タイトル通りの話。そもそもこのふたつが、並び立つわけがない(シンプルすぎる正論ですまん)
ノーベル賞とった人に向かってお前は日本人じゃないとか言ってる人も同類? https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www3.nhk.or.jp/news/html/20211005/k10013292011000.html
実写版ディズニーは二種類作れば良いのだよ。肌白い用と肌黒い用。解決。
フィクションにお笑い担当でもヤカラでもない大阪人が出てくるとなんかホッとするのはある(そのキャラが人気No.1でなくてもよい)/ 排除されてた場に参入したりステロタイプをぶれさす先達助かる的な(マイナス→0〜1
目指す勇気と達成した誇りは別物では。
「漢民族」も古代より北方民族からの長い期間影響を受け続け、黄河文明期などに比べ皮膚の色が明るくなっているとされている。海外の解釈では日本人も「白人」とされるてる場合がある(16世紀までは完全に白人
ま、一部の人間の所業を日本人の民族性!と言い募る側が、逆のシチュエーションでは一部の人間の行いを民族性と絡めるな!レイシストめ!になるしな。左側あるある。
やはり銀英伝はいい
虎の威を借る狐はシンプルにダサくて目も当てられない
「私は日本人じゃない、地球人だ」みたいなことを言ってたリベラルは、キャラクターの人種を変えたがる人らをどう思ってるんだろう。
しつけというがガキに言うことじゃない。大人が賢しげに強者とか弱者とか自分定義の言い訳をごちゃごちゃ語ってたらダブスタでぶん殴ってやれ
フェミニズムの補助線を引くと普通に成り立つようになる。ウーマンリブのために女性には多様なアファーマティブアクションを行い、権力勾配があるため男性には行わない。
そっちの連中は「日本と日本人を貶められるか、そうでないか」で判断してから理屈をつけるんで、矛盾してるように見えるのは当然
全く違う。「プリンセスであること」には「容姿条件がある」と考えられているので、「そもそも条件に当てはまらない」って考えるものなのだ。「そこは条件じゃない」と宣言される意味がある。
クラッシャージョウにでてくる惑星ピザンは王政だけど国民から選ばれて王になるという仕組みだったはず。なのでアルフィンは王の子供だけど継承権はない。
他人の成果に土足で乗っかるかどうかかな。
都合のいいとこだけ採用すればよい
自分が生きる環境においてマジョリティであるということや、そのことの持つ意味について何も考えたことが無い人の感想。
意地の悪い指摘だけれども、誰が弱者なのか。その条件は何かを考える一助にはなる。/未だに古臭い男女二元論やってる人がいるのだけれど、強者性は男性にだけ宿るものじゃない。男女の単位で権力勾配など無いよ。
逆パターンをやったら文化盗用と言われるという話を絡めるとさらにややこしい
両方とも言っていることは理解はできるところがミソだよな。
そもそも誰も「大谷すごいノーベル賞すごいだから俺すごい」なんて言ってないっていう。存在しないものに対する批判のみが存在している。
語彙力がない→感想を言う必要がある→当たり障りのない言葉「勇気をもらった」になるだけじゃないかとは思ってる。とくにテレビの一般人への街頭インタビューり
社会による影響で若い世代の自己肯定感が低下しているとしたらそれに手を打つのはありだと思う。が、そうするべきだとかそうしなければならないみたいな主張はそれまたどうかと思う。
こういう論破(笑)や意見の押し付けや否定をしなきゃ、別にどう解釈しても良いし、自分の胸にしまっとけばいい。
確かに対象から勇気を貰うのと同じ属性だからドヤってるのは違う気はする。「大谷すげえよな…俺も頑張らないと」とか「俺だって同じ日本人だ!やってやれないことはない!」みたいのなら問題ないというか。
銀英伝も、降伏せずに部下を巻き込んだと非難された帝国の提督と、ビュコックの何が違うのかよくわからんのよな。ノーベル賞等も日本人はマイノリティ側で、”同属”な必要もないので”条件の克服”は怪しいのでは。
「私が能力的に優秀である」と思ってるわけではなく「私(を含めた日本人全体が)優秀と他人から思われる」と思って喜んでるんでしょ。腐すなら「『男は性犯罪者』『女は議論が出来ない』と同類だな」みたいな。
大谷選手を誇れるのは大谷選手が育つ環境に関わった人でリトルや高校野球に関わった人やプロ野球に金を落とすファンであり日本人じゃない。関わったなら人種関係なく誇って良いし、憧れるのも自由。お姫様でも同じ。
そうだよなあ、子供は美しい服装をしてちやほやされたいだけだろうが、その他はプリンセスという階級に憧れているのだろうなあ
筆者の矛盾に対する指摘はなるほど正論だと思う。//その上でそもそも同族が何かを成し遂げて嬉しいと思う素朴で一般的な感情に対してアレコレ言って腐して賢ぶってる人達は人間性がさもしい連中だと俺は蔑視してる。
大谷翔平が日本人で喜んでる人とプリンセスが褐色で勇気づけられる人が同じなら何の問題もないのでは。
発達過程未就学児向けの「ヒトの性質」を利用した話とオジサンが世界の理解レベルいっしょだったらまあそれはそういう扱いをされますね、というだけでは。いつまでも少年の心を?そうですか。砂場行ったら。
簡単な話じゃん。「ネトウヨが喜ぶ→キモい→悪いことだ」「黒人の子どもが喜ぶ→ステキ→良いことだ」このくらいしか考えてないよ。
大谷すごい!って言ってるだけの人にお前が凄いわけじゃないって人がいたら、ただの会話が通じない人じゃんね
物語は共感によって感動を与えるのだから、主人公の肌の色や境遇、発達特性などは共感の大きなフックとなるでしょう。もしアスリートや科学者の偉業を"物語"と捉えるなら、人種や国籍を重視する人も多いでしょうね。
もっと浅く考えようよ。ディズニーは、女の子が自分と同じ肌の色のお人形で遊びたいのかのマーケティングをしているだけ。黒いお姫様が白いお姫様と同じように売れるならそれでよい。だって資本主義なんだもん。
だからWW2で日本軍が白人を打ち負かして東南アジアから追っ払ったことにも文明史的意義はあるよね
日本人という括りだと腐す人がいるけど、〇〇高校とか、郷土の偉人とかだとどんなもんかね
ビュコック提督もドレスに憧れてるだけの幼女にはそんな事言わないと思う
(記事と全く関係なくてすまんが)「人間性がさもしい連中だと俺は蔑視してる」ってコメが★3つしか付いてないのに★15個のコメより上にいる「建設的コメント順位付けモデルAPI」はやっぱおかしいよなぁ⋯
「ノーベル賞取るなんてすごい」→「お前がすごい訳じゃないぞ」と突っかかるアカウントは相当数あるが、インターネットぶつかりおばさん/おじさんにもほどがあるよ。
「大谷すごい!日本人は優秀な民族だ!」ならおかしいけど「大谷すごい!同じ日本人としてうれしい!」はごく自然な感情で腐すことではないよね。作品の出来はともかく、非白人ディズニープリンセスも意義がある。
アメリカ在住のアジア人には大谷選手の活躍はアジア人男性へのステレオタイプ改善的に身近な問題らしいが
嬉しい←分かる (同じ属性)として誇りに思う←あまり分からない
それがどうした
これが最近言ってた「価値観の砂漠」というやつか。さすがに歳を取ってこういうメタな議論を目にするのが疲れてきた。
自分に近い属性の方を応援・共感するのは誰しもが持っている自然な感情だが、その中でも自分の気に入らないモノを叩きたいとなった中で捻り出した屁理屈やろなぁと。インターネットぶつかりおばさんの親戚。
「同じ日本人として誇らしい」とか言い出すから「お前が偉いわけじゃない」と言われる。これは「身びいき」と同根なので当然視する人も反発する人もいる。またそれぞれ守旧派と進歩派に見えるので可燃性高い。
自分と同じ肌の姫がいて勇気が出た!私も皇族になる為の努力をしよう!まずは学習院幼稚舎に受かる為に何をしようかプランをたてるか
もしかして日本人がロボコップ3やニンジャスレイヤーに余計な人種意識を挟まずゲラゲラ笑いながら楽しんでるの、世界的に見たら高度で特異な技能だったりするのかね?
ニッポンリベラルは「差別と日本人が大嫌い」な連中だからな。災害時に「日本人が井戸に毒を入れた」って話が出たら、疑いなく信じて、わざわざ英語で「ガイジン様、日本人はこんな連中です」ってご注進するクズ。
TVつけて甲子園に地元県代表が出てたらちょっと肩入れする気分になるのが普通
めんどくさいヤツだな。野球でもサッカーでも(主に)地元チームを応援して、勝った嬉しい、ってなるのは普通の感覚で、ビジネスや行政支援にもつながる話だし、肌の色なんて関係ないよ、ってなる。
大人はそりゃそう。幼児の発達段階では、あこがれる対象と自分を同一視して成長するって普通に通る道だよ。字、でかいなぁ…/(自分用メモ:ライダー、セラムン戦う女の子の登場、戦隊女複数化、男プリキュア、既存の)
id:tanakakazu まさに肌の色で「お前は地球人に数えねえから!」って言われてた人たち(アジア人も含む)が、ようやく地球人として席を与えられるということの象徴なんだよ、赤髪のアリエルも黒人のアリエルもエブエブも。
意味不明。「普通選挙の時代です。黒人の皆さんにも選挙権があります」の延長線にある「誰でも主役になれる」というアサーションは、「お前がすごいわけではない」というアサーションとは何も矛盾しない。
「日本オワタ」的なことを言う人は自分に自信がないんだね!(逆説)
「日本人という属性がすごいわけじゃない(からお前が偉いわけじゃない)」と「日本人という属性では活躍できないなんてことはない(から勇気をもらえた)」は普通に並び立つよね
その分野の人間としては「民放は日本人以外の活躍も報道しろ」です。日本人が活躍するたびに毎回噛み付いてくる自称リベラルの人たちが本当に邪魔。(私はリベラルです)
そこまでして君らは新作を作りたくないのか。信長の野望の登場人物が黒人だらけで受け入れる奴だけディズニーを肯定しろ。
「私と同じ肌の色のお姫様」が子供に重要ならば性別と人種での「同族判定」が人間にとって自然なのだろう。だから大人も同じ基準なのは不思議ではない。反差別には「自然な」判定基準に抗することが重要だとわかる。
人種や見た目や関係性の近さからくる親近感や憧れはプリミティブな感情だから、理屈と矛盾することはある。
中学生の頃、海外の映画のクレジットに日本っぽい名前があると「わ、日本人でもハリウッドでバリバリやっている人がいるんだ〜」とわくわくしたので、やはり可能性というアイデアを付与する力はあると思う。
大谷すごい俺すごいなんてのいないのにムキムキしちゃうのなんなんだろな
ノーベル賞は国家がサポートしてて、本塁打王は商業的裏支えがあるから、両方国民も偉いね / アメリカ国籍に変えてても日本生育なら生育環境はやはり日本国民の不断な努力で整えられて /前者は褐色眼鏡族の民族主義
2ちゃんのネコは・寝る・食事・トイレ・家族の邪魔、これが1日ですることの全てやでというレスに対して、ワイはネコちゃんだった…?と返した人を思い出した。
「同じ日本人として誇らしい」にはだいたいブログ主が例えるような批判が飛んでくるし、でもそれが「同じ黒人として誇らしい」「同じ(マイノリティな国)人として誇らしい」なら?(恵まれない立場なら誇って良い?
結局「何をもって仲間とみなすのか」って話になるよね。あと仲間意識の裏と表 / 人類みな兄弟って思えれば幸せなんだけれども
世界的な音楽フェスでは参加者がステージ前で自国の大旗を振ってアピールするんだけど、欧米の大国が愛国アピールするのは鼻につく。発展途上の小国の旗はむしろ応援したい。日本はまだ大国だと思う。そんな感じ。
自分の生まれ持った属性によって、何かを諦めなくても良いと思えることには意味があるんじゃないかな。実際には生まれ持った属性で諦めることばかりの世の中だから、少しでも希望を持って生きられるなら
「相関関係は因果関係ではない」
「可能性があることを示した」という意味で、大谷より野茂の方が意義は大きかったと思うな。
ヒトは、自然淘汰の結果、自分により近いものにはより強い共感を覚えるような性質を獲得したということでしかないと思う。(それが生存に有利に働く)「近い」の基準は属する共同体であったり属性であったりするが。
日本と縁のある人の活躍を喜ぶことと、日本と縁のある人が苦境に陥っていたら助けようと思うことって通じるものがあると思うけどな。同胞意識とか身内意識ってそれ自体は別に悪いことじゃない。
ドジャースに勝ったけど、阪神は世界一じゃないぞ。とは思った
前者後者とも感情が本当にわからない。元ツイについたリプ「白雪姫の肌の色を変えたらドイツ語原典の冒涜」が然りと思うし、大谷サンやノーベル賞の人も「スゴイエライ別人」同じ日本人てのは無理ある
しつけの話なら魚や動物とか微生物の生態系を学ばせてどれほど規律正しいか教えたらいいんじゃね? 人間の話してもお前じゃねえってんのなら 前提の説明抜きに話を簡略化してるだけの事をさ
お前が偉いわけじゃないとキレる人も、オバマ大統領が誕生した時に喜んでるアフリカ系の人に「同じアフリカ系でもお前が偉いわけじゃない」と噛みつくことはしなかったと思うので党派性だろうね
マスメディアが何かにつけて日本人という枠に当てはめて、民族性まで持ち出して批判しておきながら、「差別は絶対に許されない」とか言ってるのって、正直意味がわからないとずっと感じてる。
他人の憧れを抱く気持ちを折ってまで貴方は貴方だという必要性がよくわからないけれど、多くの人はそれぞれ他分野でその新しい方法を人生の模索に取り入れようとする事を折って現状を保ちたい気持ちがあるのかもね。
「日本人がノーベル賞を受賞したから日本人は(他の国の人間と比べて)凄い」と「黒人のお姫様がいるんだから、黒人も(他の人種と)同じようにやれるんだ」というニュアンスの違いがあるのでは。
ただ、リンク先は読み切れてない…
例えば「障がい者が受賞した。同じ障がいを持つものとして勇気づけられる」と「健常者が受賞した。自分が健常者であることが誇らしい」は全然違うと思うよ。いかにもid:gryphonさんらしい「掘り下げ」だなあ。
「私と同じ肌の色で、眼鏡の子がお姫様!」は固定観念に対するブレイクスルー(例えば女は弁護士に向いてないとか)で、「ノーベル賞や本塁打王が同じ日本人でも…」とは異なるような気がします。
これ言う人は、どっちかというと「大谷が大リーグで活躍」とか「日本人科学者がノーベル賞を受賞」という事実が気に入らなくて、周りの人間が彼らを称賛するのが我慢ならず、両者を分断させたがっているという認識。
何を見ても他人事じゃないので同じ人類として嬉しいし恥ずかしい
「既存の作品を作り変える」のが大事なのか。有色人種の昔話を忠実に映像化するのでは駄目なのか。子供の為を言うなら後者のほうが有意義ではないか? 前者を尊ぶのは不純な政治的意図を感じる。本題は興味無い。
ノーベル賞の選考やメジャーリーグの採用で日本人が排除されてないっぽいことには安心するよ。ジャッキー・ロビンソン選手とかもそう昔の話ではない / 役者の人種を変えることは乗っ取りでも歪みでもないよそもそも
感情的な共感(褐色肌の子供たちへの配慮)と論理的な批判(プリンセス概念の差別性)を同時に扱うものの、それらを統合する視点や解決策を示さないため、論理矛盾を抱えたままとなっている。
幼児の空想をブチ壊すために力み返ってる人って、生育歴に何か問題を抱えてるんですかね。
「日本人離れした大谷がすごいだけで日本人がすごいわけじゃない」vs「日本人では外国人相手にパワーでは太刀打ちできないなんてことはない」
どさくさにまぎれて眼鏡を中傷するな。モロボシ・ダンにあやまれ
弱者に勇気を与えてるのは別に良いんじゃ… 力道山がいなけりゃ戦後の日本の復興は無かったとか言われてるし
せやな/「同じ日本人として勇気をもらえた」という素朴な感想に「お前がすごいわけじゃない」理論をぶつけにくるぶつかりおじさんおばさん、わりとたくさんいそうではある。
「すごい大谷と同じ日本人として誇らしい」と言っている人は大量に見かける。この言葉をどう捉えるかの問題で、悪意で捉えれば「大谷がすごいから俺すごい」となる。
1匹のネズミですらお椀の中からコンニチハすることで世の中に影響を及ぼしうる。不幸なお姫さまの成功譚ではなく借金を返さないシングルマザーの悲劇にみんな勇気づけられる。iPS細胞ではなくSTAP細胞が社会を変える
例えば国立大の独法化と予算縮小を進めてきた某与党に、投票してそうな人や党員や議員などがノーベル賞の受賞を讃えるのを見かけると私は冷笑する。サッカー興味なさそうなのに本田だけ応援してる人とかも同じく
こういう意地悪な発想は好きだが、それにしてもだいぶ意地悪だw/いやー大谷翔平が素晴らしくても日本人が素晴らしい訳じゃないからね。いや本当に。
大谷は赤ん坊の頃に宇宙船で日本に送られてきた野球星人である可能性がだんだん否定できなくなってきたからな…
スタートレックとウーピー・ゴールドバーグの話を思うと米国現地においては大事なことなんだろうなと思うよ。既存タイトルにおいてはクリエイターがそれをしたいと思ったなら私は支持する。いつも自分達の側な訳ない
属性が同じ人が活躍したことで、自分にも可能性があると思えて嬉しい気持ちになるのは、例えそれが錯覚だったとしてもささやかな喜びでは?それを醜悪だとかお前には関係ないことだとか言うことが「良い躾」なん?
自身の属性に自信を持つ、あるいは自信が持てる環境を築くのは大事。「お前がすごいわけじゃない」は、その手の用語だと「属性の下駄」を認識しつつ、下駄を指摘できる「自身の下駄」を無視してていやらしい。
https://support.google.com/edu/classroom/thread/333467973?hl=en&sjid=1811140593067918886-NC
お前が成し遂げたわけじゃないぃぃぃと言いつつ、フェミニストが過去に成し遂げた偉業がぁぁぁ(ドヤ)ってのもよく見かけるけどな。
子どもに伝える言葉は気持ちを叩き潰すのではなく伸ばし育てるものであるべきでしょ。「そう、君でもなれる可能性がある!どうしてあの人はそうなれたのだろう?どうしたら君もなれるかな?」とかさ。
子どもと大人の違いでは
元日本人・アメリカ帰化人がノーベル賞受賞したら「日本人じゃないからお前が喜ぶのはおかしい」とかもあった 単純に同郷の者が活躍するのは勇気が出るという話なのに
概ね言いたいことは言われてた。id:hoshitamotsuさんの言ってることがもっとも自分の感覚に近い。
日本スゴイと勇気を貰えたは違うみたいなブコメ、それ自体はそうだと思うけど、★欄見たら「勇気貰えた程度のノリに日本スゴイを嗅ぎ取って難癖つけに行く野郎」が複数いて、ダブスタですらない単なる嘘吐きなんよな
「日本人として恥ずかしく思う」これも仲間かな?同じ日本人でも、お前は恥ずかしくない立派な人間だよ
勇気をもらいたい。
実際に偉人や成功者を賞賛しつつ日本人の特性だのと選民思想ぶちかましてる垢とそれに群がる排外主義者なんかいくらでも見るけどみんなはそうじゃないんかね、幸せだね。
「お前が偉いわけじゃない」を言いたくなるシチュエーションはある、大谷を棍棒に他の野球選手や他のスポーツを貶しているのを見たとき。
「同じ日本人」→我々は他国より優れている→優越感の発生/「肌の色・眼鏡」→我々も主役を演じられる→劣等感の解消 …みたいな違いかなと思った。前者も対欧米人という括りだと劣等感の解消に入るかもしれず
プリンセスに憧れても良いと思うが、リアル世界では本朝含め非白人王室なんていくらでもあるし、フィクションでもナディアやサラ・ハリファ、有色の姫君は成立するのに、既存の物語を使う理由は何か、と考えもする。
子供ほど自他境界が曖昧なのは発達心理学で証明されてるんだから、子供の発達に合わせて同一属性を語るのは妥当っちゃ妥当じゃないですかね。大人になっても自他境界の分離が進んでない人は多いけど
こういうの書くと、「矛盾ないことしか言うな」みたいなのが出て来て、「じゃあぜんぶ数式で語るんか、お前は?」とかゲーデルの話とか出てきて脱線しまくるまでがワンセットな印象
既存の物語の背乗りじゃなくて、新しくその属性向けの物語を作ればええんやで。
ゲームの大会で不人気のX構成で優勝した人がいるとして、「やはりXが最強。X以外は産廃」と「Xでも工夫次第で強いんだな、プレイング参考にしよ」とでは、受け取ったものが違う。受け取ったものが違うなら、周りから
いわゆる寄り添い系には本気のエンパワー作品と、同族を見ると脳汁出るやつ向けのエサとの2種類があって、ディズニーはこの2つを同列に扱うのがクソ。
前提1)日本人は劣等民族だと歴史的に言われ続けてきた 前提2)相手が子供 前提1と2を満たすときには、「日本人はすごいんだよ」と言ってもいいだろう。条件を考慮しない雑な一般化を正論と呼ぶのはやめろ。
色々な意見が出てくるのは良い事だと思う。ただ、白雪姫の話だよね?シンプルにつまらんから文句の1つでも言いたいんじゃない?俺はシンデレラはつまらんかった。美女と野獣は面白かった。
「快挙を成し遂げた人(日本人)」すごいと「日本(人)」すごいを一緒にした議論をしていないか。愛国者は「日本」が好きかもしれないが「日本人」はそれほどでもないのでは、「日本人」に対してもすぐ反日って言うし。
この前提は合っているのか?あるいは議論に値するのか?
「アジア人(例)もお姫様(例)になれるんだ!」と「アジア人はお姫様になれるからアジア人は偉いんだ!」は、少し別のことを言ってて後者は微妙にアウト。なんの矛盾も無いのでは。。
「勇気が出た!」は自分の行動をポジティブに変えていく可能性があるけど「日本人偉い!俺も偉い!」はただの怠惰だよね。頑張っている同族をみて自分も頑張ろうと思える自分でありたい。
この両者を同類と扱って自分で「正論」として悦に入れる筆者氏は幸せそう。ただこの両者の区別がつかない人は前者についても考えぬ言わぬが御身の為。エンパワメントと自民族優越主義の違いが判らんのだろうね。
タイトル読んで思ったことが注目コメントにあったので満足した。
そも『既存のプリンセスを褐色肌の俳優を起用してリメイクすることは(中略)重要なこと』って発想が理解できない。なんで既存の作品を乗っ取って歪める必要があるの? 新作で好き勝手すればいいじゃん。
偉業を成し遂げた人を尊敬するのは普通で、属性要因で個々が誇りに感じるならそれでいい。周りに強いたり否定したり、業績にタダ乗りしなければ平和。
「有色人種が白雪姫になろうなんて思い上がるな」みたいな台詞をディズニー・プリンセスに言わせるオタクの悪ふざけをこの数日で何度も見て、子供を痛めつけることに熱心な人がディズニーに言及するの邪悪だと思った
オリンピックや日本代表が活躍したりノーベル賞を日本人が獲得したときに 水を差すくせになリベラルの人達
自らの冷笑をただの意地悪と思ってほしく無いって話に読める。(特に将来ある子供に)身の程を弁えさせるなんてそんな大事な事じゃなくて、背中を押してくれるなら思い違いだって良いじゃないかと思いますよ。
人種がサラダボウルだったりする国と比較的少ない国で受容過程は違うよな。と思いつつ日本人が明治以降やWW2以降の近代化や工業化を経て名誉白人気取りなのは謎だなと。貧困白人は理解してないよな的な。
大谷選手や大阪選手は別に子供のために存在してないけど、ディズニーアニメは明確に子供を励ますために存在してるだろ…
どっちにせよ面倒で捻くれた考え方してネットしてたら、毎日過酷そうで大変ですね
嬉しいことは二人分 悲しいことは半分
俺がダメンズだから大谷もきっとそう
虎の威を借りて誰かを攻撃するようなおかしな人はいるよ。誰もおかしなこと言ってない時に急にお前が偉いわけじゃない!と言い出す異常者がいるからって、その言葉を使うなと言うのも妙な話だよ
日本人と黒人とは違うんだといいたげな人がいるけど、日本人メジャーリーガーもマイノリティとして白人社会で差別に曝されてきた事実から目を背けてどうすんのよ/イチローの証言( https://x.gd/fsEXL )
受け手にとってモデルケース(努力すれば実現可能な未来像)として機能しているか、お手軽な誇大感の獲得装置として機能しているかどうかの差。将来の世界的活躍を目指す者にとってはノーベル賞受賞者や本塁打王も前者
サムネのよつばと画像、引用ルールに則ってますかね。
「共通要素を抜き出す」という手段は同じでも、応援したい気持ちの底上げのためと、自己満足のためではそれぞれ意味が違うよね。他者の権利を害するものでない限りは各々好きにすればいいと個人的には思う。
ミラベルでも見てればいいのに、設定を曲げて白い肌を浅黒い肌に変えるのが薄汚い盗人にしか見えないだけであって、同族の頑張りに拍手を送るのは人種にフォーカスしているのではなくアウェーでの頑張りへの拍手よな
いつまで幼稚な話題やっとんねん。
属性でそもそも可能性が与えられないことに対するアンチテーゼでしょ。/だとすればプリンセスなんていう出自にしか理由のないポジションってすげー矛盾。
へぇー、お姫様とノーベル賞…深いニャ! ボクには、美味しいおやつが最高の賞にゃ!
「同じ日本人として誇りに思う」てコトバの意味が皆目理解できんかったんだが、なるほど「ここまでできる日本人がいるんだから、日本人ダメだなって思ってたけどそうでもないんだ!」て意味だったのか😳
遺伝子的が比較的近い同種族の活躍を見ると、自分への可能性も広がったように感じるのかな。それとも、同種族を支持するような遺伝子がそもそも組み込まれているのかな。
子供にモチベーションを与えるのと、おっさんがニッポンスゴイでオナニーするのは別だろ。子供なら喜ぶ内容を大人が大喜びしてるとか精神がまるで成長してねえんだな
アメリカにおいては日本人は未だにマイノリティではあるし、そこで大谷や真田広之などの活躍を見れば、そうしたマイノリティである日本人へのエンパワメントとなりうるわけで、この2つは正しく並列に置けるだろう。
『勇気が出た!』くらい良いじゃんよ。「私と同じ肌の色で眼鏡の子がお姫様!だから私もお姫様だしお前ら私をお姫様として扱え。あ、お前の肌の色はお姫様には成れないからね」とか言い出したら別だけどさ
日本という国の国力つえー(人材育成能力高い)みたいなものはあるだろうね。でも俺がそれを頑張った訳じゃないから特に自分が誇らしいとかはない、という感じかな。
日本人に対して「お前が偉い訳じゃない」とは言えるけど黒人にそんなこと言ったら大変なことになるだろ
アフリカの某国出身のサッカー好きと話したらロナウド、メッシとかが大好きで「あなたの国出身の○○選手、いいボランチじゃん」とか振っても全然反応薄かったなあ。まあまあサッカー詳しそうだったのに、不思議
憧れるのを、やめましょう。
「大谷すごい→大谷は日本人→同じく日本人である自分すごい!!」という事をいう人に対しての「いやお前がすごいんじゃないだろ」と「日本人という属性があっても活躍できる事を大谷が証明した」だと理解している。
Twitterで1ポストで済むことをブログに書いてるって印象。文章上手くないよね。
日本人にはノーベル賞取れないとかメジャーで成功できないとか、そんな思い込み(偏見)や決めつけ(差別)がある時代なら勇気が出るのもアリだけど、そういうの抜きで「同じ日本人」はただのナショナリズムだからなぁ。
大谷はすごいし、俺は日本人だし。
女子がプリンセスに憧れるのは良いのだろうか?というのまあるな(娘にはお姫様って基本的に大変だよ、と説明してる)
全ての差違を破壊する、くらい言ってほしい。我々は熱的死に向かっているのだ。
「私と同じ肌の色で、眼鏡の子がお姫様!」-> 姫宮アンシー?
「(マイノリティーなど弱い立場の人が) ステレオタイプに抵抗する」のと「都合のいい時だけ属性ステレオタイプを発動させて自己同一化する」は別の問題なのに、「自己同一化」の部分だけ取り出して藁人形を作り冷笑…
「大谷すごい俺すごい」に対して「素朴で一般的な感情」方向のブコメと「存在しないものに対する批判」方向のブコメが並び立つが、煽りとかでなくどういう線引きでこれが両立するかの提示がargumentなわけだが。
昔すれ違った親子連れのお父さんが、「パパと大谷翔平の共通点はなぁ…おんなじ人間だぞぉ」って言ってたのを今でも覚えてる
クソリプです。俺は日本がサッカーで勝ったら嬉しい。今の代表強い。ワールドカップ期待してる!(他のスポーツはどーでもいい)
えらいとかすごいじゃなくて「嬉しい」でしょ?赤の他人が親密感を覚えるのは、主に共通項だよ。英語圏でも「私達共通点がないじゃない」は離縁理由の筆頭。だから”同じ部分があるからなんか嬉しい”は健全な感情
今のところローカル志向の最大が国民国家なのかなと。エイリアンと争うようになったらヒトでまとまれるのかも
都合のいい時だけ同化心理状態。男の子はヒーローになりたがる。女の子はプリンセスになりたがる。おっさんは何者にもなれなくて悩む。
他人の感想にイチャモンつけんなよとしか思えない
プリンセスが眼鏡で有色人種で勇気が出た結果他国や他民族を下に見る奴はいないけど、ノーベル賞やスポーツの賞は他民族を劣等扱いする引き金になってるだろ実際見苦しい。そういう話じゃねえのか?
生まれついた肌なんて関係ない!って勇気を貰って憧れるのがプリンセスってのはブラックジョークとして面白いじゃないか
「大谷すごい」から「俺すごい」まで飛躍してる人をまず見ない。希少種を警戒して叩きまわる人たちは、黒人プリンセスが発表されたら「私すごい」を言い出す黒人女性も先回りして叩いとけばいい。
小さな女の子のプリンセスへの憧れと、いい歳したオッサンの大谷フリーライドが一緒になると思うの?ああオッサン差別だなこりゃ。
日本という教育システムでもノーベル賞や大谷が出てくると考えれば、ある程度、教育関係者は誇って良いし、自分がノーベル賞を取れず、大谷にもなれなかった凡人は、教育システムのせいに逃げることは出来なくなる。
「アイデンティティがどこにあるか」は人それぞれだから難しいよね
WW2で日本の民族主義が敗北したのが全ての原因。日本の民族主義は汚ねぇ民族主義。他国人に対してももまぁ思ったとしても攻撃的すぎて言えんやろ。逆に何故日本人に対しては言えるのか。裏返った民族意識がそこに有る
アイデンティティがない 生まれない らららら
差別が存在するという一番の前提を抜きにした議論に意味があるだろうか。
うるせえなあ
なんかナショナリズムとかオリエンタリズムみたいな話?
ノーベル賞については、日本の教育制度とか、大学のありかたとかもあるから、誇っても良いと思うんだけどな。基礎研究に国が継続的にお金を突っ込まないと取れないと思ってる。
お笑いファンでもっともゲンナリする話が「頑張ってください? お前よりずっと頑張っとるわ」という芸人の返し。ヤマアラシみたいに威嚇して何が楽しい、何を保つのか、この人も会話不能の域に到達したのだなあと。
身内感というか、親近感というか
「そういうものだと思ってたから選択肢にも登らなかった」「そっちを向けても見えてなかった」ってことを無くしたいのよねって話と「人は道端の石にさえ憧れたり何かを賭けたりできる」みたいなのは排他じゃないね。
他人のノーベル賞に『おめでとう』というのは素晴らしい。しかし『ありがとう』と言ったら、何か違う。「お前が褒められたわけじゃない」としか言いようがない。プリンセスも同じだ。
アジア系はアメリカ、メジャーでは完全にマイノリティだから、大谷の活躍はリプレゼンテーションという意味では有色人種お姫様と全く同じになるんやけどな。まあ日本にマジョリティとして住んでると気づかない人多い
大田にすごい 俺すごいは2ch発の皮肉ネタだよ ホルホルネタってやつ
世には性別人種教育階級その他様々な壁があるのだ。私は女で平均身長なのでどう奇跡が起きたってメジャーでホームランは打てないが、日本人で5歳の野球好きの男の子が大谷を見て夢を持つならそれはそれで意義がある
「同じルーツの人が活躍すると励みになる」という効果は確定していて、それを虎の威にするか、支えにするか、受け取る側の反応の違いという話では。別に相反する概念でもないだろう。
戦隊モノには1/5や多くて2/5、機動刑事は男型、ハンカチ噛んで泣き崩れる弱々しさと性を売りにする悪女の二択から戦うヒロインへ、女性政治家が主人公のドラマはほとんどない等をより身近に感じるかでも違いそう
私はもっと視座を高く持ちたいと常々思っていて。つまるところ、日本人だから、褐色肌だから、という理由ではなく、人類として、同じ惑星に住む者として、皆のことを誇らしく思うよ
架空か現実かの違い。架空の物語の登場人物に自己投影させるのは、物語の鑑賞法としては真っ当。現実に対して同じようにやるのは、ちょっと危ないかもしれないと警戒すべき
僕は眼鏡のお姫様を応援する一方で大谷が何本ホームラン撃っても何とも思わんので、単に何に感情移入するかの差じゃねーかな。単なる個人差で、勝手に勇気づけられて勝手に誇りに思うだけだ
黒人の歴史を知ってたらそうは言わないと思う。日本人が野球するのとはわけが違う。
どちらかというと聞こえてくるのは、「同じ日本人として誇らしい」の合唱じゃなかろうか…。斜に構えた意見はネットにしか無い。
前提とか文脈とか無視したらそりゃねぇ
世の中が他国の他人種の創作物ばかり溢れている状況がちょっと是正されたら、疎外感が和らぐ気持ちになる。それは同国民や同人種のノーベル賞やスポーツ業績を我が事のように誇るのとは違った側面を持つ。
全国の小さなお友達は私もプリンセスみたいになりたい!とは言ってもプリンセスすげー!偉い!同じ人類として誇らしい!とは言わんのでは?全国の大きなお友達も大谷みたいになりてー!とは言わん。なれんし。
この2つが同じ概念だと思う理解力…子供や「○○だから…」と諦めてる人には同じ属性の人の活躍が希望になるし、「日本人だからすごい」と虎の威を借って他を見下す大人には「お前がすごいわけじゃない」ってこと
そもそもプリンセスの存在があってはならないもの。というのはその通りだと思います。褐色だろうが黄色だろうが、イタ豚ユダ豚全て等しく価値がない
多分作った側はそんなこと考えてない。黒人が主人公。白人?知らんわ、だと思う。ドイツのユダヤ人への対応と同じ。もはや脳死。
誇らしいって本人が言うには良いけど同じ事した訳でも何でもない人が誇らしがってるのは意味わからん
同じルーツや同じ属性のひとが身近に感じる、親しみを感じるというだけでは。実際にあったことなくても凄い人が知り合いの知り合いだったら盛り上がるじゃん。さらに共感格差の話もつながってそうではある
『人種』という檻の中に人々を閉じ込めているのがリベラル派なんだ。彼らは黒人の少女が白人のプリンセスに憧れる事を許さない。黒人らしくある事を強制する。奴隷制を支持していたのは民主党なのを忘れるな。
スタートゥインクルプリキュアを放送すればいいじゃない
酸性洗剤とアルカリ性洗剤を混ぜてるみたい。混ぜるな危険⚠️
プリンセスというのは、もはや華やかで可愛らしくてハレ的であることのメタファーとしてしか作用していないように思われる。要するにファッションでありそこには身分階級的なコンテキストが欠落している。
例えば自分がすごく頑張って何か受賞したとして、よく知らない奴に「同じ日本人として誇りに思う」とか言われたらムカつくし気持ち悪いでしょう? それと同じようなニュアンス。おまえ赤の他人やし誰やねんってこと
昔の金メダルすごいノーベル賞すごいは「日本人でも世界に通用する」=「日本人である自分を卑下しなくていい」だったと思うが、若い人は日本人は世界で通用して当然と思ってるから大谷すごいに忌避感を持つのかも
あー、マウントスキーが関係性で他人の功績を自慢し始めると、反射的に「偉彼君違」って言ってやりたくなるんだわ。他者(他国)を見下すようなことのない人間には全く思わないのだけど。
本体である眼鏡がお姫様なのであり、その余はお姫様ではない。眼鏡が偉いのであって、人間や女が偉い訳ではない。
もっと日本人はチビでメガネでガチャ歯で栄養失調であるべきってことかな
全く同じとは思いませんが、どちらも程度問題かと思います。どちらも、自国民や自人種に誇りを持つに留まらず、他人種や他国民を見下したり既存の物語を改変したりした時点で、反感を買ってしまうものと思います。
「自分と同じ日本人が!」と喜ぶのは勝手だけど、有色人種のプリンセスとは全然レイヤーの違う話。日本人は世界の中で全然マイノリティではないので。
「日本凄い」と他国への蔑視とが結びつくのであれば精神的退廃だが、歴史的に負のスティグマを貼られてきたマイノリティが同じ属性のキャラクターに勇気づけられるのはアリだろう。文脈の違い。
日本育ちの女児のお姫様ごっこは外見や言動のことだから…… 出自とか支配階級とか関係ないから……
プリンセスに黒人の女児が自分を重ねると、白人のクラスメイトやなんかに笑われてしまうんだとどこかで読んだ 目に見える差異があると幼いうちはどうしても難しい事態になりがち
並び立たないが正解だし、その上で「人魚姫のブラックウォッシュアホらしい」「大谷が偉くてもお前が偉いわけじゃない」と思っている自分は少数派なんだろうか。最近はそういう人も増えてると信じたい。
ポジティブな気持ちになれるならいいじゃないか
まともに会話が成立する気がしない(´・ω・`) / ただまぁ大谷すごいすごい言ってる人ほどペナントとか興味ないんだろうなっていう印象はある(´・ω・`)
別にブクマという人格がいる訳では無いので多様性のある意見を日和見と見るのは変ではないかな
自他共に「お前にはこれは無理」とされてきた属性の人々が「私達も目指していいんだ」と励みにするのと、「X賞が少ないY国民を見下す」的な言説への反発ゆえの「お前は偉くないけどなw」連呼は、全く別の話だろ‥
「日本人選手凄い→日本人は凄い(同一化)」ではなく「日本人選手凄い→あなたも頑張れ(ロールモデル化)」。「眼鏡のお姫様」は眼鏡が素敵なんじゃなくて言動が素敵なんだよ。そこに気付かせるのが教育だよ。
大谷すごい!日本人として誇らしい!←って言ってるお前は日本人として何したんだ?。という気持ちで「お前が偉いわけじゃない」と言ってるのであり、本当に自分が偉いと思っているな、等とは思っていません。
こじつけの与太話やんけ。
スポーツ選手は、育ての親(その国のシステムや文化や指導者やチームメイト)に影響受けるので、そのへんの深い話は朝まで語り合えば良いのよ。一言で切り捨てる行為は、なんていうか…冒涜的?ご飯粒を残しまくる人?
×「大谷すごい。同じ日本人として誇らしいです」 ○「大谷すごい。日本人でもMLBで活躍できるんだと勇気が出ました」 明確に違うことなのにこの人の中ではごたまぜになってるの、単に偏見のきつさ故なんだろうな。
大谷が活躍したから自分が偉い、なんて考える人はそもそもいないのでは。
共感のトリガーから公約数を外すと動物さん食べるの可哀想とか植物にまで共感して食べられなくなるかもしれないし、個にまで上げると同じ種類の生命体をも物としか見えないかもね。
アリエルは良かったが白雪はそれ以前の問題ぽい。車椅子バービーやヒロアカの顔に火傷跡があるキャラ見て「自分と一緒」と親しみを持ったり励まされたりして喜ぶ子供の姿には感じるものがある
だって、お姫様でもノーベル賞でも本塁打でもサッカー観戦後のゴミ拾いでも、「すごいなあ、私も頑張ろう、勇気が出た!」というのは美しいけど、「これぞ我々の国民性の表れ! ××人とは違う点だ!」は醜いわけで。
「苛立ちを覚えるのが普通」って言ってる人、ストレス多くて生きるの大変そうって感想しかない
https://support.google.com/voice/thread/333626199?hl=en&sjid=983450083073934931-NC
大谷の活躍はどう見ればいいんだろう、っていうのはある。
こういう関係の無いことをこじつけるのって陰謀論と同じだよなあ。
なんかウキウキしながら書いててかわいそう
後者、単に性格が悪い人って感じだがw
日本人、外国人関係なく、俺の国すごい言ってもいいじゃん。ダメなのは他国に敬意が無い事。外国人が自国を誇らしいとか言っていても否定せず受け入れろよな?間違ってもお前がえらいわけではないと言うなよ。。。
結婚する前にその男がどんなブログ書いてるか分かれば、悲劇が回避できていいなと思った。
プリンセスの感情移入は個人であって、偉人との同一化は同国人に根ざす違いがあるのでは。プリンセスがナショナリズムを背負っているとは思えない。人種での同一化で戦争になったりしない。
同じ人でも条件によって、腹減ったと言ったり、腹いっぱいと言ったりする。ましてや別々の場面での不特定の人の意見・お気持ちに(論理的な一貫性があろうがなかろうが)関係性なんて元から無いのが当たり前では。
表象の話だと、最近なら「チー牛」が興味深い。非モテ・コミュ障・陰キャ男性と見なした相手に対してぶつけられる、外見と内面を直結させた、偏見の塊みたいなやつ。/あの絵はネガティブな表象として稼動してるよね
反ポリコレネトウヨが「ダブスタだー」と言う時、たいていは味噌と糞を一緒にしている。共通点探しゲームをして「茶色いペースト状の物資」として口に入れる。その臭い口を閉じろ。
現状では同郷人に親近感持ったり感情移入したりがそこまで非難されることなのと思うので「おまえ偉」っていうやつを見るとちょっとイラつく
¬(P ⇒ Q) と F(P ⇒ Q) は両立するから
階級とかまだよく分からない筈の幼児が、強烈に「プリンセス」に吸引されるのが不思議。ミラーニューロンがディスプレイ衝動を誘導するのだろうか。周囲の人物が魅了されたり嫉妬したりする様子も要因になるのか。
大抵の人間のフィクションの消化の仕方が貧しいというのは、まぁそう
いや本当にそうでポリコレ全盛のこの世の中でプリンセスという特権階級をどういう理屈で肯定しているのかが理解不能。
「私と同じ肌の色で、眼鏡の子がお姫様!勇気が出た!」と「ノーベル賞や本塁打王が同じ日本人でも、お前が偉い訳じゃない」の関係性。 - INVISIBLE Dojo. ーQUIET & COLORFUL PLACE-
タイトル通りの話。そもそもこのふたつが、並び立つわけがない(シンプルすぎる正論ですまん)
ノーベル賞とった人に向かってお前は日本人じゃないとか言ってる人も同類? https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www3.nhk.or.jp/news/html/20211005/k10013292011000.html
実写版ディズニーは二種類作れば良いのだよ。肌白い用と肌黒い用。解決。
フィクションにお笑い担当でもヤカラでもない大阪人が出てくるとなんかホッとするのはある(そのキャラが人気No.1でなくてもよい)/ 排除されてた場に参入したりステロタイプをぶれさす先達助かる的な(マイナス→0〜1
目指す勇気と達成した誇りは別物では。
「漢民族」も古代より北方民族からの長い期間影響を受け続け、黄河文明期などに比べ皮膚の色が明るくなっているとされている。海外の解釈では日本人も「白人」とされるてる場合がある(16世紀までは完全に白人
ま、一部の人間の所業を日本人の民族性!と言い募る側が、逆のシチュエーションでは一部の人間の行いを民族性と絡めるな!レイシストめ!になるしな。左側あるある。
やはり銀英伝はいい
虎の威を借る狐はシンプルにダサくて目も当てられない
「私は日本人じゃない、地球人だ」みたいなことを言ってたリベラルは、キャラクターの人種を変えたがる人らをどう思ってるんだろう。
しつけというがガキに言うことじゃない。大人が賢しげに強者とか弱者とか自分定義の言い訳をごちゃごちゃ語ってたらダブスタでぶん殴ってやれ
フェミニズムの補助線を引くと普通に成り立つようになる。ウーマンリブのために女性には多様なアファーマティブアクションを行い、権力勾配があるため男性には行わない。
そっちの連中は「日本と日本人を貶められるか、そうでないか」で判断してから理屈をつけるんで、矛盾してるように見えるのは当然
全く違う。「プリンセスであること」には「容姿条件がある」と考えられているので、「そもそも条件に当てはまらない」って考えるものなのだ。「そこは条件じゃない」と宣言される意味がある。
クラッシャージョウにでてくる惑星ピザンは王政だけど国民から選ばれて王になるという仕組みだったはず。なのでアルフィンは王の子供だけど継承権はない。
他人の成果に土足で乗っかるかどうかかな。
都合のいいとこだけ採用すればよい
自分が生きる環境においてマジョリティであるということや、そのことの持つ意味について何も考えたことが無い人の感想。
意地の悪い指摘だけれども、誰が弱者なのか。その条件は何かを考える一助にはなる。/未だに古臭い男女二元論やってる人がいるのだけれど、強者性は男性にだけ宿るものじゃない。男女の単位で権力勾配など無いよ。
逆パターンをやったら文化盗用と言われるという話を絡めるとさらにややこしい
両方とも言っていることは理解はできるところがミソだよな。
そもそも誰も「大谷すごいノーベル賞すごいだから俺すごい」なんて言ってないっていう。存在しないものに対する批判のみが存在している。
語彙力がない→感想を言う必要がある→当たり障りのない言葉「勇気をもらった」になるだけじゃないかとは思ってる。とくにテレビの一般人への街頭インタビューり
社会による影響で若い世代の自己肯定感が低下しているとしたらそれに手を打つのはありだと思う。が、そうするべきだとかそうしなければならないみたいな主張はそれまたどうかと思う。
こういう論破(笑)や意見の押し付けや否定をしなきゃ、別にどう解釈しても良いし、自分の胸にしまっとけばいい。
確かに対象から勇気を貰うのと同じ属性だからドヤってるのは違う気はする。「大谷すげえよな…俺も頑張らないと」とか「俺だって同じ日本人だ!やってやれないことはない!」みたいのなら問題ないというか。
銀英伝も、降伏せずに部下を巻き込んだと非難された帝国の提督と、ビュコックの何が違うのかよくわからんのよな。ノーベル賞等も日本人はマイノリティ側で、”同属”な必要もないので”条件の克服”は怪しいのでは。
「私が能力的に優秀である」と思ってるわけではなく「私(を含めた日本人全体が)優秀と他人から思われる」と思って喜んでるんでしょ。腐すなら「『男は性犯罪者』『女は議論が出来ない』と同類だな」みたいな。
大谷選手を誇れるのは大谷選手が育つ環境に関わった人でリトルや高校野球に関わった人やプロ野球に金を落とすファンであり日本人じゃない。関わったなら人種関係なく誇って良いし、憧れるのも自由。お姫様でも同じ。
そうだよなあ、子供は美しい服装をしてちやほやされたいだけだろうが、その他はプリンセスという階級に憧れているのだろうなあ
筆者の矛盾に対する指摘はなるほど正論だと思う。//その上でそもそも同族が何かを成し遂げて嬉しいと思う素朴で一般的な感情に対してアレコレ言って腐して賢ぶってる人達は人間性がさもしい連中だと俺は蔑視してる。
大谷翔平が日本人で喜んでる人とプリンセスが褐色で勇気づけられる人が同じなら何の問題もないのでは。
発達過程未就学児向けの「ヒトの性質」を利用した話とオジサンが世界の理解レベルいっしょだったらまあそれはそういう扱いをされますね、というだけでは。いつまでも少年の心を?そうですか。砂場行ったら。
簡単な話じゃん。「ネトウヨが喜ぶ→キモい→悪いことだ」「黒人の子どもが喜ぶ→ステキ→良いことだ」このくらいしか考えてないよ。
大谷すごい!って言ってるだけの人にお前が凄いわけじゃないって人がいたら、ただの会話が通じない人じゃんね
物語は共感によって感動を与えるのだから、主人公の肌の色や境遇、発達特性などは共感の大きなフックとなるでしょう。もしアスリートや科学者の偉業を"物語"と捉えるなら、人種や国籍を重視する人も多いでしょうね。
もっと浅く考えようよ。ディズニーは、女の子が自分と同じ肌の色のお人形で遊びたいのかのマーケティングをしているだけ。黒いお姫様が白いお姫様と同じように売れるならそれでよい。だって資本主義なんだもん。
だからWW2で日本軍が白人を打ち負かして東南アジアから追っ払ったことにも文明史的意義はあるよね
日本人という括りだと腐す人がいるけど、〇〇高校とか、郷土の偉人とかだとどんなもんかね
ビュコック提督もドレスに憧れてるだけの幼女にはそんな事言わないと思う
(記事と全く関係なくてすまんが)「人間性がさもしい連中だと俺は蔑視してる」ってコメが★3つしか付いてないのに★15個のコメより上にいる「建設的コメント順位付けモデルAPI」はやっぱおかしいよなぁ⋯
「ノーベル賞取るなんてすごい」→「お前がすごい訳じゃないぞ」と突っかかるアカウントは相当数あるが、インターネットぶつかりおばさん/おじさんにもほどがあるよ。
「大谷すごい!日本人は優秀な民族だ!」ならおかしいけど「大谷すごい!同じ日本人としてうれしい!」はごく自然な感情で腐すことではないよね。作品の出来はともかく、非白人ディズニープリンセスも意義がある。
アメリカ在住のアジア人には大谷選手の活躍はアジア人男性へのステレオタイプ改善的に身近な問題らしいが
嬉しい←分かる (同じ属性)として誇りに思う←あまり分からない
それがどうした
これが最近言ってた「価値観の砂漠」というやつか。さすがに歳を取ってこういうメタな議論を目にするのが疲れてきた。
自分に近い属性の方を応援・共感するのは誰しもが持っている自然な感情だが、その中でも自分の気に入らないモノを叩きたいとなった中で捻り出した屁理屈やろなぁと。インターネットぶつかりおばさんの親戚。
「同じ日本人として誇らしい」とか言い出すから「お前が偉いわけじゃない」と言われる。これは「身びいき」と同根なので当然視する人も反発する人もいる。またそれぞれ守旧派と進歩派に見えるので可燃性高い。
自分と同じ肌の姫がいて勇気が出た!私も皇族になる為の努力をしよう!まずは学習院幼稚舎に受かる為に何をしようかプランをたてるか
もしかして日本人がロボコップ3やニンジャスレイヤーに余計な人種意識を挟まずゲラゲラ笑いながら楽しんでるの、世界的に見たら高度で特異な技能だったりするのかね?
ニッポンリベラルは「差別と日本人が大嫌い」な連中だからな。災害時に「日本人が井戸に毒を入れた」って話が出たら、疑いなく信じて、わざわざ英語で「ガイジン様、日本人はこんな連中です」ってご注進するクズ。
TVつけて甲子園に地元県代表が出てたらちょっと肩入れする気分になるのが普通
めんどくさいヤツだな。野球でもサッカーでも(主に)地元チームを応援して、勝った嬉しい、ってなるのは普通の感覚で、ビジネスや行政支援にもつながる話だし、肌の色なんて関係ないよ、ってなる。
大人はそりゃそう。幼児の発達段階では、あこがれる対象と自分を同一視して成長するって普通に通る道だよ。字、でかいなぁ…/(自分用メモ:ライダー、セラムン戦う女の子の登場、戦隊女複数化、男プリキュア、既存の)
id:tanakakazu まさに肌の色で「お前は地球人に数えねえから!」って言われてた人たち(アジア人も含む)が、ようやく地球人として席を与えられるということの象徴なんだよ、赤髪のアリエルも黒人のアリエルもエブエブも。
意味不明。「普通選挙の時代です。黒人の皆さんにも選挙権があります」の延長線にある「誰でも主役になれる」というアサーションは、「お前がすごいわけではない」というアサーションとは何も矛盾しない。
「日本オワタ」的なことを言う人は自分に自信がないんだね!(逆説)
「日本人という属性がすごいわけじゃない(からお前が偉いわけじゃない)」と「日本人という属性では活躍できないなんてことはない(から勇気をもらえた)」は普通に並び立つよね
その分野の人間としては「民放は日本人以外の活躍も報道しろ」です。日本人が活躍するたびに毎回噛み付いてくる自称リベラルの人たちが本当に邪魔。(私はリベラルです)
そこまでして君らは新作を作りたくないのか。信長の野望の登場人物が黒人だらけで受け入れる奴だけディズニーを肯定しろ。
「私と同じ肌の色のお姫様」が子供に重要ならば性別と人種での「同族判定」が人間にとって自然なのだろう。だから大人も同じ基準なのは不思議ではない。反差別には「自然な」判定基準に抗することが重要だとわかる。
人種や見た目や関係性の近さからくる親近感や憧れはプリミティブな感情だから、理屈と矛盾することはある。
中学生の頃、海外の映画のクレジットに日本っぽい名前があると「わ、日本人でもハリウッドでバリバリやっている人がいるんだ〜」とわくわくしたので、やはり可能性というアイデアを付与する力はあると思う。
大谷すごい俺すごいなんてのいないのにムキムキしちゃうのなんなんだろな
ノーベル賞は国家がサポートしてて、本塁打王は商業的裏支えがあるから、両方国民も偉いね / アメリカ国籍に変えてても日本生育なら生育環境はやはり日本国民の不断な努力で整えられて /前者は褐色眼鏡族の民族主義
2ちゃんのネコは・寝る・食事・トイレ・家族の邪魔、これが1日ですることの全てやでというレスに対して、ワイはネコちゃんだった…?と返した人を思い出した。
「同じ日本人として誇らしい」にはだいたいブログ主が例えるような批判が飛んでくるし、でもそれが「同じ黒人として誇らしい」「同じ(マイノリティな国)人として誇らしい」なら?(恵まれない立場なら誇って良い?
結局「何をもって仲間とみなすのか」って話になるよね。あと仲間意識の裏と表 / 人類みな兄弟って思えれば幸せなんだけれども
世界的な音楽フェスでは参加者がステージ前で自国の大旗を振ってアピールするんだけど、欧米の大国が愛国アピールするのは鼻につく。発展途上の小国の旗はむしろ応援したい。日本はまだ大国だと思う。そんな感じ。
自分の生まれ持った属性によって、何かを諦めなくても良いと思えることには意味があるんじゃないかな。実際には生まれ持った属性で諦めることばかりの世の中だから、少しでも希望を持って生きられるなら
「相関関係は因果関係ではない」
「可能性があることを示した」という意味で、大谷より野茂の方が意義は大きかったと思うな。
ヒトは、自然淘汰の結果、自分により近いものにはより強い共感を覚えるような性質を獲得したということでしかないと思う。(それが生存に有利に働く)「近い」の基準は属する共同体であったり属性であったりするが。
日本と縁のある人の活躍を喜ぶことと、日本と縁のある人が苦境に陥っていたら助けようと思うことって通じるものがあると思うけどな。同胞意識とか身内意識ってそれ自体は別に悪いことじゃない。
ドジャースに勝ったけど、阪神は世界一じゃないぞ。とは思った
前者後者とも感情が本当にわからない。元ツイについたリプ「白雪姫の肌の色を変えたらドイツ語原典の冒涜」が然りと思うし、大谷サンやノーベル賞の人も「スゴイエライ別人」同じ日本人てのは無理ある
しつけの話なら魚や動物とか微生物の生態系を学ばせてどれほど規律正しいか教えたらいいんじゃね? 人間の話してもお前じゃねえってんのなら 前提の説明抜きに話を簡略化してるだけの事をさ
お前が偉いわけじゃないとキレる人も、オバマ大統領が誕生した時に喜んでるアフリカ系の人に「同じアフリカ系でもお前が偉いわけじゃない」と噛みつくことはしなかったと思うので党派性だろうね
マスメディアが何かにつけて日本人という枠に当てはめて、民族性まで持ち出して批判しておきながら、「差別は絶対に許されない」とか言ってるのって、正直意味がわからないとずっと感じてる。
他人の憧れを抱く気持ちを折ってまで貴方は貴方だという必要性がよくわからないけれど、多くの人はそれぞれ他分野でその新しい方法を人生の模索に取り入れようとする事を折って現状を保ちたい気持ちがあるのかもね。
「日本人がノーベル賞を受賞したから日本人は(他の国の人間と比べて)凄い」と「黒人のお姫様がいるんだから、黒人も(他の人種と)同じようにやれるんだ」というニュアンスの違いがあるのでは。
ただ、リンク先は読み切れてない…
例えば「障がい者が受賞した。同じ障がいを持つものとして勇気づけられる」と「健常者が受賞した。自分が健常者であることが誇らしい」は全然違うと思うよ。いかにもid:gryphonさんらしい「掘り下げ」だなあ。
「私と同じ肌の色で、眼鏡の子がお姫様!」は固定観念に対するブレイクスルー(例えば女は弁護士に向いてないとか)で、「ノーベル賞や本塁打王が同じ日本人でも…」とは異なるような気がします。
これ言う人は、どっちかというと「大谷が大リーグで活躍」とか「日本人科学者がノーベル賞を受賞」という事実が気に入らなくて、周りの人間が彼らを称賛するのが我慢ならず、両者を分断させたがっているという認識。
何を見ても他人事じゃないので同じ人類として嬉しいし恥ずかしい
「既存の作品を作り変える」のが大事なのか。有色人種の昔話を忠実に映像化するのでは駄目なのか。子供の為を言うなら後者のほうが有意義ではないか? 前者を尊ぶのは不純な政治的意図を感じる。本題は興味無い。
ノーベル賞の選考やメジャーリーグの採用で日本人が排除されてないっぽいことには安心するよ。ジャッキー・ロビンソン選手とかもそう昔の話ではない / 役者の人種を変えることは乗っ取りでも歪みでもないよそもそも
感情的な共感(褐色肌の子供たちへの配慮)と論理的な批判(プリンセス概念の差別性)を同時に扱うものの、それらを統合する視点や解決策を示さないため、論理矛盾を抱えたままとなっている。
幼児の空想をブチ壊すために力み返ってる人って、生育歴に何か問題を抱えてるんですかね。
「日本人離れした大谷がすごいだけで日本人がすごいわけじゃない」vs「日本人では外国人相手にパワーでは太刀打ちできないなんてことはない」
どさくさにまぎれて眼鏡を中傷するな。モロボシ・ダンにあやまれ
弱者に勇気を与えてるのは別に良いんじゃ… 力道山がいなけりゃ戦後の日本の復興は無かったとか言われてるし
せやな/「同じ日本人として勇気をもらえた」という素朴な感想に「お前がすごいわけじゃない」理論をぶつけにくるぶつかりおじさんおばさん、わりとたくさんいそうではある。
「すごい大谷と同じ日本人として誇らしい」と言っている人は大量に見かける。この言葉をどう捉えるかの問題で、悪意で捉えれば「大谷がすごいから俺すごい」となる。
1匹のネズミですらお椀の中からコンニチハすることで世の中に影響を及ぼしうる。不幸なお姫さまの成功譚ではなく借金を返さないシングルマザーの悲劇にみんな勇気づけられる。iPS細胞ではなくSTAP細胞が社会を変える
例えば国立大の独法化と予算縮小を進めてきた某与党に、投票してそうな人や党員や議員などがノーベル賞の受賞を讃えるのを見かけると私は冷笑する。サッカー興味なさそうなのに本田だけ応援してる人とかも同じく
こういう意地悪な発想は好きだが、それにしてもだいぶ意地悪だw/いやー大谷翔平が素晴らしくても日本人が素晴らしい訳じゃないからね。いや本当に。
大谷は赤ん坊の頃に宇宙船で日本に送られてきた野球星人である可能性がだんだん否定できなくなってきたからな…
スタートレックとウーピー・ゴールドバーグの話を思うと米国現地においては大事なことなんだろうなと思うよ。既存タイトルにおいてはクリエイターがそれをしたいと思ったなら私は支持する。いつも自分達の側な訳ない
属性が同じ人が活躍したことで、自分にも可能性があると思えて嬉しい気持ちになるのは、例えそれが錯覚だったとしてもささやかな喜びでは?それを醜悪だとかお前には関係ないことだとか言うことが「良い躾」なん?
自身の属性に自信を持つ、あるいは自信が持てる環境を築くのは大事。「お前がすごいわけじゃない」は、その手の用語だと「属性の下駄」を認識しつつ、下駄を指摘できる「自身の下駄」を無視してていやらしい。
https://support.google.com/edu/classroom/thread/333467973?hl=en&sjid=1811140593067918886-NC
お前が成し遂げたわけじゃないぃぃぃと言いつつ、フェミニストが過去に成し遂げた偉業がぁぁぁ(ドヤ)ってのもよく見かけるけどな。
子どもに伝える言葉は気持ちを叩き潰すのではなく伸ばし育てるものであるべきでしょ。「そう、君でもなれる可能性がある!どうしてあの人はそうなれたのだろう?どうしたら君もなれるかな?」とかさ。
子どもと大人の違いでは
https://support.google.com/edu/classroom/thread/333467973?hl=en&sjid=1811140593067918886-NC
元日本人・アメリカ帰化人がノーベル賞受賞したら「日本人じゃないからお前が喜ぶのはおかしい」とかもあった 単純に同郷の者が活躍するのは勇気が出るという話なのに
概ね言いたいことは言われてた。id:hoshitamotsuさんの言ってることがもっとも自分の感覚に近い。
日本スゴイと勇気を貰えたは違うみたいなブコメ、それ自体はそうだと思うけど、★欄見たら「勇気貰えた程度のノリに日本スゴイを嗅ぎ取って難癖つけに行く野郎」が複数いて、ダブスタですらない単なる嘘吐きなんよな
「日本人として恥ずかしく思う」これも仲間かな?同じ日本人でも、お前は恥ずかしくない立派な人間だよ
勇気をもらいたい。
実際に偉人や成功者を賞賛しつつ日本人の特性だのと選民思想ぶちかましてる垢とそれに群がる排外主義者なんかいくらでも見るけどみんなはそうじゃないんかね、幸せだね。
「お前が偉いわけじゃない」を言いたくなるシチュエーションはある、大谷を棍棒に他の野球選手や他のスポーツを貶しているのを見たとき。
「同じ日本人」→我々は他国より優れている→優越感の発生/「肌の色・眼鏡」→我々も主役を演じられる→劣等感の解消 …みたいな違いかなと思った。前者も対欧米人という括りだと劣等感の解消に入るかもしれず
プリンセスに憧れても良いと思うが、リアル世界では本朝含め非白人王室なんていくらでもあるし、フィクションでもナディアやサラ・ハリファ、有色の姫君は成立するのに、既存の物語を使う理由は何か、と考えもする。
子供ほど自他境界が曖昧なのは発達心理学で証明されてるんだから、子供の発達に合わせて同一属性を語るのは妥当っちゃ妥当じゃないですかね。大人になっても自他境界の分離が進んでない人は多いけど
こういうの書くと、「矛盾ないことしか言うな」みたいなのが出て来て、「じゃあぜんぶ数式で語るんか、お前は?」とかゲーデルの話とか出てきて脱線しまくるまでがワンセットな印象
既存の物語の背乗りじゃなくて、新しくその属性向けの物語を作ればええんやで。
ゲームの大会で不人気のX構成で優勝した人がいるとして、「やはりXが最強。X以外は産廃」と「Xでも工夫次第で強いんだな、プレイング参考にしよ」とでは、受け取ったものが違う。受け取ったものが違うなら、周りから
いわゆる寄り添い系には本気のエンパワー作品と、同族を見ると脳汁出るやつ向けのエサとの2種類があって、ディズニーはこの2つを同列に扱うのがクソ。
前提1)日本人は劣等民族だと歴史的に言われ続けてきた 前提2)相手が子供 前提1と2を満たすときには、「日本人はすごいんだよ」と言ってもいいだろう。条件を考慮しない雑な一般化を正論と呼ぶのはやめろ。
色々な意見が出てくるのは良い事だと思う。ただ、白雪姫の話だよね?シンプルにつまらんから文句の1つでも言いたいんじゃない?俺はシンデレラはつまらんかった。美女と野獣は面白かった。
「快挙を成し遂げた人(日本人)」すごいと「日本(人)」すごいを一緒にした議論をしていないか。愛国者は「日本」が好きかもしれないが「日本人」はそれほどでもないのでは、「日本人」に対してもすぐ反日って言うし。
この前提は合っているのか?あるいは議論に値するのか?
「アジア人(例)もお姫様(例)になれるんだ!」と「アジア人はお姫様になれるからアジア人は偉いんだ!」は、少し別のことを言ってて後者は微妙にアウト。なんの矛盾も無いのでは。。
「勇気が出た!」は自分の行動をポジティブに変えていく可能性があるけど「日本人偉い!俺も偉い!」はただの怠惰だよね。頑張っている同族をみて自分も頑張ろうと思える自分でありたい。
この両者を同類と扱って自分で「正論」として悦に入れる筆者氏は幸せそう。ただこの両者の区別がつかない人は前者についても考えぬ言わぬが御身の為。エンパワメントと自民族優越主義の違いが判らんのだろうね。
タイトル読んで思ったことが注目コメントにあったので満足した。
そも『既存のプリンセスを褐色肌の俳優を起用してリメイクすることは(中略)重要なこと』って発想が理解できない。なんで既存の作品を乗っ取って歪める必要があるの? 新作で好き勝手すればいいじゃん。
偉業を成し遂げた人を尊敬するのは普通で、属性要因で個々が誇りに感じるならそれでいい。周りに強いたり否定したり、業績にタダ乗りしなければ平和。
「有色人種が白雪姫になろうなんて思い上がるな」みたいな台詞をディズニー・プリンセスに言わせるオタクの悪ふざけをこの数日で何度も見て、子供を痛めつけることに熱心な人がディズニーに言及するの邪悪だと思った
オリンピックや日本代表が活躍したりノーベル賞を日本人が獲得したときに 水を差すくせになリベラルの人達
自らの冷笑をただの意地悪と思ってほしく無いって話に読める。(特に将来ある子供に)身の程を弁えさせるなんてそんな大事な事じゃなくて、背中を押してくれるなら思い違いだって良いじゃないかと思いますよ。
人種がサラダボウルだったりする国と比較的少ない国で受容過程は違うよな。と思いつつ日本人が明治以降やWW2以降の近代化や工業化を経て名誉白人気取りなのは謎だなと。貧困白人は理解してないよな的な。
大谷選手や大阪選手は別に子供のために存在してないけど、ディズニーアニメは明確に子供を励ますために存在してるだろ…
どっちにせよ面倒で捻くれた考え方してネットしてたら、毎日過酷そうで大変ですね
嬉しいことは二人分 悲しいことは半分
俺がダメンズだから大谷もきっとそう
虎の威を借りて誰かを攻撃するようなおかしな人はいるよ。誰もおかしなこと言ってない時に急にお前が偉いわけじゃない!と言い出す異常者がいるからって、その言葉を使うなと言うのも妙な話だよ
日本人と黒人とは違うんだといいたげな人がいるけど、日本人メジャーリーガーもマイノリティとして白人社会で差別に曝されてきた事実から目を背けてどうすんのよ/イチローの証言( https://x.gd/fsEXL )
受け手にとってモデルケース(努力すれば実現可能な未来像)として機能しているか、お手軽な誇大感の獲得装置として機能しているかどうかの差。将来の世界的活躍を目指す者にとってはノーベル賞受賞者や本塁打王も前者
サムネのよつばと画像、引用ルールに則ってますかね。
「共通要素を抜き出す」という手段は同じでも、応援したい気持ちの底上げのためと、自己満足のためではそれぞれ意味が違うよね。他者の権利を害するものでない限りは各々好きにすればいいと個人的には思う。
ミラベルでも見てればいいのに、設定を曲げて白い肌を浅黒い肌に変えるのが薄汚い盗人にしか見えないだけであって、同族の頑張りに拍手を送るのは人種にフォーカスしているのではなくアウェーでの頑張りへの拍手よな
いつまで幼稚な話題やっとんねん。
属性でそもそも可能性が与えられないことに対するアンチテーゼでしょ。/だとすればプリンセスなんていう出自にしか理由のないポジションってすげー矛盾。
へぇー、お姫様とノーベル賞…深いニャ! ボクには、美味しいおやつが最高の賞にゃ!
「同じ日本人として誇りに思う」てコトバの意味が皆目理解できんかったんだが、なるほど「ここまでできる日本人がいるんだから、日本人ダメだなって思ってたけどそうでもないんだ!」て意味だったのか😳
遺伝子的が比較的近い同種族の活躍を見ると、自分への可能性も広がったように感じるのかな。それとも、同種族を支持するような遺伝子がそもそも組み込まれているのかな。
子供にモチベーションを与えるのと、おっさんがニッポンスゴイでオナニーするのは別だろ。子供なら喜ぶ内容を大人が大喜びしてるとか精神がまるで成長してねえんだな
アメリカにおいては日本人は未だにマイノリティではあるし、そこで大谷や真田広之などの活躍を見れば、そうしたマイノリティである日本人へのエンパワメントとなりうるわけで、この2つは正しく並列に置けるだろう。
『勇気が出た!』くらい良いじゃんよ。「私と同じ肌の色で眼鏡の子がお姫様!だから私もお姫様だしお前ら私をお姫様として扱え。あ、お前の肌の色はお姫様には成れないからね」とか言い出したら別だけどさ
日本という国の国力つえー(人材育成能力高い)みたいなものはあるだろうね。でも俺がそれを頑張った訳じゃないから特に自分が誇らしいとかはない、という感じかな。
日本人に対して「お前が偉い訳じゃない」とは言えるけど黒人にそんなこと言ったら大変なことになるだろ
アフリカの某国出身のサッカー好きと話したらロナウド、メッシとかが大好きで「あなたの国出身の○○選手、いいボランチじゃん」とか振っても全然反応薄かったなあ。まあまあサッカー詳しそうだったのに、不思議
憧れるのを、やめましょう。
「大谷すごい→大谷は日本人→同じく日本人である自分すごい!!」という事をいう人に対しての「いやお前がすごいんじゃないだろ」と「日本人という属性があっても活躍できる事を大谷が証明した」だと理解している。
Twitterで1ポストで済むことをブログに書いてるって印象。文章上手くないよね。
日本人にはノーベル賞取れないとかメジャーで成功できないとか、そんな思い込み(偏見)や決めつけ(差別)がある時代なら勇気が出るのもアリだけど、そういうの抜きで「同じ日本人」はただのナショナリズムだからなぁ。
大谷はすごいし、俺は日本人だし。
女子がプリンセスに憧れるのは良いのだろうか?というのまあるな(娘にはお姫様って基本的に大変だよ、と説明してる)
全ての差違を破壊する、くらい言ってほしい。我々は熱的死に向かっているのだ。
「私と同じ肌の色で、眼鏡の子がお姫様!」-> 姫宮アンシー?
「(マイノリティーなど弱い立場の人が) ステレオタイプに抵抗する」のと「都合のいい時だけ属性ステレオタイプを発動させて自己同一化する」は別の問題なのに、「自己同一化」の部分だけ取り出して藁人形を作り冷笑…
「大谷すごい俺すごい」に対して「素朴で一般的な感情」方向のブコメと「存在しないものに対する批判」方向のブコメが並び立つが、煽りとかでなくどういう線引きでこれが両立するかの提示がargumentなわけだが。
昔すれ違った親子連れのお父さんが、「パパと大谷翔平の共通点はなぁ…おんなじ人間だぞぉ」って言ってたのを今でも覚えてる
クソリプです。俺は日本がサッカーで勝ったら嬉しい。今の代表強い。ワールドカップ期待してる!(他のスポーツはどーでもいい)
えらいとかすごいじゃなくて「嬉しい」でしょ?赤の他人が親密感を覚えるのは、主に共通項だよ。英語圏でも「私達共通点がないじゃない」は離縁理由の筆頭。だから”同じ部分があるからなんか嬉しい”は健全な感情
今のところローカル志向の最大が国民国家なのかなと。エイリアンと争うようになったらヒトでまとまれるのかも
都合のいい時だけ同化心理状態。男の子はヒーローになりたがる。女の子はプリンセスになりたがる。おっさんは何者にもなれなくて悩む。
他人の感想にイチャモンつけんなよとしか思えない
プリンセスが眼鏡で有色人種で勇気が出た結果他国や他民族を下に見る奴はいないけど、ノーベル賞やスポーツの賞は他民族を劣等扱いする引き金になってるだろ実際見苦しい。そういう話じゃねえのか?
生まれついた肌なんて関係ない!って勇気を貰って憧れるのがプリンセスってのはブラックジョークとして面白いじゃないか
「大谷すごい」から「俺すごい」まで飛躍してる人をまず見ない。希少種を警戒して叩きまわる人たちは、黒人プリンセスが発表されたら「私すごい」を言い出す黒人女性も先回りして叩いとけばいい。
小さな女の子のプリンセスへの憧れと、いい歳したオッサンの大谷フリーライドが一緒になると思うの?ああオッサン差別だなこりゃ。
日本という教育システムでもノーベル賞や大谷が出てくると考えれば、ある程度、教育関係者は誇って良いし、自分がノーベル賞を取れず、大谷にもなれなかった凡人は、教育システムのせいに逃げることは出来なくなる。
「アイデンティティがどこにあるか」は人それぞれだから難しいよね
WW2で日本の民族主義が敗北したのが全ての原因。日本の民族主義は汚ねぇ民族主義。他国人に対してももまぁ思ったとしても攻撃的すぎて言えんやろ。逆に何故日本人に対しては言えるのか。裏返った民族意識がそこに有る
アイデンティティがない 生まれない らららら
差別が存在するという一番の前提を抜きにした議論に意味があるだろうか。
うるせえなあ
なんかナショナリズムとかオリエンタリズムみたいな話?
ノーベル賞については、日本の教育制度とか、大学のありかたとかもあるから、誇っても良いと思うんだけどな。基礎研究に国が継続的にお金を突っ込まないと取れないと思ってる。
お笑いファンでもっともゲンナリする話が「頑張ってください? お前よりずっと頑張っとるわ」という芸人の返し。ヤマアラシみたいに威嚇して何が楽しい、何を保つのか、この人も会話不能の域に到達したのだなあと。
身内感というか、親近感というか
「そういうものだと思ってたから選択肢にも登らなかった」「そっちを向けても見えてなかった」ってことを無くしたいのよねって話と「人は道端の石にさえ憧れたり何かを賭けたりできる」みたいなのは排他じゃないね。
他人のノーベル賞に『おめでとう』というのは素晴らしい。しかし『ありがとう』と言ったら、何か違う。「お前が褒められたわけじゃない」としか言いようがない。プリンセスも同じだ。
アジア系はアメリカ、メジャーでは完全にマイノリティだから、大谷の活躍はリプレゼンテーションという意味では有色人種お姫様と全く同じになるんやけどな。まあ日本にマジョリティとして住んでると気づかない人多い
大田にすごい 俺すごいは2ch発の皮肉ネタだよ ホルホルネタってやつ
世には性別人種教育階級その他様々な壁があるのだ。私は女で平均身長なのでどう奇跡が起きたってメジャーでホームランは打てないが、日本人で5歳の野球好きの男の子が大谷を見て夢を持つならそれはそれで意義がある
「同じルーツの人が活躍すると励みになる」という効果は確定していて、それを虎の威にするか、支えにするか、受け取る側の反応の違いという話では。別に相反する概念でもないだろう。
戦隊モノには1/5や多くて2/5、機動刑事は男型、ハンカチ噛んで泣き崩れる弱々しさと性を売りにする悪女の二択から戦うヒロインへ、女性政治家が主人公のドラマはほとんどない等をより身近に感じるかでも違いそう
私はもっと視座を高く持ちたいと常々思っていて。つまるところ、日本人だから、褐色肌だから、という理由ではなく、人類として、同じ惑星に住む者として、皆のことを誇らしく思うよ
架空か現実かの違い。架空の物語の登場人物に自己投影させるのは、物語の鑑賞法としては真っ当。現実に対して同じようにやるのは、ちょっと危ないかもしれないと警戒すべき
僕は眼鏡のお姫様を応援する一方で大谷が何本ホームラン撃っても何とも思わんので、単に何に感情移入するかの差じゃねーかな。単なる個人差で、勝手に勇気づけられて勝手に誇りに思うだけだ
黒人の歴史を知ってたらそうは言わないと思う。日本人が野球するのとはわけが違う。
どちらかというと聞こえてくるのは、「同じ日本人として誇らしい」の合唱じゃなかろうか…。斜に構えた意見はネットにしか無い。
前提とか文脈とか無視したらそりゃねぇ
世の中が他国の他人種の創作物ばかり溢れている状況がちょっと是正されたら、疎外感が和らぐ気持ちになる。それは同国民や同人種のノーベル賞やスポーツ業績を我が事のように誇るのとは違った側面を持つ。
全国の小さなお友達は私もプリンセスみたいになりたい!とは言ってもプリンセスすげー!偉い!同じ人類として誇らしい!とは言わんのでは?全国の大きなお友達も大谷みたいになりてー!とは言わん。なれんし。
この2つが同じ概念だと思う理解力…子供や「○○だから…」と諦めてる人には同じ属性の人の活躍が希望になるし、「日本人だからすごい」と虎の威を借って他を見下す大人には「お前がすごいわけじゃない」ってこと
そもそもプリンセスの存在があってはならないもの。というのはその通りだと思います。褐色だろうが黄色だろうが、イタ豚ユダ豚全て等しく価値がない
多分作った側はそんなこと考えてない。黒人が主人公。白人?知らんわ、だと思う。ドイツのユダヤ人への対応と同じ。もはや脳死。
誇らしいって本人が言うには良いけど同じ事した訳でも何でもない人が誇らしがってるのは意味わからん
同じルーツや同じ属性のひとが身近に感じる、親しみを感じるというだけでは。実際にあったことなくても凄い人が知り合いの知り合いだったら盛り上がるじゃん。さらに共感格差の話もつながってそうではある
『人種』という檻の中に人々を閉じ込めているのがリベラル派なんだ。彼らは黒人の少女が白人のプリンセスに憧れる事を許さない。黒人らしくある事を強制する。奴隷制を支持していたのは民主党なのを忘れるな。
スタートゥインクルプリキュアを放送すればいいじゃない
酸性洗剤とアルカリ性洗剤を混ぜてるみたい。混ぜるな危険⚠️
プリンセスというのは、もはや華やかで可愛らしくてハレ的であることのメタファーとしてしか作用していないように思われる。要するにファッションでありそこには身分階級的なコンテキストが欠落している。
例えば自分がすごく頑張って何か受賞したとして、よく知らない奴に「同じ日本人として誇りに思う」とか言われたらムカつくし気持ち悪いでしょう? それと同じようなニュアンス。おまえ赤の他人やし誰やねんってこと
昔の金メダルすごいノーベル賞すごいは「日本人でも世界に通用する」=「日本人である自分を卑下しなくていい」だったと思うが、若い人は日本人は世界で通用して当然と思ってるから大谷すごいに忌避感を持つのかも
あー、マウントスキーが関係性で他人の功績を自慢し始めると、反射的に「偉彼君違」って言ってやりたくなるんだわ。他者(他国)を見下すようなことのない人間には全く思わないのだけど。
本体である眼鏡がお姫様なのであり、その余はお姫様ではない。眼鏡が偉いのであって、人間や女が偉い訳ではない。
もっと日本人はチビでメガネでガチャ歯で栄養失調であるべきってことかな
全く同じとは思いませんが、どちらも程度問題かと思います。どちらも、自国民や自人種に誇りを持つに留まらず、他人種や他国民を見下したり既存の物語を改変したりした時点で、反感を買ってしまうものと思います。
「自分と同じ日本人が!」と喜ぶのは勝手だけど、有色人種のプリンセスとは全然レイヤーの違う話。日本人は世界の中で全然マイノリティではないので。
「日本凄い」と他国への蔑視とが結びつくのであれば精神的退廃だが、歴史的に負のスティグマを貼られてきたマイノリティが同じ属性のキャラクターに勇気づけられるのはアリだろう。文脈の違い。
日本育ちの女児のお姫様ごっこは外見や言動のことだから…… 出自とか支配階級とか関係ないから……
プリンセスに黒人の女児が自分を重ねると、白人のクラスメイトやなんかに笑われてしまうんだとどこかで読んだ 目に見える差異があると幼いうちはどうしても難しい事態になりがち
並び立たないが正解だし、その上で「人魚姫のブラックウォッシュアホらしい」「大谷が偉くてもお前が偉いわけじゃない」と思っている自分は少数派なんだろうか。最近はそういう人も増えてると信じたい。
ポジティブな気持ちになれるならいいじゃないか
まともに会話が成立する気がしない(´・ω・`) / ただまぁ大谷すごいすごい言ってる人ほどペナントとか興味ないんだろうなっていう印象はある(´・ω・`)
別にブクマという人格がいる訳では無いので多様性のある意見を日和見と見るのは変ではないかな
自他共に「お前にはこれは無理」とされてきた属性の人々が「私達も目指していいんだ」と励みにするのと、「X賞が少ないY国民を見下す」的な言説への反発ゆえの「お前は偉くないけどなw」連呼は、全く別の話だろ‥
「日本人選手凄い→日本人は凄い(同一化)」ではなく「日本人選手凄い→あなたも頑張れ(ロールモデル化)」。「眼鏡のお姫様」は眼鏡が素敵なんじゃなくて言動が素敵なんだよ。そこに気付かせるのが教育だよ。
大谷すごい!日本人として誇らしい!←って言ってるお前は日本人として何したんだ?。という気持ちで「お前が偉いわけじゃない」と言ってるのであり、本当に自分が偉いと思っているな、等とは思っていません。
こじつけの与太話やんけ。
スポーツ選手は、育ての親(その国のシステムや文化や指導者やチームメイト)に影響受けるので、そのへんの深い話は朝まで語り合えば良いのよ。一言で切り捨てる行為は、なんていうか…冒涜的?ご飯粒を残しまくる人?
×「大谷すごい。同じ日本人として誇らしいです」 ○「大谷すごい。日本人でもMLBで活躍できるんだと勇気が出ました」 明確に違うことなのにこの人の中ではごたまぜになってるの、単に偏見のきつさ故なんだろうな。
大谷が活躍したから自分が偉い、なんて考える人はそもそもいないのでは。
共感のトリガーから公約数を外すと動物さん食べるの可哀想とか植物にまで共感して食べられなくなるかもしれないし、個にまで上げると同じ種類の生命体をも物としか見えないかもね。
アリエルは良かったが白雪はそれ以前の問題ぽい。車椅子バービーやヒロアカの顔に火傷跡があるキャラ見て「自分と一緒」と親しみを持ったり励まされたりして喜ぶ子供の姿には感じるものがある
だって、お姫様でもノーベル賞でも本塁打でもサッカー観戦後のゴミ拾いでも、「すごいなあ、私も頑張ろう、勇気が出た!」というのは美しいけど、「これぞ我々の国民性の表れ! ××人とは違う点だ!」は醜いわけで。
「苛立ちを覚えるのが普通」って言ってる人、ストレス多くて生きるの大変そうって感想しかない
https://support.google.com/voice/thread/333626199?hl=en&sjid=983450083073934931-NC
大谷の活躍はどう見ればいいんだろう、っていうのはある。
こういう関係の無いことをこじつけるのって陰謀論と同じだよなあ。
なんかウキウキしながら書いててかわいそう
後者、単に性格が悪い人って感じだがw
日本人、外国人関係なく、俺の国すごい言ってもいいじゃん。ダメなのは他国に敬意が無い事。外国人が自国を誇らしいとか言っていても否定せず受け入れろよな?間違ってもお前がえらいわけではないと言うなよ。。。
結婚する前にその男がどんなブログ書いてるか分かれば、悲劇が回避できていいなと思った。
プリンセスの感情移入は個人であって、偉人との同一化は同国人に根ざす違いがあるのでは。プリンセスがナショナリズムを背負っているとは思えない。人種での同一化で戦争になったりしない。
同じ人でも条件によって、腹減ったと言ったり、腹いっぱいと言ったりする。ましてや別々の場面での不特定の人の意見・お気持ちに(論理的な一貫性があろうがなかろうが)関係性なんて元から無いのが当たり前では。
表象の話だと、最近なら「チー牛」が興味深い。非モテ・コミュ障・陰キャ男性と見なした相手に対してぶつけられる、外見と内面を直結させた、偏見の塊みたいなやつ。/あの絵はネガティブな表象として稼動してるよね
反ポリコレネトウヨが「ダブスタだー」と言う時、たいていは味噌と糞を一緒にしている。共通点探しゲームをして「茶色いペースト状の物資」として口に入れる。その臭い口を閉じろ。
現状では同郷人に親近感持ったり感情移入したりがそこまで非難されることなのと思うので「おまえ偉」っていうやつを見るとちょっとイラつく
¬(P ⇒ Q) と F(P ⇒ Q) は両立するから
階級とかまだよく分からない筈の幼児が、強烈に「プリンセス」に吸引されるのが不思議。ミラーニューロンがディスプレイ衝動を誘導するのだろうか。周囲の人物が魅了されたり嫉妬したりする様子も要因になるのか。
大抵の人間のフィクションの消化の仕方が貧しいというのは、まぁそう
いや本当にそうでポリコレ全盛のこの世の中でプリンセスという特権階級をどういう理屈で肯定しているのかが理解不能。