ラッセンにかぎらず再評価じたいはいつでも誰でも自由にできるけれど、先んじて行われたそれを、専門的知識にもとづいて日本語で書かれた僅か三冊を参照しなかった事実は、小説家を再評価させるとおもう。
一応 クリスチャン・ラッセンと「インテリア絵画」という語彙(それは1993年には存在していた) | Days of TRICKS https://sdtricks.net/home/?p=9840
大人やね。それが良いかは別として
原田氏のいう「類似する内容」(類似する表現ではない)が、要するにあれだけ人気があったのだから大衆向けの魅力があるのだろうという程度のことで、そんなん永野のネタ見た程度の人でも思いつく話なので。
類似とされる用語『インテリア・アート(芸術』に先行使用例が存在するにも関わらず出典を示してないのはそもそも学術書としての価値がない(探求不足)か故意に言い落としてる(オリジナルを詐称してる)かの何れかでは。
個人的にこういうしっかりした人たちの筆のバトルはあっていい
集英社側はラッセン側に忖度して参考文献に載せなかったのか。
「本件は著作権侵害にあたる事案ではない」←それは認めてるんだ。「もし先行研究を参照したのであれば、それを参照した事実を明示してほしい」←してない、って言われてるから、これでおしまいだね。
【『青の純度』は、アートに携わる人々の倫理観をテーマとする作品です。そのメッセージには共感できるところもあったからこそ、作者である篠田氏には、書き手として倫理的に対応してくれることを期待していました】
「『青の純度』は、アートに携わる人々の倫理観をテーマとする作品です。そのメッセージには共感できるところもあったからこそ、作者である篠田氏には、書き手として倫理的に対応してくれることを期待していました」
著書が参考文献には達していないレベルの書籍だったのになんでこういう解釈へと至るのか。最後の段落なんかイタチの最後っ屁。大体この本を翻訳してラッセン本人に読ませることが出来る訳がないものをだな……。
何か作る時って2つのアプローチがあると思っていて先行を研究し尽くして作る時と、似ないように敢えて直近の作は見ない時とあるよね|中身自体はブラックボックスとし、参考文献のみ参考にした時はパクリになるか否か
この問題、ラッセン本人の不在感がすごい
元々"スジ通せよ"とかそういうレベルの話でしかないもんな。しかし参考書籍に「ラッセンとは〜」という文字を出すと、せっかく架空の画家の話にした意味が薄れそうだな
ざっくり読んだのではと想像しているが、たとえ、図書館で借りて1ページもみなかったとしても、もっと言い方はあったのでは。集英社側が非常に失礼な感じで、それが一番嫌かな。
ラインがしっかりしてて偉い。 > “本件は著作権侵害にあたる事案ではないため、私としては「もし先行研究を参照したのであれば、それを参照した事実を明示してほしい」と〝お願い〟するまでしかできません”
真相は確かに藪の中ですが、“図書館で借りた事実をなぜかプレスリリースには記述しなかった”ことと“書評を遺憾とした”ことの2点をもって、集英社は言論を礎にする出版社としては大きく後退したと思います。
原田氏が自分の著書がオリジナルだと主張してる「インテリア絵画」「墓石が西を向いている日系ハワイ人の墓」はそれぞれ別のソースで確認出来るので、ちょっと苦しいかな。松本零士コース行きだと思われます。
こちらの文書、真摯な対応と回答とおもう。それに反して。
すべてアールビバンが悪い
参考文献に入れることになにか問題があるんだろうか
News – Yuki Harada
ラッセンにかぎらず再評価じたいはいつでも誰でも自由にできるけれど、先んじて行われたそれを、専門的知識にもとづいて日本語で書かれた僅か三冊を参照しなかった事実は、小説家を再評価させるとおもう。
一応 クリスチャン・ラッセンと「インテリア絵画」という語彙(それは1993年には存在していた) | Days of TRICKS https://sdtricks.net/home/?p=9840
大人やね。それが良いかは別として
原田氏のいう「類似する内容」(類似する表現ではない)が、要するにあれだけ人気があったのだから大衆向けの魅力があるのだろうという程度のことで、そんなん永野のネタ見た程度の人でも思いつく話なので。
類似とされる用語『インテリア・アート(芸術』に先行使用例が存在するにも関わらず出典を示してないのはそもそも学術書としての価値がない(探求不足)か故意に言い落としてる(オリジナルを詐称してる)かの何れかでは。
個人的にこういうしっかりした人たちの筆のバトルはあっていい
集英社側はラッセン側に忖度して参考文献に載せなかったのか。
「本件は著作権侵害にあたる事案ではない」←それは認めてるんだ。「もし先行研究を参照したのであれば、それを参照した事実を明示してほしい」←してない、って言われてるから、これでおしまいだね。
【『青の純度』は、アートに携わる人々の倫理観をテーマとする作品です。そのメッセージには共感できるところもあったからこそ、作者である篠田氏には、書き手として倫理的に対応してくれることを期待していました】
「『青の純度』は、アートに携わる人々の倫理観をテーマとする作品です。そのメッセージには共感できるところもあったからこそ、作者である篠田氏には、書き手として倫理的に対応してくれることを期待していました」
著書が参考文献には達していないレベルの書籍だったのになんでこういう解釈へと至るのか。最後の段落なんかイタチの最後っ屁。大体この本を翻訳してラッセン本人に読ませることが出来る訳がないものをだな……。
何か作る時って2つのアプローチがあると思っていて先行を研究し尽くして作る時と、似ないように敢えて直近の作は見ない時とあるよね|中身自体はブラックボックスとし、参考文献のみ参考にした時はパクリになるか否か
この問題、ラッセン本人の不在感がすごい
元々"スジ通せよ"とかそういうレベルの話でしかないもんな。しかし参考書籍に「ラッセンとは〜」という文字を出すと、せっかく架空の画家の話にした意味が薄れそうだな
ざっくり読んだのではと想像しているが、たとえ、図書館で借りて1ページもみなかったとしても、もっと言い方はあったのでは。集英社側が非常に失礼な感じで、それが一番嫌かな。
ラインがしっかりしてて偉い。 > “本件は著作権侵害にあたる事案ではないため、私としては「もし先行研究を参照したのであれば、それを参照した事実を明示してほしい」と〝お願い〟するまでしかできません”
真相は確かに藪の中ですが、“図書館で借りた事実をなぜかプレスリリースには記述しなかった”ことと“書評を遺憾とした”ことの2点をもって、集英社は言論を礎にする出版社としては大きく後退したと思います。
原田氏が自分の著書がオリジナルだと主張してる「インテリア絵画」「墓石が西を向いている日系ハワイ人の墓」はそれぞれ別のソースで確認出来るので、ちょっと苦しいかな。松本零士コース行きだと思われます。
こちらの文書、真摯な対応と回答とおもう。それに反して。
「『青の純度』は、アートに携わる人々の倫理観をテーマとする作品です。そのメッセージには共感できるところもあったからこそ、作者である篠田氏には、書き手として倫理的に対応してくれることを期待していました」
すべてアールビバンが悪い
参考文献に入れることになにか問題があるんだろうか