昔なら、分解能を上げるとか表現していたのではないかしら。
解像度ってDTP発の言葉ではないから…
大抵の場合被写界深度の話のような気がきてる(てきとう)
同じ画面サイズならフルHDより4kの方が細かくてきれいだよねって話でしょ?何が誤用なのが謎
モニタ上の1インチで表示されている情報に変わりはないけど、内部的には更に詳細な情報を持っている(ので拡大可能)という意味の用語だと思っている
単語としてはおそらく「分解能」が適切なのかなとは思う
DTP的にいえば(たぶん)仕上がりサイズが同じで画素数が上がることを「解像度が上がる」といってるのであまり違和感はない。気はする。「分解能」の方が観測寄りの語彙なので一般的にわかりやすい、というのはわかる
⭕️「語彙が豊富」❌️「語彙力がある」とか、あるよね。// 丸谷才一だったか、大野晋だったか「三文字熟語は概ね信用ならない」。坂口安吾? お題の解像度は、いわば「きめ細かく見える」の現代一時の流行換言よね。
古い人間は「解像度」でレンズをイメージするが、新しい人間は同じ言葉でモニタスクリーンをイメージする
こないだ朝日新聞の言葉に関するコラムで「解像度」が取り上げられて、何故か識者?として取材を受けたので少しコメントした。https://www.asahi.com/sp/articles/ASTBB56RTTBBULPF001M.html?iref=pc_rensai_long_926_article
モニターのサイズが同じで、2K と 4K なら 4K の方が解像度が高いでしょ…
きめ細かく、を熟語で表現しようとすると、解像度を高めるという表現が落ちたのではないかと察する。
年寄りがよだれを垂らしてコメントしてくるネタ。
解像度の概念はDTPよりずっと前の写真フィルムカメラの時代から、テストチャートなど細かいところをどれだけ分解して画像に出来るかとしてあるけど。比喩としての解像度と類似する概念。
アナログテレビの時代はビデオデッキの水平解像度がどのくらいとか言ってたような。テストパターンでどの辺まで見えるかでわかる。
分解能も解像度も英語ならresolutionで一緒なので…
出力の解像度じゃなく理解の解像度なので、スキャンや撮影の解像度の話だと/印刷物の解像度設定は印刷機の都合
フリオーソ
もやっとするけど、どうすればいいのかわからないヤツ。
id:cj3029412 説得力(←これも)を盛りたいのか、無駄にパラメータ風にしたがる風潮があると思っている。「塩辛い」「塩が効いている」「塩気が強い」ではなく「塩味(態々音読みでエンミ)が強い」とか。
解像度が高いほうが同サイズの印刷物で情報量が多いわけで問題ないのでは???
サイン波があって1周期を100点で取るものより1000点で取る方が細かく取れるから解像度上がってるよね。同じものをより細かく表現できてるんだから。
同人誌やポスターを印刷所に発注しているおかげでdpiを理解している立場から言うと、明瞭さという意味で解像度という言葉を使うのは全然おかしくないと思う。
説明を受けてもさっぱり分からん解像度
じゃあなんて言えばと思ったらブコメに分解能とあった。うむ。
昔の印刷も今のWebも元画像の高解像度を処理の負荷で低解像度にして使ってんのを、もっと性能(理解)を上げて解像度上げようって例えで、元を低解像度にしたらそら上げよう無いがなw。解像度を上げようw。
画素数でええか?
ファクシミリの文字が荒れて読みづらい時、虫眼鏡で拡大してみると読むことが出来ることもある。つまり理解において解像度は問題なく適用できる。
要は密度が上がるってことで、物事に対する領域は変わらないけど情報量が増えてより詳細に理解できるようになったってことなんだから別に間違ってないじゃん? 何が言いたいんだろう…
それ言ったら例えの表現大体おかしくなりそう。単に好き嫌いしかない。
ちゃんとは調べてないが、これはオーディオ用語としての「④音響機器で、音を再現する精度(広辞苑)」が割と昔(昭和40年代にあったのは確認済み)からあって、それが逆輸入というか広まったのかなあという感触は持ってる
比べるのは、速度でも温度でもなく密度だと思うんだがなあ。
言語なんて100%の意思疎通は無理なので大体伝わればいいのでは
説明下手すぎん?カスかよ
視座もなんかこれに噛ませてなんかおかしいと言って〜 解像度、、言語化、、明瞭、、理解度、、🤔たしかに。まあお気持ちワードサイエンス、あるよね。
"同じ実寸のときに解像度72ppiの画像と350ppiの画像では、350ppiの画像のほうが大きい" これがわからない。「同じ実寸」なのに片方の「ほうが大きい」?データサイズの話?同じ大きさでも「解像度」が違うとはならないの?
皆んなの言う通り分解能の言い換えのニュアンスよね。サンプリング周波数が低いとディテールが抜け落ちる。だから解像度(サンプル数)を上げて細やかな事柄をより正確に把握する。
かってに解像度
同じことを考えます。この件については間違いというよりズレてるから外れることも言えてることもある用法なのかも。皆のデジ/アナ混在の(無)理解がより混乱させてる。その場面に適切かは都度考えたい感じです。
『ディスプレイ解像度』のWikipediaを読むと表示できるピクセルの数を表していて、解像度が高いほどいわゆる情報量が多くて鮮明だと思う。4Kや8Kで綺麗と言ってるんだから、解像度高いの言い回しに違和感はない。
ピクセル数固定で解像度を増減すると物理サイズが変わるという話。物理サイズを固定してピクセル数の増減を言うのは本来は分解能。でもディスプレイ解像度の用法が広まって曖昧となった。
DTP でいえば、スキャンの際のインチあたりのドット数ないしピクセル数を上げるわけですな。
4kのデータを2kで出力してたところ、4kで出力出来るようになるのは情報量が上がるので解像度が上がった、でいいんじゃないの?だめなの?
いやー陰極線管華やかなりしアナログ時代は水平解像度が何本なんて指標が有りましたねー(20世紀に帰ろうね)
「西瓜は野菜か果物か」に唯一解がないように、フォトショ的な解像度の定義が唯一解ではない。画像にモザイクかけることを「解像度下げる」、逆を「上げる」と呼ぶことに、(同業者だけど)違和感ないな
文中の馬の写真のピクセル数を変更しても対象の馬の実寸は変わらないよね。なんだか、デジタルで閉じた新しい認知の形を見た気がするがどう表現すればいいのかよくわからない。
解像度って、ボクの毛並みみたいにツヤツヤなことかにゃ?
現実はもっと愚かで、ファミコンとPS5の違いみたいなニュアンスだろ。
問題は「お前、解像度を上げろ」と言う側が「それじゃ周辺は切り落とします(全体俯瞰はできません)が良いですか」「どの位置を狙って解像度上げますか」と言われることを想定してなさそうなことでしょう。
解像度を上げるという表現の文脈は同じサイズの画面で細部を細かく表示するということなのだから、間違ってないんじゃないですかね?
その「解像度」が便利すぎて、それ以前に何て言ってたか全然思い出せない。「鮮明度が増す」「ピントが合う」とかかなぁ。
https://www.amazon.co.jp/dp/4862763189 この書籍が出てから広まったのでは?
dpiの理解がおかしい。そんなDTP関係者なんて普通はいないのでDTP関係者ではないと思う。フォトショでこの感覚なら、イラレは使わないんだろ
分からなくもないが、印刷会社でDTPやってたけど、普通に解像度低過ぎて使えないとか言ってたよ。密度の話に例えると伝わり安かったし。密度も高い低いって言うじゃないすか。だから別におかしくはないんじゃないすか
私の認識だとCRT時代の概念なんだよな。同一の画面サイズでも、情報量は640x480と1024x768で全然違う。
2010年の日本テレビ盃のフリオーソだ
解像度のその用法って、他でもないアートディレクターの佐藤可士和が言い出したんだと思ってた
関係ないけど、はてなブログってこんなに広告入るのか。誤タップして辛い。
この人は、自分が馬鹿であるってことをすごい長々と書いてることはわかった
ppiは文字通りインチ当たりのピクセル数、つまり情報密度。ディスプレイに"ドットバイドットで(=密度固定で)"表示させようとしてるから低密度のものより高密度のものを表示するのに広いサイズが必要になる
理解が深まることも解像度が高くなることも通底してるのはよく見えるようになることなので
photoshop上では解像度を下げる(画像を劣化させる)ことはできても上げることはできないと言いたいのかもしれんが、世間の言う解像度は入力解像度のことだろう。
この感覚わかる気がするw 印刷したことあれば同じこと思うはず
要約: 意味がないことを自覚しながらも、発信欲求が勝った結果。
時間分解能・空間分解能という言葉を知っているのでそれ以外の尺度の分解能もあるだろうと普通に解釈できる。でも帯域量を知らなくてギガって言っちゃうのが世間なので、という生ぬるい目線で理解を示しています
フォトショだから違和感あるのであって、「デジイチで解像度の設定を上げて撮り直す」なら別にええのではなかろうか
画像で考えるからそうなるんじゃないか。ディスプレイにだって解像度はあるだろう。単純に情報量が増えたことを解像度が高いと言っても違和感はないけどな
カメラの解像感という語が変な風に拗れて解像度になったと思ってる/宇多丸さんがしきりにこれ言ってるのずっと気になってる。言葉操る人の誤用みたいな。ムズカユイ感じ。
同じサイズで2x2と10x10のモザイク画像があれば10x10の方が解像度が高い。物事を、より詳細に説明、理解できることを一般的にそう言うという認識です。
そもそも一般人はphotoshop使わないって話しちゃ駄目?
画像サイズ / 出力幅 = pixel / inch なんだからもとより画像サイズの話をしているし、言い方としておかしくないのでは
あえてルーツを無視して字面だけで見ると「像を解する精度」と読めるので、まさにそのものズバリという感じではある。
「敷居が高い」これは不義理したことにより近づき難いの意味なので、基本的には下がらないし可動しない。抗っていきたい
私も違和感があった。まだ粒度なら分かるんだけど、同じか?…w
貴重なご意見ありがとうございます。理解のサイズが上がりました。
解像度が上がれば当然画像サイズが上がるんだからイコールだろ。何いってんだ。
天体望遠鏡のスペックで倍率と分解能というのがある。同じ100倍同士、同じ1000倍同士でも強さ(偉さ)が違うのだ
速度と距離の関係かな。距離をズームして見た目上変えられるのでわかりにくい。速度である解像度が高まる、と考えてもいい。解像度が変わらないなら、距離が可変になる
誤用なのだろうけど、漢字が像を解っている度合いとも読めるので、解像度を上げるで伝わってしまうのだろう。でも理解度に照らすなら像解度じゃないのとか思ったり。
私も「解像度が上がる」嫌い。あと「周波数が合う」も嫌い。でも「波長が合う」は昔から言うよなあ、慣れの問題か?
とてもわかる。単純な画素数と、単位距離あたりの画素密度とを分けて表現できる便利なことばなのに、違いをわからず全て「解像度」で語る人が多すぎる。同じような話で「画角」という言葉にも似た問題を感じている
「解像度」っていうのは「理解度」に「再現度」のニュアンスも含めたものという理解をしてる。「カメラで撮影→肉眼で見た」、「撮影した画像が鮮明(解像度が高い)→肉眼で見たものと同等に他者に伝えられる」
性癖警察の私としては、本来の意味から違っているならば指摘されて正したいと思っているが、正直ここでの説明はよく理解できなかった。
A4で原稿を納品するのに350dpiと600dpiを比べたら600のほうが当然綺麗なわけでそこまでおかしくないのでは。自分で写真を印刷する場合でも解像度を精細さの基準として見るのは妥当に思える。
自分も曖昧 ググってみた『一般的には画素数が多ければ「情報量が多く」、解像度が高ければ「細部が鮮明に」なります 』だって その言葉で言いたいことは界隈に対する造詣が深いみたいな意味なのでまあいいかな
解像度という言葉の理解が低く、業務で使ってる印象で語るが故にぼんやりと呆けてしまってる。こういうのを解像度が低い状態と言います。一般的には知識の鮮明さを上げましょうって話。
「解像度」て連呼する人は独りよがり感がえぐいんよね、偏見やけと本人も理解が偏ってるんでない
アウトプットのサイズが同じなら、解像度が高いほうが解像度が高いってことではなくて?
"同じ実寸のときに解像度72ppiの画像と350ppiの画像では、350ppiの画像のほうが大きい"←いや、細かくなっているだけで「同じ実寸」なんだからサイズは同じだろ。ppi の定義まで書いてるのに。
DTPやってたからめっちゃわかる。解像度「350dpi」だけ知ってても「実寸で」がわかってないからちっさい画像で送って来られてちがーう!ってなってた。でもこれはDTPの記憶があるから、モヤモヤしちゃうだけ。
解像するとは2つの点を、1つではなく2つと認識する事。お医者さんの「この指何本に見えますか?」というやつ。個人的にはかなりしっくりくる表現。
解像度が高い画像の方が細かいとこまで見えんるちゃうのか。全然分からん。
最初2つの例が逆じゃないかな。/確かに!と思うと同時に、日本語って省略が過度だから補完の仕方、視点の変わり様によっては適切な説明ができてしまうので強く言うといろんな角度からそうとは限らないと言われがち
USBメモリをUSBと呼ぶなと同じ話。そりゃそうなんだろうけど、伝わりゃいーんだよ。
理由は違えど、この表現は使わないようにしてるなぁ
「解像度」に対する解像度が高い人が感じる違和感/分解能を上げただけでは確度は上がらない。微に入り細を穿つ情報でもそれがデマならむしろ有害。『物事の理解』に於いては。
おかしくない。「何かの機器や解説」というレンズ・フィルターが脳までの光学認識系に加わった・入れ替わった結果、ぼやけてる像のある単位視角[sr]に含まれる情報量が増えたという結果が解像度が"上がった"状態である
所与の画像を使ってあれこれする職業だからそういう感覚なんじゃない。言われたように世界のスキャン解像度と思えば通るよ
ビジネスで「解像度が上がった、高まった」って言ってるうちはまだ表現が荒い=詳細の理解に至っていない、と考えている。
その比喩表現は好きじゃないけど、空間解像度の話ならどの程度の周波数まで含まれるかってのが本来。dpiはその派生で必ずしも解像度を示す訳じゃない。
そも電源のONOFFを慣用的に「立ち上げる」「落とす」いうてる時点でもう正しいもクソもないんだわ
なんか違うよなぁ…と思いつつも便利なので気にしないふりして使う
デジカメの画素数のイメージ
こんなのは言葉遊びだよ
私には馬の写真3枚目と4枚目のサイズは同じにしか見えないなぁ。
言いたいことは分かるし何も言い返せない。しかしそう言うしかないのだ
ピクセルを増やす
スマホのカメラの解像度=画素数が上がって、あるいは、アナログテレビ放送の解像度から地上デジタル放送の解像度になって、画質が良くなって情報量が増えたねくらいの意味合いだとおもうよ。
昭和の無頼派を気取ってディテールの発言責任を負わずテキトー言い放つ刹那主義的な終わり方しといて、一方では「嫌われてるオレ」的被害者意識に酔いながら他人の気遣いの無さを嘆くという幼稚で卑しい思考回路
物事の理解について「解像度を上げる」、「解像度を高くする」という言い方はおかしい…… - 関内関外日記
昔なら、分解能を上げるとか表現していたのではないかしら。
解像度ってDTP発の言葉ではないから…
大抵の場合被写界深度の話のような気がきてる(てきとう)
同じ画面サイズならフルHDより4kの方が細かくてきれいだよねって話でしょ?何が誤用なのが謎
モニタ上の1インチで表示されている情報に変わりはないけど、内部的には更に詳細な情報を持っている(ので拡大可能)という意味の用語だと思っている
単語としてはおそらく「分解能」が適切なのかなとは思う
DTP的にいえば(たぶん)仕上がりサイズが同じで画素数が上がることを「解像度が上がる」といってるのであまり違和感はない。気はする。「分解能」の方が観測寄りの語彙なので一般的にわかりやすい、というのはわかる
⭕️「語彙が豊富」❌️「語彙力がある」とか、あるよね。// 丸谷才一だったか、大野晋だったか「三文字熟語は概ね信用ならない」。坂口安吾? お題の解像度は、いわば「きめ細かく見える」の現代一時の流行換言よね。
古い人間は「解像度」でレンズをイメージするが、新しい人間は同じ言葉でモニタスクリーンをイメージする
こないだ朝日新聞の言葉に関するコラムで「解像度」が取り上げられて、何故か識者?として取材を受けたので少しコメントした。https://www.asahi.com/sp/articles/ASTBB56RTTBBULPF001M.html?iref=pc_rensai_long_926_article
モニターのサイズが同じで、2K と 4K なら 4K の方が解像度が高いでしょ…
きめ細かく、を熟語で表現しようとすると、解像度を高めるという表現が落ちたのではないかと察する。
年寄りがよだれを垂らしてコメントしてくるネタ。
解像度の概念はDTPよりずっと前の写真フィルムカメラの時代から、テストチャートなど細かいところをどれだけ分解して画像に出来るかとしてあるけど。比喩としての解像度と類似する概念。
アナログテレビの時代はビデオデッキの水平解像度がどのくらいとか言ってたような。テストパターンでどの辺まで見えるかでわかる。
分解能も解像度も英語ならresolutionで一緒なので…
出力の解像度じゃなく理解の解像度なので、スキャンや撮影の解像度の話だと/印刷物の解像度設定は印刷機の都合
フリオーソ
もやっとするけど、どうすればいいのかわからないヤツ。
id:cj3029412 説得力(←これも)を盛りたいのか、無駄にパラメータ風にしたがる風潮があると思っている。「塩辛い」「塩が効いている」「塩気が強い」ではなく「塩味(態々音読みでエンミ)が強い」とか。
解像度が高いほうが同サイズの印刷物で情報量が多いわけで問題ないのでは???
サイン波があって1周期を100点で取るものより1000点で取る方が細かく取れるから解像度上がってるよね。同じものをより細かく表現できてるんだから。
同人誌やポスターを印刷所に発注しているおかげでdpiを理解している立場から言うと、明瞭さという意味で解像度という言葉を使うのは全然おかしくないと思う。
説明を受けてもさっぱり分からん解像度
じゃあなんて言えばと思ったらブコメに分解能とあった。うむ。
昔の印刷も今のWebも元画像の高解像度を処理の負荷で低解像度にして使ってんのを、もっと性能(理解)を上げて解像度上げようって例えで、元を低解像度にしたらそら上げよう無いがなw。解像度を上げようw。
画素数でええか?
ファクシミリの文字が荒れて読みづらい時、虫眼鏡で拡大してみると読むことが出来ることもある。つまり理解において解像度は問題なく適用できる。
要は密度が上がるってことで、物事に対する領域は変わらないけど情報量が増えてより詳細に理解できるようになったってことなんだから別に間違ってないじゃん? 何が言いたいんだろう…
それ言ったら例えの表現大体おかしくなりそう。単に好き嫌いしかない。
ちゃんとは調べてないが、これはオーディオ用語としての「④音響機器で、音を再現する精度(広辞苑)」が割と昔(昭和40年代にあったのは確認済み)からあって、それが逆輸入というか広まったのかなあという感触は持ってる
比べるのは、速度でも温度でもなく密度だと思うんだがなあ。
言語なんて100%の意思疎通は無理なので大体伝わればいいのでは
説明下手すぎん?カスかよ
視座もなんかこれに噛ませてなんかおかしいと言って〜 解像度、、言語化、、明瞭、、理解度、、🤔たしかに。まあお気持ちワードサイエンス、あるよね。
"同じ実寸のときに解像度72ppiの画像と350ppiの画像では、350ppiの画像のほうが大きい" これがわからない。「同じ実寸」なのに片方の「ほうが大きい」?データサイズの話?同じ大きさでも「解像度」が違うとはならないの?
皆んなの言う通り分解能の言い換えのニュアンスよね。サンプリング周波数が低いとディテールが抜け落ちる。だから解像度(サンプル数)を上げて細やかな事柄をより正確に把握する。
かってに解像度
同じことを考えます。この件については間違いというよりズレてるから外れることも言えてることもある用法なのかも。皆のデジ/アナ混在の(無)理解がより混乱させてる。その場面に適切かは都度考えたい感じです。
『ディスプレイ解像度』のWikipediaを読むと表示できるピクセルの数を表していて、解像度が高いほどいわゆる情報量が多くて鮮明だと思う。4Kや8Kで綺麗と言ってるんだから、解像度高いの言い回しに違和感はない。
ピクセル数固定で解像度を増減すると物理サイズが変わるという話。物理サイズを固定してピクセル数の増減を言うのは本来は分解能。でもディスプレイ解像度の用法が広まって曖昧となった。
DTP でいえば、スキャンの際のインチあたりのドット数ないしピクセル数を上げるわけですな。
4kのデータを2kで出力してたところ、4kで出力出来るようになるのは情報量が上がるので解像度が上がった、でいいんじゃないの?だめなの?
いやー陰極線管華やかなりしアナログ時代は水平解像度が何本なんて指標が有りましたねー(20世紀に帰ろうね)
「西瓜は野菜か果物か」に唯一解がないように、フォトショ的な解像度の定義が唯一解ではない。画像にモザイクかけることを「解像度下げる」、逆を「上げる」と呼ぶことに、(同業者だけど)違和感ないな
文中の馬の写真のピクセル数を変更しても対象の馬の実寸は変わらないよね。なんだか、デジタルで閉じた新しい認知の形を見た気がするがどう表現すればいいのかよくわからない。
解像度って、ボクの毛並みみたいにツヤツヤなことかにゃ?
現実はもっと愚かで、ファミコンとPS5の違いみたいなニュアンスだろ。
問題は「お前、解像度を上げろ」と言う側が「それじゃ周辺は切り落とします(全体俯瞰はできません)が良いですか」「どの位置を狙って解像度上げますか」と言われることを想定してなさそうなことでしょう。
解像度を上げるという表現の文脈は同じサイズの画面で細部を細かく表示するということなのだから、間違ってないんじゃないですかね?
その「解像度」が便利すぎて、それ以前に何て言ってたか全然思い出せない。「鮮明度が増す」「ピントが合う」とかかなぁ。
https://www.amazon.co.jp/dp/4862763189 この書籍が出てから広まったのでは?
dpiの理解がおかしい。そんなDTP関係者なんて普通はいないのでDTP関係者ではないと思う。フォトショでこの感覚なら、イラレは使わないんだろ
分からなくもないが、印刷会社でDTPやってたけど、普通に解像度低過ぎて使えないとか言ってたよ。密度の話に例えると伝わり安かったし。密度も高い低いって言うじゃないすか。だから別におかしくはないんじゃないすか
私の認識だとCRT時代の概念なんだよな。同一の画面サイズでも、情報量は640x480と1024x768で全然違う。
2010年の日本テレビ盃のフリオーソだ
解像度のその用法って、他でもないアートディレクターの佐藤可士和が言い出したんだと思ってた
関係ないけど、はてなブログってこんなに広告入るのか。誤タップして辛い。
この人は、自分が馬鹿であるってことをすごい長々と書いてることはわかった
ppiは文字通りインチ当たりのピクセル数、つまり情報密度。ディスプレイに"ドットバイドットで(=密度固定で)"表示させようとしてるから低密度のものより高密度のものを表示するのに広いサイズが必要になる
理解が深まることも解像度が高くなることも通底してるのはよく見えるようになることなので
photoshop上では解像度を下げる(画像を劣化させる)ことはできても上げることはできないと言いたいのかもしれんが、世間の言う解像度は入力解像度のことだろう。
この感覚わかる気がするw 印刷したことあれば同じこと思うはず
要約: 意味がないことを自覚しながらも、発信欲求が勝った結果。
時間分解能・空間分解能という言葉を知っているのでそれ以外の尺度の分解能もあるだろうと普通に解釈できる。でも帯域量を知らなくてギガって言っちゃうのが世間なので、という生ぬるい目線で理解を示しています
フォトショだから違和感あるのであって、「デジイチで解像度の設定を上げて撮り直す」なら別にええのではなかろうか
画像で考えるからそうなるんじゃないか。ディスプレイにだって解像度はあるだろう。単純に情報量が増えたことを解像度が高いと言っても違和感はないけどな
カメラの解像感という語が変な風に拗れて解像度になったと思ってる/宇多丸さんがしきりにこれ言ってるのずっと気になってる。言葉操る人の誤用みたいな。ムズカユイ感じ。
同じサイズで2x2と10x10のモザイク画像があれば10x10の方が解像度が高い。物事を、より詳細に説明、理解できることを一般的にそう言うという認識です。
そもそも一般人はphotoshop使わないって話しちゃ駄目?
画像サイズ / 出力幅 = pixel / inch なんだからもとより画像サイズの話をしているし、言い方としておかしくないのでは
あえてルーツを無視して字面だけで見ると「像を解する精度」と読めるので、まさにそのものズバリという感じではある。
「敷居が高い」これは不義理したことにより近づき難いの意味なので、基本的には下がらないし可動しない。抗っていきたい
私も違和感があった。まだ粒度なら分かるんだけど、同じか?…w
貴重なご意見ありがとうございます。理解のサイズが上がりました。
解像度が上がれば当然画像サイズが上がるんだからイコールだろ。何いってんだ。
天体望遠鏡のスペックで倍率と分解能というのがある。同じ100倍同士、同じ1000倍同士でも強さ(偉さ)が違うのだ
速度と距離の関係かな。距離をズームして見た目上変えられるのでわかりにくい。速度である解像度が高まる、と考えてもいい。解像度が変わらないなら、距離が可変になる
誤用なのだろうけど、漢字が像を解っている度合いとも読めるので、解像度を上げるで伝わってしまうのだろう。でも理解度に照らすなら像解度じゃないのとか思ったり。
私も「解像度が上がる」嫌い。あと「周波数が合う」も嫌い。でも「波長が合う」は昔から言うよなあ、慣れの問題か?
とてもわかる。単純な画素数と、単位距離あたりの画素密度とを分けて表現できる便利なことばなのに、違いをわからず全て「解像度」で語る人が多すぎる。同じような話で「画角」という言葉にも似た問題を感じている
「解像度」っていうのは「理解度」に「再現度」のニュアンスも含めたものという理解をしてる。「カメラで撮影→肉眼で見た」、「撮影した画像が鮮明(解像度が高い)→肉眼で見たものと同等に他者に伝えられる」
性癖警察の私としては、本来の意味から違っているならば指摘されて正したいと思っているが、正直ここでの説明はよく理解できなかった。
A4で原稿を納品するのに350dpiと600dpiを比べたら600のほうが当然綺麗なわけでそこまでおかしくないのでは。自分で写真を印刷する場合でも解像度を精細さの基準として見るのは妥当に思える。
自分も曖昧 ググってみた『一般的には画素数が多ければ「情報量が多く」、解像度が高ければ「細部が鮮明に」なります 』だって その言葉で言いたいことは界隈に対する造詣が深いみたいな意味なのでまあいいかな
解像度という言葉の理解が低く、業務で使ってる印象で語るが故にぼんやりと呆けてしまってる。こういうのを解像度が低い状態と言います。一般的には知識の鮮明さを上げましょうって話。
「解像度」て連呼する人は独りよがり感がえぐいんよね、偏見やけと本人も理解が偏ってるんでない
アウトプットのサイズが同じなら、解像度が高いほうが解像度が高いってことではなくて?
"同じ実寸のときに解像度72ppiの画像と350ppiの画像では、350ppiの画像のほうが大きい"←いや、細かくなっているだけで「同じ実寸」なんだからサイズは同じだろ。ppi の定義まで書いてるのに。
DTPやってたからめっちゃわかる。解像度「350dpi」だけ知ってても「実寸で」がわかってないからちっさい画像で送って来られてちがーう!ってなってた。でもこれはDTPの記憶があるから、モヤモヤしちゃうだけ。
解像するとは2つの点を、1つではなく2つと認識する事。お医者さんの「この指何本に見えますか?」というやつ。個人的にはかなりしっくりくる表現。
解像度が高い画像の方が細かいとこまで見えんるちゃうのか。全然分からん。
最初2つの例が逆じゃないかな。/確かに!と思うと同時に、日本語って省略が過度だから補完の仕方、視点の変わり様によっては適切な説明ができてしまうので強く言うといろんな角度からそうとは限らないと言われがち
USBメモリをUSBと呼ぶなと同じ話。そりゃそうなんだろうけど、伝わりゃいーんだよ。
理由は違えど、この表現は使わないようにしてるなぁ
「解像度」に対する解像度が高い人が感じる違和感/分解能を上げただけでは確度は上がらない。微に入り細を穿つ情報でもそれがデマならむしろ有害。『物事の理解』に於いては。
おかしくない。「何かの機器や解説」というレンズ・フィルターが脳までの光学認識系に加わった・入れ替わった結果、ぼやけてる像のある単位視角[sr]に含まれる情報量が増えたという結果が解像度が"上がった"状態である
所与の画像を使ってあれこれする職業だからそういう感覚なんじゃない。言われたように世界のスキャン解像度と思えば通るよ
ビジネスで「解像度が上がった、高まった」って言ってるうちはまだ表現が荒い=詳細の理解に至っていない、と考えている。
その比喩表現は好きじゃないけど、空間解像度の話ならどの程度の周波数まで含まれるかってのが本来。dpiはその派生で必ずしも解像度を示す訳じゃない。
そも電源のONOFFを慣用的に「立ち上げる」「落とす」いうてる時点でもう正しいもクソもないんだわ
なんか違うよなぁ…と思いつつも便利なので気にしないふりして使う
デジカメの画素数のイメージ
こんなのは言葉遊びだよ
私には馬の写真3枚目と4枚目のサイズは同じにしか見えないなぁ。
言いたいことは分かるし何も言い返せない。しかしそう言うしかないのだ
ピクセルを増やす
スマホのカメラの解像度=画素数が上がって、あるいは、アナログテレビ放送の解像度から地上デジタル放送の解像度になって、画質が良くなって情報量が増えたねくらいの意味合いだとおもうよ。
昭和の無頼派を気取ってディテールの発言責任を負わずテキトー言い放つ刹那主義的な終わり方しといて、一方では「嫌われてるオレ」的被害者意識に酔いながら他人の気遣いの無さを嘆くという幼稚で卑しい思考回路