乏だったことは、統帥権干犯の免責事由にはならない。
そりゃそうだろう。民間人より先に逃げたからな日本軍は
昔はこの程度の述懐に対しても、戦争賛美などとガン決まった反応が山ほどあったものでした。/勿論そんなことは書いていませんが、繋がりかねないとかいう蓋然性も不明な無敵ワードで誤魔化すわけよ。
日中戦争は楽な戦争だったから現地は悲惨な状況じゃないとかそんな話なの?
一方で現在の北方領土や樺太をロシアに取られたけど当時日本軍は世界でも指折りの強さで完全に押し返してたのよ。それを当時の無能政府が強引に引き上げさせたのよ。その結果ずっと占拠されてる。その子孫が自民党。
若い人は信じられないと思うけど、学校の課題で祖父に従軍体験を聞けと課題が出た時は「地元の女性が可愛かった。よく協力してくれた」とか素直に書くと「悲惨な話にしろ」と教師から叱られるのはよくあった。
うちの本家も戦後より戦中の方が豊かだった。言いにくいので言わないけど・・
その祖父は関東軍では…。ソ連参戦までの満洲は本土より余裕があった的な話はむかしから聞くね。 上海戦で死んだような人たちは戦後証言できないわけで、中国戦線に一般化するのは危険。
>中国戦線で負けた記憶がない。戦争負けたと聞いて信じられなかった/ 中国ではこうだったから満州や朝鮮でソ連が攻め込むと信じられずに逃げ遅れた人も多かったとか。
そりゃ、いいことも無かったら国民みんなで戦争しようってならないわな。
爺は「中国人は信じるな」以外戦争を語らなかった。シベリア帰還兵だったり、本棚に山本七平置いてあったりした。引揚記念館行ってグレーのまま頭に残しておこうと思った。記念館に名字が書いてある資料があった。
“戦争はそんな悪い記憶じゃない。むしろその後のシベリアはマジできつかった。ロシア許さん”さすが宇佐美典也、おじいさんの感想のそこ切り取り発信する。国際情勢の見誤りや撤退の判断間違いは正当化するんかな
友人の中国戦線帰りの祖父は「日本人は中国人に本当に酷いことをした」って言ってたらしいから場所にもよるのかな。満州あたりは割と(終戦までは)いい目見てたんでは
日本兵だったおじいちゃん、中国で略奪したり婦女暴行したことはいい思い出なんだろうね。人はやったことは覚えてなくてもやられたことは忘れないのだ。
普通に地元民の宣撫に成功して良好な関係を保ってた部隊もあるんで、日本兵が全員略奪三昧だったと思う奴はただのアホですよ
生き残った兵士のみが子孫に語れる。生存者バイアスがモロにでているような。「中国に送られた兵士にとって一番キツかったのはシベリア抑留?」満州から南方戦線へ引き抜かれることだと思うよ
なるほど。中共は日本への遺恨が尽きず、露助は日本を舐めくさるわけだ。
祖父もチャンコロ追いかけ回して楽しかった的なことを言ってたらしい。シベリアのことは喋らなかったらしい。
宇佐美典也じゃん。ネトウヨ的な評論家の言う事、真に受けても仕方ない
叔父は北支だったので苦労したそうな
生存バイアスってやつかな!??!?れ!???、でもよくシベリアから帰ってきなすった!!!!!!!!!!!!
現実として、殺したり、犯したりを楽しんでた人も少なからずいるのでね。もちろん帰って来てからは口を閉ざすからあまり伝わらないけど。
自分の祖父は中国で馬に乗って戦ってた。家財道具全て売り払って買ったカメラで写真撮って残してた。左手の小指の先が短く、手のひらに傷跡があり両方弾痕によるものと言っていた。
戦争体験には当然グラデーションがある、それだけの話。内地、外地、都市、農村、満州、中国、南方。広大な地域が戦場になったわけで、戦争体験は人それぞれ。軽々に、一般化して語るべきじゃない。
「軍隊がキツかったとか言ってるのは都会育ちのボンボンだけ、田舎の農家の貧乏人にとっちゃ農作業よりはるかに楽な訓練で旨い飯が三食たらふく食べられてあんな楽な『商売』はなかった」と田舎の人は言ってたよ。
亡くなった母方の伯父がシベリア抑留帰還者で、手指が何本か凍傷で欠けてた。小さな頃から可愛がってくれた伯父だった。本人は口が重くでそんな話は弟妹にすら殆どせず、弟妹も興味本位で聞けなかったらしい。
たった50年程度かそこら、生まれた年が後だっただけで、シベリアを体験しないで済んでいる、それを思うと今の日々にひたすら感謝だなあ、/ 近所に、ある人への怨念をずっと、取り憑かれたように捨てなかった人がいた
ま、当地で本当に悲惨だったのは日本人じゃないのは確かw
マジかよ露助最低だな
みんな渥美清主演の映画『背景天皇陛下様』を見ようぜ、当時は貧乏どん底の田舎者にとって、三食提供される軍隊の方がマシな環境、だがそこで見に着いた感覚のまま戦後も生きようとすると悲惨な結末まで描かれてる
実際中国では終戦間際まで善戦していた。それ以外の対米等はボロボロだったが。
大伯父がシベリア抑留組だったなぁ。この人はめちゃくちゃ習字がうまかったので、通信兵という特殊任務だったのでほとんど戦地には行ってない
津波が標高1メートルが天地の差であったように、後方と最前線ではまったく世界が違う
なお現地中国人の感想
南方は過酷な話を聞くけど、大陸の話は意外だった!
中国戦線はそうだろうね
民間人を惨殺したりしたのか
毛沢東のゲリラ戦は、『敵進我退、敵駐我擾、敵疲我打、敵退我追』八路軍はWW2では、日本軍と決戦出来るまで育たなかったので、南方で米海兵隊と戦うよりかなりマシだった。南方はマラリアと補給不足だから地獄
戦争はないほうがいい
現地の子がかわいかった協力してくれたとか、その子が、それしか生きるすべが無かったことを忘れたゆがんだ見方。自分の地域が武装集団に占拠されて逆らう者は殺されたあとの話しで、非協力なら存在してない。
過去100年のロシアや中国共産党の歴史の本を読むとよい。共産党の奴等は綺麗事ばかりで、ウソばかりというのがよくわかる
物資豊富な中国本土でも調達が大変だった記録もあるし(調達=略奪もあり)個人の話で大変じゃなかったと思うのは危険だし南方も平穏で物資が豊かな場所もあったろうが戦死者の6割が餓死病死、推して知るべしよ
終戦を、ビルマで捕虜として迎えた祖父も中国大陸で負傷して日本にいた祖父も、ロシアだけは憎んでた。
戦時中、中国戦線に送られシベリアに抑留された祖父に「戦争で酷い目にあった?」と聞いたら、その答えが衝撃だった「シベリア抑留は本当に過酷だったと聞く」
こんなだから、731部隊とかの極論出さなきゃならないんだろうな
日本の東北地方が貧乏だったことは、統帥権干犯の免責事由にはならない。
そりゃそうだろう。民間人より先に逃げたからな日本軍は
昔はこの程度の述懐に対しても、戦争賛美などとガン決まった反応が山ほどあったものでした。/勿論そんなことは書いていませんが、繋がりかねないとかいう蓋然性も不明な無敵ワードで誤魔化すわけよ。
日中戦争は楽な戦争だったから現地は悲惨な状況じゃないとかそんな話なの?
一方で現在の北方領土や樺太をロシアに取られたけど当時日本軍は世界でも指折りの強さで完全に押し返してたのよ。それを当時の無能政府が強引に引き上げさせたのよ。その結果ずっと占拠されてる。その子孫が自民党。
若い人は信じられないと思うけど、学校の課題で祖父に従軍体験を聞けと課題が出た時は「地元の女性が可愛かった。よく協力してくれた」とか素直に書くと「悲惨な話にしろ」と教師から叱られるのはよくあった。
うちの本家も戦後より戦中の方が豊かだった。言いにくいので言わないけど・・
その祖父は関東軍では…。ソ連参戦までの満洲は本土より余裕があった的な話はむかしから聞くね。 上海戦で死んだような人たちは戦後証言できないわけで、中国戦線に一般化するのは危険。
>中国戦線で負けた記憶がない。戦争負けたと聞いて信じられなかった/ 中国ではこうだったから満州や朝鮮でソ連が攻め込むと信じられずに逃げ遅れた人も多かったとか。
そりゃ、いいことも無かったら国民みんなで戦争しようってならないわな。
爺は「中国人は信じるな」以外戦争を語らなかった。シベリア帰還兵だったり、本棚に山本七平置いてあったりした。引揚記念館行ってグレーのまま頭に残しておこうと思った。記念館に名字が書いてある資料があった。
“戦争はそんな悪い記憶じゃない。むしろその後のシベリアはマジできつかった。ロシア許さん”さすが宇佐美典也、おじいさんの感想のそこ切り取り発信する。国際情勢の見誤りや撤退の判断間違いは正当化するんかな
友人の中国戦線帰りの祖父は「日本人は中国人に本当に酷いことをした」って言ってたらしいから場所にもよるのかな。満州あたりは割と(終戦までは)いい目見てたんでは
日本兵だったおじいちゃん、中国で略奪したり婦女暴行したことはいい思い出なんだろうね。人はやったことは覚えてなくてもやられたことは忘れないのだ。
普通に地元民の宣撫に成功して良好な関係を保ってた部隊もあるんで、日本兵が全員略奪三昧だったと思う奴はただのアホですよ
生き残った兵士のみが子孫に語れる。生存者バイアスがモロにでているような。「中国に送られた兵士にとって一番キツかったのはシベリア抑留?」満州から南方戦線へ引き抜かれることだと思うよ
なるほど。中共は日本への遺恨が尽きず、露助は日本を舐めくさるわけだ。
祖父もチャンコロ追いかけ回して楽しかった的なことを言ってたらしい。シベリアのことは喋らなかったらしい。
宇佐美典也じゃん。ネトウヨ的な評論家の言う事、真に受けても仕方ない
叔父は北支だったので苦労したそうな
生存バイアスってやつかな!??!?れ!???、でもよくシベリアから帰ってきなすった!!!!!!!!!!!!
現実として、殺したり、犯したりを楽しんでた人も少なからずいるのでね。もちろん帰って来てからは口を閉ざすからあまり伝わらないけど。
自分の祖父は中国で馬に乗って戦ってた。家財道具全て売り払って買ったカメラで写真撮って残してた。左手の小指の先が短く、手のひらに傷跡があり両方弾痕によるものと言っていた。
戦争体験には当然グラデーションがある、それだけの話。内地、外地、都市、農村、満州、中国、南方。広大な地域が戦場になったわけで、戦争体験は人それぞれ。軽々に、一般化して語るべきじゃない。
「軍隊がキツかったとか言ってるのは都会育ちのボンボンだけ、田舎の農家の貧乏人にとっちゃ農作業よりはるかに楽な訓練で旨い飯が三食たらふく食べられてあんな楽な『商売』はなかった」と田舎の人は言ってたよ。
亡くなった母方の伯父がシベリア抑留帰還者で、手指が何本か凍傷で欠けてた。小さな頃から可愛がってくれた伯父だった。本人は口が重くでそんな話は弟妹にすら殆どせず、弟妹も興味本位で聞けなかったらしい。
たった50年程度かそこら、生まれた年が後だっただけで、シベリアを体験しないで済んでいる、それを思うと今の日々にひたすら感謝だなあ、/ 近所に、ある人への怨念をずっと、取り憑かれたように捨てなかった人がいた
ま、当地で本当に悲惨だったのは日本人じゃないのは確かw
マジかよ露助最低だな
みんな渥美清主演の映画『背景天皇陛下様』を見ようぜ、当時は貧乏どん底の田舎者にとって、三食提供される軍隊の方がマシな環境、だがそこで見に着いた感覚のまま戦後も生きようとすると悲惨な結末まで描かれてる
実際中国では終戦間際まで善戦していた。それ以外の対米等はボロボロだったが。
大伯父がシベリア抑留組だったなぁ。この人はめちゃくちゃ習字がうまかったので、通信兵という特殊任務だったのでほとんど戦地には行ってない
津波が標高1メートルが天地の差であったように、後方と最前線ではまったく世界が違う
なお現地中国人の感想
南方は過酷な話を聞くけど、大陸の話は意外だった!
中国戦線はそうだろうね
民間人を惨殺したりしたのか
毛沢東のゲリラ戦は、『敵進我退、敵駐我擾、敵疲我打、敵退我追』八路軍はWW2では、日本軍と決戦出来るまで育たなかったので、南方で米海兵隊と戦うよりかなりマシだった。南方はマラリアと補給不足だから地獄
戦争はないほうがいい
現地の子がかわいかった協力してくれたとか、その子が、それしか生きるすべが無かったことを忘れたゆがんだ見方。自分の地域が武装集団に占拠されて逆らう者は殺されたあとの話しで、非協力なら存在してない。
過去100年のロシアや中国共産党の歴史の本を読むとよい。共産党の奴等は綺麗事ばかりで、ウソばかりというのがよくわかる
物資豊富な中国本土でも調達が大変だった記録もあるし(調達=略奪もあり)個人の話で大変じゃなかったと思うのは危険だし南方も平穏で物資が豊かな場所もあったろうが戦死者の6割が餓死病死、推して知るべしよ
終戦を、ビルマで捕虜として迎えた祖父も中国大陸で負傷して日本にいた祖父も、ロシアだけは憎んでた。