「いつもよりすごく美味しい」「おばあちゃんのほうがやっぱり美味しい」 褒める時に、何かと比較して(他を貶して)褒める必要はないんだけどな/「これに比べると山岡さんの鮎はカスや。」
最初の褒めなきゃって人、気持ちと行動一致してなくて、褒めときゃ良いだろ感が強いこと気づいてなさそう…
ちょっとずれるけど何か褒めたり評価したりすると「上から目線だ」という人がいてわりと困る
毎日30回くらいは子供を褒めているが、思い通りに動いてもらうためです(もちろん動きません)
なんかなあ、もう少し現在の心理学の勉強をしてから書いてほしいよなあ。こういうのが心理学だと世間に誤解されたまま数十年、心理学が不憫だわ。
上澄を掬うトコと、植林してくのは両輪でもいいんだろうね。
子を褒めてるとメンヘラになるぞ。それでいいならまぁいいけど
だからアドラー心理学って嫌いなんだよ
豚もおだてりゃ木に登るって言葉もあるんだから、対人操作であっても相手のパフォーマンスを引き出すためなら褒めた方がいい。ただ、やり過ぎて調子に乗り出したら梯子を蹴り飛ばせ。
アドラー心理学でも相手の内発的動機づけを支援する勇気づけの言葉は賞賛されているよ。
最初の人は褒めと素直な感想とを分けることをやったところで、素直な感想を伝える相手を間違えそう…。引用されたツイートの子は、まず感想を伝える相手を確認してるところがすごい。
この人、自分の感覚無いのか?味とかそっちのけで機嫌取ることしかしてない。アドラー心理学の話してるのに否定から入るのもいたりさぁ。両方相手に引っ張られすぎ。それが上からだっつってんの。
最初のツイの人があまりにも褒めるの下手すぎて心がキュッとなってしまい、続きは読めてない
いつものn1(自分の経験もしくは知り合いの話)だらけで盛り上がれるXだなぁ。
「ほめるの下手すぎ」ってレベルじゃねーぞ!っていうね。対話型AI使おう。
褒めるのが対人操作なんじゃなくて、すべての発言が対人操作だよ、そう思ってない人が「言わなきゃ良いのに」みたいな地雷踏んでるケースが多すぎる
これだからエセアドラー本読んでアドラー心理学が云々とか言い出す奴はダメなんだわ
現代的な研究はいくらでもあるのに、科学的根拠の薄い古典的なアドラー心理学がもてはやされてるんだ
言葉を発すること自体が対人操作ですね
ずれるけど、自分の思い通りに誉められたり評価されないと不機嫌になる人いるよね。すごーいだけで満たされない人。めんどくさい。 だから言うほうが気を回してしまうのはある。
アドラー心理学を信奉している人は信用しづらい。てか、あれは本当に心理学なのか疑っている。アドラー心理学を広めようとした人がおかしいだけなのかもしれんけど。
褒める=対人操作・上から目線・上下関係や優劣の決定…普段から人を見下してるからそんなふうに捉えるんかな。褒める=尊敬・承認・思いやり・優しさでしょうに。最初の例は事実は違えどツイ主の優しさが伝わるよ。
アドラーとフロイト持ち出す人はまともな人少ない印象
プライベート限定なら本心ではなく、無理に褒めなきゃならない相手は 遠ざけた方がよくない?(子供やペット相手とかは除くとして)
褒めるとか叱るとか以前に周りの人に関心(と観察)が足りない印象。
意味がよくわからん。普通に美味しい時は「うま!」「おいしいこれ」って言う夫なので子もそういうようになり、言われなかったら「おいしくできてる?」て確認するくらいだ…
心理学、ただえさえ再現性の危機があるのに、アドラー「心理学」というだけで根拠づけするのはちょっと危ういような
最初のツイートの教訓は「何かを持ち上げるときに別の何かの評価を落とす必要はない」だと思うかな…引用の子供の褒め方はすごく素敵
難しいなあ。相手を喜ばせたいからほめる、というのもまあ対人操作だけど、よくないのかなあ
相手を操作というよりこっちの好感度を上げるために褒めてる。お世辞は天井知らずだよ
この文脈での「褒める」は、意識して褒めようとしたきの「褒める」を指している。それに続く投稿をみれば間違いない
DEAL(win-winの落としどころを探る)活動の一環であると明示して相手の美点の評価を述べるのと、DEALであることを隠蔽してステマ的な誉め言葉を言うのではだいぶ印象が違うよね。他人を操作しようとする人は本能的に嫌い。
私が数日会社を休んだ休み明けに、「どこ行ってたんですか?旅行ですか?」と元気よく聞いてきた後輩を思い出した。他人に興味がない人が無理するといいことないよ。ちなみに遠方の葬式だよ。
トゥギャッたんは4歳だから、「おいしい」とか「すごい」とか、思ったことをそのまま言うしかできないや。
褒めようとするより感想を言えばいいというのはその通りではあるけど、アドラー心理学はちょっと信用できないなと思ってしまうな
「どうでもいいから褒められるんですよ!」by ハイパーインフレーション
全ての発話は対人操作って言うけど、誰かとの関係とその相手自身は別物では。相手自身を操作するのは不健全、関係を操作するのは健全な関係構築なのでは。関係は自分と相手の間にあるもの、操作して良いのはそこまで
「影響がある」を操作っていうなら全ての対話は操作だけど、意思疎通の為に対話した結果と、結果を目的として意思疎通するのは、見た目は同じでも、誠意が違う。そして一番大事なのはそこなんじゃないのか。
えええ…と思ったけど、喜びの共有こそが幸せであり目的って話か。それでも褒めに拘るなら初手「おいしー」(立ち小orしゃがみ小スカらせ)で分岐、波動拳ならキャンセルで吸う、昇竜ならガードし着地際を吸う
褒めるときになにかと比較するから角が立つんだよ
どんだけ褒めてもそれで相手が嬉しくないなら別に褒めたことにならないよな。誰かに褒められてもびっくりするくらい心が動かないことがある。心が冷たいのは褒められて喜ばない自分か、言葉選びが雑な相手なのか
「褒める」=「おだてる」という意味で「ポジティブな感想」とは別概念とするならそうかもしれんが、愛情や感謝を伝えたくてナチュラルに褒める人もたくさん…褒め下手な人は褒められるのも下手(受け取り下手)
自分も褒めるの苦手な自覚があるので、素直にいいと思ったときしか言わないようにしてる。それならただの感想だし、ネガティブじゃないから誰も傷つけない。他人に興味ない人はそうするのがいいかも
対人操作かもしれないけど、それを認めたうえでどう振る舞うか決めてるのであれば別に良いのでは。監督が選手に「良くやった」と褒めるのは次も良いプレーをしてほしいからだし、実際良いプレーに繋がるでしょう
最初の人の褒め下手とはちょっと違うけど、なんか変な本読みました?って聞きたくなるような不自然な褒め方する人いるよね。
『褒める目的は対人操作』アドラー心理学に学ぶ、褒めることとポジティブな感想を述べることの違いについて「自分の気持ちを伝えることが自分の課題」
「いつもよりすごく美味しい」「おばあちゃんのほうがやっぱり美味しい」 褒める時に、何かと比較して(他を貶して)褒める必要はないんだけどな/「これに比べると山岡さんの鮎はカスや。」
最初の褒めなきゃって人、気持ちと行動一致してなくて、褒めときゃ良いだろ感が強いこと気づいてなさそう…
ちょっとずれるけど何か褒めたり評価したりすると「上から目線だ」という人がいてわりと困る
毎日30回くらいは子供を褒めているが、思い通りに動いてもらうためです(もちろん動きません)
なんかなあ、もう少し現在の心理学の勉強をしてから書いてほしいよなあ。こういうのが心理学だと世間に誤解されたまま数十年、心理学が不憫だわ。
上澄を掬うトコと、植林してくのは両輪でもいいんだろうね。
子を褒めてるとメンヘラになるぞ。それでいいならまぁいいけど
だからアドラー心理学って嫌いなんだよ
豚もおだてりゃ木に登るって言葉もあるんだから、対人操作であっても相手のパフォーマンスを引き出すためなら褒めた方がいい。ただ、やり過ぎて調子に乗り出したら梯子を蹴り飛ばせ。
アドラー心理学でも相手の内発的動機づけを支援する勇気づけの言葉は賞賛されているよ。
最初の人は褒めと素直な感想とを分けることをやったところで、素直な感想を伝える相手を間違えそう…。引用されたツイートの子は、まず感想を伝える相手を確認してるところがすごい。
この人、自分の感覚無いのか?味とかそっちのけで機嫌取ることしかしてない。アドラー心理学の話してるのに否定から入るのもいたりさぁ。両方相手に引っ張られすぎ。それが上からだっつってんの。
最初のツイの人があまりにも褒めるの下手すぎて心がキュッとなってしまい、続きは読めてない
いつものn1(自分の経験もしくは知り合いの話)だらけで盛り上がれるXだなぁ。
「ほめるの下手すぎ」ってレベルじゃねーぞ!っていうね。対話型AI使おう。
褒めるのが対人操作なんじゃなくて、すべての発言が対人操作だよ、そう思ってない人が「言わなきゃ良いのに」みたいな地雷踏んでるケースが多すぎる
これだからエセアドラー本読んでアドラー心理学が云々とか言い出す奴はダメなんだわ
現代的な研究はいくらでもあるのに、科学的根拠の薄い古典的なアドラー心理学がもてはやされてるんだ
言葉を発すること自体が対人操作ですね
ずれるけど、自分の思い通りに誉められたり評価されないと不機嫌になる人いるよね。すごーいだけで満たされない人。めんどくさい。 だから言うほうが気を回してしまうのはある。
アドラー心理学を信奉している人は信用しづらい。てか、あれは本当に心理学なのか疑っている。アドラー心理学を広めようとした人がおかしいだけなのかもしれんけど。
褒める=対人操作・上から目線・上下関係や優劣の決定…普段から人を見下してるからそんなふうに捉えるんかな。褒める=尊敬・承認・思いやり・優しさでしょうに。最初の例は事実は違えどツイ主の優しさが伝わるよ。
アドラーとフロイト持ち出す人はまともな人少ない印象
プライベート限定なら本心ではなく、無理に褒めなきゃならない相手は 遠ざけた方がよくない?(子供やペット相手とかは除くとして)
褒めるとか叱るとか以前に周りの人に関心(と観察)が足りない印象。
意味がよくわからん。普通に美味しい時は「うま!」「おいしいこれ」って言う夫なので子もそういうようになり、言われなかったら「おいしくできてる?」て確認するくらいだ…
心理学、ただえさえ再現性の危機があるのに、アドラー「心理学」というだけで根拠づけするのはちょっと危ういような
最初のツイートの教訓は「何かを持ち上げるときに別の何かの評価を落とす必要はない」だと思うかな…引用の子供の褒め方はすごく素敵
難しいなあ。相手を喜ばせたいからほめる、というのもまあ対人操作だけど、よくないのかなあ
相手を操作というよりこっちの好感度を上げるために褒めてる。お世辞は天井知らずだよ
この文脈での「褒める」は、意識して褒めようとしたきの「褒める」を指している。それに続く投稿をみれば間違いない
DEAL(win-winの落としどころを探る)活動の一環であると明示して相手の美点の評価を述べるのと、DEALであることを隠蔽してステマ的な誉め言葉を言うのではだいぶ印象が違うよね。他人を操作しようとする人は本能的に嫌い。
私が数日会社を休んだ休み明けに、「どこ行ってたんですか?旅行ですか?」と元気よく聞いてきた後輩を思い出した。他人に興味がない人が無理するといいことないよ。ちなみに遠方の葬式だよ。
トゥギャッたんは4歳だから、「おいしい」とか「すごい」とか、思ったことをそのまま言うしかできないや。
褒めようとするより感想を言えばいいというのはその通りではあるけど、アドラー心理学はちょっと信用できないなと思ってしまうな
「どうでもいいから褒められるんですよ!」by ハイパーインフレーション
全ての発話は対人操作って言うけど、誰かとの関係とその相手自身は別物では。相手自身を操作するのは不健全、関係を操作するのは健全な関係構築なのでは。関係は自分と相手の間にあるもの、操作して良いのはそこまで
「影響がある」を操作っていうなら全ての対話は操作だけど、意思疎通の為に対話した結果と、結果を目的として意思疎通するのは、見た目は同じでも、誠意が違う。そして一番大事なのはそこなんじゃないのか。
えええ…と思ったけど、喜びの共有こそが幸せであり目的って話か。それでも褒めに拘るなら初手「おいしー」(立ち小orしゃがみ小スカらせ)で分岐、波動拳ならキャンセルで吸う、昇竜ならガードし着地際を吸う
褒めるときになにかと比較するから角が立つんだよ
どんだけ褒めてもそれで相手が嬉しくないなら別に褒めたことにならないよな。誰かに褒められてもびっくりするくらい心が動かないことがある。心が冷たいのは褒められて喜ばない自分か、言葉選びが雑な相手なのか
「褒める」=「おだてる」という意味で「ポジティブな感想」とは別概念とするならそうかもしれんが、愛情や感謝を伝えたくてナチュラルに褒める人もたくさん…褒め下手な人は褒められるのも下手(受け取り下手)
自分も褒めるの苦手な自覚があるので、素直にいいと思ったときしか言わないようにしてる。それならただの感想だし、ネガティブじゃないから誰も傷つけない。他人に興味ない人はそうするのがいいかも
対人操作かもしれないけど、それを認めたうえでどう振る舞うか決めてるのであれば別に良いのでは。監督が選手に「良くやった」と褒めるのは次も良いプレーをしてほしいからだし、実際良いプレーに繋がるでしょう
最初の人の褒め下手とはちょっと違うけど、なんか変な本読みました?って聞きたくなるような不自然な褒め方する人いるよね。