これをその場のノリで言えちゃうのが宗教が科学からは程遠いところで庶民に宗教が受け入れられたところ
>科学が「なぜそうなるのか」(略)仏教も「どうすれば苦しみを越えられるのか」(略)方法は違っても、根底には真理への探究心が共通しています。 上手い説法、立場が異なるものを双方納得させるような話だな、と
弥勒菩薩はミトラ神が元なので仏教ではないでしょ
認知できないものを扱うのが宗教或いは呪術。主観的には認知できるが客観的には認知できないものは哲学、主観でも客観でも認知できるものを科学、が扱うという認識。
仏教はともかく、インド哲学は理論と体系があるんじゃないか
“「果てしない時間をかけても、人間の心は必ず成長し、悟りに至る」という象徴的なメッセージなんです。”Xでよくいる驚き屋がこの時代にもいたわけですね
自然現象など当時の人類に理解できなかったものの原因を求めるところから始まったと考えれば、十分科学的探究であったと言える。
自分をとりまく宇宙について主観と客観という裏表の関係だよね
枝分かれが進んだだけで、昔は神学があったくらいだからな~。
仏教と他の宗教は全く違うよ。
坊さんはその場の力学に敏感なのでめちゃくちゃ非科学的なこと言い出したり仏教じゃねーじゃんみたいなこと言い出したりする
語りうるものと語りえぬもの。
お坊さんお話上手だよね
科学とかけて宗教と解きます。その心は、どちらもシンリを扱うでしょう…みたいな話?(適当)
「色即是空、空即是色」には「物質とエネルギー」に対しての非常に深い洞察が秘められているように思う。
いや対極だと思うが…。客観性、再現性を厳密な方法で証明している科学と、客観性も再現性も根拠も乏しい宗教が、真理を求める探究心は同じだから似ているなんて宗教を良く言い過ぎ。宗教と科学は交わらないよ
大長編ドラえもんで出木杉君が医術や科学が元は錬金術や魔術だったと話してたなあ
何言ってるのか全然わからなかったけど、歴史的には「宗教→哲学→科学」じゃないの? 宗教を反証的に思考したのが哲学、哲学による思考を実証したのが科学、では? つまり、現代において宗教はクソカス。
囚人のジレンマと輪廻転生が繋がっているのではという指摘が面白くて気に入ってる https://www.newsweekjapan.jp/stories/business/2022/11/post-100074_2.php 昔、宗教の効果をそのうち科学が説明すると話された時はなるほどと思った
弥勒菩薩の扱いが経典で違う(法華経では釈迦から叱られてる)からねえ。初期仏教だと哲学に近いかもね
弥勒信仰はミトラ教由来で釈迦が生きてた頃の原始仏教にはない考え方なのよ。だからといって現代日本で主流の大乗仏教・密教の流れを否定しないけれど。仏教は科学というより科学者の倫理リテラシーに近いと思う。
むしろ大学の教授のほうがそのへんのことを真剣に考えてるから、笑って聞いててくれそう
ハラリみたいな話だよね
土台が公理なのが数学、実証実験なのが科学、神様がそう言ってましたーなのが宗教で、その後理詰めで組み立てるのは一緒
かつて今より観測事実が少ないなりに世界の成り立ちを説明しようとした仮説がいまの宗教になっている。現在の科学的事実の一部も数百年後には宗教のくくりに入れられていそう。
対極とも思わないけど
科学と宗教が交差する時、物語は始まる
最近読んだ若い読者のための哲学史割と良かったよ
説法の目的を理解してる方は話がうまいよね、やっぱり 戦争の口実作るためのアブラハムの宗教とは、始点が全く違う
弥勒菩薩の話はむしろ「ほぼ永遠に救われない」感もある。
科学のこと何にも分かってなさそう。科学の構成要件というか、何が科学で何が科学でないか、科学的とは何かを全く考えていない。『何故』があったり根源解明しようとしてたら全て科学だと思っているのか?
キリスト教とかいう科学に真っ向から対立して弾圧と異端審問で屍積み上げてきた宗教が幅利かせてるせいで、本来の宗教(とくに仏教)はそういうもんだよね。
話術として面白い。
浄土真宗なんかは祈っている自分を疑うみたいな話もあるけど、総じて宗教は教義から逸脱することを許さない時点で新しい発見を取り入れる科学とはちがうと思うね
話が上手いお坊さんだ。でも実際、経を読む上手さは素人には分からないので、話が上手い方がコアコンピタンスなのは間違いない。(親戚の葬式に来たお坊さんは話が下手すぎて墓じまいを検討するレベルだった)
nullより先に空という概念を残した宗教は言うことが違うなあ
科学と対極といわれると、宗教ではなく神学だと思う。宗教は信仰なので。
対極というか別のもの。共存しうるけど、対立もしうる。
未だ果てが見えぬもの(宇宙とか)に比べれば我々の生来の悩みなど塵芥より些細なことにすぎないみたいな観点は共通してるかもね。
科学も宗教の一種です
宗教は戒律や説法を発祥地や定着地と照らし合わせるとかするとちゃんと科学になるじゃん
弘法大師が溜池作る土木工事やってたりするので、科学的知見や生産手段、衛生概念の世代間継承の仕組としてとらえると、(既存の)宗教はうまく作られてると思うぞ。
これほどの法話ができる和尚はなかなかいない。これもちゃんと金かけた証拠だな。
まず対象が形而上的なものか形而下的なものかというところで線が引けて(それは何か/それはどう振る舞うのか)、前者をさらにその手法から宗教と哲学に分けることができ、後者がそれぞれ諸科学に分類される
アートマン(魂)を否定したブッダの思想は科学的態度なのでは。
科学は方法が9割
曼荼羅と電子顕微鏡で見た原子とか、空即是色 色即是空とか。弥勒菩薩の話も太陽系の寿命と近くって思い悩む必要が無い時って意味でリアル過ぎる。
ちょっとかじるだけでも分かるが、仏教はかなり理屈っぽく、四諦・八正道など4や8が好きで理系脳との親和性も高い。これははたして宗教なのか悩むくらい。修行や戒律が有ると、やっとああ一応宗教なんだなと思えるが
観察に基づく論理的帰結
科学が「なぜそうなるのか」を追い求めるように、 仏教も「なぜ人は苦しむのか」「どうすれば苦しみを越えられるのか」を問い続けてきました。 方法は違っても、根底には真理への探究心が共通しています。
量子力学を突き詰めてくと色即是空空即是色みたいな概念が出てくる奴
そもそも日本の仏教の僧侶は国家公務員で、外国語は当然として土木工学科などに精通してた。今の妻子持ちの世襲制で何の苦労なく冷暖房完備の立派な家を建て、庶民の苦労など気にもしないゴルフ三昧の外道とは違う。
アインシュタインも「宗教なき科学は不完全であり、科学なき宗教は盲目である」と言ってるし、科学と宗教は両輪なのよね。科学の力で長生きはできるが、正しい生き方までは示してくれない。
陛下、私には神という仮説は不要なのです。
科学者でも宗教家でもこれを言い出したら、だいたい何かに行き詰って他分野に助けを求めている状態だと思う。そして、他分野ではただの素人なのに、なぜか専門分野と同ランクだと思い込む。
科学は哲学から分かれたもので、だから博士号は「Ph.D.(Doctor of Philosophy)」と言うのだ
科学とは検証、再現性のある実験結果の集合体であって宗教と重なるところなどないと思うが…。まあ坊さんなんか宗教を検証しようとしないから、仕方ないだろうが…
大乗仏教はヒンドゥー教の庶民ウケする要素を移植した宗教で、本来の仏教から遠く離れている。その象徴が弥勒菩薩と言える。そも仏教自体が方便という嘘で本来の姿が分からなくなったもので科学とは対極にある。
方便でしょや
坐禅(瞑想)なんかもそもそも試行錯誤と実験の産物だし、後追いで科(化)学的にも裏付けられた好例だろう。流行前からやってて人にも勧めてたんだが、当時はオカルト扱いでダルシム呼ばわりされた。
自然を解明するのが科学なのではなく、解明するためにどのような手法をとるかの枠組みが科学。解明したいという人間の根源的な欲求に対して、宗教と科学は異なるアプローチと枠組みで寄与している。
ダンブラウンの天使と悪魔が、ここらへんの話に触れていたよ
理想的な宗教がそれを目指しているとしても、現実の宗教は盲信と不寛容の元になってしまっているのではないかな。
宗教に経験則によるルールを強制するにあたり必要な納得を引き出すための手軽な旗印としての側面があるのは事実で、その経験則にしばしば科学的な整合性があるのも事実では。科学の極致こそ神の業とも言える訳で。
厳しい環境で生き残るための宗教と、とりあえず死なない環境で哲学から発展したような宗教は区別したほうが良い
量子学の人は宗教に目覚めるとか嘘松思い出した
仏教から方便とか密教を排除してからにしてください。
対極ではないのよね。同床異夢というかなぜなにに対しての解決のアプローチが違うだけで。科学が宗教にも影響を与えるし宗教の疑問が科学によって解決する場合もある。
映画「コンタクト」を観ましょう >方法は違っても、根底には真理への探究心が共通しています。
科学的探究心を育てたのはキリスト教といえる。仏教はどちらかというと自身の内面に光を当てている。キリスト教は科学とぶつかり合ってその後取り込むが、仏教はぶつかることなく、科学が入る余地を残していた。
宗教と科学が対極と思われがちって、まあそりゃ学生までなら…と思ったけどトップに「いや対極だ」が来ててア~これか~ってなった。id:todays_mitsui氏、id:kudoku氏に同意。
個人的には対極とは思わないんだよね。昔は宗教の世界観が科学の"仮説"として機能してたわけだし。漫画「チ。」をみてもそう思う。
とは言っても科学が進めば神は退がる。「神は継続的に後退中」そして隙間の神
仏教の場合は、特に神を重視する訳じゃないしね。キリスト教、イスラム教なんかとはだいぶ違うよ。
数字が入ってるからそれっぽく聞こえるだけで科学的手法も発想もどこにもない。対極とか、対立構造に持っていかなくても宗教の意義や役割は十分説明できると思う。個人的には要約のせいか、いい説法とは思えなかった
科学と宗教を対立的概念だと考えるのはあまりにもウブな現代人的発想、もしくはそういうマンガを鵜呑みにしすぎ。実際は印刷技術のに伴うゆるやかでグラデーション的な変化だ。
哲学から出発した科学と、哲学要素の強い仏教がアプローチ近いと言うのはそうだと思う。ただ、科学は人間の幸福をゴールとしないけど、宗教は人間の幸福がゴールなので向かう先は違うんよね。
地球人が別の星に移住してたら、約50億年後に弥勒菩薩様に会えるのか
カントが科学を定義した意味が理解できてないようですね
なんか仏教ってアンチサイエンスを口走る印象ないんだが買いかぶり過ぎだろか
地動説を発見したコペルニクス:カトリックの司祭。ビッグバン理論を発見した一人のジョルジュ・ルメートル:カトリックの司祭。という人類の宇宙のパラダイムを2度も変えた二人がカトリックの司祭っていう現実よな
AI研究の黎明期には仏教理論の影響が多々あって、ミンスキーの心の多層レイヤー構造は唯識の影響が指摘されている。「釈迦は偉大な心理学者だ」とも言ってる。その程度のことも知らない人が対極だとか言ってるのよ。
全然違うよ。ポパーの反証可能性の有無が、決定的に両者が異なっていることを説明している。
「イスラム教徒が豚を食べないのは、中東の衛生状態の中で食の安全を担保するため」みたいな話が仏教にもあるのかなと思ったら違った。
原始仏教は認知科学に近いですよ。要するに「この世界が辛いのはあなたがこの世界が辛いと認識してしまうから。そう認識しないような方法(真理)を知った状態(涅槃)になれば救われる(解脱)」という教えなので。
仏教はもともと学問でしょ。衆生救済はまたちょっと違うけども。だからこそ修行不足で薄っぺらい法話をされるとものすごく腹が立つ。
宗教擁護する反科学界隈ヤバすぎて草
まあ人文科学であって自然科学じゃないってだけだよね
本来的に、坊さんというのは当代随一の学者(なお地域の)の立ち位置でもあるので、このくらいの説話はできないといかんのだよな
イスラム法学者にも聞いて欲しい。コーランと法の両方をやるの、さぞかし大変だと思う。
そもそも科学自体、「この世界は神が作り給うたものだから、森羅万象すべてに完璧で美しい法則があるに違いない」という信念のもと発展してきたところがある
探求するのはいいけど、じゃあ壺買って幸せになる実証がされたのか?実証せずに能書きたれてるだけじゃん
科学的事実を「確かなこと」としているのもある種の信仰だろう
ちょっと何言ってるのかわからない。科学的な要素は特にないし、坊さんの話はありがたく聞く習慣があるのだな以外に、感想もない。
人類の未来って確定してるんだよね。そこに安心と確信はあるじゃないか。プッチ神父は何を心配していたんだろう。
宗教が科学のようになればID論みたいなことなるし、科学っぽさが宗教のようになれば偽科学になる。科学と宗教は別であって、またどちらも必要なものだ(無宗教は一種の宗教である)。真実と事実はちがうのだから。
確かに探求心があるという点では似ているけど、「宗教も科学」だとか、「科学も宗教」だとか言い出すのは危険。科学には再現性が必要という決定的な違いがある。
“科学が「なぜそうなるのか」を追い求めるように、 仏教も「なぜ人は苦しむのか」「どうすれば苦しみを越えられるのか」を問い続けてきました。 方法は違っても、根底には真理への探究心が共通しています。 ”
少し話は違うが、現代日本でも「自業自得」みたいな宗教概念が無自覚に使われているように思う/非専門家にとって方法論はどうでも良くて結果だけ享受することは共通点かも
物語に熱心な人というのがかなりの割合で存在してるので、物語に乗せて本質的な戒律を普及させるための手段だったのが昔の宗教。物語に乗せて金回収手段になってるのが最近の宗教。
というより仏教というのが一神教とはまた違って哲学的なのよね。
喪に服すのは感染症の蔓延を防ぐ効果があったとか。/そも「宇宙」からして仏教用語でございまして
学問という意味では近いがこの話のどこに科学要素が?
宗教も哲学も科学も政治も信仰の名の下の探求として行われていたものが、少しずつ神様から分離して今の形になってる。宗教からの離脱は科学のテーゼの一つだけど、かと言って人類の探求の歴史を軽んじるものではない
仏教は基本的に学問だからな。現代では哲学的な要素が多いが、それは哲学以外の学問が仏教から独立していったせいで、基本的に学問やるなら仏僧になるのが王道ルートだった時代の方が長い
経験に基づいた慣習は、法律や倫理の基礎になってたりするからなあ(原因が解明されて後世に非合理になる事もあるが)。儒教の後継者争いで血で血を洗う事になるくらいなら多少無能でも長男が継げも当時の処世術だし
科学と宗教、たびたび並べて論じられることが多いけれど、まったく違う分野なので無意味な気がする。とくに、科学を宗教的に、宗教を科学的に解き明かそうとするのは意味不明だし、詐欺的。
ジョルダーノ・ブルーノ、ガリレオ、ジェンナー、中世に薬草や民間医療の知識を持ち魔女と呼ばれて弾圧・虐殺された女性たち:「そうですね科学と宗教は対極ではないですねー(棒読み)」
「仏教ないし宗教というのは、科学と対極にあると思われがちですが、実はそうでなかったりもするのです」お世話になった教授の1周忌のときの坊さんの話がちょっと面白かった
これをその場のノリで言えちゃうのが宗教が科学からは程遠いところで庶民に宗教が受け入れられたところ
>科学が「なぜそうなるのか」(略)仏教も「どうすれば苦しみを越えられるのか」(略)方法は違っても、根底には真理への探究心が共通しています。 上手い説法、立場が異なるものを双方納得させるような話だな、と
弥勒菩薩はミトラ神が元なので仏教ではないでしょ
認知できないものを扱うのが宗教或いは呪術。主観的には認知できるが客観的には認知できないものは哲学、主観でも客観でも認知できるものを科学、が扱うという認識。
仏教はともかく、インド哲学は理論と体系があるんじゃないか
“「果てしない時間をかけても、人間の心は必ず成長し、悟りに至る」という象徴的なメッセージなんです。”Xでよくいる驚き屋がこの時代にもいたわけですね
自然現象など当時の人類に理解できなかったものの原因を求めるところから始まったと考えれば、十分科学的探究であったと言える。
自分をとりまく宇宙について主観と客観という裏表の関係だよね
枝分かれが進んだだけで、昔は神学があったくらいだからな~。
仏教と他の宗教は全く違うよ。
坊さんはその場の力学に敏感なのでめちゃくちゃ非科学的なこと言い出したり仏教じゃねーじゃんみたいなこと言い出したりする
語りうるものと語りえぬもの。
お坊さんお話上手だよね
科学とかけて宗教と解きます。その心は、どちらもシンリを扱うでしょう…みたいな話?(適当)
「色即是空、空即是色」には「物質とエネルギー」に対しての非常に深い洞察が秘められているように思う。
いや対極だと思うが…。客観性、再現性を厳密な方法で証明している科学と、客観性も再現性も根拠も乏しい宗教が、真理を求める探究心は同じだから似ているなんて宗教を良く言い過ぎ。宗教と科学は交わらないよ
大長編ドラえもんで出木杉君が医術や科学が元は錬金術や魔術だったと話してたなあ
何言ってるのか全然わからなかったけど、歴史的には「宗教→哲学→科学」じゃないの? 宗教を反証的に思考したのが哲学、哲学による思考を実証したのが科学、では? つまり、現代において宗教はクソカス。
囚人のジレンマと輪廻転生が繋がっているのではという指摘が面白くて気に入ってる https://www.newsweekjapan.jp/stories/business/2022/11/post-100074_2.php 昔、宗教の効果をそのうち科学が説明すると話された時はなるほどと思った
弥勒菩薩の扱いが経典で違う(法華経では釈迦から叱られてる)からねえ。初期仏教だと哲学に近いかもね
弥勒信仰はミトラ教由来で釈迦が生きてた頃の原始仏教にはない考え方なのよ。だからといって現代日本で主流の大乗仏教・密教の流れを否定しないけれど。仏教は科学というより科学者の倫理リテラシーに近いと思う。
むしろ大学の教授のほうがそのへんのことを真剣に考えてるから、笑って聞いててくれそう
ハラリみたいな話だよね
土台が公理なのが数学、実証実験なのが科学、神様がそう言ってましたーなのが宗教で、その後理詰めで組み立てるのは一緒
かつて今より観測事実が少ないなりに世界の成り立ちを説明しようとした仮説がいまの宗教になっている。現在の科学的事実の一部も数百年後には宗教のくくりに入れられていそう。
対極とも思わないけど
科学と宗教が交差する時、物語は始まる
最近読んだ若い読者のための哲学史割と良かったよ
説法の目的を理解してる方は話がうまいよね、やっぱり 戦争の口実作るためのアブラハムの宗教とは、始点が全く違う
弥勒菩薩の話はむしろ「ほぼ永遠に救われない」感もある。
科学のこと何にも分かってなさそう。科学の構成要件というか、何が科学で何が科学でないか、科学的とは何かを全く考えていない。『何故』があったり根源解明しようとしてたら全て科学だと思っているのか?
キリスト教とかいう科学に真っ向から対立して弾圧と異端審問で屍積み上げてきた宗教が幅利かせてるせいで、本来の宗教(とくに仏教)はそういうもんだよね。
話術として面白い。
浄土真宗なんかは祈っている自分を疑うみたいな話もあるけど、総じて宗教は教義から逸脱することを許さない時点で新しい発見を取り入れる科学とはちがうと思うね
話が上手いお坊さんだ。でも実際、経を読む上手さは素人には分からないので、話が上手い方がコアコンピタンスなのは間違いない。(親戚の葬式に来たお坊さんは話が下手すぎて墓じまいを検討するレベルだった)
nullより先に空という概念を残した宗教は言うことが違うなあ
科学と対極といわれると、宗教ではなく神学だと思う。宗教は信仰なので。
対極というか別のもの。共存しうるけど、対立もしうる。
未だ果てが見えぬもの(宇宙とか)に比べれば我々の生来の悩みなど塵芥より些細なことにすぎないみたいな観点は共通してるかもね。
科学も宗教の一種です
宗教は戒律や説法を発祥地や定着地と照らし合わせるとかするとちゃんと科学になるじゃん
弘法大師が溜池作る土木工事やってたりするので、科学的知見や生産手段、衛生概念の世代間継承の仕組としてとらえると、(既存の)宗教はうまく作られてると思うぞ。
これほどの法話ができる和尚はなかなかいない。これもちゃんと金かけた証拠だな。
まず対象が形而上的なものか形而下的なものかというところで線が引けて(それは何か/それはどう振る舞うのか)、前者をさらにその手法から宗教と哲学に分けることができ、後者がそれぞれ諸科学に分類される
アートマン(魂)を否定したブッダの思想は科学的態度なのでは。
科学は方法が9割
曼荼羅と電子顕微鏡で見た原子とか、空即是色 色即是空とか。弥勒菩薩の話も太陽系の寿命と近くって思い悩む必要が無い時って意味でリアル過ぎる。
ちょっとかじるだけでも分かるが、仏教はかなり理屈っぽく、四諦・八正道など4や8が好きで理系脳との親和性も高い。これははたして宗教なのか悩むくらい。修行や戒律が有ると、やっとああ一応宗教なんだなと思えるが
観察に基づく論理的帰結
科学が「なぜそうなるのか」を追い求めるように、 仏教も「なぜ人は苦しむのか」「どうすれば苦しみを越えられるのか」を問い続けてきました。 方法は違っても、根底には真理への探究心が共通しています。
量子力学を突き詰めてくと色即是空空即是色みたいな概念が出てくる奴
そもそも日本の仏教の僧侶は国家公務員で、外国語は当然として土木工学科などに精通してた。今の妻子持ちの世襲制で何の苦労なく冷暖房完備の立派な家を建て、庶民の苦労など気にもしないゴルフ三昧の外道とは違う。
アインシュタインも「宗教なき科学は不完全であり、科学なき宗教は盲目である」と言ってるし、科学と宗教は両輪なのよね。科学の力で長生きはできるが、正しい生き方までは示してくれない。
陛下、私には神という仮説は不要なのです。
科学者でも宗教家でもこれを言い出したら、だいたい何かに行き詰って他分野に助けを求めている状態だと思う。そして、他分野ではただの素人なのに、なぜか専門分野と同ランクだと思い込む。
科学は哲学から分かれたもので、だから博士号は「Ph.D.(Doctor of Philosophy)」と言うのだ
科学とは検証、再現性のある実験結果の集合体であって宗教と重なるところなどないと思うが…。まあ坊さんなんか宗教を検証しようとしないから、仕方ないだろうが…
大乗仏教はヒンドゥー教の庶民ウケする要素を移植した宗教で、本来の仏教から遠く離れている。その象徴が弥勒菩薩と言える。そも仏教自体が方便という嘘で本来の姿が分からなくなったもので科学とは対極にある。
方便でしょや
坐禅(瞑想)なんかもそもそも試行錯誤と実験の産物だし、後追いで科(化)学的にも裏付けられた好例だろう。流行前からやってて人にも勧めてたんだが、当時はオカルト扱いでダルシム呼ばわりされた。
自然を解明するのが科学なのではなく、解明するためにどのような手法をとるかの枠組みが科学。解明したいという人間の根源的な欲求に対して、宗教と科学は異なるアプローチと枠組みで寄与している。
ダンブラウンの天使と悪魔が、ここらへんの話に触れていたよ
理想的な宗教がそれを目指しているとしても、現実の宗教は盲信と不寛容の元になってしまっているのではないかな。
宗教に経験則によるルールを強制するにあたり必要な納得を引き出すための手軽な旗印としての側面があるのは事実で、その経験則にしばしば科学的な整合性があるのも事実では。科学の極致こそ神の業とも言える訳で。
厳しい環境で生き残るための宗教と、とりあえず死なない環境で哲学から発展したような宗教は区別したほうが良い
量子学の人は宗教に目覚めるとか嘘松思い出した
仏教から方便とか密教を排除してからにしてください。
対極ではないのよね。同床異夢というかなぜなにに対しての解決のアプローチが違うだけで。科学が宗教にも影響を与えるし宗教の疑問が科学によって解決する場合もある。
映画「コンタクト」を観ましょう >方法は違っても、根底には真理への探究心が共通しています。
科学的探究心を育てたのはキリスト教といえる。仏教はどちらかというと自身の内面に光を当てている。キリスト教は科学とぶつかり合ってその後取り込むが、仏教はぶつかることなく、科学が入る余地を残していた。
宗教と科学が対極と思われがちって、まあそりゃ学生までなら…と思ったけどトップに「いや対極だ」が来ててア~これか~ってなった。id:todays_mitsui氏、id:kudoku氏に同意。
個人的には対極とは思わないんだよね。昔は宗教の世界観が科学の"仮説"として機能してたわけだし。漫画「チ。」をみてもそう思う。
とは言っても科学が進めば神は退がる。「神は継続的に後退中」そして隙間の神
仏教の場合は、特に神を重視する訳じゃないしね。キリスト教、イスラム教なんかとはだいぶ違うよ。
数字が入ってるからそれっぽく聞こえるだけで科学的手法も発想もどこにもない。対極とか、対立構造に持っていかなくても宗教の意義や役割は十分説明できると思う。個人的には要約のせいか、いい説法とは思えなかった
科学と宗教を対立的概念だと考えるのはあまりにもウブな現代人的発想、もしくはそういうマンガを鵜呑みにしすぎ。実際は印刷技術のに伴うゆるやかでグラデーション的な変化だ。
哲学から出発した科学と、哲学要素の強い仏教がアプローチ近いと言うのはそうだと思う。ただ、科学は人間の幸福をゴールとしないけど、宗教は人間の幸福がゴールなので向かう先は違うんよね。
地球人が別の星に移住してたら、約50億年後に弥勒菩薩様に会えるのか
カントが科学を定義した意味が理解できてないようですね
なんか仏教ってアンチサイエンスを口走る印象ないんだが買いかぶり過ぎだろか
地動説を発見したコペルニクス:カトリックの司祭。ビッグバン理論を発見した一人のジョルジュ・ルメートル:カトリックの司祭。という人類の宇宙のパラダイムを2度も変えた二人がカトリックの司祭っていう現実よな
AI研究の黎明期には仏教理論の影響が多々あって、ミンスキーの心の多層レイヤー構造は唯識の影響が指摘されている。「釈迦は偉大な心理学者だ」とも言ってる。その程度のことも知らない人が対極だとか言ってるのよ。
全然違うよ。ポパーの反証可能性の有無が、決定的に両者が異なっていることを説明している。
「イスラム教徒が豚を食べないのは、中東の衛生状態の中で食の安全を担保するため」みたいな話が仏教にもあるのかなと思ったら違った。
原始仏教は認知科学に近いですよ。要するに「この世界が辛いのはあなたがこの世界が辛いと認識してしまうから。そう認識しないような方法(真理)を知った状態(涅槃)になれば救われる(解脱)」という教えなので。
仏教はもともと学問でしょ。衆生救済はまたちょっと違うけども。だからこそ修行不足で薄っぺらい法話をされるとものすごく腹が立つ。
宗教擁護する反科学界隈ヤバすぎて草
まあ人文科学であって自然科学じゃないってだけだよね
本来的に、坊さんというのは当代随一の学者(なお地域の)の立ち位置でもあるので、このくらいの説話はできないといかんのだよな
イスラム法学者にも聞いて欲しい。コーランと法の両方をやるの、さぞかし大変だと思う。
そもそも科学自体、「この世界は神が作り給うたものだから、森羅万象すべてに完璧で美しい法則があるに違いない」という信念のもと発展してきたところがある
探求するのはいいけど、じゃあ壺買って幸せになる実証がされたのか?実証せずに能書きたれてるだけじゃん
科学的事実を「確かなこと」としているのもある種の信仰だろう
ちょっと何言ってるのかわからない。科学的な要素は特にないし、坊さんの話はありがたく聞く習慣があるのだな以外に、感想もない。
人類の未来って確定してるんだよね。そこに安心と確信はあるじゃないか。プッチ神父は何を心配していたんだろう。
宗教が科学のようになればID論みたいなことなるし、科学っぽさが宗教のようになれば偽科学になる。科学と宗教は別であって、またどちらも必要なものだ(無宗教は一種の宗教である)。真実と事実はちがうのだから。
確かに探求心があるという点では似ているけど、「宗教も科学」だとか、「科学も宗教」だとか言い出すのは危険。科学には再現性が必要という決定的な違いがある。
“科学が「なぜそうなるのか」を追い求めるように、 仏教も「なぜ人は苦しむのか」「どうすれば苦しみを越えられるのか」を問い続けてきました。 方法は違っても、根底には真理への探究心が共通しています。 ”
少し話は違うが、現代日本でも「自業自得」みたいな宗教概念が無自覚に使われているように思う/非専門家にとって方法論はどうでも良くて結果だけ享受することは共通点かも
物語に熱心な人というのがかなりの割合で存在してるので、物語に乗せて本質的な戒律を普及させるための手段だったのが昔の宗教。物語に乗せて金回収手段になってるのが最近の宗教。
というより仏教というのが一神教とはまた違って哲学的なのよね。
喪に服すのは感染症の蔓延を防ぐ効果があったとか。/そも「宇宙」からして仏教用語でございまして
学問という意味では近いがこの話のどこに科学要素が?
宗教も哲学も科学も政治も信仰の名の下の探求として行われていたものが、少しずつ神様から分離して今の形になってる。宗教からの離脱は科学のテーゼの一つだけど、かと言って人類の探求の歴史を軽んじるものではない
仏教は基本的に学問だからな。現代では哲学的な要素が多いが、それは哲学以外の学問が仏教から独立していったせいで、基本的に学問やるなら仏僧になるのが王道ルートだった時代の方が長い
経験に基づいた慣習は、法律や倫理の基礎になってたりするからなあ(原因が解明されて後世に非合理になる事もあるが)。儒教の後継者争いで血で血を洗う事になるくらいなら多少無能でも長男が継げも当時の処世術だし
科学と宗教、たびたび並べて論じられることが多いけれど、まったく違う分野なので無意味な気がする。とくに、科学を宗教的に、宗教を科学的に解き明かそうとするのは意味不明だし、詐欺的。
ジョルダーノ・ブルーノ、ガリレオ、ジェンナー、中世に薬草や民間医療の知識を持ち魔女と呼ばれて弾圧・虐殺された女性たち:「そうですね科学と宗教は対極ではないですねー(棒読み)」