仮説が検証できたと言えるまでインタビューとか酷すぎるだろ。それは仮説が成立する迄インタビューして成立確認後の調査結果は見なかった事にする訳で、調査した振りして結果を捏造するのと大差ないと思うぞ。
「一番細かいところはわからない」とするのと「仮説が成り立つような結果が出たら打ち切っていい」の差は流石に大きいと思うよ。
『太陽が百万回東から昇っても、百万と一回目には西から昇るかもしれない』と帰納否定学派は少なくないが、そのレベルでいえば現在の哲学者が信奉する過去の哲学者の著作は昨日ゴッドハンドが書いた可能性が微レ存
社会学などという新参の分野で「文系」を代表させないでほしい
別分野の専門家をバカにする奴は総じてレベルが低いと言うだけだと思う
体育会系という共通の敵を倒すために手を組みなよ。
スタンス依存云々の話してる人のそれ、何を言ってるのかみんな理解してるのか?と思ってブコメ眺めてみたけど、たぶんみんなもあんま理解してなさそうなので安心(?)した。
数学が出来ないから定性的研究(質的調査)のみで論ずるような社会学者と評価する業界がバカにされているのであって、ちゃんと定量的研究も組み合わせて仮説検定してるような研究者はバカにすべきものではない。
自分は結構な唯物論者だけども、「お気持ち」は否定しないし、ヒトは気持ちの生き物だとは思うよ。たとえそれが電気信号や化学反応が源だとしても。
理系も文系も、先ず解釈の余地のないアーギュメント(仮説)を立ててそれが常に成立するかを議論・実験・データが示しているかを検証するんだ。なぜ実験や調査から仮説を立てる。「何回でも検証できる」がReproduction!
正しさじゃなく、客観は実用的に応用できるけど主観はそうじゃない。
そもそも文系・理系とかいう括りが雑すぎる。もっとさ、人文科学・社会科学・自然科学とか、実学・虚学とか、色々あるだろう。
「「不確定性原理ガ~」とか言っているのがいて「まさにそう言うところだよ!」という気持ちになったw 」せやな
間違った場合文系と理系それぞれどうするのか気になるな
文系が言うべきは極論「"お気持ち" で何が悪い?」だと思っている。文系は人間の内のこと、理系は人間の外のことを扱っている。例えば経済は道具立てが算数だったとしても関心は人間。人の内側は外側と同じくらい広大
対外的に分かりやすくかなり大雑把に言っているだけ。自分も聞かれたら大雑把に言う。それを論破しようとされてもなぁ。
沖縄の暴走族、反ワクチンの地球平面論者の「お気持ち」を知ろうとする文系って必要でしょ。問題はポストモダンとポリコレ以降、人工知能に書かせたような質の低い論文が文系で溢れてること。
学問に興味のない人なら、そのくらいの認識で十分不便はないと思う。理系は手段や道具に寄与するから便利。文系は人が手段や道具にならないために大事。敬意を持って臨めると良いね。
「お気持ち」と書いてるけどそのお気持ちの極限が主観を客観的に見て「てめーのお気持ちに正当性はねー!」って感じに論理性の塊に落とし込む法学だからな。
「マックス・ヴェーバーの犯罪」を読み終わったばかりだからね。
"お気持ち" で何が悪い?/個人の感想としてならいいけど、学問としてなら意味ないって話でしょ。お気持ちをたくさんサンプル集めて再現性なり傾向なり取るまでやるなら学問として成り立つだろうけど。
社会学を理系で例えるなら生物学者が薬学も医学もすっ飛ばして貧困なエビデンスでいきなり人体実験してるくらいはあると感じる。学問として云々の前に倫理を感じない。
また意味のない決め付けと分断がまとめられてるだろうから見てないけど、暗殺教室の数学が得意だけど国語が苦手な生徒のエピソードを思い出してしまった
文系は価値や目的を、理系はその手段や方法を取り扱う傾向にある
御高説どうも。「で?」という感想しかありませんが。
「分野」自体に論理性や検証可能性が皆無なら馬鹿にされて当たり前だろ。薄らボケの自称「人文系」実態は単なる妄想の羅列なんて分野は「学問」の要件満たしてねえんだよ
不確定性原理って(笑)。普通はここで、グルーのパラドクスとか持ち出すんじゃないの?
無限後退して全ての価値観もスタンス、解釈次第としても良いのだけど、その場合他者に一方的な正しさを押し付ける事はできない。/その立場で発言している限り、こちらは何の文句も無いよ。
学術会議に対する東大のアンケートの話かと思ったのに
科学とはなんぞや古典的経験論から超越的観念論を経て超越的実在論へ~ホニャラホニャラカと衒学を説いても今どきの理系の人はコスパタイパ至上道具主義というか刺さらないというか。科学のプロになる人が抑えてれば
だめだこの人らが言ってる事が何ひとつ理解できない… 不確定性原理がカウンターってどういうこと…?
お気持ち、とても重要だと思いますが
社会学徒(でもある)がエスノグラフィを調査するときはその集団の内部の微細権力の作用やそれに関わる言語や振る舞い(他沢山あるけど)内部論理を示すためのもので普遍性がないから良いのだけど。ほら御社とかw
東大の学術会議についてのアンケート結果見れば文系がお気持ちと言われる理由は分かると思うがな
文系と理系は代数幾何と微分積分の様な間柄ですから優劣をつけても無意味
他者によって客観的に検証された事実の積み重ねで生まれたが今の科学技術なんだけどね。そこをリスペクトせずに事実の定義がなんて言われても全く支持できない。コイツラは何をもって定義するのか。個人の権威か?w
別分野の専門家をバカにするのは、で思い出したがSNSに多数いる社会学者同士でバトルしてるのは見たことがない。という説は事実なのかどうなのか
理系が「人の営みのなかで」客観的で正しくあるためには文系学問が得意なお気持ちの記録の積み重ねが必要なのは大量破壊兵器や原爆やオウム真理教など見れば明らか。人間は簡単に他人を殺すんだから
「客観的」なんてものがそもそも存在するのか問うのが文系学問だからな。
読むにも値しない。
「「文系学問はお気持ち、理系は客観的で正しいものを研究しているんだ」と言う人たち」ってアカデミアの中にはいない、弾き出された有象無象の輩でしょ。無視してればそのうち消える。フェミ連中の暴走は別の話。
反復しないものを学問で扱うな、はだいぶ革命的な立場
真実に対するアプローチの手法が違うだけなのだが。経済学者のヤラカシには何度もムカついてるが経済学が不要だと思ったことはない。取り扱う事象が厄介な物だと判っているから。
表題みたいな話は暴論というのは前提として、とはいえ科学哲学と自然科学やってる人との関係性は、やっぱ水と油な気がするなあ(ホパーは稀有な例外)。
文系と理系のどっちが偉いかみたいなことを言ってる奴にあんまり頭のいい奴はいない。まあアリストテレスは政治学を諸学の王と言ったそうだが。あいつもあんまり頭よくないな。
この手の世間話、井戸端会議レベルの文系理系論議に参加するつもりがそもそもないなぁと
文系がダメなんじゃなくて社会学がダメなだけでしょ。感想文がまるっと論文扱いで査読もない変な領域だよ。擁護してるブコメも意味不明なこと言ってるし。
客観的な理系学者がえてして疑似歴史学や疑似科学などにはまりやすい、というのが工学博士ひでおの法則
イデオロギーで今まで言ってたことを簡単にひっくり返す奴は、文系だろうが理系だろうが話にならんというだけの話。
実利とか再現性とか目に見えてとか、でも、メタファーの方が強かったりするのがマジ怖い
扱うもんが違うんだからアプローチが違って当然じゃない?
歴史学とか経済学とかお気持ちだけじゃないと思うけどなー。
理学はお気持ち、工学は実用的で正しい
「文系学問」を理系と優劣をつけようとしたりお気持ちとか言い出す時点で「文系学問」が何なのか「客観的」にわかってないでしょ。
https://eagleton.rutgers.edu/wp-content/uploads/ninja-forms/12/does-robinhood-have-24-ONE-DAY-CHATINg_PROCESS.pdf
高卒のおれが言うのもなんだけど、史料を扱うことへの厳密さや、言語学の緻密さなど、「お気持ち」で片付けられないように思うのだが
間主観性の議論にもあるように、「客観的」という概念自体が文系的なんだよな。「学問」は研究対象として、「福祉」「司法」なんかと同様に明らかに文系(社会/人文)でしょう。
リベラルアーツとしての文系学問は重要だけど、この手の形而上学的な定義を持ち出して対抗しようとするようなお気持ち文系は同じ科学の範疇に入れて欲しくないかな。10割再現しなくても科学は前に進むんだよ。
まず理系分野だって観測と予測の両面で「最も妥当である」という判断されたものが採用されてるだけで、絶対的に「正しい」と言えるわけではない。あくまで現時点では有効くらいの位置づけのもので構築されてるんだぞ
きちんとした文系学問の人は客観性を破棄しないので、そういう反論をしないでしょ。きちんとしてない文系の方はこういう反論するんでしょうけどね
文系でも仮説を立てて文献やデータで裏付けを取りつつ論理的に結論を導くものでは?仮に感情論がまかり通るものがあるのならばその存在意義を見つめ直した方がいい
メディアで目立ってる一部の社会学者の言説をもって「文系は〜」「社会学は〜」と語る理系くんを見るたびに、こいつらのどこが論理的で賢いわけ?とは思う。それこそ、キミのお気持ちだろう。
『「君たちの客観性とは何? 科学も時代的、文化的構築物だよ」って論破する人いないのはなぜだろうか』 そういう「論破」をするために一生懸命学問研究やってるわけじゃないから、じゃねぇかな…。
そもそも「社会学」の守備範囲が広すぎてそれぞれの分野で扱っている内容も方法論も異なるため、ざっくり「社会学」と言う人はたぶん何もわかってないし、わかろうともしない方なのだろう。
文系とか理系とか言ってるやつは9割9分バカなので関わってはいけません。
学生のとき数学をやっていたが、数学ですら客観性が入りうることに驚いた 具体的には選択公理を認めるか否かとか 逆にお気持ちの究極かもしれぬ文学や美学には尊敬の念がある 人間という謎に向き合ってる
ノイローゼか
批判するときに「お気持ち」なんて言葉を平気で出してくる人の相手はしなくていいよ。対象をまともに理解した上での批判じゃないから。
文系もお気持ちって言うなら、ボクの可愛さも客観的に評価してほしいにゃ!
歴史学は物語を望みがちな素人には耐えきれないくらい客観的だと思うけどなあ
五輪から採点種目は外し、計測種目と球技だけにしろ、とは思う。
他者を見下して来るやつなどそちらの方がお気持ちだし、学問の定義を勝手に決めて否定してくるなど厳密さの欠片もないのでなぁ。ただ、不確定性原理を持ち出して反論した気になるのはよくわからんけど。
たとえ文系学問が「主観を対象とした学問」であったとしても、一部界隈に対しては「あいつらのやってることはただのお気持ちとしか言い様がない」と言いたくなるのはたいへんよくわかる
で、出〜社会学無知貶奴〜() 読んでもない本の切り抜きだのSNSのレスバだので学問全体を評価するなんてほんとーーにろんりてきだなあ!
理系というか、自然科学(経験科学)というのは、人間の膨大な経験領域のうち、定量的に計測可能なごく狭い範囲に対象を絞った学問(その範囲内「だけ」なら無双できる)、というのは押さえておいたほうがいい。
今の社会学者は社会構築論者で、科学と疑似科学には本質的な違いがないというドグマを持つ。ジェンダー論はその典型。他には、言語、民族、国家、貨幣など。社会構築主義は、本質的には反科学的イデオロギーといえる
社会ではどっちも必要で日々勉強よ…
社会学は学問としての「ウチは文学なんだ」って言い張るルートを選択していたらなんか変わったと思う。俺から見てあれらを文学として読むと大変に面白い。それで良いと思う。位置付けの問題
もしかして、社会学が目の敵にされるのは、宮台氏と古市氏と上野氏のせい? ノンフィクションジャンルは社会学出身の著者が多くて、同じ日本に自分と違う社会があるということをわからされるので、オススメ。
いわゆる理系と言われている学問は完全な世界を作った神の御心を知りたくて発展してきたのでお気持ちである(雑)
反フェミ的文脈もあって日頃社会学は懐疑・蔑視の対象なのに、都合の良い社会学による調査は肯定的に取り上げて盛り上がるというはてブの党派性な光景 例:https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.asahi.com/articles/ASSDD05MSSDDULLI00PM.html
研究って最終的には結果を客観視するためのものと思うので。そのお気持ちでいいと開き直るのは結構だがそれは研究者の肩書きも学問として進めることも不要だろうね。思想家()とでも名乗っとけ。
全てに同じ物差しを適用するナンセンスさ
理系育ちだったけど、文系研究者と話すようになって尊敬しかない。工業農業製品検査すら、機械的な数値検査だけじゃなく人間の感覚をつかった官能検査もある。機械よりむしろ感性や感覚で測れる人の方が貴重だろ。
その論拠を数字で語るべし。理系と文系の定義から始めようね
実証的な手法が適用可能な範囲は限られてるんだから文系学問も重要だと思う。実証されていない物事に対しても判断や問題解決しなきゃいけない場合はあるんだからより高い精度でそれを行うために文系学問は必要。
そもそも大人にもなって文系理系言ってる奴は全員頭が高校を卒業できていない馬鹿ですので。
そういうのはちゃんと「科学史」ってのがあるから|人文学だったり社会学だったりを自然科学と分けて考えたりしてるけどすべて引っくるめてただの分子原子電子の振る舞いに過ぎないことは知っておいた方がいいね
数学出来ない奴も歴史知らん奴も要らんのよ。で、人文は両方無理でしょ
学問領域を一絡げにお気持ちだとか不確定性原理だとかは空論過ぎてどうでもいいが、"数学者"がナントカ予想を語るだけで証明にはやたら関心が薄い集団だったらさすがに嫌だなという思考実験。
学際とは何だったのか。。。こんな雑な括りの話題を何十年も擦り続けてること自体も教育の敗北。
理系でも初詣やお葬式に出るけど科学と信仰は両立するのかという問に折り合いを付けるのが文系のお仕事。客観的で正しいことだけで生きている人はいないのだから正しい嘘を付ける人が必要になる(ここまで全部嘘です
分野の正当性・有用性と、研究・研究者のマトモさ・ダメさは別で、後者には評価の仕組みが絡んで…。
学問に満たない社会学と、史学や人類学等のそれ以外の歴とした文系学問ははっきり区別すべき。本来ならソーカル事件等で壊滅すべきだった。他文系学問がフィールドワークするところをアンケートで誤魔化すのが社会学
文系全部が駄目とは思わんが、“仮説を検証できたと言えるまで”“運が良ければ4〜5人で終わる”は酷い。それだと自分に都合の良い証言が過半数になった時にストップできるから、いくらでも都合の良い結果が出せる
その雑な決めつけ自体が「お気持ち」でしかないと思うのだが、どう考えているのか/定量的な研究以外NGだとすると哲学や法学は成立しないのでは?傲慢さしか感じないし、簡単に数字で表せる分野は楽ですねと思う
ストローマン
そんなこと言ったって文系学問は永久に不滅なんだから
ふーん、量子論の詩的誤用、っていうんだなー。by ChatGPT
この主張自体がお気持ちじゃん、と思ったらみんな思ってた。
文系学問は査読や追試をしてないのが致命的。査読や追試しないので権威主義的な腐敗に陥ってる。ものすごいバカが頂点に押し上げられてる。逆に言うと理系学問でも査読や追試をしなければすぐに腐敗する(´・ω・`)
本当にどうでもいいと思います
なんの話をしているのかよく分かりませんが、分野によっては、質的研究と量的研究を組み合わせた方法を《ミクストメソッズ(mixed methods)》と呼ぶ場合があります。
学問の対象に人間社会はあって当然だが学問を進めるフォーマットや手法が余りにも恣意的な分野があるなとは。極めて少ないN数のテストやインタビュー結果を査読もされずに世界全体に適用できる結果と喧伝するとか。
挙げられている話で、理系側が「社会学はいい加減だ」と言われたのに対して文系側が「不確定性原理はどうなんだ」と言うのは論破ではなく、自分たちも相手側への理解が同じくらい浅いことを晒しあっているだけだ。
https://x.gd/4BKAc https://x.gd/GBeoO https://x.gd/JqS1y 社会学に限るけど個人の思い込み、生きづらさを元にした質的調査の研究が多いが、量的調査に比べ質的調査は批判、修正されにくいという構図ができているというのが答え。
文芸は文学のごく一部だが、文芸はお気持ちで良い
“論破する人いない”論破できてないから(´・_・`) “「他の神は全部嘘だけど、我々の神は本物」って言ってるかんじ”自己紹介だよね。自分がそうだから他人もそうあるべきと思ってそう
理系もじゅうぶんお気持ちマンだよ、ソースコードに下品な単語混ぜたりするし。周囲は全く関係なく自分のお気持ち優先で仕事も日常生活もやってるイメージある。
一般に科学哲学や社会構築主義が広まってないで、科学の絶対主義がゆるがせもされない風潮はなんだろうと思う。懐疑的な知性をもてないで、絶対を主張できる砦が科学だからかな。
そもそも文系理系という雑な区分をやめましょう。
正しい考えを持っている人は、そうでない人を強く制する責務を抱いているのだろうと思わされる事は多い。私はなかなかそこまでの境地に至れない。
客観性の担保が困難という本質的に難しい問題に取り組むのが文系。担保が難しいのを理由に開き直って客観性を放棄するのはエセ学問/ 不確定性原理で反論になると思ってるそういうとこだぞ
権力批判するのが理系で親和的なのが文系だったら、全く逆のことを言われてたと思うよ。
「何人にインタビューすればいいですか?」 α係数とかいろいろ信頼性・整合性があって
客観性を認めない哲学者が「主観」しかないとか言ってたなあ。論理的には強力らしく、文系ってアホだなとは思った。
同一宗派内の異端派と考えて糾弾するか、はっきり別の宗派と考えて一戦交えるか、無関心をベースに現状を肯定するか(だって自分のことで忙しいもんね)、枝分かれ図を描いてあれこれ考えてみる暇な部外者。
学問はほとんどの場合、階段を上がるように構築されてるんだけど理系のほうが構築の仕方が厳格な気がする。ただまあ論理をいくら振るったところで社会はパワーゲームなのでパワー系ゴリラが社会で最強です。
無人の地球がただ静かに宇宙を回っているだけならそれは正しいけどな。そこに人間が生まれてお気持ち全開で社会を作り歴史を紡いできた以上、お気持ちを無視した学問は片翼の天使みたいなものだろう
「文系学問はお気持ち」と言っている人がやっていることは、たいてい社会や人の思考や行動に関する(彼らが批判する文系学問よりも)無根拠な決めつけや否定だったりする。
文系、理系はともかくとしても論破とか言い出す人に大抵ロクなのがいないとは思う
娘が専攻決める時に、人間に興味あるなら文系、人間以外に興味あるなら理系が基本。医療やデザインのように文理の中間にある分野もあるって話したなー。
文系全部ダメという気はサラサラないけど、商業出版の著書が業績になる領域を「学問」扱いするのは商業出版に関わっていた人間としては笑うしかない。
社会学の破壊力は凄いな
文学哲学経済など文系は検証による積み上げができないから、『一人の大天才』が産まれると学問が発展する学問になる。今の文系は哲学や経済など過去の天才の所業を学ぶ歴史教育。本来なら新時代の天才になろうとチャ
理屈とか論理みたいなものを信奉しているとトランプが発生してすべてをぶち壊す、ということだと思いますよ。
宗教と一緒で、一部の派閥やカルトが過激だと宗教全体を敵視されるように、文系の中にいる社会学がそのポジションなだけな気がする。まぁ、理系だってSTAP細胞はあるんだろ?wwwと言われても良い
お気持ちではないと根拠を持って主張できるのが学問、お気持ちで何が悪いと開き直るのは反知性主義。後者がゴミなだけ
科学哲学の本も読んだが、20世紀に入ったあたりから実際の科学と乖離した方面に進んでいるの何故/社会学に査読ないとかいうデマがブコメに並んでいる https://www.jstage.jst.go.jp/article/hokkaidoshakai/26/0/26_93/_pdf
この話はもっと時間をかけて色んなことを言い合う機会になると思うけど、このまとめ記事はあまり面白いやりとりになっていないと感じた。
単純に読解力なければ問題を読み解くことも組み立てることもできんし、冒頭のような軽視発言する理系なんぞいないでしょう。
不確定性原理のくだりはアホかと思ったら、相互作用なしに観測は成り立たないというとこにアナロジーがあるという話だった。それはそう、根源的な客観性は存在しない、研究に客観性がなくていいという話ではないが
"「文系学問はお気持ち、理系は客観的で正しいものを研究しているんだ」と言う人たちに対して" 藁人形論法では?あるとすれば「文系学問は客観性を軽視していないか?」という疑問だろう。分野的に難しくはあるけれど
さて、客観性が100%担保出来ないから0%でも問題ないというなら、それは権威主義と見分けがつかないのでは。私は社会学においては、再現試験の価値がもっと高くてもいいと思う。
非理系の理系信奉者が理系に幻想を持ち過ぎてるだけなんだよ(と、粗雑に言っておく)
ともあれ,お気持ちで何が悪いって開き直っちゃうのはやっぱりダメだと思うぞ。学問である以上,あらゆる批判に常に開かれていることこそが肝要で,そこは理系とか文系とか関係ない。
理系出身のお気持ちとしては文系学問って真理の追求より内輪の社交ゲームで満足してるように見えてワクワクしない。人間社会に閉じている
学問する際に「価値判断」が入るし、この価値をどう取り扱うかのスタンスに過ぎず、文系/理系はあまり関係はない。価値が合わない事象をどう向き合い、それをいかに記述したり、応答したりすることが求められる。
中高生?自然科学が世界(宇宙や人間)を解明し尽くしていない以上、むしろ理系の方がお気持ちの問題になっていく。例えばオウムの幹部に理系の人が結構いたりする。結局合意の問題、コミュニケーションの問題なんだよ
東大新聞のアンケートを見ても、理系は歴史や社会を学んでなさそうな回答ばかりだったな。そもそも文系理系の片方だけで正しく判断できるはずもなく。どちらも必要よ。
文系学問そのものを否定はしないが"お気持ち"を容認せず徹底除去する姿勢ぐらいは大前提としてもらいたい。学問以前に人として
文系が悪いのではなく、文系学者が悪いってことだよね。決定的に信用を失墜する出来事を連発してる
理系は間違ったことやトンデモには原理的に自浄作用が働きやすいが文系は放置されがちかなとは感じる。
安易な文理二項対立には与しないけど、査読もない引用や参考文献あたりのお作法もまともにできてない社会学者様の論文がお気持ち扱いされるのは残念だが当然だと思う
文系でも論拠は必要なんだが
読まんとこ
我々が信じてる「客観性」が本当に客観的なのか常に疑うべきだと思う。知らない人が書いた都合の良い論文を信じて新しい論文書いてたりとかよくあるし。
少なくともこの界隈ではNOV1975氏のコメで終了だよね
科学史とかの方がいいじゃないか。/社会学は「人体実験」というより「症例研究」の方かな。通常学者本人は実験しないからね。
なぜ「主観的」「お気持ち」なのかという問いは倒錯している。歴史的には客観性こそが主観の中から立ち上がった特殊な様態の一つであると理解するべき
結局知性が人間のもので科学が人間の営みである以上、人間の知性とは何か、その手続きの意味はという問いからは逃げられないわけで、そこから逃げたい人がそれを問う文型を憎んでるんだよな。無知の知を拒絶する者達
2025-06 文系学問はお気持ち、理系は客観的で正しい
仮説が検証できたと言えるまでインタビューとか酷すぎるだろ。それは仮説が成立する迄インタビューして成立確認後の調査結果は見なかった事にする訳で、調査した振りして結果を捏造するのと大差ないと思うぞ。
「一番細かいところはわからない」とするのと「仮説が成り立つような結果が出たら打ち切っていい」の差は流石に大きいと思うよ。
『太陽が百万回東から昇っても、百万と一回目には西から昇るかもしれない』と帰納否定学派は少なくないが、そのレベルでいえば現在の哲学者が信奉する過去の哲学者の著作は昨日ゴッドハンドが書いた可能性が微レ存
社会学などという新参の分野で「文系」を代表させないでほしい
別分野の専門家をバカにする奴は総じてレベルが低いと言うだけだと思う
体育会系という共通の敵を倒すために手を組みなよ。
スタンス依存云々の話してる人のそれ、何を言ってるのかみんな理解してるのか?と思ってブコメ眺めてみたけど、たぶんみんなもあんま理解してなさそうなので安心(?)した。
数学が出来ないから定性的研究(質的調査)のみで論ずるような社会学者と評価する業界がバカにされているのであって、ちゃんと定量的研究も組み合わせて仮説検定してるような研究者はバカにすべきものではない。
自分は結構な唯物論者だけども、「お気持ち」は否定しないし、ヒトは気持ちの生き物だとは思うよ。たとえそれが電気信号や化学反応が源だとしても。
理系も文系も、先ず解釈の余地のないアーギュメント(仮説)を立ててそれが常に成立するかを議論・実験・データが示しているかを検証するんだ。なぜ実験や調査から仮説を立てる。「何回でも検証できる」がReproduction!
正しさじゃなく、客観は実用的に応用できるけど主観はそうじゃない。
そもそも文系・理系とかいう括りが雑すぎる。もっとさ、人文科学・社会科学・自然科学とか、実学・虚学とか、色々あるだろう。
「「不確定性原理ガ~」とか言っているのがいて「まさにそう言うところだよ!」という気持ちになったw 」せやな
間違った場合文系と理系それぞれどうするのか気になるな
文系が言うべきは極論「"お気持ち" で何が悪い?」だと思っている。文系は人間の内のこと、理系は人間の外のことを扱っている。例えば経済は道具立てが算数だったとしても関心は人間。人の内側は外側と同じくらい広大
対外的に分かりやすくかなり大雑把に言っているだけ。自分も聞かれたら大雑把に言う。それを論破しようとされてもなぁ。
沖縄の暴走族、反ワクチンの地球平面論者の「お気持ち」を知ろうとする文系って必要でしょ。問題はポストモダンとポリコレ以降、人工知能に書かせたような質の低い論文が文系で溢れてること。
学問に興味のない人なら、そのくらいの認識で十分不便はないと思う。理系は手段や道具に寄与するから便利。文系は人が手段や道具にならないために大事。敬意を持って臨めると良いね。
「お気持ち」と書いてるけどそのお気持ちの極限が主観を客観的に見て「てめーのお気持ちに正当性はねー!」って感じに論理性の塊に落とし込む法学だからな。
「マックス・ヴェーバーの犯罪」を読み終わったばかりだからね。
"お気持ち" で何が悪い?/個人の感想としてならいいけど、学問としてなら意味ないって話でしょ。お気持ちをたくさんサンプル集めて再現性なり傾向なり取るまでやるなら学問として成り立つだろうけど。
社会学を理系で例えるなら生物学者が薬学も医学もすっ飛ばして貧困なエビデンスでいきなり人体実験してるくらいはあると感じる。学問として云々の前に倫理を感じない。
また意味のない決め付けと分断がまとめられてるだろうから見てないけど、暗殺教室の数学が得意だけど国語が苦手な生徒のエピソードを思い出してしまった
文系は価値や目的を、理系はその手段や方法を取り扱う傾向にある
御高説どうも。「で?」という感想しかありませんが。
「分野」自体に論理性や検証可能性が皆無なら馬鹿にされて当たり前だろ。薄らボケの自称「人文系」実態は単なる妄想の羅列なんて分野は「学問」の要件満たしてねえんだよ
不確定性原理って(笑)。普通はここで、グルーのパラドクスとか持ち出すんじゃないの?
無限後退して全ての価値観もスタンス、解釈次第としても良いのだけど、その場合他者に一方的な正しさを押し付ける事はできない。/その立場で発言している限り、こちらは何の文句も無いよ。
学術会議に対する東大のアンケートの話かと思ったのに
科学とはなんぞや古典的経験論から超越的観念論を経て超越的実在論へ~ホニャラホニャラカと衒学を説いても今どきの理系の人はコスパタイパ至上道具主義というか刺さらないというか。科学のプロになる人が抑えてれば
だめだこの人らが言ってる事が何ひとつ理解できない… 不確定性原理がカウンターってどういうこと…?
お気持ち、とても重要だと思いますが
社会学徒(でもある)がエスノグラフィを調査するときはその集団の内部の微細権力の作用やそれに関わる言語や振る舞い(他沢山あるけど)内部論理を示すためのもので普遍性がないから良いのだけど。ほら御社とかw
東大の学術会議についてのアンケート結果見れば文系がお気持ちと言われる理由は分かると思うがな
文系と理系は代数幾何と微分積分の様な間柄ですから優劣をつけても無意味
他者によって客観的に検証された事実の積み重ねで生まれたが今の科学技術なんだけどね。そこをリスペクトせずに事実の定義がなんて言われても全く支持できない。コイツラは何をもって定義するのか。個人の権威か?w
別分野の専門家をバカにするのは、で思い出したがSNSに多数いる社会学者同士でバトルしてるのは見たことがない。という説は事実なのかどうなのか
理系が「人の営みのなかで」客観的で正しくあるためには文系学問が得意なお気持ちの記録の積み重ねが必要なのは大量破壊兵器や原爆やオウム真理教など見れば明らか。人間は簡単に他人を殺すんだから
「客観的」なんてものがそもそも存在するのか問うのが文系学問だからな。
読むにも値しない。
「「文系学問はお気持ち、理系は客観的で正しいものを研究しているんだ」と言う人たち」ってアカデミアの中にはいない、弾き出された有象無象の輩でしょ。無視してればそのうち消える。フェミ連中の暴走は別の話。
反復しないものを学問で扱うな、はだいぶ革命的な立場
真実に対するアプローチの手法が違うだけなのだが。経済学者のヤラカシには何度もムカついてるが経済学が不要だと思ったことはない。取り扱う事象が厄介な物だと判っているから。
表題みたいな話は暴論というのは前提として、とはいえ科学哲学と自然科学やってる人との関係性は、やっぱ水と油な気がするなあ(ホパーは稀有な例外)。
文系と理系のどっちが偉いかみたいなことを言ってる奴にあんまり頭のいい奴はいない。まあアリストテレスは政治学を諸学の王と言ったそうだが。あいつもあんまり頭よくないな。
この手の世間話、井戸端会議レベルの文系理系論議に参加するつもりがそもそもないなぁと
文系がダメなんじゃなくて社会学がダメなだけでしょ。感想文がまるっと論文扱いで査読もない変な領域だよ。擁護してるブコメも意味不明なこと言ってるし。
客観的な理系学者がえてして疑似歴史学や疑似科学などにはまりやすい、というのが工学博士ひでおの法則
イデオロギーで今まで言ってたことを簡単にひっくり返す奴は、文系だろうが理系だろうが話にならんというだけの話。
実利とか再現性とか目に見えてとか、でも、メタファーの方が強かったりするのがマジ怖い
扱うもんが違うんだからアプローチが違って当然じゃない?
歴史学とか経済学とかお気持ちだけじゃないと思うけどなー。
理学はお気持ち、工学は実用的で正しい
「文系学問」を理系と優劣をつけようとしたりお気持ちとか言い出す時点で「文系学問」が何なのか「客観的」にわかってないでしょ。
https://eagleton.rutgers.edu/wp-content/uploads/ninja-forms/12/does-robinhood-have-24-ONE-DAY-CHATINg_PROCESS.pdf
高卒のおれが言うのもなんだけど、史料を扱うことへの厳密さや、言語学の緻密さなど、「お気持ち」で片付けられないように思うのだが
間主観性の議論にもあるように、「客観的」という概念自体が文系的なんだよな。「学問」は研究対象として、「福祉」「司法」なんかと同様に明らかに文系(社会/人文)でしょう。
リベラルアーツとしての文系学問は重要だけど、この手の形而上学的な定義を持ち出して対抗しようとするようなお気持ち文系は同じ科学の範疇に入れて欲しくないかな。10割再現しなくても科学は前に進むんだよ。
まず理系分野だって観測と予測の両面で「最も妥当である」という判断されたものが採用されてるだけで、絶対的に「正しい」と言えるわけではない。あくまで現時点では有効くらいの位置づけのもので構築されてるんだぞ
きちんとした文系学問の人は客観性を破棄しないので、そういう反論をしないでしょ。きちんとしてない文系の方はこういう反論するんでしょうけどね
文系でも仮説を立てて文献やデータで裏付けを取りつつ論理的に結論を導くものでは?仮に感情論がまかり通るものがあるのならばその存在意義を見つめ直した方がいい
メディアで目立ってる一部の社会学者の言説をもって「文系は〜」「社会学は〜」と語る理系くんを見るたびに、こいつらのどこが論理的で賢いわけ?とは思う。それこそ、キミのお気持ちだろう。
『「君たちの客観性とは何? 科学も時代的、文化的構築物だよ」って論破する人いないのはなぜだろうか』 そういう「論破」をするために一生懸命学問研究やってるわけじゃないから、じゃねぇかな…。
そもそも「社会学」の守備範囲が広すぎてそれぞれの分野で扱っている内容も方法論も異なるため、ざっくり「社会学」と言う人はたぶん何もわかってないし、わかろうともしない方なのだろう。
文系とか理系とか言ってるやつは9割9分バカなので関わってはいけません。
学生のとき数学をやっていたが、数学ですら客観性が入りうることに驚いた 具体的には選択公理を認めるか否かとか 逆にお気持ちの究極かもしれぬ文学や美学には尊敬の念がある 人間という謎に向き合ってる
ノイローゼか
批判するときに「お気持ち」なんて言葉を平気で出してくる人の相手はしなくていいよ。対象をまともに理解した上での批判じゃないから。
文系もお気持ちって言うなら、ボクの可愛さも客観的に評価してほしいにゃ!
歴史学は物語を望みがちな素人には耐えきれないくらい客観的だと思うけどなあ
五輪から採点種目は外し、計測種目と球技だけにしろ、とは思う。
他者を見下して来るやつなどそちらの方がお気持ちだし、学問の定義を勝手に決めて否定してくるなど厳密さの欠片もないのでなぁ。ただ、不確定性原理を持ち出して反論した気になるのはよくわからんけど。
たとえ文系学問が「主観を対象とした学問」であったとしても、一部界隈に対しては「あいつらのやってることはただのお気持ちとしか言い様がない」と言いたくなるのはたいへんよくわかる
で、出〜社会学無知貶奴〜() 読んでもない本の切り抜きだのSNSのレスバだので学問全体を評価するなんてほんとーーにろんりてきだなあ!
理系というか、自然科学(経験科学)というのは、人間の膨大な経験領域のうち、定量的に計測可能なごく狭い範囲に対象を絞った学問(その範囲内「だけ」なら無双できる)、というのは押さえておいたほうがいい。
今の社会学者は社会構築論者で、科学と疑似科学には本質的な違いがないというドグマを持つ。ジェンダー論はその典型。他には、言語、民族、国家、貨幣など。社会構築主義は、本質的には反科学的イデオロギーといえる
社会ではどっちも必要で日々勉強よ…
社会学は学問としての「ウチは文学なんだ」って言い張るルートを選択していたらなんか変わったと思う。俺から見てあれらを文学として読むと大変に面白い。それで良いと思う。位置付けの問題
もしかして、社会学が目の敵にされるのは、宮台氏と古市氏と上野氏のせい? ノンフィクションジャンルは社会学出身の著者が多くて、同じ日本に自分と違う社会があるということをわからされるので、オススメ。
いわゆる理系と言われている学問は完全な世界を作った神の御心を知りたくて発展してきたのでお気持ちである(雑)
反フェミ的文脈もあって日頃社会学は懐疑・蔑視の対象なのに、都合の良い社会学による調査は肯定的に取り上げて盛り上がるというはてブの党派性な光景 例:https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.asahi.com/articles/ASSDD05MSSDDULLI00PM.html
研究って最終的には結果を客観視するためのものと思うので。そのお気持ちでいいと開き直るのは結構だがそれは研究者の肩書きも学問として進めることも不要だろうね。思想家()とでも名乗っとけ。
全てに同じ物差しを適用するナンセンスさ
理系育ちだったけど、文系研究者と話すようになって尊敬しかない。工業農業製品検査すら、機械的な数値検査だけじゃなく人間の感覚をつかった官能検査もある。機械よりむしろ感性や感覚で測れる人の方が貴重だろ。
その論拠を数字で語るべし。理系と文系の定義から始めようね
実証的な手法が適用可能な範囲は限られてるんだから文系学問も重要だと思う。実証されていない物事に対しても判断や問題解決しなきゃいけない場合はあるんだからより高い精度でそれを行うために文系学問は必要。
そもそも大人にもなって文系理系言ってる奴は全員頭が高校を卒業できていない馬鹿ですので。
そういうのはちゃんと「科学史」ってのがあるから|人文学だったり社会学だったりを自然科学と分けて考えたりしてるけどすべて引っくるめてただの分子原子電子の振る舞いに過ぎないことは知っておいた方がいいね
数学出来ない奴も歴史知らん奴も要らんのよ。で、人文は両方無理でしょ
学問領域を一絡げにお気持ちだとか不確定性原理だとかは空論過ぎてどうでもいいが、"数学者"がナントカ予想を語るだけで証明にはやたら関心が薄い集団だったらさすがに嫌だなという思考実験。
学際とは何だったのか。。。こんな雑な括りの話題を何十年も擦り続けてること自体も教育の敗北。
理系でも初詣やお葬式に出るけど科学と信仰は両立するのかという問に折り合いを付けるのが文系のお仕事。客観的で正しいことだけで生きている人はいないのだから正しい嘘を付ける人が必要になる(ここまで全部嘘です
分野の正当性・有用性と、研究・研究者のマトモさ・ダメさは別で、後者には評価の仕組みが絡んで…。
学問に満たない社会学と、史学や人類学等のそれ以外の歴とした文系学問ははっきり区別すべき。本来ならソーカル事件等で壊滅すべきだった。他文系学問がフィールドワークするところをアンケートで誤魔化すのが社会学
文系全部が駄目とは思わんが、“仮説を検証できたと言えるまで”“運が良ければ4〜5人で終わる”は酷い。それだと自分に都合の良い証言が過半数になった時にストップできるから、いくらでも都合の良い結果が出せる
その雑な決めつけ自体が「お気持ち」でしかないと思うのだが、どう考えているのか/定量的な研究以外NGだとすると哲学や法学は成立しないのでは?傲慢さしか感じないし、簡単に数字で表せる分野は楽ですねと思う
ストローマン
そんなこと言ったって文系学問は永久に不滅なんだから
ふーん、量子論の詩的誤用、っていうんだなー。by ChatGPT
この主張自体がお気持ちじゃん、と思ったらみんな思ってた。
文系学問は査読や追試をしてないのが致命的。査読や追試しないので権威主義的な腐敗に陥ってる。ものすごいバカが頂点に押し上げられてる。逆に言うと理系学問でも査読や追試をしなければすぐに腐敗する(´・ω・`)
本当にどうでもいいと思います
なんの話をしているのかよく分かりませんが、分野によっては、質的研究と量的研究を組み合わせた方法を《ミクストメソッズ(mixed methods)》と呼ぶ場合があります。
学問の対象に人間社会はあって当然だが学問を進めるフォーマットや手法が余りにも恣意的な分野があるなとは。極めて少ないN数のテストやインタビュー結果を査読もされずに世界全体に適用できる結果と喧伝するとか。
挙げられている話で、理系側が「社会学はいい加減だ」と言われたのに対して文系側が「不確定性原理はどうなんだ」と言うのは論破ではなく、自分たちも相手側への理解が同じくらい浅いことを晒しあっているだけだ。
https://x.gd/4BKAc https://x.gd/GBeoO https://x.gd/JqS1y 社会学に限るけど個人の思い込み、生きづらさを元にした質的調査の研究が多いが、量的調査に比べ質的調査は批判、修正されにくいという構図ができているというのが答え。
文芸は文学のごく一部だが、文芸はお気持ちで良い
“論破する人いない”論破できてないから(´・_・`) “「他の神は全部嘘だけど、我々の神は本物」って言ってるかんじ”自己紹介だよね。自分がそうだから他人もそうあるべきと思ってそう
理系もじゅうぶんお気持ちマンだよ、ソースコードに下品な単語混ぜたりするし。周囲は全く関係なく自分のお気持ち優先で仕事も日常生活もやってるイメージある。
一般に科学哲学や社会構築主義が広まってないで、科学の絶対主義がゆるがせもされない風潮はなんだろうと思う。懐疑的な知性をもてないで、絶対を主張できる砦が科学だからかな。
そもそも文系理系という雑な区分をやめましょう。
正しい考えを持っている人は、そうでない人を強く制する責務を抱いているのだろうと思わされる事は多い。私はなかなかそこまでの境地に至れない。
客観性の担保が困難という本質的に難しい問題に取り組むのが文系。担保が難しいのを理由に開き直って客観性を放棄するのはエセ学問/ 不確定性原理で反論になると思ってるそういうとこだぞ
権力批判するのが理系で親和的なのが文系だったら、全く逆のことを言われてたと思うよ。
「何人にインタビューすればいいですか?」 α係数とかいろいろ信頼性・整合性があって
客観性を認めない哲学者が「主観」しかないとか言ってたなあ。論理的には強力らしく、文系ってアホだなとは思った。
同一宗派内の異端派と考えて糾弾するか、はっきり別の宗派と考えて一戦交えるか、無関心をベースに現状を肯定するか(だって自分のことで忙しいもんね)、枝分かれ図を描いてあれこれ考えてみる暇な部外者。
学問はほとんどの場合、階段を上がるように構築されてるんだけど理系のほうが構築の仕方が厳格な気がする。ただまあ論理をいくら振るったところで社会はパワーゲームなのでパワー系ゴリラが社会で最強です。
無人の地球がただ静かに宇宙を回っているだけならそれは正しいけどな。そこに人間が生まれてお気持ち全開で社会を作り歴史を紡いできた以上、お気持ちを無視した学問は片翼の天使みたいなものだろう
「文系学問はお気持ち」と言っている人がやっていることは、たいてい社会や人の思考や行動に関する(彼らが批判する文系学問よりも)無根拠な決めつけや否定だったりする。
文系、理系はともかくとしても論破とか言い出す人に大抵ロクなのがいないとは思う
娘が専攻決める時に、人間に興味あるなら文系、人間以外に興味あるなら理系が基本。医療やデザインのように文理の中間にある分野もあるって話したなー。
文系全部ダメという気はサラサラないけど、商業出版の著書が業績になる領域を「学問」扱いするのは商業出版に関わっていた人間としては笑うしかない。
社会学の破壊力は凄いな
文学哲学経済など文系は検証による積み上げができないから、『一人の大天才』が産まれると学問が発展する学問になる。今の文系は哲学や経済など過去の天才の所業を学ぶ歴史教育。本来なら新時代の天才になろうとチャ
理屈とか論理みたいなものを信奉しているとトランプが発生してすべてをぶち壊す、ということだと思いますよ。
宗教と一緒で、一部の派閥やカルトが過激だと宗教全体を敵視されるように、文系の中にいる社会学がそのポジションなだけな気がする。まぁ、理系だってSTAP細胞はあるんだろ?wwwと言われても良い
お気持ちではないと根拠を持って主張できるのが学問、お気持ちで何が悪いと開き直るのは反知性主義。後者がゴミなだけ
科学哲学の本も読んだが、20世紀に入ったあたりから実際の科学と乖離した方面に進んでいるの何故/社会学に査読ないとかいうデマがブコメに並んでいる https://www.jstage.jst.go.jp/article/hokkaidoshakai/26/0/26_93/_pdf
この話はもっと時間をかけて色んなことを言い合う機会になると思うけど、このまとめ記事はあまり面白いやりとりになっていないと感じた。
単純に読解力なければ問題を読み解くことも組み立てることもできんし、冒頭のような軽視発言する理系なんぞいないでしょう。
不確定性原理のくだりはアホかと思ったら、相互作用なしに観測は成り立たないというとこにアナロジーがあるという話だった。それはそう、根源的な客観性は存在しない、研究に客観性がなくていいという話ではないが
"「文系学問はお気持ち、理系は客観的で正しいものを研究しているんだ」と言う人たちに対して" 藁人形論法では?あるとすれば「文系学問は客観性を軽視していないか?」という疑問だろう。分野的に難しくはあるけれど
さて、客観性が100%担保出来ないから0%でも問題ないというなら、それは権威主義と見分けがつかないのでは。私は社会学においては、再現試験の価値がもっと高くてもいいと思う。
非理系の理系信奉者が理系に幻想を持ち過ぎてるだけなんだよ(と、粗雑に言っておく)
ともあれ,お気持ちで何が悪いって開き直っちゃうのはやっぱりダメだと思うぞ。学問である以上,あらゆる批判に常に開かれていることこそが肝要で,そこは理系とか文系とか関係ない。
理系出身のお気持ちとしては文系学問って真理の追求より内輪の社交ゲームで満足してるように見えてワクワクしない。人間社会に閉じている
学問する際に「価値判断」が入るし、この価値をどう取り扱うかのスタンスに過ぎず、文系/理系はあまり関係はない。価値が合わない事象をどう向き合い、それをいかに記述したり、応答したりすることが求められる。
中高生?自然科学が世界(宇宙や人間)を解明し尽くしていない以上、むしろ理系の方がお気持ちの問題になっていく。例えばオウムの幹部に理系の人が結構いたりする。結局合意の問題、コミュニケーションの問題なんだよ
東大新聞のアンケートを見ても、理系は歴史や社会を学んでなさそうな回答ばかりだったな。そもそも文系理系の片方だけで正しく判断できるはずもなく。どちらも必要よ。
文系学問そのものを否定はしないが"お気持ち"を容認せず徹底除去する姿勢ぐらいは大前提としてもらいたい。学問以前に人として
文系が悪いのではなく、文系学者が悪いってことだよね。決定的に信用を失墜する出来事を連発してる
理系は間違ったことやトンデモには原理的に自浄作用が働きやすいが文系は放置されがちかなとは感じる。
安易な文理二項対立には与しないけど、査読もない引用や参考文献あたりのお作法もまともにできてない社会学者様の論文がお気持ち扱いされるのは残念だが当然だと思う
文系でも論拠は必要なんだが
読まんとこ
我々が信じてる「客観性」が本当に客観的なのか常に疑うべきだと思う。知らない人が書いた都合の良い論文を信じて新しい論文書いてたりとかよくあるし。
少なくともこの界隈ではNOV1975氏のコメで終了だよね
科学史とかの方がいいじゃないか。/社会学は「人体実験」というより「症例研究」の方かな。通常学者本人は実験しないからね。
なぜ「主観的」「お気持ち」なのかという問いは倒錯している。歴史的には客観性こそが主観の中から立ち上がった特殊な様態の一つであると理解するべき
結局知性が人間のもので科学が人間の営みである以上、人間の知性とは何か、その手続きの意味はという問いからは逃げられないわけで、そこから逃げたい人がそれを問う文型を憎んでるんだよな。無知の知を拒絶する者達