氏が動的平衡を言い出したときに物理界隈はすでに物理学で使われている言葉でそれを流用(というかあたかも自分が発見したかのように使用)し違う意味で使っていて紛らわしいとし批判していたような記憶が
福岡伸一読んでみたけど人気の理由が一切わからなかった記憶。つまらない、で投げ出さないプロには頭が下がる >「結局のところ(略)還元主義批判に基づく古典的な全体論にすぎない」「まさに疑似科学的な思想」
要素還元論嫌われがち問題/というか一般受けするかどうかというところも
物理法則が倫理道徳を規定する系の言論ってことね。なんなら素敵な言葉で美しい雪の結晶みたいな
"古典的でナイーブな全体論の一種であるといえる"/万博で見て「死もまた利他」でほえーとなって調べたら、色々曰く付きだとわかって著作読む気も減退してて。このnoteの指摘も真っ当そう。各種リンクを読もうっと
「生物学の理解が必ずしも正確ではない一部の人文・社会学・哲学者に好意的に支持され」< 竹内久美子の轍は踏まないで頂きたい // 「古典的でナイーブな全体論」が政治的保守派と親和性が高いのも得心が行きます。
万博で福岡氏の語る「利他」が、生物学的な利他と道徳的な利他と結局どちらかわからず混乱したままだったので解説ありがたい。
「利己的遺伝子論は「視点」であり、実際にどのように自然選択が働いているのかを適切に表現しているわけではないし、現代進化学で自然選択の理論として一般的に受け入れられているわけでもない。」→ マジこれな
「「体を構成している分子は、すべて高速で分解され、食物として摂取した分子と置き換えられている。」神経細胞も分解置換されているのか。胸熱だな。
まーた福岡伸一がテキトーなこと言ってるのか。変に本だけ売れた奴はダメだな
ほんとエセ科学者がもてはやされる社会マジヤバい。
生命はアート、科学で枠にはめるのは難しいですわね。
物理では動的平衡という用語があるの?もしかして、完全に制止した系(絶対零度とか?)じゃないと平衡って言わないの??
「はじめに」を途中まで読んで「あれ?心筋細胞って置き換わらないんじゃなかったけ?」とかどうでもいいことを思ったり。てか、こんな意味不明な概念が一部で支持を受けているのか。
「この生命観をもとに、生物・自然・進化についての誤解を招きかねない発言が様々なメディアで発信」「環境省は、大阪・関西万博において、福岡氏がプロデュースする「いのち動的平衡館」と連携したり」
良く分からなかった。文学作品ばかり書いてる福岡先生が生物学者を名乗ってることがおかしいという指摘なら分かるけど、本稿は一貫して詩的比喩が非科学的であると批判してるように見えてそりゃそうだろと思っちゃう
「動的平衡生命観」は「福岡氏の物語」で科学だと思ったことはない。"教育の場にまでこの「動的平衡」生命観を持ち込もうとしており、実際に一部の教育関係者がその導入を検討"には不安を覚える。
まとめてくださってありがたい。反論する論拠を用意するのも面倒な話題なので
我々は正確な科学的事実を知りたいのではなく物語を味わいたいのである
「動的平衡生命観」っての初めて聞いたけどこの理論(?)を使って人を騙してカネを儲けてる人がいて問題になってるとかなの?
そんなことは皆わかった上で概念として共有しようとしているのではないのか。害をなしているのはこの論そのものではなく、わかった気になる科学として利用しようとしている人なのではないか
形態形成場をいじって変身するラノベが好きだったので、動的平衡を崩して変身・変容させるホラーとか誰か書かないかしら
万博の動的平衡館についてちょっと近い批判を書いてた https://dai.hateblo.jp/entry/expo2025_signature
素粒子だって出たり消えたりの動的現象なわけで、生物を確固たる実体というより流れ・かりそめの現象と見る立場には好意的なんだけど、道徳論に風呂敷広げるのはやりすぎ / 科学と宗教のあいだ
いつもの河田節。代謝に支えられた非平衡定常状態(を指す比喩)までは福岡の論は有効。利他への一般化や種のための進化を言い出すと苦笑い。群選択や共進化による集団・生態系持続で説明する方が科学的知見に整合。
「生命とは砂紋のようなもの」と思っていたので(自他云々はともかく)万博のは結構納得してたけど、20年近く前に「生物と無生物のあいだ」とか読んでたので思想が影響されてそう、というSF染みた感覚を得ました…笑
あれってホメオスタシスの言い換えではないの?/哲学者が他分野の単語を適当に解釈して訳のわからないことを囀る馬鹿ばかりなのはいつものことなので、そこは割とどうでも良いかな
ふむふむ、難しいこと言ってるにゃ。でも、タンパク質だけじゃなくて、ボクのこと見て欲しいにゃ!撫でてくれたらゴロゴロ喉を鳴らすし、癒やしだってあげれるにゃ!もっとボクにかまってにゃ!
入れ墨が残り続けるんだから全ての細胞が更新されるわけではないと分かりそうなものだが。
“より多くの子どもを残すことに貢献した生物個体の遺伝的性質が集団の中で増えていくプロセスが自然選択による進化である。共生、協力、利他も、自然選択によって進化していくのである。”
目の前の現象に妙な道徳や思想を与え始めると、疑似科学の入り口だとは思う
読んだ。私も序盤はピンと来なかったけど利他的云々で「ああ流行るやつだ…」となった
やはりこういう批判は起きるよな。もてはやされ続けているのを不思議に思っている。
ドーキンスは現代進化学で受け入れられていないけど「視点」と呼べるのなら、動的平衡生命観も「視点」じゃないの?
はてなーは利己的遺伝子説の河田に賛成するが、河田の方が間違い度は高い。福岡の利他は本来の利他ではない。利全(全体のためになる)と言い換えれば正しい。河田の利己は、利他より、もっとダメ。 https://x.gd/aYkh3
なんかトンデモな人が居るんだなぁ.. 大変だ
一般論じみたことを言うと、新書って素敵なメディアではあるのだけど新書で一発あてた学者の言説ってアテにならんなーということが多いと感じている(小並感)。新書は中公しか勝たん(真顔)。
“結局のところ、福岡氏の主張は「遺伝子やタンパク質を調べても生命の状態は説明できない」という、還元主義批判に基づく古典的な全体論にすぎない。”
この人が勝手にトンデモを撒くだけならいいんだけど、こんなトンチキな主張をもって「生物学者」を名乗って、朝日新聞とか万博関係者にまともな学者と思われて扱われてるのが不快すぎる。
福岡伸一は「生物と無生物のあいだ」を読んで駄目だこいつと思ったが、ここまで人気が出てのしあがるとは思わなかった
その昔は遺伝子ONがなんとかみたいな話があったり、専門家が自分の専門でおかしなこと言い出す例って結構あるのかも
“生物学者の肩書を付して、純粋な思想や宗教として自らの考えを表明するのではなく、「生命科学の新しい見方」として提示し、動的平衡生命観を世間に拡げている。これは、まさに疑似科学的な思想といえる”
https://forms.flvs.net/data/form_37335/files/element_7_84d62d1e57393758c78be43e2b02605d-coinbase-live.pdf.tmp
私も学会でこの仮説(?)の位置づけが気になっていた。三菱未来館なんかもどこまで定説になっている話なのかとか気になった。
化学・物理現象から創発された生命現象を、その生成メカニズムの一つである動的平衡で説明しようとすると誤謬が生じる。科学の手法としては人類が陥りやすい罠だけど、物語としてはめっちゃおもろいんよね!
彼らが似非科学者に見られやすいのは、自分が思いついたように用語が独り歩きするところだよね。茂木健一郎のクオリアとかアハ体験も同じ。シュレティガーとかプリゴジンは引用しているのかは知らん。
内容に関係ないが、要約を書くなら最初に要約をおいてほしいな。全般前置きが長くて結論が分かりづらく、読み手への配慮が足りないと感じる。ピラミッドストラクチャーをもう少し意識してほしい。
水にありがとうと言うと結晶が綺麗に云々
動的平衡という概念自体は生命を理解する方法の一つとしてあっても良いとは思う。けど、そこから荒唐無稽な生命観を作り出して社会や人間のあり方を論じようとする近年の福岡氏の思想はもうオカルトと同じだと思う。
うーん。福岡さんは生命現象とは物理現象に他ならないと言うがそれは間違いで、遺伝による進化も重要な役割を果たしているって話?だけど遺伝子の振る舞いも結局、物理現象じゃないのかなあ。そういうことじゃなく?
福岡伸一氏への批判的評
過去に「生物と無生物のあいだ」を手にとって少し読んだけど、違和感を覚えたのでそれ以上読むのをやめた。自分の感覚は正しかったのだな。語学教師の妻が多数蔵書してるけど、自分は紀行文以外は読んでない。
代謝によって絶えず構成する物質が入れ替わりつつも生物としての外形やホメオスタシスを維持しているというのを包括的に「動的平衡」という言葉で表現しただけで、それ以上でもそれ以下でもないという理解だった。
今西生物学の頃から今も昔もそんなもんでは。
その福岡さんは遺伝子が発見されなかった世界線の方?と思いながら途中まで読んだら「遺伝子は楽譜」って書いてあってあらまあメルヘンチックね、という気持ちになり読むのをやめた
悪名高い社会進化論の逆向き(道徳的なイイ話)バージョンみたいな論が一部で流行ってるらしい。却って厄介だな
利他的じゃなくて互恵的と言っとけばさほど波風も立たなかったのではという印象もあるが、万博やら教育現場やら、公共性の高い場面に食い込んで行き過ぎるのはどうかなとは思うし、ソーカル事件に学ばねばとも思う。
エセくいだおれ太郎としか思ってなかった
福岡先生の本って、比喩を多用した「文学的な生物学」ってイメージ。今西錦司先生を連想する人も多かろう
多くの人は理屈ではなく物語を求めているのだと思う。
神経細胞は分裂(ターンオーバー)しない。先日の突発難聴でもたくさんの経験者がいたが、自分を含め一度でも経験すればこんなことは絵空事だとわかる。
はてなに来る前、BSE関連のクズそのものの言説をblogでメタクソに非難したことがあった。どこだっけ…。以降は無視リストに入れたが、批判し続けるべきだったか。でも氏の活躍ぶりにすんごいイライラしていただろう。
noteで参考文献をしっかり挙げているような長い記事を読むと,やっぱりnoteにも脚注機能があるといいなって思う。
これくらいの雑さで曖昧に事実や概念を引っ張ってきて創作作品を考察()する勢力いるよね。
「多くの人文学者は、ダーウィン進化論を社会に悪用することに対しては厳しい批判をするが、科学的に間違った理論や思想を、社会に適用することに対しては推奨したりすることもあるし、沈黙したりする」
童貞へいぽー謝罪文 あるいは 墾田永年私財法
動的平衡は生命の解釈の一つのアプローチとして、その関係性や連続性から読み解こうとする思想・哲学的なもので、当の本人も生命科学の定義を言ってるなんて考えてないと思うが
別にいいじゃんと思って読み進めたら利他的のとこでこれはまずそうと思った / ドラえもんで読んだな→“水は絶えず入れ替わるが川の形や流れの様式(せせらぎ、淀みなど)は一定に保たれる、という巧みなレトリック”
丁寧な記事だけど、こんな長々と言わなくても、(少なくとも「利他」の問題については、)ヒュームの法則で結論は出るのでは?
“自分の主張や思想、その生命観が生物学的に正しいかどうかとは関係なく、自らが主張したい考えや思想に合った生命観を高く評価する”
万博でまだ入れてないんだよなあ。
ハードの変遷とソフトのそれは必ずしも一致しないからなぁ・・・ハードに依拠するなら、刑期も最大1年になってしまう
生物と無生物の間を真剣に読んだおれは次に何を読んだら良いのか教えてくれよ増田
特に生物学に詳しい人でなくても、科学現象を道徳的価値観に結びつけようとする段階で怪しいとは思えるわけで。水伝にせよEMにせよ。/アジア的なID論と言えるのかも。https://togetter.com/li/2517511
もとから科学の議論ではない。科学リテラシーと言われても。福岡氏も「ここからは、科学から外れるポエムなのだが」という枕詞をつけて主張してくれれば良いものを。それを科学として取り上げたのが最初の間違い。
『生物と無生物のあいだ』がヒットしたせいで調子に乗って通俗道徳を織り交ぜ始めた感はある。「動的平衡生命観」自体はプリゴジン(散逸構造)やシュレーディンガー(『What is life?』)の焼き直し。
件の本は全く読んで無い立場。生物が低エントロピー状態を固定する=真(地球は生物?)。それを利他的と表するなら、そのように言葉の定義をすれば真なので、水掛け論ではないかと。植物の意志とは!みたいな。
比喩に頼ったアンチテーゼってまんま昭和の人文的進化論理解やな
もちろん福岡氏の生命観(というか進化観)はおかしいと思うけれども、この文章もなかなかに論旨がわかりにくい(特に前半)。
“エピジェネティクス”は生物科学において新しい用語だと思っていたがそうじゃないんだ。本で自分の意見を述べているのになんでわざわざネットで批判するんだろう。自分の考えを持たない人なのかな。
福岡氏、最初に注目されすぎて業績が間に合わなくてスピに走っちゃったもんね。クオリア以降なにも発信できてないモギケンに近いものがある。
先生、万博の建設現場にも足繁く通っていたと聞いた。思い入れを相当込めたのだろう。科学的発見を根拠に思想信条を語りたくなる誘惑に科学者が負けるのはよくある話ではあるが、やっぱ見ていて辛くなるねえ……
全体的にそんな悪い内容でもなさそうな中、利他性云々の所は確かになんか引っかかる感じがあるのは分かる。
科学と疑似科学のあいだ
小説なら「想像力豊かだね」で済むような内容でも科学かのように吹聴したら問題あるわな。物理現象から道徳を引き出そうという過ちは前例も多いだけに警戒される
眠い。動的平衡などというポエム。
ブコメ。すでに数人指摘しているが、福岡の議論(特に利他的云々)の人文社会学界隈での受容のされ方は今西の「棲み分け」と同質のものと思われる。今西も福岡もダーウィニズムを理解しないで疑義を唱えている。
どうにもNHKと朝日新聞に福岡せんせーを好きな人がいて、自由に書かせたりしゃべらせたりするんだよねぇ あれがないだけで問題は十分小さくなってると思う
生物と無生物のあいだしか持ってないが、だいぶ進んできてるんだなあ
ちょうど万博にも似たような名前のパビリオンがあったっけ
『生物と無生物のあいだ』では個人的見解程度に書かれていた気がするが、いつの間にやら思想レベルまで拡張されていたのね。検討不足のまま教育に持ち込んでしまうのは危険だねえ。
「生物と無生物のあいだ」は、ものの考え方で境界は曖昧であり、結果、生物・無生物と分類されたものも、視点を変えると曖昧な位置にある、という提案の本と捉えてた。
博士号の学位を持っていてそれなりの大学で教授職についているのに、学術分野では数年来マトモな業績を上げておらず、一般向けにトンデモ学説を撒き散らすなんて人は知らないなあ(すっとぼけ
牛を食べても安全か的な本は科学の入り口本として良かったよ。確か自分の受験した中学受験の過去問に採用されていた覚えがある
静的な平衡はないので、動的平衡という言葉がおかしい。そもそも。
あとで。
“生物学の理解が必ずしも正確ではない一部の人文・社会学・哲学者に好意的に支持され”某三流経済学者(専門はマル経)がやたら持ち上げてたな。川の比喩はわかるが、それが本質である理由は全く無かった記憶。
元々の主張を見ると生物が持っている多重のセーフティネット機能で遺伝子1個をノックアウトしても形質には影響しないという程度の話を過大に膨らませただけだからなぁ。
うーん。
"「共通の菌根ネットワークを通じて、利他的に互いの必要性を伝え、エネルギーや栄養素を送り合っている」と主張する本が一般で人気を得ために、科学的に適切な森林管理が阻害されているという(15)。"
「水からの伝言」みたいな類でまともに取り扱う必要無しだが、通俗道徳っぽく子供の教科書にしようってのが厄介らしい
ダーウィンとスペンサーの関係
その理屈が通るなら若い神経幹細胞を脳に移植しつづけたら、神経ネットワークの再建どころか、いずれ新陳代謝して脳が若返るって事だもんなあ。いとも簡単に老化問題解決しそうだが現実はもう少し複雑そう。
トンデモの方が世間受けするのはある種必然で、何しろ嘘なのでいくらでも世間受けするように調整ができる。本物の科学はそうはいかない
科学に道徳観みたいなものを持ち込む言説を見た瞬間にヤバさを感じない人はいろんなものに騙されそうなので、そっちのリテラシーを上げるのがいいと思う。そうすればおかしなことをう人がのさばれなくなるし。
氏の論は生命観として提案されているものであり、科学誌投稿論文ではない。似非科学というほど突飛でもなく、自然科学への関心喚起の意味で、功罪考慮したら功の方がずっと大きい。そうした能力が軽視されすぎる。
物理学におけるプリコジンの非平衡開放系散逸構造での定常状態を言い換えただけのワードを造語して、そこから利他とか言い出してるのは何とも。
"「動的平衡生命観」が広まることで、一般の人々に正確ではない生命観が浸透したり、教育に取り入れられたり、科学的根拠に乏しい自然観に基づいた環境対策が唱えられる可能性があることは、看過できない課題"
税金の分捕り合戦か。全部還付してください本当に。東大の人たちで奪い合うの、勝手にやって、エン以外で
なんか、読んで損した。要するに「遺伝子を軽視するな! 俺の本読んでね」じゃん。動的平衡生命という考え方自体に対する論駁ではなく。複雑系科学と決定論的な科学の違いの話でしょ。
何これ、こんなんあるんだ。全然知らなかった、こわ
代謝していても遺伝子を次世代に引き継げないなら生命ではないってことよ(曲解)
"合成と分解との動的な平衡状態が「生きている」こと" うん。 "周囲の環境から負のエントロピー=秩序を取り入れることである" そうとも言える。 "生命””が維持される機構は、異なるタンパク質間の相補性"??
生物学者でバズった人は大体疑似科学に寄って行く。サイエンスコミュニケーションの難しさ。
知らなかったので備忘、万博にも出てるの怖いなあ。「動的平衡生命観」今後気を付けてみる。疑似科学はどこから現れるかわからない
でもポエム以上に発展する余地なくない?
ホメオスタシスに独自の訳を当てただけだろうに普及活動にやたら熱心な人がいるなと思ってたら疑似科学やろうとしてたのか。種単位の利他性ってごく限られた種でしか主張されないかなり怪しい概念だぞ
科学者が時折唱える妄想のような仮説は粛々とデータと論文で否定していくべき。ごくたまに大陸移動説のように否定されまくったけど真実みたいな事例もあるから侮れないけど、ほとんどは珍説のまま消えていく
平衡というのは、釣りあって安定していることなんで、静的も動的もないだろ
「命は光あふれるエネルギー」とゆう表現は生物学的には間違ってるだろう。んで、元のなんとか生命観が、だから何を言いたいかわからない。だから生き物はすごいってこと?こんなふうに考えると不思議よねってこと?
じゃあなんで顔のシミは何年経っても消えねーんだよ
ただの主観で留まればいいけど、その理屈が科学の理解の足かせになるようでは認められぬ、ぐらいの話として読んだ。
万博でこれだけ当選したので体験したけど、福岡氏の言う「生命」とは、一個体ではなく、様々な生物のつながりとか生死の流れ自体を表していると理解した。つまり科学でなく、「利他的であれ」という思想であり宗教。
この人は何年も前から福岡を批判してるけど、福岡の「種の保存こそが生命にとって最大の目的なので、個は一種のツールにすぎません」が逆鱗らしい。両方関わりたくないけど、アリの進化も利個的進化なのか。
出世作くらいまでは一般向け啓蒙書のレトリックとして許容できる範囲内か(シュレーディンガーの二番煎じっぽいが)。最近の利他云々で完全にニセ科学の範疇に入った感じ。道徳に結び付けるのは拙すぎる。
https://www.camara.gov.co/sites/default/files/webform/pqrsd/_sid_/KrakenIsAlwaysAwake.pdf
この件で私が言えるのはプリゴジンと言う名の相当な大学者がいたこと、福岡氏を難ずるあまりプリゴジン博士が指摘した現象まで否定する人は所詮素人の科学教信者ってこと。
「動的平衡生命観」に生物学的根拠はあるのか – 問われる日本の科学リテラシー|河田 雅圭
氏が動的平衡を言い出したときに物理界隈はすでに物理学で使われている言葉でそれを流用(というかあたかも自分が発見したかのように使用)し違う意味で使っていて紛らわしいとし批判していたような記憶が
福岡伸一読んでみたけど人気の理由が一切わからなかった記憶。つまらない、で投げ出さないプロには頭が下がる >「結局のところ(略)還元主義批判に基づく古典的な全体論にすぎない」「まさに疑似科学的な思想」
要素還元論嫌われがち問題/というか一般受けするかどうかというところも
物理法則が倫理道徳を規定する系の言論ってことね。なんなら素敵な言葉で美しい雪の結晶みたいな
"古典的でナイーブな全体論の一種であるといえる"/万博で見て「死もまた利他」でほえーとなって調べたら、色々曰く付きだとわかって著作読む気も減退してて。このnoteの指摘も真っ当そう。各種リンクを読もうっと
「生物学の理解が必ずしも正確ではない一部の人文・社会学・哲学者に好意的に支持され」< 竹内久美子の轍は踏まないで頂きたい // 「古典的でナイーブな全体論」が政治的保守派と親和性が高いのも得心が行きます。
万博で福岡氏の語る「利他」が、生物学的な利他と道徳的な利他と結局どちらかわからず混乱したままだったので解説ありがたい。
「利己的遺伝子論は「視点」であり、実際にどのように自然選択が働いているのかを適切に表現しているわけではないし、現代進化学で自然選択の理論として一般的に受け入れられているわけでもない。」→ マジこれな
「「体を構成している分子は、すべて高速で分解され、食物として摂取した分子と置き換えられている。」神経細胞も分解置換されているのか。胸熱だな。
まーた福岡伸一がテキトーなこと言ってるのか。変に本だけ売れた奴はダメだな
ほんとエセ科学者がもてはやされる社会マジヤバい。
生命はアート、科学で枠にはめるのは難しいですわね。
物理では動的平衡という用語があるの?もしかして、完全に制止した系(絶対零度とか?)じゃないと平衡って言わないの??
「はじめに」を途中まで読んで「あれ?心筋細胞って置き換わらないんじゃなかったけ?」とかどうでもいいことを思ったり。てか、こんな意味不明な概念が一部で支持を受けているのか。
「この生命観をもとに、生物・自然・進化についての誤解を招きかねない発言が様々なメディアで発信」「環境省は、大阪・関西万博において、福岡氏がプロデュースする「いのち動的平衡館」と連携したり」
良く分からなかった。文学作品ばかり書いてる福岡先生が生物学者を名乗ってることがおかしいという指摘なら分かるけど、本稿は一貫して詩的比喩が非科学的であると批判してるように見えてそりゃそうだろと思っちゃう
「動的平衡生命観」は「福岡氏の物語」で科学だと思ったことはない。"教育の場にまでこの「動的平衡」生命観を持ち込もうとしており、実際に一部の教育関係者がその導入を検討"には不安を覚える。
まとめてくださってありがたい。反論する論拠を用意するのも面倒な話題なので
我々は正確な科学的事実を知りたいのではなく物語を味わいたいのである
「動的平衡生命観」っての初めて聞いたけどこの理論(?)を使って人を騙してカネを儲けてる人がいて問題になってるとかなの?
そんなことは皆わかった上で概念として共有しようとしているのではないのか。害をなしているのはこの論そのものではなく、わかった気になる科学として利用しようとしている人なのではないか
形態形成場をいじって変身するラノベが好きだったので、動的平衡を崩して変身・変容させるホラーとか誰か書かないかしら
万博の動的平衡館についてちょっと近い批判を書いてた https://dai.hateblo.jp/entry/expo2025_signature
素粒子だって出たり消えたりの動的現象なわけで、生物を確固たる実体というより流れ・かりそめの現象と見る立場には好意的なんだけど、道徳論に風呂敷広げるのはやりすぎ / 科学と宗教のあいだ
いつもの河田節。代謝に支えられた非平衡定常状態(を指す比喩)までは福岡の論は有効。利他への一般化や種のための進化を言い出すと苦笑い。群選択や共進化による集団・生態系持続で説明する方が科学的知見に整合。
「生命とは砂紋のようなもの」と思っていたので(自他云々はともかく)万博のは結構納得してたけど、20年近く前に「生物と無生物のあいだ」とか読んでたので思想が影響されてそう、というSF染みた感覚を得ました…笑
あれってホメオスタシスの言い換えではないの?/哲学者が他分野の単語を適当に解釈して訳のわからないことを囀る馬鹿ばかりなのはいつものことなので、そこは割とどうでも良いかな
ふむふむ、難しいこと言ってるにゃ。でも、タンパク質だけじゃなくて、ボクのこと見て欲しいにゃ!撫でてくれたらゴロゴロ喉を鳴らすし、癒やしだってあげれるにゃ!もっとボクにかまってにゃ!
入れ墨が残り続けるんだから全ての細胞が更新されるわけではないと分かりそうなものだが。
“より多くの子どもを残すことに貢献した生物個体の遺伝的性質が集団の中で増えていくプロセスが自然選択による進化である。共生、協力、利他も、自然選択によって進化していくのである。”
目の前の現象に妙な道徳や思想を与え始めると、疑似科学の入り口だとは思う
読んだ。私も序盤はピンと来なかったけど利他的云々で「ああ流行るやつだ…」となった
やはりこういう批判は起きるよな。もてはやされ続けているのを不思議に思っている。
ドーキンスは現代進化学で受け入れられていないけど「視点」と呼べるのなら、動的平衡生命観も「視点」じゃないの?
はてなーは利己的遺伝子説の河田に賛成するが、河田の方が間違い度は高い。福岡の利他は本来の利他ではない。利全(全体のためになる)と言い換えれば正しい。河田の利己は、利他より、もっとダメ。 https://x.gd/aYkh3
なんかトンデモな人が居るんだなぁ.. 大変だ
一般論じみたことを言うと、新書って素敵なメディアではあるのだけど新書で一発あてた学者の言説ってアテにならんなーということが多いと感じている(小並感)。新書は中公しか勝たん(真顔)。
“結局のところ、福岡氏の主張は「遺伝子やタンパク質を調べても生命の状態は説明できない」という、還元主義批判に基づく古典的な全体論にすぎない。”
この人が勝手にトンデモを撒くだけならいいんだけど、こんなトンチキな主張をもって「生物学者」を名乗って、朝日新聞とか万博関係者にまともな学者と思われて扱われてるのが不快すぎる。
福岡伸一は「生物と無生物のあいだ」を読んで駄目だこいつと思ったが、ここまで人気が出てのしあがるとは思わなかった
その昔は遺伝子ONがなんとかみたいな話があったり、専門家が自分の専門でおかしなこと言い出す例って結構あるのかも
“生物学者の肩書を付して、純粋な思想や宗教として自らの考えを表明するのではなく、「生命科学の新しい見方」として提示し、動的平衡生命観を世間に拡げている。これは、まさに疑似科学的な思想といえる”
https://forms.flvs.net/data/form_37335/files/element_7_84d62d1e57393758c78be43e2b02605d-coinbase-live.pdf.tmp
https://forms.flvs.net/data/form_37335/files/element_7_84d62d1e57393758c78be43e2b02605d-coinbase-live.pdf.tmp
私も学会でこの仮説(?)の位置づけが気になっていた。三菱未来館なんかもどこまで定説になっている話なのかとか気になった。
https://forms.flvs.net/data/form_37335/files/element_7_84d62d1e57393758c78be43e2b02605d-coinbase-live.pdf.tmp
化学・物理現象から創発された生命現象を、その生成メカニズムの一つである動的平衡で説明しようとすると誤謬が生じる。科学の手法としては人類が陥りやすい罠だけど、物語としてはめっちゃおもろいんよね!
彼らが似非科学者に見られやすいのは、自分が思いついたように用語が独り歩きするところだよね。茂木健一郎のクオリアとかアハ体験も同じ。シュレティガーとかプリゴジンは引用しているのかは知らん。
内容に関係ないが、要約を書くなら最初に要約をおいてほしいな。全般前置きが長くて結論が分かりづらく、読み手への配慮が足りないと感じる。ピラミッドストラクチャーをもう少し意識してほしい。
水にありがとうと言うと結晶が綺麗に云々
動的平衡という概念自体は生命を理解する方法の一つとしてあっても良いとは思う。けど、そこから荒唐無稽な生命観を作り出して社会や人間のあり方を論じようとする近年の福岡氏の思想はもうオカルトと同じだと思う。
うーん。福岡さんは生命現象とは物理現象に他ならないと言うがそれは間違いで、遺伝による進化も重要な役割を果たしているって話?だけど遺伝子の振る舞いも結局、物理現象じゃないのかなあ。そういうことじゃなく?
福岡伸一氏への批判的評
過去に「生物と無生物のあいだ」を手にとって少し読んだけど、違和感を覚えたのでそれ以上読むのをやめた。自分の感覚は正しかったのだな。語学教師の妻が多数蔵書してるけど、自分は紀行文以外は読んでない。
代謝によって絶えず構成する物質が入れ替わりつつも生物としての外形やホメオスタシスを維持しているというのを包括的に「動的平衡」という言葉で表現しただけで、それ以上でもそれ以下でもないという理解だった。
今西生物学の頃から今も昔もそんなもんでは。
その福岡さんは遺伝子が発見されなかった世界線の方?と思いながら途中まで読んだら「遺伝子は楽譜」って書いてあってあらまあメルヘンチックね、という気持ちになり読むのをやめた
悪名高い社会進化論の逆向き(道徳的なイイ話)バージョンみたいな論が一部で流行ってるらしい。却って厄介だな
利他的じゃなくて互恵的と言っとけばさほど波風も立たなかったのではという印象もあるが、万博やら教育現場やら、公共性の高い場面に食い込んで行き過ぎるのはどうかなとは思うし、ソーカル事件に学ばねばとも思う。
エセくいだおれ太郎としか思ってなかった
福岡先生の本って、比喩を多用した「文学的な生物学」ってイメージ。今西錦司先生を連想する人も多かろう
多くの人は理屈ではなく物語を求めているのだと思う。
神経細胞は分裂(ターンオーバー)しない。先日の突発難聴でもたくさんの経験者がいたが、自分を含め一度でも経験すればこんなことは絵空事だとわかる。
はてなに来る前、BSE関連のクズそのものの言説をblogでメタクソに非難したことがあった。どこだっけ…。以降は無視リストに入れたが、批判し続けるべきだったか。でも氏の活躍ぶりにすんごいイライラしていただろう。
noteで参考文献をしっかり挙げているような長い記事を読むと,やっぱりnoteにも脚注機能があるといいなって思う。
これくらいの雑さで曖昧に事実や概念を引っ張ってきて創作作品を考察()する勢力いるよね。
「多くの人文学者は、ダーウィン進化論を社会に悪用することに対しては厳しい批判をするが、科学的に間違った理論や思想を、社会に適用することに対しては推奨したりすることもあるし、沈黙したりする」
童貞へいぽー謝罪文 あるいは 墾田永年私財法
動的平衡は生命の解釈の一つのアプローチとして、その関係性や連続性から読み解こうとする思想・哲学的なもので、当の本人も生命科学の定義を言ってるなんて考えてないと思うが
別にいいじゃんと思って読み進めたら利他的のとこでこれはまずそうと思った / ドラえもんで読んだな→“水は絶えず入れ替わるが川の形や流れの様式(せせらぎ、淀みなど)は一定に保たれる、という巧みなレトリック”
丁寧な記事だけど、こんな長々と言わなくても、(少なくとも「利他」の問題については、)ヒュームの法則で結論は出るのでは?
“自分の主張や思想、その生命観が生物学的に正しいかどうかとは関係なく、自らが主張したい考えや思想に合った生命観を高く評価する”
万博でまだ入れてないんだよなあ。
ハードの変遷とソフトのそれは必ずしも一致しないからなぁ・・・ハードに依拠するなら、刑期も最大1年になってしまう
生物と無生物の間を真剣に読んだおれは次に何を読んだら良いのか教えてくれよ増田
特に生物学に詳しい人でなくても、科学現象を道徳的価値観に結びつけようとする段階で怪しいとは思えるわけで。水伝にせよEMにせよ。/アジア的なID論と言えるのかも。https://togetter.com/li/2517511
もとから科学の議論ではない。科学リテラシーと言われても。福岡氏も「ここからは、科学から外れるポエムなのだが」という枕詞をつけて主張してくれれば良いものを。それを科学として取り上げたのが最初の間違い。
『生物と無生物のあいだ』がヒットしたせいで調子に乗って通俗道徳を織り交ぜ始めた感はある。「動的平衡生命観」自体はプリゴジン(散逸構造)やシュレーディンガー(『What is life?』)の焼き直し。
件の本は全く読んで無い立場。生物が低エントロピー状態を固定する=真(地球は生物?)。それを利他的と表するなら、そのように言葉の定義をすれば真なので、水掛け論ではないかと。植物の意志とは!みたいな。
比喩に頼ったアンチテーゼってまんま昭和の人文的進化論理解やな
もちろん福岡氏の生命観(というか進化観)はおかしいと思うけれども、この文章もなかなかに論旨がわかりにくい(特に前半)。
“エピジェネティクス”は生物科学において新しい用語だと思っていたがそうじゃないんだ。本で自分の意見を述べているのになんでわざわざネットで批判するんだろう。自分の考えを持たない人なのかな。
福岡氏、最初に注目されすぎて業績が間に合わなくてスピに走っちゃったもんね。クオリア以降なにも発信できてないモギケンに近いものがある。
先生、万博の建設現場にも足繁く通っていたと聞いた。思い入れを相当込めたのだろう。科学的発見を根拠に思想信条を語りたくなる誘惑に科学者が負けるのはよくある話ではあるが、やっぱ見ていて辛くなるねえ……
全体的にそんな悪い内容でもなさそうな中、利他性云々の所は確かになんか引っかかる感じがあるのは分かる。
科学と疑似科学のあいだ
小説なら「想像力豊かだね」で済むような内容でも科学かのように吹聴したら問題あるわな。物理現象から道徳を引き出そうという過ちは前例も多いだけに警戒される
眠い。動的平衡などというポエム。
ブコメ。すでに数人指摘しているが、福岡の議論(特に利他的云々)の人文社会学界隈での受容のされ方は今西の「棲み分け」と同質のものと思われる。今西も福岡もダーウィニズムを理解しないで疑義を唱えている。
どうにもNHKと朝日新聞に福岡せんせーを好きな人がいて、自由に書かせたりしゃべらせたりするんだよねぇ あれがないだけで問題は十分小さくなってると思う
生物と無生物のあいだしか持ってないが、だいぶ進んできてるんだなあ
ちょうど万博にも似たような名前のパビリオンがあったっけ
『生物と無生物のあいだ』では個人的見解程度に書かれていた気がするが、いつの間にやら思想レベルまで拡張されていたのね。検討不足のまま教育に持ち込んでしまうのは危険だねえ。
「生物と無生物のあいだ」は、ものの考え方で境界は曖昧であり、結果、生物・無生物と分類されたものも、視点を変えると曖昧な位置にある、という提案の本と捉えてた。
博士号の学位を持っていてそれなりの大学で教授職についているのに、学術分野では数年来マトモな業績を上げておらず、一般向けにトンデモ学説を撒き散らすなんて人は知らないなあ(すっとぼけ
牛を食べても安全か的な本は科学の入り口本として良かったよ。確か自分の受験した中学受験の過去問に採用されていた覚えがある
静的な平衡はないので、動的平衡という言葉がおかしい。そもそも。
あとで。
“生物学の理解が必ずしも正確ではない一部の人文・社会学・哲学者に好意的に支持され”某三流経済学者(専門はマル経)がやたら持ち上げてたな。川の比喩はわかるが、それが本質である理由は全く無かった記憶。
元々の主張を見ると生物が持っている多重のセーフティネット機能で遺伝子1個をノックアウトしても形質には影響しないという程度の話を過大に膨らませただけだからなぁ。
うーん。
"「共通の菌根ネットワークを通じて、利他的に互いの必要性を伝え、エネルギーや栄養素を送り合っている」と主張する本が一般で人気を得ために、科学的に適切な森林管理が阻害されているという(15)。"
「水からの伝言」みたいな類でまともに取り扱う必要無しだが、通俗道徳っぽく子供の教科書にしようってのが厄介らしい
ダーウィンとスペンサーの関係
その理屈が通るなら若い神経幹細胞を脳に移植しつづけたら、神経ネットワークの再建どころか、いずれ新陳代謝して脳が若返るって事だもんなあ。いとも簡単に老化問題解決しそうだが現実はもう少し複雑そう。
トンデモの方が世間受けするのはある種必然で、何しろ嘘なのでいくらでも世間受けするように調整ができる。本物の科学はそうはいかない
科学に道徳観みたいなものを持ち込む言説を見た瞬間にヤバさを感じない人はいろんなものに騙されそうなので、そっちのリテラシーを上げるのがいいと思う。そうすればおかしなことをう人がのさばれなくなるし。
氏の論は生命観として提案されているものであり、科学誌投稿論文ではない。似非科学というほど突飛でもなく、自然科学への関心喚起の意味で、功罪考慮したら功の方がずっと大きい。そうした能力が軽視されすぎる。
物理学におけるプリコジンの非平衡開放系散逸構造での定常状態を言い換えただけのワードを造語して、そこから利他とか言い出してるのは何とも。
"「動的平衡生命観」が広まることで、一般の人々に正確ではない生命観が浸透したり、教育に取り入れられたり、科学的根拠に乏しい自然観に基づいた環境対策が唱えられる可能性があることは、看過できない課題"
税金の分捕り合戦か。全部還付してください本当に。東大の人たちで奪い合うの、勝手にやって、エン以外で
なんか、読んで損した。要するに「遺伝子を軽視するな! 俺の本読んでね」じゃん。動的平衡生命という考え方自体に対する論駁ではなく。複雑系科学と決定論的な科学の違いの話でしょ。
何これ、こんなんあるんだ。全然知らなかった、こわ
代謝していても遺伝子を次世代に引き継げないなら生命ではないってことよ(曲解)
"合成と分解との動的な平衡状態が「生きている」こと" うん。 "周囲の環境から負のエントロピー=秩序を取り入れることである" そうとも言える。 "生命””が維持される機構は、異なるタンパク質間の相補性"??
生物学者でバズった人は大体疑似科学に寄って行く。サイエンスコミュニケーションの難しさ。
知らなかったので備忘、万博にも出てるの怖いなあ。「動的平衡生命観」今後気を付けてみる。疑似科学はどこから現れるかわからない
でもポエム以上に発展する余地なくない?
ホメオスタシスに独自の訳を当てただけだろうに普及活動にやたら熱心な人がいるなと思ってたら疑似科学やろうとしてたのか。種単位の利他性ってごく限られた種でしか主張されないかなり怪しい概念だぞ
科学者が時折唱える妄想のような仮説は粛々とデータと論文で否定していくべき。ごくたまに大陸移動説のように否定されまくったけど真実みたいな事例もあるから侮れないけど、ほとんどは珍説のまま消えていく
平衡というのは、釣りあって安定していることなんで、静的も動的もないだろ
「命は光あふれるエネルギー」とゆう表現は生物学的には間違ってるだろう。んで、元のなんとか生命観が、だから何を言いたいかわからない。だから生き物はすごいってこと?こんなふうに考えると不思議よねってこと?
じゃあなんで顔のシミは何年経っても消えねーんだよ
ただの主観で留まればいいけど、その理屈が科学の理解の足かせになるようでは認められぬ、ぐらいの話として読んだ。
万博でこれだけ当選したので体験したけど、福岡氏の言う「生命」とは、一個体ではなく、様々な生物のつながりとか生死の流れ自体を表していると理解した。つまり科学でなく、「利他的であれ」という思想であり宗教。
この人は何年も前から福岡を批判してるけど、福岡の「種の保存こそが生命にとって最大の目的なので、個は一種のツールにすぎません」が逆鱗らしい。両方関わりたくないけど、アリの進化も利個的進化なのか。
出世作くらいまでは一般向け啓蒙書のレトリックとして許容できる範囲内か(シュレーディンガーの二番煎じっぽいが)。最近の利他云々で完全にニセ科学の範疇に入った感じ。道徳に結び付けるのは拙すぎる。
https://www.camara.gov.co/sites/default/files/webform/pqrsd/_sid_/KrakenIsAlwaysAwake.pdf
この件で私が言えるのはプリゴジンと言う名の相当な大学者がいたこと、福岡氏を難ずるあまりプリゴジン博士が指摘した現象まで否定する人は所詮素人の科学教信者ってこと。