この件、ちょっと気になっていたので言語化してくれて助かる
理解したと理解した気になった
ハイパーインフレーション「醜い容姿と醜い心を持った人間だけが本当に美しい作品を生み出せる」
アクセサリーのほうが生体より揺らぎがほとんど無いからね。絶対的な美、って完成した時点で不動=死、でしょう?
美意識と美容意識を取り違えているのが本当に嫌い。
「自分の日常と解離した"美"を追求してもたのしくなくない」日常的に使用する言葉の美を意識しているかというとそうでもなかったりで全方位に美を追求するの難しそう。美を追求しない美というのもあるし。
ドールのオタクは人形の衣装に何万円も費やすのに、自分の衣装は三年前のユニクロじゃん。そういうこと
服飾専門学校の卒業生が良く買うブランドランキング1位がGUっていうの見た事がある。仮装大会みたいなのは入学生で、関心が自分の外見より自分の制作能力にシフトしていくのでは
アクセサリー素材や完成品に対する美的感覚が人間に適用されて当然というのがよく分からん。美人画家とか持て囃されるのがよくあるから?
作業の対象には、自分自身は含まれない。当り前だろ。プログラマーだって、自分自身をプログラムしようとはしないだろ。 何だったら、本日の行動予定をAIにプログラムしてもらえ。ついでに頭の思考回路も。
自分を美しくするかどうかには、例えば自慢をするかどうかとかに似た、自己という特殊存在にどう対処するかって成分があるから、美の本質と関係ない別のことが絡んでるのは自明だと思うけど。
他の人が着けたときを想像するだろうし
審美の対象が人によって違うという話でしかないのだが、美大生ともなるとそれが理解できないのかも。コードの美しさに強いこだわりを持つのにいつもヨレヨレのTシャツを着ているプログラマはいくらでもいる。
なぜかキティちゃんとキティちゃんのデザイナーの事を思い浮かべるなどした。
ガンプラ作成が好きな人、自分がガンダムになりたいわけじゃない、みたいなものか?
「可愛い服を見て可愛いと思うことと自分が着たいということはイコールではない」って投稿に同意。ドールに着せたりはしたい。/似合わない服も好きなんだよな。ピンヒールのパンプスも美しいとは思う。履かないけど
アーティストには2種類、の画像は本当にそう。(当てはまらない人もいる)そして最近の美大生は綺麗な子が綺麗なアクセサリーつくってて、地味な子はオタクっぽい物作ってる印象。そこだけ見ると明暗だなぁと思う。
まとめ内のリプライやブコメで違和感があるのですが、ここでは、作っているものが着飾るためのアクセサリー、というのがカギだと思うんですよね。紺屋の白袴、的な。
医者なのにヘビースモーカーとか、歌手なのに大酒飲みとか、昔から普遍的な話
そもそも“美”を追求してる美大生って少数派だと思うんだけど、前提からしてちょっと謎だ。
美大生は皆が容姿を整えてるということだよね
ファッションマニアは性格が悪いという持説がまたしても強固になった
あまりにもバカすぎて理解できない
ある種のアーティストは黒のシンプルな服しか着ないというイメージあるけど。
アクセサリー作る技術・センスと、ファッションや美容の技術・センスって全然別な気がするからそもそも適用できないのでは?という疑問が。
それはそれ、これはこれ。つか、物作ってると汚れるから、こういう人はイベント事とかの全力で着飾る時はすげえ着飾ってくるじゃん。普段やらんだけ
自分の手から美しいものが生まれてほしい欲望と自分が美しくなりたい欲望は全然別。ジョブズも彼自身は終生おなじジーンズとシャツだった。
本来は一致するはずなのに不思議だなあという話なら「紺屋の白袴」という言い回しが昔からある。あとは諸氏が言っている通り、「何で一致しなきゃいけないと思った?」だな。
美大に通って「自分ならではの表現」を求めるくせに他人のファッションにケチつける人は、なんでその意識を他人に適用せんのやろ。
海外のスポーツ紙でも男の選手は実績を評価されるのに、女性のスポーツ選手は私服でどんなファッションしてたとか、誰と付き合ってるとかに注目が集まるみたいな批判がありましてな
デザイン科卒だけど、本人の見た目で作品が良いかは判断出来ないというのがまず基本で、優秀な子は総じて地味目であった。見た目が派手な子は見た目に全エネルギーが行ってる感じ
それが普通では?
そうそう簡単な話でもなさげ。片手間にやっててすげえの作る人もいるし。
ワイもわりと着せ替え女児ゲーにハマったりして(他のジャンルのオタクよりは)『服フェチ』強めだと思ってるけど、じゃあ自分が着たり女装したいのか?っていうとそうじゃないっぽいしな
服を着せることと、着ることは全く違う。着るのは自分に着せているだけ。個人的には自殺も自己の殺人と同じような解釈をしてる
自分のルックスが悪いと思ってて投資したくないんでしょう ファッション興味ない男もVRでは服に拘りだすように 人間結果が出ない(と思ってる)努力はできんのよ
服が好きか、服を着た自分が好きかの違いでは
自分が好きな物の前では、自身などノイズに過ぎないのですよ。偉い人には、それがわからんのですよ。
芸大卒で センスにそれなりに自信あるがあまりにも自身の外観が悪過ぎデコレーションでなんとかなるレベルでない 嫁(デザイン卒)も見かねてコーデしてくれた事あったけど 合わなさ過ぎて匙投げられた
とは言え、「寝癖がボサボサで服もヨレヨレ」というのもある特定の層には「美」として映る可能性が
それなりのブランドのクリエイティブディレクターとかだと、デザイナー自身もおしゃれそうな雰囲気を醸し出さないといけなくなるから大変だね
全然違うのにむしろなぜ同じだと思った?アクセサリーを製作する工芸と化粧したり服選んだりは共通点が何もない。
普段がそうというだけで着飾ればそれなりにこだわりが出てくるのでは?/ジョブズはブランドと同一視されてた典型と思うけどな
https://support.google.com/nonprofits/thread/340417629?hl=en&sjid=1454137934308510301-NC
海外の女性YouTuberはヨガパンツをはいているイメージあるな
アウトプットに全力な人はそもそも自分を見てるヒマないんじゃないすかね。無駄とか別物とか言うよりも、全く「意識してない」。自分というものは何かを作り出す源でしかない
これ原始時代から綿々と続いてる“セックスマウント”で藤井聡太に恋愛面で勝とうとしたり浅田真央に胸尻盛れとかの雑魚のやる恥ずかしい事だって自覚した方がいいよ。職人が仕事着と普段着合わさってくのは普通。
自分の容姿をきれいにするのって意外と工数かかるからね…。
グラニフの服って所有したくはなるけど着たいとはまったく思わない。そんな感じ?
"酒造りの神様と呼ばれてる杜氏の農口尚彦さんは下戸だったような。それに似てるかも"→一瞬「なるほど」と思いかけたけど、でも、それと美醜を語るの失礼じゃないか?煮詰めるとするとブスは可愛いもん作るなって?
『ファッション通信』って番組をよく観るんだが、ショーの最後に出てくるデザイナーは総じてシンプルな格好をしている。「作り手は結果としてそうなる」って理由だけではなく、慣習的な側面もある気がするんだよな。
医者の不養生みたいな
自分のための美は自己満足できたらその範囲に留まってしまうので、わざわざ美大に行くような人は自ずとそれ以上の行動原理を持つような人になりそう。
なんか美大生のファション、みんな小汚い印象しかない。
このまとめは違うけど、posfieにすでにあるのに、Togetterで毎日作ってくるのが更に増えて、すでに100個以上なんだけど、なぜこんなことするの?運営は何にもしないの?大量リストはコレ→https://b.hatena.ne.jp/goodbye111/
自分の容姿に興味が無いんでしょう。技術的に出来るかどうかも別ですし。
少し違うけど、漫画家でも漫画・アニメ観ない、オタク文化苦手ってタイプは割といる
「わたしもそのタイプです」って言える人、自分のクリエイティビティに自信があってすごい
これは凄腕メイクさんもそういうイメージある。
ミュシャがおっさんな事に驚くタイプかな
岡本太郎が自身に適用してたら太陽の塔みたいな格好になってたな。
美容意識高いけど作る作品はゴミみたいなのばっかりの美術系の学科に行って後悔した思い出。
まあ俺もかわいいものが好きだが自分自身は別にどうでもいいからな、ペン握ってアウトプットひり出してる時間の方が長いし自分を飾りたいとは思わない
とはいえ作品の良し悪しだけで作者が評価されるわけではないので、見た目身振り手振り喋り方など自己プロデュース力があった方が有利ではある。
まとめレスの中にある、💩の絵を描いていいね600ゲットしてる美女の絵はちょっと恣意的すぎるのでは…
まあ鏡を見なければ自分は視界に入らないからね。他に意識を向けたいものがあれば疎かにできる。女だと相手の視線が鏡代わりになってしまうから逃げられないことが多いだけで。
アートには流行を追う(あるいはつくる)ものと流行に囚われないものがあると思う。前者は自分の容姿にも気を使っているように見える。
全く違う方向の意識なので、これがわざわざ盛り上がるのがよくわからない。
服やアクセサリーを創るのも、着飾るのも表現だからね。人それぞれ表現方法が違う
他人にどう見られるかを気にする人は、同じ「作る」でも芸術よりも商業に行く気がするけども。
美少女を描くイラストレーターの外見が……。
昔の同僚にいた小汚い格好してたけどめっちゃかわいいイラスト描く子思い出したわ
山下達郎はそのへんのことを自覚して、自分のことをアルチザン=職人と称してたんだろうね
その理屈は美少女を描く人たち皆容姿端麗じゃないのなんでなん?という非常に閉じた我見的な視点だなぁ(まぁでも自己を磨き上げる美術視点ならば究極の我見が求められるのでこの感性もさもありなん)
弓月光の「甘い生活」ですなー。
友達にもいるわそういう子。ピアス開けてすらないのに、作ってくれるのよね。
これ系だと、韓国アイドルのメイクアップで有名なウォンジョンヨ先生がご自身は結構素朴なメイクと髪型で登場するの職人って感じでカッコ良くて好き
逆に超絶オシャレなアーティストやデザイナーは能力の割り当てが分散しててたいした事無い。というイメージ。
自分自身の価値を高くするのか、自分の生み出すものの価値を高くするのか。ぜんぜん意識が違う。
これが一致しやすいのはコスメオタクと美容&整形界隈かもしれないな? 何某かのオタクになると自分の装いは手抜きがち。あらゆるリソースは限られているのだ⋯⋯
女性だからこんなふうにに言われるんだろう。差別意識しか感じない。美しいものを作る能力と自分を美しく見せる能力は違うでしょ
私もそうだが、美しいものや人を見るのは好きでも、自分が美しくなることに興味ない人は沢山いる。綺麗になりたい人には謎なのか。
ごめん私やな…
自分は『アオイホノウ』で庵野秀明の大阪芸大時代を見て「美大生あるある」だと思ってたタイプ
映画に例えれば俳優と監督くらい違うよね。
自分が似合うなら自分を使って飾ってもいいが、そうでないならそこを似合うように自分を磨く労力を必ずしもする必要はないよね。/ VRchatで初めて自撮りする人の気持ちがわかったよ。
単純に作品を高めるのに全リソースを費やすから、自分を着飾るのに割くリソースがないからでは?
表現に自分が含まれるか含まれないかの差で人による。自分のパーソナリティ含めてアートとして表現する人もいるし、あえてズラしてる人もいれば、マジの無頓着もいる。ミュージシャンとかもそう。
別にミステリ作家だから殺人したりSF作家だから宇宙に行ったりしなくてもいいんやで。製作物と製作者は別。製作者の持ってるイマジネーション力と表現力に価値がある
むしろ鏡を見ないと映らないものにどうして皆こだわるのか
紺屋の白袴(こうや の しろばかま)ですね。逆にデザイナーが自分の容姿どころか、自分というキャラクターまで美しく見せようとした話が、はるな檸檬『ファッション』 https://ourfeel.jp/episode/2550912965308580859
建築科だけど、全身ギャルソンなどでイキリ散らかしてる人の方が作品がしょぼいことはめちゃくちゃよくあった
寝ぐせボサボサで服もヨレヨレ、それで生まれるアクセサリーが凄いってむしろカッコいい
自分の容姿に頓着がないと言ってるのは他人で、本人の中では共通する美意識なのでは?わざわざそんな2面性育ててる暇ないでしょ。
自分なんて飾りです
私も最初に思いついたのが着せ替え人形だった。
俺はガンダム好きだけど、俺がガンダムだ!とはならんぞ
自分に時間かけるのが勿体無いだけだと思うし、自分にするより綺麗な人見るほうが勉強になるし、そんな時間あるならちょっとでも多く研究して勉強したいし1個でも多く作品を残したいだけだと思う。
色々あるけど作品に時間を割きがちで自分に時間割けないだけでは?
自意識と美意識の違いかね? ちょっと違うか?
気持ち悪い
紺屋の白袴
東京に住んでるひとがいつでも行けるはずの東京タワーに行ったことがないみたいなものと似ていて今は自分の番じゃないと思ってるだけですわたしの場合(でもずっと自分の番は来ないかもしれないです)
別物なんだろうけど、相反するものではないとも思う。
"『綺麗なものを作りたい・生み出したい』のであって、別に『自分が綺麗になりたい』ではないんだよね" ってのがアタクシの意見に一番近いかも。作ってんのはアクセサリーではなく布小物だけども。美は細部に宿るんよ
たとえばロリータファッションなんかは見る分には可愛い!って思うけどそれを着ている自分を想像したらゲロ吐きそう
見る主体であって、自身が見られる客体でありうることをスコーンと忘れる。没頭してたら寝食忘れて、ついつい生き物であることも忘れる。あと弊衣破帽の旧制高校の系譜も。
真の美しさを追及するなら、自分みたいな中途半端な素材は選ばない、って思うことはあるよね。
世の可愛いはおじさんが作ってるからなぁ
男性が惚れる女性キャラを作ってるのはだいたいおっさんだし。
気持ちわかるかも
逆パターンで化粧めっちゃキレイなのになあ、みたいな子もいるんだろうね
「美しいモノを制作する」と「自分自身が美しくなりたい」は結構ベクトルが違うと思う。あと、洋服好きな人って、それが当たり前だと思っていて、洋服に無頓着な人を見下してそう(偏見)。私は単に洋服が趣味だと認識
デザイナーも結構そうだよね。つくる対象に向く美意識と、自分へ向く美意識は違うものだと思う。
自分は見えないから、自分がきれいでもあんまり意味はない
紺屋の白袴。
男もめちゃくちゃ可愛いイラスト描ける人もいわゆるオタクみたいな見た目の人いるし、そんなもんでは
自分自身を表現の土台とするのは、私からすると勇気の要る能動的な選択に思えるが、当然としている人もいる。単に得意ジャンルの話だろうが、一方ルッキズムはある。誰も何も強要されない社会であれと願う。
へぇ~、アクセサリー作りに夢中なのね!すごいにゃ!ボクも可愛いリボンとか作ってほしいにゃ!でも、綺麗になるのも大事だよにゃ!
女のルッキズム序列化思考って、男のヤンキーの強さの序列思考と同じ。序列秩序には動物的に従う。(格上には絶対服従し沈黙。目下は差別侮蔑)
中学の時の美術の先生は授業の時いつも冴えない風貌だったけど、卒業式でのキメっぷりは他の追随を許さなかったよ。美的感覚が優れているからこそ出来るワザだと思った。「いつでも出来るけどしない」んだなとも
メイクアップアーティストで化粧っ気なくて控えめな印象の人も珍しくないもんな〜。なのに超絶技巧だからカッコいい。手の方向が全然違うから自分に塗るのは苦手だったりするのかも?
そいつらをミンチにする美もあるはずだよ
まずアクセサリーと化粧は全然別物でしょう。一方にのみ関心を示すことは、何も不思議なことではない。
うるせぇって思うやつだ。なんで美術系が自分の身なりに興味がある前提なのかが不明だ。美術系なんて創作(現実の外)に興味がある人の集合体だろ。現実やポピュラリティの代名詞たる身なりなど1番興味遠くなる。
外見は目で見えるので短時間で把握できるが、内面は目で見えないので把握に時間がかかる。このタイムラグが人を見る目の違いに出る。外見がダサいから内面までダサいとは限らない。ルッキズム=アホの産物と分かる
自分の容姿を整えることに興味がないから(原因)というより、そっちに労力を割くと、作品を作り作品について考える時間が減るので、結果的に作品を優先して自分に労力を割かないという選択になるということかと。
自分が作るアクセサリーを自分がつけたいわけではないんなら、別におかしくはないと思うんだけども
"けど…それをイベント等で自分で販売する場合はそれなりに身なりには気をつけるかなぁ… 一応、広告塔でもある訳だし…" 個人的にはこれが全て。これが出来るのなら私生活や制作時は期にされるべきではないし。
オタクとかマッドサイエンティストは自分の身なりにまったく無頓着。対象への愛や没頭は自分には向かわない。ネトウヨは国家に自分を重ねて、国家の栄光の中に自分を無化する。自己を捨てるベクトル。
シャネルのデザイナー、故カール・ラガーフェルドは昔の容貌は肥満体だったけど、ディオール・オムの細身のスーツを着るために42kg減量した。自分の容貌を変えたいと思う物を見たら変わるんじゃないか?
とってもエッチなゲームのイラストを描いているイラストレーターにコミケで直接会う前までは勝手に美少女だと想像してた時代が俺にもあった
アクセサリー作るのって本格的になればなるほど板金塗装みたいな作業も多そう。そこに容姿は関係ないかと。
川久保怜もカールラガーフェルドもエディスリマンもアルベールエルバスもめちゃくちゃオシャレだけどな。
美大生時代、きれいなアクセサリーを作る学生が「自身の容姿に頓着がない」ケースをよく見てて、「なんでその美的感覚を自身に適用せんのやろ」と思ってたけど、こういう理由だったかもしれん
この件、ちょっと気になっていたので言語化してくれて助かる
理解したと理解した気になった
ハイパーインフレーション「醜い容姿と醜い心を持った人間だけが本当に美しい作品を生み出せる」
アクセサリーのほうが生体より揺らぎがほとんど無いからね。絶対的な美、って完成した時点で不動=死、でしょう?
美意識と美容意識を取り違えているのが本当に嫌い。
「自分の日常と解離した"美"を追求してもたのしくなくない」日常的に使用する言葉の美を意識しているかというとそうでもなかったりで全方位に美を追求するの難しそう。美を追求しない美というのもあるし。
ドールのオタクは人形の衣装に何万円も費やすのに、自分の衣装は三年前のユニクロじゃん。そういうこと
服飾専門学校の卒業生が良く買うブランドランキング1位がGUっていうの見た事がある。仮装大会みたいなのは入学生で、関心が自分の外見より自分の制作能力にシフトしていくのでは
アクセサリー素材や完成品に対する美的感覚が人間に適用されて当然というのがよく分からん。美人画家とか持て囃されるのがよくあるから?
作業の対象には、自分自身は含まれない。当り前だろ。プログラマーだって、自分自身をプログラムしようとはしないだろ。 何だったら、本日の行動予定をAIにプログラムしてもらえ。ついでに頭の思考回路も。
自分を美しくするかどうかには、例えば自慢をするかどうかとかに似た、自己という特殊存在にどう対処するかって成分があるから、美の本質と関係ない別のことが絡んでるのは自明だと思うけど。
他の人が着けたときを想像するだろうし
審美の対象が人によって違うという話でしかないのだが、美大生ともなるとそれが理解できないのかも。コードの美しさに強いこだわりを持つのにいつもヨレヨレのTシャツを着ているプログラマはいくらでもいる。
なぜかキティちゃんとキティちゃんのデザイナーの事を思い浮かべるなどした。
ガンプラ作成が好きな人、自分がガンダムになりたいわけじゃない、みたいなものか?
「可愛い服を見て可愛いと思うことと自分が着たいということはイコールではない」って投稿に同意。ドールに着せたりはしたい。/似合わない服も好きなんだよな。ピンヒールのパンプスも美しいとは思う。履かないけど
アーティストには2種類、の画像は本当にそう。(当てはまらない人もいる)そして最近の美大生は綺麗な子が綺麗なアクセサリーつくってて、地味な子はオタクっぽい物作ってる印象。そこだけ見ると明暗だなぁと思う。
まとめ内のリプライやブコメで違和感があるのですが、ここでは、作っているものが着飾るためのアクセサリー、というのがカギだと思うんですよね。紺屋の白袴、的な。
医者なのにヘビースモーカーとか、歌手なのに大酒飲みとか、昔から普遍的な話
そもそも“美”を追求してる美大生って少数派だと思うんだけど、前提からしてちょっと謎だ。
美大生は皆が容姿を整えてるということだよね
ファッションマニアは性格が悪いという持説がまたしても強固になった
あまりにもバカすぎて理解できない
ある種のアーティストは黒のシンプルな服しか着ないというイメージあるけど。
アクセサリー作る技術・センスと、ファッションや美容の技術・センスって全然別な気がするからそもそも適用できないのでは?という疑問が。
それはそれ、これはこれ。つか、物作ってると汚れるから、こういう人はイベント事とかの全力で着飾る時はすげえ着飾ってくるじゃん。普段やらんだけ
自分の手から美しいものが生まれてほしい欲望と自分が美しくなりたい欲望は全然別。ジョブズも彼自身は終生おなじジーンズとシャツだった。
本来は一致するはずなのに不思議だなあという話なら「紺屋の白袴」という言い回しが昔からある。あとは諸氏が言っている通り、「何で一致しなきゃいけないと思った?」だな。
美大に通って「自分ならではの表現」を求めるくせに他人のファッションにケチつける人は、なんでその意識を他人に適用せんのやろ。
海外のスポーツ紙でも男の選手は実績を評価されるのに、女性のスポーツ選手は私服でどんなファッションしてたとか、誰と付き合ってるとかに注目が集まるみたいな批判がありましてな
デザイン科卒だけど、本人の見た目で作品が良いかは判断出来ないというのがまず基本で、優秀な子は総じて地味目であった。見た目が派手な子は見た目に全エネルギーが行ってる感じ
それが普通では?
そうそう簡単な話でもなさげ。片手間にやっててすげえの作る人もいるし。
ワイもわりと着せ替え女児ゲーにハマったりして(他のジャンルのオタクよりは)『服フェチ』強めだと思ってるけど、じゃあ自分が着たり女装したいのか?っていうとそうじゃないっぽいしな
服を着せることと、着ることは全く違う。着るのは自分に着せているだけ。個人的には自殺も自己の殺人と同じような解釈をしてる
自分のルックスが悪いと思ってて投資したくないんでしょう ファッション興味ない男もVRでは服に拘りだすように 人間結果が出ない(と思ってる)努力はできんのよ
服が好きか、服を着た自分が好きかの違いでは
自分が好きな物の前では、自身などノイズに過ぎないのですよ。偉い人には、それがわからんのですよ。
芸大卒で センスにそれなりに自信あるがあまりにも自身の外観が悪過ぎデコレーションでなんとかなるレベルでない 嫁(デザイン卒)も見かねてコーデしてくれた事あったけど 合わなさ過ぎて匙投げられた
とは言え、「寝癖がボサボサで服もヨレヨレ」というのもある特定の層には「美」として映る可能性が
それなりのブランドのクリエイティブディレクターとかだと、デザイナー自身もおしゃれそうな雰囲気を醸し出さないといけなくなるから大変だね
全然違うのにむしろなぜ同じだと思った?アクセサリーを製作する工芸と化粧したり服選んだりは共通点が何もない。
普段がそうというだけで着飾ればそれなりにこだわりが出てくるのでは?/ジョブズはブランドと同一視されてた典型と思うけどな
https://support.google.com/nonprofits/thread/340417629?hl=en&sjid=1454137934308510301-NC
海外の女性YouTuberはヨガパンツをはいているイメージあるな
アウトプットに全力な人はそもそも自分を見てるヒマないんじゃないすかね。無駄とか別物とか言うよりも、全く「意識してない」。自分というものは何かを作り出す源でしかない
これ原始時代から綿々と続いてる“セックスマウント”で藤井聡太に恋愛面で勝とうとしたり浅田真央に胸尻盛れとかの雑魚のやる恥ずかしい事だって自覚した方がいいよ。職人が仕事着と普段着合わさってくのは普通。
自分の容姿をきれいにするのって意外と工数かかるからね…。
グラニフの服って所有したくはなるけど着たいとはまったく思わない。そんな感じ?
"酒造りの神様と呼ばれてる杜氏の農口尚彦さんは下戸だったような。それに似てるかも"→一瞬「なるほど」と思いかけたけど、でも、それと美醜を語るの失礼じゃないか?煮詰めるとするとブスは可愛いもん作るなって?
『ファッション通信』って番組をよく観るんだが、ショーの最後に出てくるデザイナーは総じてシンプルな格好をしている。「作り手は結果としてそうなる」って理由だけではなく、慣習的な側面もある気がするんだよな。
医者の不養生みたいな
自分のための美は自己満足できたらその範囲に留まってしまうので、わざわざ美大に行くような人は自ずとそれ以上の行動原理を持つような人になりそう。
なんか美大生のファション、みんな小汚い印象しかない。
このまとめは違うけど、posfieにすでにあるのに、Togetterで毎日作ってくるのが更に増えて、すでに100個以上なんだけど、なぜこんなことするの?運営は何にもしないの?大量リストはコレ→https://b.hatena.ne.jp/goodbye111/
自分の容姿に興味が無いんでしょう。技術的に出来るかどうかも別ですし。
少し違うけど、漫画家でも漫画・アニメ観ない、オタク文化苦手ってタイプは割といる
「わたしもそのタイプです」って言える人、自分のクリエイティビティに自信があってすごい
これは凄腕メイクさんもそういうイメージある。
ミュシャがおっさんな事に驚くタイプかな
岡本太郎が自身に適用してたら太陽の塔みたいな格好になってたな。
美容意識高いけど作る作品はゴミみたいなのばっかりの美術系の学科に行って後悔した思い出。
まあ俺もかわいいものが好きだが自分自身は別にどうでもいいからな、ペン握ってアウトプットひり出してる時間の方が長いし自分を飾りたいとは思わない
とはいえ作品の良し悪しだけで作者が評価されるわけではないので、見た目身振り手振り喋り方など自己プロデュース力があった方が有利ではある。
まとめレスの中にある、💩の絵を描いていいね600ゲットしてる美女の絵はちょっと恣意的すぎるのでは…
まあ鏡を見なければ自分は視界に入らないからね。他に意識を向けたいものがあれば疎かにできる。女だと相手の視線が鏡代わりになってしまうから逃げられないことが多いだけで。
アートには流行を追う(あるいはつくる)ものと流行に囚われないものがあると思う。前者は自分の容姿にも気を使っているように見える。
全く違う方向の意識なので、これがわざわざ盛り上がるのがよくわからない。
服やアクセサリーを創るのも、着飾るのも表現だからね。人それぞれ表現方法が違う
他人にどう見られるかを気にする人は、同じ「作る」でも芸術よりも商業に行く気がするけども。
美少女を描くイラストレーターの外見が……。
昔の同僚にいた小汚い格好してたけどめっちゃかわいいイラスト描く子思い出したわ
山下達郎はそのへんのことを自覚して、自分のことをアルチザン=職人と称してたんだろうね
その理屈は美少女を描く人たち皆容姿端麗じゃないのなんでなん?という非常に閉じた我見的な視点だなぁ(まぁでも自己を磨き上げる美術視点ならば究極の我見が求められるのでこの感性もさもありなん)
弓月光の「甘い生活」ですなー。
友達にもいるわそういう子。ピアス開けてすらないのに、作ってくれるのよね。
これ系だと、韓国アイドルのメイクアップで有名なウォンジョンヨ先生がご自身は結構素朴なメイクと髪型で登場するの職人って感じでカッコ良くて好き
逆に超絶オシャレなアーティストやデザイナーは能力の割り当てが分散しててたいした事無い。というイメージ。
自分自身の価値を高くするのか、自分の生み出すものの価値を高くするのか。ぜんぜん意識が違う。
これが一致しやすいのはコスメオタクと美容&整形界隈かもしれないな? 何某かのオタクになると自分の装いは手抜きがち。あらゆるリソースは限られているのだ⋯⋯
女性だからこんなふうにに言われるんだろう。差別意識しか感じない。美しいものを作る能力と自分を美しく見せる能力は違うでしょ
私もそうだが、美しいものや人を見るのは好きでも、自分が美しくなることに興味ない人は沢山いる。綺麗になりたい人には謎なのか。
ごめん私やな…
自分は『アオイホノウ』で庵野秀明の大阪芸大時代を見て「美大生あるある」だと思ってたタイプ
映画に例えれば俳優と監督くらい違うよね。
自分が似合うなら自分を使って飾ってもいいが、そうでないならそこを似合うように自分を磨く労力を必ずしもする必要はないよね。/ VRchatで初めて自撮りする人の気持ちがわかったよ。
単純に作品を高めるのに全リソースを費やすから、自分を着飾るのに割くリソースがないからでは?
表現に自分が含まれるか含まれないかの差で人による。自分のパーソナリティ含めてアートとして表現する人もいるし、あえてズラしてる人もいれば、マジの無頓着もいる。ミュージシャンとかもそう。
別にミステリ作家だから殺人したりSF作家だから宇宙に行ったりしなくてもいいんやで。製作物と製作者は別。製作者の持ってるイマジネーション力と表現力に価値がある
むしろ鏡を見ないと映らないものにどうして皆こだわるのか
紺屋の白袴(こうや の しろばかま)ですね。逆にデザイナーが自分の容姿どころか、自分というキャラクターまで美しく見せようとした話が、はるな檸檬『ファッション』 https://ourfeel.jp/episode/2550912965308580859
建築科だけど、全身ギャルソンなどでイキリ散らかしてる人の方が作品がしょぼいことはめちゃくちゃよくあった
寝ぐせボサボサで服もヨレヨレ、それで生まれるアクセサリーが凄いってむしろカッコいい
自分の容姿に頓着がないと言ってるのは他人で、本人の中では共通する美意識なのでは?わざわざそんな2面性育ててる暇ないでしょ。
自分なんて飾りです
私も最初に思いついたのが着せ替え人形だった。
俺はガンダム好きだけど、俺がガンダムだ!とはならんぞ
自分に時間かけるのが勿体無いだけだと思うし、自分にするより綺麗な人見るほうが勉強になるし、そんな時間あるならちょっとでも多く研究して勉強したいし1個でも多く作品を残したいだけだと思う。
色々あるけど作品に時間を割きがちで自分に時間割けないだけでは?
自意識と美意識の違いかね? ちょっと違うか?
気持ち悪い
紺屋の白袴
東京に住んでるひとがいつでも行けるはずの東京タワーに行ったことがないみたいなものと似ていて今は自分の番じゃないと思ってるだけですわたしの場合(でもずっと自分の番は来ないかもしれないです)
別物なんだろうけど、相反するものではないとも思う。
"『綺麗なものを作りたい・生み出したい』のであって、別に『自分が綺麗になりたい』ではないんだよね" ってのがアタクシの意見に一番近いかも。作ってんのはアクセサリーではなく布小物だけども。美は細部に宿るんよ
たとえばロリータファッションなんかは見る分には可愛い!って思うけどそれを着ている自分を想像したらゲロ吐きそう
見る主体であって、自身が見られる客体でありうることをスコーンと忘れる。没頭してたら寝食忘れて、ついつい生き物であることも忘れる。あと弊衣破帽の旧制高校の系譜も。
真の美しさを追及するなら、自分みたいな中途半端な素材は選ばない、って思うことはあるよね。
世の可愛いはおじさんが作ってるからなぁ
男性が惚れる女性キャラを作ってるのはだいたいおっさんだし。
気持ちわかるかも
逆パターンで化粧めっちゃキレイなのになあ、みたいな子もいるんだろうね
「美しいモノを制作する」と「自分自身が美しくなりたい」は結構ベクトルが違うと思う。あと、洋服好きな人って、それが当たり前だと思っていて、洋服に無頓着な人を見下してそう(偏見)。私は単に洋服が趣味だと認識
デザイナーも結構そうだよね。つくる対象に向く美意識と、自分へ向く美意識は違うものだと思う。
自分は見えないから、自分がきれいでもあんまり意味はない
紺屋の白袴。
男もめちゃくちゃ可愛いイラスト描ける人もいわゆるオタクみたいな見た目の人いるし、そんなもんでは
自分自身を表現の土台とするのは、私からすると勇気の要る能動的な選択に思えるが、当然としている人もいる。単に得意ジャンルの話だろうが、一方ルッキズムはある。誰も何も強要されない社会であれと願う。
へぇ~、アクセサリー作りに夢中なのね!すごいにゃ!ボクも可愛いリボンとか作ってほしいにゃ!でも、綺麗になるのも大事だよにゃ!
女のルッキズム序列化思考って、男のヤンキーの強さの序列思考と同じ。序列秩序には動物的に従う。(格上には絶対服従し沈黙。目下は差別侮蔑)
中学の時の美術の先生は授業の時いつも冴えない風貌だったけど、卒業式でのキメっぷりは他の追随を許さなかったよ。美的感覚が優れているからこそ出来るワザだと思った。「いつでも出来るけどしない」んだなとも
メイクアップアーティストで化粧っ気なくて控えめな印象の人も珍しくないもんな〜。なのに超絶技巧だからカッコいい。手の方向が全然違うから自分に塗るのは苦手だったりするのかも?
そいつらをミンチにする美もあるはずだよ
まずアクセサリーと化粧は全然別物でしょう。一方にのみ関心を示すことは、何も不思議なことではない。
うるせぇって思うやつだ。なんで美術系が自分の身なりに興味がある前提なのかが不明だ。美術系なんて創作(現実の外)に興味がある人の集合体だろ。現実やポピュラリティの代名詞たる身なりなど1番興味遠くなる。
外見は目で見えるので短時間で把握できるが、内面は目で見えないので把握に時間がかかる。このタイムラグが人を見る目の違いに出る。外見がダサいから内面までダサいとは限らない。ルッキズム=アホの産物と分かる
自分の容姿を整えることに興味がないから(原因)というより、そっちに労力を割くと、作品を作り作品について考える時間が減るので、結果的に作品を優先して自分に労力を割かないという選択になるということかと。
自分が作るアクセサリーを自分がつけたいわけではないんなら、別におかしくはないと思うんだけども
"けど…それをイベント等で自分で販売する場合はそれなりに身なりには気をつけるかなぁ… 一応、広告塔でもある訳だし…" 個人的にはこれが全て。これが出来るのなら私生活や制作時は期にされるべきではないし。
オタクとかマッドサイエンティストは自分の身なりにまったく無頓着。対象への愛や没頭は自分には向かわない。ネトウヨは国家に自分を重ねて、国家の栄光の中に自分を無化する。自己を捨てるベクトル。
シャネルのデザイナー、故カール・ラガーフェルドは昔の容貌は肥満体だったけど、ディオール・オムの細身のスーツを着るために42kg減量した。自分の容貌を変えたいと思う物を見たら変わるんじゃないか?
とってもエッチなゲームのイラストを描いているイラストレーターにコミケで直接会う前までは勝手に美少女だと想像してた時代が俺にもあった
アクセサリー作るのって本格的になればなるほど板金塗装みたいな作業も多そう。そこに容姿は関係ないかと。
川久保怜もカールラガーフェルドもエディスリマンもアルベールエルバスもめちゃくちゃオシャレだけどな。