“批判する場合でも、当該の影響力あるテクストを、誰もが公的に読みえて客観的に判断しうる状況がまず作られていなければなりません”/“呑気すぎる編集部に…”こういう時「呑気」という言葉を使うのは違和感ある
虐げられポジションの解説者が虐げポジションという構造? コインブラ聞いたことあるなーで調べたらポルトガルの京都かー
著者のハラスメント疑惑とキャンセルの経緯をここまで正直に説明する出版局のスタンスは興味深いな
トラブルを知らずに刊行しちゃったのでとにかく売らなきゃいけない、という事情な気はするが、とはいえ顛末をきちんと説明してくれるのは誠実だと思う
「呑気すぎる編集部に、ハラスメント問題の深刻さをあらかじめ感知するセンスが欠けていたことは否めず、何かごくありふれたレベルの係争が、著者の身近な人間関係のなかで生じたのだろうくらいの認識であったため」
一般の出版社だとどっちの本も出せばバランスとったことにできるっしょってところも多そうなのにさすがだなあと素朴に思ってしまった。一件に関わる様々な問題点への目配りに知的誠実さを感じた
まあ往年の一部人文系「スター」研究者の所業なんてあれこれ言い出したらペンペン草も生えませんからな。これはこれで版元が取りうる今日的な対応と思う
すぐに判断はできないが出版自体に問題があるとは思えない。ただ、値段が6000円以上なのでやたら高く感じる。問題はむしろそちらなのでは。どちらだか判断がつかない内容にそんなお高い金を払う気になるかどうか
まっとうな文章だと思う一方で、告発した側の失うものや心理的負担を考えると、第三者は気楽で呑気なもんだなあ、という気持ちにはなってしまった。しょうがないけどいたたまれないな……しょうがないけどね……
“まで”
“肝心の加害者とされる者たちの個人名が明記されておらず”個人名をさらせという法政大の主張
学問の矛盾は美しいバラの棘のようですわね。倫理と透明性、両方を大切にしたいものですの。
「啓発的なこと書いてた」と「その著者としてどうなのか」の矛盾をアカデミア内の知的闘争と見て、闘争内容まで吟味するのはまさにアカデミア的誠実なんでしょうけど、普段そんなことしてますか?的な別の感想もある
コインブラと聞いてジーコしか思い浮かばないサッカーファン
「情報は得ていましたが、企画会議の段階で、製作担当者および編集部も、その点をまずもって精査すべきというような必要性までは覚えませんでした。」セクハラがどうでもいいといふスタンスならありだらうね。
公判に耐えられないレベルの小規模なパワハラ・セクハラがあったってことだろうか。キャンセル・カルチャーがまったくの濡れ衣だった事例を知ってるから、こういうのは何とも言えない(もう言ってるけど)
「著者自身のハラスメント問題についてはほぼ無知なまま、詳しい情報を得ようとする努力もしないままに、刊行に至りました」
まあ著者/学者がその主張を裏切る振る舞いを行ってるなどありふれており、いかがなものかとは思うものの目くじら立てるほどでもない。そんな著作は信頼できないとは読者が判断すればよく、出版側は出版でいいよ。
褒めている向きが多いが、実際には事件があったと匂わせる書き方で、推定無罪の原則が忘れ去られている。推定無罪なんて時代遅れで捨てるべきだだという、人文界隈の異常な空気がこのコメントに表れている
『南の認識論』著者に生じたトラブルをめぐって|法政大学出版局◉別館
“批判する場合でも、当該の影響力あるテクストを、誰もが公的に読みえて客観的に判断しうる状況がまず作られていなければなりません”/“呑気すぎる編集部に…”こういう時「呑気」という言葉を使うのは違和感ある
虐げられポジションの解説者が虐げポジションという構造? コインブラ聞いたことあるなーで調べたらポルトガルの京都かー
著者のハラスメント疑惑とキャンセルの経緯をここまで正直に説明する出版局のスタンスは興味深いな
トラブルを知らずに刊行しちゃったのでとにかく売らなきゃいけない、という事情な気はするが、とはいえ顛末をきちんと説明してくれるのは誠実だと思う
「呑気すぎる編集部に、ハラスメント問題の深刻さをあらかじめ感知するセンスが欠けていたことは否めず、何かごくありふれたレベルの係争が、著者の身近な人間関係のなかで生じたのだろうくらいの認識であったため」
一般の出版社だとどっちの本も出せばバランスとったことにできるっしょってところも多そうなのにさすがだなあと素朴に思ってしまった。一件に関わる様々な問題点への目配りに知的誠実さを感じた
まあ往年の一部人文系「スター」研究者の所業なんてあれこれ言い出したらペンペン草も生えませんからな。これはこれで版元が取りうる今日的な対応と思う
すぐに判断はできないが出版自体に問題があるとは思えない。ただ、値段が6000円以上なのでやたら高く感じる。問題はむしろそちらなのでは。どちらだか判断がつかない内容にそんなお高い金を払う気になるかどうか
まっとうな文章だと思う一方で、告発した側の失うものや心理的負担を考えると、第三者は気楽で呑気なもんだなあ、という気持ちにはなってしまった。しょうがないけどいたたまれないな……しょうがないけどね……
“まで”
“肝心の加害者とされる者たちの個人名が明記されておらず”個人名をさらせという法政大の主張
学問の矛盾は美しいバラの棘のようですわね。倫理と透明性、両方を大切にしたいものですの。
「啓発的なこと書いてた」と「その著者としてどうなのか」の矛盾をアカデミア内の知的闘争と見て、闘争内容まで吟味するのはまさにアカデミア的誠実なんでしょうけど、普段そんなことしてますか?的な別の感想もある
コインブラと聞いてジーコしか思い浮かばないサッカーファン
「情報は得ていましたが、企画会議の段階で、製作担当者および編集部も、その点をまずもって精査すべきというような必要性までは覚えませんでした。」セクハラがどうでもいいといふスタンスならありだらうね。
公判に耐えられないレベルの小規模なパワハラ・セクハラがあったってことだろうか。キャンセル・カルチャーがまったくの濡れ衣だった事例を知ってるから、こういうのは何とも言えない(もう言ってるけど)
「著者自身のハラスメント問題についてはほぼ無知なまま、詳しい情報を得ようとする努力もしないままに、刊行に至りました」
まあ著者/学者がその主張を裏切る振る舞いを行ってるなどありふれており、いかがなものかとは思うものの目くじら立てるほどでもない。そんな著作は信頼できないとは読者が判断すればよく、出版側は出版でいいよ。
褒めている向きが多いが、実際には事件があったと匂わせる書き方で、推定無罪の原則が忘れ去られている。推定無罪なんて時代遅れで捨てるべきだだという、人文界隈の異常な空気がこのコメントに表れている