差別や争いってのは共感や絆の副産物だからね
というか、多様性は手段であって目的ではない。多様性が必要なのは「価値観の自由競争市場」という手段。その「競争」の結果まで多様である必要はない。
多様性というか反差別には不快の受忍が必須である。その覚悟もないのに多様性や反差別を謳うんじゃねーよ。
疲れずに持続可能な社会を作るためには共感やなくて、不干渉と許容が現実的では。共感とか尊重は超高コストだから身近な人間関係だけでリソースが枯渇しがちなのよ
つまり仕組みと構造であって感情ではない
うーん、というかおっしゃるところの穏やかな無視とは、共感できて且つこちら側も力不足で助けられないから、行われることとしては言葉がけはするけどそれ以上はない(=無視)であり、これすなわち尊重では
「みんな違ってどうでもいい」は素晴らしいコピーだな、使っていこう
そりゃ尊重と共感は違うやろ。
不快は感情、不法は犯罪
そもそも自由ってのは衝突するもんだからなぁ。全員に完全な自由を認めたら、最後の一人になるまで殺し合うしかないもの。
緩やかな無視なんかできねーです。今確かにそこにいて不利益を被っているからそれに抗おうとしているマイノリティな方々を無視するどころか積極的に支持したいと思いまーす。
SNSで他人のどうでもいい日常呟きを探して噛み付きに行ってるキチガイはネットやめろって話だよな?
マジョリティと同等未満の扱いであれば緩やかな無視では不味いのでは?
隣近所の住民には大して関心を持たない割に遠くにいるムスリムはみんな躍起になって叩いているみたいな感覚はある (追記)積極的に支援せずともせめて無視してくれという話でしょう
共感は多様性とは対極。共感とは同質性の確認。
必要なのはそのまま「尊重」でいいのでは?理性的な尊重。別にあえて無視する必要も共感もしないでいいから理性的に「あなたはそうなのね」でよくない?
多様性を尊重するというのは、自分には絶対に理解できないことがあるということを理解すること、その前提で共存の方法を探すこと。自分なりの理屈や感情で理解することではない。これも何周目かの話題だと思う。
共通の敵を見つけて仲間から賞賛を貰う快感がある限り無理。はてブの原動力はそこ。
移民問題に関して左派は多様性とか共生とか言いすぎない方がいい、「左派が外国人を増やしてる」という大誤解を招く。増やしてる元凶は安い労働力が欲しい企業家!左派が言うべきは待遇や教育を日本人と同等にする事
先日もBLで気に入らないとすぐ攻撃してくる腐女子が話題になってたけど、要はああいう奴らを黙らせないと駄目なわけなんだがまあ無理だろ
他人のことは放っておくのが原則だと思うわ。
しかし同時に、この「緩やかな無視」ができない連中を皆で徹底的に排除する必要もある。無視だけでは他者の領域に踏み入ろうとする侵略者から自分達の世界を守れない。寛容のパラドックス。
そうそう、タイには世界中からいろんな人が住んでるが基本不干渉だね。中華系ロシア系も大量にいるけど欧米人と会話すらしてない。マレーシアもマレー系とインド系と中華系あんま付き合いないらしいし居住区も違う
アテンションエコノミーとは相性が悪い
「もし我々が不寛容な人々に対してすら無制限の寛容を拡張し、社会を不寛容の攻撃から守る用意を整えなければ、寛容な人々は滅ぼされ、寛容も彼らとともに滅びるだろう。」(哲学者カール・ポパー)
わかる。
絆ホルモンとも呼ばれるオキシトシンには部外者を排除しにかかるダークサイドが存在する。皆が他人に興味津々の社会ではみ出し者は生きにくい
だから権力者が多様性ゴリ教しするんだよ。団結しない原子化された個人ほど搾取しやすいものはない。
つまり「一様性の放棄」
排外主義に反対する表現の自由戦士として非常に同意、どちらの問題にも言える事、異質な他者(外国人、オタク、表現等々)に対して直接的な被害がない限り不干渉で自由を尊重し、一部の加害者を全体化しない事
多様性←共感力なんて藁人形。誰も言っていない。人権←思い遣りと同じデタラメ。こんな事言ってるアホウヨ自身は無視どころか差別という反共感力で他者を踏み躙ってるんだからバカも休み休みにでも言うな!
残念ながら「緩やかな無視」なんてものが本当にできるなら、差別も虐めも起きないのよ。みんな自分には実害も無いのに不愉快に感じた有名人すら無視できずに叩いてるじゃないか。そして「これは正当な批判だ」と
腐女子の悪癖の話から移民問題にスライドさせようとしてる奴がいるが、不法移民が「どうでもよく」なる事は無い。境界の向こう側を攻撃すんなって話であって、越境先でルール無視してOKではないので。
社会のルールづくりやその運用や政治的なやりとのことも無視するべき? ってなると、話がまた複雑になるところなんですよね。話をしてない同士がルールづくりや交渉ごとをできるかって話で。
「not for me」とは何かって感じの話題ですね。別に目玉焼きにソースかけても塩かけても良いはずだというところに、他者が縛りをかけていいのか、買ってはダメとして良いのか等、実は類似の論点が多そう
そもそも多様性なんて人と人が違うだけで発生しているもの。多文化主義というのなら、それを望む人が多文化社会がある国に帰化すれば良い話。社会を変えようとして反対する者を排外主義者呼ばわりするのがリベラル。
まあ、関わらないように、別々の地域に住むのが一番。
SNSでは声の大きい人しか可視化されないので皆が叩き合ってるように見えてしまうが、実際には既に多くの人がこの緩やかな無視をきちんと実践してるはず
「結局」から始まる文書に説得的な土台が書かれていることは稀なので読まなくて良い。明確に導けないから感覚論で話を誘導しようとするのだ。
無視の技術、習得したいですの!
緩やかな無視ってやつは、自分の見たいものだけが流れてくるTLを構築する的なところから広がっていくと思う。みんな共感ではなく緩やかな無視をしようぜ!っていう、無視に共感してね活動という歪みは必要ないと思う
不干渉は無視ではないだろ。無視は存在自体を認めない(なかったことにする)ことで、不干渉は存在自体は認めた上でかかわらないこと。だから特定のテーマについては不干渉ということが可能になる
でもはてな村も結婚の話しになるとファシストだよな。遺伝子の話しをする優生思想のヤバい人。結婚というプライベートにまで国が関わるべきという国家主義のヤバい人。少子化の話しをする民族主義のヤバい人。
多様性を尊重するって、無理に理解し合うことじゃなく、お互いの違いに踏み込まず、干渉しないことだと思う。ただし、他人の自由や権利を侵害する行為まで許容する必要はない。
とは言え「女子枠」などリソースの取り合いは生じるし犯罪等の外部性はあるからなぁ。無視を決め込むためには完全な機会平等の実現や自由の保障が必須条件じゃないか
尊重されるべきは個々の人間が人間として尊重されること。 多様性は目的でなくその結果。
スルー能力大切だよなぁ
日本という狭い国で共同生活しているのだから無視はできません
儀礼的無関心だ!
「緩やかな無視」
あいだが10メートルあいてればみんなゆったり多様性を尊重できるんですわ。でも日本は密集して暮らすことを美徳としてきたし、テクノロジーで世界はさらに収縮しているのです。不快なのに寄り添うのは人類の宿痾
古今東西あらゆるジャンルにおいて「多様性」なるものは弱肉強食の結果であってサバイバル出来ない個体は淘汰されるだけの話 相互の働きかけは関係ない 集団の中での利益や立ち位置の確保が生き残るためにカギ
直近のモスク放火事件を思うと、まさに「緩やかな無視」とは真逆の『積極的にあることないこと注目させる』で悪感情を煽って稼ぐやつ・騙されるやつの構図に辟易
多様性と多元性の違い、私もオードリー・タンらのPluralityで理解したけど、割と見落としがちですよね。
うん。じゃあ、土葬も無視するか。(´・ω・`) / 検索汚染も無視しような(´・ω・`)
え、ブクマカやX民の存在意義と穏やかな否定?
タイや中国が友達ができにくい、家族しか信用しないというのは真に多様な社会だからか。一方アメリカだと虚飾の社交性を子供のころから強いられる。
当事者じゃないけど(じゃないからこそ)使える棍棒を探してる人士を無視することが一番なんだけど、インスタント正義に対する苛立ちで反応してしまう。そして結局自分も同じ穴の狢だと知る。これでワンサイクル。
緩やかな無視。なんとなく腑に落ちた
日本の場合、「空気を読む」とか、「曖昧な宗教観」とか、「間」を発見した先達に感謝しないとね。軋轢を生まない構造に生かされてる。
そうじゃない。他者との間に適切な境界線を引くことなのだと思うよ。無視できないから苦しいわけです。
現象の理解は捨ててはならないし、そこから生まれる自分の感情も捨ててはならない。 心の余裕ないってこと?
それだと少数派はいないことにされてしまうので、発信する人が現れる。それに対して「穏やかな無視」ができるといい。穏やかに少数派のプレゼンスが維持できるといい
自分に直接利害が発生しない限り無反応でいいのは分かる。発生したら交渉して、譲歩できるところはすればいい。
多様性を排除する人も多様性だ!!!!!!!
外国人が日本に来て多様性の尊重に感動してるのは「東京では誰もがお前なんて見てないから」っていう残酷な現実。そして騒ぐ奴らの人数が増えると、ある日突然日本人がキレて「お前ら死ねよ」と言ってくる
うちはうちよそはよそなんやけど、人がうちの懐中に手突っ込んできはるんやったらやるドスえやろ / あとお客さんと、お客さんちゃう時の差かしら
意図的に無視することと全く気にかけないことは全然違うと思うがどうだろう。前者の場合ずっと差別しつつ黙認してるだけで何かあった時に露呈するだけでは?
アメリカがいい例。白人は白人同士で、黒人は黒人同士で、アジア系もヒスパニック系も中東系も、同じ人種同士で固まって、他人種に対して互いに干渉しなくなっている。
多様性の尊重というのは緩やかな無視ではなく緩やかな連帯なんだと思うが。キリスト教徒がコーランを読み込む必要はないがイスラム教が存在することは認めるし宗教弾圧には反対する、みたいな。
ネット上では無関心でやり過ごした事は観測ができない。つまり負の面ばかりが増幅する
リベラルは基本的にこういう態度なので連帯が難しい。
敬って遠ざかるのも共存の方法の一つでは?/「無視」って言葉に過剰に鋭敏な人達への優しさが足りない言葉遣いだったのかもね。
「共感」では処理できないのが大半だから共感力は役に立たないな。頭で考えないと。
“「みんな違って、みんな良い」では、良くないと思えてしまったものが「みんなにとって良くない」という認識にすり替わってしまうので、「みんな違って、どうでもいい」という改変フレーズを見た時は感動した”
多様性は、みんな我慢して幸せになるのが基本だから、誰かが我慢できないと多様性ではなくなる
多文化共生のコツは上手に壁を作って住み分けること、と述べて叩かれていたのは誰だったっけ。
結局「多様性の尊重」必要なのは「共感力」ではなく「緩やかな無視」であるという話→「他人の課題に安易に踏み込む必要はない」
差別や争いってのは共感や絆の副産物だからね
というか、多様性は手段であって目的ではない。多様性が必要なのは「価値観の自由競争市場」という手段。その「競争」の結果まで多様である必要はない。
多様性というか反差別には不快の受忍が必須である。その覚悟もないのに多様性や反差別を謳うんじゃねーよ。
疲れずに持続可能な社会を作るためには共感やなくて、不干渉と許容が現実的では。共感とか尊重は超高コストだから身近な人間関係だけでリソースが枯渇しがちなのよ
つまり仕組みと構造であって感情ではない
うーん、というかおっしゃるところの穏やかな無視とは、共感できて且つこちら側も力不足で助けられないから、行われることとしては言葉がけはするけどそれ以上はない(=無視)であり、これすなわち尊重では
「みんな違ってどうでもいい」は素晴らしいコピーだな、使っていこう
そりゃ尊重と共感は違うやろ。
不快は感情、不法は犯罪
そもそも自由ってのは衝突するもんだからなぁ。全員に完全な自由を認めたら、最後の一人になるまで殺し合うしかないもの。
緩やかな無視なんかできねーです。今確かにそこにいて不利益を被っているからそれに抗おうとしているマイノリティな方々を無視するどころか積極的に支持したいと思いまーす。
SNSで他人のどうでもいい日常呟きを探して噛み付きに行ってるキチガイはネットやめろって話だよな?
マジョリティと同等未満の扱いであれば緩やかな無視では不味いのでは?
隣近所の住民には大して関心を持たない割に遠くにいるムスリムはみんな躍起になって叩いているみたいな感覚はある (追記)積極的に支援せずともせめて無視してくれという話でしょう
共感は多様性とは対極。共感とは同質性の確認。
必要なのはそのまま「尊重」でいいのでは?理性的な尊重。別にあえて無視する必要も共感もしないでいいから理性的に「あなたはそうなのね」でよくない?
多様性を尊重するというのは、自分には絶対に理解できないことがあるということを理解すること、その前提で共存の方法を探すこと。自分なりの理屈や感情で理解することではない。これも何周目かの話題だと思う。
共通の敵を見つけて仲間から賞賛を貰う快感がある限り無理。はてブの原動力はそこ。
移民問題に関して左派は多様性とか共生とか言いすぎない方がいい、「左派が外国人を増やしてる」という大誤解を招く。増やしてる元凶は安い労働力が欲しい企業家!左派が言うべきは待遇や教育を日本人と同等にする事
先日もBLで気に入らないとすぐ攻撃してくる腐女子が話題になってたけど、要はああいう奴らを黙らせないと駄目なわけなんだがまあ無理だろ
他人のことは放っておくのが原則だと思うわ。
しかし同時に、この「緩やかな無視」ができない連中を皆で徹底的に排除する必要もある。無視だけでは他者の領域に踏み入ろうとする侵略者から自分達の世界を守れない。寛容のパラドックス。
そうそう、タイには世界中からいろんな人が住んでるが基本不干渉だね。中華系ロシア系も大量にいるけど欧米人と会話すらしてない。マレーシアもマレー系とインド系と中華系あんま付き合いないらしいし居住区も違う
アテンションエコノミーとは相性が悪い
「もし我々が不寛容な人々に対してすら無制限の寛容を拡張し、社会を不寛容の攻撃から守る用意を整えなければ、寛容な人々は滅ぼされ、寛容も彼らとともに滅びるだろう。」(哲学者カール・ポパー)
わかる。
絆ホルモンとも呼ばれるオキシトシンには部外者を排除しにかかるダークサイドが存在する。皆が他人に興味津々の社会ではみ出し者は生きにくい
だから権力者が多様性ゴリ教しするんだよ。団結しない原子化された個人ほど搾取しやすいものはない。
つまり「一様性の放棄」
排外主義に反対する表現の自由戦士として非常に同意、どちらの問題にも言える事、異質な他者(外国人、オタク、表現等々)に対して直接的な被害がない限り不干渉で自由を尊重し、一部の加害者を全体化しない事
多様性←共感力なんて藁人形。誰も言っていない。人権←思い遣りと同じデタラメ。こんな事言ってるアホウヨ自身は無視どころか差別という反共感力で他者を踏み躙ってるんだからバカも休み休みにでも言うな!
残念ながら「緩やかな無視」なんてものが本当にできるなら、差別も虐めも起きないのよ。みんな自分には実害も無いのに不愉快に感じた有名人すら無視できずに叩いてるじゃないか。そして「これは正当な批判だ」と
腐女子の悪癖の話から移民問題にスライドさせようとしてる奴がいるが、不法移民が「どうでもよく」なる事は無い。境界の向こう側を攻撃すんなって話であって、越境先でルール無視してOKではないので。
社会のルールづくりやその運用や政治的なやりとのことも無視するべき? ってなると、話がまた複雑になるところなんですよね。話をしてない同士がルールづくりや交渉ごとをできるかって話で。
「not for me」とは何かって感じの話題ですね。別に目玉焼きにソースかけても塩かけても良いはずだというところに、他者が縛りをかけていいのか、買ってはダメとして良いのか等、実は類似の論点が多そう
そもそも多様性なんて人と人が違うだけで発生しているもの。多文化主義というのなら、それを望む人が多文化社会がある国に帰化すれば良い話。社会を変えようとして反対する者を排外主義者呼ばわりするのがリベラル。
まあ、関わらないように、別々の地域に住むのが一番。
SNSでは声の大きい人しか可視化されないので皆が叩き合ってるように見えてしまうが、実際には既に多くの人がこの緩やかな無視をきちんと実践してるはず
「結局」から始まる文書に説得的な土台が書かれていることは稀なので読まなくて良い。明確に導けないから感覚論で話を誘導しようとするのだ。
無視の技術、習得したいですの!
緩やかな無視ってやつは、自分の見たいものだけが流れてくるTLを構築する的なところから広がっていくと思う。みんな共感ではなく緩やかな無視をしようぜ!っていう、無視に共感してね活動という歪みは必要ないと思う
不干渉は無視ではないだろ。無視は存在自体を認めない(なかったことにする)ことで、不干渉は存在自体は認めた上でかかわらないこと。だから特定のテーマについては不干渉ということが可能になる
でもはてな村も結婚の話しになるとファシストだよな。遺伝子の話しをする優生思想のヤバい人。結婚というプライベートにまで国が関わるべきという国家主義のヤバい人。少子化の話しをする民族主義のヤバい人。
多様性を尊重するって、無理に理解し合うことじゃなく、お互いの違いに踏み込まず、干渉しないことだと思う。ただし、他人の自由や権利を侵害する行為まで許容する必要はない。
とは言え「女子枠」などリソースの取り合いは生じるし犯罪等の外部性はあるからなぁ。無視を決め込むためには完全な機会平等の実現や自由の保障が必須条件じゃないか
尊重されるべきは個々の人間が人間として尊重されること。 多様性は目的でなくその結果。
スルー能力大切だよなぁ
日本という狭い国で共同生活しているのだから無視はできません
儀礼的無関心だ!
「緩やかな無視」
あいだが10メートルあいてればみんなゆったり多様性を尊重できるんですわ。でも日本は密集して暮らすことを美徳としてきたし、テクノロジーで世界はさらに収縮しているのです。不快なのに寄り添うのは人類の宿痾
古今東西あらゆるジャンルにおいて「多様性」なるものは弱肉強食の結果であってサバイバル出来ない個体は淘汰されるだけの話 相互の働きかけは関係ない 集団の中での利益や立ち位置の確保が生き残るためにカギ
直近のモスク放火事件を思うと、まさに「緩やかな無視」とは真逆の『積極的にあることないこと注目させる』で悪感情を煽って稼ぐやつ・騙されるやつの構図に辟易
多様性と多元性の違い、私もオードリー・タンらのPluralityで理解したけど、割と見落としがちですよね。
うん。じゃあ、土葬も無視するか。(´・ω・`) / 検索汚染も無視しような(´・ω・`)
え、ブクマカやX民の存在意義と穏やかな否定?
タイや中国が友達ができにくい、家族しか信用しないというのは真に多様な社会だからか。一方アメリカだと虚飾の社交性を子供のころから強いられる。
当事者じゃないけど(じゃないからこそ)使える棍棒を探してる人士を無視することが一番なんだけど、インスタント正義に対する苛立ちで反応してしまう。そして結局自分も同じ穴の狢だと知る。これでワンサイクル。
緩やかな無視。なんとなく腑に落ちた
日本の場合、「空気を読む」とか、「曖昧な宗教観」とか、「間」を発見した先達に感謝しないとね。軋轢を生まない構造に生かされてる。
そうじゃない。他者との間に適切な境界線を引くことなのだと思うよ。無視できないから苦しいわけです。
現象の理解は捨ててはならないし、そこから生まれる自分の感情も捨ててはならない。 心の余裕ないってこと?
それだと少数派はいないことにされてしまうので、発信する人が現れる。それに対して「穏やかな無視」ができるといい。穏やかに少数派のプレゼンスが維持できるといい
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多様性を排除する人も多様性だ!!!!!!!
外国人が日本に来て多様性の尊重に感動してるのは「東京では誰もがお前なんて見てないから」っていう残酷な現実。そして騒ぐ奴らの人数が増えると、ある日突然日本人がキレて「お前ら死ねよ」と言ってくる
うちはうちよそはよそなんやけど、人がうちの懐中に手突っ込んできはるんやったらやるドスえやろ / あとお客さんと、お客さんちゃう時の差かしら
意図的に無視することと全く気にかけないことは全然違うと思うがどうだろう。前者の場合ずっと差別しつつ黙認してるだけで何かあった時に露呈するだけでは?
アメリカがいい例。白人は白人同士で、黒人は黒人同士で、アジア系もヒスパニック系も中東系も、同じ人種同士で固まって、他人種に対して互いに干渉しなくなっている。
多様性の尊重というのは緩やかな無視ではなく緩やかな連帯なんだと思うが。キリスト教徒がコーランを読み込む必要はないがイスラム教が存在することは認めるし宗教弾圧には反対する、みたいな。
ネット上では無関心でやり過ごした事は観測ができない。つまり負の面ばかりが増幅する
リベラルは基本的にこういう態度なので連帯が難しい。
敬って遠ざかるのも共存の方法の一つでは?/「無視」って言葉に過剰に鋭敏な人達への優しさが足りない言葉遣いだったのかもね。
「共感」では処理できないのが大半だから共感力は役に立たないな。頭で考えないと。
“「みんな違って、みんな良い」では、良くないと思えてしまったものが「みんなにとって良くない」という認識にすり替わってしまうので、「みんな違って、どうでもいい」という改変フレーズを見た時は感動した”
多様性は、みんな我慢して幸せになるのが基本だから、誰かが我慢できないと多様性ではなくなる
多文化共生のコツは上手に壁を作って住み分けること、と述べて叩かれていたのは誰だったっけ。