論理的思考は様々な構造や可能性を見せてくれる。
異なる座標系を行き来する力なんだと思う / 例えば直交座標から極座標を生み出す(≠変換)ことはできるのかな?
ここで言う発想型は論理的思考の枠組みに内包すべきなのかが疑問
構造分析型、発想型についての仮説はどれも間違ってそう/事象の背後の論理構造を見抜いた時点で発想型なのでは?構造分析型も発想型も同じ気がするが。/全体的な感想としては非常におもしろかったし、納得させられた
前提依存型の思考を前提依存型の筋肉と呼ぶ理由がわからない
前半は、ロジカルシンキングとクリティカルシンキングのこと、かなあ?後半は「メタ化したあとの抽象的な構造が見えていない」とか、なのかなあ?
一般に「帰納」と「演繹」と言われる能力ですね。現象から理論を構成し,理論で現象を説明・予測する能力。
「研究スタイル」としてここで言う「発想型」を「概念構築型」、他2つを「問題解決型」と恩師に整理してもらった。「概念構築型」にも目的(=外的方向づけ)はあって、宙には浮かない。方向に沿う前提を探すパズル。
↓「前提依存型の思考を前提依存型の筋肉と呼ぶ理由がわからない 」鍛えればほぼ反射的機械的にそれが生起するからでは?この部分はAIがすでに凌駕しつつあると思うこの頃。で、「本質的理解」にもこれが不可欠...
そもそもそれって正しいの?当然の前提なの?疑う力は確かに大切。でも日常生活で発揮しすぎると物事が円滑に回らなくなる。
わからなくもないが自分語の多用で理解しにくいかな。もっとシンプルに、トゥールミンの三角を頭の片隅において、論証の3要素(主張、根拠、論拠)を抜き出し、それらを懐疑し、支持関係を吟味するべし、と思う。
思考の中身っていろいろあるんだな…。
発想型は、常に前提を疑っているわけでは無いよね。ポンポンとアイデアが自然と出てくるタイプ。で、仮説Aかな。尚、日本の学校教育では「全体最適化問題」の対応が貧弱。仕事って、ほとんどこれなのに。
これくらい考える人が当然知ってるはずの演繹や帰納に思考が吸着というかスナップされないのがすごくて不思議ではある
カントの反省的判断力と規定的判断力の違いみたいな話かな
なんでそこでユークリッド幾何学を持ち出すんじゃいと混乱。出すべきは非ユークリッド幾何学だろ(『死神は毒で死なない』は平行線公準の否定に匹敵する大ネタやろ…(そこ本当にツッコミどころか?
induction/deduction/abduction
地球から見た惑星の移動履歴、という前提の生データがあって、帰納的に解釈する時に天動説を選べば説明Aが出来て、地動説を選べば説明Bが出来るというものなのだから、発想型の分類で言われると違和感。
私が思う論理はルールに従い組み立てていくもの。「前提を疑う」のはルール変更を伴う場合もありそれは論理破綻ともいえる。発想は思考というより知識や経験からの連想でイメージをつなげるだけの作用。
発想型というイマジナリーを許容している時点で論理的でもなければメタ認知も空想的な範囲に留まっているのでは。しかし、発想型はない。論理は観念ではない。夢いっぱいなのは、アウトプットしたことないんだろうな
発想型をジャッジするには構造分析する必要があるんじゃないのかと思ったり。あと、発想型は論理ではなく感覚に近いんじゃないかなと
雑な言い方すると社会の構成員の90%以上は前提を疑わず目先の課題を黙々と解決するほうがうまく回ると思う。天動説の様な大きな誤謬を今でも信じて動いている分野は(自然科学では)かなり稀と思われる。
記事の中でいわれる発想型は「帰納」と「演繹」以前に文字通り発想力に関連する能力であり、そもそも論理的思考とは全く別の能力である。だから発想型が苦手というのは何も不思議ではない。
“ミステリー・数学・哲学に共通する、前提を固めて、その内部で論理を積み上げる構造。一方、前提を疑う操作は2つ。構造分析型は「目の前にある材料の整理」の延長。発想型は「目の前にない視点を呼び込む」操作”
オレが不思議なのは(多分この人もそうなのだと思うが)「発想型」によって発想されたものが、事後的には論理的構造として把握できるという事な。そこでは結果が原因より先に来てると感じる。
その『発想』とやらが無から生じたと思っているなら勘違いでは。
論理的思考は一つの能力じゃない - あたまの中を循環する
論理的思考は様々な構造や可能性を見せてくれる。
異なる座標系を行き来する力なんだと思う / 例えば直交座標から極座標を生み出す(≠変換)ことはできるのかな?
ここで言う発想型は論理的思考の枠組みに内包すべきなのかが疑問
構造分析型、発想型についての仮説はどれも間違ってそう/事象の背後の論理構造を見抜いた時点で発想型なのでは?構造分析型も発想型も同じ気がするが。/全体的な感想としては非常におもしろかったし、納得させられた
前提依存型の思考を前提依存型の筋肉と呼ぶ理由がわからない
前半は、ロジカルシンキングとクリティカルシンキングのこと、かなあ?後半は「メタ化したあとの抽象的な構造が見えていない」とか、なのかなあ?
一般に「帰納」と「演繹」と言われる能力ですね。現象から理論を構成し,理論で現象を説明・予測する能力。
「研究スタイル」としてここで言う「発想型」を「概念構築型」、他2つを「問題解決型」と恩師に整理してもらった。「概念構築型」にも目的(=外的方向づけ)はあって、宙には浮かない。方向に沿う前提を探すパズル。
↓「前提依存型の思考を前提依存型の筋肉と呼ぶ理由がわからない 」鍛えればほぼ反射的機械的にそれが生起するからでは?この部分はAIがすでに凌駕しつつあると思うこの頃。で、「本質的理解」にもこれが不可欠...
そもそもそれって正しいの?当然の前提なの?疑う力は確かに大切。でも日常生活で発揮しすぎると物事が円滑に回らなくなる。
わからなくもないが自分語の多用で理解しにくいかな。もっとシンプルに、トゥールミンの三角を頭の片隅において、論証の3要素(主張、根拠、論拠)を抜き出し、それらを懐疑し、支持関係を吟味するべし、と思う。
思考の中身っていろいろあるんだな…。
発想型は、常に前提を疑っているわけでは無いよね。ポンポンとアイデアが自然と出てくるタイプ。で、仮説Aかな。尚、日本の学校教育では「全体最適化問題」の対応が貧弱。仕事って、ほとんどこれなのに。
これくらい考える人が当然知ってるはずの演繹や帰納に思考が吸着というかスナップされないのがすごくて不思議ではある
カントの反省的判断力と規定的判断力の違いみたいな話かな
なんでそこでユークリッド幾何学を持ち出すんじゃいと混乱。出すべきは非ユークリッド幾何学だろ(『死神は毒で死なない』は平行線公準の否定に匹敵する大ネタやろ…(そこ本当にツッコミどころか?
induction/deduction/abduction
地球から見た惑星の移動履歴、という前提の生データがあって、帰納的に解釈する時に天動説を選べば説明Aが出来て、地動説を選べば説明Bが出来るというものなのだから、発想型の分類で言われると違和感。
私が思う論理はルールに従い組み立てていくもの。「前提を疑う」のはルール変更を伴う場合もありそれは論理破綻ともいえる。発想は思考というより知識や経験からの連想でイメージをつなげるだけの作用。
発想型というイマジナリーを許容している時点で論理的でもなければメタ認知も空想的な範囲に留まっているのでは。しかし、発想型はない。論理は観念ではない。夢いっぱいなのは、アウトプットしたことないんだろうな
発想型をジャッジするには構造分析する必要があるんじゃないのかと思ったり。あと、発想型は論理ではなく感覚に近いんじゃないかなと
雑な言い方すると社会の構成員の90%以上は前提を疑わず目先の課題を黙々と解決するほうがうまく回ると思う。天動説の様な大きな誤謬を今でも信じて動いている分野は(自然科学では)かなり稀と思われる。
記事の中でいわれる発想型は「帰納」と「演繹」以前に文字通り発想力に関連する能力であり、そもそも論理的思考とは全く別の能力である。だから発想型が苦手というのは何も不思議ではない。
“ミステリー・数学・哲学に共通する、前提を固めて、その内部で論理を積み上げる構造。一方、前提を疑う操作は2つ。構造分析型は「目の前にある材料の整理」の延長。発想型は「目の前にない視点を呼び込む」操作”
オレが不思議なのは(多分この人もそうなのだと思うが)「発想型」によって発想されたものが、事後的には論理的構造として把握できるという事な。そこでは結果が原因より先に来てると感じる。
その『発想』とやらが無から生じたと思っているなら勘違いでは。