「トリックのために人が死ぬのは文学としては嫌」と宣った渡辺淳一が、首絞めファックの末に女が窒息死する小説を大ヒットさせたわけで、世の中わからないものですね。
エックスだかバツだか分からない悪文
新聞小説でポルノをOKにしたマスコミの恩人、渡辺淳一先生だ。
この渡辺淳一の考えは穏当だろう。ミステリがゲテモノ扱いされているのは、話作るためにとりあえず人を殺すところで、犯人追及という筋立てが古の物語的になるから。でも今人気ある小説はほぼミステリになってるけど
渡辺氏の作品で読んだことがあるのは『花埋み』だけなんで、語ることはできないけれどミステリーを文学より下だって思ってたのかもしれない(公平な審査なんてないと思う。いろんな偏見を持つ人間の集まり)
確かに。トリックがあって話が作られてるようなものであればそれは長編なぞなぞと何が違うのか
ツリーがすごく面白い。面白いツリーをもっと見てみたい
東野圭吾もそのあたりを意識していて、トリックだけじゃなく物語の面白さにも重点を置いているんだよね
そもそも渡辺淳一が文学かという問題もある。
寝ぼけてたせいか、カトリックに空目した。最近、色々連想するものがあったからだな。離婚できない分不倫には寛容という国も実際にあるしで、作風と紐づいたのか。
東野圭吾先生が直木賞に5回も落ちたの、渡辺淳一センセイの愛人が「私、東野圭吾先生のファンなんですぅ♥」と言ったので嫉妬して落としまくった説w。
失楽園で草。“北方謙三が「恋愛だってミステリーじゃないですか」「恋愛小説にも心中するやつがいるじゃないですか」って説得しようとしては怒らせてたらしい。”
和田移植を扱った『白い宴』自分の恋人の自殺を書いた『阿寒に果つ』を書いた渡辺淳一だからという弁護を聞いたことがあるがだったら吉村昭あたりに賞を出したら良かったんでは?という感想になる。
渡辺淳一でもストーリーのために綺麗な女が出てきてえっちなことをするよね、ってことか
愛人を、彼女の性癖を満たすために、性交時に首を絞めたら死んじゃった、って話を書いた作家に言われても
ミステリーは冒頭で死体を転がせと言われるジャンルですしそれはそう
渡辺淳一は手塚治虫と同じく根底に医者のマインドがあるので、死を軽く扱うと極めてなにか生命に対する侮辱を感じるスイッチが入っちゃう感じ。
どんと来い
ミステリは獲れるようになったが、厳密なSFはまだ獲れない直木賞。
つまるところ、人が死なない日常系ミステリはいいよな
一般論として、特定のジャンルや技法を敵視する偏屈を選者に置かないでほしい。
渡辺淳一に関して言えば選考委員に選ぶほうが悪い/リンク先にある伊阪の死神の精度の講評がカスすぎて何度見てもカス過ぎて笑える
私も純文学は好きだが、ミステリーは苦手なので気持ちはわかる。濡れ場ばかりの小説も苦手だが。
( 本格も新本格も全滅か )(でも「白夜行」は「霧の旗」と並んで永遠に不滅です)
私はそもそもトリック自体をくだらないものと考えてミステリは読まないタイプ
そういう話じゃないと思うが、俺は話のために雑に人が死ぬ話は嫌いだし、とりあえずセックスすればいいと思ってる純文学気取りも嫌いだし、終盤で急にヒロインとキスし始めるハリウッド映画も嫌いです
オレが推理小説を熱心に読まないのも同じ理由。作者が自分で考えた謎なりトリックなりを自分で解いてるのを読んで何が面白いかと思うw /人命軽視がこのジャンルに不可欠だって事に一定の見識の無い作家もウンザリ。
「トリックのために人が死ぬのは」コナン君の立場は。
渡辺淳一に言われてもって感じ
言いたいことはわかります。「お前だって失楽園で……」は作品内で人の死ぬ目的が全く違うので言うと負ける。渡辺淳一が日本文学の重鎮で良いのかは、何と言うか大江健三郎とのバランスで成り立つ感じがする。
東野圭吾も若い頃は本格ミステリってヘンテコすぎるよねっていうのを自問自答するような作品書いてたね
容疑者Xの献身って北方謙三がこれに直木賞を出せなかったら金輪際ミステリーに直木賞を出せないとして押し切ったんだよね。
死もまた重要な舞台装置の一部。どんどん殺そう。
五木寛之てんてーがまだご存命なことに驚いた
人が死なないミステリもあるね https://los-endos.hatenablog.com/entry/20121107/1352292298 「> ポー『盗まれた手紙』は人の死なないミステリ。つまり黎明期の段階で既に「人の死なないミステリ」というジャンルを初めから擁していた」
トリック云々よりも「人が死ぬ」という展開を話の起伏に使うこと自体がパターンとして飽きるというのはあるかも
素人意見としては、創作物のストーリーはすべて作者の都合なのでは、と思ってしまう。ミステリだといわゆる「勝手に動く」現象がない、ということなのだろうか。アドリブ性のない音楽は下等、というような話だ。
トリックが物語より優先してしまうミステリの弊害は長年議論されてきた課題で(一人の芭蕉問題)、作品への評価は別として渡辺の指摘は重要だよ。それに反論してる北方も含めて、選考委員としてきちんと仕事してる。
直木賞といえばこのサイト「直木賞のすべて」より 渡辺淳一vs東野圭吾 https://naokiaward.cocolog-nifty.com/blog/2013/12/vs-983f.html
大衆文学の賞なので、本義から考えれば今頃はなろう小説が受賞してもいい頃
それを言い出すと全ての小説は作者の都合で登場人物動かしていると思うのだが、ミステリはやっぱり様式があるというのが大きいのかね
しょーもな。日本の文学・文壇だねぇという感じ
この流れだと私が好きなのは西村京太郎の「1分あれば殺せる」かな
ガリレオはハウダニットの比重が大きいけど加賀恭一郎シリーズはホワイダニット重視で人間心理を掘り下げている印象がある。全部通して読んだわけじゃないけど。
人が死ぬ話とは関係ないが、渡辺淳一は登場人物に安易に不倫させるから嫌いだ、という人(女性)はいた。
ツリーが面白い。
直木賞や芥川賞の選考コメントって読み返すと面白いんだよね。各作家それぞれにこだわりポイントが違って議論が分かれる回は読み応えがある。
推理させるための人死に、とあらためて考えると、確かにという気も
『容疑者X』以前の、昔の東野圭吾は文学賞に対する鬱屈をストレートに吐露した、それでいて開き直って小馬鹿にしたようなギャグ小説とか書いてたね
東野圭吾って人が死なないミステリー的な話書いてたような気がするが随分と前に読んだので思い出せないなあとふと思った
感動のために人が死ぬのよりだいぶマシだと思います
死だけは別格という感覚、本当に納得できないしそれが高名な賞で影響を発揮してたの本当に納得できない。他の様々な悪事や反倫理は物語の道具にも様式にされてOKなのに「でも殺しはダメ、一線超えてる」は全く不可解
舞台装置としての死は何かねと思うけど、実際人は必ず死ぬし事故や殺人も存在するからその周囲の人間関係や感情を描かれてる容疑者Xの献身もそうだけど、大体動機や背景が存在するって描写があればまああり。
原尞『私が殺した少女』が直木賞受賞した時に選考委員から「探偵のカンがよすぎる」という声があったので田辺聖子が「探偵というのはカンがいいものですよ」と反論した、とお聖さんがエッセイに書いてたことがある。
文学にとっての最終兵器みたいなものを無制限に使われたら嫌という気持ちも分かる。個人的に「テンペスト」が好きなのは、「リア王」などと違って、全員が無事というのも理由の一つ。
「終盤で急にヒロインとキスし始めるハリウッド映画も嫌いです」最近のハリウッド大作はまじでキスシーン減ってるよ。
笑った。北方先生良い人だな。
あれこっちが元かな?(あとで)
有名だけど渡辺淳一がトリックのために人が死ぬのは文学としては嫌って考..
「トリックのために人が死ぬのは文学としては嫌」と宣った渡辺淳一が、首絞めファックの末に女が窒息死する小説を大ヒットさせたわけで、世の中わからないものですね。
エックスだかバツだか分からない悪文
新聞小説でポルノをOKにしたマスコミの恩人、渡辺淳一先生だ。
この渡辺淳一の考えは穏当だろう。ミステリがゲテモノ扱いされているのは、話作るためにとりあえず人を殺すところで、犯人追及という筋立てが古の物語的になるから。でも今人気ある小説はほぼミステリになってるけど
渡辺氏の作品で読んだことがあるのは『花埋み』だけなんで、語ることはできないけれどミステリーを文学より下だって思ってたのかもしれない(公平な審査なんてないと思う。いろんな偏見を持つ人間の集まり)
確かに。トリックがあって話が作られてるようなものであればそれは長編なぞなぞと何が違うのか
ツリーがすごく面白い。面白いツリーをもっと見てみたい
東野圭吾もそのあたりを意識していて、トリックだけじゃなく物語の面白さにも重点を置いているんだよね
そもそも渡辺淳一が文学かという問題もある。
寝ぼけてたせいか、カトリックに空目した。最近、色々連想するものがあったからだな。離婚できない分不倫には寛容という国も実際にあるしで、作風と紐づいたのか。
東野圭吾先生が直木賞に5回も落ちたの、渡辺淳一センセイの愛人が「私、東野圭吾先生のファンなんですぅ♥」と言ったので嫉妬して落としまくった説w。
失楽園で草。“北方謙三が「恋愛だってミステリーじゃないですか」「恋愛小説にも心中するやつがいるじゃないですか」って説得しようとしては怒らせてたらしい。”
和田移植を扱った『白い宴』自分の恋人の自殺を書いた『阿寒に果つ』を書いた渡辺淳一だからという弁護を聞いたことがあるがだったら吉村昭あたりに賞を出したら良かったんでは?という感想になる。
渡辺淳一でもストーリーのために綺麗な女が出てきてえっちなことをするよね、ってことか
愛人を、彼女の性癖を満たすために、性交時に首を絞めたら死んじゃった、って話を書いた作家に言われても
ミステリーは冒頭で死体を転がせと言われるジャンルですしそれはそう
渡辺淳一は手塚治虫と同じく根底に医者のマインドがあるので、死を軽く扱うと極めてなにか生命に対する侮辱を感じるスイッチが入っちゃう感じ。
どんと来い
ミステリは獲れるようになったが、厳密なSFはまだ獲れない直木賞。
つまるところ、人が死なない日常系ミステリはいいよな
一般論として、特定のジャンルや技法を敵視する偏屈を選者に置かないでほしい。
渡辺淳一に関して言えば選考委員に選ぶほうが悪い/リンク先にある伊阪の死神の精度の講評がカスすぎて何度見てもカス過ぎて笑える
私も純文学は好きだが、ミステリーは苦手なので気持ちはわかる。濡れ場ばかりの小説も苦手だが。
( 本格も新本格も全滅か )(でも「白夜行」は「霧の旗」と並んで永遠に不滅です)
私はそもそもトリック自体をくだらないものと考えてミステリは読まないタイプ
そういう話じゃないと思うが、俺は話のために雑に人が死ぬ話は嫌いだし、とりあえずセックスすればいいと思ってる純文学気取りも嫌いだし、終盤で急にヒロインとキスし始めるハリウッド映画も嫌いです
オレが推理小説を熱心に読まないのも同じ理由。作者が自分で考えた謎なりトリックなりを自分で解いてるのを読んで何が面白いかと思うw /人命軽視がこのジャンルに不可欠だって事に一定の見識の無い作家もウンザリ。
「トリックのために人が死ぬのは」コナン君の立場は。
渡辺淳一に言われてもって感じ
言いたいことはわかります。「お前だって失楽園で……」は作品内で人の死ぬ目的が全く違うので言うと負ける。渡辺淳一が日本文学の重鎮で良いのかは、何と言うか大江健三郎とのバランスで成り立つ感じがする。
東野圭吾も若い頃は本格ミステリってヘンテコすぎるよねっていうのを自問自答するような作品書いてたね
容疑者Xの献身って北方謙三がこれに直木賞を出せなかったら金輪際ミステリーに直木賞を出せないとして押し切ったんだよね。
死もまた重要な舞台装置の一部。どんどん殺そう。
五木寛之てんてーがまだご存命なことに驚いた
人が死なないミステリもあるね https://los-endos.hatenablog.com/entry/20121107/1352292298 「> ポー『盗まれた手紙』は人の死なないミステリ。つまり黎明期の段階で既に「人の死なないミステリ」というジャンルを初めから擁していた」
トリック云々よりも「人が死ぬ」という展開を話の起伏に使うこと自体がパターンとして飽きるというのはあるかも
素人意見としては、創作物のストーリーはすべて作者の都合なのでは、と思ってしまう。ミステリだといわゆる「勝手に動く」現象がない、ということなのだろうか。アドリブ性のない音楽は下等、というような話だ。
トリックが物語より優先してしまうミステリの弊害は長年議論されてきた課題で(一人の芭蕉問題)、作品への評価は別として渡辺の指摘は重要だよ。それに反論してる北方も含めて、選考委員としてきちんと仕事してる。
直木賞といえばこのサイト「直木賞のすべて」より 渡辺淳一vs東野圭吾 https://naokiaward.cocolog-nifty.com/blog/2013/12/vs-983f.html
大衆文学の賞なので、本義から考えれば今頃はなろう小説が受賞してもいい頃
それを言い出すと全ての小説は作者の都合で登場人物動かしていると思うのだが、ミステリはやっぱり様式があるというのが大きいのかね
しょーもな。日本の文学・文壇だねぇという感じ
この流れだと私が好きなのは西村京太郎の「1分あれば殺せる」かな
ガリレオはハウダニットの比重が大きいけど加賀恭一郎シリーズはホワイダニット重視で人間心理を掘り下げている印象がある。全部通して読んだわけじゃないけど。
人が死ぬ話とは関係ないが、渡辺淳一は登場人物に安易に不倫させるから嫌いだ、という人(女性)はいた。
ツリーが面白い。
直木賞や芥川賞の選考コメントって読み返すと面白いんだよね。各作家それぞれにこだわりポイントが違って議論が分かれる回は読み応えがある。
推理させるための人死に、とあらためて考えると、確かにという気も
『容疑者X』以前の、昔の東野圭吾は文学賞に対する鬱屈をストレートに吐露した、それでいて開き直って小馬鹿にしたようなギャグ小説とか書いてたね
東野圭吾って人が死なないミステリー的な話書いてたような気がするが随分と前に読んだので思い出せないなあとふと思った
感動のために人が死ぬのよりだいぶマシだと思います
死だけは別格という感覚、本当に納得できないしそれが高名な賞で影響を発揮してたの本当に納得できない。他の様々な悪事や反倫理は物語の道具にも様式にされてOKなのに「でも殺しはダメ、一線超えてる」は全く不可解
舞台装置としての死は何かねと思うけど、実際人は必ず死ぬし事故や殺人も存在するからその周囲の人間関係や感情を描かれてる容疑者Xの献身もそうだけど、大体動機や背景が存在するって描写があればまああり。
原尞『私が殺した少女』が直木賞受賞した時に選考委員から「探偵のカンがよすぎる」という声があったので田辺聖子が「探偵というのはカンがいいものですよ」と反論した、とお聖さんがエッセイに書いてたことがある。
文学にとっての最終兵器みたいなものを無制限に使われたら嫌という気持ちも分かる。個人的に「テンペスト」が好きなのは、「リア王」などと違って、全員が無事というのも理由の一つ。
「終盤で急にヒロインとキスし始めるハリウッド映画も嫌いです」最近のハリウッド大作はまじでキスシーン減ってるよ。
笑った。北方先生良い人だな。
あれこっちが元かな?(あとで)