私みたいな太字ばかり読んでいる人に対する批判かな?でも色んな人の色んな考えに触れるのも大事。時間は限られているから、むしろ「1人の考えにどっぷり浸かりすぎる」のもそれはそれでよくない気がする。
「賢い」とは、知識が豊富(確証バイアスのリスク有)、頭の回転が速い(地頭はこのパターン)、現象に振り回されず抽象的な構造が見える、自分の認知をメタ認知できる等々いろんな要素の相互作用で成り立っている
多いだけのバカでサーセンwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
消化及び昇華できないのに、たくさん読み過ぎるから。以上。
“自分の知力を磨くことを目的に読書に励む人も多いはず” そんな人多いんかね?しんどそう
おぎやはぎの小木さんは引かれるほどドラマや映画をみてるそうだけど観終えた先から内容を忘れるから仕事に結びつけられないとは言ってたな。読書量増やさないと負債ばかりで死ぬなあと思いつつずっと思考停止中。
読みが浅いか、バカな本しか読んでいないかだと思うよ。
正しい情報を読んでいるのに間違った知識を吸収する人がいる。網羅的に情報を摂取している人は断片情報のつながりを理解できるが、偏っている人は間違って情報をつないでしまうので、おかしな知識ばかり増える。
YouTubeばっかり見てるのに賢い人がいるのはなぜか?と同様、読書や動画から学びを得ているか娯楽として消費しているかの違いだろう
単純に「自分は賢い」と思ってるからよ
読書は気づきを与えるためのもので、気づきは書を捨てて街に出ることで熟成される。逆に、読書で目覚めてしまう人は、鵜呑みしてしまうくらい頭の中が空っぽだったバカ。
知識と知性は別のものだから
馬鹿は何をやっても…あ、ごめん
2200年前に孔子が答え出してくれてるんですよねこの問題。学びて思わざれば則ち罔し、読書しても自分の頭で考えないなら何もわかったことにならないぞと。そして逆に、思いて学ばざれば則ち殆しって続きもあり
本の中に見つけた気づきを抽象化して自分の中に取り込めるかどうかだろうな。抽象化することで別のケースにも応用できる。呪術廻戦の夏油のようなイメージ。別に本でなくてもよくて、路傍の石からも学べる。
読書をしていろんな考え方に触れているはずなのに、傲慢な人がいるのはなぜか?
近年は電子書籍派の人も増えて一見読書してるのかどうかわからない人も多くて、紙本しかなかった時代より読書量を判断するの難しそう。その人が口で言ってるのを信じるしかないというか、データとして信用に足るか?
バカな零戦礼賛小説みたいなのをいくら読んでも、バカはバカです。
「學びて思はざれば則ち罔(くら)し。思ひて學ばざれば則ち殆(あやう)し」
陰謀論者の本棚に陰謀論の本ばっかり何十冊もあって「俺はこんなに勉強してる!舐めるんじゃねぇ!」とか言い出すやつは昔からあるよね。
娯楽だよ娯楽
頭空っぽの方が詰め込める~♪
「ほんをよむとあたまがよくなる」と思ったまま大人になる人がいると知って少し驚いている
ヘブンズドア
知らんけど読めば読むほど自分が馬鹿に思われてならん。
う! すみません...ムーとかばかり読むのやめます...
人間様の思考方法が『言語』と『ルール(数学や自然科学系)』に基づいてるんだから、『読書等の情報を言語に絞った鍛錬』で思考の土台づくりしてるだけ。いくら土台があっても仕事ができない人もいるというだけの話
別に読書する人は賢いわけじゃないのよ
知識や情報は得られるかもしれないけど知性は無理でしょ
マンガはいっぱい読んでるよ?
何かの本で、「単に読むだけだと著者の思考の轍に沿って考えているだけで、それでは本当の考える力は身に付かない」とあったな。批判的に本を読めという趣旨だった。
本を読んでる私は真っ当な知性を持っているという自惚れこそ警戒すべき
アタシは専門書以外は殆ど読まないけど、別に事足りるわ
身になってないから以外の答えある?長時間勉強してるのにバカとか、東洋経済「なぜ~は~なのか」みたいな記事を多産してる作者がバカとかは平凡な現象で、量から質を生む十分条件を挙げてないなら何も発見がない。
読書は文字が読めれば誰にでもできます。なにも特別なことではないのです。
というよりそういう人は読書量が少なかったらもっとバカだったのではないだろうか?/「読書量が増えたのにも関わらず前よりバカになる人がいるのがなぜか?」という問いの方がよかったのではないか?
ブコメも、型にハマった頭ごなしの反論みたいなのはバカっぽく見えるもんな。
一日に一定以上の量の文字を読んでると頭が回転してる状態をキープできる感覚はある。本から何かを得るってのもあるけど、まあそれはあったりなかったりじゃないかなあ。
自分の頭で考えたり自分の体験だけで判断したりでバカな結論に到達する人も多いので、必ずしもそれがいいわけではない。その一方で他人からの情報を鵜呑みにするのもバカなので、大事なことは簡単に結論付けないこと
“知性を身に付けるには読書をすると良い、ということがよく言われる。” 本読まない人が言いそう。
馬鹿と読書家は独立事象だからだが。読書すると頭が良くなるなら学校は全部読書になってるだろ。教員の人件費も減らせるんだからよ。
長時間読書することが必ずしも知性につながるわけじゃないが、統計を取れば読書量との相関はあるかもしれない。その程度の話
本て娯楽じゃないの?好きなもの好きなとこだけ読むよ。
最も難儀なのは「自分がバカでは無い側」と思ってる人じゃないかしら。
ギャル曽根さんはいわゆる特異体質だけど、別に食ったもん全部をエネルギーにできてるということはなくて大部分がただウンコになるだけなんだよな。
「読書量」と「バカ」の定義を確認したほうが良さそ。人によって違うレベルの話をしてそう
読書は娯楽なので知識を得るとか知力とか言われると「何言ってるんだ?????」ってなる。
ビジネス書ばっかり読んでたら アホになるよ 小説をよもう!
薄っぺらい内容の本をいくら読んでも賢くはならないだろうよと
バカにも好奇心はあるから。根本的には国民皆教育のおかげさまでは。バカに字を教えたばっかりに。
受け売りで止まるか、自分ごとにして考えるかの違いか。物語の場合はどうだろう。どう解釈できるか。その幅の広さを知性というのかもしれない。
朝夕の通勤時間の暇潰しだけどね。
読書に限らずスポーツの練習でも漫然とやるだけでは身に付かない、上達し難いのと同じで、多読家が読んだ本の数ばかり誇るような手段の目的化にならないよう、自分で考えた上で理解、納得を心がけないといけないよ。
専門書とかつまみ食いするしかない本は沢山ある。中身が詰まりすぎた本はほとんどの人には通読できない。速読にしても大筋の流れを把握する技術がちゃんとあるかどうかの問題ではないか
読書してもバカだが、読書しないともっとバカになるという恐怖で、今日も読書してる。
人間に不可能なほどの読書を極めたLLMでもある程度までしか賢くはなれない。でもまあそこらの人よりは賢いけど。
“「読書をすれば頭が良くなる」とは一概に言えない可能性がある。” 可能性もなにも、当たり前にそれが答えなのでは?
地頭と呼ばれる奴も、業界とか分野におけるパターン思考の速度を指していて、別の分野においては速度が下がるケースもあるよね。
「あまり知性がないように見える人」とはどんな人なのだろうか。飲み会でタワマンと子どもの話しかしない人だろうか。それは知性がないわけではないと思う
うるせーばーかばーか
本を読むと頭が良くなると前提がよくわからない。映画とかゲームと同じエンタメだと思うんだけど。
文字列上の論理を得ても、概念を獲得できてないのでは。
「読書をする俺かっこいい」になってるとあかんよね。
読んでなかったらもっとバカだったのが少しマシになった可能性
たぶん、目から入った情報が脳を経由せずにいろんな穴から漏れ出しているからだと思いますよ。
読書量と知性は意外と相関はないと思う… 何を「知性」と呼ぶかによるけど、知識だけ増えても洞察力が鍛えられていないと「バカ」に見えると思う。
読書は間違いなく見識を広めるという意味で頭が良くなることに寄与すると思うけどな。たくさん読んでも変わらないという人は中身のない似たような本を読んでいたり斜め読みで読み飛ばしすぎなだけなんじゃないか?
魚を食べるといいよ
本ってそもそもただの娯楽でもあるでしょうに
『「持論の補強」ばかりが進んでしまい、かえって考えが偏ってしまう』
ちょうど先日図書館で、日猶同祖論っぽいタイトルの本と高市早苗の本を持ったオッサンが受付の人に怒鳴りっぱなしなところに、その後ろに並んだので「本は読めばいいわけじゃない」はよく知ってる。
読書は娯楽で楽しんでいる最中に偶発的に自分が知らなかった知見に出会えるのがいいんじゃないかな。最初から結果だけ求めても意味ないんだぜ。
情報は咀嚼しないと身につかないので、ただ接種してそのままうんこで出てきたら栄養にならないのは当たり前である
インプットとアウトプットが比例していないから。
知識を付けて「俺は詳しい。無知や誤解をしてるバカ多すぎ」という思考パターンで攻撃してくる人がいて鬱陶しい。でもそういう人に限って、自分と意見が違うことと、無知や誤解の区別がついていない。
「量」より「質」が肝心ということだね。数をこなして自慢するより、古典や名著と言われる類の本を繰り返し読み込み、自分の頭で考え抜き、自分が理解した自分らしい考えを体得できれば、類稀な人になれるかもね…。
何をもってバカとするのか 例えば東出昌大はかなりの読書家 たまに書く文章も見事 しかし世間からは不倫するバカとされている 自分はそうは思わないけど
原因になる要因は色々あるけれど、単純に読むのが好きなだけだからというのがシンプルかと。 思想が捻くれてるとか、記憶力が著しく悪いとか、入れた物を活用できないなんてのは、そもそも目的としてないからだと思
単純に読書量と知性に相関関係がないだけでは?
読んだ本の量で人にマウントとってもねぇ
ここで言う「読書」ってビジネス書でしょ?一冊も読んだこと無い
この書きっぷりからすると、小説やノンフィクションというより、既に指摘があるようにビジネス書の類いが念頭にある気がする。確かに、ビジネス書や啓発書は、基本自説を開陳するものなので、うわっ。って本が多い笑
本屋を見ると立ち寄らずに居られず必ず何か買ってしまい家に自然科学系の本や技術書が入ったダンボールが何箱もありますが低IQです。典型的な読書量の多いバカです。
色んなジャンルの本を最初から最後まで読む人にバカはいないって解釈でいいの?
読書をどうとらえているかで回答が変わる話。趣味で文章読んでるんなら別に何でもええやん
頭をよくするためにする読書。つまらなくないか。
「スマホをよく使うのにバカ」に通ずる
電車でちらっとのぞき見するとみんな意外な本読んでておもしろいんだよね
どんな本読むかにもよるんじゃねえか
読書量が多いのに人をバカにするバカが減らないのはなぜか
「ビジネス書()はバカが読むもの」だからなぁ。ある意味でバカ炙り出しのリトマス試験紙みたいなものではあるよね。
バカとバカではないの違いが一冊の本をどこまで読むかという物差しというこの方の考えはバカなのか、バカではないのか、人によるだろうね。
自分は教養主義者なので、良書の精読が知的鍛錬であると信仰している(ふりをしている)が、単なる読書量と知性とは殆ど無関係だとも思ってる。読書は音楽鑑賞やスポーツと同じ単なる趣味娯楽(以下老害の無駄話2万字略
読書って、難しいよ。自分で70%程度は、理解構築できる内容でなければ、ほぼ読めないのでは。最近は、わからない事象はすぐにAIに聞いて、読書してる。
意識高い系界隈のビジネスワード知らないと馬鹿にされるからちょっと知っておこうというムーブのことかな?
読書による学習で脳内LLMを構築しよう
ビジネス書や自己啓発本とかは官能小説と何も変わらないので、それを読書と呼ぶのはおこがましいと思っている
単純に知っていると理解では全然違う。昔、バカは量をこなせと言われたので技術書を読んでいた。ある程度、読んでいたら共通の部分がでてきて段々理解していった記憶がある
評価軸が主観である時点で...
今のAIって読書量の多いバカそのものだから/読書量と賢さは統計的相関はあっても因果関係には無い
https://news.mynavi.jp/article/20130501-a044/本を読むだけでなく、それは何故なのか考えるのが重要、知っているだけでは自分の身についたとは言えない、私の場合は歴史書を読む時に、何故それが起きたのかいつも考えている。
本は読むけどバカがわかるようにはなってないなぁ、バカがわかる才能って天性のものなの?
心・技・体みたいなやつで、知識はあくまで体でしかない、という話ですね。
本を読む能力がない人はあまり賢くないかもだけど、本をたくさん読んだからといって賢くなるわけじゃないからな。特に、読書が趣味というだけでは「テレビが趣味」「インターネットが趣味」と何も変わらない。
古代ギリシアであった書物否定論(対人での議論こそ学びになり、読書だけでは学ぶことにならない)を思い出したり。
ある一面を見て「バカ」って人を総合的に判断してレッテル貼れるのってすごいな、思慮が足りないか、自身に自信があるんだなっていつも思っております。
どのように読むか、あたりもキーポイントになりそうだとは思うがよくわかっていない俺。 https://bunten.hatenadiary.jp/entry/2025/06/15/161455
読書量が多いってことは、大量に読める程度の内容ってことでもあるし
2行目「~多いはず」が、3行目以降はいつのまにか前提になってる?バカって表現は、知性がない、頭が良くないように見える、と言ったと思えば、 後半は視野が狭くなっていることに?すごく読みづらい
情報をたくさん入れるだけで頭がよくなるなら、AIはとっくに人間を超えてないとおかしいわけで
高卒に対して学歴自慢する大卒で、オタク的な本の知識をひけらかすけどフリーターみたいなのは何でだろうとは思った。
スピ系の本ばかり読んでる人を思い出した。確かに選書の時点で決まってる。でも内容をどう捉えるかが一番大事でその捉え方が偏れば選書も偏るのは当然。
読書法の話。らしい。少なくとも、昔からよくある「賢いバカ」「知識はあるのに知恵のない人」「頭の良い愚か者」みたいな話ではなかった。
ラノベやなろう系を読書とか思ってる?
例えば実は東大入試の現代文と英語長文が最も顕著なのだが、特定の偏った文章を読ませて、客観的に「何と書いてあるか」を訊く設問をつけると、その内容に同調できる人だけを合法的にスクリーニングできる技がある
読書はインプットだから日記でもなんでも書くアウトプットが大事と思う。あと思春期に勉強とかの脳トレになること頑張ったかどうか
この人にとってのバカって何だろう。情緒が繊細になる、とか、人の気持ちがわかる、とかは賢さではないんだろうねぇ。まぁいいけど。
読書をすることでバカであることをやめたいと思って実践しても、可処分時間や心の余裕や体力が有限であり、才能にも大きな差がある以上、残酷なほど差はつく。あとバカの定義をしよう。
他人の頭がよくないように見えるのは、自分がバカだから以外の理由は無いと思うが、そういう話ではなさそう。/読書は点を増やすのと線をなぞるしかできない。点を繋いで自分で線を引く力と、相手に伝える力は別。
馬謖とか・・・。李斯なんかも頭いいのに趙高に丸め込まれて最後は・・・。
本めちゃくちゃ持ってるけど全然読んでない人はけっこういると思う(読めてないとかではなく、
へー、人間様も本を読んでも賢くなれないことあるんだにゃ?ボクは毎日飼い主さんの顔色読んで賢く生きてるから、本なんて読まなくても大丈夫にゃ!…ちょっと強がりすぎたかにゃ?
いっぱいよむんだ(*^〇^*)→記憶と共にドバー→おぼえてないんだ(*^〇^*)
まあまあ読む方だけど、ずっと馬鹿だなぁとは思ってる。現代文、全然出来なかったしね。なんていうか、頭の回転が鈍いんだよね。
読書量と知力が比例の関係にないからでは
積読が増える一方。。。
インプットとアウトプットはセットで考えないと
足し算になるか掛け算になるかの違いだと思うな。K+1とK+K×0.00001は、Kが小さいときは前者が大きいけど、Kが大きいときは後者が圧倒的に大きくなりうる。
美術館巡りしまくってるのに感性が育ってない人もまた同じこと
俺は何をどうしてもバカなので興味のある本ばかり読んでいる。だからバカは治らない、バカにつける薬を開発してほしい、お願い!(多分副反応で死ぬ)
読解力の一言だが、読書にもバカの壁みたいなのはあって、馬鹿はどれだけ量を重ねても馬鹿なりの読み方しかできない。大川隆法なんてそりゃあもう酷いぞ。
本を読むのもYou Tube見るのもテレビ見るのも同じでしょ。
知能というものに対する解像度を上げよう。長期/短期それぞれのビジュアル/意味(テキスト)記憶と、操作する能力に分けるだけでも、どれが得意でどれがそうでないとかで分類できるよ。
これは若い頃からの俺の持論の一つだが、賢い奴は遊びに行って学んで帰って来る、アホは勉強しに行って遊んで帰ってくる。俺にとって読書は娯楽の一つ、学ぶか学ばないかはその人次第やで。
魚を食べてるのに…(やめましょう
1)読んでなければもっとバカだった説 2)YouTubeのレコメンドにしたがっていると観れば観るほどバカになる状況がよくあるから、同じことが読書でもおこりうる説
なろう書籍化を結構買ってる読者なのでタイトルで無事死亡
そうです私がバカです。 読んですぐ忘れる人間
つまみ食いはほんと良くない。本の良さは順序立てた説明が一貫してるとこにあるので。つまみ食いするとWebで調べるのと大差ない。
「他人の目を借りる」のは何も読書だけじゃなく 映画も漫画も音楽も何ならコミュとるだけでもうその扉は目の前にあるわけで そこから教養的なものを汲み取ってアウトプットする習慣があるかないかだけじゃないかな
途中からでいいから哲学で土台を固めないと、機会主義というか道具主義というかバカはバカなままその力の使い方を知らない悲しきモンスターに育ってしまう。…う、うるせ~!読書は娯楽だし~バカでいいも~ん^^
基本的に自分が馬鹿側ではないことを前提に書いてると思うんだけど、この人も賢い人から見たら「そんな本を読んでるのに何でこんなに思慮が浅いんだろう?」となるので、誰と何を比べるかと程度問題だと思う。
まぁでもその本をどう読むかなんて人の自由だからねえ。なんとも言えない。知的になんてならなくてもいいやん。
バカがバカにアドバイスしてら
RPGではIntとWisに分けて扱うことがある(※当然ルールによる)。高INT、低WISによって『高出力魔法を唱える知能はあるが、その結果を考える賢さのないキャラ』を表現することがある(話題の某アニメの某嬢は無関係)
そもそも本を書く側の文章力が落ちてるのでは。なにしろ現代ほど多様なレベルの(婉曲表現)文章が世に出回っている時代は過去なかったでしょ。要はちゃんとした文章に出会う確率が落ちてるのよ。
中学生から27歳まで年間200〜300冊読書してきたけど、むちゃくちゃ頭悪いし語彙は少ない 完全に娯楽・暇つぶしとして消費しているので、読んだ端から忘れている X見るのと変わらない感覚で読書する人もいる
自分も思考方法やフレームワークとかの本を読み漁ってるわりにはアホかもしれん。自分に欠けてるものを補いたいのかも
そもそも行動と知性が同期すると考えるのが短絡的。賢人ならゲームでもアニメでも推し活だろうが新たな知見を見いだし己の糧とするが、バカが読書をしても書いてある文字を見尽くす単純作業になりがち。
いちいちご飯食べる度に「食事で栄養摂るべき」「効果的に摂取する為にどうやって食べるべきか」を考えてるみたいに見える。それも大事だろうけど単純に「お腹空いた」「美味しい」「楽しい」でもいいじゃないか
読書量が多い(主観)も含まれるので
かりあげクンも「読書は毒っしょ」と言っていたな
″「好きな場所だけつまみ食い」をしていると、結局は自分の理解できる範囲しか読んでいないことになり、読書によって得られる体験は「ゼロ」だ″んなばかな。俺なんか全部読んでるのに頭悪いぞ
本を読むと頭が良くなる、という思いはどこからくるのだろう。辞書でも読んでれば?
読んでるだけで、考えてないから
能なしほど本を高尚なものと思いがち。黙って読めよ。風呂入るときに風呂入るのわざわざドヤらないだろう。
申し訳ありません。
他人を容易にバカと判断することもなかなかに馬鹿馬鹿しいことだし、あまり理路整然とした文章でもないため、まず自分の知力を疑う必要があるのかもしれませんぜ
遊びで読書してるので賢くはなってない
楽しみたいから読みたい本もあるだろう。
読書にせよ何にせよ、個人個人が脳の特性に合った方法を選択すればよいだけで、一義的に論じるべきではない筈。 / “街へ出よう”などと一つ覚えで経験崇拝をしてるブコメに失笑。惹句を鵜呑みにして思考停止したバカ
本de真実
認知にもいろんなジャンルがあるから、読書だけでは全方位まかなえないよね
本を読むと賢くなるという認識がそもそも間違ってる。学びや知識を得るためだけに読書はあるのではない、娯楽でもある。“体験がゼロ”だっていい、あなたが決めた読書のルールや目的なんて知らない、自由に読ませろ
ボカロ曲を聴いているとボカロの歌詞を聞き取りやすくなる『ボカロ耳』になるのと同じで、読書の効果は「文字を読むコストが下がること」に尽きる。
博覧強記というのでretainment(いかに脳内に残すか)が大事になりそう
持論の補強を否定しながら、読書量の多寡以外の条件(他人の読書量をどう量るのか、書籍ジャンルなど)が一切不明瞭な状態で、持論の補強をしているnote主がバカって自白なのかなって感想しかない。
日本人が毎日新聞を読んでいた時代もあるようだが全員が賢かったわけではないだろう
暗に「IQが高い」ことを最も聡明だと考える人から見て読書家は必ずしも聡明じゃないよねとdisるのが目的の記事。高IQは高IQで特徴があるので必ずしも総合的な聡明さではない。
Amazonで深田ナンヤラとか門田ナンヤラとかの著作にアクセスするとどんどんお勧めされるので、フィルターバブル/エコーチェンバーは読書でも捗りますよ。
①バカが書いた本を読むとバカがうつるから②賢い人が書いた本は或る程度賢くないと理解できないから③読書はインプットに過ぎずアウトプットにならないから④本で知識を得てもそれが脳に定着するとは限らないから
読書量が多いけどバカの視点からのnoteなのに書いている本人はそれに気づいていないパターンかな?
この筆者の言っていることに一理はあると思いつつ何かの違和感を感じる
バカは知性の定義が曖昧
大前提として、読書量が多いけどバカ、という人がいても別に良いよね。
まぁ、そうだよね。全部読むのがいい。
量は質を保証しないので。
これは大きく2種類いて、「同じような本をたくさん読んでるので持ってる知識情報が全然増えない」「情報をたくさん抱えてるが体系化と無縁なので全く情報を活かせない」
一生仕事の質が上がらないのと同じで、自分の頭で考えない人は何をやらせても駄目
ぶっちゃけジャンルによるけど本なんてゲームでストーリー追ってるのと変わらんと思うんだが。普通に娯楽。勉強とか、そういうタイプのものはまた別かもしれないけど、読書=賢いみたいな考え方はいかにも馬鹿っぽい
テリー伊藤のお笑い大蔵官僚、だっけに出てきた官僚はヒドかったなあ。作りなのか特別ヒドいのを選ってきてたのか知らんけど。
わざとやってんだよ
とりあえず堀江貴文推薦!とかひろゆき推薦!って帯びにある本読んでる人あたまわるそう(偏見)
新卒で入った会社の社長は、自分が読んだ本を会社の本棚にズラーと並べてたんだけど、 見栄っ張りで自分勝手で独断専行、加えて不倫もしてて 本が人を育てるのは幻想だと思ったなぁ。
“僕の場合、単に貧乏性で、せっかく買った本に未読の箇所が発生させたくない、という気持ちがある。” お金に余裕できてみなさいよ、そんなの いってられなくなるよ。
人様のことを馬鹿呼ばわりしてはダメ。って本に書いてあったような気がする。
ごめんなさい🙇♂️ごめんなさい🙇♂️ごめんなさい🙇♂️
僕は小説、それもかなり偏った、しか読まないので『知性を身に付けるには読書をすると良い』という前提が当て嵌らないかな。筆者が指摘しているように読みたいモノを読んでても視野は広がらないだろうし。
悟りの書だってレベル20にならないと効果ないだろう。そういうことだよ。
一昨日に自己啓発本を買い込む人の記事を見たな。
バカって言うヤツが一番バカなんだよバーカ、バーカ
学歴がないのでバカと思われやすいが実際大して頭良くないのでバカに見えるようにふるまっている。それがバカのように振る舞い、バカのように鳴けばバカなので(ダックタイプ)
他者を罵倒するのは恥ずべき品性だよ。本を読んだ結果こうなってしまうなら読まない方がマシ。
読書量が多いのにバカな人なんか会ったことないぞ。仕事ができない(しない)人はいるけど。とりあえず語彙は多いし。話は通じるし
“つまらないと感じた本でも、1年後や2年後に読み返すと意外と面白く感じる体験は多い” ここはわかるけど、そんなに大層に言うことかな? これは別に読書に限った話でもないような気がするよ。
頭良くなる為に、本を読んでいるんじゃねぇ。好きだから読んでるだけだ。
えぇ、全然読んでる暇ないんだけど。読んでるだけですごいよ
何も難しくないだろ。地頭Xに対して読書量(勉強量)Yがある。知性はXかけるYであってどちらかが0なら知性も0になるだけ
単に文字を読むのが好きで本を読む友人がいる。彼女に本の内容や要点を聞いても何も覚えておらず、すごかった面白かった等の読まなくても言える感想しか出てこないので、体に文字を通すだけの営みがあることを知った
「努力って普通に裏切るよ」って話と同じで何か意識を持ってやらないと時間かけただけでは血肉になりにくい
読書をしないでバカとどちらがマシなのだろう
冒頭だけ読んだ。本の内容、本の読み方、本を読んだあと等々でぜんぜん変わるって話でしかなくて、考えるまでもないことで不思議とか言ってる奴がアレでしかないんだよな。
タイトルで「あぁん、読書量が多い馬鹿で悪かったな、この糞馬鹿」と思ったが記事の内容もしょうもない。知性や知識の為に本を読んでるのでは無いのだよ。娯楽だ、娯楽。
30過ぎて読書再開して本当に良かったと思う。人文知は世界を広げてくれる。同時に、人文で食ってる人の偏狭さを見て、これを人生の拠り所にしちゃダメだなとも思います
こんなに無意味なテキスト書ける人がいるってことがそのまま答えやんけ
ブコメの通り考えるのも大事だし、そもそもなぜ知識を身に着けるのかの目的をきちんと持てば読書量だけの人になることは無いと思う。
たぶん識字率が低かった頃の風説を引きずってるだけ。読書してるから文字に強いと言う人、まず法律でも全部読んで理解してみると良い。
私はきっと周囲から見てバカなんだろうな。もともとバカだし否定もせんけど…
確かに読書の偏りはありますね。読書だけでなく動画でも「タイムライン」「レコメンド」で強制的に思想を偏らせる(バイアスを掛ける)は、兵庫県の斎藤知事で実験済み。
タイトルの前提がちゃんと説明されてないじゃん。
しない方法を紹介するという自分で自分の論を体現する、ゼロの掛け方をして見せていることに読者の余地も作者のフォローもないこれがまさに、のアンサーを残していない所かなと。
読書は娯楽だからね。そんな崇高なもんじゃないし、努力や我慢するもんじゃない。勉強がしたい人はすればいい。自己啓発本は中身が薄いし、立読みで十分だと思う。これを多く読んだところで賢くはならない。未読。
箕輪編集、ホリエモン、西野、中田あたりの本ばかりを読んでるからじゃないかな。
バカ呼ばわりはどうかと思うが、愚かさには知識の不足・非論理的・非合理的・体系化のなさ・社会性のなさなどがあり、読書でカバーできるのはこのうち1つ目だけだよねという話ならわかる
知識グラフのノードは増えてもリンクがない的な
そりゃTSUTAYAやブック1stや有隣堂の目立つとこに平積みされてる本ばっかり読んでも頭良くなるわけない。情報を消化して満足してるだけだから。
自分はバカではないと確信できるのすごいね
読書はそれ自体が楽しい人が楽しくなるためにするのが一番幸せだと思う。読書に限らなくてほとんどの趣味がそうだけど。
お勧めしない方法と量は関係ないという持論の紹介が沢山の本を読んだ成果か 世界のどこにもないものを探す方法は逐次全否定ではなく無意味な全肯定だぞ バカについてすら存在からして肯定できているというのに
先のコメントにもあるが読書は娯楽だよね。ランキングからでも興味ある本を読み面白いと思えたら立派な知見を得ている。私なんか今頃”十角館の殺人”を読んでふーっ!となった近頃です。
嫌いな上司に「本読む量凄いけどアウトプットねえな」とか言われた事ある。「そっすね」とへらへらしてたが、内心「お前と趣味を共有するつもりねえよ」と思ってた。ちなみにそいつに貸した本は借りパクされた
LLMが考えたタイトル「読書量と知性は比例するのか?視点の広げ方を考える」 人を馬鹿にする時の言葉は自己紹介になるから気をつけないとな(自戒)
教科書を1回通読するだけで全部頭に入る人がいないように、読んだだけじゃ駄目で自分の手持ち知識と整合性や関連をちゃんと理解しないといけない。それには時間も手間もかかる。
ブクマカ一般のたくさん読書してますアピールって結構すごいけど、一方の「記事を読まずにブコメ」「英語学習記事をブコメするけど英語学習しない」みたいな仕草を見るに、本当は本もそんなに読んでないと思ってる。
あ
こういう意識高い系に読書という言葉を乗っ取られているの本当に嫌だ。エロ本から哲学書まで、本を読んでりゃ読書のはずなのに。ただ本読んでるだけのことに知性がどうとか変なバイアスつけるな
「読書量が多いのにバカ」な人がいるのはなぜか?|やひろ
私みたいな太字ばかり読んでいる人に対する批判かな?でも色んな人の色んな考えに触れるのも大事。時間は限られているから、むしろ「1人の考えにどっぷり浸かりすぎる」のもそれはそれでよくない気がする。
「賢い」とは、知識が豊富(確証バイアスのリスク有)、頭の回転が速い(地頭はこのパターン)、現象に振り回されず抽象的な構造が見える、自分の認知をメタ認知できる等々いろんな要素の相互作用で成り立っている
多いだけのバカでサーセンwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
消化及び昇華できないのに、たくさん読み過ぎるから。以上。
“自分の知力を磨くことを目的に読書に励む人も多いはず” そんな人多いんかね?しんどそう
おぎやはぎの小木さんは引かれるほどドラマや映画をみてるそうだけど観終えた先から内容を忘れるから仕事に結びつけられないとは言ってたな。読書量増やさないと負債ばかりで死ぬなあと思いつつずっと思考停止中。
読みが浅いか、バカな本しか読んでいないかだと思うよ。
正しい情報を読んでいるのに間違った知識を吸収する人がいる。網羅的に情報を摂取している人は断片情報のつながりを理解できるが、偏っている人は間違って情報をつないでしまうので、おかしな知識ばかり増える。
YouTubeばっかり見てるのに賢い人がいるのはなぜか?と同様、読書や動画から学びを得ているか娯楽として消費しているかの違いだろう
単純に「自分は賢い」と思ってるからよ
読書は気づきを与えるためのもので、気づきは書を捨てて街に出ることで熟成される。逆に、読書で目覚めてしまう人は、鵜呑みしてしまうくらい頭の中が空っぽだったバカ。
知識と知性は別のものだから
馬鹿は何をやっても…あ、ごめん
2200年前に孔子が答え出してくれてるんですよねこの問題。学びて思わざれば則ち罔し、読書しても自分の頭で考えないなら何もわかったことにならないぞと。そして逆に、思いて学ばざれば則ち殆しって続きもあり
本の中に見つけた気づきを抽象化して自分の中に取り込めるかどうかだろうな。抽象化することで別のケースにも応用できる。呪術廻戦の夏油のようなイメージ。別に本でなくてもよくて、路傍の石からも学べる。
読書をしていろんな考え方に触れているはずなのに、傲慢な人がいるのはなぜか?
近年は電子書籍派の人も増えて一見読書してるのかどうかわからない人も多くて、紙本しかなかった時代より読書量を判断するの難しそう。その人が口で言ってるのを信じるしかないというか、データとして信用に足るか?
バカな零戦礼賛小説みたいなのをいくら読んでも、バカはバカです。
「學びて思はざれば則ち罔(くら)し。思ひて學ばざれば則ち殆(あやう)し」
陰謀論者の本棚に陰謀論の本ばっかり何十冊もあって「俺はこんなに勉強してる!舐めるんじゃねぇ!」とか言い出すやつは昔からあるよね。
娯楽だよ娯楽
頭空っぽの方が詰め込める~♪
「ほんをよむとあたまがよくなる」と思ったまま大人になる人がいると知って少し驚いている
ヘブンズドア
知らんけど読めば読むほど自分が馬鹿に思われてならん。
う! すみません...ムーとかばかり読むのやめます...
人間様の思考方法が『言語』と『ルール(数学や自然科学系)』に基づいてるんだから、『読書等の情報を言語に絞った鍛錬』で思考の土台づくりしてるだけ。いくら土台があっても仕事ができない人もいるというだけの話
別に読書する人は賢いわけじゃないのよ
知識や情報は得られるかもしれないけど知性は無理でしょ
マンガはいっぱい読んでるよ?
何かの本で、「単に読むだけだと著者の思考の轍に沿って考えているだけで、それでは本当の考える力は身に付かない」とあったな。批判的に本を読めという趣旨だった。
本を読んでる私は真っ当な知性を持っているという自惚れこそ警戒すべき
アタシは専門書以外は殆ど読まないけど、別に事足りるわ
身になってないから以外の答えある?長時間勉強してるのにバカとか、東洋経済「なぜ~は~なのか」みたいな記事を多産してる作者がバカとかは平凡な現象で、量から質を生む十分条件を挙げてないなら何も発見がない。
読書は文字が読めれば誰にでもできます。なにも特別なことではないのです。
というよりそういう人は読書量が少なかったらもっとバカだったのではないだろうか?/「読書量が増えたのにも関わらず前よりバカになる人がいるのがなぜか?」という問いの方がよかったのではないか?
ブコメも、型にハマった頭ごなしの反論みたいなのはバカっぽく見えるもんな。
一日に一定以上の量の文字を読んでると頭が回転してる状態をキープできる感覚はある。本から何かを得るってのもあるけど、まあそれはあったりなかったりじゃないかなあ。
自分の頭で考えたり自分の体験だけで判断したりでバカな結論に到達する人も多いので、必ずしもそれがいいわけではない。その一方で他人からの情報を鵜呑みにするのもバカなので、大事なことは簡単に結論付けないこと
“知性を身に付けるには読書をすると良い、ということがよく言われる。” 本読まない人が言いそう。
馬鹿と読書家は独立事象だからだが。読書すると頭が良くなるなら学校は全部読書になってるだろ。教員の人件費も減らせるんだからよ。
長時間読書することが必ずしも知性につながるわけじゃないが、統計を取れば読書量との相関はあるかもしれない。その程度の話
本て娯楽じゃないの?好きなもの好きなとこだけ読むよ。
最も難儀なのは「自分がバカでは無い側」と思ってる人じゃないかしら。
ギャル曽根さんはいわゆる特異体質だけど、別に食ったもん全部をエネルギーにできてるということはなくて大部分がただウンコになるだけなんだよな。
「読書量」と「バカ」の定義を確認したほうが良さそ。人によって違うレベルの話をしてそう
読書は娯楽なので知識を得るとか知力とか言われると「何言ってるんだ?????」ってなる。
ビジネス書ばっかり読んでたら アホになるよ 小説をよもう!
薄っぺらい内容の本をいくら読んでも賢くはならないだろうよと
バカにも好奇心はあるから。根本的には国民皆教育のおかげさまでは。バカに字を教えたばっかりに。
受け売りで止まるか、自分ごとにして考えるかの違いか。物語の場合はどうだろう。どう解釈できるか。その幅の広さを知性というのかもしれない。
朝夕の通勤時間の暇潰しだけどね。
読書に限らずスポーツの練習でも漫然とやるだけでは身に付かない、上達し難いのと同じで、多読家が読んだ本の数ばかり誇るような手段の目的化にならないよう、自分で考えた上で理解、納得を心がけないといけないよ。
専門書とかつまみ食いするしかない本は沢山ある。中身が詰まりすぎた本はほとんどの人には通読できない。速読にしても大筋の流れを把握する技術がちゃんとあるかどうかの問題ではないか
読書してもバカだが、読書しないともっとバカになるという恐怖で、今日も読書してる。
人間に不可能なほどの読書を極めたLLMでもある程度までしか賢くはなれない。でもまあそこらの人よりは賢いけど。
“「読書をすれば頭が良くなる」とは一概に言えない可能性がある。” 可能性もなにも、当たり前にそれが答えなのでは?
地頭と呼ばれる奴も、業界とか分野におけるパターン思考の速度を指していて、別の分野においては速度が下がるケースもあるよね。
「あまり知性がないように見える人」とはどんな人なのだろうか。飲み会でタワマンと子どもの話しかしない人だろうか。それは知性がないわけではないと思う
うるせーばーかばーか
本を読むと頭が良くなると前提がよくわからない。映画とかゲームと同じエンタメだと思うんだけど。
文字列上の論理を得ても、概念を獲得できてないのでは。
「読書をする俺かっこいい」になってるとあかんよね。
読んでなかったらもっとバカだったのが少しマシになった可能性
たぶん、目から入った情報が脳を経由せずにいろんな穴から漏れ出しているからだと思いますよ。
読書量と知性は意外と相関はないと思う… 何を「知性」と呼ぶかによるけど、知識だけ増えても洞察力が鍛えられていないと「バカ」に見えると思う。
読書は間違いなく見識を広めるという意味で頭が良くなることに寄与すると思うけどな。たくさん読んでも変わらないという人は中身のない似たような本を読んでいたり斜め読みで読み飛ばしすぎなだけなんじゃないか?
魚を食べるといいよ
本ってそもそもただの娯楽でもあるでしょうに
『「持論の補強」ばかりが進んでしまい、かえって考えが偏ってしまう』
ちょうど先日図書館で、日猶同祖論っぽいタイトルの本と高市早苗の本を持ったオッサンが受付の人に怒鳴りっぱなしなところに、その後ろに並んだので「本は読めばいいわけじゃない」はよく知ってる。
読書は娯楽で楽しんでいる最中に偶発的に自分が知らなかった知見に出会えるのがいいんじゃないかな。最初から結果だけ求めても意味ないんだぜ。
情報は咀嚼しないと身につかないので、ただ接種してそのままうんこで出てきたら栄養にならないのは当たり前である
インプットとアウトプットが比例していないから。
知識を付けて「俺は詳しい。無知や誤解をしてるバカ多すぎ」という思考パターンで攻撃してくる人がいて鬱陶しい。でもそういう人に限って、自分と意見が違うことと、無知や誤解の区別がついていない。
「量」より「質」が肝心ということだね。数をこなして自慢するより、古典や名著と言われる類の本を繰り返し読み込み、自分の頭で考え抜き、自分が理解した自分らしい考えを体得できれば、類稀な人になれるかもね…。
何をもってバカとするのか 例えば東出昌大はかなりの読書家 たまに書く文章も見事 しかし世間からは不倫するバカとされている 自分はそうは思わないけど
原因になる要因は色々あるけれど、単純に読むのが好きなだけだからというのがシンプルかと。 思想が捻くれてるとか、記憶力が著しく悪いとか、入れた物を活用できないなんてのは、そもそも目的としてないからだと思
単純に読書量と知性に相関関係がないだけでは?
読んだ本の量で人にマウントとってもねぇ
ここで言う「読書」ってビジネス書でしょ?一冊も読んだこと無い
この書きっぷりからすると、小説やノンフィクションというより、既に指摘があるようにビジネス書の類いが念頭にある気がする。確かに、ビジネス書や啓発書は、基本自説を開陳するものなので、うわっ。って本が多い笑
本屋を見ると立ち寄らずに居られず必ず何か買ってしまい家に自然科学系の本や技術書が入ったダンボールが何箱もありますが低IQです。典型的な読書量の多いバカです。
色んなジャンルの本を最初から最後まで読む人にバカはいないって解釈でいいの?
読書をどうとらえているかで回答が変わる話。趣味で文章読んでるんなら別に何でもええやん
頭をよくするためにする読書。つまらなくないか。
「スマホをよく使うのにバカ」に通ずる
電車でちらっとのぞき見するとみんな意外な本読んでておもしろいんだよね
どんな本読むかにもよるんじゃねえか
読書量が多いのに人をバカにするバカが減らないのはなぜか
「ビジネス書()はバカが読むもの」だからなぁ。ある意味でバカ炙り出しのリトマス試験紙みたいなものではあるよね。
バカとバカではないの違いが一冊の本をどこまで読むかという物差しというこの方の考えはバカなのか、バカではないのか、人によるだろうね。
自分は教養主義者なので、良書の精読が知的鍛錬であると信仰している(ふりをしている)が、単なる読書量と知性とは殆ど無関係だとも思ってる。読書は音楽鑑賞やスポーツと同じ単なる趣味娯楽(以下老害の無駄話2万字略
読書って、難しいよ。自分で70%程度は、理解構築できる内容でなければ、ほぼ読めないのでは。最近は、わからない事象はすぐにAIに聞いて、読書してる。
意識高い系界隈のビジネスワード知らないと馬鹿にされるからちょっと知っておこうというムーブのことかな?
読書による学習で脳内LLMを構築しよう
ビジネス書や自己啓発本とかは官能小説と何も変わらないので、それを読書と呼ぶのはおこがましいと思っている
単純に知っていると理解では全然違う。昔、バカは量をこなせと言われたので技術書を読んでいた。ある程度、読んでいたら共通の部分がでてきて段々理解していった記憶がある
評価軸が主観である時点で...
今のAIって読書量の多いバカそのものだから/読書量と賢さは統計的相関はあっても因果関係には無い
https://news.mynavi.jp/article/20130501-a044/本を読むだけでなく、それは何故なのか考えるのが重要、知っているだけでは自分の身についたとは言えない、私の場合は歴史書を読む時に、何故それが起きたのかいつも考えている。
本は読むけどバカがわかるようにはなってないなぁ、バカがわかる才能って天性のものなの?
心・技・体みたいなやつで、知識はあくまで体でしかない、という話ですね。
本を読む能力がない人はあまり賢くないかもだけど、本をたくさん読んだからといって賢くなるわけじゃないからな。特に、読書が趣味というだけでは「テレビが趣味」「インターネットが趣味」と何も変わらない。
古代ギリシアであった書物否定論(対人での議論こそ学びになり、読書だけでは学ぶことにならない)を思い出したり。
ある一面を見て「バカ」って人を総合的に判断してレッテル貼れるのってすごいな、思慮が足りないか、自身に自信があるんだなっていつも思っております。
どのように読むか、あたりもキーポイントになりそうだとは思うがよくわかっていない俺。 https://bunten.hatenadiary.jp/entry/2025/06/15/161455
読書量が多いってことは、大量に読める程度の内容ってことでもあるし
2行目「~多いはず」が、3行目以降はいつのまにか前提になってる?バカって表現は、知性がない、頭が良くないように見える、と言ったと思えば、 後半は視野が狭くなっていることに?すごく読みづらい
情報をたくさん入れるだけで頭がよくなるなら、AIはとっくに人間を超えてないとおかしいわけで
高卒に対して学歴自慢する大卒で、オタク的な本の知識をひけらかすけどフリーターみたいなのは何でだろうとは思った。
スピ系の本ばかり読んでる人を思い出した。確かに選書の時点で決まってる。でも内容をどう捉えるかが一番大事でその捉え方が偏れば選書も偏るのは当然。
読書法の話。らしい。少なくとも、昔からよくある「賢いバカ」「知識はあるのに知恵のない人」「頭の良い愚か者」みたいな話ではなかった。
ラノベやなろう系を読書とか思ってる?
例えば実は東大入試の現代文と英語長文が最も顕著なのだが、特定の偏った文章を読ませて、客観的に「何と書いてあるか」を訊く設問をつけると、その内容に同調できる人だけを合法的にスクリーニングできる技がある
読書はインプットだから日記でもなんでも書くアウトプットが大事と思う。あと思春期に勉強とかの脳トレになること頑張ったかどうか
この人にとってのバカって何だろう。情緒が繊細になる、とか、人の気持ちがわかる、とかは賢さではないんだろうねぇ。まぁいいけど。
読書をすることでバカであることをやめたいと思って実践しても、可処分時間や心の余裕や体力が有限であり、才能にも大きな差がある以上、残酷なほど差はつく。あとバカの定義をしよう。
他人の頭がよくないように見えるのは、自分がバカだから以外の理由は無いと思うが、そういう話ではなさそう。/読書は点を増やすのと線をなぞるしかできない。点を繋いで自分で線を引く力と、相手に伝える力は別。
馬謖とか・・・。李斯なんかも頭いいのに趙高に丸め込まれて最後は・・・。
本めちゃくちゃ持ってるけど全然読んでない人はけっこういると思う(読めてないとかではなく、
へー、人間様も本を読んでも賢くなれないことあるんだにゃ?ボクは毎日飼い主さんの顔色読んで賢く生きてるから、本なんて読まなくても大丈夫にゃ!…ちょっと強がりすぎたかにゃ?
いっぱいよむんだ(*^〇^*)→記憶と共にドバー→おぼえてないんだ(*^〇^*)
まあまあ読む方だけど、ずっと馬鹿だなぁとは思ってる。現代文、全然出来なかったしね。なんていうか、頭の回転が鈍いんだよね。
読書量と知力が比例の関係にないからでは
積読が増える一方。。。
インプットとアウトプットはセットで考えないと
足し算になるか掛け算になるかの違いだと思うな。K+1とK+K×0.00001は、Kが小さいときは前者が大きいけど、Kが大きいときは後者が圧倒的に大きくなりうる。
美術館巡りしまくってるのに感性が育ってない人もまた同じこと
俺は何をどうしてもバカなので興味のある本ばかり読んでいる。だからバカは治らない、バカにつける薬を開発してほしい、お願い!(多分副反応で死ぬ)
読解力の一言だが、読書にもバカの壁みたいなのはあって、馬鹿はどれだけ量を重ねても馬鹿なりの読み方しかできない。大川隆法なんてそりゃあもう酷いぞ。
本を読むのもYou Tube見るのもテレビ見るのも同じでしょ。
知能というものに対する解像度を上げよう。長期/短期それぞれのビジュアル/意味(テキスト)記憶と、操作する能力に分けるだけでも、どれが得意でどれがそうでないとかで分類できるよ。
これは若い頃からの俺の持論の一つだが、賢い奴は遊びに行って学んで帰って来る、アホは勉強しに行って遊んで帰ってくる。俺にとって読書は娯楽の一つ、学ぶか学ばないかはその人次第やで。
魚を食べてるのに…(やめましょう
1)読んでなければもっとバカだった説 2)YouTubeのレコメンドにしたがっていると観れば観るほどバカになる状況がよくあるから、同じことが読書でもおこりうる説
なろう書籍化を結構買ってる読者なのでタイトルで無事死亡
そうです私がバカです。 読んですぐ忘れる人間
つまみ食いはほんと良くない。本の良さは順序立てた説明が一貫してるとこにあるので。つまみ食いするとWebで調べるのと大差ない。
「他人の目を借りる」のは何も読書だけじゃなく 映画も漫画も音楽も何ならコミュとるだけでもうその扉は目の前にあるわけで そこから教養的なものを汲み取ってアウトプットする習慣があるかないかだけじゃないかな
途中からでいいから哲学で土台を固めないと、機会主義というか道具主義というかバカはバカなままその力の使い方を知らない悲しきモンスターに育ってしまう。…う、うるせ~!読書は娯楽だし~バカでいいも~ん^^
基本的に自分が馬鹿側ではないことを前提に書いてると思うんだけど、この人も賢い人から見たら「そんな本を読んでるのに何でこんなに思慮が浅いんだろう?」となるので、誰と何を比べるかと程度問題だと思う。
まぁでもその本をどう読むかなんて人の自由だからねえ。なんとも言えない。知的になんてならなくてもいいやん。
バカがバカにアドバイスしてら
RPGではIntとWisに分けて扱うことがある(※当然ルールによる)。高INT、低WISによって『高出力魔法を唱える知能はあるが、その結果を考える賢さのないキャラ』を表現することがある(話題の某アニメの某嬢は無関係)
そもそも本を書く側の文章力が落ちてるのでは。なにしろ現代ほど多様なレベルの(婉曲表現)文章が世に出回っている時代は過去なかったでしょ。要はちゃんとした文章に出会う確率が落ちてるのよ。
中学生から27歳まで年間200〜300冊読書してきたけど、むちゃくちゃ頭悪いし語彙は少ない 完全に娯楽・暇つぶしとして消費しているので、読んだ端から忘れている X見るのと変わらない感覚で読書する人もいる
自分も思考方法やフレームワークとかの本を読み漁ってるわりにはアホかもしれん。自分に欠けてるものを補いたいのかも
そもそも行動と知性が同期すると考えるのが短絡的。賢人ならゲームでもアニメでも推し活だろうが新たな知見を見いだし己の糧とするが、バカが読書をしても書いてある文字を見尽くす単純作業になりがち。
いちいちご飯食べる度に「食事で栄養摂るべき」「効果的に摂取する為にどうやって食べるべきか」を考えてるみたいに見える。それも大事だろうけど単純に「お腹空いた」「美味しい」「楽しい」でもいいじゃないか
読書量が多い(主観)も含まれるので
かりあげクンも「読書は毒っしょ」と言っていたな
″「好きな場所だけつまみ食い」をしていると、結局は自分の理解できる範囲しか読んでいないことになり、読書によって得られる体験は「ゼロ」だ″んなばかな。俺なんか全部読んでるのに頭悪いぞ
本を読むと頭が良くなる、という思いはどこからくるのだろう。辞書でも読んでれば?
読んでるだけで、考えてないから
能なしほど本を高尚なものと思いがち。黙って読めよ。風呂入るときに風呂入るのわざわざドヤらないだろう。
申し訳ありません。
他人を容易にバカと判断することもなかなかに馬鹿馬鹿しいことだし、あまり理路整然とした文章でもないため、まず自分の知力を疑う必要があるのかもしれませんぜ
遊びで読書してるので賢くはなってない
楽しみたいから読みたい本もあるだろう。
読書にせよ何にせよ、個人個人が脳の特性に合った方法を選択すればよいだけで、一義的に論じるべきではない筈。 / “街へ出よう”などと一つ覚えで経験崇拝をしてるブコメに失笑。惹句を鵜呑みにして思考停止したバカ
本de真実
認知にもいろんなジャンルがあるから、読書だけでは全方位まかなえないよね
本を読むと賢くなるという認識がそもそも間違ってる。学びや知識を得るためだけに読書はあるのではない、娯楽でもある。“体験がゼロ”だっていい、あなたが決めた読書のルールや目的なんて知らない、自由に読ませろ
ボカロ曲を聴いているとボカロの歌詞を聞き取りやすくなる『ボカロ耳』になるのと同じで、読書の効果は「文字を読むコストが下がること」に尽きる。
博覧強記というのでretainment(いかに脳内に残すか)が大事になりそう
持論の補強を否定しながら、読書量の多寡以外の条件(他人の読書量をどう量るのか、書籍ジャンルなど)が一切不明瞭な状態で、持論の補強をしているnote主がバカって自白なのかなって感想しかない。
日本人が毎日新聞を読んでいた時代もあるようだが全員が賢かったわけではないだろう
暗に「IQが高い」ことを最も聡明だと考える人から見て読書家は必ずしも聡明じゃないよねとdisるのが目的の記事。高IQは高IQで特徴があるので必ずしも総合的な聡明さではない。
Amazonで深田ナンヤラとか門田ナンヤラとかの著作にアクセスするとどんどんお勧めされるので、フィルターバブル/エコーチェンバーは読書でも捗りますよ。
①バカが書いた本を読むとバカがうつるから②賢い人が書いた本は或る程度賢くないと理解できないから③読書はインプットに過ぎずアウトプットにならないから④本で知識を得てもそれが脳に定着するとは限らないから
読書量が多いけどバカの視点からのnoteなのに書いている本人はそれに気づいていないパターンかな?
この筆者の言っていることに一理はあると思いつつ何かの違和感を感じる
バカは知性の定義が曖昧
大前提として、読書量が多いけどバカ、という人がいても別に良いよね。
まぁ、そうだよね。全部読むのがいい。
量は質を保証しないので。
これは大きく2種類いて、「同じような本をたくさん読んでるので持ってる知識情報が全然増えない」「情報をたくさん抱えてるが体系化と無縁なので全く情報を活かせない」
一生仕事の質が上がらないのと同じで、自分の頭で考えない人は何をやらせても駄目
ぶっちゃけジャンルによるけど本なんてゲームでストーリー追ってるのと変わらんと思うんだが。普通に娯楽。勉強とか、そういうタイプのものはまた別かもしれないけど、読書=賢いみたいな考え方はいかにも馬鹿っぽい
テリー伊藤のお笑い大蔵官僚、だっけに出てきた官僚はヒドかったなあ。作りなのか特別ヒドいのを選ってきてたのか知らんけど。
わざとやってんだよ
とりあえず堀江貴文推薦!とかひろゆき推薦!って帯びにある本読んでる人あたまわるそう(偏見)
新卒で入った会社の社長は、自分が読んだ本を会社の本棚にズラーと並べてたんだけど、 見栄っ張りで自分勝手で独断専行、加えて不倫もしてて 本が人を育てるのは幻想だと思ったなぁ。
“僕の場合、単に貧乏性で、せっかく買った本に未読の箇所が発生させたくない、という気持ちがある。” お金に余裕できてみなさいよ、そんなの いってられなくなるよ。
人様のことを馬鹿呼ばわりしてはダメ。って本に書いてあったような気がする。
ごめんなさい🙇♂️ごめんなさい🙇♂️ごめんなさい🙇♂️
僕は小説、それもかなり偏った、しか読まないので『知性を身に付けるには読書をすると良い』という前提が当て嵌らないかな。筆者が指摘しているように読みたいモノを読んでても視野は広がらないだろうし。
悟りの書だってレベル20にならないと効果ないだろう。そういうことだよ。
一昨日に自己啓発本を買い込む人の記事を見たな。
バカって言うヤツが一番バカなんだよバーカ、バーカ
学歴がないのでバカと思われやすいが実際大して頭良くないのでバカに見えるようにふるまっている。それがバカのように振る舞い、バカのように鳴けばバカなので(ダックタイプ)
他者を罵倒するのは恥ずべき品性だよ。本を読んだ結果こうなってしまうなら読まない方がマシ。
読書量が多いのにバカな人なんか会ったことないぞ。仕事ができない(しない)人はいるけど。とりあえず語彙は多いし。話は通じるし
“つまらないと感じた本でも、1年後や2年後に読み返すと意外と面白く感じる体験は多い” ここはわかるけど、そんなに大層に言うことかな? これは別に読書に限った話でもないような気がするよ。
頭良くなる為に、本を読んでいるんじゃねぇ。好きだから読んでるだけだ。
えぇ、全然読んでる暇ないんだけど。読んでるだけですごいよ
何も難しくないだろ。地頭Xに対して読書量(勉強量)Yがある。知性はXかけるYであってどちらかが0なら知性も0になるだけ
単に文字を読むのが好きで本を読む友人がいる。彼女に本の内容や要点を聞いても何も覚えておらず、すごかった面白かった等の読まなくても言える感想しか出てこないので、体に文字を通すだけの営みがあることを知った
「努力って普通に裏切るよ」って話と同じで何か意識を持ってやらないと時間かけただけでは血肉になりにくい
読書をしないでバカとどちらがマシなのだろう
冒頭だけ読んだ。本の内容、本の読み方、本を読んだあと等々でぜんぜん変わるって話でしかなくて、考えるまでもないことで不思議とか言ってる奴がアレでしかないんだよな。
タイトルで「あぁん、読書量が多い馬鹿で悪かったな、この糞馬鹿」と思ったが記事の内容もしょうもない。知性や知識の為に本を読んでるのでは無いのだよ。娯楽だ、娯楽。
30過ぎて読書再開して本当に良かったと思う。人文知は世界を広げてくれる。同時に、人文で食ってる人の偏狭さを見て、これを人生の拠り所にしちゃダメだなとも思います
こんなに無意味なテキスト書ける人がいるってことがそのまま答えやんけ
ブコメの通り考えるのも大事だし、そもそもなぜ知識を身に着けるのかの目的をきちんと持てば読書量だけの人になることは無いと思う。
たぶん識字率が低かった頃の風説を引きずってるだけ。読書してるから文字に強いと言う人、まず法律でも全部読んで理解してみると良い。
私はきっと周囲から見てバカなんだろうな。もともとバカだし否定もせんけど…
確かに読書の偏りはありますね。読書だけでなく動画でも「タイムライン」「レコメンド」で強制的に思想を偏らせる(バイアスを掛ける)は、兵庫県の斎藤知事で実験済み。
タイトルの前提がちゃんと説明されてないじゃん。
しない方法を紹介するという自分で自分の論を体現する、ゼロの掛け方をして見せていることに読者の余地も作者のフォローもないこれがまさに、のアンサーを残していない所かなと。
読書は娯楽だからね。そんな崇高なもんじゃないし、努力や我慢するもんじゃない。勉強がしたい人はすればいい。自己啓発本は中身が薄いし、立読みで十分だと思う。これを多く読んだところで賢くはならない。未読。
箕輪編集、ホリエモン、西野、中田あたりの本ばかりを読んでるからじゃないかな。
バカ呼ばわりはどうかと思うが、愚かさには知識の不足・非論理的・非合理的・体系化のなさ・社会性のなさなどがあり、読書でカバーできるのはこのうち1つ目だけだよねという話ならわかる
知識グラフのノードは増えてもリンクがない的な
そりゃTSUTAYAやブック1stや有隣堂の目立つとこに平積みされてる本ばっかり読んでも頭良くなるわけない。情報を消化して満足してるだけだから。
自分はバカではないと確信できるのすごいね
読書はそれ自体が楽しい人が楽しくなるためにするのが一番幸せだと思う。読書に限らなくてほとんどの趣味がそうだけど。
お勧めしない方法と量は関係ないという持論の紹介が沢山の本を読んだ成果か 世界のどこにもないものを探す方法は逐次全否定ではなく無意味な全肯定だぞ バカについてすら存在からして肯定できているというのに
先のコメントにもあるが読書は娯楽だよね。ランキングからでも興味ある本を読み面白いと思えたら立派な知見を得ている。私なんか今頃”十角館の殺人”を読んでふーっ!となった近頃です。
嫌いな上司に「本読む量凄いけどアウトプットねえな」とか言われた事ある。「そっすね」とへらへらしてたが、内心「お前と趣味を共有するつもりねえよ」と思ってた。ちなみにそいつに貸した本は借りパクされた
LLMが考えたタイトル「読書量と知性は比例するのか?視点の広げ方を考える」 人を馬鹿にする時の言葉は自己紹介になるから気をつけないとな(自戒)
教科書を1回通読するだけで全部頭に入る人がいないように、読んだだけじゃ駄目で自分の手持ち知識と整合性や関連をちゃんと理解しないといけない。それには時間も手間もかかる。
ブクマカ一般のたくさん読書してますアピールって結構すごいけど、一方の「記事を読まずにブコメ」「英語学習記事をブコメするけど英語学習しない」みたいな仕草を見るに、本当は本もそんなに読んでないと思ってる。
あ
こういう意識高い系に読書という言葉を乗っ取られているの本当に嫌だ。エロ本から哲学書まで、本を読んでりゃ読書のはずなのに。ただ本読んでるだけのことに知性がどうとか変なバイアスつけるな