訳しました~
社会学批判としては二十年以上前からある話だと思うんだけど、批判対象となってる社会学者の大半が進歩しなければ批判も進歩しない。
後半えらい面白いなw
社会学がイデオロギーの温床になってるって指摘はまじで的を射てるな
>問い詰められれば、フーコーはいつでも、この分析から規範的結論は導けないと認めただろうし、この意味での権力から私たちが自由になれるなどと考えるのはバカげていると主張しただろう。
論点1、2はまあいいとして3が問題。別に全ての個人的(道徳的・刑事的)責任を免責せよなどという社会学者はおらんでしょ。問題が複合的でそれだけでは解決できないというだけで。
手癖で書いているのか、最初にあったシュヴァリエの話がどう繋がっているのかわからず、また犯罪学の話も尻切れトンボなんだよな。もうちょっと推敲してほしい。
冒頭がウケるw生物学的な恒常性は日本では左派だと数十年機能してない気がするYO!なんなら自民がリベラル寄りに見える瞬間があるんじゃないかなー/左派側のベクトルの大きさが弱い…これは支持母体側の問題では?
「シュヴァリエは端的に言って狂人であり」民主党のこの候補をどうこう言うならあんな狂人を大統領にしている共和党をどうにかする批判をした方がいいのではないかね。
ヒースが述べる、社会学の話
社会学は学問の枠を超え、時には政治劇の舞台になるのですわね。
シュヴァリエは強制退去を一切認めない、刑務所の廃止、国境の存在すらも問題視している。学問上の問題意識を現実の政治に持ち込むので狂人扱いされている。もちろんこうした偏執症は彼女に限ったことではないが。
そりゃヒース自身が批判理論文脈だから。アクターネットワーク理論とかに広げてないからやん
社会学が巻き起こした混乱からも社会学的洞察は社会学者を免責することが可能なのだ!「俺達は無敵だ!無敵のコンビだぜ!」
最後尻切れトンボな感じがしてあれれってなったけど、ストローソンについて知ることができたのは収穫だった
DACは狂人と言ってのけるヒースのマッチョイムズ。社会要因と個人要因を対立のフレームに吸収させ、本来併存しケース毎に判定すべきと言えないのは、マンパワーの限界を自明視するGAIリテラシーの欠如した古い神の視点
なんか今更感あるなあ。単にブラウォイを引くだけではダメなんか?
実際の司法の現場ではそのような(広すぎる)免責を主張したりはしないようだ→「社会学的実践:刑事司法制度における専門家証人として」https://www.jurispro.com/files/articles/Yablonsky%20-Sociological%20Practice.PDF
ジョセフ・ヒース「なぜ社会学者は批判理論家を自任するのか?」(2026年7月4日)
訳しました~
社会学批判としては二十年以上前からある話だと思うんだけど、批判対象となってる社会学者の大半が進歩しなければ批判も進歩しない。
後半えらい面白いなw
社会学がイデオロギーの温床になってるって指摘はまじで的を射てるな
>問い詰められれば、フーコーはいつでも、この分析から規範的結論は導けないと認めただろうし、この意味での権力から私たちが自由になれるなどと考えるのはバカげていると主張しただろう。
論点1、2はまあいいとして3が問題。別に全ての個人的(道徳的・刑事的)責任を免責せよなどという社会学者はおらんでしょ。問題が複合的でそれだけでは解決できないというだけで。
手癖で書いているのか、最初にあったシュヴァリエの話がどう繋がっているのかわからず、また犯罪学の話も尻切れトンボなんだよな。もうちょっと推敲してほしい。
冒頭がウケるw生物学的な恒常性は日本では左派だと数十年機能してない気がするYO!なんなら自民がリベラル寄りに見える瞬間があるんじゃないかなー/左派側のベクトルの大きさが弱い…これは支持母体側の問題では?
「シュヴァリエは端的に言って狂人であり」民主党のこの候補をどうこう言うならあんな狂人を大統領にしている共和党をどうにかする批判をした方がいいのではないかね。
ヒースが述べる、社会学の話
社会学は学問の枠を超え、時には政治劇の舞台になるのですわね。
シュヴァリエは強制退去を一切認めない、刑務所の廃止、国境の存在すらも問題視している。学問上の問題意識を現実の政治に持ち込むので狂人扱いされている。もちろんこうした偏執症は彼女に限ったことではないが。
そりゃヒース自身が批判理論文脈だから。アクターネットワーク理論とかに広げてないからやん
社会学が巻き起こした混乱からも社会学的洞察は社会学者を免責することが可能なのだ!「俺達は無敵だ!無敵のコンビだぜ!」
最後尻切れトンボな感じがしてあれれってなったけど、ストローソンについて知ることができたのは収穫だった
DACは狂人と言ってのけるヒースのマッチョイムズ。社会要因と個人要因を対立のフレームに吸収させ、本来併存しケース毎に判定すべきと言えないのは、マンパワーの限界を自明視するGAIリテラシーの欠如した古い神の視点
なんか今更感あるなあ。単にブラウォイを引くだけではダメなんか?
実際の司法の現場ではそのような(広すぎる)免責を主張したりはしないようだ→「社会学的実践:刑事司法制度における専門家証人として」https://www.jurispro.com/files/articles/Yablonsky%20-Sociological%20Practice.PDF