妻木城士屋敷なら江戸時代と昭和時代の石垣の接合面が見れるぞ
"右は打ち込み継ぎといって見た目は綺麗なんですが耐久力と水はけが終わっており実用性は絶無です 平和な時代に見栄えの一点突破を目的として作られました"
見た目が綺麗な切込接より不揃いな打込接の方が耐久性と排水性に優れてるとか胸熱だな。こういう解説助かる
“ゲームの「ここの壁だけ崩せそうだな」じゃないの?”好き
切石積みの方は、火災の後の明和2年(1765年)に改修した時のものと言われてます。(写真右下の正方形の板に全部書いてある)今、金沢城の石垣、震災で壊れた部分の補修をしてて、積んでる様子とか見れますよ。
昔は石垣を積む過程で亡くなる人たくさんいただろうな⋯と思ってしまう。過酷だったであろう。
世界遺産のグレートジンバブエも場所によって年代が違うので積み方の変化が見て取れて面白いと昔本で読んだ
Wordで作った文書とわざわざExcelで作った文書みたいな
城跡の中の資料館の展示で説明されてるはずなんだけど……
現地にいるならどっかに説明あったと思うけどな
左の方が耐久性は上なんだ
小倉城の野面積みを見慣れてるので左ですら整いすぎに見える
戦乱期と泰平化後を見比べることができるわけだ。そら余裕できれば見た目重視にもなろうな。実用性終ってる、は草だけど100年単位で残すとも思ってなかったのだろう。
見た目も左の方が美しいと思う。右はハリボテのセットみたい。左の隙間にちいさな石が楔のように打ち込まれており職人を感じる。石の隙間やぞ?本当にすごいやつなのでは。
「右は打ち込み継ぎといって見た目は綺麗なんですが耐久力と水はけが終わっており実用性は絶無です」そうなんだ……
金沢生まれだけど全っ然知らなんだ。こういうの小学校の郷土の歴史の時間にでも教えればいいのに…
石積みは、熊本城でも地震で崩壊。今般の大雨で、東京目黒区では崩壊してたろ。石積み浪漫だけに縋ると大事故に成るんよね。土圧を舐めたらアカンよ
写真含めて目星ロールに失敗したみたいなポストで味わいがあるな
面白い。行ってみたいな
野面積みは浪漫。
解説板などは流して観光する人が9割くらいなのだろう。実際全ての解説を読んで回ったことがあるけど、大変な時間がかかった
あれ間違ったポストがまじってる。石を綺麗にカットして面をぴったり合わせる(ポストの右)のは切込接ぎ(はぎ)とか切石積みという。加工してるけど粗いやつが打込接ぎ。
興味を持っていただきありがたいです。
へぇ。石垣も奥が深いのねぇ。
切込接ぎは、登りにくいから防御力は高い。尤も登場してくる時代では大砲が出てきていたが……
切石積みたく、見た目綺麗な方が石の凸凹で噛み合ってないから強度が弱いのかな?
実際的な城としての機能が無いならデザイン統一しろよ…とは思ってしまう どうせ後付けなんだし
"平和な時代に見栄えの一点突破を目的として作られました" 身も蓋もない解説好き
現代の擁壁と同じで水抜きがないと崩壊しやすいからな。横に拡がろうとする力は土より水のほうが大きいから雨が降り地面に浸透すると土圧が上がり崩壊しやすくなるという原理。
江戸時代に作られて現在まで残っているのなら、少なくとも攻城戦なんかが存在しない環境においては、実用性に問題はないのでは。
平和になると実用性より見た目重視になっていくんだな。
ググれカスみたいなコメントが多くて、世の中厳しいなと思った。(注目して欲しくて、分からないフリをして投稿している可能性……)
理由を知ると面白いね〜!石垣を探してお城をウロウロしたくなっちゃう。
擁壁は水抜き穴がないと…
ひだりは穴太衆積み(あのうしゅうつみ)。滋賀県大津市坂本・穴太地区の石工集団によるもの(´・ω・`)
刀も実用品と美術品がありそうだし
英雄たちの選択「サムライたちの石垣大レース」をぜひ
目的が、攻城戦を想定した「集団として登らせない(個人単位で登るのはある程度許容)」から平時の「誰も登らせない」にシフトしたんじゃね感はある。
時代による変化なのか。
左の方が優れてるらしいけど、これ登ってこれない?戦以外の時の侵入のしにくさは右な気がする
ブラタモリで金沢城やった後に金沢城に行ったことがあって、これかぁってなりながら石垣見て回ったわ
金沢城に行ったら、石垣の積み方がきれいなところとそうでないところがあり「別のチームがやったの?」→詳しい方の解説が聞けてタメになる
妻木城士屋敷なら江戸時代と昭和時代の石垣の接合面が見れるぞ
"右は打ち込み継ぎといって見た目は綺麗なんですが耐久力と水はけが終わっており実用性は絶無です 平和な時代に見栄えの一点突破を目的として作られました"
見た目が綺麗な切込接より不揃いな打込接の方が耐久性と排水性に優れてるとか胸熱だな。こういう解説助かる
“ゲームの「ここの壁だけ崩せそうだな」じゃないの?”好き
切石積みの方は、火災の後の明和2年(1765年)に改修した時のものと言われてます。(写真右下の正方形の板に全部書いてある)今、金沢城の石垣、震災で壊れた部分の補修をしてて、積んでる様子とか見れますよ。
昔は石垣を積む過程で亡くなる人たくさんいただろうな⋯と思ってしまう。過酷だったであろう。
世界遺産のグレートジンバブエも場所によって年代が違うので積み方の変化が見て取れて面白いと昔本で読んだ
Wordで作った文書とわざわざExcelで作った文書みたいな
城跡の中の資料館の展示で説明されてるはずなんだけど……
現地にいるならどっかに説明あったと思うけどな
左の方が耐久性は上なんだ
小倉城の野面積みを見慣れてるので左ですら整いすぎに見える
戦乱期と泰平化後を見比べることができるわけだ。そら余裕できれば見た目重視にもなろうな。実用性終ってる、は草だけど100年単位で残すとも思ってなかったのだろう。
見た目も左の方が美しいと思う。右はハリボテのセットみたい。左の隙間にちいさな石が楔のように打ち込まれており職人を感じる。石の隙間やぞ?本当にすごいやつなのでは。
「右は打ち込み継ぎといって見た目は綺麗なんですが耐久力と水はけが終わっており実用性は絶無です」そうなんだ……
金沢生まれだけど全っ然知らなんだ。こういうの小学校の郷土の歴史の時間にでも教えればいいのに…
石積みは、熊本城でも地震で崩壊。今般の大雨で、東京目黒区では崩壊してたろ。石積み浪漫だけに縋ると大事故に成るんよね。土圧を舐めたらアカンよ
写真含めて目星ロールに失敗したみたいなポストで味わいがあるな
面白い。行ってみたいな
野面積みは浪漫。
解説板などは流して観光する人が9割くらいなのだろう。実際全ての解説を読んで回ったことがあるけど、大変な時間がかかった
あれ間違ったポストがまじってる。石を綺麗にカットして面をぴったり合わせる(ポストの右)のは切込接ぎ(はぎ)とか切石積みという。加工してるけど粗いやつが打込接ぎ。
興味を持っていただきありがたいです。
へぇ。石垣も奥が深いのねぇ。
切込接ぎは、登りにくいから防御力は高い。尤も登場してくる時代では大砲が出てきていたが……
切石積みたく、見た目綺麗な方が石の凸凹で噛み合ってないから強度が弱いのかな?
実際的な城としての機能が無いならデザイン統一しろよ…とは思ってしまう どうせ後付けなんだし
"平和な時代に見栄えの一点突破を目的として作られました" 身も蓋もない解説好き
現代の擁壁と同じで水抜きがないと崩壊しやすいからな。横に拡がろうとする力は土より水のほうが大きいから雨が降り地面に浸透すると土圧が上がり崩壊しやすくなるという原理。
江戸時代に作られて現在まで残っているのなら、少なくとも攻城戦なんかが存在しない環境においては、実用性に問題はないのでは。
平和になると実用性より見た目重視になっていくんだな。
ググれカスみたいなコメントが多くて、世の中厳しいなと思った。(注目して欲しくて、分からないフリをして投稿している可能性……)
理由を知ると面白いね〜!石垣を探してお城をウロウロしたくなっちゃう。
擁壁は水抜き穴がないと…
ひだりは穴太衆積み(あのうしゅうつみ)。滋賀県大津市坂本・穴太地区の石工集団によるもの(´・ω・`)
刀も実用品と美術品がありそうだし
英雄たちの選択「サムライたちの石垣大レース」をぜひ
目的が、攻城戦を想定した「集団として登らせない(個人単位で登るのはある程度許容)」から平時の「誰も登らせない」にシフトしたんじゃね感はある。
時代による変化なのか。
左の方が優れてるらしいけど、これ登ってこれない?戦以外の時の侵入のしにくさは右な気がする
ブラタモリで金沢城やった後に金沢城に行ったことがあって、これかぁってなりながら石垣見て回ったわ