(ダイアナの性質上)炎上ありきだったと本人が書いてたと思うが、その能力と作家としての力が噛み合い過ぎ、厄介を呼んだ様に見える。増田の様に腐す為言及する人ばかりだが、実際,人の心を突き刺して行く"文学"だよね
私小説の裏返しと見ると純文学とはこうだみたいなアプローチかな。「純喫茶」の元々の定義が「ウチはカフェーじゃないので酒も出さないし女性の接待もないよ」みたいな件を連想した。※アプローチに対する感想
え、やまもおちもあったと見るが? 私小説=純文学というのも「?」だしな……
"留学先で女孕ませたら女が気が狂ったみたいな刺激的な私小説もあったわけだが"
(知的障害者を扱う優れた大衆文学もありますぜ)(それに"刺激的な設定でバスるためだけ"というが、純文学か否か関係なくバズること願わない作家はいないよ。君らは『ブリキの太鼓』に刺激的設定でクソっていうの?
この記事で文学的に批評されてる https://yomitai.jp/series/shikujiriotoko/13_yamashita/
えれえ古臭い文学観やな
作者の技量が低かったから純文学っぽくなっただけで本人の意図は露悪的エッセイ集でしかないと思うよ。もし本当に純文学として描いてたなら山田は咎を背負い生きていくよ。
どっちでもええわ おもんないんだから
「純文学とは私小説」って私小説は日本特有の文学的形式とされている事も知らない人間が文学を語るなんて失笑
文学性なんてBLと同じくらい無理くり理屈をつけられる話で文学だからどうとか意味がなさすぎる。炎上したのは経緯であってその一部に作品があるのだから、それを忘れて作品だけを褒めあげるのはだいぶせこい態度。
純文学とは最もかけ離れた商業主義を極めたものだろうな。見えるのは炎上させて売りたいのみ
"純文学を目指していたなら、みいちゃんと山田さんがやおいなのは仕方ない""そうでないと、ただただ刺激的な設定でバズるためだけしか考えてない"これが言いたかったのだろう
純文学=私小説は見識が狭すぎる
誰が何を描こうと自由だけど、バズったりアニメ化の話が出たりすれば、嫌だという人も増えますよというだけの話をいつまで擦るの。創作の意図なんて他人にわかるわけないし、作家本人にもわからないかもしれない。
商業主義って言うけどさあ、狙って売れるもんなんかそう簡単に作れないって。炎上抜きであれだけ結果出したものを技量だの才能だので腐せるのすごいなと思う。なにか訴えるものがなければ人は一円も金出さないよ
最終巻部分は読んでないが、ヤマはみいちゃんと山田さんの共同生活が終わる所で、オチはエピローグではないかい?意味は読者が勝手に付けるものだろう
雑な純文学観を元に話を進めても意味はない
文学性も露悪も、嫌な現実も笑える誇張も、啓発も偏見も、面白くなりそうなら全部ブチ込んだのが『みい山』なのかなと思った。たぶん単一軸で評価しようとする色々と見誤る作品だろう。
文学に失礼だろ…とか一瞬思ったが、まぁまぁ露悪を薄めてジュブナイルにした砂糖菓子の弾丸と言われたらそうか……みい山は文学です!!!!
葛西善蔵か。
エロゲーは文学から25年経った現在、文学はみい山になっていた
序盤で山田さんが読んでた本が、ドイツの詩人ノヴァーリスの「青い花」という本なんだけど、その内容がまさに少女との出会い、そして彼女の死を通して、単なる若者から「詩人」へと覚醒していくプロセスになってる
上手く小説にパッケージしてたら、そういう風味になってた可能性もあるな。そしてなんか意味ありげに持ち上げられたかもしれない
貴方がたをヤマやオチで楽しませるために、気持ちよくさせるために、浅いレベルで喜ばせるために、今までものと同じように書かれたたものではない、というのは確かだね。ちょっとだけ読んだけどこれは刻むためのもの
醜悪すぎる漫画、でしかない気がする
「純文学というのは、簡単にいえば私小説だ」←そうなんか?!
そこまでアクロバティック擁護するほどのものではないのでは
私小説と言うなら『毎日、病んでます』あたりもかなり私小説じゃないかな。
迷惑系youtuberを「新たな表現者」と持て囃すが如し愚行だよそれは
どんな作品であれnot for meの人がわざわざ炎上の波に乗せられて見るようになれば悪様な感想が出るのは当たり前なのにね。まるで他人の家庭の食卓に乗り込んで塩気が無いと言っているようなものだよ。衆愚です。
まあ同じ世界観、同じ設定で初出が小説ならそういう評価もされたかも知れないね。そうなると作者のエッセイなんかは物凄く余計というか蛇足というか
現代版「少女椿」として受け取った。最後も最初は違和感あったが後々腹落ちした
やおいって女性向け同人漫画から生まれた言葉だから純文学をやおいっていうのは違和感あるな
「というだけの話をいつまで擦るの」←はてブでこの手のブコメがトップになるんだ…自民信者が野党に「〇〇の批判をいつまでするんだ」と話逸らすのと同じやん。しかも「嫌だ」でなく「アニメ化するな」と言ってた
ピカレスク文学じゃないのか。麻雀放浪記では出目徳が急死すると身ぐるみはがされた上でドブに捨てられるぞ。
刺さった人と拒絶する人と。この毀誉褒貶っぷり、客観的に見えて自分語りしかしていない考察はエヴァ本放送当時を彷彿とさせる。そのうちパチンコ機になるんじゃないかな『スマパチみいちゃんと山田さん』
確かに阿部和重でも獲れたんだから小説だったら芥川賞取れそうな感じするもんな。
?根本は逆だと思う。
実際、かなり前から純文学(というか芥川賞)は弱者属性の当事者による当事者文学が中心の1つになりつつあり、正しく純文学の系譜であり得る。またアニメ化批判は実は論理性が無いとも https://anond.hatelabo.jp/20260805114910
「100ワニの売春婦版&実話語り風」で初速が出て、露悪と炎上でバズった感じ。完成度が低すぎて残念ながら5年後には全く評価されてないだろうけど。悪い意味での話題には出るかもしれんが
ちゃんと「馬鹿な女がヒス起こしながら不幸のどん底に転げ落ちるのをニヤニヤ嘲笑して楽しむ作品です」と言えばいいのに障害者を差別する意図はないだの社会的な意義だのアニメ化するために見栄を張るからこうなる
あれは明治時代に大流行した自然主義文学なんだよ。人間をありのままに書くのが自然主義なんだけど、日本では何故か露悪的になっちゃう。
「純文学というのは、簡単にいえば私小説だ」ここまで読んだ
バズ目的のみい山の読者受けを狙った表現を純文学と同一視するのは流石に双方に失礼では?エンタメと内心の吐露は相反する要素では?
どっちかというと『純文学を目指せばよかった』だと思うな。
文学でもエンタメでも、小説なら炎上しなかったというのはまぁありそう。漫画はアホでも読めちゃうからな
“純文学というのは、簡単にいえば私小説だ” 新潮社「純文学書き下ろし特別作品」である『虚構船団』や『箱男』が私小説だったら面白い(以下未読)
100ワニ化現象
どうせなら、全部の文に「私は思ってる。」って付けよう
食い詰めた反社関係者のうわ言をまとめたら、純文学になりますか?
あのオチは心中でしょう。8年越しの。なので心中物です。この作品は令和版と呼べるくらいに『火垂るの墓』とシンクロする部分がある。清太の死と山田さんの死は同じ。
みいちゃんと山田さんは純文学を目指したのかも
(ダイアナの性質上)炎上ありきだったと本人が書いてたと思うが、その能力と作家としての力が噛み合い過ぎ、厄介を呼んだ様に見える。増田の様に腐す為言及する人ばかりだが、実際,人の心を突き刺して行く"文学"だよね
私小説の裏返しと見ると純文学とはこうだみたいなアプローチかな。「純喫茶」の元々の定義が「ウチはカフェーじゃないので酒も出さないし女性の接待もないよ」みたいな件を連想した。※アプローチに対する感想
え、やまもおちもあったと見るが? 私小説=純文学というのも「?」だしな……
"留学先で女孕ませたら女が気が狂ったみたいな刺激的な私小説もあったわけだが"
(知的障害者を扱う優れた大衆文学もありますぜ)(それに"刺激的な設定でバスるためだけ"というが、純文学か否か関係なくバズること願わない作家はいないよ。君らは『ブリキの太鼓』に刺激的設定でクソっていうの?
この記事で文学的に批評されてる https://yomitai.jp/series/shikujiriotoko/13_yamashita/
えれえ古臭い文学観やな
作者の技量が低かったから純文学っぽくなっただけで本人の意図は露悪的エッセイ集でしかないと思うよ。もし本当に純文学として描いてたなら山田は咎を背負い生きていくよ。
どっちでもええわ おもんないんだから
「純文学とは私小説」って私小説は日本特有の文学的形式とされている事も知らない人間が文学を語るなんて失笑
文学性なんてBLと同じくらい無理くり理屈をつけられる話で文学だからどうとか意味がなさすぎる。炎上したのは経緯であってその一部に作品があるのだから、それを忘れて作品だけを褒めあげるのはだいぶせこい態度。
純文学とは最もかけ離れた商業主義を極めたものだろうな。見えるのは炎上させて売りたいのみ
"純文学を目指していたなら、みいちゃんと山田さんがやおいなのは仕方ない""そうでないと、ただただ刺激的な設定でバズるためだけしか考えてない"これが言いたかったのだろう
純文学=私小説は見識が狭すぎる
誰が何を描こうと自由だけど、バズったりアニメ化の話が出たりすれば、嫌だという人も増えますよというだけの話をいつまで擦るの。創作の意図なんて他人にわかるわけないし、作家本人にもわからないかもしれない。
商業主義って言うけどさあ、狙って売れるもんなんかそう簡単に作れないって。炎上抜きであれだけ結果出したものを技量だの才能だので腐せるのすごいなと思う。なにか訴えるものがなければ人は一円も金出さないよ
最終巻部分は読んでないが、ヤマはみいちゃんと山田さんの共同生活が終わる所で、オチはエピローグではないかい?意味は読者が勝手に付けるものだろう
雑な純文学観を元に話を進めても意味はない
文学性も露悪も、嫌な現実も笑える誇張も、啓発も偏見も、面白くなりそうなら全部ブチ込んだのが『みい山』なのかなと思った。たぶん単一軸で評価しようとする色々と見誤る作品だろう。
文学に失礼だろ…とか一瞬思ったが、まぁまぁ露悪を薄めてジュブナイルにした砂糖菓子の弾丸と言われたらそうか……みい山は文学です!!!!
葛西善蔵か。
エロゲーは文学から25年経った現在、文学はみい山になっていた
序盤で山田さんが読んでた本が、ドイツの詩人ノヴァーリスの「青い花」という本なんだけど、その内容がまさに少女との出会い、そして彼女の死を通して、単なる若者から「詩人」へと覚醒していくプロセスになってる
上手く小説にパッケージしてたら、そういう風味になってた可能性もあるな。そしてなんか意味ありげに持ち上げられたかもしれない
貴方がたをヤマやオチで楽しませるために、気持ちよくさせるために、浅いレベルで喜ばせるために、今までものと同じように書かれたたものではない、というのは確かだね。ちょっとだけ読んだけどこれは刻むためのもの
醜悪すぎる漫画、でしかない気がする
「純文学というのは、簡単にいえば私小説だ」←そうなんか?!
そこまでアクロバティック擁護するほどのものではないのでは
私小説と言うなら『毎日、病んでます』あたりもかなり私小説じゃないかな。
迷惑系youtuberを「新たな表現者」と持て囃すが如し愚行だよそれは
どんな作品であれnot for meの人がわざわざ炎上の波に乗せられて見るようになれば悪様な感想が出るのは当たり前なのにね。まるで他人の家庭の食卓に乗り込んで塩気が無いと言っているようなものだよ。衆愚です。
まあ同じ世界観、同じ設定で初出が小説ならそういう評価もされたかも知れないね。そうなると作者のエッセイなんかは物凄く余計というか蛇足というか
現代版「少女椿」として受け取った。最後も最初は違和感あったが後々腹落ちした
やおいって女性向け同人漫画から生まれた言葉だから純文学をやおいっていうのは違和感あるな
「というだけの話をいつまで擦るの」←はてブでこの手のブコメがトップになるんだ…自民信者が野党に「〇〇の批判をいつまでするんだ」と話逸らすのと同じやん。しかも「嫌だ」でなく「アニメ化するな」と言ってた
ピカレスク文学じゃないのか。麻雀放浪記では出目徳が急死すると身ぐるみはがされた上でドブに捨てられるぞ。
刺さった人と拒絶する人と。この毀誉褒貶っぷり、客観的に見えて自分語りしかしていない考察はエヴァ本放送当時を彷彿とさせる。そのうちパチンコ機になるんじゃないかな『スマパチみいちゃんと山田さん』
確かに阿部和重でも獲れたんだから小説だったら芥川賞取れそうな感じするもんな。
?根本は逆だと思う。
実際、かなり前から純文学(というか芥川賞)は弱者属性の当事者による当事者文学が中心の1つになりつつあり、正しく純文学の系譜であり得る。またアニメ化批判は実は論理性が無いとも https://anond.hatelabo.jp/20260805114910
「100ワニの売春婦版&実話語り風」で初速が出て、露悪と炎上でバズった感じ。完成度が低すぎて残念ながら5年後には全く評価されてないだろうけど。悪い意味での話題には出るかもしれんが
ちゃんと「馬鹿な女がヒス起こしながら不幸のどん底に転げ落ちるのをニヤニヤ嘲笑して楽しむ作品です」と言えばいいのに障害者を差別する意図はないだの社会的な意義だのアニメ化するために見栄を張るからこうなる
あれは明治時代に大流行した自然主義文学なんだよ。人間をありのままに書くのが自然主義なんだけど、日本では何故か露悪的になっちゃう。
「純文学というのは、簡単にいえば私小説だ」ここまで読んだ
バズ目的のみい山の読者受けを狙った表現を純文学と同一視するのは流石に双方に失礼では?エンタメと内心の吐露は相反する要素では?
どっちかというと『純文学を目指せばよかった』だと思うな。
文学でもエンタメでも、小説なら炎上しなかったというのはまぁありそう。漫画はアホでも読めちゃうからな
“純文学というのは、簡単にいえば私小説だ” 新潮社「純文学書き下ろし特別作品」である『虚構船団』や『箱男』が私小説だったら面白い(以下未読)
100ワニ化現象
どうせなら、全部の文に「私は思ってる。」って付けよう
食い詰めた反社関係者のうわ言をまとめたら、純文学になりますか?
あのオチは心中でしょう。8年越しの。なので心中物です。この作品は令和版と呼べるくらいに『火垂るの墓』とシンクロする部分がある。清太の死と山田さんの死は同じ。