Webデザイナーなんか、デザインカンプ上のコンポーネントを「この子」って呼んでますよ
思ってない。
勝手にレペゼン日本人すんなし
物は語るんだよ。英語でもmonologueと言うだろ(テキトー
偶像を崇拝するような奴らが何を言うのか笑
持ち主の情がうつり、それが凝って擬似魂になるイメージ
「将来救世主となる男の子をけがれを知らぬ処女が産んだ話、本当だと思ってるの?」くらいの愚問
そんなことは思ってないが、「そんなことは思ってない」と言い切るには我ながら不自然な行動をとっていることはままある。
私は物の扱い方が粗雑だからこそ、日本人は大なり小なり物に魂宿ってると思っているはずだ、と確信を持って言えるよ。何度、人生において、この件で人に怒られたり、注意されたりしたことか。
そんなわけないだろ。人に宿っていないのと同じで、物にもないよ。
長年乗った自動車を下取りとかに出す時に、なんか申し訳なくなる気持ちとか、アメリカには無いのか。
「本当に」をどのレベルに考えるか。私の場合は、実際に魂が宿っているかどうかに関係なく、宿っているかのように扱う。もしかしたら宿ることもあるかもしれない。ぐらいの感覚だろうか。
全員でないにしろ、少なくとも日本において、ものを情感として大切にしない振る舞いというのは行儀が悪いと見なされる可能性があるというのは分かる
トイ・ストーリー発祥の国なのに驚かれるのか
愛着はあるが魂と言われると違和感がある。使い込んだ物へ世話になったなぁみたいな感情を抱くのは一種の擬人化であってそこに魂を見出している訳ではないと思っている。
冬に、お米を米とぎスティックで洗ってたらお米が可哀想と言われて、人間よりもお米の魂を大切にする人までいるんだなって。
それがすばらしいかどうかはべつの話だけどたまに混ざってるね
十字架や聖書を踏みつけるのは何となく気が引ける感じが近いかなぁと思うけど、トイストーリーの方がわかりやすい人もいるのかな
それは人間には魂があるのか、人間と道具の違いは何かを問われる
アホくさい。アメリカ人でもバイクに名前を付けて可愛がってる人はいます。偏見を広めないでくれ。
「魂が宿る」の意味よ。物が自意識を持つと思うか、と言われればNo。そのように振る舞うことがあるかと言われればYesだが、魂が宿っているという理由からそう行動している訳ではない
それ聞いてくるアメリカ人の人に逆に聞きたいのは、亡くなった人の遺体をごみ箱に捨てることができる?ってこと(007の映画にそういう場面があった)
日本人のそれはモノ全体への敬意をうっすらと表してる。対してアメリカ人も自分の車に名前をつけたりして、それぞれでの個別の愛着はある。なんなら日本人よりも愛着で言えば強い。
お米に7人の神様がいるとは思っていないけど米つぶをムダにしたくないってかんじ。
アニミズムは「人間と人間以外は基本同格」という思想だと思う。私に魂があるなら私以外にも魂があるかもしれない、である。
キリスト教の魂と神道の魂を同じ言葉で議論してたのでは
まあ確かに長年使ってきた物捨てるときは手を合わせるよな。魂というか人格?
魂が宿ってるという具体的イメージはないが、身体の延長な感じかな。人のもの壊して新品渡して許されても気分は晴れない。危害加えたに準じる感覚がある
そうね。物を捨てるときに「今までありがとう」とは言うね。ウチの奥方も、タオルを処分する前に洗ってから捨てる、みたいなことしてるし。感謝の気持ちだそうだ。
アメリカ人は「クリスティーン」をどう受け取ってたんだ?
そういう人もいるかもなぐらいの感覚。物を大事にしろというのは昔の豊かでなかった頃の価値観が続いてるだけやで。「もったいない」も同じ
山川草木悉有仏性、草木国土悉皆成仏。
捨てるペットボトルに対しても慈悲があるというならホンモノだと思うけど。もちろん物は大事にすべきですが。
意識における神の重要度が違いすぎるので、一神教の人が考える「神」だと思われたら違うわな。フェアリーくらいだよ。
食べ物を粗末に扱って遊んでるように見えるテレビ番組にはイラっとするかな。先祖が敗戦後に苦労したからだろうと思ってる。
「西洋」でも船とかは明確に she / her で呼ぶし、動物に魂があるかは延々と議論があるし、普通に「母なる自然」みたいな概念はあるが、そういう話ではないのだよな。むしろ日本人はヒトに魂があると思ってるのだろうか
習慣として物は大事にするけど魂が宿ってるとはちょっと違うんじゃないかなぁ
もうそろそろアメリカ人もAIに魂があるって言い出すんじゃないかな。
アニミズムが意外に廃れてない要因は気になる。
個人的な理解をいえば、夢枕獏さんがいうところの呪のようなもの
単に「愛着がある」を「魂が~」とか言うのは違うんじゃね?みたいな意味では? それ魂だからかと言われると違う気はする。
一神教とか意味わからんしな。
たしかにアメリカ人でも、船とか戦闘機とかだと、彼とか、相棒とが呼んだりするイメージがあるので、その解釈が全物品と食べ物に及んだ感じとかが近いのかな。
付喪神の事を指しているのかもしれないが、それ以前に日本人には「あらゆるものに感謝の念を持つ」という独自の美徳、道徳観がある。点をまずは説明しないといけない。愛刀や野球のバットとかわかってもらえるかも。
逆に言えば、ヒトを特別視していないということかと。いろんな宗教が雑然と混ざった結果なのかもしれないが。
よくメルカリに供養に出してます
青バッヂ
人間が感じる人以外の存在への自然に愛着を、そう言い表すこともある。魂、神、霊、名前はなんでもいい。そこを理性でこだわってもしかたない。そこらへんの感性が合わない人たちどうしの意思疎通はむずかしいですね
アミニズムというよりもっと単純に擬人化とかキャラ化するのが以上に好きな国民性なのよ。
バソコンに名前をつける文化はアメリカから来たもんだと思ってたけど。 船にも名前つけるよねイギリス人。所詮共感性の個人差の話だと思ってる。そもそも理解できなきゃ攻殻機動隊やデトロイトが流行らんだろ
自分の持ち物を、つい「この子」と言っちゃうことあるな〜。
愚かな質問。人間も自然の中の「物」の一種として特別扱いしていないだけ。彼らが真に人類学の徒なら逆に「私はなぜ『人間だけが選ばれて魂をもつ唯一の特別な存在』などと信じているのだろう?」と問うべき。
なんで物を大事に扱うことが、魂があると見なすことになるのか分からない
信仰とまでは言えないフィクションとしての選好みたいなものはあるよな。欧米でも悪魔がどうとか、幽霊がどうとか、信じてるわけではないが日常の中で折りに触れ話題に入り込む、みたいな。
アメリカ映画でもモノに対して「よーし、いい子だ!」てやってると思うけど。
物にテプラ貼っとけばOK。「魂入り」「魂無し」とか。それで魂が宿る。
触ったものに「ときめき」で捨てるかを選ぶ、こんまりメソッドにドハマリしたアメリカ人がよくゆう
いや、トイ・ストーリー以外でも車が魂を持つ映画のクリスティーンとかもあるが
よその国の人はほんとに全く毛ほどもそういうこと思わないの?と疑問がわくくらいには、ちょっとはあるよね。愛着にはえた毛くらいのものだけど。ものに対する愛着は万国共通よね…?
靴紐が切れたら不吉とか思うアメリカ人はいなかったんだ。良かった。
古民具の展示で、古い使い込まれた櫛を見て「ヒィーッ」ってなったのと(ほぼ)同じ。たぶん。
○○「お前らの信仰するマリア像って魂が宿ってんの?」
別に思ってないけど普段から物を大切にするという習慣を身につけると物が長期間使える事になってトータルで得をするという思いはある
魂ってものへのとらえ方が違うんじゃないかな?キリスト教だと神に与えられた聖なるもので、日本だとアニミズム的なある種自然発生するもの、って印象がある
魂が宿っていると素直に信じてる人は少ないだろうけれど、魂があるかのように扱うことに違和感がない人も多いと思う
「アメリカ人って最後の審判とか本当にあると思っているの?」並に雑な物言い
日本人でも魂が宿っていると考えている人は少ないと思われる 最初の例は土足文化ではないからモノを地べたに置くのに抵抗があるだけかと 付喪神は魂がないモノが長年使うと魂が宿るという考え 海外でも(文字数
“対面して質問された時ってそれがバカにするための質問なのか、純粋な質問なのか、マジですぐ分かるしね。” SNSに欠けてるものだな
その物に何かが宿るというよりは、その物にどういう行動をしたかという意味で、自身の行動がいずれめぐりめぐるという因果応報ということは意識するのだと思う
海外でも勝手に動く人形とか甲冑とかあるような。取り憑くと宿るの扱いが違うのかな。神の加護とかも降りるイメージがあるし。日本の魂が宿るはその物の中に命(意思)が宿るイメージ。トイストーリーはそれかな?
キリスト教文化だと、万物は神から人間に与えられたものなので、全てが人間の支配下にあるという思想。日本とは根本的に違う
これまでの良く躾けられた日本人の話でしかない。粗雑な振る舞いを粗雑であると認識するには教育が必要。躾を放棄した将来世代には伝わらないしバカにされるだけだよ。
そもそも「魂」が便宜的なもので、実際にあるかどうかの問題ではないというのがある。生き物にだって魂があるかは分からないけれど、あるとして扱ったほうが都合がいい。同様に器物にも。
教科書を床に置くのを躊躇するのは踏まれるとか、汚れてしまうと、それを触るのが嫌だとか、そういう理由からではないかと思った
慣性で宗教の死骸に振り回されてるだけとも言える。信仰は死に迷信だけが残った
魂の定義から始める必要がある
ブクマカは米や星に魂が宿ると信じてるらしい
別に物に魂があるとは思ってない。対象が人間かどうか、あるいは生物かどうかにかかわらず、すべての存在に愛と敬意を持ってるだけです。
信仰の対象が違うからね。唯一神じゃなくて万物なんだよ。理解するのではなく、別の価値観があると考えてもらうしかない。
「部分的にそう」「そうだとは言い切れない」を巧みに使いこなして、アルカイックスマイルを浮かべればええ
こんまりが米国で流行った根底として、日米でのものに対する思いの差はありそう。
物に魂が宿っていることと(物を大事にする)、教科書を床におくのは汚いのでしない(穢れ思想)は微妙に違う気もするけどまとめて物に魂でいいのかな
欧米ファンタジーで喋る剣とか、精霊の加護付きの剣とかでてくるので、割とあっちでもあるある概念じゃねーの?
物を粗末に扱ったり物に当たったりはしないけれど、魂が宿っているという認識ではない。パソコン等の調子が悪いと「頑張れ」と応援はするので、擬人化はしているかもしれない。擬人化は魂と言えるのだろうか。
物に魂なんかないが、その物と過ごした記憶が自分の中にあるから粗末には出来ないよね
キリストが起こした奇跡を信じるか?という質問と同じで、現代人としては別に信じてはいないけど、そうした考えを前提とした振る舞いをすることは文化的に浸透してるよね。
そうだね。人形供養もうちの神社の収益源ゆえ。
攻殻機動隊がそう言う話だな
俺はなんもないけどそう思う人もいるのはわかる程度には身近な話ではある
本を床に積まない人っているの?
コミュニケーションの一例の紹介に、「愚かな質問」とか上から目線のブコメはなんなんだろう
モノを大事にすると買い替えのタイミングが長くなり、金持ちにはなる。稀に20年使い倒したストーブが新品になったりもする。一方で最新の技術に疎くなるし、流行遅れでイケとらん感じになる。
間をとって、ソウルは宿らないけどスピリットは宿るってことで。
「キリスト/イスラム/ユダヤ教徒って、本当に宇宙は神が造ったと思ってんの?人類は神に愛された特別な生き物だと思ってんの?死後に天国や地獄があると信じてるの?」
踏み絵はアメリカ人に十字架とかキリスト像とかを踏ませればいいんじゃないの
子供の人形や物への愛着と同じことでは?変に宗教と絡めて考えるから面倒になる。
米国人の気持ちはよくわかる。俺も90年代に米国人の女性宣教師に「あなた方ってイエスが生き返ったのは事実だと本当の本気で心底から信じてるんですか?」と真顔で訊いたよ。答えは「当然です(真顔の笑顔」だった。
日本人であれば「畏れ」はある程度持っていると思う。因果応報、バチに当たる的な。 まぁそういうのを信じない信条みたいなを持つ方々もいますが、逆張りしている時点で無影響ではないのではないかな、と。
岩とか古木にしめ縄してあったら、侵してはいけない存在ですよね。自分の車とかにも長く使ってると宿るよね。長生きした鯉がいたら、川の主ですよね。
アメリカ人だって無宗教を自称してても大抵はキリスト教的価値観を抱いて生きてる。そういうもんだ
供養ってどちらかというとRequiem(鎮魂)的な儀式だと思ってた。
物を大切に出来ない人はヒトも大切にできない、みたいな言説、色々考えると謎なんだけど日本では通るもんね。文化というかOSというか、なんだろう
「山川草木悉皆成仏」の由来が宮沢賢治だとする説。https://ihatov.cc/blog/archives/2020/03/post_959.htm https://ihatov.cc/blog/archives/2020/05/2_58.htm
そういう意識が根付いている。
擬人化するのが得意なのでは?
そもそもが「わたしの他にも(わたしに似たような)人間がいる(直接見えはしないが地球のうらにも『生活』がある」は信仰の領域でしかない。信仰ぬきに(無神論では)世間は成立しえないので
私はAIにも敬意を払います。
>針供養がある。人形供養もある。使えなくなった包丁を供養する人もいる。/ そして家畜や害虫ですら供養するものな、この国。
海外系の車の番組見てると、長年愛していた車をちゃんと使ってくれる人に売りたいとかそんな話あるから、日本人に限ったことじゃないんじゃなかろうかって思うよね。
人間の身体に魂があるとして、死んだら単なる物。
アニミズムなんて別に日本固有のものでもないだろ。なんなら一神教は汎神論に繋がるから全く共通項が無いものでも無い
神は細部に宿るってのと似たようなものか
そんなこと思ってねえよ。ところで私のPCが今日は「機嫌が悪い」です。
日本人だって、なんとなくそんなものだろうという、ふわっとした認識だし。魂を持っているのは人間のみという宗教を信じている、もしくはそういう宗教からの影響から免れない人種には理解できない考え方だろうに。
長年大切に使ってれば「愛着が湧く」し米粒一粒でも「勿体無い」と思う。「八百万の神」のように魂の有無を一つ一つに感じてはないが「擬人化」はしがち。小さな物も「大事にする」。「お天道様」が見てるしね
それは清潔感だろ
基督教圏は契約と罰で人の道を説くのに対して、日本とかは信頼と感謝(見返り)で人の道を説く傾向があるよね。それが長じた結果、物に神が宿る。
ものに愛着が湧くことに「神性」を感じるは確かに一神教の教えだと違和感があるのかも。それは神様からの愛ではなく人の愛着でしょう?みたいな。
うーん。近年欧米の人類学シーンは存在論的展開とプルリバースなんて屈折した魔球を開発してまで、脱人間中心、脱文明段階発展説、脱西洋近代史観をごちゃごちゃしてるわけだが。
比較文化学の授業は面白かったな。
付喪神も、一定の人倫を備えているが必ずしも人格神じゃないよな。「人倫の可視化であり必ずしも人格神ではない。儀礼の一種」と説明すれば西洋人にも理解できるのでは。悪魔的全身ではなく人間の部分の鏡像とかでも
付喪神もいるしね
大切に想ってるその意識が宿らせてるように思うよ。
物を粗末に扱ってはいけないって感覚があるだけで、物に魂が宿ってるから大切にしてる人は居ないでしょ。/私はずっと日本の湿気の高い日本の気候が影響しているのではと思っている。適当に扱ってると、汚れたり、カ
平将門首塚には魂が宿っているかと言われるとYESと言ってしまうが、他はどうだろう。あんまりないかもしれない。
そもそも生き物にも魂はなくて、信じてる人の概念や意味付けでしかないんだから、物と同じだと思う。
それを言ったら、生き物だってものと同じく分子や化合物の集まりなわけで、物と生き物をどこで区別してるのかの線引きの問題でしかない
どうなんだろう。個々人で認識はかなり違うと思う。現に万物に魂が宿るとした場合、ごみ捨てはどう解釈してるのだろう。例えば「ボールは友達」と言いながら、サッカーボールを思いっきり蹴りつける行為は?
魂が宿ってるとかはないかな。魂が宿ってなくても大事にしたり愛着持ったりするし。架空のキャラクターが好きな人もたいていは魂が宿ってるとまでは思ってないだろうし、魂が宿ってなくても好きだろうし。
本を床に置いてて踏んだりしたら非常に申し訳ない気持ちにはなるけど西洋人とかもそれはないの?
逆に、日本意外は例で上げられてる事に対する感情は無なのか聞きたい。一定モノを大事にする人なら、人形に対してありがとうとか、今までありがとうとか思うような。だからこそ、こんまりが流行ったのでは?
日本って湿気多くてモノを雑に扱うとすぐ劣化するじゃない?食べ物もその辺放置してるとすぐ腐る。だからモノには魂やら神様やらが宿ってるとイメージして、大切にして身を守る文化ができたんじゃないかなと
魂が宿るって英語でなんて言うんだろう?have soul?
魂など信じてはいないけど誰かが作った物に対する敬意みたいな物はある。食べ物も道具も大抵誰かの手を介してるし
ネガティブな面にも言及すると「穢れ」の概念もこれに通ずると思う
日本語だと「物」と「者」は同じ音だから話し言葉で区別できないけど、英語の Object(物・客体・目的語)という言葉の冷たさは半端ない。Object はあくまでも主語のアクションの「対象」なのだ
物に魂が宿るというのは個人的にはそうだと思っているが、日本人特有か?はよくわからない。
( 米国人のくせに偉大なスティーヴン・キングの『クリスティーン』を読んだことない大学生は度し難いな )
アメリカ人が考える「魂が宿ってる」と日本人が考える「魂が宿ってる」は、微妙に違いがありそう。
ハリウッド映画「よーしいい子だ」カチャカチャカチャ ッターーン
ケースバイケースではあると思うけど。割と気に入ったものには挨拶やお礼したり謝ったりはする。魂なのかなどうかな
えーオレ呼んでない > デザインカンプ上のコンポーネントを「この子」
新大陸で合理主義でアメリカ人も物に愛着はあると思う。日本ではあれが長い村社会・土着文化の中で擬人化されたのではないか。それをモノノケ・魂とよんでいるのでは。
あれ?その人達はもしかして「踏み絵」って言われても何のこっちゃか?って感じなのかな。それとも急に怒りだすのかな。根は同じじゃん。
soulってかspiritのほうが近い?
友人が好きだとわかってるものがあるとする。それをあなたが壊せない理由はそれに彼の魂(感情)が延長して乗っかっていると感じているからだよ。アミニズムは魂が肉体からはみ出ていて自他の境があいまいなんよ
人は信じるものを現実として見るから、人の意識がモノに魂を見るってことやろな。そういう意味では人が魂を見るモノはすべて呪物。
「物に魂が宿る」に関しては、理性と感情では違う見方になる。どちらも本当の自分の考え。そう考えると、彼らにとって聖書の記述は、理性と信仰では別の解釈なのだろうな。
逆にメリケン人らは人に魂が宿ってるなんて思ってるの!?
人形を粗末に扱える民族いるのかな。
これ、我々がそう思ってるというより文化や考え方に埋め込まれてる感じなんだよね。言霊という概念をイメージしやすいとかね。/逆に言うと、我々魂に意思が必須要件とは思ってなかったり。
木の棒に名前をつけるとかさ
ピンとこない。思っていないのではないだろうか。
根源的なところでは『『竈神と厠神 異界と此の世の境』(飯島 吉晴)』が考察してるように現し世と異界という意識があってモノの魂魄も異界に通じるんだろうね。モノを粗末にして祟るのは異界・異形を連想させるから
中国人って本当に「アイヤー」って言うんだ、に似た精神。
近代以降とはいえ魂やカミの捉え方が根本的に違うので平行線だろうな
日本人は「無宗教」を自認してるけど、たとえば炊き立てのご飯を踏みつけてみろと言われて抵抗があるのはそれは宗教的忌避感なんだよな。自覚してないだけで宗教的ではある。
宗教(特定の教えや集団みたいな枠組み)ではなく信仰(心のあり方)って感じなんだよなこの辺
海軍の軍人は軍艦のことを彼女って呼ぶよね。アメリカ発祥の習慣かは知らんけど
物への向き合い方なんだろうな。
アメリカでも一神教圏でも、ぬいぐるみや人形などを燃やしたりズタズタにするのは嫌な人は多いのでは?魂が自律的な心を指すならそれはないとも思うけど。
フネが女性名詞だから彼女だったはず。愛機とか愛用の道具とか魂の有無はともかく「相棒」という感覚は世界共通だと思うけど
『「将来救世主となる男の子をけがれを知らぬ処女が産んだ話、本当だと思ってるの?」くらいの愚問』上手い切り返しだと思ったんかな。信じてるから信者って言うんだよ。あっちは信仰として確立。日本は自覚がない。
AIの説明の時にこの説明が良く伝わる。『精巧な仏像や地蔵に魂や意思がある様に見えますよね。AIのLLMは次の言葉を予測する機能ですが意思がある様に見えるだけです。木や石と半導体は同じ物質でどちらも無機物です』
人間や動物にだけ魂的な何かが宿ってるというのは人間(生物)中心的すぎる。どんなものにもある(アニミズム的)か、魂なんてものは人間にさえ無い(唯物論)か、どちらかのほうが妥当性がある。
ここたまの中ではおシャキが好きです。
日本語の“魂”に相当する英語ってあるのかな。何を使って会話したのだろ
車なんかは顕著だけどこれまで使ってきた思い出がよぎって…の延長なんじゃないか。個人差はあるが。俺はバスタオルや服なんかには全く感じないけど。
日本の魂 ≠ 英語の soul ≠ 古代ギリシャの psyche ≠ 中国の魂魄 ≠ インド思想の ātman (via GPT)
アメリカ人だって逃げ出す時に乗り込んだ車のエンジンが掛からなければ、「カモーン!お願い!いい子だから!!」と無機物に話しかけてる。予測困難な物体や事象に人格を見い出すのは人類共通。
愛車を売っぱらうとか下取りに出すとかの時、あちらの方々はドナドナを思わないん?
モッタイナイよりコンマリが受けた理由だよ
日本刀とか技術を究めた物に対しても魂が宿るというが、コレも厳密には意味が違うと思う。魂というハイコンテクストな言葉に統合されてしまった。
船を「she」と呼ぶ国のひとにとやかく言われたくないな
魂の定義によるやろな。魂をスピリットだと考えると、宿ってない気もする。日本の神社の御神体ってだいたい物だしな。銅鏡だったり刀だったりやん。石の場合は意思と発音が同じやから、言霊的な意図はあるかもね。
20年使った冷蔵庫を捨てるのにはかなり躊躇した。
「日本人は「無宗教」を自認してるけど、たとえば炊き立てのご飯を踏みつけてみろと言われて抵抗があるのはそれは宗教的忌避感なんだよな。 」 そんなわけないだろ。道徳を宗教が独占しようとするからそうなる。
名前をつけていた自転車は二度盗まれたが二度とも手元に戻ってきたし、モノが無くなったらハサミを逆さ吊にして「ナイナイの神様、〇〇を見つけてください」って唱えると、割とすぐに見つかったりする。こゆコトよな
聖遺物とか形見とか愛用品みたいな感覚は普通に向こうもある。だから日本は『特別な物』に対する感度が高くて、それを丁重に扱うことを善とする文化なんだよ、という感じで説明するのが良さそうかなと思った。
日本刀は作り手と使い手だった者の魂が込められていると思い込むとパワーアップするからね
「ここにキリストの絵を置くだろ? 踏んでみろよお前」
物に魂が宿るというより、日本人は万物を擬人化する変態と言う方が正確なのではないか。
id:BigWhiteDog シンプルにもったいないからやろ笑 どんな食材でも踏みつけるのは抵抗感あるわ笑笑
これを理解できない奴らが日本の文化に入り込んでくるのが移民。どうなるかわかるだろ
物に対する敬意かな
アニミズム、西洋人でも例えばポケモンにハマれる人ならなんとなく理解出来る感覚なのでは。それに限らず日本産コンテンツは何かとその要素が練り込まれがち。欧州でも精霊信仰のあるエリアもあるし。
日本は地形や気候、稲作文化から注意観察すべき対象がかなり多かったのだと思う。それぞれの状態を観察する際に擬人化が行われ、これがアニミズムになる。アニミズムがアニメを育んだと考えると面白いね。
そもそも「魂」の理解も違ってそう。枯山水や禅をチラッと見て、Japanese soul だとか何とか言って大騒ぎしたり、変にハマったりしてて、何か根源的なとこで、彼らの感じ方に対して違和感はあるなあ。
そもそも異なる文化圏で「魂」のニュアンス共有できてないだろうしなんとも。まあ試合中にテニスラケット破壊してアンガーマネジメントとか言ってんのはすげ~やだなーとは思うけど。道具を大事に食べ物を大事に
そこにー私はーいません♪
日本人だったらわかるでしょ的な共通感覚を疑わない人って、同質性の強いホモジーニアスな地域で生まれ育った人なのだろうか、、
踏み絵とトイストーリーは確かにアメリカでも理解されそう。結婚指輪とかでも同じ商品の別リングと交換出来るかとか色々気持ちがこもったプレゼントとか同じく理解してもらえそうだけれども
勿体ないの根源ではあると思って生きていたけど、断捨離Rのせいかおかげか、捨てても恨まれたりはしないし、成仏もしてなくて、勝手に固執してただけと気づく。
魂って人格とかじゃくて神性を帯びるみたいな・・・いや一神教にはピンと来ないかそもそも
(オカルト的に)物に魂が宿ってると思ってるの?って質問なんだろうな。
つちくれに息を吹き込んで作られたのがアダムなんじゃなかったっけ? その肋骨から生成されたのがイブなんじゃなかったっけ?
日本人が特殊でモノにまで魂を感じているのではなく、西洋人が人間(私)を絶対的主体扱いして環境を絶対的客体扱いしているほうがおかしいんだよ。彼らの特殊な一神教的二元論だよ。
これ逆に、「魂」の概念が同じでない可能性を感じたり | 「霊的実存をもち得る存在」として世界に配置されるものは世界観によって違ってくるねって話をチャッピーとして面白かった。
欧米人でもペットロボとかには感情移入するんじゃないかな。人形に魂とかはそことグラデーションだと思う。まあでも無生物主語(it)みたいな概念がある時点で文化的に大きな乖離がある気はする
長く使うものに限るよね。コンビニ弁当のプラパックや割り箸にそんなことは思わない🤔
そう信じている、というよりは、そういう概念を前提に行動することで結果的に物を大切に出来たり、周りに対して親切になったりして合理的でメリットがある、ということをなんとなく理解してる感じなんじゃないかな。
だから、アメリカ人の作るクルマはイタリアのフェラーリ、ドイツのポルシェ、フランスのブガッティとか魅力が突出したクルマが無いのかもな。
物に魂があると、人も魂があるので物と同じで、人の命の重さは物と同等ということになるので切腹とか気軽にした理由かもしれない。意外と危険な思考です。そこまで真剣に物に向き合う点で魅力的な考えでもありますが
おそらく日本人はDNAレベルで「もったいない教」に入信してるんでその影響
アメリカの大学で人類学専攻中に「日本人って本当に、物に魂が宿ってると思ってんの?」と質問され、具体例を示して説明…理解できない人や納得の人も→様々な考察が集まる
Webデザイナーなんか、デザインカンプ上のコンポーネントを「この子」って呼んでますよ
思ってない。
勝手にレペゼン日本人すんなし
物は語るんだよ。英語でもmonologueと言うだろ(テキトー
偶像を崇拝するような奴らが何を言うのか笑
持ち主の情がうつり、それが凝って擬似魂になるイメージ
「将来救世主となる男の子をけがれを知らぬ処女が産んだ話、本当だと思ってるの?」くらいの愚問
そんなことは思ってないが、「そんなことは思ってない」と言い切るには我ながら不自然な行動をとっていることはままある。
私は物の扱い方が粗雑だからこそ、日本人は大なり小なり物に魂宿ってると思っているはずだ、と確信を持って言えるよ。何度、人生において、この件で人に怒られたり、注意されたりしたことか。
そんなわけないだろ。人に宿っていないのと同じで、物にもないよ。
長年乗った自動車を下取りとかに出す時に、なんか申し訳なくなる気持ちとか、アメリカには無いのか。
「本当に」をどのレベルに考えるか。私の場合は、実際に魂が宿っているかどうかに関係なく、宿っているかのように扱う。もしかしたら宿ることもあるかもしれない。ぐらいの感覚だろうか。
全員でないにしろ、少なくとも日本において、ものを情感として大切にしない振る舞いというのは行儀が悪いと見なされる可能性があるというのは分かる
トイ・ストーリー発祥の国なのに驚かれるのか
愛着はあるが魂と言われると違和感がある。使い込んだ物へ世話になったなぁみたいな感情を抱くのは一種の擬人化であってそこに魂を見出している訳ではないと思っている。
冬に、お米を米とぎスティックで洗ってたらお米が可哀想と言われて、人間よりもお米の魂を大切にする人までいるんだなって。
それがすばらしいかどうかはべつの話だけどたまに混ざってるね
十字架や聖書を踏みつけるのは何となく気が引ける感じが近いかなぁと思うけど、トイストーリーの方がわかりやすい人もいるのかな
それは人間には魂があるのか、人間と道具の違いは何かを問われる
アホくさい。アメリカ人でもバイクに名前を付けて可愛がってる人はいます。偏見を広めないでくれ。
「魂が宿る」の意味よ。物が自意識を持つと思うか、と言われればNo。そのように振る舞うことがあるかと言われればYesだが、魂が宿っているという理由からそう行動している訳ではない
それ聞いてくるアメリカ人の人に逆に聞きたいのは、亡くなった人の遺体をごみ箱に捨てることができる?ってこと(007の映画にそういう場面があった)
日本人のそれはモノ全体への敬意をうっすらと表してる。対してアメリカ人も自分の車に名前をつけたりして、それぞれでの個別の愛着はある。なんなら日本人よりも愛着で言えば強い。
お米に7人の神様がいるとは思っていないけど米つぶをムダにしたくないってかんじ。
アニミズムは「人間と人間以外は基本同格」という思想だと思う。私に魂があるなら私以外にも魂があるかもしれない、である。
キリスト教の魂と神道の魂を同じ言葉で議論してたのでは
まあ確かに長年使ってきた物捨てるときは手を合わせるよな。魂というか人格?
魂が宿ってるという具体的イメージはないが、身体の延長な感じかな。人のもの壊して新品渡して許されても気分は晴れない。危害加えたに準じる感覚がある
そうね。物を捨てるときに「今までありがとう」とは言うね。ウチの奥方も、タオルを処分する前に洗ってから捨てる、みたいなことしてるし。感謝の気持ちだそうだ。
アメリカ人は「クリスティーン」をどう受け取ってたんだ?
そういう人もいるかもなぐらいの感覚。物を大事にしろというのは昔の豊かでなかった頃の価値観が続いてるだけやで。「もったいない」も同じ
山川草木悉有仏性、草木国土悉皆成仏。
捨てるペットボトルに対しても慈悲があるというならホンモノだと思うけど。もちろん物は大事にすべきですが。
意識における神の重要度が違いすぎるので、一神教の人が考える「神」だと思われたら違うわな。フェアリーくらいだよ。
食べ物を粗末に扱って遊んでるように見えるテレビ番組にはイラっとするかな。先祖が敗戦後に苦労したからだろうと思ってる。
「西洋」でも船とかは明確に she / her で呼ぶし、動物に魂があるかは延々と議論があるし、普通に「母なる自然」みたいな概念はあるが、そういう話ではないのだよな。むしろ日本人はヒトに魂があると思ってるのだろうか
習慣として物は大事にするけど魂が宿ってるとはちょっと違うんじゃないかなぁ
もうそろそろアメリカ人もAIに魂があるって言い出すんじゃないかな。
アニミズムが意外に廃れてない要因は気になる。
個人的な理解をいえば、夢枕獏さんがいうところの呪のようなもの
単に「愛着がある」を「魂が~」とか言うのは違うんじゃね?みたいな意味では? それ魂だからかと言われると違う気はする。
一神教とか意味わからんしな。
たしかにアメリカ人でも、船とか戦闘機とかだと、彼とか、相棒とが呼んだりするイメージがあるので、その解釈が全物品と食べ物に及んだ感じとかが近いのかな。
付喪神の事を指しているのかもしれないが、それ以前に日本人には「あらゆるものに感謝の念を持つ」という独自の美徳、道徳観がある。点をまずは説明しないといけない。愛刀や野球のバットとかわかってもらえるかも。
逆に言えば、ヒトを特別視していないということかと。いろんな宗教が雑然と混ざった結果なのかもしれないが。
よくメルカリに供養に出してます
青バッヂ
人間が感じる人以外の存在への自然に愛着を、そう言い表すこともある。魂、神、霊、名前はなんでもいい。そこを理性でこだわってもしかたない。そこらへんの感性が合わない人たちどうしの意思疎通はむずかしいですね
アミニズムというよりもっと単純に擬人化とかキャラ化するのが以上に好きな国民性なのよ。
バソコンに名前をつける文化はアメリカから来たもんだと思ってたけど。 船にも名前つけるよねイギリス人。所詮共感性の個人差の話だと思ってる。そもそも理解できなきゃ攻殻機動隊やデトロイトが流行らんだろ
自分の持ち物を、つい「この子」と言っちゃうことあるな〜。
愚かな質問。人間も自然の中の「物」の一種として特別扱いしていないだけ。彼らが真に人類学の徒なら逆に「私はなぜ『人間だけが選ばれて魂をもつ唯一の特別な存在』などと信じているのだろう?」と問うべき。
なんで物を大事に扱うことが、魂があると見なすことになるのか分からない
信仰とまでは言えないフィクションとしての選好みたいなものはあるよな。欧米でも悪魔がどうとか、幽霊がどうとか、信じてるわけではないが日常の中で折りに触れ話題に入り込む、みたいな。
アメリカ映画でもモノに対して「よーし、いい子だ!」てやってると思うけど。
物にテプラ貼っとけばOK。「魂入り」「魂無し」とか。それで魂が宿る。
触ったものに「ときめき」で捨てるかを選ぶ、こんまりメソッドにドハマリしたアメリカ人がよくゆう
いや、トイ・ストーリー以外でも車が魂を持つ映画のクリスティーンとかもあるが
よその国の人はほんとに全く毛ほどもそういうこと思わないの?と疑問がわくくらいには、ちょっとはあるよね。愛着にはえた毛くらいのものだけど。ものに対する愛着は万国共通よね…?
靴紐が切れたら不吉とか思うアメリカ人はいなかったんだ。良かった。
古民具の展示で、古い使い込まれた櫛を見て「ヒィーッ」ってなったのと(ほぼ)同じ。たぶん。
○○「お前らの信仰するマリア像って魂が宿ってんの?」
別に思ってないけど普段から物を大切にするという習慣を身につけると物が長期間使える事になってトータルで得をするという思いはある
魂ってものへのとらえ方が違うんじゃないかな?キリスト教だと神に与えられた聖なるもので、日本だとアニミズム的なある種自然発生するもの、って印象がある
魂が宿っていると素直に信じてる人は少ないだろうけれど、魂があるかのように扱うことに違和感がない人も多いと思う
「アメリカ人って最後の審判とか本当にあると思っているの?」並に雑な物言い
日本人でも魂が宿っていると考えている人は少ないと思われる 最初の例は土足文化ではないからモノを地べたに置くのに抵抗があるだけかと 付喪神は魂がないモノが長年使うと魂が宿るという考え 海外でも(文字数
“対面して質問された時ってそれがバカにするための質問なのか、純粋な質問なのか、マジですぐ分かるしね。” SNSに欠けてるものだな
その物に何かが宿るというよりは、その物にどういう行動をしたかという意味で、自身の行動がいずれめぐりめぐるという因果応報ということは意識するのだと思う
海外でも勝手に動く人形とか甲冑とかあるような。取り憑くと宿るの扱いが違うのかな。神の加護とかも降りるイメージがあるし。日本の魂が宿るはその物の中に命(意思)が宿るイメージ。トイストーリーはそれかな?
キリスト教文化だと、万物は神から人間に与えられたものなので、全てが人間の支配下にあるという思想。日本とは根本的に違う
これまでの良く躾けられた日本人の話でしかない。粗雑な振る舞いを粗雑であると認識するには教育が必要。躾を放棄した将来世代には伝わらないしバカにされるだけだよ。
そもそも「魂」が便宜的なもので、実際にあるかどうかの問題ではないというのがある。生き物にだって魂があるかは分からないけれど、あるとして扱ったほうが都合がいい。同様に器物にも。
教科書を床に置くのを躊躇するのは踏まれるとか、汚れてしまうと、それを触るのが嫌だとか、そういう理由からではないかと思った
慣性で宗教の死骸に振り回されてるだけとも言える。信仰は死に迷信だけが残った
魂の定義から始める必要がある
ブクマカは米や星に魂が宿ると信じてるらしい
別に物に魂があるとは思ってない。対象が人間かどうか、あるいは生物かどうかにかかわらず、すべての存在に愛と敬意を持ってるだけです。
信仰の対象が違うからね。唯一神じゃなくて万物なんだよ。理解するのではなく、別の価値観があると考えてもらうしかない。
「部分的にそう」「そうだとは言い切れない」を巧みに使いこなして、アルカイックスマイルを浮かべればええ
こんまりが米国で流行った根底として、日米でのものに対する思いの差はありそう。
物に魂が宿っていることと(物を大事にする)、教科書を床におくのは汚いのでしない(穢れ思想)は微妙に違う気もするけどまとめて物に魂でいいのかな
欧米ファンタジーで喋る剣とか、精霊の加護付きの剣とかでてくるので、割とあっちでもあるある概念じゃねーの?
物を粗末に扱ったり物に当たったりはしないけれど、魂が宿っているという認識ではない。パソコン等の調子が悪いと「頑張れ」と応援はするので、擬人化はしているかもしれない。擬人化は魂と言えるのだろうか。
物に魂なんかないが、その物と過ごした記憶が自分の中にあるから粗末には出来ないよね
キリストが起こした奇跡を信じるか?という質問と同じで、現代人としては別に信じてはいないけど、そうした考えを前提とした振る舞いをすることは文化的に浸透してるよね。
そうだね。人形供養もうちの神社の収益源ゆえ。
攻殻機動隊がそう言う話だな
俺はなんもないけどそう思う人もいるのはわかる程度には身近な話ではある
本を床に積まない人っているの?
コミュニケーションの一例の紹介に、「愚かな質問」とか上から目線のブコメはなんなんだろう
モノを大事にすると買い替えのタイミングが長くなり、金持ちにはなる。稀に20年使い倒したストーブが新品になったりもする。一方で最新の技術に疎くなるし、流行遅れでイケとらん感じになる。
間をとって、ソウルは宿らないけどスピリットは宿るってことで。
「キリスト/イスラム/ユダヤ教徒って、本当に宇宙は神が造ったと思ってんの?人類は神に愛された特別な生き物だと思ってんの?死後に天国や地獄があると信じてるの?」
踏み絵はアメリカ人に十字架とかキリスト像とかを踏ませればいいんじゃないの
子供の人形や物への愛着と同じことでは?変に宗教と絡めて考えるから面倒になる。
米国人の気持ちはよくわかる。俺も90年代に米国人の女性宣教師に「あなた方ってイエスが生き返ったのは事実だと本当の本気で心底から信じてるんですか?」と真顔で訊いたよ。答えは「当然です(真顔の笑顔」だった。
日本人であれば「畏れ」はある程度持っていると思う。因果応報、バチに当たる的な。 まぁそういうのを信じない信条みたいなを持つ方々もいますが、逆張りしている時点で無影響ではないのではないかな、と。
岩とか古木にしめ縄してあったら、侵してはいけない存在ですよね。自分の車とかにも長く使ってると宿るよね。長生きした鯉がいたら、川の主ですよね。
アメリカ人だって無宗教を自称してても大抵はキリスト教的価値観を抱いて生きてる。そういうもんだ
供養ってどちらかというとRequiem(鎮魂)的な儀式だと思ってた。
物を大切に出来ない人はヒトも大切にできない、みたいな言説、色々考えると謎なんだけど日本では通るもんね。文化というかOSというか、なんだろう
「山川草木悉皆成仏」の由来が宮沢賢治だとする説。https://ihatov.cc/blog/archives/2020/03/post_959.htm https://ihatov.cc/blog/archives/2020/05/2_58.htm
そういう意識が根付いている。
擬人化するのが得意なのでは?
そもそもが「わたしの他にも(わたしに似たような)人間がいる(直接見えはしないが地球のうらにも『生活』がある」は信仰の領域でしかない。信仰ぬきに(無神論では)世間は成立しえないので
私はAIにも敬意を払います。
>針供養がある。人形供養もある。使えなくなった包丁を供養する人もいる。/ そして家畜や害虫ですら供養するものな、この国。
海外系の車の番組見てると、長年愛していた車をちゃんと使ってくれる人に売りたいとかそんな話あるから、日本人に限ったことじゃないんじゃなかろうかって思うよね。
人間の身体に魂があるとして、死んだら単なる物。
アニミズムなんて別に日本固有のものでもないだろ。なんなら一神教は汎神論に繋がるから全く共通項が無いものでも無い
神は細部に宿るってのと似たようなものか
そんなこと思ってねえよ。ところで私のPCが今日は「機嫌が悪い」です。
日本人だって、なんとなくそんなものだろうという、ふわっとした認識だし。魂を持っているのは人間のみという宗教を信じている、もしくはそういう宗教からの影響から免れない人種には理解できない考え方だろうに。
長年大切に使ってれば「愛着が湧く」し米粒一粒でも「勿体無い」と思う。「八百万の神」のように魂の有無を一つ一つに感じてはないが「擬人化」はしがち。小さな物も「大事にする」。「お天道様」が見てるしね
それは清潔感だろ
基督教圏は契約と罰で人の道を説くのに対して、日本とかは信頼と感謝(見返り)で人の道を説く傾向があるよね。それが長じた結果、物に神が宿る。
ものに愛着が湧くことに「神性」を感じるは確かに一神教の教えだと違和感があるのかも。それは神様からの愛ではなく人の愛着でしょう?みたいな。
うーん。近年欧米の人類学シーンは存在論的展開とプルリバースなんて屈折した魔球を開発してまで、脱人間中心、脱文明段階発展説、脱西洋近代史観をごちゃごちゃしてるわけだが。
比較文化学の授業は面白かったな。
付喪神も、一定の人倫を備えているが必ずしも人格神じゃないよな。「人倫の可視化であり必ずしも人格神ではない。儀礼の一種」と説明すれば西洋人にも理解できるのでは。悪魔的全身ではなく人間の部分の鏡像とかでも
付喪神もいるしね
大切に想ってるその意識が宿らせてるように思うよ。
物を粗末に扱ってはいけないって感覚があるだけで、物に魂が宿ってるから大切にしてる人は居ないでしょ。/私はずっと日本の湿気の高い日本の気候が影響しているのではと思っている。適当に扱ってると、汚れたり、カ
平将門首塚には魂が宿っているかと言われるとYESと言ってしまうが、他はどうだろう。あんまりないかもしれない。
そもそも生き物にも魂はなくて、信じてる人の概念や意味付けでしかないんだから、物と同じだと思う。
それを言ったら、生き物だってものと同じく分子や化合物の集まりなわけで、物と生き物をどこで区別してるのかの線引きの問題でしかない
どうなんだろう。個々人で認識はかなり違うと思う。現に万物に魂が宿るとした場合、ごみ捨てはどう解釈してるのだろう。例えば「ボールは友達」と言いながら、サッカーボールを思いっきり蹴りつける行為は?
魂が宿ってるとかはないかな。魂が宿ってなくても大事にしたり愛着持ったりするし。架空のキャラクターが好きな人もたいていは魂が宿ってるとまでは思ってないだろうし、魂が宿ってなくても好きだろうし。
本を床に置いてて踏んだりしたら非常に申し訳ない気持ちにはなるけど西洋人とかもそれはないの?
逆に、日本意外は例で上げられてる事に対する感情は無なのか聞きたい。一定モノを大事にする人なら、人形に対してありがとうとか、今までありがとうとか思うような。だからこそ、こんまりが流行ったのでは?
日本って湿気多くてモノを雑に扱うとすぐ劣化するじゃない?食べ物もその辺放置してるとすぐ腐る。だからモノには魂やら神様やらが宿ってるとイメージして、大切にして身を守る文化ができたんじゃないかなと
魂が宿るって英語でなんて言うんだろう?have soul?
魂など信じてはいないけど誰かが作った物に対する敬意みたいな物はある。食べ物も道具も大抵誰かの手を介してるし
ネガティブな面にも言及すると「穢れ」の概念もこれに通ずると思う
日本語だと「物」と「者」は同じ音だから話し言葉で区別できないけど、英語の Object(物・客体・目的語)という言葉の冷たさは半端ない。Object はあくまでも主語のアクションの「対象」なのだ
物に魂が宿るというのは個人的にはそうだと思っているが、日本人特有か?はよくわからない。
( 米国人のくせに偉大なスティーヴン・キングの『クリスティーン』を読んだことない大学生は度し難いな )
アメリカ人が考える「魂が宿ってる」と日本人が考える「魂が宿ってる」は、微妙に違いがありそう。
ハリウッド映画「よーしいい子だ」カチャカチャカチャ ッターーン
ケースバイケースではあると思うけど。割と気に入ったものには挨拶やお礼したり謝ったりはする。魂なのかなどうかな
えーオレ呼んでない > デザインカンプ上のコンポーネントを「この子」
新大陸で合理主義でアメリカ人も物に愛着はあると思う。日本ではあれが長い村社会・土着文化の中で擬人化されたのではないか。それをモノノケ・魂とよんでいるのでは。
あれ?その人達はもしかして「踏み絵」って言われても何のこっちゃか?って感じなのかな。それとも急に怒りだすのかな。根は同じじゃん。
soulってかspiritのほうが近い?
友人が好きだとわかってるものがあるとする。それをあなたが壊せない理由はそれに彼の魂(感情)が延長して乗っかっていると感じているからだよ。アミニズムは魂が肉体からはみ出ていて自他の境があいまいなんよ
人は信じるものを現実として見るから、人の意識がモノに魂を見るってことやろな。そういう意味では人が魂を見るモノはすべて呪物。
「物に魂が宿る」に関しては、理性と感情では違う見方になる。どちらも本当の自分の考え。そう考えると、彼らにとって聖書の記述は、理性と信仰では別の解釈なのだろうな。
逆にメリケン人らは人に魂が宿ってるなんて思ってるの!?
人形を粗末に扱える民族いるのかな。
これ、我々がそう思ってるというより文化や考え方に埋め込まれてる感じなんだよね。言霊という概念をイメージしやすいとかね。/逆に言うと、我々魂に意思が必須要件とは思ってなかったり。
木の棒に名前をつけるとかさ
ピンとこない。思っていないのではないだろうか。
根源的なところでは『『竈神と厠神 異界と此の世の境』(飯島 吉晴)』が考察してるように現し世と異界という意識があってモノの魂魄も異界に通じるんだろうね。モノを粗末にして祟るのは異界・異形を連想させるから
中国人って本当に「アイヤー」って言うんだ、に似た精神。
近代以降とはいえ魂やカミの捉え方が根本的に違うので平行線だろうな
日本人は「無宗教」を自認してるけど、たとえば炊き立てのご飯を踏みつけてみろと言われて抵抗があるのはそれは宗教的忌避感なんだよな。自覚してないだけで宗教的ではある。
宗教(特定の教えや集団みたいな枠組み)ではなく信仰(心のあり方)って感じなんだよなこの辺
海軍の軍人は軍艦のことを彼女って呼ぶよね。アメリカ発祥の習慣かは知らんけど
物への向き合い方なんだろうな。
アメリカでも一神教圏でも、ぬいぐるみや人形などを燃やしたりズタズタにするのは嫌な人は多いのでは?魂が自律的な心を指すならそれはないとも思うけど。
フネが女性名詞だから彼女だったはず。愛機とか愛用の道具とか魂の有無はともかく「相棒」という感覚は世界共通だと思うけど
『「将来救世主となる男の子をけがれを知らぬ処女が産んだ話、本当だと思ってるの?」くらいの愚問』上手い切り返しだと思ったんかな。信じてるから信者って言うんだよ。あっちは信仰として確立。日本は自覚がない。
AIの説明の時にこの説明が良く伝わる。『精巧な仏像や地蔵に魂や意思がある様に見えますよね。AIのLLMは次の言葉を予測する機能ですが意思がある様に見えるだけです。木や石と半導体は同じ物質でどちらも無機物です』
人間や動物にだけ魂的な何かが宿ってるというのは人間(生物)中心的すぎる。どんなものにもある(アニミズム的)か、魂なんてものは人間にさえ無い(唯物論)か、どちらかのほうが妥当性がある。
ここたまの中ではおシャキが好きです。
日本語の“魂”に相当する英語ってあるのかな。何を使って会話したのだろ
車なんかは顕著だけどこれまで使ってきた思い出がよぎって…の延長なんじゃないか。個人差はあるが。俺はバスタオルや服なんかには全く感じないけど。
日本の魂 ≠ 英語の soul ≠ 古代ギリシャの psyche ≠ 中国の魂魄 ≠ インド思想の ātman (via GPT)
アメリカ人だって逃げ出す時に乗り込んだ車のエンジンが掛からなければ、「カモーン!お願い!いい子だから!!」と無機物に話しかけてる。予測困難な物体や事象に人格を見い出すのは人類共通。
愛車を売っぱらうとか下取りに出すとかの時、あちらの方々はドナドナを思わないん?
モッタイナイよりコンマリが受けた理由だよ
日本刀とか技術を究めた物に対しても魂が宿るというが、コレも厳密には意味が違うと思う。魂というハイコンテクストな言葉に統合されてしまった。
船を「she」と呼ぶ国のひとにとやかく言われたくないな
魂の定義によるやろな。魂をスピリットだと考えると、宿ってない気もする。日本の神社の御神体ってだいたい物だしな。銅鏡だったり刀だったりやん。石の場合は意思と発音が同じやから、言霊的な意図はあるかもね。
20年使った冷蔵庫を捨てるのにはかなり躊躇した。
「日本人は「無宗教」を自認してるけど、たとえば炊き立てのご飯を踏みつけてみろと言われて抵抗があるのはそれは宗教的忌避感なんだよな。 」 そんなわけないだろ。道徳を宗教が独占しようとするからそうなる。
名前をつけていた自転車は二度盗まれたが二度とも手元に戻ってきたし、モノが無くなったらハサミを逆さ吊にして「ナイナイの神様、〇〇を見つけてください」って唱えると、割とすぐに見つかったりする。こゆコトよな
聖遺物とか形見とか愛用品みたいな感覚は普通に向こうもある。だから日本は『特別な物』に対する感度が高くて、それを丁重に扱うことを善とする文化なんだよ、という感じで説明するのが良さそうかなと思った。
日本刀は作り手と使い手だった者の魂が込められていると思い込むとパワーアップするからね
「ここにキリストの絵を置くだろ? 踏んでみろよお前」
物に魂が宿るというより、日本人は万物を擬人化する変態と言う方が正確なのではないか。
id:BigWhiteDog シンプルにもったいないからやろ笑 どんな食材でも踏みつけるのは抵抗感あるわ笑笑
これを理解できない奴らが日本の文化に入り込んでくるのが移民。どうなるかわかるだろ
物に対する敬意かな
アニミズム、西洋人でも例えばポケモンにハマれる人ならなんとなく理解出来る感覚なのでは。それに限らず日本産コンテンツは何かとその要素が練り込まれがち。欧州でも精霊信仰のあるエリアもあるし。
日本は地形や気候、稲作文化から注意観察すべき対象がかなり多かったのだと思う。それぞれの状態を観察する際に擬人化が行われ、これがアニミズムになる。アニミズムがアニメを育んだと考えると面白いね。
そもそも「魂」の理解も違ってそう。枯山水や禅をチラッと見て、Japanese soul だとか何とか言って大騒ぎしたり、変にハマったりしてて、何か根源的なとこで、彼らの感じ方に対して違和感はあるなあ。
そもそも異なる文化圏で「魂」のニュアンス共有できてないだろうしなんとも。まあ試合中にテニスラケット破壊してアンガーマネジメントとか言ってんのはすげ~やだなーとは思うけど。道具を大事に食べ物を大事に
そこにー私はーいません♪
日本人だったらわかるでしょ的な共通感覚を疑わない人って、同質性の強いホモジーニアスな地域で生まれ育った人なのだろうか、、
踏み絵とトイストーリーは確かにアメリカでも理解されそう。結婚指輪とかでも同じ商品の別リングと交換出来るかとか色々気持ちがこもったプレゼントとか同じく理解してもらえそうだけれども
勿体ないの根源ではあると思って生きていたけど、断捨離Rのせいかおかげか、捨てても恨まれたりはしないし、成仏もしてなくて、勝手に固執してただけと気づく。
魂って人格とかじゃくて神性を帯びるみたいな・・・いや一神教にはピンと来ないかそもそも
(オカルト的に)物に魂が宿ってると思ってるの?って質問なんだろうな。
つちくれに息を吹き込んで作られたのがアダムなんじゃなかったっけ? その肋骨から生成されたのがイブなんじゃなかったっけ?
日本人が特殊でモノにまで魂を感じているのではなく、西洋人が人間(私)を絶対的主体扱いして環境を絶対的客体扱いしているほうがおかしいんだよ。彼らの特殊な一神教的二元論だよ。
これ逆に、「魂」の概念が同じでない可能性を感じたり | 「霊的実存をもち得る存在」として世界に配置されるものは世界観によって違ってくるねって話をチャッピーとして面白かった。
欧米人でもペットロボとかには感情移入するんじゃないかな。人形に魂とかはそことグラデーションだと思う。まあでも無生物主語(it)みたいな概念がある時点で文化的に大きな乖離がある気はする
長く使うものに限るよね。コンビニ弁当のプラパックや割り箸にそんなことは思わない🤔
そう信じている、というよりは、そういう概念を前提に行動することで結果的に物を大切に出来たり、周りに対して親切になったりして合理的でメリットがある、ということをなんとなく理解してる感じなんじゃないかな。
だから、アメリカ人の作るクルマはイタリアのフェラーリ、ドイツのポルシェ、フランスのブガッティとか魅力が突出したクルマが無いのかもな。
物に魂があると、人も魂があるので物と同じで、人の命の重さは物と同等ということになるので切腹とか気軽にした理由かもしれない。意外と危険な思考です。そこまで真剣に物に向き合う点で魅力的な考えでもありますが
おそらく日本人はDNAレベルで「もったいない教」に入信してるんでその影響