読者の「この主人公は作者と名前が同じだな、なんか仕掛けがあるのかな?」という期待に応えられれば良いのでは
くぅ~疲れましたw
それは作者名も含めた創作の話じゃないのか? 京極堂は、さておき(^_^;)
私小説の伝統がある国で何を言ってるんだか。面白ければ主人公と同名だろうが何だろうが名作になるんだよな
主語がデカい自説を全世界へ向けて開陳するなら、それなりの理論武装をしておこうよ。それも小説家なら尚更のことでしょうに。
まとめ内で幾つか出てるが、貶めんが為に許可も得ず特定の個人そのものを出すのはどう考えても本人登場よりダメだな…。
(作家が自作に自分を登場させるの自己満足もあるかしらんが、サービス精神でっせ。たいてい「狂言回し」とか「三枚目」やし。「異性にもて金もあり地球も救うヒーロー」の自作自演小説てみたことない)
創作のルールをドヤ顔で語るやつ、恥ずかしくないのか
ミーちゃんが出てくる回も良し悪しだしアシが出てくる回はだいぶ内輪感が強かったけど
デビュー作の名探偵の名前をペンネームにしたのでは。
たまにデウス・エクス・マキナになるケースがあって、それはどうかと思う
ゆ、夢小説…
新井素子の「絶句…」は名作
web小説とかそういうレベルの話をしてるのに大御所作家の名前をあげるのはちょっと…
こんな風に言われるだけで、やってはいけないわけではない https://b.hatena.ne.jp/entry/s/shonenjumpplus.com/episode/316112896928935987
エンタメの決まり事の一つに、どれかの決まり事を破る事というのがあります。
バハムートラグーンの主人公に自分の名前を、ヒロインに好きな子の名前を入れると…みたいな話ではなかった。
善し悪しはともかく、めんどくさいからと共同執筆者とオレの名をとったキャラが、書籍になってから「本人に似てない」と周囲からやかましく言われたので、めんどくさいことは確かですw
すごくテキトーな説。
そうそう「あああ」でいいんだよね
主人公か死亡する自伝エッセイ漫画、穴久保幸作先生のサウナウォーズを読もう
明治の文豪とかにバトルさせたらいけないよ。
むしろ作家を名乗る人が、ここまでほかジャンルの小説を読んでいなかった(一線級のミステリ作家や近現代の作家を知らない)ことに驚いた。
SNSで一番やってはいけないのは「安易に断言する」なんですよね(なおこのコメントもブーメラン)。
名前かぶりはやめたほうがいいよ。同姓同名のアダルト女優がいるから心底そう思うよ。
書籍化ありの俺tueee系のなろう系作家先生の飲み友達がいるのだが、文章のリズムから感じるノリがその先生そのもので、主人公に作家先生の姿がチラついて、ノイズになってる。もうそういう楽しみ方、と諦めて読んでる
栗本薫もそうじゃん。しかも作中では♂!(これ以上はノーコメント)
いくらでも例があるよな…。/ポストの名前欄を見たら「ひびき遊@小説『蒸血のホームズ』Amazonにて発売中!」となってんだけど、この人の持論では、他人のキャラや設定を勝手に自作に使うのはやってもいいんだ?
ウェルベックの『地図と領土』で、ウェルベックが作中に登場するけど、惨殺されるのめちゃくちゃ笑った記憶ある。読み返したくなったな
誰かと思ったら千年戦争アイギスの周年記念番組でおなじみの人だった……
ダレン・シャンの話?
ローラ・インガルス
有栖川とかは「自分の名前をキャラに付けた」のではなく、「俳優が初出演作の役名をそのまま芸名にする」の方だと思うんすよね。つか、名前考えるの大変なんだよ!1人でも少ない方が良いんだよ!意味なんかねえよ!
創作で一番やっていけないのは、そうやってルールやマナーを押し付けることだろ。ポリコレが自明。
ポケモンのサトシ……
ポール・オースターの『ガラスの街』では、主人公に「ポール・オースターさんですか?」という間違い電話がかかってきて話が始まりますな
主要登場人物に手塚治虫がいて、実写ドラマでもしっかり本人が出てくる「バンパイア」。ちなみに水谷豊のデビュー作。
新井素子は作中でエラリー・クイーンが好きなら緻密な構成とか真似ればいいのにこんなしょうもないとこ真似てどうするってキャラクターに言わせてたっけ。懐かしいなあ
反証がいくらでもあるガバガバ説
思い付きで『一番やってはいけないのは』なんて大風呂敷広げるもんだから……
#エッセイ #ミステリー #モキュメンタリー 「創作論~作中人物と作者の境界~手塚治虫~水木しげる~さくらももこ~臼井儀人~新井素子~筒井康隆~京極夏彦~雨穴~アオイホノオ~マシリト」ポケモン(サトシvsシゲル)が強過ぎる。
有栖川有栖の前で言ってみろ
名前を聞いたことないなーというレベルの作家の雑主張に、明らかに格上の作家の成功例を山と積み上げるのは可哀想だからやめてさしあげろ。
言葉の真意を読み取れない文盲たちが群がってる。エッセイって凄く難しいんだよ。自分を良く見せようと働く見栄や虚栄と向き合う必要があるから。他人が共感できるレベルで自分自身を玩具にするのは簡単じゃない。
サトシ「……」
「創作で一番やってはいけないのは」で始まる創作論、たいてい無知なアホ説がまた補強されてしまった。創作で気を付けること多すぎて、こうやって裏返る。
筒井は結構やってなかったっけ?
なぜ中途半端な創作者ほど偉そうに創作を語りたくなるのか問題の典型例。
過剰なメタだったりメアリー・スーにならないようには気をつけなきゃいけないかも?
創作でやってはいけない事で、パッと頭に浮かんだのはエタル事って思ったけど、未完でも傑作は傑作なんよなあ
好きに書け。定義屋うぜぇ
この人がそう思ってるだけで、作家が自分でどうするか考えれば良いのでは? 読者としては、面白ければ・楽しめればなんの問題もない。なお、私は栗本薫ファンである。
視野が狭いから「一番」「やってはいけない」とか言ってしまうわけだけど、その視野の狭さ・客観視の欠如はむしろいわゆるくぅ疲をやってしまう側の特性。語り掛ける体でなく自戒として発言すれば完璧だったのでは。
なろうとかではやめた方がええよ。くらいかな
なんぼでも実例があるような物について、どういう想定で言っているのか。単に視野の狭さを晒す結果になってなきゃいいんだけど。
職歴は長いけど、アニメ化作品もないし、売上も振るってるの見たことないひびき遊が講師なんかしてるんだ。ほーん、と見てて思った。そのメソッドで自作売れるようにしては?
栗本薫の僕らシリーズの最初のやつは主人公栗本薫で犯人は自分だったような(協力者であって犯人とは言えないのか?)
ひびき遊は第15回富士見ファンタジアの賞出身で現在38回目ってことは芸歴23年以上ってことになるけど代表作は特にないんで…察してくれ
SNSでバズる創作論なんかが役に立った日があっただろうか
ぼく地球の作者もデビュー作の主人公の名前がそのまま作者ペンネーム。
新本格系に多そうと思ったら、すでに言及されてた。京極堂は中禅寺秋彦なので、ちょっとズレてる気もする。
お前誰やねん
これ系でパッと思いつくのはらきすたのかがみだな。なぜ作者はツンデレツインテJKキャラに自分と同じ名を付けたんだろ?と当時は疑問に思ってた。でもやってはいけないという事はないのでは。らきすたは人気あったし
京極夏彦の本名が中禅寺秋彦なの知らんかった
自分の名前を第一村人に使いたいなって思った
逆に辻村深月は編集者にデビュー作の主人公の名前をペンネームにしろって言われたんじゃなかったか
秋本治
ごめん、アフォじゃなくてアフィ / こいつはただのアフォ
ガンパレの芝村がうざい、ならわかる
知識が無い分野の雑語りをしてはいけない。何故なら、あなたより知識がある人の踏み台にしかならないから
無教養や物知らずが発言するとこうなります、はい/夢小説おもろいよね
だっさ
こういうので先輩大物作家、同業者を多少なりとも不快にさせたら、今後なにかしら不都合あるかもしれないのに軽率すぎるだろ。
ラノベ作家に一端の小説家に求めるような品格を求めるのは酷。ピンキリ。
潔癖症的なものでしょうけど近代以前にはそういう風潮もあったかと。写真家は自分を作品に入れるのは禁忌とされていた風潮を篠山紀信が打ち破ったとかみたいな。
ペンネームじゃなくて本名、とかいうのはかなりカッコ悪い主張なので辞めたほうが良いと思う。あと、初心者は自分の名前を使わないほうがいいよ、くらいなら良かったんじゃないかなぁ。
涼宮ハルヒシリーズのキョンの本名「谷川流」説って、90年代ミステリの影響を受けているところがあるからっていうのが理由だったなと思い出す。
割と面白い話だった。創作のルールを考える人は結構いるけど、ルール破りをする名作によって破綻する運命なのだ。「仮説」くらいにしておいた方がいい。
京極夏彦については中禅寺秋彦(京極堂)よりも、ギャグ小説の南極夏彦の方が筆名に近いな。
“あの「フィクションが現実に侵食してくる感覚」 ダレン・シャンって吸血鬼もの 本格ミステリなら普通のことだし(探偵ないしワトソン役が筆者と同名)”
創作で一番やってはいけないのは、「自分の名前を主人公に使うこと」…ラノベ作家の創作論にミステリファンが首をかしげる→エラリー・クイーン、京極夏彦など多数
読者の「この主人公は作者と名前が同じだな、なんか仕掛けがあるのかな?」という期待に応えられれば良いのでは
くぅ~疲れましたw
それは作者名も含めた創作の話じゃないのか? 京極堂は、さておき(^_^;)
私小説の伝統がある国で何を言ってるんだか。面白ければ主人公と同名だろうが何だろうが名作になるんだよな
主語がデカい自説を全世界へ向けて開陳するなら、それなりの理論武装をしておこうよ。それも小説家なら尚更のことでしょうに。
まとめ内で幾つか出てるが、貶めんが為に許可も得ず特定の個人そのものを出すのはどう考えても本人登場よりダメだな…。
(作家が自作に自分を登場させるの自己満足もあるかしらんが、サービス精神でっせ。たいてい「狂言回し」とか「三枚目」やし。「異性にもて金もあり地球も救うヒーロー」の自作自演小説てみたことない)
創作のルールをドヤ顔で語るやつ、恥ずかしくないのか
ミーちゃんが出てくる回も良し悪しだしアシが出てくる回はだいぶ内輪感が強かったけど
デビュー作の名探偵の名前をペンネームにしたのでは。
たまにデウス・エクス・マキナになるケースがあって、それはどうかと思う
ゆ、夢小説…
新井素子の「絶句…」は名作
web小説とかそういうレベルの話をしてるのに大御所作家の名前をあげるのはちょっと…
こんな風に言われるだけで、やってはいけないわけではない https://b.hatena.ne.jp/entry/s/shonenjumpplus.com/episode/316112896928935987
エンタメの決まり事の一つに、どれかの決まり事を破る事というのがあります。
バハムートラグーンの主人公に自分の名前を、ヒロインに好きな子の名前を入れると…みたいな話ではなかった。
善し悪しはともかく、めんどくさいからと共同執筆者とオレの名をとったキャラが、書籍になってから「本人に似てない」と周囲からやかましく言われたので、めんどくさいことは確かですw
すごくテキトーな説。
そうそう「あああ」でいいんだよね
主人公か死亡する自伝エッセイ漫画、穴久保幸作先生のサウナウォーズを読もう
明治の文豪とかにバトルさせたらいけないよ。
むしろ作家を名乗る人が、ここまでほかジャンルの小説を読んでいなかった(一線級のミステリ作家や近現代の作家を知らない)ことに驚いた。
SNSで一番やってはいけないのは「安易に断言する」なんですよね(なおこのコメントもブーメラン)。
名前かぶりはやめたほうがいいよ。同姓同名のアダルト女優がいるから心底そう思うよ。
書籍化ありの俺tueee系のなろう系作家先生の飲み友達がいるのだが、文章のリズムから感じるノリがその先生そのもので、主人公に作家先生の姿がチラついて、ノイズになってる。もうそういう楽しみ方、と諦めて読んでる
栗本薫もそうじゃん。しかも作中では♂!(これ以上はノーコメント)
いくらでも例があるよな…。/ポストの名前欄を見たら「ひびき遊@小説『蒸血のホームズ』Amazonにて発売中!」となってんだけど、この人の持論では、他人のキャラや設定を勝手に自作に使うのはやってもいいんだ?
ウェルベックの『地図と領土』で、ウェルベックが作中に登場するけど、惨殺されるのめちゃくちゃ笑った記憶ある。読み返したくなったな
誰かと思ったら千年戦争アイギスの周年記念番組でおなじみの人だった……
ダレン・シャンの話?
ローラ・インガルス
有栖川とかは「自分の名前をキャラに付けた」のではなく、「俳優が初出演作の役名をそのまま芸名にする」の方だと思うんすよね。つか、名前考えるの大変なんだよ!1人でも少ない方が良いんだよ!意味なんかねえよ!
創作で一番やっていけないのは、そうやってルールやマナーを押し付けることだろ。ポリコレが自明。
ポケモンのサトシ……
ポール・オースターの『ガラスの街』では、主人公に「ポール・オースターさんですか?」という間違い電話がかかってきて話が始まりますな
主要登場人物に手塚治虫がいて、実写ドラマでもしっかり本人が出てくる「バンパイア」。ちなみに水谷豊のデビュー作。
新井素子は作中でエラリー・クイーンが好きなら緻密な構成とか真似ればいいのにこんなしょうもないとこ真似てどうするってキャラクターに言わせてたっけ。懐かしいなあ
反証がいくらでもあるガバガバ説
思い付きで『一番やってはいけないのは』なんて大風呂敷広げるもんだから……
#エッセイ #ミステリー #モキュメンタリー 「創作論~作中人物と作者の境界~手塚治虫~水木しげる~さくらももこ~臼井儀人~新井素子~筒井康隆~京極夏彦~雨穴~アオイホノオ~マシリト」ポケモン(サトシvsシゲル)が強過ぎる。
有栖川有栖の前で言ってみろ
名前を聞いたことないなーというレベルの作家の雑主張に、明らかに格上の作家の成功例を山と積み上げるのは可哀想だからやめてさしあげろ。
言葉の真意を読み取れない文盲たちが群がってる。エッセイって凄く難しいんだよ。自分を良く見せようと働く見栄や虚栄と向き合う必要があるから。他人が共感できるレベルで自分自身を玩具にするのは簡単じゃない。
サトシ「……」
「創作で一番やってはいけないのは」で始まる創作論、たいてい無知なアホ説がまた補強されてしまった。創作で気を付けること多すぎて、こうやって裏返る。
筒井は結構やってなかったっけ?
なぜ中途半端な創作者ほど偉そうに創作を語りたくなるのか問題の典型例。
過剰なメタだったりメアリー・スーにならないようには気をつけなきゃいけないかも?
創作でやってはいけない事で、パッと頭に浮かんだのはエタル事って思ったけど、未完でも傑作は傑作なんよなあ
好きに書け。定義屋うぜぇ
この人がそう思ってるだけで、作家が自分でどうするか考えれば良いのでは? 読者としては、面白ければ・楽しめればなんの問題もない。なお、私は栗本薫ファンである。
視野が狭いから「一番」「やってはいけない」とか言ってしまうわけだけど、その視野の狭さ・客観視の欠如はむしろいわゆるくぅ疲をやってしまう側の特性。語り掛ける体でなく自戒として発言すれば完璧だったのでは。
なろうとかではやめた方がええよ。くらいかな
なんぼでも実例があるような物について、どういう想定で言っているのか。単に視野の狭さを晒す結果になってなきゃいいんだけど。
職歴は長いけど、アニメ化作品もないし、売上も振るってるの見たことないひびき遊が講師なんかしてるんだ。ほーん、と見てて思った。そのメソッドで自作売れるようにしては?
栗本薫の僕らシリーズの最初のやつは主人公栗本薫で犯人は自分だったような(協力者であって犯人とは言えないのか?)
ひびき遊は第15回富士見ファンタジアの賞出身で現在38回目ってことは芸歴23年以上ってことになるけど代表作は特にないんで…察してくれ
SNSでバズる創作論なんかが役に立った日があっただろうか
ぼく地球の作者もデビュー作の主人公の名前がそのまま作者ペンネーム。
新本格系に多そうと思ったら、すでに言及されてた。京極堂は中禅寺秋彦なので、ちょっとズレてる気もする。
お前誰やねん
これ系でパッと思いつくのはらきすたのかがみだな。なぜ作者はツンデレツインテJKキャラに自分と同じ名を付けたんだろ?と当時は疑問に思ってた。でもやってはいけないという事はないのでは。らきすたは人気あったし
京極夏彦の本名が中禅寺秋彦なの知らんかった
自分の名前を第一村人に使いたいなって思った
逆に辻村深月は編集者にデビュー作の主人公の名前をペンネームにしろって言われたんじゃなかったか
秋本治
ごめん、アフォじゃなくてアフィ / こいつはただのアフォ
ガンパレの芝村がうざい、ならわかる
知識が無い分野の雑語りをしてはいけない。何故なら、あなたより知識がある人の踏み台にしかならないから
無教養や物知らずが発言するとこうなります、はい/夢小説おもろいよね
だっさ
こういうので先輩大物作家、同業者を多少なりとも不快にさせたら、今後なにかしら不都合あるかもしれないのに軽率すぎるだろ。
ラノベ作家に一端の小説家に求めるような品格を求めるのは酷。ピンキリ。
潔癖症的なものでしょうけど近代以前にはそういう風潮もあったかと。写真家は自分を作品に入れるのは禁忌とされていた風潮を篠山紀信が打ち破ったとかみたいな。
ペンネームじゃなくて本名、とかいうのはかなりカッコ悪い主張なので辞めたほうが良いと思う。あと、初心者は自分の名前を使わないほうがいいよ、くらいなら良かったんじゃないかなぁ。
涼宮ハルヒシリーズのキョンの本名「谷川流」説って、90年代ミステリの影響を受けているところがあるからっていうのが理由だったなと思い出す。
割と面白い話だった。創作のルールを考える人は結構いるけど、ルール破りをする名作によって破綻する運命なのだ。「仮説」くらいにしておいた方がいい。
京極夏彦については中禅寺秋彦(京極堂)よりも、ギャグ小説の南極夏彦の方が筆名に近いな。
“あの「フィクションが現実に侵食してくる感覚」 ダレン・シャンって吸血鬼もの 本格ミステリなら普通のことだし(探偵ないしワトソン役が筆者と同名)”