朱"「寛容」とは、日本語の字面で想起される思いやりや優しさというより、「頑張って無関心であろう」とする態度だと言うべき" "共通善の話は、特に日本語圏では怖いのでは" /宇野 共通善を探す・見つける
共通善を探る。互いに向き合う友人同士の距離なら有用かもしれませんが、見ず知らずのアイツらの考える共通善にまずは耳を傾けようなんて、まあまあ難儀な話ですよ。/宇野氏はネトウヨの言葉を傾聴できるのかな?
自分の善を語ることが出発点よな。各自の善を擦り合わせた先にしか最大多数の最大幸福は実現しない。
多分、不幸以外に全員が等しくなる事は無いから、天災か戦災かはわからないけど、全員が不幸にならないと共通善は現れないんじゃないのかな
理想は「我々の間にはチームプレイなどという都合のいい言い訳は存在せん。 あるとすればスタンドプレイから生じるチームワークだけだ」じゃねえのかな。共通善は結果として現れる
リベラルは大きな成功をしてるのだからちゃんと失敗も認めるべき。そうじゃないと変な人に乗っ取られちゃうよ。「善」も「共通」も「リベラル」その時点でそこだけに見えるもの、バラバラを共有しよう!
自分の善が全ての凡人には到達できないレベルで議論が行われている。
「今まで私は、ルソーではなくトクヴィル派だったので」アタイは今でもトクヴィル派です。決裂なだ!がはは!PIVOTでもタイムリーな動画だhttps://www.youtube.com/watch?v=CTC-Ao-KhDA この話題が盛り上がるのは楽しい。
ロールズは文化や国家が異なれば、「基本材」は異なると認めている。「普遍的なリベラリズムは存在しない」とロールズが言っている。共有できる善は幼稚なレベルでしかない。金=善になってるのが最大の問題だろ。
宗教の権威が倒れても待ってるのは孤独だと思うけどな。ロックな自由はそれと引き換えなんだけど。
『共通善』というテーマは、現代社会において重要な問いを投げかけていますの。
自分だけの善すら実行しない人ばかりじゃん。
皆が特定の善に集うんでなくて、集団があるから結果的に善の概念が発生するんでないかな。合成ベクトルのような、誰も納得してないけど統計的にはそうだみたいな
本来のリベラリズムは自由こそ大切にするはずなのに、日本でも海外でも自由を踏みにじる道具に使われて久しい。日本的な共通意識が崩壊しつつあって、維持が正しいかも揺らいでる昨今、正しくあるって…
善とは違うかもしれないけど、共通可能なのなんて「私は理不尽に殺されたくない」→「だから他人を理不尽に殺してはならない」くらいまで原始的なレベルが限界だと思う。それすら人格破綻者は共通から漏れるし。
『日本的な文脈で共通善と言うと、どうしても民族主義や家父長制など、危ういものが潜んでしまうことがままある。だから共通善の話は、特に日本語圏では怖い』「普遍」的な政治的資産の欠如
前半だけに留まっていると結局バラバラの社会のままだからか。他人への残酷さに無関心になる『一人ひとりが、残酷さから自分を守るところから出発する。そこまでは共有している。でも、私はそこから何か外に出て』
サンデルがリベラリズムを徹底的に批判したおかげで、デニーンのポスト・リベラル思想が生まれ、国民統合で共通善を強化する右派権威主義に帰着した。バンス副大統領は理論家の一人https://note.com/ganot/n/n6cf0ec69aad5
逆に、いかに歴史的な背景や宗教習慣の異なる文化圏同士でも、賃金を払わない経営者、戦地での民間人への攻撃、幼児レイプ殺人などはさすがに共通悪じゃねえの
後半も読んだ、興味深かった。この本は読みかけなので読まないと
今、それでも『共通善』を語るために 宇野重規×朱喜哲対談「バラバラな世界で、私たちは何を共有しうるか」後編【バラバラな世界で共に生きる】 | NHK出版デジタルマガジン
朱"「寛容」とは、日本語の字面で想起される思いやりや優しさというより、「頑張って無関心であろう」とする態度だと言うべき" "共通善の話は、特に日本語圏では怖いのでは" /宇野 共通善を探す・見つける
共通善を探る。互いに向き合う友人同士の距離なら有用かもしれませんが、見ず知らずのアイツらの考える共通善にまずは耳を傾けようなんて、まあまあ難儀な話ですよ。/宇野氏はネトウヨの言葉を傾聴できるのかな?
自分の善を語ることが出発点よな。各自の善を擦り合わせた先にしか最大多数の最大幸福は実現しない。
多分、不幸以外に全員が等しくなる事は無いから、天災か戦災かはわからないけど、全員が不幸にならないと共通善は現れないんじゃないのかな
理想は「我々の間にはチームプレイなどという都合のいい言い訳は存在せん。 あるとすればスタンドプレイから生じるチームワークだけだ」じゃねえのかな。共通善は結果として現れる
リベラルは大きな成功をしてるのだからちゃんと失敗も認めるべき。そうじゃないと変な人に乗っ取られちゃうよ。「善」も「共通」も「リベラル」その時点でそこだけに見えるもの、バラバラを共有しよう!
自分の善が全ての凡人には到達できないレベルで議論が行われている。
「今まで私は、ルソーではなくトクヴィル派だったので」アタイは今でもトクヴィル派です。決裂なだ!がはは!PIVOTでもタイムリーな動画だhttps://www.youtube.com/watch?v=CTC-Ao-KhDA この話題が盛り上がるのは楽しい。
ロールズは文化や国家が異なれば、「基本材」は異なると認めている。「普遍的なリベラリズムは存在しない」とロールズが言っている。共有できる善は幼稚なレベルでしかない。金=善になってるのが最大の問題だろ。
宗教の権威が倒れても待ってるのは孤独だと思うけどな。ロックな自由はそれと引き換えなんだけど。
『共通善』というテーマは、現代社会において重要な問いを投げかけていますの。
自分だけの善すら実行しない人ばかりじゃん。
皆が特定の善に集うんでなくて、集団があるから結果的に善の概念が発生するんでないかな。合成ベクトルのような、誰も納得してないけど統計的にはそうだみたいな
本来のリベラリズムは自由こそ大切にするはずなのに、日本でも海外でも自由を踏みにじる道具に使われて久しい。日本的な共通意識が崩壊しつつあって、維持が正しいかも揺らいでる昨今、正しくあるって…
善とは違うかもしれないけど、共通可能なのなんて「私は理不尽に殺されたくない」→「だから他人を理不尽に殺してはならない」くらいまで原始的なレベルが限界だと思う。それすら人格破綻者は共通から漏れるし。
『日本的な文脈で共通善と言うと、どうしても民族主義や家父長制など、危ういものが潜んでしまうことがままある。だから共通善の話は、特に日本語圏では怖い』「普遍」的な政治的資産の欠如
前半だけに留まっていると結局バラバラの社会のままだからか。他人への残酷さに無関心になる『一人ひとりが、残酷さから自分を守るところから出発する。そこまでは共有している。でも、私はそこから何か外に出て』
サンデルがリベラリズムを徹底的に批判したおかげで、デニーンのポスト・リベラル思想が生まれ、国民統合で共通善を強化する右派権威主義に帰着した。バンス副大統領は理論家の一人https://note.com/ganot/n/n6cf0ec69aad5
逆に、いかに歴史的な背景や宗教習慣の異なる文化圏同士でも、賃金を払わない経営者、戦地での民間人への攻撃、幼児レイプ殺人などはさすがに共通悪じゃねえの
後半も読んだ、興味深かった。この本は読みかけなので読まないと