この器を広げる力(の一部)が、傾聴や素直さなんだと思う
無知の知
SNSのクソリポ格差からメタ認知の重要性に落とし込むBooks&Appsらしい語り口だな
個人史と結びついた信念は強く、自分を俯瞰して変わる契機がすぐそこに転がってても無意識?に退ける。そんなものだと思う。「アップデート」とか言うご都合主義のほうはまた別物。
揚げ足取りだが自分なら写真編集で100g当たりの価格箇所を目立つよう囲って不特定の相手にも意図が伝わるようにする。きっと仕事の資料ならそうするかと。部下の例とタイトルが執筆者への皮肉構造にもなってて好き。
途中のエピソードが絵に描いたような米国育ちでなんか白けるが、それはともかくわたしもタン先のほうが好き派だな。
逆じゃね。学べたことが器だっただけで器が最初からこうだと決めつけて進化を抑制する退廃論者
人種は関係なくて、育った環境で決まる。
左派が忌避されがちなのは、その個人の理解の範疇での理念を押し付けてくるからなのだと思ったり。そのため現実問題に対処できない
欧米でもホワイトカラーなら日本と似たようなビジネスの常識を共有していると思っている。彼は米国育ちというより非常識なだけのような。/ 欧米ならtatooは一般的みたいな話と感じた。
終始マッチングの話をしているのに、合わずに辞めた山本の活躍は確信してて、タン先の値段には納得できてないという矛盾によって逆説的にこの人の器が浮き彫りになってる面白い。
無知うんぬんの前に、気に入らない奴を罵倒して楽しむ層もいるからSNSにおいては黙ってブロックで良い。
“山本が考える全体最適と、上司や経営陣が考える全体最適は、一致しないことがほとんどや。山本の考えは、多くの場合で部分最適かも知れんぞ”
「無知の知」に近い話と解釈したが、このタイトルでは「器」の外は求めるだけ無駄と読めてあんまり印象が良くない
牛タン、タコの見分け方知らなかった。そういえばどちらも買ったことないな。
バカの壁だね
だから自分の器を広げていこう、という話なのだが…うっかり(?)言い忘れたからか筆者が残念な人だと認識しているブクマカが多いのが非常に残念。なお米国でも若い人が行動するのが美徳と言うのが常識だった。昔は。
ただの職場で手を焼かれる発達障害者のエピソードだった/普通の奴は、別の環境では別のルールがあることを理解して学ぶのよ
無知の知というか「自分なんてまだまだ」という感覚があれば他者をいきなり罵倒するとか頭ごなしに否定・反発することにはならないと思うんだよな。自信は必要だけど、自分がすごいと過剰に思い込んでしまうと不幸
買い物を毎日するけど単価を見てない人、いるんだよねこれが……
落語聴こう。
そんな怒らなくても、グラム単価ですよwって返せばいいんじゃないですか?器が小さいと思う。
リソース配分を最適化しなさいよみたいな意味にその言葉を捉えるのか、ただ闇雲に器とやらを広げようとするのか。そんな意識次第で呪いにも祝福にもなりそうな言葉で、ブログでパラっと見たとてというかんじはした
器が小さいから学べないのか、学んだから器が大きくなるのかは議論の余地がありそう。いずれにせよ「学びたい」という真摯で素直な欲求とメタ認知能力は重要な要素になってくると思う。
長い割には面白くなかった
「ひとは、自分の器で学べることしか学べない」というのを教える側の教授が言うのはがっかり。蒙を啓くには相手の目線に立つことが必要。その意味で筆者は正しく後輩君の目線で諭したので立派。
やめた人は、器を壊されるくらい追い込まれてたんじゃないだろうか。
ひゃっ
教える側の免罪符の話、かな?どんなに親切に丁寧に伝えても、伝わらないときは伝わらないよね。原因を「器」という自分には制御不能な変数にしとくと、精神衛生上よい。(あるいは「こいつ馬鹿だな」の大人語)
教えられてもその人の器によって学べる内容は異なる、ということを言うための出汁にだけ使われたフェイスブック投稿者、単価は同じなんだよということを教えられさえしてなかった。
??? なんか長かった.. 最後は営業... うーん? .. とはいえ読まないで文句も変だから最後まで読んだけど牛タン関係なくないか??アメリカ育ちの人の話?
器という表現より、柔軟さとか対応力といった言葉の方がしっくりくるな…
AIも利用者の認識の外を拾うのは難しい。利用者自身に認識の外という認識がいる。
「器」なんてのはただ後付けでそれらしいこと言ってるだけで聞くに値しない
まずはケツアナを毎日少しずつ拡張していかないとな・・・
学びが器を拡げてくれたりもするけれど、やっぱりサイズが違いすぎるとうまくいかない。
牛タンと山本の話の関連がよく分からなかったな。器だなんだと小難しく言わなくても「世の中広いねー」で済むと思うけど
“レスをくれた人曰く、吸盤のデカいタコはオスで身が緩い。小さく揃っているのはメスで身が締まっていて旨いとのこと。”
「間違ったことを言う」も、誰かが指摘してくれれば学習機会になりうるので、「自分の知識を疑う姿勢」が大事と言われると納得いかない。論をぶつけ合っても人は学べる。学習を教育者の効率の視点で語ってる気がする
自分の知識ネットワークに新規ノードを組み込んでいく工夫は大事だよという話なんだけど、「器」みたいな道徳性に還元するのはちょっとモニョる
一見して器がデカそうな人でも、実はヒビが入ってて、下請け人が居るから成り立っている人っているよね。大小ばかりが注目されるけど、実は形の方が重要だと思う。あと器が小さそうに見せかけてる徳利型も居る。
「学べることしか学べない」タイトルがトートロジーなのによく読む気になるよね。
なんかブコメも脱線してるけど最初は「同じグラム単価(共通認識)で、美味い部位と普通の部位を売っててええんか?」だよ
右も左も100グラム797円だから、値段は一緒といえることが理解できていない層には「学び」の難易度は高すぎる。残念な知性の持ち主でも、生きることが許されている世界なんだから、学ばなくてもいいよ。stay foolish.だよ
こういう物語の中で、偉そうに説教を垂れる上司の言葉に関西弁を使い、頭が悪い方の「同じ値段じゃないじゃん」に神奈川弁を使うのは、意図があるのか無意識に出てるのか
知識は扉の鍵。鍵が多ければ違う場所に行けるけど鍵がなければ同じ所に留まるしかない。たとえ嫌な奴が入ってきても逃げられない。部屋の外を知らないまま外にいる者を馬鹿にして生きていく
唐突にアメリカン山本の話の話始まって笑った。この手の話は古今亭志ん生の「他人の芸を見て~」の下りが珠玉だとは思うけどそれも「芸の道において」と言うクソデカ前段落が付くんだよね。なんにでも当てはめるな。
自分と違う認識に遭遇した時に、バカマヌケと罵倒すれば相手は不愉快に思って放置される。その違いはどこから?と思えば罵倒ではなく対話が生まれ、自分の世界が広がる。ASDの人は罵倒され続けるので対話も難しいよな
「何が悪いのか知りたい」のに「知ってどうする」がないんだろうな。悪いと評価される基準を教えて貰えたらそれをハックすることはできるけどやらないやる気がないならどうしようもない。
桃野秦徳。遺伝や特性による学習障害とかで知能は人並みでも、いくら勉強しても特定の分野は難儀するみたいなのは普通にあるからなあ。ディスレクシアは分かりやすいけど。
「大学卒業後、大和證券に勤務。」あー/これを逆回転させて「学べないってことは君の器がちっちゃいんだね^^」って振る舞う奴はインターネットでよく見かけるぞ
『「自分の知識と経験の限界」を疑えないことほど、こっけいなことはない。』…ほんまそれな、と思いながらも自分ができているかは自信がない。無知の知。
「人間というものは自分以下のレベルのものは理解できるようになっているのでな」アドリアン・ルビンスキー
イイハナシダーって思って呼んだけどブコメは辛辣だった。
辛辣なブコメを読んで、記事の内容が得心がいった
グラム単価という概念を理解できず常に総額だけを見て判断しているのかな…
山本さんは結局会社辞めてんだね。この方がアドバイスしたうえで、なるほどそれじゃこの会社とは合わないな、ということがわかったってことかな。
間違ってたら誰かが指摘してくれる機会って、そうそうなくない?指摘や疑問の投げかけが非難や攻撃と捉えられる(ハイコンテクストな)社会だからなのかな。日本にもフラットに指摘できる場はあるのかもしんないけど
田舎者だから慣れなくてこれに何回もひっかかるw “600円/100g”と表記されている、すでにパッキングされている量り売りの商品を手に取り、1500円と言われて腰を抜かしたことがある。
自分の知識を疑っている人は他人に「何が悪いのか、知りたいんです」なんて相談しないよ。自分が絶対に正しいと信じ込んでいるからそんな質問をする。そして「お前は間違っていない」以外の答えは耳に入らない。
立場によって答えが変わることを良しとしない人もいるよな。
言いたいことに対しての個別の事象があっているか?それとも、ただ本人が思い出したことを思い出し出す順につらつら並べただけなのか、コンテキストの理解に悩む
情報はピンキリ全体としてそこにあって何を自分のものとして取得するかは各自自由だろ 投げ込んだやつの評価とか混ぜてるほうが無駄 クソリプから気付きも役割もあるし実際それ文中に何度も繰り返し使ってんじゃん
“ひとは、自分の器で学べることしか学べない” いいタイトルだなぁ
そうだね。筆者が自分の山本への接し方を反省できてないようにね。
理解できないことについて、何が悪いのか胸襟を開いて質問できる人と同じ値段だろバカと罵倒で返すバカを比較し、学べる範囲は人の器に依存する、と考察するこの記事の要旨を理解できてない人の反応を観察するブクマ
私に牛タンを奢ってくれる器の広い御仁はいませんか?
サヨクの意見から学べないウヨは学べる器ではないからか。
器が小さくても、器をよく観察して土台からコツコツ教えていけば山のように盛れたりする
最初に入ったブラック中小ITで、新人研修中に社長から「ネコはトラにはならん。ヘビは龍にはならんのや。」って言われたのを思い出した。ヒドいことを言うなあ、と思ってた。
"ひとは、自分の器で学べることしか学べない" いやいや、自分の短い一生でその経験からしか学ばないからだよ。「愚者は自分で代償を払って学ぶらしいが、私は他人の代償から学ぶよう努めてきた(伝ビスマルク)」
“「同じ値段じゃないじゃん、バカ?」” ←こういう発言をする人って、だいたい常に周りからこう言われて生きてきてるんだよね(´・ω・`)
それで、器ってなんだろね。そして器ってどう測るんだろうね。それらしい言葉を並べているように見えるよ。学ぼうとしない馬鹿は変わんないくらいのことを言いたいのかもしれないけど、器っていうフワッとしてない?
他人の意見や考えを受け入れるのは思考停止でもなんでもなく、ちゃんと努力なんだよね。そしてその努力をし続ける器を広げることは本当に難しい。
ここで語られる器は、「素直さ」みたいな話とはレイヤーが一つ違う気がする。享受が学びの全てではないし、素直さなんて意欲(モチベ)で代用きく。逆に意欲無くして素直さの無意味さよ。
自分は間違えているかもという前提条件を持てて認識を変えられるかって出来ないとすごく大変だなと思った。他責になってく。人のせいにするのは楽だから。でも根本的に解決しない。
めちゃいい記事なのに、単価無視でグロス価格しか見ないがごときブコメがスター集めてるの見るに、器を拡げようとしないひとが可視化されていて興味深いな。本文で器の拡げ方まで示唆されているのに。
ブコメを眺めるに、私が付したいと思った異論は、既に出ている。自省の言葉として述べるならよいが、自分の期待と違う反応に対して、こうしたことを言うのは感心しない。が、別に構わない。
器の話はどうでもええけどタンとタコの話に学んだ
視点・視野・視座を変えて物事を見ろという話と、それを受けて行動を変える・変えないは別の話だとは思う。悩んでた人は自分を無理に変えずに転職した。/導入のタンの話がミスリード誘っている気がしないでもない。
牛タンにも種類があることを学べた
失敗しながら学ぶタイプなのでタンは両方買って試して安い方でもいけそうなら今後安い方買うかなぁ。みたいなことを水出しアールグレイでやったら安い日東紅茶が不味くて泣いてる。今後はKALDIにします。
スーパーでは専門の肉屋と違ってタン先とタン元が別の部位として扱われずグラム単価が同じという話から導き出される「学びの器」の話。
筆者の言いたいことを生成AIに作文させたくなった。/罵倒する人と山本が対比していて、器で学べることの差を表しているのはわかる。誰しも知らないことはあるが、自分を省みて知識を得て、感謝することは
ハイコンテクストすぎて、各エピソードの繋がりがわからんかった。牛タンとタコはわかったけど、山本との関係と、最後の高い肉の話はなんの関係があるのか意味がわからなかった。つまり、人生は肉やで!
同じものを見ていても気づける人とそうでない人がいるよな
「自分の知性と経験」を疑わなかったからこそ、転職したんじゃないの?山本自身が非を認めてたら、そのハイコンテクストを受容して同化するのでは。何かいまいち筋が通らない文章に見える
AIによりできうる仕事が山のように増えたが、何をAIにさせるかという部分で自分の限界を感じる。「発想」が何よりも大事だが、どうやら死角だらけ。器が小さい。
トートロジー。学びにつながる都合の良い素養を「自分の器」と主張しているだけ。この定義では、自己の内面を突き詰めたタイプの逸脱者を包含できない。好奇心の輩は大体不遜でしょう。
「自分なら写真編集で〜」 これは…買い物エアプですね。
不届者も山本も自分の基準と異なるものについて考える癖がないという意味では一緒で、前者の方が悪意があるけど後者も適応する気はなかった、でも聞く勇気があって、器を認識して旅立っていったという話だと思った
タン元とタン先の違いが分かってよかった
器は小さい方がすぐに満たされて幸せだよ~
より小さい器もあれば、より大きい器もある。そして大きさだけでなく、方円の器というものもある。
ナラティブパーンチ!
タイトルの割に小さい話で終わった。
「吸盤のデカいタコはオスで身が緩い。小さく揃っているのはメスで身が締まっていて旨いとのこと。」←学び
牛タンについてはもっと適切な例があると思うけど。器じゃなくて知性では?
日本の常識ってちょっと珍しいんだよね。米国型組織社会でありながらアジアっぽい慣習もあって似てる国があんまりない感じで。だからこそ常識を疑うの大事
さっそく器の違いが可視化されてておもしろいw/器でしっくりこない人は視界とでもいい変えればいいんじゃないかしら。例えばお肉の画像だと100g797円という情報が見えてない人がいるわけですよ
ネトウヨは学べないので牛タン以下
「バカはバカ」「バカは器も小さい」ということで、直接的にバカだのマヌケだの言うよりよっぽど罵倒力高い
自分を馬鹿にしてきた人へのカウンターと、自画自賛的な記事にも見える。では、著者自身はこの経験から何を学んだのだろうか。それが著者自身の「器」ということなのか。
こんな話題まで左右のポジションの話だと思う人にびっくり。あれかな、昭和的価値観 vs 海外価値観の話だからなのかな? 自分が正しいと思い込んだ瞬間に器は一気に広がりにくくなりますよ。
林家彦六の話を思い出す。「誰かが教えてやりゃあいいじゃねぇか…」「師匠どうしたのですか?」「さっきから若ぇ奴が球を拾っちゃ網ん中入れてるが、底がねぇの知らねぇんだ」ってバスケの試合を見て言ったとか
こう、文章構成が下手くそなのか、結論の出ないまま書き出してるからか、登場人物より作者が不快
アンラーニングできる人できない(やろうとしてこなかった)人、かあ。まあやってみようとしない人に時間を割くほど人生は長くはないと言うのはそうなんだけど。
右左どっちがタン元なの?
自分の器の小ささにフタをして他人の悪口や揚げ足取りするのは魅力的で甘美でエントロピーとドーパミンドバドバなんすよね。
話が上手い / “言ってることはわかる、まあ今の場面はともかくとしてや。山本が考える全体最適と、上司や経営陣が考える全体最適は、一致しないことがほとんどや。山本の考えは、多くの場合で部分最適かも知れんぞ”
まだ記事を読んでないけど、能力というのは人に属すると考えてる人と、人との関係性の中で立ち上がるもの、と考えてる人とで大きく分かれそう。
学びの器が全体的に大きいかもあるけど、同じ人の中でも分野によって違う。私の場合数字や身体能力の学びの器が極小だからせめて質の高いもので満たしたい。/読解の器量がバレるブコメ欄
まずは一回相手の意見を受け止めてから自分の意見を言う。それが出来ない人はどこでもやっていけない。
人はどれだけ学びに努めても何も知らないに等しいほどに無知な存在だ。 ネットやAIの時代にあっても森羅万象どころかどうでもいい雑学ですら、その0.1%も知ることができない。 それほどに人生は短く世界は広い。
テーマ自体が自己言及的性質を持っているためどこにフォーカスするかで読み手の解釈がばらけている印象
何かさ、辞めた若手がアドヴァイスで日本式に染まらず転職って言うのがねぇ、彼の器の問題だったんかなと深い示唆を感じる。
ひとは、自分の器で学べることしか学べない
この器を広げる力(の一部)が、傾聴や素直さなんだと思う
無知の知
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人種は関係なくて、育った環境で決まる。
左派が忌避されがちなのは、その個人の理解の範疇での理念を押し付けてくるからなのだと思ったり。そのため現実問題に対処できない
欧米でもホワイトカラーなら日本と似たようなビジネスの常識を共有していると思っている。彼は米国育ちというより非常識なだけのような。/ 欧米ならtatooは一般的みたいな話と感じた。
終始マッチングの話をしているのに、合わずに辞めた山本の活躍は確信してて、タン先の値段には納得できてないという矛盾によって逆説的にこの人の器が浮き彫りになってる面白い。
無知うんぬんの前に、気に入らない奴を罵倒して楽しむ層もいるからSNSにおいては黙ってブロックで良い。
“山本が考える全体最適と、上司や経営陣が考える全体最適は、一致しないことがほとんどや。山本の考えは、多くの場合で部分最適かも知れんぞ”
「無知の知」に近い話と解釈したが、このタイトルでは「器」の外は求めるだけ無駄と読めてあんまり印象が良くない
牛タン、タコの見分け方知らなかった。そういえばどちらも買ったことないな。
バカの壁だね
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ただの職場で手を焼かれる発達障害者のエピソードだった/普通の奴は、別の環境では別のルールがあることを理解して学ぶのよ
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落語聴こう。
そんな怒らなくても、グラム単価ですよwって返せばいいんじゃないですか?器が小さいと思う。
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器が小さいから学べないのか、学んだから器が大きくなるのかは議論の余地がありそう。いずれにせよ「学びたい」という真摯で素直な欲求とメタ認知能力は重要な要素になってくると思う。
長い割には面白くなかった
「ひとは、自分の器で学べることしか学べない」というのを教える側の教授が言うのはがっかり。蒙を啓くには相手の目線に立つことが必要。その意味で筆者は正しく後輩君の目線で諭したので立派。
やめた人は、器を壊されるくらい追い込まれてたんじゃないだろうか。
ひゃっ
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教えられてもその人の器によって学べる内容は異なる、ということを言うための出汁にだけ使われたフェイスブック投稿者、単価は同じなんだよということを教えられさえしてなかった。
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器という表現より、柔軟さとか対応力といった言葉の方がしっくりくるな…
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なんかブコメも脱線してるけど最初は「同じグラム単価(共通認識)で、美味い部位と普通の部位を売っててええんか?」だよ
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自分と違う認識に遭遇した時に、バカマヌケと罵倒すれば相手は不愉快に思って放置される。その違いはどこから?と思えば罵倒ではなく対話が生まれ、自分の世界が広がる。ASDの人は罵倒され続けるので対話も難しいよな
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「大学卒業後、大和證券に勤務。」あー/これを逆回転させて「学べないってことは君の器がちっちゃいんだね^^」って振る舞う奴はインターネットでよく見かけるぞ
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間違ってたら誰かが指摘してくれる機会って、そうそうなくない?指摘や疑問の投げかけが非難や攻撃と捉えられる(ハイコンテクストな)社会だからなのかな。日本にもフラットに指摘できる場はあるのかもしんないけど
田舎者だから慣れなくてこれに何回もひっかかるw “600円/100g”と表記されている、すでにパッキングされている量り売りの商品を手に取り、1500円と言われて腰を抜かしたことがある。
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立場によって答えが変わることを良しとしない人もいるよな。
言いたいことに対しての個別の事象があっているか?それとも、ただ本人が思い出したことを思い出し出す順につらつら並べただけなのか、コンテキストの理解に悩む
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そうだね。筆者が自分の山本への接し方を反省できてないようにね。
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“「同じ値段じゃないじゃん、バカ?」” ←こういう発言をする人って、だいたい常に周りからこう言われて生きてきてるんだよね(´・ω・`)
それで、器ってなんだろね。そして器ってどう測るんだろうね。それらしい言葉を並べているように見えるよ。学ぼうとしない馬鹿は変わんないくらいのことを言いたいのかもしれないけど、器っていうフワッとしてない?
他人の意見や考えを受け入れるのは思考停止でもなんでもなく、ちゃんと努力なんだよね。そしてその努力をし続ける器を広げることは本当に難しい。
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牛タンにも種類があることを学べた
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器は小さい方がすぐに満たされて幸せだよ~
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ナラティブパーンチ!
タイトルの割に小さい話で終わった。
「吸盤のデカいタコはオスで身が緩い。小さく揃っているのはメスで身が締まっていて旨いとのこと。」←学び
牛タンについてはもっと適切な例があると思うけど。器じゃなくて知性では?
日本の常識ってちょっと珍しいんだよね。米国型組織社会でありながらアジアっぽい慣習もあって似てる国があんまりない感じで。だからこそ常識を疑うの大事
さっそく器の違いが可視化されてておもしろいw/器でしっくりこない人は視界とでもいい変えればいいんじゃないかしら。例えばお肉の画像だと100g797円という情報が見えてない人がいるわけですよ
ネトウヨは学べないので牛タン以下
「バカはバカ」「バカは器も小さい」ということで、直接的にバカだのマヌケだの言うよりよっぽど罵倒力高い
自分を馬鹿にしてきた人へのカウンターと、自画自賛的な記事にも見える。では、著者自身はこの経験から何を学んだのだろうか。それが著者自身の「器」ということなのか。
こんな話題まで左右のポジションの話だと思う人にびっくり。あれかな、昭和的価値観 vs 海外価値観の話だからなのかな? 自分が正しいと思い込んだ瞬間に器は一気に広がりにくくなりますよ。
林家彦六の話を思い出す。「誰かが教えてやりゃあいいじゃねぇか…」「師匠どうしたのですか?」「さっきから若ぇ奴が球を拾っちゃ網ん中入れてるが、底がねぇの知らねぇんだ」ってバスケの試合を見て言ったとか
こう、文章構成が下手くそなのか、結論の出ないまま書き出してるからか、登場人物より作者が不快
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右左どっちがタン元なの?
自分の器の小ささにフタをして他人の悪口や揚げ足取りするのは魅力的で甘美でエントロピーとドーパミンドバドバなんすよね。
話が上手い / “言ってることはわかる、まあ今の場面はともかくとしてや。山本が考える全体最適と、上司や経営陣が考える全体最適は、一致しないことがほとんどや。山本の考えは、多くの場合で部分最適かも知れんぞ”
まだ記事を読んでないけど、能力というのは人に属すると考えてる人と、人との関係性の中で立ち上がるもの、と考えてる人とで大きく分かれそう。
学びの器が全体的に大きいかもあるけど、同じ人の中でも分野によって違う。私の場合数字や身体能力の学びの器が極小だからせめて質の高いもので満たしたい。/読解の器量がバレるブコメ欄
まずは一回相手の意見を受け止めてから自分の意見を言う。それが出来ない人はどこでもやっていけない。
人はどれだけ学びに努めても何も知らないに等しいほどに無知な存在だ。 ネットやAIの時代にあっても森羅万象どころかどうでもいい雑学ですら、その0.1%も知ることができない。 それほどに人生は短く世界は広い。
テーマ自体が自己言及的性質を持っているためどこにフォーカスするかで読み手の解釈がばらけている印象
何かさ、辞めた若手がアドヴァイスで日本式に染まらず転職って言うのがねぇ、彼の器の問題だったんかなと深い示唆を感じる。