追記きてたよ。集英社は Tokyo Art Beat編集部からの質問状に"「回答をしない」"とのこと。。。
「あくまで倫理的な側面や手続きについて指摘」
がっ好っき~!
篠田節子側はモデルがラッセンだと認めないために意図的にラッセンを取り上げた文献を参考文献から排除している可能性が高いので参考文献として認めるのは難しいと思う。倫理的だったらそういう小説書かないよね。
ラッセンに訴えられたら勝てないけど、原田裕規ならなんとかなるってナメてるわけでしょ。/ついでに延焼して、ラッセンとかの(懐かしの)エウリアン商法にもメスが入ってほしいけど。
今回の騒動で両者の本を読みたいと思ってしまった。
ネタバレ書評を読むにラッセンは明らかにモデル「では無い」ので(なお、著者はラッセンに着想を得たことは明言している)、邪推ベースの非難は軽率だなぁと思う。
原田さんの疑問、青の純度に潜む影のようですわね。
アキバを歩いても画商に閉じ込められなくなったのか
むしろラッセンの名誉は篠田によって回復された。そもそも「ラッセンとは何か」真摯な本とは到底言えない(ラッセンさんマジメにイルカの絵を描いてるのにネタにされおちょくられ可哀想)のでざまあwという感想しかない
この件と渡邊大門氏の件は注目して見ている。
篠田節子は本当に凄い作家なのでこんなことになってがっかりしている。スラップスティックSF『斎藤家の核弾頭』朱鷺ホラー『神鳥』介護問題をえぐった『長女たち』鬼気迫る『鏡の背面』等々…なんでこうなったのか。
これを読んでなくても篠田さんは書けたか?という根本的な問いについてはどうなんだろうか?この本の例えば斎藤環の平山郁夫と東山魁夷をダシにするやり方なんか少しでも日本画知っている人間ならゲンナリとしか。
まあでも、ラッセン的な、アート好きからはまともな芸術と見做されてないものを研究したり面白がったりしてみる手法は、原田氏が発明したわけではないよね、全然違うレベルの話だけど
インテリアアートって言葉は普通に使われてる。家具屋に行けば1000円で買えるし、絵画ってそもそもインテリアよ。これだけでは薄い。
“権力勾配の中で、この状況は搾取的であるように感じられ” “書評での問題提起は、著作権をはじめとする法的な権利を争うものではなく、あくまで倫理的な側面や手続きについて指摘したもの”
著作権レベルではなく作家としての倫理の問題、それ故に作家としては致命的。篠田節子は上手い書き手だが、内なる創作の源泉は枯渇してるのかな。
実在の人物をモチーフとした主人公でフィクションの物語を書いて、さらにその人の著書の記述を盗用してたってこと?ネットで拾った画像をトレスして商業作品にするイラストレーターみたいやな
三島由紀夫の金閣寺やアニメのキャラみたいに、創作物で実際の事件や人物がモチーフになってる事はよくあるのでは。それとも、自分が言語化した概念を盗まれたって事なのかな。小説にいちいち書いてあるものなのか
原田氏もラッセンを再評価してる側の立場だと思っていたが>篠田氏のおかげで評価が回復された
ラッセンと言えば秋葉原。今もあるのかな?
小説に「参考文献」を記すのが本義的にかなり変わってると思った。その上で書いてないってのもどちらも???だ。だってフィクションなのだから。取材協力受けたとかなら記すべしだが。考え方の違いかもしれんが
それぞれの本を読まないと何とも言えなくなってきた
この件、出版社や報道ではなくTABが取り上げたところに美術界からの視点が透けて見える
創作物だからネタ元を明記する必要ないってよく言われてるけど、この本ラッセン書以外の参考文献は沢山挙げてるんですよ
非倫理的だが合法な収奪。/ 社会的話題をネタにし当てこすり、かつトボける風刺性も文学。/ 特にミステリではモデルと名指しする方が倫理的でなくなる場合も。本作や『オリエント急行殺人事件』でモデル名指しすると
おらっ美術手帖がよっ!
(法的には元々問題なく仁義の問題だとして)参考文献に一行入れておけば仁義的にも問題なかったはずなのになぜ隠したのだろうか。
この人が倫理的と言っている倫理は誰の倫理なのだろうか。この人の思う倫理を押し付けようとしているのか、それとも業界として一般的に行われている慣行なのかを知りたい。
記事だけでは難しいのだが、権利的な問題はさておき、作家として作品のコアであるテーマ性とその表現が他者の著作物の丸写しだとすると信用は落ちると思う
気になるのお
なんだか原田氏の主張を聞けば聞くほど(そして篠田氏の反論はそもそも存在しないし)「これ本当にそんな大事か?」と思ってしまうのだった。本人的にはそうなんだろうけど主張が弱すぎて
"Tokyo Art Beat編集部は集英社へ質問状を送付していた。しかし締切日時を経過した後に、同社から電話にて「回答をしない」との連絡を受けた"
すごいぜ "同社から電話にて「回答をしない」との連絡を受けた"(10/23) / "図書館で借りた事実はあるものの、内容を読まずに返却したため、参照はしていない"(10/24)
小説だからわざわざ参考文献リストをつけなくても構わなかったのに、あえてリストはつけた上で、一番参考になるはずの本をあえて読まない、ってちょっと理解できないんだけど
"「文芸書のような創作物において、参考文献の扱いは難しいと思います」と理解を示しつつ、書評での問題提起は、著作権をはじめとする法的な権利を争うものではなく、あくまで倫理的な側面や手続きについて指摘した"
アーティスト原田裕規が篠田節子の小説『青の純度』の書評で、自著の「ラッセン本」との類似を指摘。「願わくば適切な手続きのもとで記されてほしい」
追記きてたよ。集英社は Tokyo Art Beat編集部からの質問状に"「回答をしない」"とのこと。。。
「あくまで倫理的な側面や手続きについて指摘」
がっ好っき~!
篠田節子側はモデルがラッセンだと認めないために意図的にラッセンを取り上げた文献を参考文献から排除している可能性が高いので参考文献として認めるのは難しいと思う。倫理的だったらそういう小説書かないよね。
ラッセンに訴えられたら勝てないけど、原田裕規ならなんとかなるってナメてるわけでしょ。/ついでに延焼して、ラッセンとかの(懐かしの)エウリアン商法にもメスが入ってほしいけど。
今回の騒動で両者の本を読みたいと思ってしまった。
ネタバレ書評を読むにラッセンは明らかにモデル「では無い」ので(なお、著者はラッセンに着想を得たことは明言している)、邪推ベースの非難は軽率だなぁと思う。
原田さんの疑問、青の純度に潜む影のようですわね。
アキバを歩いても画商に閉じ込められなくなったのか
むしろラッセンの名誉は篠田によって回復された。そもそも「ラッセンとは何か」真摯な本とは到底言えない(ラッセンさんマジメにイルカの絵を描いてるのにネタにされおちょくられ可哀想)のでざまあwという感想しかない
この件と渡邊大門氏の件は注目して見ている。
篠田節子は本当に凄い作家なのでこんなことになってがっかりしている。スラップスティックSF『斎藤家の核弾頭』朱鷺ホラー『神鳥』介護問題をえぐった『長女たち』鬼気迫る『鏡の背面』等々…なんでこうなったのか。
これを読んでなくても篠田さんは書けたか?という根本的な問いについてはどうなんだろうか?この本の例えば斎藤環の平山郁夫と東山魁夷をダシにするやり方なんか少しでも日本画知っている人間ならゲンナリとしか。
まあでも、ラッセン的な、アート好きからはまともな芸術と見做されてないものを研究したり面白がったりしてみる手法は、原田氏が発明したわけではないよね、全然違うレベルの話だけど
インテリアアートって言葉は普通に使われてる。家具屋に行けば1000円で買えるし、絵画ってそもそもインテリアよ。これだけでは薄い。
“権力勾配の中で、この状況は搾取的であるように感じられ” “書評での問題提起は、著作権をはじめとする法的な権利を争うものではなく、あくまで倫理的な側面や手続きについて指摘したもの”
著作権レベルではなく作家としての倫理の問題、それ故に作家としては致命的。篠田節子は上手い書き手だが、内なる創作の源泉は枯渇してるのかな。
実在の人物をモチーフとした主人公でフィクションの物語を書いて、さらにその人の著書の記述を盗用してたってこと?ネットで拾った画像をトレスして商業作品にするイラストレーターみたいやな
三島由紀夫の金閣寺やアニメのキャラみたいに、創作物で実際の事件や人物がモチーフになってる事はよくあるのでは。それとも、自分が言語化した概念を盗まれたって事なのかな。小説にいちいち書いてあるものなのか
原田氏もラッセンを再評価してる側の立場だと思っていたが>篠田氏のおかげで評価が回復された
ラッセンと言えば秋葉原。今もあるのかな?
小説に「参考文献」を記すのが本義的にかなり変わってると思った。その上で書いてないってのもどちらも???だ。だってフィクションなのだから。取材協力受けたとかなら記すべしだが。考え方の違いかもしれんが
それぞれの本を読まないと何とも言えなくなってきた
この件、出版社や報道ではなくTABが取り上げたところに美術界からの視点が透けて見える
創作物だからネタ元を明記する必要ないってよく言われてるけど、この本ラッセン書以外の参考文献は沢山挙げてるんですよ
非倫理的だが合法な収奪。/ 社会的話題をネタにし当てこすり、かつトボける風刺性も文学。/ 特にミステリではモデルと名指しする方が倫理的でなくなる場合も。本作や『オリエント急行殺人事件』でモデル名指しすると
おらっ美術手帖がよっ!
(法的には元々問題なく仁義の問題だとして)参考文献に一行入れておけば仁義的にも問題なかったはずなのになぜ隠したのだろうか。
この人が倫理的と言っている倫理は誰の倫理なのだろうか。この人の思う倫理を押し付けようとしているのか、それとも業界として一般的に行われている慣行なのかを知りたい。
記事だけでは難しいのだが、権利的な問題はさておき、作家として作品のコアであるテーマ性とその表現が他者の著作物の丸写しだとすると信用は落ちると思う
気になるのお
なんだか原田氏の主張を聞けば聞くほど(そして篠田氏の反論はそもそも存在しないし)「これ本当にそんな大事か?」と思ってしまうのだった。本人的にはそうなんだろうけど主張が弱すぎて
"Tokyo Art Beat編集部は集英社へ質問状を送付していた。しかし締切日時を経過した後に、同社から電話にて「回答をしない」との連絡を受けた"
すごいぜ "同社から電話にて「回答をしない」との連絡を受けた"(10/23) / "図書館で借りた事実はあるものの、内容を読まずに返却したため、参照はしていない"(10/24)
小説だからわざわざ参考文献リストをつけなくても構わなかったのに、あえてリストはつけた上で、一番参考になるはずの本をあえて読まない、ってちょっと理解できないんだけど
"「文芸書のような創作物において、参考文献の扱いは難しいと思います」と理解を示しつつ、書評での問題提起は、著作権をはじめとする法的な権利を争うものではなく、あくまで倫理的な側面や手続きについて指摘した"