おじさん差別の構造や倫理の外体化についての指摘は鋭い。当事者間で終わるはずの問題がデカくなりすぎ
「現実には「単に知らなかっただけ」であってそこにフェミニズムやおじさんなどというキーワードを絡めるような話ではない。」
事務所がご本人に知らせなかったの、(教えたら)断わると予想したからでは
差別するのはおじさんに限らない、イケメン男子も差別的だよ。ふつうはフェミニストならそう主張するのだが。
「人と人は違うしそもそも他人は怖いものである。けど他人は怖いからといってコントロールし始めようとするとまた別の問題が起きてくる」そうね。
「良きおじさん」はそもそも女性へハラスメントを働く可能性がある場所に行くことは少なくなり、それがフィルタリングとなって女性に接近するのは「共感能力が欠如していて説教するおじさん」だけになったのである。
根本的にはこのエントリに同意。PTSDの人は、他の精神疾患者の症状を悪化させることが多いので、細かいところまで確認した上でないと起用してはいけない。https://note.com/ganot/n/nef731621abb1
問題は、わざわざ当事者間の話を外に持ち出して大ごとにする事で、佐藤を社会的に殺そうとした奴がいたことだよね。文春は邪悪だが、その悪魔を召喚した奴が間違いなくいたわけで/交代させられたフジの弁護士も相当
件の記事はきたないので触らなかったけど「今回の件で言えば佐藤二郎さんと橋本愛さんのコミュニケーションで大きな問題が生じたようには見えなかった」という感想になることやその断絶については怖い
無自覚なor 当人の意図しない攻撃性というと痴漢冤罪的な懸念が根底にあるのかな
“ようするにこの件でなにが問題だったかといえば主客の外で喧々諤々議論し始めついには一般化しはじめて自身の主張の媒介とすることそれ自体”
書き出しは説得力あったけどね、暴力団を禁止したら暴力団も民間が怖くなりました、鬼のような形相で楽屋に怒鳴り込んだ根本原因を無視など、結局その辺の擁護派と大差ない、自己中自己憐憫アタマの披露でがっかり。
最終的にはパワーゲームになると思う。なにか合理的な会話で落ち着くとは思えないんだよな
うーん、https://plagmaticjam.hatenablog.com/entry/2020/08/05/180528 も読んだけど、理解はできない。
id:ynxdazさん 「鬼のような形相で楽屋に怒鳴り込んだ」についてソースはありますか。俺は見つけられなかった。
戦争反対のデモに捨て台詞を吐いていくのは群れだった若い男性が多いというのは聞くね
「唯一の問題」が恣意的で草。ずっと根本の論点はフェミニズムでなくパワハラだが、それを認めないのがアンフェ=ジェンダークレーマー。「声の大きい方」ってのはひたすらに論点逸らしする二朗系
「反フェミ社会的主張のダシ」にしてる自己矛盾記事/良:おじさん属性差別・社会的主張のダシ論/悪:良識男は女と無接点(大げさ痛がり)。接触演技が非難されてる(それは問題とされてない。楽屋パワハラが問題)
後段、「外体化」されたから話がこじれたというのは誤認識ではないか。「本来当事者同士で解決しうる問題」ではなかったからこじれたのではないか。そして、こじれたから「外体化」されたのではないか。
反対の立場からも似たようなご都合理論エントリ出ているけど、ポジショントーク以上の意味が無いな。それでは話にならんやろ。
状況的にイーブンもしくは有利な立場の人ほど「当事者間で話し合おう」となり、アウティングやネットで晒しみたいなことをするのはこのままでは状況が不利になる側が意図的にやってる場合が多い、とは感じている。
“佐藤二郎さんと橋本愛さんのコミュニケーションで大きな問題が生じたようには見えなかった” どこをどう見ればそのような見立てができるんだろう?
男性は性加害を受けにくく、そもそもフィジカルもメンタルも女性とは異なることから、女性の性被害による心身への影響を矮小化する傾向があるよね。「同じように」と並べられても「怖い」の方向性はだいぶ違いそう
「差別するのはおじさんに限らない、イケメン男子も差別的だよ」簡潔なブーメランになってて草。「差別」という用語をすぐ持ち出す輩は信用ならんことがよく分かる。
こういうのは最近おじさん差別というより「おじさん原罪論」と呼びたくなるんだけど、これに対抗するには知らんがな、私の幸せは私が決める!とミクロの主体性を出すことかもなと思う。結婚はしたいけど。
"今回の件に関しては本来当事者同士で解決しうる問題に社会的前提を無理矢理ねじ込もうとしているようにしか見えない"
まだやってたのか。そんなに論じる事あるの?マジでどーでもいいよ。不快だから名前でミュートしてる。頼むからタイトルに名前を入れてくれ。
SNSの下衆でキモい暇人共の『権利闘争』とすら呼べない痴態を表した文字列が目に留まるの、マジでキツ過ぎ🤮
女性の前に無節操なだけのが並ぶかどうかは明らかじゃない。ちゃんと研究で明らかにして欲しいところ。本来なら社会学の領域だが、研究もしない、ポエムだけ書くエセフェミ学者が跋扈してるせいでそうならない
今回の件で言うと、男女入れ替えても同じ問題になってた気がして、ジェンダー的側面もあるけど、どちらかとというと、昭和的価値観(本音・熱量主義) vs 令和的価値観(線引き・手続き主義)な気がする
PTSDもちは、重度に加害的なアスペに近い。どちらも本人に罪はなく救われるべきで、それはそうと現場で誰かケアをおっかぶせられる。
「無自覚の加害性」ってのが嘘なんだよな。肉体的圧迫感を与えてることを自覚してそれでごり押ししようとするし、「共感能力が欠如」ではなく好んで相手の気持ちを踏みにじるし、権力も自覚して使ってる。強者だもの
おじさんの若い女性だと、権力腕力経済力で圧倒的な権力勾配がある事がほとんどなんだよな、まずはそこから
まさに俺が、加害者になりたくないから自己フィルタリングして若い女性に近づきたくないおっさんだ。いつも道で知らない女性の横や後ろを歩くだけで痴漢扱いされないか怖い。だが実際に俺は外見からしてキモい(泣)
対立を煽るレイジベイティングのビジネスや娯楽にみんな便乗したり乗っかっているように思う。要するに邪悪な祭りである
配慮できてない言動を「おじさんが変なこと言っちゃったかな?」で済ませるのはやめてほしい。個人の問題を「おじさん」という属性にすり替えている。
はてなでは至る所で「特定の個人間の話」を「社会の構造の話」として解釈するような言説が見られて、疲れないのかなって思う。
差別が「構造的」だと主張するものが、相手を雑な属性で決めつけて新たな差別を作り出してるとは最近感じてる。
佐藤二朗氏に問題があったとして、それを「おじさん」という属性に拡大するならそれはもう差別の一歩目なんよ
しかし最終的な勝者はおじさんになる。踊る大捜査線の新作映画の最新予告の冒頭に佐藤二朗氏が映し出されるほどの優遇ぶりだった。
山口達也や中居正広も騒動が起こると「おじさん」と呼ばれてたから一部の人間にとって「おじさん」は「キモいおじさん」の略称でありトートロジー的に「おじさんはおじさんなのでキモい」という属性差別になる。
最初に楽屋に行って、プロデューサーに今後は止めるように言われたにもかかわらず二度目の楽屋訪問があり、それが問題になったということなのでおじさん関係ないような。
ラドンもそうだそうだといっています
当人同士の揉めレベルは当人にしか分からないので予断はできないが、構造としては、当人置き去りで無関係の第三者が佐藤派と橋本派に分かれて断罪合戦繰り広げてる、のは間違いないところだと思う。なんなんだろね。
とはいえ、おじさん差別は決してなくなることはない。原罪ですよ。50過ぎたら何を言っても何をやってもハラスメントになる。オレには何の権力もないのに。
言及されてる記事は同意できるところとできないところがあるけど、おじさんが色んなこと(圧迫しがちだとか基本権力側にいることとか)に無自覚になりがちなのはしばしば感じるので注意喚起は大事だと思う。
おじさんにたいする偏見を拡散する行為は差別かというと、具体的な行動を含まず、ヘイトスピーチのような過激性もないので差別には該当しないように思う。が、偏見の拡散自体が差別を生み育てる母体な気もするので
おじさん差別と倫理の外体化について - メロンダウト
おじさん差別の構造や倫理の外体化についての指摘は鋭い。当事者間で終わるはずの問題がデカくなりすぎ
「現実には「単に知らなかっただけ」であってそこにフェミニズムやおじさんなどというキーワードを絡めるような話ではない。」
事務所がご本人に知らせなかったの、(教えたら)断わると予想したからでは
差別するのはおじさんに限らない、イケメン男子も差別的だよ。ふつうはフェミニストならそう主張するのだが。
「人と人は違うしそもそも他人は怖いものである。けど他人は怖いからといってコントロールし始めようとするとまた別の問題が起きてくる」そうね。
「良きおじさん」はそもそも女性へハラスメントを働く可能性がある場所に行くことは少なくなり、それがフィルタリングとなって女性に接近するのは「共感能力が欠如していて説教するおじさん」だけになったのである。
根本的にはこのエントリに同意。PTSDの人は、他の精神疾患者の症状を悪化させることが多いので、細かいところまで確認した上でないと起用してはいけない。https://note.com/ganot/n/nef731621abb1
問題は、わざわざ当事者間の話を外に持ち出して大ごとにする事で、佐藤を社会的に殺そうとした奴がいたことだよね。文春は邪悪だが、その悪魔を召喚した奴が間違いなくいたわけで/交代させられたフジの弁護士も相当
件の記事はきたないので触らなかったけど「今回の件で言えば佐藤二郎さんと橋本愛さんのコミュニケーションで大きな問題が生じたようには見えなかった」という感想になることやその断絶については怖い
無自覚なor 当人の意図しない攻撃性というと痴漢冤罪的な懸念が根底にあるのかな
“ようするにこの件でなにが問題だったかといえば主客の外で喧々諤々議論し始めついには一般化しはじめて自身の主張の媒介とすることそれ自体”
書き出しは説得力あったけどね、暴力団を禁止したら暴力団も民間が怖くなりました、鬼のような形相で楽屋に怒鳴り込んだ根本原因を無視など、結局その辺の擁護派と大差ない、自己中自己憐憫アタマの披露でがっかり。
最終的にはパワーゲームになると思う。なにか合理的な会話で落ち着くとは思えないんだよな
うーん、https://plagmaticjam.hatenablog.com/entry/2020/08/05/180528 も読んだけど、理解はできない。
id:ynxdazさん 「鬼のような形相で楽屋に怒鳴り込んだ」についてソースはありますか。俺は見つけられなかった。
戦争反対のデモに捨て台詞を吐いていくのは群れだった若い男性が多いというのは聞くね
「唯一の問題」が恣意的で草。ずっと根本の論点はフェミニズムでなくパワハラだが、それを認めないのがアンフェ=ジェンダークレーマー。「声の大きい方」ってのはひたすらに論点逸らしする二朗系
「反フェミ社会的主張のダシ」にしてる自己矛盾記事/良:おじさん属性差別・社会的主張のダシ論/悪:良識男は女と無接点(大げさ痛がり)。接触演技が非難されてる(それは問題とされてない。楽屋パワハラが問題)
後段、「外体化」されたから話がこじれたというのは誤認識ではないか。「本来当事者同士で解決しうる問題」ではなかったからこじれたのではないか。そして、こじれたから「外体化」されたのではないか。
反対の立場からも似たようなご都合理論エントリ出ているけど、ポジショントーク以上の意味が無いな。それでは話にならんやろ。
状況的にイーブンもしくは有利な立場の人ほど「当事者間で話し合おう」となり、アウティングやネットで晒しみたいなことをするのはこのままでは状況が不利になる側が意図的にやってる場合が多い、とは感じている。
“佐藤二郎さんと橋本愛さんのコミュニケーションで大きな問題が生じたようには見えなかった” どこをどう見ればそのような見立てができるんだろう?
男性は性加害を受けにくく、そもそもフィジカルもメンタルも女性とは異なることから、女性の性被害による心身への影響を矮小化する傾向があるよね。「同じように」と並べられても「怖い」の方向性はだいぶ違いそう
「差別するのはおじさんに限らない、イケメン男子も差別的だよ」簡潔なブーメランになってて草。「差別」という用語をすぐ持ち出す輩は信用ならんことがよく分かる。
こういうのは最近おじさん差別というより「おじさん原罪論」と呼びたくなるんだけど、これに対抗するには知らんがな、私の幸せは私が決める!とミクロの主体性を出すことかもなと思う。結婚はしたいけど。
"今回の件に関しては本来当事者同士で解決しうる問題に社会的前提を無理矢理ねじ込もうとしているようにしか見えない"
まだやってたのか。そんなに論じる事あるの?マジでどーでもいいよ。不快だから名前でミュートしてる。頼むからタイトルに名前を入れてくれ。
SNSの下衆でキモい暇人共の『権利闘争』とすら呼べない痴態を表した文字列が目に留まるの、マジでキツ過ぎ🤮
女性の前に無節操なだけのが並ぶかどうかは明らかじゃない。ちゃんと研究で明らかにして欲しいところ。本来なら社会学の領域だが、研究もしない、ポエムだけ書くエセフェミ学者が跋扈してるせいでそうならない
今回の件で言うと、男女入れ替えても同じ問題になってた気がして、ジェンダー的側面もあるけど、どちらかとというと、昭和的価値観(本音・熱量主義) vs 令和的価値観(線引き・手続き主義)な気がする
PTSDもちは、重度に加害的なアスペに近い。どちらも本人に罪はなく救われるべきで、それはそうと現場で誰かケアをおっかぶせられる。
「無自覚の加害性」ってのが嘘なんだよな。肉体的圧迫感を与えてることを自覚してそれでごり押ししようとするし、「共感能力が欠如」ではなく好んで相手の気持ちを踏みにじるし、権力も自覚して使ってる。強者だもの
おじさんの若い女性だと、権力腕力経済力で圧倒的な権力勾配がある事がほとんどなんだよな、まずはそこから
まさに俺が、加害者になりたくないから自己フィルタリングして若い女性に近づきたくないおっさんだ。いつも道で知らない女性の横や後ろを歩くだけで痴漢扱いされないか怖い。だが実際に俺は外見からしてキモい(泣)
対立を煽るレイジベイティングのビジネスや娯楽にみんな便乗したり乗っかっているように思う。要するに邪悪な祭りである
配慮できてない言動を「おじさんが変なこと言っちゃったかな?」で済ませるのはやめてほしい。個人の問題を「おじさん」という属性にすり替えている。
はてなでは至る所で「特定の個人間の話」を「社会の構造の話」として解釈するような言説が見られて、疲れないのかなって思う。
差別が「構造的」だと主張するものが、相手を雑な属性で決めつけて新たな差別を作り出してるとは最近感じてる。
佐藤二朗氏に問題があったとして、それを「おじさん」という属性に拡大するならそれはもう差別の一歩目なんよ
しかし最終的な勝者はおじさんになる。踊る大捜査線の新作映画の最新予告の冒頭に佐藤二朗氏が映し出されるほどの優遇ぶりだった。
山口達也や中居正広も騒動が起こると「おじさん」と呼ばれてたから一部の人間にとって「おじさん」は「キモいおじさん」の略称でありトートロジー的に「おじさんはおじさんなのでキモい」という属性差別になる。
最初に楽屋に行って、プロデューサーに今後は止めるように言われたにもかかわらず二度目の楽屋訪問があり、それが問題になったということなのでおじさん関係ないような。
ラドンもそうだそうだといっています
当人同士の揉めレベルは当人にしか分からないので予断はできないが、構造としては、当人置き去りで無関係の第三者が佐藤派と橋本派に分かれて断罪合戦繰り広げてる、のは間違いないところだと思う。なんなんだろね。
とはいえ、おじさん差別は決してなくなることはない。原罪ですよ。50過ぎたら何を言っても何をやってもハラスメントになる。オレには何の権力もないのに。
言及されてる記事は同意できるところとできないところがあるけど、おじさんが色んなこと(圧迫しがちだとか基本権力側にいることとか)に無自覚になりがちなのはしばしば感じるので注意喚起は大事だと思う。
おじさんにたいする偏見を拡散する行為は差別かというと、具体的な行動を含まず、ヘイトスピーチのような過激性もないので差別には該当しないように思う。が、偏見の拡散自体が差別を生み育てる母体な気もするので