ほぼこの通りやね。読む方も、いまさらあらすじなんか読みたくはない。自分語りがいちばんウケる / 一文ごとに改行だけは、おすすめしない。ま、ネタやと思うけど
大学の卒論くらいまではだいたいそんな感じで論旨を詰めるだけでよい
「文章とは自分が楽しいと思うことを書く。これこそが最も正しい文章の書き方」非常にその通りで、よくないのは、受験現代文や受験小論文でやったやり方が、まるで文章の読み書きの方法の全てみたいに思い込むこと
なにその話読みたいと思わせてくれる1行あらすじ。見事/これと、みくのしんさんの読書レポを参考に読書感想文を書いたら最高だと思うが、そもそも読まない子は読まないな
“いかに自分の好きな話題へ、文章を持っていくかである。”これに尽きる。読書感想文なんて自分語りすれば無限に書けるので、何読んでもほぼ同じ内容になってもおかしくない。
全ての事柄を競艇に結びつけるエビスメソッドが役に立つ時が来たか
むしろ課題図書からいかに自分の土俵に持ち込むか、そこでどう語るかでしか差別化できない。コンクール入賞とか目指すならどうしたってそうなる。
書きたいことのある人のいうことだなあという感じ。うそをでっち上げるのだって相当難しいこと。
文が書ける人の理屈だと感じるなぁ "というわけで、どうすれば自分の好きなことを書き散らせるかを考え、課題図書を選ぼう" 書きたいと思える好きなことがないからあらすじで埋めるんだよね⋯
今後、読書感想文はAIへの扉として作用するだろう。
隙あらば自分語りが実は正解
貴方の感想を書くのであって、「こういう話で、ここが良くて、こう面白い話です」と解説する必要はない、というのが重要と思っています
"文章の終わりに「。」をつけたなら必ず改行し、行数を稼ごう" / 枚数指定の場合はコレ実際便利。あと「~だと思った」より「~だと思いました」みたいな丁寧だったりもったいぶった口調使うと文字数稼げて良い。
まるっと同意。読んで何を思ったかでしょ。コレで読書感想文コンクールで入選したりしてたんで、多分間違いない。自分がしてたのは、読みながら気になる言い回しとか付箋にメモして挟みつつ読み進める事やな。
今だと適当なAIに書かせれば済むから簡単なタスクだな
読書感想文はなかなか提出しないくせに、頼まれてもいない動画の感想をコメント欄に嬉々として書いてる連中って何なんだろうな。
こどもに読ませるブクマ
トップ絵がかわいい
どうして読み始めたかを書いて、取っ掛かりになるポイントを一個書いたら、自分の世界に持ち込んで好きなことを好き勝手に書けという感じ
“無理やり読書させて、無理やり感想文を書かせる”教育という前提で文を始めているのに「文章とは自分が楽しいと思うことを書く。これこそが最も正しい文章の書き方である」と無理筋な指示を出すのは暴投では
わし、もう少し具体的なの書いたことあるよ https://m-dojo.hatenadiary.com/entry/20150814/p2 https://m-dojo.hatenadiary.com/entry/20120824/p3
実際こんな感じで無関係なプライベートの感動エピソードをねじ込んだような感想文が賞を取ってる事も多いと思うのでわりと王道なやり方だと思う。
いい文章読本。書きたいことを書く御膳立てをするってところがとくに勉強になりました。あらすじで文字数を稼ぐのはセオリーに見えて悪手なのね。「書きたくないこと」ですごく面倒だから書くことが嫌いになるのよね
ぶくまは関係ない自分語りが楽しいよね
今の中学生はすでにsns投稿とかやってれば読書感想文くらいならスラスラ書きそう。snsとかやらない学生はまず文章を書くという行為が生活の中にないからね。記述式試験の短文すら嫌だった
書きたいことがなかったから、規定枚数いっぱいあらすじで埋めて、最後に「面白かったです。」とつけてた。
書いてある事は基本中の基本。けど、唯一の正解ではない。むしろ、やっちゃダメな方法を羅列した方が分かりやすい様な気がする。
読書感想文の「型」を知れば書ける人は多そう。読書感想文の書き方の本を読むのが「型」を知るのに一番手っ取り早いが、それもまた本を読む行為なので本を読むのが好きじゃないとそこでもう詰むというジレンマ。
解説がある本を選んで適当にパクってた。今なら生成AIにまとめて投げてたと思う
″感想文に嘘を書いてはいけないという法律はない。″天啓だった
毎日読書感想文のようなことをしているな、とふと気づきました。昔はあんなに嫌いだったのに。
道端で話しかけてきたのに、いつのまにか自分の話ばかり繰り広げてくるご老人のスキームだわこれ。//でも小さい子だと好きな事を書き出すだけでも経験にはなるもんね。
『税金で買った本』で、灰坂がいってたのと割と似てるw
小説で書くのは難しいと思う。 / 実は読書感想文以上に厳しい条件で文章を書いたことってない気がする。分量の指定があって、手書きなのがきつい。
読書感想文は減少しつつあるようなので、そろそろ「自分のとき」の体験のまま語らない方がよいかもしれない。 https://toyokeizai.net/articles/-/689864 https://dot.asahi.com/aerakids/articles/-/228268
書くのに手間取った事はないが、読書感想文の為に読むことが辛かった。
本を読むのは好きだったが、ただ文のリズムや気の利いた表現を楽しんでいるだけで全体の物語に関心を抱いていなかったから感想文はイヤで、こういう自分の話を書くメソッドもイヤだった。今なら年の功で書けるが。
小学校の頃「あらすじ書こうと思ったら読まなきゃだめじゃん」と思っていた。適当に開けた何ページかだけよんで、妄想を膨らませたら良い。
問題は、この感想文に(おそらく)教師が文句をつける事だ。
書きたくない人は生成AIに書いてもらえばいい。習ってないものをやらなくちゃいけない必要があるとは思えない。可もなく不可もない読書感想文を生成AIに書いてもらった文章例 https://gamenojin.blog.jp/archives/53568858.html
この手の指南があった際にいつもコメントに貼っているURL--> https://www.ne.jp/asahi/ymgs/hon/index03_kansou.htm
フォーマットが理解できると中身を読まなくても、本の最初に載ったあらすじやレビューサイトや考察サイトに乗ってる内容と手癖だけで読書感想文が書けるようになるからなあ……型って大事。
この手の話題で本当にいつも思うんだけど、最近の小中学校、読書感想文必須じゃない。。。(少なくともうちの地域はそう)。選択制だからうちの子たちは書いたことない。
小学生の時の読書感想文は好きな本でよかったので、わかったさんのクッキーでワンシーンごとくらいに感想書いて用紙1袋使い切るくらいの量で持っていったら先生がげんなりしてた記憶はあります。
マーケティング界のドラッカーと称されたアメリカの学者レビットによれば、読書感想文を書きたくない人が欲しいのは書き方ではなく「書かなくていい方法」である
まず表紙の感想で一枚埋めます。話の予想を書くと、読んだ結果でまた一枚埋まるぞ(高校の同級生の案)
多分今後はAIに書かせるようになると思う。てかもうなってる。宿題代行とかはもう仕事にならんのじゃないか?
おおむねこれでいい。課題図書の内容(やタイトル)から連想した自分の考えを書きまくれ。
読書感想文という課題が謎すぎる。夏休みのたびに提出を強要されたけど、読書感想文の書き方について指導を受けた覚えがないし、添削してもらった覚えもない。先生も何をどう書けばいいかわかってないのでは。
読書感想文てまだあるんだ。。オッサンたちが好むいかにも子供らしい素朴な文章か、やたら分かってる風の中二臭い賢そうな文章が優秀作に選ばれてた気がする
読書感想文こそAIを活用して書くといいな。(AIに全部を書かせるのではなくて、自分が思ったことなどをプロンプトに入れて清書させる)
読書感想文に書くことがない民にとってあらすじこそが文字数を稼ぐ手段なわけでむしろあらすじを上手く活用してそこに自分の考えを載せていくほうが筆は進むと思うよ。
大体その通りだが、苦手なら、本文を読む必要はなく、巻末の解説を読んで書けば良い。本屋か図書館で、真面目なあらすじの解説がある本を選ぶのがコツ。作者あとがきの本はダメ。別に高得点取る必要ないんだし
文字数をこなすだけならあらすじが楽なんだよ
と、このように気楽に書けばいいんだ!と思うのが苦手な子のガチガチな思い込みを、全否定するでもなくポジティブ押し付けするでもなく、ゆるく解いていく子育て期もそろそろ終盤/(小学生に類似エピなんかねえよ…)
三谷幸喜が言っていた、「読んだ後に自分の何が変わったか」を書くというのがシンプル。その書き方を実現するAIプロンプトを書けとAIに投げれば、完成したも同然だな。
〝文章とは自分が楽しいと思うことを書く。これこそが最も正しい文章の書き方である。教師や親の顔色をうかがっていやいや書く文章など、まったく価値がない〟←とてもわかる。
小学校の頃にこれに気づけた+手書き嫌いからPC導入して捗った思い出。適当に自語り書くと1000文字ぐらいになるし、PC上で切り貼りして、なんか原稿用紙に収めればヨシ!…最大の問題は8月最終週に着手すること
20年前に書いたもの https://kamiyakenkyujo.hatenablog.com/entry/2006/09/05/000000 /関係ないけど『変身』って「引きこもりの比喩」と思って読むと何の不思議さも無くなる。
教師が期待したような物になるまで何回でも書き直しさせられた、という話を聞く。とくに「否定的な感想」は一切却下という事例もあるらしい。
へぇ~、宿題も自由に書いちゃっていいんだにゃ!ボクも、大好きなお魚の話とか、いっぱい書きたいにゃ!先生に怒られたら…猫パンチしちゃうかもにゃ!
読書感想文って「本の紹介」じゃ意味ないと思うんだよね。本を読んで思ったことや自分のことを書けば良いのよ。何なら本の内容には一切触れないでもいいよね
以前ブコメで見た「本の内容をフックに自分語りする」が至言だと思う。
感想文で一番嫌だったのは、原稿用紙4枚とかいう長さ指定。書くことなかったら半分でも可にしてくれ。
むしろニコルソン・ベイカーみたく思い付いたことを脱線しまくって書いてやろう。おれは子供のそんな文章こそ最高だと思うから…
主張⇒根拠⇒結論に長けたエッセイ思考のアメリカ人は、日本人好みの時系列記述を非論理的で主張と論証を欠く作文と見るらしい(岩波新書『論理的思考とは何か』)。主張だらけのトラ爺を見れば、成る程と納得がいく。
自分の書き方とまったく同じで笑えた。そういう書き方していいんだと気がついたのは「伊集院光のOHデカナイト」でやってたまったく読まずに書く読書感想文の書き方
こういうのしょっちゅうやってた。それでみんないい点くれたから教師って寛大だわ。
”自分の好きなことを書き散らせるか”その熱量がない子供も いっぱいいるんだよ。。。
これは良い
後半の半分くらいは、元々文章書くの得意な子じゃないと難しそう/読書感想文よりも国語で良くある、この時の作者の気持ちは?ってのに正解があるのが嫌。ホントにそう思ってたって質題者なんで分かるんだよ
読書感想文が苦手な人はアニメやゲームの感想なら書けるのだろうか。どこかの学校で実験的にやってくれれば課題の難しさの本質が見えてくると思う
子供の頃から本を読むのも文章を書くのも好きだったので、あまり苦にした記憶はないのだが、多少褒められることはあっても賞などはついぞ貰ったことがない。所詮あんな俗物どもに俺の文章は分からない。
感想文と言われると、思ったこと・感じたことを書くと思うじゃん?それだけじゃダメなんだ。自分の経験を書くんだよ。関係のありそうなことを無理くりね。感想文は課題図書にインスパイアされた私小説だ。
読書感想文とやらに何を書くのか教えてもらった覚えがないのに書くことを求められる謎
小学生の感想文なら、もはやAIで書けちゃったりするよなぁ・・・。A Iの出力した文章を書き写すだけの書き取りドリルになったりしそう。
あらすじを書いて、先生に「こんなものは無駄だから書くな」とみんなの前で公開処刑された思い出。
先生から、読書感想文に本の内容を書く必要はない、教わって、本の内容に一切触れない読書感想文を書いた思い出。
読書感想文の謎は「論理的とはどういうことか」の解説で合点がいった。日本は「生活綴方運動」があったが、それをそのまま書くと生活実態の格差がはっきりしてしまうので戦後政府方針で読書感想文に変えられたという
昔ネットで見たインタビューっぽく質問して、その回答を用紙に書かせる、って奴。実際やって提出させたら出来良過ぎて先生が子供本人が書いたと信じてくれなかったよ。あれは簡単で上手く行き過ぎる
「この一節に関連して、自分が前々から気になっていたことを書き連ねたいと思う」で自分の議論に接続できるように本を選ぶのが一番早い。例えばペットの話なら無限にできる場合は動物出てくる物語とか選べばいいのよ
学生の感想文の採点したことあるけど、評価したくなる感想文は「本の内容と自分自身を結びつけているか」に尽きる。本にはこう書いてあるが、自分も同じような経験があるってエピソードトークしたら満点
面白くなかった、で書いていいならいっぱい書けたなー。駄目だと思ってたわ。
読書感想文という名前だからあらすじかいてその感想を書くんだよ。読書&妄想文って名前に変えたらいいんじゃないかね
読書感想文は1行読めば(読まなくても)書けるよ!というのを昔読んだ。→ https://www.ne.jp/asahi/ymgs/hon/kansou_folder/kansou00.htm
日本の国語教育って情緒とか心情の表現に偏りすぎだよね、自分の主張を要点を明確に論理的にまとめ上げる文章を書く教育も大事だし、そっちの方が社会に出てから役に立つ気がする
現代においても原稿用紙に手書きなのか。
あらすじは、いるだろ。文字数を無の境地で、写経して、稼ぐんだよ。
一番簡単な書き方は、論理思考を捨て課題図書の本に書いてある内容を気分で適当にランダムに引用して文字数埋めるだけ、先生になんか言われたらウィリアム・バロウズって人の文体を真似したって言っときゃいい
書き散らす言うけども感想文苦手な人というのはそもそも言いたいこと書きたいことが無い人なのじゃないかな。私もそうだった。
自分の類似体験を書くのが読書感想文の基本。登場人物はこんなことしてるが自分はこうだった。登場人物の行動は自分にはできなかった。今度同じことがあれば見習いたい、とか書いておくとお利口さんな感想文になる。
自分の感じたことを言葉にするというのは簡単なようで難しい。そのトレーニングとしては読書感想文はまあまあ妥当かなとは思う。ただ感想文として書けるくらい心が動くような本に出会うこともまた難しい。
型の説明としては長い。小学生には伝わらない。「本の中で、1番気になった文(文章)の抜き出し」「そこから受けた自分の感情」「こういう人が読むのが良いor自分の生活との結びつけ」の3点で書く。枚数指定は無視。
物語をネタに自分語りや批判をするクソ評論もどきみたいな手法を小中学生に教えんでよろしい
例の出し方といい小中学生の読者を想定して書かれたとは到底思えない
大学に行けば論文の書き方指導されるみたいだけど、小学校で読書感想文の書き方指導されていない。しかも好きな本でもなく興味もない本を選ばれて感想を書けと言われても「おもしろくなかったです」としか書けん。
情緒的な義務テキストはこんな感じの手法で書き散らかしてきたような気はするが、アドバイスを必要としてるような小中学生にはハードル高そうにと思えるな
僕は優等生だったので、思ってもないけど先生の好きそうなことを自分の意見のように書くために課題図書を選んでました。よく賞に選ばれて、ほらね、先生はこういうのが好きなんだよね、と内心馬鹿にしてました。
へぇ、やるんだ、読書感想文。私はそれをした記憶がない。だからこの書き方の評価も出来ない。
書きたいことを書くという作業がまず難しい。思考を文章に落とし込む作業がまず大変。という意味では『この面は敵の弾を避ける』的アドバイスではあるがまあ、なけなしのモチベからひねりだそうという一助になるかも
https://www.lacdp.org/251044/how_do_i_get_my_money_back_from_venmo_click-wise_scam-wise
アウトプットの方法を学ぶことは大切だけど、ここに書かれている方法がいいかはまた別
中学生の時オカルトにハマっていて、秋山眞人が宇宙人と遭遇した話を信じているという熱い思いを原稿用紙10枚以上の熱量で提出した。黒歴史で間違いないのだが、読書感想文なんてそんなもんでよかったのだと思えた。
高校の入学時出された課題の中で読書感想文があり、一律に指定されてた江國香織の短編集を読んだのが、初めてのちゃんとした読書体験でした。渋々読んだらハマってしまって規定枚数越えて書いた。情動に身を任せろ
国語も本を読むのも好きだけど、読書感想文は嫌だった。書評とか読書紹介文と思って書けばまだ書けたかなあ。感想文では無いと言われるかもだけど。
子どもの頃こんなふうに教えてくれる大人がいたら良かったな
自分は国語は得意だったけど、読書感想文は大嫌いだったな。今でも読書感想文って原稿用紙に手書きなのかしら。その時点でげんなり。/しかし、ここに書いてあることは文章が書ける人向けのアドバイスだな。
このAI全盛の時代に読書感想文とか何も捻らずに出すのはさすがにどうかと思うよ。いっそ全員AIに書かせて誰が書かせた作品が一番良いか品評会やったら面白い授業になるんじゃないの。選考基準も議論すれば更に良い。
同じ文を少し離れたところに何回か書くとかもやれ
キーボードで文章を打てるようになった途端に苦痛が減ったので、「作文用紙上に文章を構成する」のが苦痛だったようにも思う
自分の中の微かな声を聞くための訓練が、結果的に忖度した自分ではない誰かの正しい感想をかく作業になってしまってるの本当に悪いな
なるほど。隙あれば自分語りをすればいいのかw
ブコメでは元記事そっちのけで自分語りするのは簡単なのに、読者感想文ではマス目埋めるのに四苦八苦してたなぁ。
(ブコメを参考にして)「主人公と同じく僕も金貸しの老婆を殺したことがあります。」(こうですか?わかりません)(感想文に嘘を書いてはならない決まりはない)
本を選んだ動機として、書きたいことがないし、書く意味もわからんので、あらすじで埋められそうな本を選んだ、とかウダウダやるなら書ける人とかある程度いそう。教師からの反応は悪そうだけども。
シンプルにどう思ったかでいいんだよなぁ。AI時代でますます自分が人として個として何を感じたか、それをどう表現するかが自分という存在の証明になるんだろう。
与えられた課題と自分のやりたい事を無理やり結び付ける文章術は社会人の超重要スキルなので、非常に教育的な指南/但しコンクールでは最近お婆ちゃんを亡くした奴に勝てんのよ
「そういうレトリックなんで」と言われればそれまでだが、タイトルに反して本文が全く小中学生むけではない印象を受け、中年しかいないはてブで伸びてるなぁと思いました。
このサイトを思い出した。 https://www.onda-honpo.com/dokusho/ 「保護者編」だけではなく「児童生徒編」もある。
自分は「本の内容を逆張りする」で文字数稼いでいたな…(そしてこのやり方は何故か先生のウケがいい)
フィクションより、随筆や論説文の方が書きやすいと思う。
中学生の頃、文庫本の後ろの解説ページを参考に素晴らしい読書感想文を書き上げたら国語の先生にパクリ疑惑を向けられた苦い思い出。一文はほぼ丸写しだったが他はかなり力作の編集具合だったのだが(マテ
作家の方が強制的な読書感想文に怒っているのね。自発性からはじまらない読書なんて、無益だと反発しているのだろうね。自分が好きだから読むことの大切さをどこかで知ることができますように。
たぶん感想文って意味がわからんなってのは教師側も思っているんじゃないかな。何故ならうちの地域では任意だから。書かなくていいのよ。
今の時代、青空文庫を生成AIに突っ込めばそれで終わるから。。。
“文章とは自分が楽しいと思うことを書く。これこそが最も正しい文章の書き方である”「でもそんなの思いつかないでしょう?本に書いてあることに紐付けたら?」という優しさなんだと思ってる>読書
読書感想文の課題図書がつまらないんだよなぁ…今は面白い本あるんかな…
これは本をしっかり読めて文章も書けるけど読書感想文というフォーマットが嫌いな人の論理。本を読む前に内容の予測を書いて読み進めるごとに自分の心の動きを観察して記録する観察日記を書くと良い。
小中学生むけ読書感想文の正しい書き方(あるいは読書感想文を書きたくないひとのための書き方)|岡本賢一
ほぼこの通りやね。読む方も、いまさらあらすじなんか読みたくはない。自分語りがいちばんウケる / 一文ごとに改行だけは、おすすめしない。ま、ネタやと思うけど
大学の卒論くらいまではだいたいそんな感じで論旨を詰めるだけでよい
「文章とは自分が楽しいと思うことを書く。これこそが最も正しい文章の書き方」非常にその通りで、よくないのは、受験現代文や受験小論文でやったやり方が、まるで文章の読み書きの方法の全てみたいに思い込むこと
なにその話読みたいと思わせてくれる1行あらすじ。見事/これと、みくのしんさんの読書レポを参考に読書感想文を書いたら最高だと思うが、そもそも読まない子は読まないな
“いかに自分の好きな話題へ、文章を持っていくかである。”これに尽きる。読書感想文なんて自分語りすれば無限に書けるので、何読んでもほぼ同じ内容になってもおかしくない。
全ての事柄を競艇に結びつけるエビスメソッドが役に立つ時が来たか
むしろ課題図書からいかに自分の土俵に持ち込むか、そこでどう語るかでしか差別化できない。コンクール入賞とか目指すならどうしたってそうなる。
書きたいことのある人のいうことだなあという感じ。うそをでっち上げるのだって相当難しいこと。
文が書ける人の理屈だと感じるなぁ "というわけで、どうすれば自分の好きなことを書き散らせるかを考え、課題図書を選ぼう" 書きたいと思える好きなことがないからあらすじで埋めるんだよね⋯
今後、読書感想文はAIへの扉として作用するだろう。
隙あらば自分語りが実は正解
貴方の感想を書くのであって、「こういう話で、ここが良くて、こう面白い話です」と解説する必要はない、というのが重要と思っています
"文章の終わりに「。」をつけたなら必ず改行し、行数を稼ごう" / 枚数指定の場合はコレ実際便利。あと「~だと思った」より「~だと思いました」みたいな丁寧だったりもったいぶった口調使うと文字数稼げて良い。
まるっと同意。読んで何を思ったかでしょ。コレで読書感想文コンクールで入選したりしてたんで、多分間違いない。自分がしてたのは、読みながら気になる言い回しとか付箋にメモして挟みつつ読み進める事やな。
今だと適当なAIに書かせれば済むから簡単なタスクだな
読書感想文はなかなか提出しないくせに、頼まれてもいない動画の感想をコメント欄に嬉々として書いてる連中って何なんだろうな。
こどもに読ませるブクマ
トップ絵がかわいい
どうして読み始めたかを書いて、取っ掛かりになるポイントを一個書いたら、自分の世界に持ち込んで好きなことを好き勝手に書けという感じ
“無理やり読書させて、無理やり感想文を書かせる”教育という前提で文を始めているのに「文章とは自分が楽しいと思うことを書く。これこそが最も正しい文章の書き方である」と無理筋な指示を出すのは暴投では
わし、もう少し具体的なの書いたことあるよ https://m-dojo.hatenadiary.com/entry/20150814/p2 https://m-dojo.hatenadiary.com/entry/20120824/p3
実際こんな感じで無関係なプライベートの感動エピソードをねじ込んだような感想文が賞を取ってる事も多いと思うのでわりと王道なやり方だと思う。
いい文章読本。書きたいことを書く御膳立てをするってところがとくに勉強になりました。あらすじで文字数を稼ぐのはセオリーに見えて悪手なのね。「書きたくないこと」ですごく面倒だから書くことが嫌いになるのよね
ぶくまは関係ない自分語りが楽しいよね
今の中学生はすでにsns投稿とかやってれば読書感想文くらいならスラスラ書きそう。snsとかやらない学生はまず文章を書くという行為が生活の中にないからね。記述式試験の短文すら嫌だった
書きたいことがなかったから、規定枚数いっぱいあらすじで埋めて、最後に「面白かったです。」とつけてた。
書いてある事は基本中の基本。けど、唯一の正解ではない。むしろ、やっちゃダメな方法を羅列した方が分かりやすい様な気がする。
読書感想文の「型」を知れば書ける人は多そう。読書感想文の書き方の本を読むのが「型」を知るのに一番手っ取り早いが、それもまた本を読む行為なので本を読むのが好きじゃないとそこでもう詰むというジレンマ。
解説がある本を選んで適当にパクってた。今なら生成AIにまとめて投げてたと思う
″感想文に嘘を書いてはいけないという法律はない。″天啓だった
毎日読書感想文のようなことをしているな、とふと気づきました。昔はあんなに嫌いだったのに。
道端で話しかけてきたのに、いつのまにか自分の話ばかり繰り広げてくるご老人のスキームだわこれ。//でも小さい子だと好きな事を書き出すだけでも経験にはなるもんね。
『税金で買った本』で、灰坂がいってたのと割と似てるw
小説で書くのは難しいと思う。 / 実は読書感想文以上に厳しい条件で文章を書いたことってない気がする。分量の指定があって、手書きなのがきつい。
読書感想文は減少しつつあるようなので、そろそろ「自分のとき」の体験のまま語らない方がよいかもしれない。 https://toyokeizai.net/articles/-/689864 https://dot.asahi.com/aerakids/articles/-/228268
書くのに手間取った事はないが、読書感想文の為に読むことが辛かった。
本を読むのは好きだったが、ただ文のリズムや気の利いた表現を楽しんでいるだけで全体の物語に関心を抱いていなかったから感想文はイヤで、こういう自分の話を書くメソッドもイヤだった。今なら年の功で書けるが。
小学校の頃「あらすじ書こうと思ったら読まなきゃだめじゃん」と思っていた。適当に開けた何ページかだけよんで、妄想を膨らませたら良い。
問題は、この感想文に(おそらく)教師が文句をつける事だ。
書きたくない人は生成AIに書いてもらえばいい。習ってないものをやらなくちゃいけない必要があるとは思えない。可もなく不可もない読書感想文を生成AIに書いてもらった文章例 https://gamenojin.blog.jp/archives/53568858.html
この手の指南があった際にいつもコメントに貼っているURL--> https://www.ne.jp/asahi/ymgs/hon/index03_kansou.htm
フォーマットが理解できると中身を読まなくても、本の最初に載ったあらすじやレビューサイトや考察サイトに乗ってる内容と手癖だけで読書感想文が書けるようになるからなあ……型って大事。
この手の話題で本当にいつも思うんだけど、最近の小中学校、読書感想文必須じゃない。。。(少なくともうちの地域はそう)。選択制だからうちの子たちは書いたことない。
小学生の時の読書感想文は好きな本でよかったので、わかったさんのクッキーでワンシーンごとくらいに感想書いて用紙1袋使い切るくらいの量で持っていったら先生がげんなりしてた記憶はあります。
マーケティング界のドラッカーと称されたアメリカの学者レビットによれば、読書感想文を書きたくない人が欲しいのは書き方ではなく「書かなくていい方法」である
まず表紙の感想で一枚埋めます。話の予想を書くと、読んだ結果でまた一枚埋まるぞ(高校の同級生の案)
多分今後はAIに書かせるようになると思う。てかもうなってる。宿題代行とかはもう仕事にならんのじゃないか?
おおむねこれでいい。課題図書の内容(やタイトル)から連想した自分の考えを書きまくれ。
読書感想文という課題が謎すぎる。夏休みのたびに提出を強要されたけど、読書感想文の書き方について指導を受けた覚えがないし、添削してもらった覚えもない。先生も何をどう書けばいいかわかってないのでは。
読書感想文てまだあるんだ。。オッサンたちが好むいかにも子供らしい素朴な文章か、やたら分かってる風の中二臭い賢そうな文章が優秀作に選ばれてた気がする
読書感想文こそAIを活用して書くといいな。(AIに全部を書かせるのではなくて、自分が思ったことなどをプロンプトに入れて清書させる)
読書感想文に書くことがない民にとってあらすじこそが文字数を稼ぐ手段なわけでむしろあらすじを上手く活用してそこに自分の考えを載せていくほうが筆は進むと思うよ。
大体その通りだが、苦手なら、本文を読む必要はなく、巻末の解説を読んで書けば良い。本屋か図書館で、真面目なあらすじの解説がある本を選ぶのがコツ。作者あとがきの本はダメ。別に高得点取る必要ないんだし
文字数をこなすだけならあらすじが楽なんだよ
と、このように気楽に書けばいいんだ!と思うのが苦手な子のガチガチな思い込みを、全否定するでもなくポジティブ押し付けするでもなく、ゆるく解いていく子育て期もそろそろ終盤/(小学生に類似エピなんかねえよ…)
三谷幸喜が言っていた、「読んだ後に自分の何が変わったか」を書くというのがシンプル。その書き方を実現するAIプロンプトを書けとAIに投げれば、完成したも同然だな。
〝文章とは自分が楽しいと思うことを書く。これこそが最も正しい文章の書き方である。教師や親の顔色をうかがっていやいや書く文章など、まったく価値がない〟←とてもわかる。
小学校の頃にこれに気づけた+手書き嫌いからPC導入して捗った思い出。適当に自語り書くと1000文字ぐらいになるし、PC上で切り貼りして、なんか原稿用紙に収めればヨシ!…最大の問題は8月最終週に着手すること
20年前に書いたもの https://kamiyakenkyujo.hatenablog.com/entry/2006/09/05/000000 /関係ないけど『変身』って「引きこもりの比喩」と思って読むと何の不思議さも無くなる。
教師が期待したような物になるまで何回でも書き直しさせられた、という話を聞く。とくに「否定的な感想」は一切却下という事例もあるらしい。
へぇ~、宿題も自由に書いちゃっていいんだにゃ!ボクも、大好きなお魚の話とか、いっぱい書きたいにゃ!先生に怒られたら…猫パンチしちゃうかもにゃ!
読書感想文って「本の紹介」じゃ意味ないと思うんだよね。本を読んで思ったことや自分のことを書けば良いのよ。何なら本の内容には一切触れないでもいいよね
以前ブコメで見た「本の内容をフックに自分語りする」が至言だと思う。
感想文で一番嫌だったのは、原稿用紙4枚とかいう長さ指定。書くことなかったら半分でも可にしてくれ。
むしろニコルソン・ベイカーみたく思い付いたことを脱線しまくって書いてやろう。おれは子供のそんな文章こそ最高だと思うから…
主張⇒根拠⇒結論に長けたエッセイ思考のアメリカ人は、日本人好みの時系列記述を非論理的で主張と論証を欠く作文と見るらしい(岩波新書『論理的思考とは何か』)。主張だらけのトラ爺を見れば、成る程と納得がいく。
自分の書き方とまったく同じで笑えた。そういう書き方していいんだと気がついたのは「伊集院光のOHデカナイト」でやってたまったく読まずに書く読書感想文の書き方
こういうのしょっちゅうやってた。それでみんないい点くれたから教師って寛大だわ。
”自分の好きなことを書き散らせるか”その熱量がない子供も いっぱいいるんだよ。。。
これは良い
後半の半分くらいは、元々文章書くの得意な子じゃないと難しそう/読書感想文よりも国語で良くある、この時の作者の気持ちは?ってのに正解があるのが嫌。ホントにそう思ってたって質題者なんで分かるんだよ
読書感想文が苦手な人はアニメやゲームの感想なら書けるのだろうか。どこかの学校で実験的にやってくれれば課題の難しさの本質が見えてくると思う
子供の頃から本を読むのも文章を書くのも好きだったので、あまり苦にした記憶はないのだが、多少褒められることはあっても賞などはついぞ貰ったことがない。所詮あんな俗物どもに俺の文章は分からない。
感想文と言われると、思ったこと・感じたことを書くと思うじゃん?それだけじゃダメなんだ。自分の経験を書くんだよ。関係のありそうなことを無理くりね。感想文は課題図書にインスパイアされた私小説だ。
読書感想文とやらに何を書くのか教えてもらった覚えがないのに書くことを求められる謎
小学生の感想文なら、もはやAIで書けちゃったりするよなぁ・・・。A Iの出力した文章を書き写すだけの書き取りドリルになったりしそう。
あらすじを書いて、先生に「こんなものは無駄だから書くな」とみんなの前で公開処刑された思い出。
先生から、読書感想文に本の内容を書く必要はない、教わって、本の内容に一切触れない読書感想文を書いた思い出。
読書感想文の謎は「論理的とはどういうことか」の解説で合点がいった。日本は「生活綴方運動」があったが、それをそのまま書くと生活実態の格差がはっきりしてしまうので戦後政府方針で読書感想文に変えられたという
昔ネットで見たインタビューっぽく質問して、その回答を用紙に書かせる、って奴。実際やって提出させたら出来良過ぎて先生が子供本人が書いたと信じてくれなかったよ。あれは簡単で上手く行き過ぎる
「この一節に関連して、自分が前々から気になっていたことを書き連ねたいと思う」で自分の議論に接続できるように本を選ぶのが一番早い。例えばペットの話なら無限にできる場合は動物出てくる物語とか選べばいいのよ
学生の感想文の採点したことあるけど、評価したくなる感想文は「本の内容と自分自身を結びつけているか」に尽きる。本にはこう書いてあるが、自分も同じような経験があるってエピソードトークしたら満点
面白くなかった、で書いていいならいっぱい書けたなー。駄目だと思ってたわ。
読書感想文という名前だからあらすじかいてその感想を書くんだよ。読書&妄想文って名前に変えたらいいんじゃないかね
読書感想文は1行読めば(読まなくても)書けるよ!というのを昔読んだ。→ https://www.ne.jp/asahi/ymgs/hon/kansou_folder/kansou00.htm
日本の国語教育って情緒とか心情の表現に偏りすぎだよね、自分の主張を要点を明確に論理的にまとめ上げる文章を書く教育も大事だし、そっちの方が社会に出てから役に立つ気がする
現代においても原稿用紙に手書きなのか。
あらすじは、いるだろ。文字数を無の境地で、写経して、稼ぐんだよ。
一番簡単な書き方は、論理思考を捨て課題図書の本に書いてある内容を気分で適当にランダムに引用して文字数埋めるだけ、先生になんか言われたらウィリアム・バロウズって人の文体を真似したって言っときゃいい
書き散らす言うけども感想文苦手な人というのはそもそも言いたいこと書きたいことが無い人なのじゃないかな。私もそうだった。
自分の類似体験を書くのが読書感想文の基本。登場人物はこんなことしてるが自分はこうだった。登場人物の行動は自分にはできなかった。今度同じことがあれば見習いたい、とか書いておくとお利口さんな感想文になる。
自分の感じたことを言葉にするというのは簡単なようで難しい。そのトレーニングとしては読書感想文はまあまあ妥当かなとは思う。ただ感想文として書けるくらい心が動くような本に出会うこともまた難しい。
型の説明としては長い。小学生には伝わらない。「本の中で、1番気になった文(文章)の抜き出し」「そこから受けた自分の感情」「こういう人が読むのが良いor自分の生活との結びつけ」の3点で書く。枚数指定は無視。
物語をネタに自分語りや批判をするクソ評論もどきみたいな手法を小中学生に教えんでよろしい
例の出し方といい小中学生の読者を想定して書かれたとは到底思えない
大学に行けば論文の書き方指導されるみたいだけど、小学校で読書感想文の書き方指導されていない。しかも好きな本でもなく興味もない本を選ばれて感想を書けと言われても「おもしろくなかったです」としか書けん。
情緒的な義務テキストはこんな感じの手法で書き散らかしてきたような気はするが、アドバイスを必要としてるような小中学生にはハードル高そうにと思えるな
僕は優等生だったので、思ってもないけど先生の好きそうなことを自分の意見のように書くために課題図書を選んでました。よく賞に選ばれて、ほらね、先生はこういうのが好きなんだよね、と内心馬鹿にしてました。
へぇ、やるんだ、読書感想文。私はそれをした記憶がない。だからこの書き方の評価も出来ない。
書きたいことを書くという作業がまず難しい。思考を文章に落とし込む作業がまず大変。という意味では『この面は敵の弾を避ける』的アドバイスではあるがまあ、なけなしのモチベからひねりだそうという一助になるかも
https://www.lacdp.org/251044/how_do_i_get_my_money_back_from_venmo_click-wise_scam-wise
アウトプットの方法を学ぶことは大切だけど、ここに書かれている方法がいいかはまた別
中学生の時オカルトにハマっていて、秋山眞人が宇宙人と遭遇した話を信じているという熱い思いを原稿用紙10枚以上の熱量で提出した。黒歴史で間違いないのだが、読書感想文なんてそんなもんでよかったのだと思えた。
高校の入学時出された課題の中で読書感想文があり、一律に指定されてた江國香織の短編集を読んだのが、初めてのちゃんとした読書体験でした。渋々読んだらハマってしまって規定枚数越えて書いた。情動に身を任せろ
国語も本を読むのも好きだけど、読書感想文は嫌だった。書評とか読書紹介文と思って書けばまだ書けたかなあ。感想文では無いと言われるかもだけど。
子どもの頃こんなふうに教えてくれる大人がいたら良かったな
自分は国語は得意だったけど、読書感想文は大嫌いだったな。今でも読書感想文って原稿用紙に手書きなのかしら。その時点でげんなり。/しかし、ここに書いてあることは文章が書ける人向けのアドバイスだな。
このAI全盛の時代に読書感想文とか何も捻らずに出すのはさすがにどうかと思うよ。いっそ全員AIに書かせて誰が書かせた作品が一番良いか品評会やったら面白い授業になるんじゃないの。選考基準も議論すれば更に良い。
同じ文を少し離れたところに何回か書くとかもやれ
キーボードで文章を打てるようになった途端に苦痛が減ったので、「作文用紙上に文章を構成する」のが苦痛だったようにも思う
自分の中の微かな声を聞くための訓練が、結果的に忖度した自分ではない誰かの正しい感想をかく作業になってしまってるの本当に悪いな
なるほど。隙あれば自分語りをすればいいのかw
ブコメでは元記事そっちのけで自分語りするのは簡単なのに、読者感想文ではマス目埋めるのに四苦八苦してたなぁ。
(ブコメを参考にして)「主人公と同じく僕も金貸しの老婆を殺したことがあります。」(こうですか?わかりません)(感想文に嘘を書いてはならない決まりはない)
本を選んだ動機として、書きたいことがないし、書く意味もわからんので、あらすじで埋められそうな本を選んだ、とかウダウダやるなら書ける人とかある程度いそう。教師からの反応は悪そうだけども。
シンプルにどう思ったかでいいんだよなぁ。AI時代でますます自分が人として個として何を感じたか、それをどう表現するかが自分という存在の証明になるんだろう。
与えられた課題と自分のやりたい事を無理やり結び付ける文章術は社会人の超重要スキルなので、非常に教育的な指南/但しコンクールでは最近お婆ちゃんを亡くした奴に勝てんのよ
「そういうレトリックなんで」と言われればそれまでだが、タイトルに反して本文が全く小中学生むけではない印象を受け、中年しかいないはてブで伸びてるなぁと思いました。
このサイトを思い出した。 https://www.onda-honpo.com/dokusho/ 「保護者編」だけではなく「児童生徒編」もある。
自分は「本の内容を逆張りする」で文字数稼いでいたな…(そしてこのやり方は何故か先生のウケがいい)
フィクションより、随筆や論説文の方が書きやすいと思う。
中学生の頃、文庫本の後ろの解説ページを参考に素晴らしい読書感想文を書き上げたら国語の先生にパクリ疑惑を向けられた苦い思い出。一文はほぼ丸写しだったが他はかなり力作の編集具合だったのだが(マテ
作家の方が強制的な読書感想文に怒っているのね。自発性からはじまらない読書なんて、無益だと反発しているのだろうね。自分が好きだから読むことの大切さをどこかで知ることができますように。
たぶん感想文って意味がわからんなってのは教師側も思っているんじゃないかな。何故ならうちの地域では任意だから。書かなくていいのよ。
今の時代、青空文庫を生成AIに突っ込めばそれで終わるから。。。
“文章とは自分が楽しいと思うことを書く。これこそが最も正しい文章の書き方である”「でもそんなの思いつかないでしょう?本に書いてあることに紐付けたら?」という優しさなんだと思ってる>読書
読書感想文の課題図書がつまらないんだよなぁ…今は面白い本あるんかな…
これは本をしっかり読めて文章も書けるけど読書感想文というフォーマットが嫌いな人の論理。本を読む前に内容の予測を書いて読み進めるごとに自分の心の動きを観察して記録する観察日記を書くと良い。