2013年6月の記事
新美南吉オリジナル版のごんぎつねが読める。https://www.ritsumei.ac.jp/primary/db/201306181614.pdf
南吉お前だったのか。
絵はとても可愛い。話は正直余韻がなくていまいちだな。
ゴンさん狐『This way...』
雑誌『赤い鳥』に掲載された「ごんぎつね」は鈴木三重吉が新美南吉の自筆原稿にかなり手を入れていて、この「オリジナル版」は自筆原稿から復刻したものということらしい/ファブルっぽさがある
もちろん皆さん最後まで読みはしません。Endキーを押してそそくさと結びだけ目を通し、”おまえたちが知らない本当のごんぎつねがあるんだぜ”それだけを記憶して去っていく。さながら格安バス旅行のようです。
南吉オリジナルとてもいいな。うれしくなりました、の箇所も納得がいく。ごんがうなぎの頭をかみ砕くシーンはなんで?とずっと思ってたので、あれは鈴木による改変・加筆と分かってすっきりした。
これなのね。https://www.ritsumei.ac.jp/primary/db/201306181614.pdf 一昨年ぐらいのブクマが多いか。
数年前にもホッテントリで見た記憶が。さらに初期のはてなでも見た記憶がある。何にしてもこういう話を負け犬を嘲笑う感じにミーム化するやつは嫌いだな。
挿絵かわいい。いたずらをやめ、神様にやきもちをやき、撃たれても「うれしくなりました」という権狐がいじらしい。/赤い鳥版の「ぐったりと目をつぶったまま、うなずきました」の方が教科書向きではあるかもね。
2013.06.19
ごんの気持ちが最後に ”ごんは、ぐったりなったまま、うれしくなりました”
解説読まずに読んでみたけど、ごんと兵十の心の動きが素直に判ってラストの…とーで区別された間の表現、「うれしくなりました」で伺える表情と対照的な青い煙の存在が際立って良い。国語にはこちらを採用した方が…
鈴木、お前だったのか
立命館ってスマホサイトすら作れないのか
最後にごんぎつねがうなずくのはなんか違うなと思ってた。言葉を理解することになるから。オリジナル版はゴンが嬉しくなるだけで兵十に反応を伝えられてないのが味わい深い
ラスト、兵十の「おや」の後の七字分のダッシュで目頭が熱くなった。その瞬間に兵十の中に巡った思考と記憶と気持ちを感じて。ごんがうなずきはせず、内心がただ一言書かれているのもよかった。
主人公は権でありこの結末が肝なんだから兵十のダーシも死に際の権が「うれしくなった」のも最高に大事でしょうよ!まさにそれが知りたかった小学生の私に教えてあげたい。これは生死ではなく孤独な心の物語なんだよ
一般的なのは「鈴木三重吉による雑誌掲載のための加筆修正」という名目のもと大きく書き換えられていたのか。なのに作者名には新見南吉しかないのか。
兵十の悔恨の痛みが強く尾をひく三重吉版も捨てがたいが、オリジナル版の素直さも良いね。
事前情報による色眼鏡もあると思うが、南吉版のほうが相当味わい深いお話だと感じるし、多くの研究者の「評価は低い」というのが信じられない/特に小学校の国語は情操教育なんだから、こっちのほうが断然良いでしょ
解説 https://gemini.google.com/share/ffb91222a722
「うれしくなりました」「いたずらをやめました」のところを読んで、あれこんなふうだっけ?と気になったら、解説に書かれてた。
ちゃんと比較してみたい
新美南吉、18歳の作である。/オリジナル版の存在はよく知られているので、「権狐」で調べると色々見つかります。個人的には「うれしくなりました」は感情がストレートに描写されすぎてつまらないと思う。
とても良い。こちらの方が読み取る内容が沢山あり、小学生にとって良い勉強になる気がした。
うれしくなりました…
読んだのは遠い昔なのに、え、こんな表現あったっけ?と思う部分はやはり添削が入ってたりした部分だった。文章ってすごいな。
オリジナルがフェティッシュすぎるw肉体の死より承認欲求が優先されるメンヘラ彼女やん こりゃ贖罪と悔悟の物語に変換した赤い鳥版じゃなきゃ教科書に載せられんわw|そう見ると出会いが最悪というテンプレも良い
『赤い鳥』は三重吉が修正を入れまくりで、龍之介すらずいぶん変わってしまっているそうな。
( やっぱ「愛」がいちばんアレ。死に至る病 )( やっかいなのは、知ってしまうと戻れないこと )
オリジナルと校訂版の味わいの違いはけっこうあるな。ただ「整合性」という意味では完全に違う意味にしてしまったところもあるけれど三重吉はあえて説明しないことで想像させるようにしている部分もある感じはする。
手塚治虫の小悪魔系キャラだこれ。
兵十へ親近感を持ち、兵十に神様のような良い事をしたのに、自らの過去の行いのせいで伝わらないどころか撃ち殺される、そのやるせなさに涙がでる。これはごんが嬉しくなることでよりごんの素直さが感じられて辛い。
やっぱせつない…。記憶より長い話だったけど覚えてるからこんなに読み応えがあったんだな。こんなに改変しなくても良かったのにと思っちゃうね
私の好きだと思ってたごんぎつねイズムは三重吉による脚色だったことを知り、なんだか複雑な思い。新美南吉のがシンプルにエモいな。三重吉、お前だったのか…ごんをより複雑にこじらせ昇華させたのは―――――――
わたしは最初読んだ方(赤い鳥版)の締めの一文の描写が強く印象づけられてるのでこちらの効果を鈴木も意図したんじゃないかと勝手に思っている。つまり場面の力を前面に出す為に情感部分は読者の共感性に託されたと
オリジナルの方がしっかり完成されてる。
兵十、神エイム過ぎない?
研究者の評価は低く原作を鈴木が磨いたとまで評する人もいるらしいが、小学校で取り上げるには元の方が良いような
「うれしく」なることもわかるがごんが「うれしく」なってしまうと兵十がごんを殺してしまった取り返しのつかなさが薄まってしまうのであまり支持はしたくない
ラストには賛否あろうが、全体としては「赤い鳥」版の方がブラッシュアップされて文章がくっきりしていると思う。「若衆倉の前」とかは無用のディテールだし、「いささぎ」とか「はそれ」もそのままでは解説が必要。
「ごんぎつね」も今流行りの承認欲求の話なんだと今更ながらに思う
朝日新聞で紹介された南吉オリジナル版「ごんぎつね」 | News | 立命館小学校 | 立命館大学
2013年6月の記事
新美南吉オリジナル版のごんぎつねが読める。https://www.ritsumei.ac.jp/primary/db/201306181614.pdf
南吉お前だったのか。
絵はとても可愛い。話は正直余韻がなくていまいちだな。
ゴンさん狐『This way...』
雑誌『赤い鳥』に掲載された「ごんぎつね」は鈴木三重吉が新美南吉の自筆原稿にかなり手を入れていて、この「オリジナル版」は自筆原稿から復刻したものということらしい/ファブルっぽさがある
もちろん皆さん最後まで読みはしません。Endキーを押してそそくさと結びだけ目を通し、”おまえたちが知らない本当のごんぎつねがあるんだぜ”それだけを記憶して去っていく。さながら格安バス旅行のようです。
南吉オリジナルとてもいいな。うれしくなりました、の箇所も納得がいく。ごんがうなぎの頭をかみ砕くシーンはなんで?とずっと思ってたので、あれは鈴木による改変・加筆と分かってすっきりした。
これなのね。https://www.ritsumei.ac.jp/primary/db/201306181614.pdf 一昨年ぐらいのブクマが多いか。
数年前にもホッテントリで見た記憶が。さらに初期のはてなでも見た記憶がある。何にしてもこういう話を負け犬を嘲笑う感じにミーム化するやつは嫌いだな。
挿絵かわいい。いたずらをやめ、神様にやきもちをやき、撃たれても「うれしくなりました」という権狐がいじらしい。/赤い鳥版の「ぐったりと目をつぶったまま、うなずきました」の方が教科書向きではあるかもね。
2013.06.19
ごんの気持ちが最後に ”ごんは、ぐったりなったまま、うれしくなりました”
解説読まずに読んでみたけど、ごんと兵十の心の動きが素直に判ってラストの…とーで区別された間の表現、「うれしくなりました」で伺える表情と対照的な青い煙の存在が際立って良い。国語にはこちらを採用した方が…
鈴木、お前だったのか
立命館ってスマホサイトすら作れないのか
最後にごんぎつねがうなずくのはなんか違うなと思ってた。言葉を理解することになるから。オリジナル版はゴンが嬉しくなるだけで兵十に反応を伝えられてないのが味わい深い
ラスト、兵十の「おや」の後の七字分のダッシュで目頭が熱くなった。その瞬間に兵十の中に巡った思考と記憶と気持ちを感じて。ごんがうなずきはせず、内心がただ一言書かれているのもよかった。
主人公は権でありこの結末が肝なんだから兵十のダーシも死に際の権が「うれしくなった」のも最高に大事でしょうよ!まさにそれが知りたかった小学生の私に教えてあげたい。これは生死ではなく孤独な心の物語なんだよ
一般的なのは「鈴木三重吉による雑誌掲載のための加筆修正」という名目のもと大きく書き換えられていたのか。なのに作者名には新見南吉しかないのか。
兵十の悔恨の痛みが強く尾をひく三重吉版も捨てがたいが、オリジナル版の素直さも良いね。
事前情報による色眼鏡もあると思うが、南吉版のほうが相当味わい深いお話だと感じるし、多くの研究者の「評価は低い」というのが信じられない/特に小学校の国語は情操教育なんだから、こっちのほうが断然良いでしょ
解説 https://gemini.google.com/share/ffb91222a722
「うれしくなりました」「いたずらをやめました」のところを読んで、あれこんなふうだっけ?と気になったら、解説に書かれてた。
ちゃんと比較してみたい
新美南吉、18歳の作である。/オリジナル版の存在はよく知られているので、「権狐」で調べると色々見つかります。個人的には「うれしくなりました」は感情がストレートに描写されすぎてつまらないと思う。
とても良い。こちらの方が読み取る内容が沢山あり、小学生にとって良い勉強になる気がした。
うれしくなりました…
読んだのは遠い昔なのに、え、こんな表現あったっけ?と思う部分はやはり添削が入ってたりした部分だった。文章ってすごいな。
オリジナルがフェティッシュすぎるw肉体の死より承認欲求が優先されるメンヘラ彼女やん こりゃ贖罪と悔悟の物語に変換した赤い鳥版じゃなきゃ教科書に載せられんわw|そう見ると出会いが最悪というテンプレも良い
『赤い鳥』は三重吉が修正を入れまくりで、龍之介すらずいぶん変わってしまっているそうな。
( やっぱ「愛」がいちばんアレ。死に至る病 )( やっかいなのは、知ってしまうと戻れないこと )
オリジナルと校訂版の味わいの違いはけっこうあるな。ただ「整合性」という意味では完全に違う意味にしてしまったところもあるけれど三重吉はあえて説明しないことで想像させるようにしている部分もある感じはする。
手塚治虫の小悪魔系キャラだこれ。
兵十へ親近感を持ち、兵十に神様のような良い事をしたのに、自らの過去の行いのせいで伝わらないどころか撃ち殺される、そのやるせなさに涙がでる。これはごんが嬉しくなることでよりごんの素直さが感じられて辛い。
やっぱせつない…。記憶より長い話だったけど覚えてるからこんなに読み応えがあったんだな。こんなに改変しなくても良かったのにと思っちゃうね
私の好きだと思ってたごんぎつねイズムは三重吉による脚色だったことを知り、なんだか複雑な思い。新美南吉のがシンプルにエモいな。三重吉、お前だったのか…ごんをより複雑にこじらせ昇華させたのは―――――――
わたしは最初読んだ方(赤い鳥版)の締めの一文の描写が強く印象づけられてるのでこちらの効果を鈴木も意図したんじゃないかと勝手に思っている。つまり場面の力を前面に出す為に情感部分は読者の共感性に託されたと
オリジナルの方がしっかり完成されてる。
兵十、神エイム過ぎない?
研究者の評価は低く原作を鈴木が磨いたとまで評する人もいるらしいが、小学校で取り上げるには元の方が良いような
「うれしく」なることもわかるがごんが「うれしく」なってしまうと兵十がごんを殺してしまった取り返しのつかなさが薄まってしまうのであまり支持はしたくない
ラストには賛否あろうが、全体としては「赤い鳥」版の方がブラッシュアップされて文章がくっきりしていると思う。「若衆倉の前」とかは無用のディテールだし、「いささぎ」とか「はそれ」もそのままでは解説が必要。
「ごんぎつね」も今流行りの承認欲求の話なんだと今更ながらに思う