学び

「“メジャー”という言葉が嫌いなんです」。80年代、ラフィンノーズのデビューを手掛けた人物が語る、熱狂と挫折とインディーズ精神。 【トイズファクトリー代表取締役 CEO 稲葉貢一インタビュー前編】 | 特集

1: straychef 2025/10/19 00:28

大槻ケンヂがなんかいってたな

2: karatte 2025/10/19 00:49

"『仏陀L』のジャケット写真は、老人ホームで撮りたいという希望が出たので、クリエイティブのデザインチームが撮影可能な老人ホームを探し、お年寄りと大槻ケンヂ、キーボードの三柴理が並ぶ写真を撮りました"

3: uchiten 2025/10/19 07:39

つい最近某所でラフィンのレコードを見かけて久しぶりに聴きたくなった。かっこいいよね。

4: hatebunbun 2025/10/19 07:49

『戦争反対』が『1999』に改編されたことでパンクへの幻想が崩壊した初心な頃を思い出した。

5: FlowerLounge 2025/10/19 08:43

YOJI BIOMEHANIKAは元ラフィンのベーシスト

6: NOV1975 2025/10/19 09:14

このインタビューにおいてこの言葉をタイトルに持ってきたのなんでなん?

7: tan_tan_san 2025/10/19 09:40

この方がリンダリンダラバーソールに出てくる「いーんじゃない?」のIさんなのかな

8: Hagalaz 2025/10/19 09:52

おおあの時代のど真ん中にいた人なんだね

9: surume000 2025/10/19 10:44

おもしろい

10: kno 2025/10/19 11:39

85年

11: yarumato 2025/10/19 12:28

“1985年ファーストアルバムのレコーディングではプロデューサー『あー、こんなに下手なんてすごいな』と(笑)、ライブの熱を求めるパンクロックと、技術の正確さを追求するレコーディングは、相反するが血が騒ぐ”

12: netafull 2025/10/19 18:39

“「そうなんです。中でもすごいのは、今もラフィンノーズのライブのオープニングで流される『パラダイス』のオーケストラアレンジ。あれを作ったのが笹路さんです」”

13: aramaaaa 2025/10/22 21:54

俺の記憶では、ラフィンノーズは最初の頃は割と明るめのチャラいパンクバンドという印象だったんだが、死亡事故の後なんか妙な感じになった印象なんだよな。