知らねって知ってることはすげーけど、考えてる俺っ確かじゃん?つまり人生なんて白紙みたいなもんだから意味を作り出そうぜ。でも人は人という構造で完成されてて、なんか最終的には沈黙せざるを得なくなった感じ?
哲学者ってめっちゃバカにしてね?(´・_・`)
人をさんざん馬鹿にしまくってた北守くんを思い出した
とんこれの先生とかも哲学者なんだろうけど、そんなキャラやったかな >『何もバカにしない』
“私が書く動機は、対話の現場や本であったり、共に生きる人々を通して出会う言葉たちを「適切に保存したい」という欲望なんですよね”
昔から殺伐とした世界なのに
もしくは全てを等しく馬鹿にする
本読んで好きになった哲学者のTwitterとか覗くと一発で否定される理論で草
「ゴルギアス」←ソクラテス(哲学者)のゴルギアス(弁論家)に対する悪口の書。
いやいやいや、古代ギリシャ時代から、哲学者はケンカを売り買いしてナンボでしょ?
バカにしてる印象しかないのだが
いや哲学者は割となにかを定義して「だからこういうのはバカだ」と明言するよね?
哲学読んでこんな感想を抱くことありうるか?
案の定、哲学者と哲学そのものを区別できんバカばかり
なお、ソクラテスは処刑された模様。彼の哲学的手法は処刑に値する
哲学は『何もバカにしない』のなら、ソクラテス以来きちんと哲学やってた哲学者なんて存在しないのでは?
哲学者なんて、とっくに歴史的役割を終えた哲学なんかをありがたがって他人を馬鹿にするアホしかいねえじゃん/人間とは何かという課題に、数理科学なしで取り組んでもうわごとしか出力されんよ
哲学をバカにしている / https://megalodon.jp/2025-1108-0659-17/https://x.com:443/npohouboku/status/1983546088247415058
そうなんですか?東さん?
トンコレ?
哲学自体もプラトンの頃から他を下に見てバカにする思想は基盤の一つだと思うが。ハンナアーレントになっても、労働と仕事と活動を分けて序列つけて自分たちをトップにしてるよね。
ポストモダンは哲学ではないってこと?対話どころか反論にブチ切れて退席したり、少しでも批判されるとブロックして身内でコケにするような情けない人もいるけど。
哲学を捉え直すのが哲学者の営みで、彼女の哲学は「何も馬鹿にしない」を選んだって事でしょうよ。
いろいろ先を越された感のあるブコメ群
バカにしているわけではないのだろうけど、いわゆる批判的思考・クリティカルシンキングは、なんだか疑いから入っているようで気にはなるよね
ご本人にとっては迷惑な話だろうけど、人文分野で話題になる女性は、どうしてこう揃いも揃って若くて美人なのだろうか。/ブクマカはさておき、論争を仕掛けることと馬鹿にしないことは両立し得ると思うけど。
哲学のいちばん偉いところは、どう考えても、ケンカを売りまくれるところでしょ?
嘘つけや。愚民を馬鹿にする哲学者を屏風の中にしまってこい
ブコメから改めて哲学は業が深いものだと、特に擁護が必要な点か/対象の意味とか価値とか考えると毀損することあるだろうし、馬鹿にされていると感じるのだろう/何で伝わらないんだ!無能!とかありそう
全然関係ない話だが、哲学やってる人は全く「老成」しない。見てくれも実年齢より若い、というか年齢不詳な人が多い。以前ハイデガーフォーラムで発表した女性なんか、一見女子高生だったが実際は32歳だった。
『考えること』と同義だったが、そこから生まれた医学や物理学が育ち、残っているものは
哲学に限らず何ごともバカにせず本気で批判や否定をするのが誠実な態度ではあるとは思います
ソクラテスを「論破しまくった人」くらいに理解してる人は「馬鹿にしない=批判しない」だと思ってるのかも。もしかして SNS で「冷笑的な一言」言いっぱなしの人は、アレで「批判」してるつもりなのかもしれない…
「他人をバカにする哲学者なんてたくさんいる!」→「いやいやそういうのは哲学と呼ぶべきではない」→「それは真のスコットランド人論法に過ぎない!」→……みたいな展開で哲学的対話が深まりそうなテーマではある
さすがブクマカは何を読んでもブレないな、と思いました。
みんなの当たり前をガンガン突き崩して焼け野原にするのが哲学みたいなところあるから人によっては大事なものを何の感情もなく理屈で破壊されたような気分になることは多いと思うよ てかもはやそれメインじゃね
哲学の一番偉いところは「極論を思いついて提示すること」であり、哲学業界は、論敵の極論をお互いに叩き続けることで問題点を明らかにする界隈である。なので死に物狂いで相手をバカにし続けなければならない
「信頼できるから対話をするのではなく、対話そのものが信頼を作っていく試み…その過程で…この社会は信頼に足るじゃん、対話って信頼に足るものじゃん、こんな社会だったら生きていてもいいじゃん、と思える」
哲学で目覚めちゃった人たちが哲学未履修者やネットde真実で目覚めちゃった人たちをバカにする光景を見てバカにするわい氏。自分との対話である哲学において、それらは皆真の目覚めには程遠い存在なのだ(哲学)。
本なんて人生が不安になるばかり。本の世界は虚構である。障子を開けて外へ出ろ。世界は広いぞ。
まあ言いたいことは分かるし、世間の「哲学」のイメージを変えたいんだろうなとは思う。文脈を汲んで言い換えると「いつ何時、誰の挑戦でも受ける」というイノキイズム的な懐の深さを言いたいんだろうと思量
まぁ人にもよるけど、あんまりそう言うイメージはないな(ノ∀`)
『思考すること、それはノンと言うことである』とジャック・デリダは言ったが、哲学者に限らず科学者も先人達の常識を否定することで進歩している。
『何もバカにしない』度合いでいくと数学とか工学なんか何かをバカにする余地ないように思うが。哲学はむしろ自分を含めて全てをバカにするのが売りだろ。
アリストテレスの『政治学』:奴隷は「生ある所有物」である ← 何もバカにしないどころか人扱いすらしてない哲学が一番偉いところなのかな?
本邦にはあずまんというあまりに巨大な反例がありましてん。
哲学はともかく、いまの現実社会では対立ばかりしてないで、共に座って対話を続けることがかなり重要になってるのは間違いない。
そこまで言うなら「誰がどこでどうやって何をバカにしているのか」言えよ
東進のポスト林修だからねこの方。
批判することとバカにすることは違うから。なんでも混同すればいいってもんじゃあない
「議論、論争」と「バカにする」が同列な皆さんは、滅多に人と話し合えない人生を送る訳だ。信頼関係が希薄な社会になる訳だ。
テクノロジーと対立の最前線全戦で思想もって戦うのが哲学(辞書の1番目)の本分だけど、後方にはいろいろな哲学(辞書の2番目:人生観や世界観)があっていいし、われら庶民は教養ぶってゆる哲学に浸ってもいいよ!
古の哲学者が手紙で、現代の哲学者がSNSでレスバしているのは普段の学問においてレスバみたいなことはしないストレスからなのかな
「偉い」と言った時点で、上下が出来てますよ。貴女は上からみてませんよね?
全て平等に価値がない!って方が凡人にはやりやすい
主語でかい
馬鹿げていない理屈は単に納得されて終わるだけだろう。引っかかりがあるから紐解こうとするのであって。
“取るに足らないものと切り捨ててしまうのではなく、どんなことも大切にする。他者の語りをそのように受けとめられないのなら、私はそれは哲学と呼ばないほうがいいと思うんです” これ大事。諦めないこと。
哲学者の人が こんな本も読んでないの?とか言って馬鹿にしてましたけど
相手の論理がどんなに極論で意見に反していても一度は真剣に受け止めて(バカにしない)、その上で自説の正しさを徹底的に論理的にバカにして叩きのめすという学問なので、正しいとも言えるし間違っているとも言える。
ソフィスト、ドグマ、近代・ポストモダン以前の哲学、オリエンタリズムなどかなり遠回しにバカにされてると思う。/若い男性・老けた女性の哲学者はあまり相手にされない風潮がある。
この方TBSラジオでウィシュマさんのニュースの時に「なんで排外主義になってしまうのか理解に苦しむ」って言ってて、いやいや哲学ってそこを理解してくのが学問じゃないんとは思った
いやいやいや!これこそ哲学をバカにしているだろ!そもそも「人類は愚かだから殲滅させるしかない」という安直かつ絶対真理の答えを否定するために正解が存在しない仮説をぶつけまくるのが哲学なんだし。
『何もバカにしない』=先入観で判断しないで吟味するという意味では。 哲学者はそれまでの考えや同時代の人を批判するけど、批判=否定ではなく限界を明らかにし先に進むためのもの。(ということになってる)
学生時代に哲学科の教授にアカデミックハラスメントを受けたので「何もバカにしない」は絶対に信じられない。
注目コメントがタイトルしか見てないブコメばっかだけど、それに続く"他者の語りをそのように受けとめられないのなら、私はそれは哲学と呼ばないほうがいいと思うんです"がこの人の言いたいことなのでは
哲学は、論でも対話であり、異なる論同士はしばしば論争やケンカをする。そこに対等性や敬意があるかで変わる。ブコメに出てるアーレントは「そこそこある方」だと思うけどな。自らの論立てに検証する目があった
よくわかんないんだけど他の学問は何かをバカにしてるんだろうか。
本題からは逸れるけど「心の哲学」の研究者は他の研究者をバカにしてる印象ある(偏見)
哲学って、ボクにゃんかにゃんでも許してくれるのかにゃ?優しいにゃ!
俺の知ってる啓蒙主義者はそんな感じじゃなかったけど
なるほど議論と「バカにする」がイコールになっちゃう人が少なくない数いるってことね…
哲学に限らず学問はみんなそうだと思う。学ぶという態度が馬鹿にするの対義語なのかもしれない。
何かをバカにしがちな学問が多くあるということ?これってつまり他の学問をバカにしてない?
まず…哲学とは…何か(略 一般人にはまずこの時点で共通認識ができてないと思うのよ
哲学が人をバカにしないかどうかはさておき、「何もバカにしない」ことの価値は年々高まっていると思う。AIがまさにそれ。
哲学にそんな縛りあったっけ。
誰がやれば、哲学と呼ばれる物になりうるのか、そっちの方に関心が向かってしまう。ソレが哲学なら、アレだってそういう名前で呼んでも良いだろうというケースは結構ある。
つまり世の哲学者の大半はちゃんと哲学が出来ていないってことね
「バカにしない」≒「無視しない」ってことなのかな
記述的言明か規範的言明かにもよる
質問を攻撃と捉える人はいかんともしがたいわ
ニーチェの奴隷哲学とかめちゃくちゃ煽りな気がするけどな…
(https://ja.wikipedia.org/?curid=110)” 語源は古典ギリシア語の「φιλοσοφία(フィロソフィア)、古代ギリシア語ラテン翻字: philosophía」に由来する。直訳すれば「知を愛する」という意味”
嘘をつけ
哲学者の振るまいは別として、すべての試みは真理へ辿り着くためのプロセスであり、何一つ無駄なものはないという考え方は哲学的で良いなと思いました。
何も馬鹿にしないってのは常識や思い込みで判断しないってことで、それは常識や思い込みを疑い、ときには馬鹿にしてきた哲学者たちの態度と結局は同じことなのだよ。
文脈的には完全に文字通り「何もバカにしない」というよりも、日常の思考では取るに足らないと判断されるような事を軽んじず論理で向き合うと言った意味だろう。そして哲学者の人格の話ではなく哲学という学問の話
生活と乖離しているからこその自由さだよなぁ。
数年前に「91年生まれ大反省会をしたい」って91年生まれを十把一絡げに馬鹿にして痛烈な批判を受けた人という印象。活躍されているようで何よりです。早く大反省会やってくれないかな。
そうなんだ。ソクラテスが周りを馬鹿にしてまわったとかいう高校時代の自分の記憶から、バカにする学問かと思ってたぜ
対話は良いが限界もある。例えばリベラル、フェミニストは何かに怒っているが、怒り、激情、悲しみが伴うと対話は成立しにくい。またマイノリティや政治的に正しくないとされる意見は言えない、結果、脆弱になる
「バカにする」のと「ケンカ」の区別がつかないブクマカ、集合痴が極まっている。
「論争」と「バカにする」は違うってことだと思います。あれだけ激しい議論の応酬をしたハーバーマスとデリダが共同でイラク戦争反対声明を出せるのは、お互いバカにはしてなかったからではないでしょうか。
哲学者って、社会学者と混同されて、風評被害を受けていますよね、とか思ってしまい
「「何も」バカにしない」と言ってる訳で「「誰も」バカにしない」と言っている訳ではないのが、ポイント。
「一番偉い」と言っておいて…?
ソクラテスは人をバカにしてない。誰でももっと賢くなれるはずだと思ったから議論をしていたんだよ。
ソフィスト定期。
馬鹿にする人にもその人なりの哲学がある。馬鹿にすることを偉い扱わない時点で馬鹿にしてるのと同じという自己矛盾に気づけてない馬鹿。誰しもが愚かで偉いのだ。哲学の一番偉いところは馬鹿を尊べること。
信頼できる人とでないと対話が成り立たない、から、対話によって信頼を作っていく。あと後編の「まとめる」素振りの話が興味深かった。
何もバカにしないことというか己を含めて全方向バカだと思って疑っている(言い方を変えれば全方向バカにして見下している)故に考え続けるのような…。
あら素敵な方、一緒に哲学したい
哲学をポエムにするのは個人的に微妙に思うのだが。サルトルのその文章に惹かれたのなら、それは哲学としてではなく文学として学んでしまっているように思う。
哲学はだいたい金持ちの道楽
過去発言掘り起こすと粗出そうなことを
仮に哲学は何も馬鹿にしてなくても、それを語ってる哲学者が何かしらを馬鹿にしてる鼻持ちならない奴なんてのはよくある話。
“それはそのひとなりの、言葉との格闘によってしか生まれ得ない”
喧嘩と、どちらが論理的に正しいかを論争するのは別物だと思うが
哲学のことはよく分からないが、哲学者はだいたい性格悪い印象
https://www.tumblr.com/astrologyconsultationbest/799533839234056192/medieval-india-the-golden-tapestry-of-culture?source=share
いや、“何もバカにしない”って、実存主義などは西洋中心主義に陥って未開社会の文化を暗に下位に貶めることで、それに批判的な立場のレヴィ=ストロース等の台頭を招いて凋落していったはずだが。
サヨクリベラルフェミや誰かに「バカにされた」とかプンスカ怒ってる連中はそもそも自分が偉いと勘違いしてる感じがする。
“サルトルの「あなた方が生きる世界は無である。要は、無価値である。価値というものは与えられているものではない。だが、その無に価値を与えるのはあなた方である」という言葉に衝撃を受けました。”
バカにする学問ってあるの?
タイトルしか読んでない人達が哲学解った気になって「バカにしてる」ブコメだらけだが、記事で言われてる「バカにしない」は批判しないとか序列を付けないなんて話ではなく無視しない(批判すら統合する)という意味
ソ・ソ・ソクラテスかプラトンか♪とサミー・デイビスJrが歌っているアレだろ
バカにするしないが主観的な観念であるから、客観的に見てそれが何に当てはまるか理解するのは難しい。ただこれだけは分かるクソ浅いと…
哲学は当たり前を“疑う”ことだと思うので、疑われる=バカにされると感じる人はちょっと考え直してみてほしい
哲学は対象を選ばないという意味で、「何もバカにしない」は正しい。むしろ、本気でやるとなるとなんでも真正面から向き合わねばならない。それが面倒だから一般的に忌避されるんだと思う。
哲学が一般に「何もバカにしない」という原則を持っているとは思わないし、対話を重視していない哲学者もいるのでは(たとえば一般意志を体現するなら独裁者でも良いと考えたルソーとか)。
しないと言っている時点で出来ると言うことを示唆していて、実際それが多い分野かと。価値という無意味な偏差を産むというそれそのものが広くその道具として使われているかと。
東浩紀なんか人を馬鹿にしまくってる気が……
「ブッタとシッタカブッタ」で読んだ概念だ
永井均の娘さんだったりするのかと思ったけど、無関係っぽい
「哲学の一番偉いところは、『何もバカにしない』こと」“哲学対話”を続ける永井玲衣が考える“信頼と対話の関係”【『これがそうなのか』刊行記念インタビュー後編】 | ダ・ヴィンチWeb
『「議論、論争」と「バカにする」が同列な皆さんは、滅多に人と話し合えない人生を送る』早速批判ですませばいいものを相手の人生をバカにする所業に出ていて、書いて二秒でおかしいと思わないのだろうか
全員が言っているけど、哲学はマウント取り合う学問だよなぁ……マルクスにしたって、ヘーゲル引き合いに出して「コイツ、頭良いけど古いんですわ」だし……この人たち本当は何の話してるんだろ
有名な哲学者は男ばかりで絶対自分のご飯作ったり洗濯したりしてなかったんだろうなと思うとご高説を拝読する気にならなかった 自分の身の回りのことをしない人間は一人前ではない
「一番偉い」という 言葉選びの危険が危ない
道元禅師も「現前せんと欲得すれば順逆存ること莫れ」と言ってますしね。
「「何もバカにしない」ことです。どんな語りでも、ある種の真理に貢献する。」。プラトンの書くソクラテスは何もバカにしない。ただ、相手が何の話をしてるかをはっきりさせようとする。
どうせ釣り見出しでしょって思ったら本人言ってた
“信頼は「与えられるもの」ではない。最初からあるものではなくて、作り上げていくものです。信頼できるから対話をするのではなく、対話そのものが信頼を作っていく試みなんですよね”
哲学って別に高尚な学問でもなく、方向性は違えど「考える行為」自体を指すもの。だから学者が説く政治哲学もあれば酔っ払い親父の大工哲学もあっていい。結果として思考の試行錯誤の蓄積をそう称しただけ。
「何もバカにしない」は、自分の考えることなんてきっとバカにされると思ってしまう誰かに、そんなことない、あなたの声が聞きたいと、哲学(あなたが知をつくり愛する行為)の入口にともる灯りのようだと思う
「哲学の一番偉いところは、『何もバカにしない』こと」“哲学対話”を続ける永井玲衣が考える“信頼と対話の関係”【『これがそうなのか』刊行記念インタビュー後編】 | ダ・ヴィンチWeb
知らねって知ってることはすげーけど、考えてる俺っ確かじゃん?つまり人生なんて白紙みたいなもんだから意味を作り出そうぜ。でも人は人という構造で完成されてて、なんか最終的には沈黙せざるを得なくなった感じ?
哲学者ってめっちゃバカにしてね?(´・_・`)
人をさんざん馬鹿にしまくってた北守くんを思い出した
とんこれの先生とかも哲学者なんだろうけど、そんなキャラやったかな >『何もバカにしない』
“私が書く動機は、対話の現場や本であったり、共に生きる人々を通して出会う言葉たちを「適切に保存したい」という欲望なんですよね”
昔から殺伐とした世界なのに
もしくは全てを等しく馬鹿にする
本読んで好きになった哲学者のTwitterとか覗くと一発で否定される理論で草
「ゴルギアス」←ソクラテス(哲学者)のゴルギアス(弁論家)に対する悪口の書。
いやいやいや、古代ギリシャ時代から、哲学者はケンカを売り買いしてナンボでしょ?
バカにしてる印象しかないのだが
いや哲学者は割となにかを定義して「だからこういうのはバカだ」と明言するよね?
哲学読んでこんな感想を抱くことありうるか?
案の定、哲学者と哲学そのものを区別できんバカばかり
なお、ソクラテスは処刑された模様。彼の哲学的手法は処刑に値する
哲学は『何もバカにしない』のなら、ソクラテス以来きちんと哲学やってた哲学者なんて存在しないのでは?
哲学者なんて、とっくに歴史的役割を終えた哲学なんかをありがたがって他人を馬鹿にするアホしかいねえじゃん/人間とは何かという課題に、数理科学なしで取り組んでもうわごとしか出力されんよ
哲学をバカにしている / https://megalodon.jp/2025-1108-0659-17/https://x.com:443/npohouboku/status/1983546088247415058
そうなんですか?東さん?
トンコレ?
哲学自体もプラトンの頃から他を下に見てバカにする思想は基盤の一つだと思うが。ハンナアーレントになっても、労働と仕事と活動を分けて序列つけて自分たちをトップにしてるよね。
ポストモダンは哲学ではないってこと?対話どころか反論にブチ切れて退席したり、少しでも批判されるとブロックして身内でコケにするような情けない人もいるけど。
哲学を捉え直すのが哲学者の営みで、彼女の哲学は「何も馬鹿にしない」を選んだって事でしょうよ。
いろいろ先を越された感のあるブコメ群
バカにしているわけではないのだろうけど、いわゆる批判的思考・クリティカルシンキングは、なんだか疑いから入っているようで気にはなるよね
ご本人にとっては迷惑な話だろうけど、人文分野で話題になる女性は、どうしてこう揃いも揃って若くて美人なのだろうか。/ブクマカはさておき、論争を仕掛けることと馬鹿にしないことは両立し得ると思うけど。
哲学のいちばん偉いところは、どう考えても、ケンカを売りまくれるところでしょ?
嘘つけや。愚民を馬鹿にする哲学者を屏風の中にしまってこい
ブコメから改めて哲学は業が深いものだと、特に擁護が必要な点か/対象の意味とか価値とか考えると毀損することあるだろうし、馬鹿にされていると感じるのだろう/何で伝わらないんだ!無能!とかありそう
全然関係ない話だが、哲学やってる人は全く「老成」しない。見てくれも実年齢より若い、というか年齢不詳な人が多い。以前ハイデガーフォーラムで発表した女性なんか、一見女子高生だったが実際は32歳だった。
『考えること』と同義だったが、そこから生まれた医学や物理学が育ち、残っているものは
哲学に限らず何ごともバカにせず本気で批判や否定をするのが誠実な態度ではあるとは思います
ソクラテスを「論破しまくった人」くらいに理解してる人は「馬鹿にしない=批判しない」だと思ってるのかも。もしかして SNS で「冷笑的な一言」言いっぱなしの人は、アレで「批判」してるつもりなのかもしれない…
「他人をバカにする哲学者なんてたくさんいる!」→「いやいやそういうのは哲学と呼ぶべきではない」→「それは真のスコットランド人論法に過ぎない!」→……みたいな展開で哲学的対話が深まりそうなテーマではある
さすがブクマカは何を読んでもブレないな、と思いました。
みんなの当たり前をガンガン突き崩して焼け野原にするのが哲学みたいなところあるから人によっては大事なものを何の感情もなく理屈で破壊されたような気分になることは多いと思うよ てかもはやそれメインじゃね
哲学の一番偉いところは「極論を思いついて提示すること」であり、哲学業界は、論敵の極論をお互いに叩き続けることで問題点を明らかにする界隈である。なので死に物狂いで相手をバカにし続けなければならない
「信頼できるから対話をするのではなく、対話そのものが信頼を作っていく試み…その過程で…この社会は信頼に足るじゃん、対話って信頼に足るものじゃん、こんな社会だったら生きていてもいいじゃん、と思える」
哲学で目覚めちゃった人たちが哲学未履修者やネットde真実で目覚めちゃった人たちをバカにする光景を見てバカにするわい氏。自分との対話である哲学において、それらは皆真の目覚めには程遠い存在なのだ(哲学)。
本なんて人生が不安になるばかり。本の世界は虚構である。障子を開けて外へ出ろ。世界は広いぞ。
まあ言いたいことは分かるし、世間の「哲学」のイメージを変えたいんだろうなとは思う。文脈を汲んで言い換えると「いつ何時、誰の挑戦でも受ける」というイノキイズム的な懐の深さを言いたいんだろうと思量
まぁ人にもよるけど、あんまりそう言うイメージはないな(ノ∀`)
『思考すること、それはノンと言うことである』とジャック・デリダは言ったが、哲学者に限らず科学者も先人達の常識を否定することで進歩している。
『何もバカにしない』度合いでいくと数学とか工学なんか何かをバカにする余地ないように思うが。哲学はむしろ自分を含めて全てをバカにするのが売りだろ。
アリストテレスの『政治学』:奴隷は「生ある所有物」である ← 何もバカにしないどころか人扱いすらしてない哲学が一番偉いところなのかな?
本邦にはあずまんというあまりに巨大な反例がありましてん。
哲学はともかく、いまの現実社会では対立ばかりしてないで、共に座って対話を続けることがかなり重要になってるのは間違いない。
そこまで言うなら「誰がどこでどうやって何をバカにしているのか」言えよ
東進のポスト林修だからねこの方。
批判することとバカにすることは違うから。なんでも混同すればいいってもんじゃあない
「議論、論争」と「バカにする」が同列な皆さんは、滅多に人と話し合えない人生を送る訳だ。信頼関係が希薄な社会になる訳だ。
テクノロジーと対立の最前線全戦で思想もって戦うのが哲学(辞書の1番目)の本分だけど、後方にはいろいろな哲学(辞書の2番目:人生観や世界観)があっていいし、われら庶民は教養ぶってゆる哲学に浸ってもいいよ!
古の哲学者が手紙で、現代の哲学者がSNSでレスバしているのは普段の学問においてレスバみたいなことはしないストレスからなのかな
「偉い」と言った時点で、上下が出来てますよ。貴女は上からみてませんよね?
全て平等に価値がない!って方が凡人にはやりやすい
主語でかい
馬鹿げていない理屈は単に納得されて終わるだけだろう。引っかかりがあるから紐解こうとするのであって。
“取るに足らないものと切り捨ててしまうのではなく、どんなことも大切にする。他者の語りをそのように受けとめられないのなら、私はそれは哲学と呼ばないほうがいいと思うんです” これ大事。諦めないこと。
哲学者の人が こんな本も読んでないの?とか言って馬鹿にしてましたけど
相手の論理がどんなに極論で意見に反していても一度は真剣に受け止めて(バカにしない)、その上で自説の正しさを徹底的に論理的にバカにして叩きのめすという学問なので、正しいとも言えるし間違っているとも言える。
ソフィスト、ドグマ、近代・ポストモダン以前の哲学、オリエンタリズムなどかなり遠回しにバカにされてると思う。/若い男性・老けた女性の哲学者はあまり相手にされない風潮がある。
この方TBSラジオでウィシュマさんのニュースの時に「なんで排外主義になってしまうのか理解に苦しむ」って言ってて、いやいや哲学ってそこを理解してくのが学問じゃないんとは思った
いやいやいや!これこそ哲学をバカにしているだろ!そもそも「人類は愚かだから殲滅させるしかない」という安直かつ絶対真理の答えを否定するために正解が存在しない仮説をぶつけまくるのが哲学なんだし。
『何もバカにしない』=先入観で判断しないで吟味するという意味では。 哲学者はそれまでの考えや同時代の人を批判するけど、批判=否定ではなく限界を明らかにし先に進むためのもの。(ということになってる)
学生時代に哲学科の教授にアカデミックハラスメントを受けたので「何もバカにしない」は絶対に信じられない。
注目コメントがタイトルしか見てないブコメばっかだけど、それに続く"他者の語りをそのように受けとめられないのなら、私はそれは哲学と呼ばないほうがいいと思うんです"がこの人の言いたいことなのでは
哲学は、論でも対話であり、異なる論同士はしばしば論争やケンカをする。そこに対等性や敬意があるかで変わる。ブコメに出てるアーレントは「そこそこある方」だと思うけどな。自らの論立てに検証する目があった
よくわかんないんだけど他の学問は何かをバカにしてるんだろうか。
本題からは逸れるけど「心の哲学」の研究者は他の研究者をバカにしてる印象ある(偏見)
哲学って、ボクにゃんかにゃんでも許してくれるのかにゃ?優しいにゃ!
俺の知ってる啓蒙主義者はそんな感じじゃなかったけど
なるほど議論と「バカにする」がイコールになっちゃう人が少なくない数いるってことね…
哲学に限らず学問はみんなそうだと思う。学ぶという態度が馬鹿にするの対義語なのかもしれない。
何かをバカにしがちな学問が多くあるということ?これってつまり他の学問をバカにしてない?
まず…哲学とは…何か(略 一般人にはまずこの時点で共通認識ができてないと思うのよ
哲学が人をバカにしないかどうかはさておき、「何もバカにしない」ことの価値は年々高まっていると思う。AIがまさにそれ。
哲学にそんな縛りあったっけ。
誰がやれば、哲学と呼ばれる物になりうるのか、そっちの方に関心が向かってしまう。ソレが哲学なら、アレだってそういう名前で呼んでも良いだろうというケースは結構ある。
つまり世の哲学者の大半はちゃんと哲学が出来ていないってことね
「バカにしない」≒「無視しない」ってことなのかな
記述的言明か規範的言明かにもよる
質問を攻撃と捉える人はいかんともしがたいわ
ニーチェの奴隷哲学とかめちゃくちゃ煽りな気がするけどな…
(https://ja.wikipedia.org/?curid=110)” 語源は古典ギリシア語の「φιλοσοφία(フィロソフィア)、古代ギリシア語ラテン翻字: philosophía」に由来する。直訳すれば「知を愛する」という意味”
嘘をつけ
哲学者の振るまいは別として、すべての試みは真理へ辿り着くためのプロセスであり、何一つ無駄なものはないという考え方は哲学的で良いなと思いました。
何も馬鹿にしないってのは常識や思い込みで判断しないってことで、それは常識や思い込みを疑い、ときには馬鹿にしてきた哲学者たちの態度と結局は同じことなのだよ。
文脈的には完全に文字通り「何もバカにしない」というよりも、日常の思考では取るに足らないと判断されるような事を軽んじず論理で向き合うと言った意味だろう。そして哲学者の人格の話ではなく哲学という学問の話
生活と乖離しているからこその自由さだよなぁ。
数年前に「91年生まれ大反省会をしたい」って91年生まれを十把一絡げに馬鹿にして痛烈な批判を受けた人という印象。活躍されているようで何よりです。早く大反省会やってくれないかな。
そうなんだ。ソクラテスが周りを馬鹿にしてまわったとかいう高校時代の自分の記憶から、バカにする学問かと思ってたぜ
対話は良いが限界もある。例えばリベラル、フェミニストは何かに怒っているが、怒り、激情、悲しみが伴うと対話は成立しにくい。またマイノリティや政治的に正しくないとされる意見は言えない、結果、脆弱になる
「バカにする」のと「ケンカ」の区別がつかないブクマカ、集合痴が極まっている。
「論争」と「バカにする」は違うってことだと思います。あれだけ激しい議論の応酬をしたハーバーマスとデリダが共同でイラク戦争反対声明を出せるのは、お互いバカにはしてなかったからではないでしょうか。
哲学者って、社会学者と混同されて、風評被害を受けていますよね、とか思ってしまい
「「何も」バカにしない」と言ってる訳で「「誰も」バカにしない」と言っている訳ではないのが、ポイント。
「一番偉い」と言っておいて…?
ソクラテスは人をバカにしてない。誰でももっと賢くなれるはずだと思ったから議論をしていたんだよ。
ソフィスト定期。
馬鹿にする人にもその人なりの哲学がある。馬鹿にすることを偉い扱わない時点で馬鹿にしてるのと同じという自己矛盾に気づけてない馬鹿。誰しもが愚かで偉いのだ。哲学の一番偉いところは馬鹿を尊べること。
信頼できる人とでないと対話が成り立たない、から、対話によって信頼を作っていく。あと後編の「まとめる」素振りの話が興味深かった。
何もバカにしないことというか己を含めて全方向バカだと思って疑っている(言い方を変えれば全方向バカにして見下している)故に考え続けるのような…。
あら素敵な方、一緒に哲学したい
哲学をポエムにするのは個人的に微妙に思うのだが。サルトルのその文章に惹かれたのなら、それは哲学としてではなく文学として学んでしまっているように思う。
哲学はだいたい金持ちの道楽
過去発言掘り起こすと粗出そうなことを
仮に哲学は何も馬鹿にしてなくても、それを語ってる哲学者が何かしらを馬鹿にしてる鼻持ちならない奴なんてのはよくある話。
“それはそのひとなりの、言葉との格闘によってしか生まれ得ない”
喧嘩と、どちらが論理的に正しいかを論争するのは別物だと思うが
哲学のことはよく分からないが、哲学者はだいたい性格悪い印象
https://www.tumblr.com/astrologyconsultationbest/799533839234056192/medieval-india-the-golden-tapestry-of-culture?source=share
いや、“何もバカにしない”って、実存主義などは西洋中心主義に陥って未開社会の文化を暗に下位に貶めることで、それに批判的な立場のレヴィ=ストロース等の台頭を招いて凋落していったはずだが。
サヨクリベラルフェミや誰かに「バカにされた」とかプンスカ怒ってる連中はそもそも自分が偉いと勘違いしてる感じがする。
“サルトルの「あなた方が生きる世界は無である。要は、無価値である。価値というものは与えられているものではない。だが、その無に価値を与えるのはあなた方である」という言葉に衝撃を受けました。”
バカにする学問ってあるの?
タイトルしか読んでない人達が哲学解った気になって「バカにしてる」ブコメだらけだが、記事で言われてる「バカにしない」は批判しないとか序列を付けないなんて話ではなく無視しない(批判すら統合する)という意味
ソ・ソ・ソクラテスかプラトンか♪とサミー・デイビスJrが歌っているアレだろ
バカにするしないが主観的な観念であるから、客観的に見てそれが何に当てはまるか理解するのは難しい。ただこれだけは分かるクソ浅いと…
哲学は当たり前を“疑う”ことだと思うので、疑われる=バカにされると感じる人はちょっと考え直してみてほしい
哲学は対象を選ばないという意味で、「何もバカにしない」は正しい。むしろ、本気でやるとなるとなんでも真正面から向き合わねばならない。それが面倒だから一般的に忌避されるんだと思う。
哲学が一般に「何もバカにしない」という原則を持っているとは思わないし、対話を重視していない哲学者もいるのでは(たとえば一般意志を体現するなら独裁者でも良いと考えたルソーとか)。
しないと言っている時点で出来ると言うことを示唆していて、実際それが多い分野かと。価値という無意味な偏差を産むというそれそのものが広くその道具として使われているかと。
東浩紀なんか人を馬鹿にしまくってる気が……
「ブッタとシッタカブッタ」で読んだ概念だ
永井均の娘さんだったりするのかと思ったけど、無関係っぽい
「哲学の一番偉いところは、『何もバカにしない』こと」“哲学対話”を続ける永井玲衣が考える“信頼と対話の関係”【『これがそうなのか』刊行記念インタビュー後編】 | ダ・ヴィンチWeb
『「議論、論争」と「バカにする」が同列な皆さんは、滅多に人と話し合えない人生を送る』早速批判ですませばいいものを相手の人生をバカにする所業に出ていて、書いて二秒でおかしいと思わないのだろうか
全員が言っているけど、哲学はマウント取り合う学問だよなぁ……マルクスにしたって、ヘーゲル引き合いに出して「コイツ、頭良いけど古いんですわ」だし……この人たち本当は何の話してるんだろ
有名な哲学者は男ばかりで絶対自分のご飯作ったり洗濯したりしてなかったんだろうなと思うとご高説を拝読する気にならなかった 自分の身の回りのことをしない人間は一人前ではない
「一番偉い」という 言葉選びの危険が危ない
道元禅師も「現前せんと欲得すれば順逆存ること莫れ」と言ってますしね。
「「何もバカにしない」ことです。どんな語りでも、ある種の真理に貢献する。」。プラトンの書くソクラテスは何もバカにしない。ただ、相手が何の話をしてるかをはっきりさせようとする。
どうせ釣り見出しでしょって思ったら本人言ってた
“信頼は「与えられるもの」ではない。最初からあるものではなくて、作り上げていくものです。信頼できるから対話をするのではなく、対話そのものが信頼を作っていく試みなんですよね”
哲学って別に高尚な学問でもなく、方向性は違えど「考える行為」自体を指すもの。だから学者が説く政治哲学もあれば酔っ払い親父の大工哲学もあっていい。結果として思考の試行錯誤の蓄積をそう称しただけ。
「何もバカにしない」は、自分の考えることなんてきっとバカにされると思ってしまう誰かに、そんなことない、あなたの声が聞きたいと、哲学(あなたが知をつくり愛する行為)の入口にともる灯りのようだと思う