読ませる
批評の通俗化に対する青臭いまでの怒りがストレートにぶつけられていて読み応えある
力作。三宅香帆は徹底して文章が下手で読む気にならない。
自分にも「なんでこんな人が評価されてるんだろう」、「それなりの人たちも批判せず黙ってるのか」的なことはよくあるけど、ヤマダ氏の熱量はすごいな。
日本の批評はアカデミアでいえば国文学的なもの、文芸でいえば文壇的権威から距離をおくことをモチーフにしてきたのだが、三宅=万葉集研究者がその文体を「アカデミック」と感じるのは皮肉以前に何かが転倒している
件のnote、読んでみたけど、小林秀雄も蓮實重彦も柄谷行人も文体はカッコいいけど女の方を向いていない、だって女の私がそう思うんだもん、という感じで、そうですかご自由にとしか言いようがない。
三宅さんの文章読んだ。私は選ばれし批評の読者だったのかもなあ。女だけど/20代のとき、吉本隆明を愛読して文体に影響を受けブログを書いてたら、「お前は50代のネカマだ」と執拗に言われ困ったことがある。
Z世代とか、そういうヤツ?
可愛いからYouTubeとか本読んだりしてみたけど得れるものは何も無かった…。。
やれやれ、文筆の世界で売れるってほんとうに厄介だな
三宅香帆の文章は Argument が存在せず何を言っているのかわからない。著作もだが「本や批評が読めないのは貴方のせいじゃないんだよ☆」くらいしか言ってないので読んで得るものがない。
むしろ冒頭からいきなり批判対象者を「こんな人」呼ばわりで始めるこの論考の方が「批評」を語るにふさわしくないと感じます。いかに三宅氏の批評の質が低かったとしても人格攻撃してよい理由にはならないでしょう。
件の人の文章は雰囲気だけがあって内容を読み取れないというか、そもそも見てほしいのは内容じゃなくて自分なんだろうなという感じがあって毎度これがNot for meってやつかーとなる
『彼らの書いているものの内容は関係なく、ただ文体だけのかっこつけで彼らは評価されているという事になるのだろうか』 あれっ? そういうことになります? なんでかな?
人を批判するのにこんな文章書くの、朝日新聞の読者投稿欄の80歳男性みたいなダサさがある。実際定年退職後に家にずっといる男性みたいな文章。100歩譲って商業出版で本を出してる人ならいいけど。
“私の方を向いていない” まあそんなスタンスもあるよ。“私が相手に向かって自分を開かなければならない”まあそんなスタンスもある。/自分を開いた方がたくさんの文学を取り込めそうなので私は後者
三宅香帆のなんとなく思ってる感覚に共感をする人を求めてるだけで、この人が特に何かを言ってるわけではないのはアトロクを聞いてもわかる。
この人の文章を一度読まされて、頭を抱えた。これで文芸評論家を名乗れるのは、一つの才能だと思うが。/Wiki見たら、京大の博士課程(前期)で万葉集を研究してたのか。正直ビックリした。
この文章の「こんな人」が即、人格攻撃とは読めないけど。/ 関係ないが、三宅香帆さんと仲がいいという長谷川あかりさんの文章、めちゃくちゃしっかりして論理的で驚いた。
件の人はとにかく全てが浅薄すぎるんだよなあ
三宅はマス女性の心理を理解しているマーケターであり、文学サプリの定義もインサイトを適切に捉えたものでは。ただ、文学サプリを読んだところで現実が改善されるわけではない。皮肉なことに健康食品と同じである。
わからないから嫌い、で逃げていては人生はつまらない、わかろうとしなければ物事の本質はいつまでもわからない、って湾岸ミッドナイトがずっと言ってるな でも楠みちはるの漫画は先方に向き合ってない判定かもな
他人の評価がどうあるか、自他の境界のあいまいな人は生きづらそう。三宅氏は本好きと言うことのハードルを下げて間口を広げている。日本文学は純文を読む日本人だけを相手にしていても滅びるのでこの役割は大きい。
本屋が好きで毎日のように通ってるけど、日に日に書店内で「三宅香帆」の存在感が増してる気がする。気になった本の帯やPOPに「三宅香帆氏推薦!!」とか書いてあるとめちゃくちゃ萎えるんだよね……。
三宅氏は人文系インフルエンサーとして適切な立ち位置で露出しまくってるだけなので、アカデミックに寄り過ぎなければ過度に批判される存在だとは思わない
たぶん「批評」とか「東浩紀にかわる覇者になる」とか、およそ自分がやってないことをさもやってるかのように言うのだけ改めれば、「そういうひと」として流せるのになぁ、とは思うよ。あと京都のあの書店ひどかった
ブチ切れてるの凄く良いと思う。私はもう、「あー、はいはい。」で流しちゃう。
この人(非note主)、id:entry:4749919123771224512の紹介が滅茶苦茶すぎて、本業分野でこんな不誠実な記事をそのままにしておく人の文章全く読む気にならないのだけども
橋本治が「女性の方を向いている」って正気か?橋本の言葉「若い女が好きなのは、自分宛てに来た大量のラブレターをゴミ箱にドサッと音を立てて捨てることで、他人の訳の分かんない胸の内を読むことなんかじゃない」
安吾は小林の「美しい「花」がある、「花」の美しさという様なものはない」って一文をめちゃくちゃ けなしてたよ。 https://www.aozora.gr.jp/cards/001095/files/56812_57634.html
“私は「世」に期待するのをやめたので”←てか、あんた誰よ
三宅の元ネタはこれかな https://note.com/nyake/n/ne6fc08cffa99 /読んだけど何言ってるんだ、この人?としか思えなかったので、ちゃんと向き合って批判してるだけですごい
三宅香帆アンチによってしか三宅香帆を摂取したことがない
彼女のYoutubeで読書習慣が定着したので感謝しているが、何故か彼女の本は読みにくく断念している。何となく私は読書アドバイザーくらいが一番しっくりくるんですがどうでしょう。そんなに批評してない気がするし
自称文芸批評家が文芸批評出来るわけないじゃん!行間を読んで!文芸プロモーターですって書いてあるでしょ!
生産者より解説屋が幅を利かせるようになってはおしまいよね。まさに今の日本。
ここまで言わんでもいいやん。タレント寄りの人がいてもいいじゃない...。書かれてることには同意。
これもまた「素直な感性を尊び技巧を唾棄する」戦後美術教育の悪いところが出ちゃった案件だろうか。
この方が三宅香帆さんのようなキュレーターのスタンスを認めておらず、彼女が文芸評論家と名乗ることに大きな抵抗を覚えていることはよく分かった
所詮はパンピー向けのインフルエンサーだろ、別にどうでもいいじゃん。「もこう氏のポケモンバトルのスタイルは私に語りかけていない」とか憤慨する奴を見たことあるか? 他人を気にしすぎなんだよ
もともと印税や原稿料が安い上にインフレ、しかも書き手の過当競争で「書く仕事」を得ること自体が至難な時代、呑気な筆致で「文芸評論家でごはんを食べてます」とか書かれたら、そりゃ反感どころか殺意すら(以下略
オイラも世に関心失いつつあるけど、まあ三宅さんのお陰で一冊でも多く本売れるなら、それでエエんでない?/ 批評も文学であるからには文章、レトリック、文体が重要だし、いや内容なんてものより、批評=文そのもの
ガハハ「世も末、と言いたいところだが、私は「世」に期待するのをやめたので、なんと言えばいいかわからない。とにかく酷い、としか言えない」/まあわかった気になって原著をポチり作者にゼニが渡ればそれで良し⋯
三宅香帆さんの本は売れている。読んでみると、「で?」という言葉を飲み込んでしまう。なんで、そんなに彼女の本は売れるのだろう?「売れる」ということと「受け入れられる」は、決して同じではない。
いま話題の天狼院書店の京都店で店長を務めてた三宅さんね。三宅さんも「秘めフォト」の勧誘してたのかな? https://x.com/_r4lm/status/2087410713400861172
みんな三宅香帆の文章を真面目に読んでいて偉い
“三宅香帆は「文体をひらく」と呼んでいるのだが、そもそもその内実を理解していない人にはそれを開く事はできない。内容を理解していない人がそれを平易化して人々に配布するのは不可能だ。”これに尽きる
内容には同意できるので「地母神」「女神」という表現は辞められたほうがよろしいかと思います
三宅香帆さんは「何を書くか」という土俵選びで勝ちに行く人なので、書かれている内容自体はそれほど素晴らしくも酷くもない
文体を開いているようで、わかりやすく消化しやすいかたちに閉じてるだけなことに気づかされる。
三宅香帆の批評家としての能力の低さは彼女の書評なりYouTubeを見れば誰でもわかるのだが、この共感の時代には間違いなくマッチしている。けんごと同様、マスに小説を広める能力は圧倒的に高い
そういう態度(文体)だからかつての批評は衰退したのでは……。感情的に三宅氏の問いに乗っかることで彼女の手のうちに入ってしまった構図なのが皮肉である
嘘を書いてる訳ではなし、本に興味を持つ人が増えるなら良いんじゃないか。サプリの必要性は人それぞれ。
この人と対談とかしちゃう人はインチキ確定というリトマス試験紙にしてる
悪いことをするでもなく真っ当に本を書いてたくさん売っているし本の売り上げにも貢献している人に対して結構な数のはてなーが厳しいのが少し不思議 こっちも三宅さんの本読んでないけど
大雑把に言えば「ちいかわ・宇多丸・振られ」増田の彼女みたいな話 https://anond.hatelabo.jp/20260810141007 だが、問題は三宅香帆氏がその辺の女の子ではなく「文芸評論家」を生業としている事なのだろう
橋本治や中島梓の路線で行きたいのなら、そうすればいい(んだけど、それはなかなかむずかしい、ということだろうか。あの二人はどちらも作家だったし。キャラが立ってた御仁でしたからね)
文芸評論に思い入れがないんで、優劣でなく取り組み方の違いとしか思えない。「これぞ文芸評論」って固定観念をこじらせるとこうなっちゃうのかな?
「文学サプリ」「地母神」「現代の女神」…… 論旨はさておき、相手の立ち位置を一語で戯画化する比喩の切れ味は見習いたいですね。
モヤッとボール(IQサプリ)
こんなの書いてないで、おお、真に理解してる人が小林秀雄を「ひらく」とここまで鋭く内容豊かで女性層にも刺さるのか、もう三宅は要らんわ、と世間を沸騰させる小林秀雄入門でも書いてガッポリ稼いで欲しい
こんな人、は批評としていいのでは
そんな有名な人なんだ、初めて聞いた
批評家とただの感想書く人の違いってなんだろうって思っちゃうよな、
「文体がかっこいい」自体は別にいいんだが批評家ならばなぜかっこいいのか批評する必要がある。それができてないというのは言葉を扱う専門家としての力がないということなんだろう。
かっこよさや面白さで文章を評価しても良いのでは。女性が“この文章は男向けだ”と言うのも全然ありだと思うし。このポスト主が自分には必要ないというだけのことだと思う。
そりゃこの人には必要ないだろうけど読書にハードルの高さを感じてる人に一冊でも手に取らせる事の意義は大いにあると思う。
三宅香帆の著作はこれまでたった三冊しか読んでないが、全く感心しない。たぶん、売れてる、から人気があるだけで、確かにこれで文芸評論家を名乗られるとそれはちょっと違うんではないの、とは思う。
三宅香帆と長谷川あかりを間違えてしまうのは私だけでいいな
この方は、読書を世に広める YouTuber なので、良い存在だと思っている。批評家として成り立っていないのはあきらかなのに、攻撃してもしょうがないでしょ。
面白い。こんな風に批判してもらえる文学サプリも読んでみたくなった。
三宅香帆が述べてることも論点自体は一理あるが言い方が阿呆ぽい。橋本治も中島梓も、アカデミズム出身の学者や既存の評論のプロの書く物にはない視点と語り口があって評価すべき云々という言い方なら分かるんだが
元の文章を読んだ。文体好きに特化した批評家がいてもいいと思ったが「それはつまり、読者をひらくことだ」とか言い出した。このひらくとは「啓く」か。啓蒙。文体オタクごときに啓かれるいわれはない。図に乗るな
"三宅香帆の最大の問題点は「私の方を向いている」とか「面白い」とかいった自分の主観が評価基準なのにも関わらず、それをあたかも客観的に意味があるかのように言っている"
文体評論という謎ジャンルだからなぁ。ムカつく気持ちはわかる。が、それが売れるのもわかる。なんかここ最近は急速に中身よりも「ガワ」だけが評価される世の中になってきた。彼女の抜擢はその時代の流れもある。
読みたい本や文章を読んだ方がこの人は幸せになれるんじゃないかと思った。
ブコメに。「こんな人」は別に人格攻撃でも何でもないのでは。ただ能力が、アウトプットの質が低いという話をしているだけで、攻撃はしているが人格の話はしていない。
文体にジェンダーを感じてもいいのだが(有名な「女性オタクの棲む暗い池の底について」のnoteとかもそうだし)、確かに件のnoteはどこが男らしいのか一切説明してなくて全く入ってこなかった
三宅さんのXのプロフィールを見に行ったら、フォローされててびっくりした。共通の興味はなさそうに思えるのに、なんでフォローされてるんだろう?
読書を能動的な営みとする姿勢に共感 | 小林秀雄も主観に基づく批評の人だから、三宅氏には自分の主観で言語化する動機があった&他の人も他人の言語化に頼らず自分の為に言語化してみたら、という布教活動ともいえる
ちょうど昨日、押井守が「最近は小林秀雄とか文芸批評が面白い。ロジック(書かれた内容)より、その人の文章(文体)を楽しむようになってきた」と語る動画をみたところ → https://www.youtube.com/watch?v=awjZVa0pm2I&t=572s
これを三宅香帆批評と解釈するのは正しくなくて、三宅香帆を題材とした現代社会批評、小林秀雄批評なのだと思うが、小林秀雄批評を批評できるほど小林秀雄を読んでないので黙っておこう
これが消費フェミニズム批評の成れの果て。「資本主義リベラリズム」では若い女(F1層消費者兼革命者で絶対無敵)は批判できないのでこうなる。
見てきたけど、何がかっこ良い文体なのか、どこがどう女性/男性を向いているかをきちんと書けば良い評論になるのにと思った。本好きの感想だったら別に構わないのだけど。
この文章に納得感ある一方でこの人やはてな界隈の賢い人たちには想像できないくらい本当に「読めない」人は多く私もそのひとりだしそうした者たちを門前払いしない三宅のようなスタンスはむしろ必要とすら思う
難しい文学の話はよく分からないけど、そんなに怒ってるとシワが増えるにゃ。もっとボクを撫でて、美味しいカリカリでも食べて落ち着くのにゃ。
晦渋な文章を有り難がるような流行があったっぽい?もともと自分に向けて書かれてはいない文章にパラフレーズのひと手間かけて、あたかも自分に向けて書かれた手紙のように、いつの間にか自分が書いてたかのように。
有識者から見たら腹立つのかもしれないが私は難しいことわからんし彼女のサプリほしい派だ、読書を啓蒙してくれるだけでありがたい。おそらく私のような層に需要があるので三宅さんが時代の寵児になるのわかる
批判するなら実際に三宅の文学作品の批評を取り上げて示さないと内実に欠ける。三宅が批評のスタイルの好みについて話してるだけじゃない?これは。/三宅の「のにね。」に彼女のスタイルの鍵がありそうと思った。
ふつうに考えると、三宅香帆さんの美点は、「若くて顔が良い」ということだと思う。正直なところ、柄谷行人も「若い時、顔がかわいい」という枠だと思う。文芸評論家で「ヴィジュが良い」は、とても大事。
疑問形のタイトル付けて本売ろうとする人は一切信用していない、
世の中、賢い人なんて少数なので大乗仏教やマニ車みたいなもんは必要だと思うけど、作り手の実力が本物じゃないとまずロクな事がおきない。
需要があるから飯が食えている。それを批評家と称することもセルフブランディングの一環である。と言うだけに見える。別になにかの専門性を偽って権威による攻撃をしているわけでもなく非難する必要性も感じない。
三宅香帆もこの記事も読まないけど、なんか読書したい中高生とか大学生(レベルによる)にはいい読書入門の導き手なんじゃないかな?しらんけど
俗物を嫌うまじめな人が、ミーハー三宅香帆の文章をまじめに読んだらそら怒りますよね 三宅香帆は内容を理解していなかったり軽んじたりはしていないよ ミーハーな口調で論じてもいいでしょと言ってるだけ
“結構驚くのだが、何故批評家は女性の方を向いて書かなければならないのだろうか。”←「女性」ってどこから出てきた?この方の思い込みの激しさに結構驚いた。
さすが三宅氏は天狼院出身のライターだけあって、文章に中身がない。
ポストモダンまで遡ればフランス現代思想の言葉を散りばめているだけで難解と思わせて実は中身がない人とかもいたけどね
俺も三宅香帆の評論がいまいちピンと来ないけど、若い世代にはアレが刺さるんでしょ。「自分に合うと思う本を読めば良い」は間違ってないと思うよ。「わからないけどなんかすごい」も君には刺さったって事だよ。
件の方が書かれたものをきちんと読んだことがないので、批判はあまりよくわからないが、難解な文章にどう向き合うかという点では背筋が伸びるようなところがある。
流れで、三宅香帆氏への批判的な文章を立て続けに読んだしここのコメントを見たが、若い女性って大変だなー、とだけ。良い方向にも悪い方向にも影響が出すぎてしまう。
三宅香帆さんが取り扱われるたびに「もしドラ」の人を思い出す
ぜひとも文学評論家の三宅香帆にこのブログに対して批評してほしいものだ。文体がかっこよくないとか言うのだろうか。
人文界隈も彼女を乳製品だとわかっていながら、お客を間接的に界隈に呼び込んでくれる便利ツールとして使ってて、彼女自身もそれがわかっているから開き直ってるって構造。
10年代前半くらいに思想地図とかの界隈で幼いながら哲学書を読んでかわいがられややファッションメンヘラしてたひふみ君?
あまりよくわからないけど、ガチアカデミアの人がなんちゃって研究家みたいな人にブチ切れてるってこと?なんか優しいのね。
そのつもりなかったのにブクマしてた。ので改めてタグもつけてブクマ。
ここまで言うほどのことかとは思うけど、言いたいことはわかる。動画などで三宅氏の話を聞いていて参考になったり学びになったりしたことは一度もありません。今のところね。
他の記事も程度の低いことしか書いてないしこんな奴に言われたくねぇだろ。テレビに付いて書いた記事はマジで何なんだよ。
「リアル鬼ごっこ」や「恋空」「Deep Love」などがヒットしたときと似たようなことが評論の世界でも起きているということだろう。それらを悪貨としたとき、良貨を駆逐したのかと言えばNOだろう。別に騒ぐこともない。
この論を見る限り、三宅氏は典型的な反知性主義者のようだ。
件のnoteを読んでみて、確かにそんなによくは思わなかったが、肝心の「文体」を真正面から論じないのなら、これは批評というより揚げ足取りに見えるのでは…。まぁ、「いけ好かない」を四千字で書くのが文学か。
文体オタクなので評論本編と独立した文体の効果や必然性を考察するのは面白いと感じたし、当該noteは文体評論というのがあり得るのではというアイデアの走り書き程度の文章なので、現時点でそれをどうこう言っても。
難しい文章を好きになれない人々を「これらの人は地面にねそべってだらりとしている」と評するヤマダヒフミ氏のような一種の読書選民思想の重圧こそが、三宅香帆氏が人気になる理由ではないだろうか。
わかるんだけど、評論家を徹底的にサゲてきたのがネットのソーシャル空間でしょ。彼女はそれに適応しているだけ。小林秀雄はいわば「オールドメディア」なの。その状況が良いとはもちろん思わない。
三宅香帆ってYouTubeでしか見たことないけど、自称評論家的な印象はあったかな。本好きで多くの本を読んでるんだけど、それだけ、みたいな。もっと言ってしまうと感想家みたいな感じかな。
言及先の人については、文化人枠の過去の例に漏れず現状かなり短命そうな売れ方(質が伴わない内向けのファンビジネスにどんどん寄っていって見てられない主張が増えていく)をしてるのでまぁ頑張って、て感じ。
マルハラとか、ひらがなを多めにとか、箇条書きするとか、要するにボキャ貧・LD向けに書きましょなんて無駄!ってことと理解した。どちらも人を騙す目的が透ける。AIの登場で中身も文体ももはや関係ないはずのに。
このnoteは文芸評論家批評家による文芸評論家批評だ。おそらく文芸評論家による文芸評論家批評批評があるだろう。そして文芸評論家批評家による文芸評論家批評批評批評があり、次いで文芸評論家批評批評批評批……
ポモや和式文芸評論の流れを汲みつつ、現代の評論家として紀行文エッセイの形式で面白い哲学的議論を書きながら動画配信に勤しむ東浩紀の偉さを再認識した
https://note.com/nyake/n/ne6fc08cffa99 これ?
確かに三宅香帆はスカスカだけど私はこのヤマダヒフミという人が愛読している小林秀雄も全然いいと思わないんですよね。意味ありげなこじつけにしか見えない。
思想家に「1:憧れる(転移)→2:愛憎を感じる(同一化)→3:愛憎から脱する(転移の解消)」。客引き行為のみ(転移させる)はズルいと。ちゃんと3までガイドせよ。さっさと3までの体験済ませて、覚めた目を体感すべき
基本的に、 反◯◯営業でもりあがるレベルに達すると、そっから数年はその批評家がとったといっていい。ゼロ年代は東浩紀だったし、いまは三宅香帆。
今どきは理解できない=作者が頭のよさをひけらかしてる読者に寄り添ってないっちゅー価値観が蔓延してるらしいですからね
今の文学を消費して盛り上げてくれてるのは三宅みたいな感性もった女子・アラサーたちなんでね、老害は黙るしかないよ。だいたい庄司薫、村上春樹や吉本ばななも文体で老害側から批判されたろ。
はぁ、なんか勝手にしてろって感じだなぁ
三宅香帆の配布する「文学サプリ」は必要ない|ヤマダヒフミ
読ませる
批評の通俗化に対する青臭いまでの怒りがストレートにぶつけられていて読み応えある
力作。三宅香帆は徹底して文章が下手で読む気にならない。
自分にも「なんでこんな人が評価されてるんだろう」、「それなりの人たちも批判せず黙ってるのか」的なことはよくあるけど、ヤマダ氏の熱量はすごいな。
日本の批評はアカデミアでいえば国文学的なもの、文芸でいえば文壇的権威から距離をおくことをモチーフにしてきたのだが、三宅=万葉集研究者がその文体を「アカデミック」と感じるのは皮肉以前に何かが転倒している
件のnote、読んでみたけど、小林秀雄も蓮實重彦も柄谷行人も文体はカッコいいけど女の方を向いていない、だって女の私がそう思うんだもん、という感じで、そうですかご自由にとしか言いようがない。
三宅さんの文章読んだ。私は選ばれし批評の読者だったのかもなあ。女だけど/20代のとき、吉本隆明を愛読して文体に影響を受けブログを書いてたら、「お前は50代のネカマだ」と執拗に言われ困ったことがある。
Z世代とか、そういうヤツ?
可愛いからYouTubeとか本読んだりしてみたけど得れるものは何も無かった…。。
やれやれ、文筆の世界で売れるってほんとうに厄介だな
三宅香帆の文章は Argument が存在せず何を言っているのかわからない。著作もだが「本や批評が読めないのは貴方のせいじゃないんだよ☆」くらいしか言ってないので読んで得るものがない。
むしろ冒頭からいきなり批判対象者を「こんな人」呼ばわりで始めるこの論考の方が「批評」を語るにふさわしくないと感じます。いかに三宅氏の批評の質が低かったとしても人格攻撃してよい理由にはならないでしょう。
件の人の文章は雰囲気だけがあって内容を読み取れないというか、そもそも見てほしいのは内容じゃなくて自分なんだろうなという感じがあって毎度これがNot for meってやつかーとなる
『彼らの書いているものの内容は関係なく、ただ文体だけのかっこつけで彼らは評価されているという事になるのだろうか』 あれっ? そういうことになります? なんでかな?
人を批判するのにこんな文章書くの、朝日新聞の読者投稿欄の80歳男性みたいなダサさがある。実際定年退職後に家にずっといる男性みたいな文章。100歩譲って商業出版で本を出してる人ならいいけど。
“私の方を向いていない” まあそんなスタンスもあるよ。“私が相手に向かって自分を開かなければならない”まあそんなスタンスもある。/自分を開いた方がたくさんの文学を取り込めそうなので私は後者
三宅香帆のなんとなく思ってる感覚に共感をする人を求めてるだけで、この人が特に何かを言ってるわけではないのはアトロクを聞いてもわかる。
この人の文章を一度読まされて、頭を抱えた。これで文芸評論家を名乗れるのは、一つの才能だと思うが。/Wiki見たら、京大の博士課程(前期)で万葉集を研究してたのか。正直ビックリした。
この文章の「こんな人」が即、人格攻撃とは読めないけど。/ 関係ないが、三宅香帆さんと仲がいいという長谷川あかりさんの文章、めちゃくちゃしっかりして論理的で驚いた。
件の人はとにかく全てが浅薄すぎるんだよなあ
三宅はマス女性の心理を理解しているマーケターであり、文学サプリの定義もインサイトを適切に捉えたものでは。ただ、文学サプリを読んだところで現実が改善されるわけではない。皮肉なことに健康食品と同じである。
わからないから嫌い、で逃げていては人生はつまらない、わかろうとしなければ物事の本質はいつまでもわからない、って湾岸ミッドナイトがずっと言ってるな でも楠みちはるの漫画は先方に向き合ってない判定かもな
他人の評価がどうあるか、自他の境界のあいまいな人は生きづらそう。三宅氏は本好きと言うことのハードルを下げて間口を広げている。日本文学は純文を読む日本人だけを相手にしていても滅びるのでこの役割は大きい。
本屋が好きで毎日のように通ってるけど、日に日に書店内で「三宅香帆」の存在感が増してる気がする。気になった本の帯やPOPに「三宅香帆氏推薦!!」とか書いてあるとめちゃくちゃ萎えるんだよね……。
三宅氏は人文系インフルエンサーとして適切な立ち位置で露出しまくってるだけなので、アカデミックに寄り過ぎなければ過度に批判される存在だとは思わない
たぶん「批評」とか「東浩紀にかわる覇者になる」とか、およそ自分がやってないことをさもやってるかのように言うのだけ改めれば、「そういうひと」として流せるのになぁ、とは思うよ。あと京都のあの書店ひどかった
ブチ切れてるの凄く良いと思う。私はもう、「あー、はいはい。」で流しちゃう。
この人(非note主)、id:entry:4749919123771224512の紹介が滅茶苦茶すぎて、本業分野でこんな不誠実な記事をそのままにしておく人の文章全く読む気にならないのだけども
橋本治が「女性の方を向いている」って正気か?橋本の言葉「若い女が好きなのは、自分宛てに来た大量のラブレターをゴミ箱にドサッと音を立てて捨てることで、他人の訳の分かんない胸の内を読むことなんかじゃない」
安吾は小林の「美しい「花」がある、「花」の美しさという様なものはない」って一文をめちゃくちゃ けなしてたよ。 https://www.aozora.gr.jp/cards/001095/files/56812_57634.html
“私は「世」に期待するのをやめたので”←てか、あんた誰よ
三宅の元ネタはこれかな https://note.com/nyake/n/ne6fc08cffa99 /読んだけど何言ってるんだ、この人?としか思えなかったので、ちゃんと向き合って批判してるだけですごい
三宅香帆アンチによってしか三宅香帆を摂取したことがない
彼女のYoutubeで読書習慣が定着したので感謝しているが、何故か彼女の本は読みにくく断念している。何となく私は読書アドバイザーくらいが一番しっくりくるんですがどうでしょう。そんなに批評してない気がするし
自称文芸批評家が文芸批評出来るわけないじゃん!行間を読んで!文芸プロモーターですって書いてあるでしょ!
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ここまで言わんでもいいやん。タレント寄りの人がいてもいいじゃない...。書かれてることには同意。
これもまた「素直な感性を尊び技巧を唾棄する」戦後美術教育の悪いところが出ちゃった案件だろうか。
この方が三宅香帆さんのようなキュレーターのスタンスを認めておらず、彼女が文芸評論家と名乗ることに大きな抵抗を覚えていることはよく分かった
所詮はパンピー向けのインフルエンサーだろ、別にどうでもいいじゃん。「もこう氏のポケモンバトルのスタイルは私に語りかけていない」とか憤慨する奴を見たことあるか? 他人を気にしすぎなんだよ
もともと印税や原稿料が安い上にインフレ、しかも書き手の過当競争で「書く仕事」を得ること自体が至難な時代、呑気な筆致で「文芸評論家でごはんを食べてます」とか書かれたら、そりゃ反感どころか殺意すら(以下略
オイラも世に関心失いつつあるけど、まあ三宅さんのお陰で一冊でも多く本売れるなら、それでエエんでない?/ 批評も文学であるからには文章、レトリック、文体が重要だし、いや内容なんてものより、批評=文そのもの
ガハハ「世も末、と言いたいところだが、私は「世」に期待するのをやめたので、なんと言えばいいかわからない。とにかく酷い、としか言えない」/まあわかった気になって原著をポチり作者にゼニが渡ればそれで良し⋯
三宅香帆さんの本は売れている。読んでみると、「で?」という言葉を飲み込んでしまう。なんで、そんなに彼女の本は売れるのだろう?「売れる」ということと「受け入れられる」は、決して同じではない。
いま話題の天狼院書店の京都店で店長を務めてた三宅さんね。三宅さんも「秘めフォト」の勧誘してたのかな? https://x.com/_r4lm/status/2087410713400861172
みんな三宅香帆の文章を真面目に読んでいて偉い
“三宅香帆は「文体をひらく」と呼んでいるのだが、そもそもその内実を理解していない人にはそれを開く事はできない。内容を理解していない人がそれを平易化して人々に配布するのは不可能だ。”これに尽きる
内容には同意できるので「地母神」「女神」という表現は辞められたほうがよろしいかと思います
三宅香帆さんは「何を書くか」という土俵選びで勝ちに行く人なので、書かれている内容自体はそれほど素晴らしくも酷くもない
文体を開いているようで、わかりやすく消化しやすいかたちに閉じてるだけなことに気づかされる。
三宅香帆の批評家としての能力の低さは彼女の書評なりYouTubeを見れば誰でもわかるのだが、この共感の時代には間違いなくマッチしている。けんごと同様、マスに小説を広める能力は圧倒的に高い
そういう態度(文体)だからかつての批評は衰退したのでは……。感情的に三宅氏の問いに乗っかることで彼女の手のうちに入ってしまった構図なのが皮肉である
嘘を書いてる訳ではなし、本に興味を持つ人が増えるなら良いんじゃないか。サプリの必要性は人それぞれ。
この人と対談とかしちゃう人はインチキ確定というリトマス試験紙にしてる
悪いことをするでもなく真っ当に本を書いてたくさん売っているし本の売り上げにも貢献している人に対して結構な数のはてなーが厳しいのが少し不思議 こっちも三宅さんの本読んでないけど
大雑把に言えば「ちいかわ・宇多丸・振られ」増田の彼女みたいな話 https://anond.hatelabo.jp/20260810141007 だが、問題は三宅香帆氏がその辺の女の子ではなく「文芸評論家」を生業としている事なのだろう
橋本治や中島梓の路線で行きたいのなら、そうすればいい(んだけど、それはなかなかむずかしい、ということだろうか。あの二人はどちらも作家だったし。キャラが立ってた御仁でしたからね)
文芸評論に思い入れがないんで、優劣でなく取り組み方の違いとしか思えない。「これぞ文芸評論」って固定観念をこじらせるとこうなっちゃうのかな?
「文学サプリ」「地母神」「現代の女神」…… 論旨はさておき、相手の立ち位置を一語で戯画化する比喩の切れ味は見習いたいですね。
モヤッとボール(IQサプリ)
こんなの書いてないで、おお、真に理解してる人が小林秀雄を「ひらく」とここまで鋭く内容豊かで女性層にも刺さるのか、もう三宅は要らんわ、と世間を沸騰させる小林秀雄入門でも書いてガッポリ稼いで欲しい
こんな人、は批評としていいのでは
そんな有名な人なんだ、初めて聞いた
批評家とただの感想書く人の違いってなんだろうって思っちゃうよな、
「文体がかっこいい」自体は別にいいんだが批評家ならばなぜかっこいいのか批評する必要がある。それができてないというのは言葉を扱う専門家としての力がないということなんだろう。
かっこよさや面白さで文章を評価しても良いのでは。女性が“この文章は男向けだ”と言うのも全然ありだと思うし。このポスト主が自分には必要ないというだけのことだと思う。
そりゃこの人には必要ないだろうけど読書にハードルの高さを感じてる人に一冊でも手に取らせる事の意義は大いにあると思う。
三宅香帆の著作はこれまでたった三冊しか読んでないが、全く感心しない。たぶん、売れてる、から人気があるだけで、確かにこれで文芸評論家を名乗られるとそれはちょっと違うんではないの、とは思う。
三宅香帆と長谷川あかりを間違えてしまうのは私だけでいいな
この方は、読書を世に広める YouTuber なので、良い存在だと思っている。批評家として成り立っていないのはあきらかなのに、攻撃してもしょうがないでしょ。
面白い。こんな風に批判してもらえる文学サプリも読んでみたくなった。
三宅香帆が述べてることも論点自体は一理あるが言い方が阿呆ぽい。橋本治も中島梓も、アカデミズム出身の学者や既存の評論のプロの書く物にはない視点と語り口があって評価すべき云々という言い方なら分かるんだが
元の文章を読んだ。文体好きに特化した批評家がいてもいいと思ったが「それはつまり、読者をひらくことだ」とか言い出した。このひらくとは「啓く」か。啓蒙。文体オタクごときに啓かれるいわれはない。図に乗るな
"三宅香帆の最大の問題点は「私の方を向いている」とか「面白い」とかいった自分の主観が評価基準なのにも関わらず、それをあたかも客観的に意味があるかのように言っている"
文体評論という謎ジャンルだからなぁ。ムカつく気持ちはわかる。が、それが売れるのもわかる。なんかここ最近は急速に中身よりも「ガワ」だけが評価される世の中になってきた。彼女の抜擢はその時代の流れもある。
読みたい本や文章を読んだ方がこの人は幸せになれるんじゃないかと思った。
ブコメに。「こんな人」は別に人格攻撃でも何でもないのでは。ただ能力が、アウトプットの質が低いという話をしているだけで、攻撃はしているが人格の話はしていない。
文体にジェンダーを感じてもいいのだが(有名な「女性オタクの棲む暗い池の底について」のnoteとかもそうだし)、確かに件のnoteはどこが男らしいのか一切説明してなくて全く入ってこなかった
三宅さんのXのプロフィールを見に行ったら、フォローされててびっくりした。共通の興味はなさそうに思えるのに、なんでフォローされてるんだろう?
読書を能動的な営みとする姿勢に共感 | 小林秀雄も主観に基づく批評の人だから、三宅氏には自分の主観で言語化する動機があった&他の人も他人の言語化に頼らず自分の為に言語化してみたら、という布教活動ともいえる
ちょうど昨日、押井守が「最近は小林秀雄とか文芸批評が面白い。ロジック(書かれた内容)より、その人の文章(文体)を楽しむようになってきた」と語る動画をみたところ → https://www.youtube.com/watch?v=awjZVa0pm2I&t=572s
これを三宅香帆批評と解釈するのは正しくなくて、三宅香帆を題材とした現代社会批評、小林秀雄批評なのだと思うが、小林秀雄批評を批評できるほど小林秀雄を読んでないので黙っておこう
これが消費フェミニズム批評の成れの果て。「資本主義リベラリズム」では若い女(F1層消費者兼革命者で絶対無敵)は批判できないのでこうなる。
見てきたけど、何がかっこ良い文体なのか、どこがどう女性/男性を向いているかをきちんと書けば良い評論になるのにと思った。本好きの感想だったら別に構わないのだけど。
この文章に納得感ある一方でこの人やはてな界隈の賢い人たちには想像できないくらい本当に「読めない」人は多く私もそのひとりだしそうした者たちを門前払いしない三宅のようなスタンスはむしろ必要とすら思う
難しい文学の話はよく分からないけど、そんなに怒ってるとシワが増えるにゃ。もっとボクを撫でて、美味しいカリカリでも食べて落ち着くのにゃ。
晦渋な文章を有り難がるような流行があったっぽい?もともと自分に向けて書かれてはいない文章にパラフレーズのひと手間かけて、あたかも自分に向けて書かれた手紙のように、いつの間にか自分が書いてたかのように。
有識者から見たら腹立つのかもしれないが私は難しいことわからんし彼女のサプリほしい派だ、読書を啓蒙してくれるだけでありがたい。おそらく私のような層に需要があるので三宅さんが時代の寵児になるのわかる
批判するなら実際に三宅の文学作品の批評を取り上げて示さないと内実に欠ける。三宅が批評のスタイルの好みについて話してるだけじゃない?これは。/三宅の「のにね。」に彼女のスタイルの鍵がありそうと思った。
ふつうに考えると、三宅香帆さんの美点は、「若くて顔が良い」ということだと思う。正直なところ、柄谷行人も「若い時、顔がかわいい」という枠だと思う。文芸評論家で「ヴィジュが良い」は、とても大事。
疑問形のタイトル付けて本売ろうとする人は一切信用していない、
世の中、賢い人なんて少数なので大乗仏教やマニ車みたいなもんは必要だと思うけど、作り手の実力が本物じゃないとまずロクな事がおきない。
需要があるから飯が食えている。それを批評家と称することもセルフブランディングの一環である。と言うだけに見える。別になにかの専門性を偽って権威による攻撃をしているわけでもなく非難する必要性も感じない。
三宅香帆もこの記事も読まないけど、なんか読書したい中高生とか大学生(レベルによる)にはいい読書入門の導き手なんじゃないかな?しらんけど
俗物を嫌うまじめな人が、ミーハー三宅香帆の文章をまじめに読んだらそら怒りますよね 三宅香帆は内容を理解していなかったり軽んじたりはしていないよ ミーハーな口調で論じてもいいでしょと言ってるだけ
“結構驚くのだが、何故批評家は女性の方を向いて書かなければならないのだろうか。”←「女性」ってどこから出てきた?この方の思い込みの激しさに結構驚いた。
さすが三宅氏は天狼院出身のライターだけあって、文章に中身がない。
ポストモダンまで遡ればフランス現代思想の言葉を散りばめているだけで難解と思わせて実は中身がない人とかもいたけどね
俺も三宅香帆の評論がいまいちピンと来ないけど、若い世代にはアレが刺さるんでしょ。「自分に合うと思う本を読めば良い」は間違ってないと思うよ。「わからないけどなんかすごい」も君には刺さったって事だよ。
件の方が書かれたものをきちんと読んだことがないので、批判はあまりよくわからないが、難解な文章にどう向き合うかという点では背筋が伸びるようなところがある。
流れで、三宅香帆氏への批判的な文章を立て続けに読んだしここのコメントを見たが、若い女性って大変だなー、とだけ。良い方向にも悪い方向にも影響が出すぎてしまう。
三宅香帆さんが取り扱われるたびに「もしドラ」の人を思い出す
ぜひとも文学評論家の三宅香帆にこのブログに対して批評してほしいものだ。文体がかっこよくないとか言うのだろうか。
人文界隈も彼女を乳製品だとわかっていながら、お客を間接的に界隈に呼び込んでくれる便利ツールとして使ってて、彼女自身もそれがわかっているから開き直ってるって構造。
10年代前半くらいに思想地図とかの界隈で幼いながら哲学書を読んでかわいがられややファッションメンヘラしてたひふみ君?
あまりよくわからないけど、ガチアカデミアの人がなんちゃって研究家みたいな人にブチ切れてるってこと?なんか優しいのね。
そのつもりなかったのにブクマしてた。ので改めてタグもつけてブクマ。
ここまで言うほどのことかとは思うけど、言いたいことはわかる。動画などで三宅氏の話を聞いていて参考になったり学びになったりしたことは一度もありません。今のところね。
他の記事も程度の低いことしか書いてないしこんな奴に言われたくねぇだろ。テレビに付いて書いた記事はマジで何なんだよ。
「リアル鬼ごっこ」や「恋空」「Deep Love」などがヒットしたときと似たようなことが評論の世界でも起きているということだろう。それらを悪貨としたとき、良貨を駆逐したのかと言えばNOだろう。別に騒ぐこともない。
この論を見る限り、三宅氏は典型的な反知性主義者のようだ。
件のnoteを読んでみて、確かにそんなによくは思わなかったが、肝心の「文体」を真正面から論じないのなら、これは批評というより揚げ足取りに見えるのでは…。まぁ、「いけ好かない」を四千字で書くのが文学か。
文体オタクなので評論本編と独立した文体の効果や必然性を考察するのは面白いと感じたし、当該noteは文体評論というのがあり得るのではというアイデアの走り書き程度の文章なので、現時点でそれをどうこう言っても。
難しい文章を好きになれない人々を「これらの人は地面にねそべってだらりとしている」と評するヤマダヒフミ氏のような一種の読書選民思想の重圧こそが、三宅香帆氏が人気になる理由ではないだろうか。
わかるんだけど、評論家を徹底的にサゲてきたのがネットのソーシャル空間でしょ。彼女はそれに適応しているだけ。小林秀雄はいわば「オールドメディア」なの。その状況が良いとはもちろん思わない。
三宅香帆ってYouTubeでしか見たことないけど、自称評論家的な印象はあったかな。本好きで多くの本を読んでるんだけど、それだけ、みたいな。もっと言ってしまうと感想家みたいな感じかな。
言及先の人については、文化人枠の過去の例に漏れず現状かなり短命そうな売れ方(質が伴わない内向けのファンビジネスにどんどん寄っていって見てられない主張が増えていく)をしてるのでまぁ頑張って、て感じ。
マルハラとか、ひらがなを多めにとか、箇条書きするとか、要するにボキャ貧・LD向けに書きましょなんて無駄!ってことと理解した。どちらも人を騙す目的が透ける。AIの登場で中身も文体ももはや関係ないはずのに。
このnoteは文芸評論家批評家による文芸評論家批評だ。おそらく文芸評論家による文芸評論家批評批評があるだろう。そして文芸評論家批評家による文芸評論家批評批評批評があり、次いで文芸評論家批評批評批評批……
ポモや和式文芸評論の流れを汲みつつ、現代の評論家として紀行文エッセイの形式で面白い哲学的議論を書きながら動画配信に勤しむ東浩紀の偉さを再認識した
https://note.com/nyake/n/ne6fc08cffa99 これ?
確かに三宅香帆はスカスカだけど私はこのヤマダヒフミという人が愛読している小林秀雄も全然いいと思わないんですよね。意味ありげなこじつけにしか見えない。
思想家に「1:憧れる(転移)→2:愛憎を感じる(同一化)→3:愛憎から脱する(転移の解消)」。客引き行為のみ(転移させる)はズルいと。ちゃんと3までガイドせよ。さっさと3までの体験済ませて、覚めた目を体感すべき
基本的に、 反◯◯営業でもりあがるレベルに達すると、そっから数年はその批評家がとったといっていい。ゼロ年代は東浩紀だったし、いまは三宅香帆。
今どきは理解できない=作者が頭のよさをひけらかしてる読者に寄り添ってないっちゅー価値観が蔓延してるらしいですからね
今の文学を消費して盛り上げてくれてるのは三宅みたいな感性もった女子・アラサーたちなんでね、老害は黙るしかないよ。だいたい庄司薫、村上春樹や吉本ばななも文体で老害側から批判されたろ。
はぁ、なんか勝手にしてろって感じだなぁ