不登校の是非については子供に合わせるのはその通りだと思う。そしてそれをこのように監修なしでありのまま公開するリスクはまた別の話かなと思う。
全く不登校ではなかったが、特に人といることに慣れないまま大人になった。登校していても特に人の輪に入れるようにはならなかった。大人になる事は人の輪に入れなくても良くなる事だと思っていた…
無理して学校に行ったとしても、卒業後に引きこもりになったんじゃ意味が無いしなぁ。不登校や引きこもりの話は「子供の遊び」が軽視されすぎな気はするよ
"よっつめは、「私的な選択」が「公開された手本」に見えてしまうことだ" はいつも考える。「これは商売になるぞ」の人も「他の誰かの参考にと願って」の人もいるだろう。だが文脈の固有性は伝送ロスとセットだ。
全ての選択は自己責任なんだよな。子供には辛いけど。だからこそ大人のサポートが必要。逆に登校児は選択したことに気付いてない。うちは3年間不登校で、N高で取り戻して、やりたいこと見つけて専門に通ってる。
娘が大学でつまづいたから良く分かる。クラスメイトも席も決まってないから戸惑うんだよね。人も覚えられない。席も一定で名札があってやる事を逐一指示してくれる高校まではある意味凄く楽なんだよ。
親の覚悟の問題。年単位の不登校児が定型発達ルートに戻れる見込みはほぼないので、復学への望みは捨てて将来の自立に舵を切るべき。支援級B型ルートで復帰を目指すほうが中年で再起不能より全然マシだと思うよ。
全然意識してなかったし、本人達の意思かと思ってたが大学ってスキルがないとぼっちになってしまう環境だったのね
うちの息子も手帳持ちだったが不登校にならなかったのは支援級で自信付いたのとコミュニケーションは割と取れたからだなぁ。行動は色々変で出来ないことも多いのだが割と普通に話ができるのは強かった
「大学には、その仕組みがほとんどない。だから、だれもが「とりあえず一緒にいる」力を、もう持っている前提で動いている。」佐藤大輔は大学といふのは面白い場所で当人が望まぬ限り孤独ではゐられないと書いてた。
小学校の時に進研ゼミやってると100点取れる、進研ゼミは1日20分で終わる、学校は半日潰れる、タイパ悪!と思って、学校に行ったフリして森の中で遊んでて、夕方に父親に怒られて殴られたりしてた
個人的には積極的不登校自体は別によくて、不登校をゴールのように描いていて、将来のビジョンが全く見えないことに引っかかった。
“「積極的」という言葉が、不登校の「今」を肯定することにはとても強いけれど、不登校の「その先」" /(何にしろ教育と社会的訓練を受ける義務の放棄は由々しきこと。画一的といわれても選択肢の多さは時に…
これも若干ズレてて、あれが批判されるのは親が"自分が面倒だから"子供を学校に行かせていないように見えるからで、国民の義務の放棄だし逆に虐待ではという話になる
「データで眺め直す」と言っといてデータはどこにも出てこないの、さすがは名高い「東大のみぃちゃん専攻」教育学部。学問やる実力がないなら働け/障害児に療育受けさせない時点で虐待であり社会に対するテロだよ
子供のプライベートを勝手に晒す行為が批判されてるんだと思ってた。不登校の対処に関しては正解はないと思うなあ
親がASDなので1度決めた不登校に固執してるのは気になる。周りの子供の親としては不登校でいてくれたほうがありがたい
“批判する側も擁護する側も、ちがう子どもを思い浮かべながら話している” SNSでの「議論」なんて万事これよね。立脚点が違う。
冒頭の「批判する側は、不登校の子がどれだけ追いつめられているかを、たぶん知らない。擁護する側は、不登校の「そのあと」に何が待っているかを、あまり語らない。」に深く頷くのであとでちゃんと読む
漫画の人は親子で発達障害で、親が自身の適応戦略を子どもに強要した結果、二次障害として不登校が発生した例に見える。発達障害も不登校も家族歴は重要
私が見たのは「さみだれ登校もしなくなってほっとした」のマンガでビックリしたわ。 やばい。 あれは、娘がオシャレするの嫌がる毒母とか、勉強するの止める毒親の派閥だと感じた。 単に甘やかしではない何か。
この件で俺が気になるのは「子供が学校行こうかなと言っても親が止めている」ことの一点
いらないものはゴミ箱に捨てる、言葉をそのまま捉える行動に昔の自分を思い出す。あの時叱ってくれた先生ありがとう
“だから私は、作品を批評することと、子どもを評価することを、できるだけ切り分けたい”
僕の経歴と似てる。僕の場合も勉強だけはそこそこできたのでレールに乗り直せた。学力で身を立てるルートは引きこもりにも残されてはいるが、勤勉さや体力で生計を得る選択肢はかなり難しくなる気はする
学校の社会的役割は学校の運営側の思惑はともかく選別と社会化なのだから、親もしくは子供が社会に順応する訓練を放棄すると自己決定したなら学校に行く必要はない。小中学校も家庭で教育すればOK。
小人であるワイは申し訳ないけど絶対に抱えきれないので息子に対してとにかく祈ることしかできない。たまたま運が良かっただけの育児だったと20年後振り返らせて欲しい。
他の記事で触れてるから意識的にやってるんだろうけど学部の大学名はふせて大学院は東大と書くのは読んでてノイズ。
子供がいるからいつこういう問題に直面するかわからない。行かなくてもいいの先を考えておきたい。というか挫折後の立て直しなんて全人類の課題じゃん。
自分や近しい人に不登校や問題を抱えた人が居ないから、その人達のことを理解できない層があれこれ言っていると思う。病気も同じ病気になった人のことはよく分かったりするのと同じ様に。
よく整理されてると思う。賛否どちらも要素のどれかが当てはまるのでは / ただ日常系エッセイのフォーマットに将来の考察を望むのはカテゴリ違いかと
その、私東大の院に行ってたんですけど、っていう枕詞やめた方がいいぞ。いや、どうせやるならメンサ会員とかになればいいんじゃないか。知らんけど。
支援が必要なのは親なのよ。下の子は登校の意欲があるのに 不登校を「選択」させてるから虐待に近い。学校に付随する諸々がクソ面倒なのはわかるよ。 俺も自分のときには壊滅してた宿題や提出物に今更向き合ってる。
脳内本田由紀再生余裕。
人間の8割くらいは「ふつうでないことが恐ろしい」らしい。不登校はふつうでないから恐ろしいし、不登校がふつうになると登校してた自分がふつうでなくなるから恐ろしい。親は、周りより自分の子をみるしかないね
うちの子の不登校ではホームスクーリングも検討したが、うちの子は大学には馴染めたんだよね。人の輪に入れない問題はむしろわたしの方が課題。不登校を自分自身へのスティグマにしない工夫が必要。
子育ての目標は生きていけるようにすることだと思うので無理やり学校行かせてた時代より自ら命を絶つ子供が増えてるならあんま良くないんじゃねえのとは思う
大学も色々あるので入試前にしっかり調べようよ。。きっちりとクラス制やってる大学もあるし、少人数の学科選ぶとか色々できるよ。。
次のたのピクは君だ!(嫌なスタ誕
「不登校児が大成しました」系美談は、実家が安心できる居場所ではなく不登校にもなれなかった人にはマウント同然/実家が太く親が教育意識高いとむしろ積極的に不登校させて英才教育するし筆者もそっち側の典型ぽい
いつの間にか「特性」という言葉がものすごくカジュアルになって、ちょっと親に反発したとか言われた通りに勉強しなかったくらいで、我が子は特性持ちだと全世界に発信する親がいるのもややこしくするね。
あれを最初から最後まで読んで親がやるべきことを放置してると考えるのは端的に共感力がないと思う。不登校支援て本当に本当に親も苦しい。あの人も何年も登校させようと奮闘した末の決断だった。過程を無視し過ぎ
人によって正解が違うらしいというのは知ってる
こういうのは正解がないから余計にネットで支持を得ると反対意見も沸いてくるししんどいと思うんだよな…
雑談の入り方がわからない。←不登校じゃない私もこれが分からない。30代の時までは同性の友人数人いた私も実母の介護中余裕がなくて縁が切れてずっと同性友人0人のまま。年齢不問で同性友人欲しい
反発の感情の部分は、「自分は嫌でも学校行ったのに」ではなくて、「将来こいつらの重荷をおれらが背負わなきゃならんのか?」の方だと思うけど。村八分の精神の方やろ
自分も知らずに入ってから驚いたんだけど、大学にもクラスがあって、ほぼ全科目必修で、高校の延長線上のような所もある。なんかフリーダムな大学のイメージが崩壊してしまった。
大人でも嫌を主張できる人間が嫌われるから(その人の嫌を誰かがカバーするから)この手の話は炎上しやすいんだろうなとは思ってる。
私が普通の全日制の高校ではない高校(全日通ったけど大学の授業方式の高校)に行ったのは悪い選択ではなかったなと思う。生徒との交流はあんましなかったけど先生たち優しかったし。人生はこれからも続いていく
身も蓋も無い話、不登校で東大行った人の研究なんて超超上澄みだと思うんだけどそうでない人は居ない事になってるんだろうな
コミックエッセイやドキュメンタリー映画は事実そのものではないので、作者の主題や書きたいテーマに合わないことは書かないしデフォルメも当然入る。事実そのものと思ってる人が多すぎでは?
東大に入れるくらいのIQと勉強を妨害されない環境があれば不登校は大した問題ではないということがわかりました
はてブですら当事者でなさそうな人間の攻撃的な発言があるのに(テロって何よ)、Twitterとか地獄だろうな(くわばらくわばら)
周りが無責任に「学校行かなくても大丈夫」ってやつはやめて欲しい。学校はやはり社会に出るための訓練所の側面も当然あるので、学校で身に付かなかった社会性がその後社会に出た後にする苦労をちゃんと伝えないと
“よく知らない人と用事もなく同じ空間にいること。好きでも嫌いでもない人と、なんとなくやっていくこと。そういうものを、学校のかわりにどこで、どうやってどれくらい無理のない量で練習するのか”重要
私の場合、心から「直る」のは無理なんだろうなー。迎合はできる部分はあるけど。魂が浮世向けの形をしていないって辛いもんよなあ
“中学の時期にすっぽり抜けた何か” 不登校だったから人付き合いがわからなくなった的な主張だけど、因果が逆ってことはないのかね。元々人付き合いが苦手なのが吹き出して不登校になってた的な
小中高いったけど社会性なんて身に付かなかったし大人になって引きこもった自分のような人間もいる
フリースクールでも在宅学習でもなんでもいいが高コスト 一カ所に集めて同じことする効率の良さに勝てない
大学は「一緒にいる」「人の輪に入る」が必要ない場所だと思うのだけど
重い
不登校の先に大人になった子供がどう自立するかがある。学校なしでそれを親が準備するのは相当しんどい。そこを言わずに積極的に不登校を選んだと言われると単に逃げに見えてしまう。
「ある年齢時点で学校に行かないことでどんな影響を受けうるか」を具体化してあげれば、少し不安も取り除ける、言い訳にもなる、リカバリも効く。なるほどね。
その子の特性に応じていろいろな選択が出来る(選択を受け入れられる)社会、っていうのは、他者への愛が薄くなった世界には難しいね。
親が義務教育を受けさせるのは義務なんですよ 義務 わかりますかそれがどういうことか
逆も分かってほしいなあ。不登校したくても強制的に学校に行かされ、案の定まわりとの差を突き付けられながらズルズル大人にまでなり「強制がなかったらもっとぶっ壊れていた」という感想をもつ場合もある。
「子供の復帰したい意思」を親が邪魔してるエピソードがあって燃えてたような気がする。シンプルに子供に対する虐待。
うちの子はグレーゾーンで学習面にかなり偏りがあって苦労してる。一方で社会への適応力/社交性が高いので助かっている。子ども4人いるが他の子に比べこの先どうするかを考える機会は多い。社会を味方にできるように
筆者の経験をベースにしたせいで、不登校からでも大学に進学するのが当然のような論調だけど、人生それだけじゃないよね。何でもない雑談の輪に入れなくても生きていける道だってあるだろう
こんな医者からの診断書はいらない、でも特別児童扶養手当2人分ゲット、久しぶりのパチンコでちょっと勝った等、逆撫で感のある母のエピソードがね…。中卒のまま社会人orN高で高卒ゲットの2択で予後が変わりそう
本当に「全ての選択は自己責任」だろうか? 判断力の未熟な小学生が「中学は男女別学校に行く」「往復3時間かかる学校に行く」等の選択をしても自己責任とは言えない。責任の主体になるための分別がないからだ
母親が作った卵焼きをゴミ箱に捨てるレベルのASDだと学校行ってもどうにもならんな
エッセイは諸刃の剣
これからは学校教育のもつ「機能」が本当の意味でシビアに問われる時代になるはず。不登校児のケアと将来について考えるのは、実は子ども達の未来について考えることとイコールになると僕は考えている
概ね同意だけど、中学の不登校期間が分からないのと、「とりあえず一緒にいる」は高校で達成できてるのではというのは気になる。なお私は不登校せず暗黒義務教育を過ごしたたけど大学で筆者と同じような苦労をした。
「批判する側も擁護する側も、ちがう子どもを思い浮かべながら話している」SNSだけじゃない、家庭内で本人を前にしてこれが起きるからひどいことになる。ヒトの多様性に思いを致すのはシステム2なので、謙虚に学べ。
だから福本伸行のみんな嫌だ…それでも…行くんだよ…!が引用されてたのか。無理やり行った方が良かったが壊れるかギリ壊れないなんて運だな…
「親が自分が楽するために子の不登校を容認してる」という疑いで批判されてる可能性は筆者もわざわざ言及しているのに、ブコメでもコメ欄でも「親が楽してることを批判されてるんだぞ」と書かれる学校国語教育の敗北
個人も家庭もそれぞれ事情が違うんだから一般論化しようとする事自体が無理筋なのに、みんな何故か『ひとつの正解』を求めたがるよね。それこそが不登校児が抱える生きづらさの象徴とも言える。
結構昔からこの作者さん知ってるけど、昔はかなり子供の特性に寄り添って工夫したり色々やってたよ でも長期にわたる不登校生活である種開き直ってしまったように見受ける 親もケアが必要や
大概は人間関係が原因だから、通信制含め気軽に転校したり戻れるようにする、毎学期クラス替えをする、あるいは、クラス単位をやめて科目単位にするなど、文科省が教育システムを根本的に見直したらどうか。
各家庭でどんな事情があるかは知らんが文句つけてる外野はゆたぼんの再放送でしょ。昔の発達障害の人はどうやって生活してたのかな。今のほうが幸せなのかな。
届くべき人に届くと良いなと思う文章だった。 ここもそうだが、届かない人間が多すぎて当事者たちには辛い世の中だと思う。
「親が"自分が面倒だから"子供を学校に行かせていないように見えるからで、」/その発想は出てこなかったのでちょっと驚いた。どう転ぼうが面倒そうにしか見えなかったから。
うちの子も不登校児クラスなのでかなり学びがあった。また、炎上する理由はもっと単純で、人間は誰かを罰することが大好きなだけな気がするな。自分が正義だと思ったときに特に顕著だ。
私も学校にろくに行ってないので不登校は全然いいと思うしその先のヴィジョンが今は全く見えないのもいいんだけど、子どもを社会に属させようとしてないのが見えるのが気になった。
別に学校いかなくてもどうとでもなるのに。不登校未経験者の偏見だよね。大多数は、真面目に勉強して、就職してってルートしか知らないくせいに偉そうなんだよ。一番イージーモードやってるだけのくせに。
自給自足生活をしない限り、どんなに嫌でも人は社会から離れて生きていけない、その距離感は人それぞれでも学ばないといけない
不登校というよりも、人間関係をうまくこなせないことが主眼だよな。不登校はその表れのひとつ。私は不登校も一切無く仕事をしてそれなりの立場になったが、昔も今もグループに入るのが苦手で浮いている。
自分自身や隣接する体験があると何か言いたくなるだろうけど、個人ごとに幅がありそうな話で難しいね。この筆者の目線は私は嫌ではないが。
積極的不登校なら登校拒否という言葉に戻せば良いのでは
興味があるなと思って読み始めたが文章のAI感が気になって気が散る/書いてあることはとても納得のできることだった。不登校という選択はあっていいし、でも人と接する機会は必要。
すまん、ちょっとよくわからんかった。自分から輪の中に入らないといけないの?人は所詮孤独だよ。周りとの関わり合いは関わり合い始めてから考えれば良くて、まずは己が楽しく生きる術を身につけることが大事。
ASDの私は不登校にならなかったけど、ごく僅かな人としか交流しないを選択したから通えた。クラスではハブられてたし、組んでする何かは先生がそのグループにと指示するまでは入れなかった。今も職場でもハブられてる
この話題、各家庭次第でしかないと思ってるんだけど、断罪したい人の多さを目にしてそれが恐怖だったな。世間を批判する弱者自覚ある人が更に弱い家庭を叩いてる図に見えたというか
SNSの「一面切り取り炎上」に流されず、不登校の『そのあと』に横たわる社会性の獲得という課題に踏み込んだ名文。これは本当に読まれるべき記事
自分はしっかりと仕組みのあった高校はそれなりに通えていたけど、宿題もなくフリーな大学は確かに今思うときつかったんだな。サークルにも入れず大学の知人とも離れネット廃人になり今に至る
私は塾で発達障害や不登校の子どもと接していて「別の場所になる」「進路先を案内してサポートする」をしている。その子の今と進路を考える第三者の立場として参考になるnote / 接する加減が難しい
不登校それ自体はありふれているし、なったら終わりみたいなものではなく対応メソッドも世間にはあるのだが、家庭が外(教師・医者・地域)につながりあるのが前提なのでこの件については終わりだよ終わり感強い
理解のある夫くん→理解のあるママ→その子供の将来やいかに!?
これ読んだら、自分が人の輪に入るの下手な自覚があるからこそ、大学ではサークルにたくさん入ったりボランティアやったり人と関わる機会を意図的に作ろうとしてた自分を思い出した えらかったね…
世の中の95%強の人たちは発達特性や教育についてなにも知識はないのだから外部からの発言はクソバイスでしかない。親は自分たちで考え、決定する立場にあるが当然正答率100%なんてことはない。
うちの娘がそうだったけど "「これをやる」という目的があって、用が済んだら帰っていい集団 " であれば問題ないタイプは学校ダメでも社会OKってことはあるんよな
んー、あれも結局は「女型の保守」案件なんじゃないかな…と。「お母さん保守」的なるものに反する育児が許せない、みたいな。/後、大学で友達作れないのは、不登校経験云々関係ない気がする(白目)。
論点の切り分けと理解の先回りをやりすぎるとAI臭がするのだなぁ、という感想。
"これも若干ズレてて、あれが批判されるのは親が"自分が面倒だから"子供を学校に行かせていないように見えるからで" それは反発理由のみっつめに書いてるだろ
だいたい人の家庭のことを批判するって何様、という根本的な問いもあるし。
出社拒否や老後の閉じこもりにも通底。論点は楽することと嫌でも我慢すること。今とあとでの視点。傍目と内心の自他の視点。死ぬほど嫌ならやらない、嫌さの度合いの視点。ズルい!には今まで何だったの?への配慮。
興味深く読んだ。ゆたぽんが炎上したのと似てるかなあと、批判する人が感じているのは不安が大きいと思ってる。不登校を肯定するなんてこの先この子はどうなってしまうの?という不安、これが大きい
これ子供がどうとかの前に、親のほうも支援が必要そうな人なところで燃えてるのかと思ってたが
"不登校はそんなにきれいに終わらない。", "それぞれの「そのあと」がある。","意思として選んだ道にも、当然、坂がある。その坂を、本人のせいにも、親のせいにもしないで語れる言葉が、私たちにはまだ足りない。"
炎上するのは当然で、社会で生きていくためには社会に適応する必要があるという観点がないんだよ。不登校児の末路がどういうものかは、大抵の人間が悲惨な実例を知っている
いろんな防衛ラインがあるので、その辺が大きく食い違うと摩擦が増えるよな(´-`)
子供が登校したいという意思を示したにも関わらず、母親側が面倒なタスクをしたくないという理由で、登校しないよう促したのが問題視されたのでは?特児手当でパチンコ行くエピとか、色々思うところはあった。
まだ斜め読みしかできてないけど男性なのか/この方、この前回のエントリも興味深いな/卵焼き(うっかり)捨てたくらいで何だよなあ
人間は、自分より厚い支援が必要な人間の人権を認めたがらない動物ではある
そんな難しくなくて、ケースバイケースで答えが無いものに対しても、発露した感情を叩きつけないとすまない人達だらけなだけです。「学校行きたくない」なんてみんな思う題材だから切り放題w
えー、めっちゃ良い記事「わからないまま、みんなが自分の知っている子どもを当てはめて、結論だけをぶつけあっている。そりゃあ、噛み合わない。」
その子の持つ気質として、社会とどれぐらい接続した状態が将来もっともその子が過ごしやすいかを周りの大人が考え、その状態に向かって補助をするというのが教育の有り様じゃないかな。
『自由な集団というのは、「自分で輪に入っていける人」にとってだけ自由なのだ』『本人の意思とは関係ない偶然のつながりのなかで人はたぶん「よく知らない人ととりあえず一緒にいる」練習を何年もかけてしている』
『自由な集団というのは、「自分で輪に入っていける人」にとってだけ、自由なのだ』『学校をやめたことは物語になる。でも、何年もあとに、大学で人の輪に入れずにいることは、物語にならない』
「職場の差し入れへのお礼(社会人同士の摩擦回避)」という話に対して、作者が「嫌いな卵焼きを押し付けられた娘の気持ち」という全く前提の違う話を安易にくっつけて話たから炎上しただけだね。
素晴らしい文章
社会性を身につけにくい特性の子は必ずいつか生きづらくなる。不登校だとそのハードルはさらに上がるが、避け難くそうなってしまった場合、一義的には親が導くしかないだろう。広く知られるべきはそのことだと思う
“積極的不登校”というと亡くなった羽仁未央が思い出される。思えば気の毒なひとであった。
学校行かない人生は普通に開かれてるのに苦しいアピールしてる人らはほんと迷惑
親の役割として、子供を育てて社会に参加させるというのがあると思うんだけど、それを中長期的に放棄するように見えるのよね。
“当時の自分は矛盾していた、と書く親を、私は「甘やかし」とは呼べない” "「予後が悪い」という冷たい言葉は、この不安が、いちばん尖った形で表に出たもの" / 誰も他人の人生の責任はとれない
claude文体、句点とclaudeクリシェがきつすぎて目が滑りまくる。不誠実なんだよなnoteこんなんばっかり
親の理解があるのは子供にとって、非常に心強いと思う。小学生の頃は色んな事が上手く出来なくて、不登校になりかけた。中学高校は部活という居場所があった。大学に入り、何か違和感があった。社会人になる時に躓い
“むしろ、うまくいかなかった話こそが、後に続く子どもたちと家族にとって、いちばんの地図になる。学校に行かないと決めたあとで、人といることをどう練習したのか。どこでつまずき、誰がそこにいてくれたのか。”
よくぞここまで丁寧に言語化できたものだ。
Twitterの将来、社会に適応できる姿が想像つかないなんて心配を装ってるようなこと言ってるヤツの本音はお荷物を作るな、オレの税金が食い散らかされる、だからな。24時間テレビの星野真里の件と同じよ。
あの漫画が燃える理屈はシンプルで、随所で肝心な部分を伏せているからだ。そこを想像で補うと読む人によって解釈が分かれて論争になる。個人的には都合の悪いことを隠しているように感じるのでやや批判側。
不登校って一言で言っても、元の才能が高すぎて、学校外で社会性を育むハッカーや学者になる才人も混ざるし。天才で社会性あるなら学校行ずとも勝手に自走するし。人間関係完成してる所に後から入るのコミュ力いる
耐性
要するに「今はいいけど後で困るよ。でもそれは君のせいじゃないよ」か。そしたら親のせいですかね?この記事自体、「親はその先まで考えろ」って結論になってる感じも。
不登校にかわるになる何か、未来を見つけてないから、かなぁ。定型に戻す休憩なのか、また別の道を見つけるための修行なのか。そこがないから「積極的不登校」と感じた。でも無理に学校に行かなくていい。普通に死ぬ
初動間違えたら不登校じゃなくても→“雑談の入り方がわからない。誰かの輪に、どのタイミングで、どんな顔で入っていけばいいのか。”/必要なのはセカンドチャンスかな。
私の周り、不登校で成功してたり幸せな人が多数いて、そうでない人は学校行ってても遅かれ早かれ躓いただろうな……という印象なんだよな。不登校は履歴書でもバレないし、大人になってからの方が人生長いしなぁ。
この人の意見の是非はともかく、せめてこのくらいの経歴の人以外は「専門家然」とした顔で他人に口を出すのは控える、というくらいの世間の良識が欲しい。
金持ちでもない限りは10年後20年後…とずっと同じ生活を続けてはいけない。今学校に行かないのはそれでいいとして、その後はどうするんだ?と思う。多くの人はそこが引っかかってんじゃないの、今じゃなくて未来に
自分は不登校ではなかったが、大人になってから”発症”した。社会人につまずいて引きこもったし、今は子どもの頃や若い頃よりよっぽど知らない人が怖い。生まれつきというよりは後天的な、運命じみたものを感じる。
ゆたぽんだっけ、不登校で有名だったのは。多くの人が当時、彼を批判し彼を擁護した。でも、彼は結局、他人は責任を取らないと言った。つまり、どんな事情があって、何が懸念されているのかなんて他人には分からない
その後つまづいたら親のせいでしょう。子供には自己決定権はない、そうでしょう?全部感情かN=1でしかなかったね。親は先に死ぬ、その前に自立しないと子供が惨めに死ぬのだ。他人は責任を取らないしNIMBYでもある。
学校に通う方がずっと楽かつ選択肢が多い。ので積極的に外れにいく行為だということを本人が理解しているのなら誰も文句は言えない。が、江戸時代より早く進路を決めさせるなんて、あまりに時期尚早だと感じてしまう
日記なのに読者が指南書とか攻略本を求めて読んでるアンマッチで、作者が噛みつかれるのでは
学校なんて嫌でも行くものなんだよ
まあ「積極的」不登校なんててのは単なる開き直りだわな。
どれだけのコストを支払えるかって問題だと思うんだよな。金、時間、労力があれば、その子の適性に応じたオーダーメイドの教育ができるだろう。公教育は安上がり。安上がりな教育を受けられないなら、高くつく。
不登校って恥じゃないんすか
研究知見の話は特にでてこなかった
中高2~3年不登校で、クラスがない単位制高校でなんとか高校を出た自分としては、まぁどうすれば良いのかわからんかったろうなと。僕は普通に大学出て就職して一人暮らししてるマシな側
「はじめに」が終わったあとから、漢字の開きぐあいのテクニック的なものが気になり続けてうまく読めない。どうしてだろう…
あとで読む(読まない)長いな。 あと文章が固い。イヤ読みましたけど結論がよくわからなかった。
もう時代が違うのかもしれないけれども、自分にとって大学は基本的に中盤まではソロプレイでやるところだったなあ。ゼミが始まってからはそうでも無くなったけど。
親だって将来のビジョンなんかみえねーよ。ってか、会社のビジョンとかだって、ほとんどは世の中の流れに乗って語ってるだけなんだから、それより目の前の人と向き合ってるだけマシじゃねーか。というイチ親の遺憾。
この親が◯んだとき、子供が一人で食っていけるならいいんじゃないの。積極的不登校でそれが可能なのかはわからない。
自分も不登校→再登校→無事就職→パワハラで無職な人間だけど、嫌いな事から逃げちゃいかんのか?みんなも電車とかでうるさい人いたら別の車両に移るでしょ?
私は(自称進学校の)高校時代から既にこんな感じで全くついて行けなかった。そのうえ担当教師から罵倒され二度と立ち上がれず…部活がなかったら私も不登校だったかも。
意見が真っ二つに割れて炎上してしまった時点で、我が子をネタにして実生活を切り売りしてしまっている漫画は公開しないほうがいいんじゃないの?と思ってしまった。部外者なのにすいません。
まあ実家太いとか才能あるとかステータスが高ければ不登校が問題にならないこともあるよな。人それぞれやな。小学校、中学校、高校、大学という区分だけでも不登校の内実や問題性は変わってくるしな。
要するに「で、将来どうすんの?」って話かな。当然すぎる疑問だね。/その漫画じたいは読んでないけどこんだけバズったんならエッセイ漫画としては大成功だろ。
応援したい。
高校以前と大学以降はいろいろ違うので、正直、高校までの不登校経験はあまり関係ない気がする……。ある意味、高校まで問題ないと「エクスキューズ」もないので、より悩むひともいる。
ただの格差問題だ。生育環境が非常に劣悪なケースでは、当事者の声を周囲が聞き入れる頃には主観が歪みきっている。気の持ちよう次第で努力できるのは、豊かだからこそ。
こういう話題って必ず隙自が湧く。ブコメなんなの。/不登校ビジネスにドップリな人を見ると、そういうとこだよ、とため息しかでない
不登校児は同学年15人に1人の割合で、多分これからも増える。ネット通信制スクールが合理的で、あまりにも今の社会にマッチし過ぎて選択肢になりつつある。どこかでこのような文化衝突が大きく起きる可能性
SNSでの議論は行数が短いからね。コミニケーションを成立させるには交換できる情報が少ない。
研究者らしく、フェアで誠実な記事だった。
小中高には通ってたけど大学での人間関係に全く同じ感覚を抱いたので、不登校経験の影響がそこに出るのかは疑問である
大学院での不登校研究の内容に絡めた意見は見当たらない。不登校の肯定は子供の教育として甘やかしすぎかどうかギリギリのラインだと思う。だからこそ意見が割れる。一度くらいは中学校に登校してみるべきだと思う。
他人の子育てにああやこうや言うのは下品。どうせろくな子育てしてないでしょうしこどもいなくて言うてる奴は自分の子供時代のストレス発散に使ってるでしょ
学校に行くことの今見えてるデメリットと、行くことで得られる強烈なメリット
『だったら私も、自分の不登校の話から始めるしかない』
不登校でも最終的には結果的にそれなりに暮らしてる人いるし、もちろんしんどい人もいるし、責任はちゃんと親子で背負うだろうから外野がとやかく言っても感。今はN高とかあるから選択肢多くていいよね
高校→大学の環境の変化って人によっては精神やられるからねぇ
うちの子も6年間ほど不登校 外野から見たら甘やかしているように思われることも多いけど、理解してもらうのは無理だと諦めてる こういう経験しないと出会えなかっただろう方々には心から感謝してる
小~高まで曲がりなりにもまともに登校して卒業したのだが、大学(のクラス)で人の輪に入ることは難しかった…というか完全に失敗した。今でも人の輪に入るのは苦手だ。どうやって学べばいいんですかね?
炎上の件は全く知らなかったが、不登校の当事者から見た不登校やそれによる影響の話はとても勉強になった。炎上についても緻密に分析されて素晴らしい文章だと思う。
人生の多様性が下がってるからな。中卒や高卒で働くこと、ホワイトワーカー以外の仕事につくことが普通なら、学校行けなくても大したことないのに
noteとXを見た感じ本当に支援が必要なのはお子さんではなくお母さんなのではと思ったが
当事者だったから書ける文章だと思った。ただふたつめの懸念は取り越し苦労で結局家族が背負う話(8050引きこもりみたいな不登校と関係ないやつ)だと思う。みんなnot for meな日記に食いつきすぎじゃない?
お部屋の断捨離みたいな番組でずっと不登校の高校生くらいの男の子がいて、どんなコミュ障かと思ったら普通に会話できるし明るくて友だちもいると。ただ通った学校に合わなかっただけなのねと思った
我々大人は、学校以外の「子供の社会・居場所」を作らないといけない。
「つまりこれは、「ひとつの家族の日記」が、いつのまにか「不登校と発達障害の子どもをどう育てるべきか」という、ものすごく大きな問いの代表にされてしまった出来事なのだと思う」
私は明確にイジメられていたのに親は根性論タイプで不登校にはさせて貰えなった。全然予後はよくないよ。リアルの人間が怖いし無職だし。正直この親子はちょっと羨ましいと思った。叩きたいとは思わないけど。
自分も仕事あるのに子2人に不登校になられたときは自分と子の人生のどちらかを諦めるかみたいな選択を迫られてどちらも選べず子供を押して学校(別室)に行かせた… 不登校を選べるって豊かでよいことだと思います
「その後どうすんの?」なんて当事者が一番知ってて、そこまで辿り着けるかすら分からんから今だろうに。派遣と無職を繰り返し実家を出られない氷河期に「早く正社員になりなよ、老後困るよ」なんて言うか?とな
「積極的」不登校。という革命ユーチューバーのゆたぼん氏が思い出される。学校というシステムは親が昼間働いていて面倒を見れないから発達したものだとは思うが、面倒見れるなら不登校でも問題ないよな。
?
昔、村の噂話面倒だなと思ったが、現代はSNSが村の機能果たしてるなと思った。正直、個別事案の正解なんか分からんと思うのだが。
全部は読めてない。件の日記は卒業証書の回を読んで学校側に同情してしまった。
不登校だった過去、耐え難い苦痛と不安の日々だったな
「積極的不登校」は「登校拒否」でいいだろう。/「困るのは本人ではないか。そして、そのつまずきを支えるのは、結局、社会の側になるのではないか」そう。だからこの漫画はネオリベの伸長を支えるだろう
"そして、行けなくなった子どもが最初に向きあうのは、たぶん「学校」ではない。「学校に行けない自分」のほうだ。"
不登校の子が怖れているのは「知らない人たちに自分のことを決めつけられること」だ。あの子は甘えている。あの子は弱い。あの子はもう無理だ。そういう言葉は本人の耳に届かなくても何となく伝わる。あとまで残る。
「自由な集団というのは、「自分で輪に入っていける人」にとってだけ、自由なのだ。」同意。▼学校が嫌だった俺は、登校後に授業を抜け出して木造校舎の床下に隠れていた。学力も社会的な力もいまだに遅れたままだ。
卵焼きは「教えた通りにやっててえらい」と認めた上で「でもね」と修正してくもの/学校行かないのはいいけど代わりに福祉も含めた社会と繋げてってるのが描かれてないだけなのかそうでないのか
「多くの人は、嫌でも学校に行った」「我慢には、「これは大人になるために必要なことだ」という意味を与えてきた」「明るい色で肯定される。すると、自分が払ってきた我慢の意味が、少しだけ揺らぐ」
人とのかかわりについてはこの記事に同意する(私は不登校にはならなかったが17歳くらいまでできなかった)。
"いま「積極的に」学校を休んでいる子どもたちが、何年かあと、私と同じようにどこかでつまずいたとき。そのつまずきに、先に名前をつけておいてあげられるのは、たぶん、先につまずいた人だけだからだ。"
元不登校で、東大で不登校を研究した私が「はなまる不登校日記」炎上に思うこと|みずま
不登校の是非については子供に合わせるのはその通りだと思う。そしてそれをこのように監修なしでありのまま公開するリスクはまた別の話かなと思う。
全く不登校ではなかったが、特に人といることに慣れないまま大人になった。登校していても特に人の輪に入れるようにはならなかった。大人になる事は人の輪に入れなくても良くなる事だと思っていた…
無理して学校に行ったとしても、卒業後に引きこもりになったんじゃ意味が無いしなぁ。不登校や引きこもりの話は「子供の遊び」が軽視されすぎな気はするよ
"よっつめは、「私的な選択」が「公開された手本」に見えてしまうことだ" はいつも考える。「これは商売になるぞ」の人も「他の誰かの参考にと願って」の人もいるだろう。だが文脈の固有性は伝送ロスとセットだ。
全ての選択は自己責任なんだよな。子供には辛いけど。だからこそ大人のサポートが必要。逆に登校児は選択したことに気付いてない。うちは3年間不登校で、N高で取り戻して、やりたいこと見つけて専門に通ってる。
娘が大学でつまづいたから良く分かる。クラスメイトも席も決まってないから戸惑うんだよね。人も覚えられない。席も一定で名札があってやる事を逐一指示してくれる高校まではある意味凄く楽なんだよ。
親の覚悟の問題。年単位の不登校児が定型発達ルートに戻れる見込みはほぼないので、復学への望みは捨てて将来の自立に舵を切るべき。支援級B型ルートで復帰を目指すほうが中年で再起不能より全然マシだと思うよ。
全然意識してなかったし、本人達の意思かと思ってたが大学ってスキルがないとぼっちになってしまう環境だったのね
うちの息子も手帳持ちだったが不登校にならなかったのは支援級で自信付いたのとコミュニケーションは割と取れたからだなぁ。行動は色々変で出来ないことも多いのだが割と普通に話ができるのは強かった
「大学には、その仕組みがほとんどない。だから、だれもが「とりあえず一緒にいる」力を、もう持っている前提で動いている。」佐藤大輔は大学といふのは面白い場所で当人が望まぬ限り孤独ではゐられないと書いてた。
小学校の時に進研ゼミやってると100点取れる、進研ゼミは1日20分で終わる、学校は半日潰れる、タイパ悪!と思って、学校に行ったフリして森の中で遊んでて、夕方に父親に怒られて殴られたりしてた
個人的には積極的不登校自体は別によくて、不登校をゴールのように描いていて、将来のビジョンが全く見えないことに引っかかった。
“「積極的」という言葉が、不登校の「今」を肯定することにはとても強いけれど、不登校の「その先」" /(何にしろ教育と社会的訓練を受ける義務の放棄は由々しきこと。画一的といわれても選択肢の多さは時に…
これも若干ズレてて、あれが批判されるのは親が"自分が面倒だから"子供を学校に行かせていないように見えるからで、国民の義務の放棄だし逆に虐待ではという話になる
「データで眺め直す」と言っといてデータはどこにも出てこないの、さすがは名高い「東大のみぃちゃん専攻」教育学部。学問やる実力がないなら働け/障害児に療育受けさせない時点で虐待であり社会に対するテロだよ
子供のプライベートを勝手に晒す行為が批判されてるんだと思ってた。不登校の対処に関しては正解はないと思うなあ
親がASDなので1度決めた不登校に固執してるのは気になる。周りの子供の親としては不登校でいてくれたほうがありがたい
“批判する側も擁護する側も、ちがう子どもを思い浮かべながら話している” SNSでの「議論」なんて万事これよね。立脚点が違う。
冒頭の「批判する側は、不登校の子がどれだけ追いつめられているかを、たぶん知らない。擁護する側は、不登校の「そのあと」に何が待っているかを、あまり語らない。」に深く頷くのであとでちゃんと読む
漫画の人は親子で発達障害で、親が自身の適応戦略を子どもに強要した結果、二次障害として不登校が発生した例に見える。発達障害も不登校も家族歴は重要
私が見たのは「さみだれ登校もしなくなってほっとした」のマンガでビックリしたわ。 やばい。 あれは、娘がオシャレするの嫌がる毒母とか、勉強するの止める毒親の派閥だと感じた。 単に甘やかしではない何か。
この件で俺が気になるのは「子供が学校行こうかなと言っても親が止めている」ことの一点
いらないものはゴミ箱に捨てる、言葉をそのまま捉える行動に昔の自分を思い出す。あの時叱ってくれた先生ありがとう
“だから私は、作品を批評することと、子どもを評価することを、できるだけ切り分けたい”
僕の経歴と似てる。僕の場合も勉強だけはそこそこできたのでレールに乗り直せた。学力で身を立てるルートは引きこもりにも残されてはいるが、勤勉さや体力で生計を得る選択肢はかなり難しくなる気はする
学校の社会的役割は学校の運営側の思惑はともかく選別と社会化なのだから、親もしくは子供が社会に順応する訓練を放棄すると自己決定したなら学校に行く必要はない。小中学校も家庭で教育すればOK。
小人であるワイは申し訳ないけど絶対に抱えきれないので息子に対してとにかく祈ることしかできない。たまたま運が良かっただけの育児だったと20年後振り返らせて欲しい。
他の記事で触れてるから意識的にやってるんだろうけど学部の大学名はふせて大学院は東大と書くのは読んでてノイズ。
子供がいるからいつこういう問題に直面するかわからない。行かなくてもいいの先を考えておきたい。というか挫折後の立て直しなんて全人類の課題じゃん。
自分や近しい人に不登校や問題を抱えた人が居ないから、その人達のことを理解できない層があれこれ言っていると思う。病気も同じ病気になった人のことはよく分かったりするのと同じ様に。
よく整理されてると思う。賛否どちらも要素のどれかが当てはまるのでは / ただ日常系エッセイのフォーマットに将来の考察を望むのはカテゴリ違いかと
その、私東大の院に行ってたんですけど、っていう枕詞やめた方がいいぞ。いや、どうせやるならメンサ会員とかになればいいんじゃないか。知らんけど。
支援が必要なのは親なのよ。下の子は登校の意欲があるのに 不登校を「選択」させてるから虐待に近い。学校に付随する諸々がクソ面倒なのはわかるよ。 俺も自分のときには壊滅してた宿題や提出物に今更向き合ってる。
脳内本田由紀再生余裕。
人間の8割くらいは「ふつうでないことが恐ろしい」らしい。不登校はふつうでないから恐ろしいし、不登校がふつうになると登校してた自分がふつうでなくなるから恐ろしい。親は、周りより自分の子をみるしかないね
うちの子の不登校ではホームスクーリングも検討したが、うちの子は大学には馴染めたんだよね。人の輪に入れない問題はむしろわたしの方が課題。不登校を自分自身へのスティグマにしない工夫が必要。
子育ての目標は生きていけるようにすることだと思うので無理やり学校行かせてた時代より自ら命を絶つ子供が増えてるならあんま良くないんじゃねえのとは思う
大学も色々あるので入試前にしっかり調べようよ。。きっちりとクラス制やってる大学もあるし、少人数の学科選ぶとか色々できるよ。。
次のたのピクは君だ!(嫌なスタ誕
「不登校児が大成しました」系美談は、実家が安心できる居場所ではなく不登校にもなれなかった人にはマウント同然/実家が太く親が教育意識高いとむしろ積極的に不登校させて英才教育するし筆者もそっち側の典型ぽい
いつの間にか「特性」という言葉がものすごくカジュアルになって、ちょっと親に反発したとか言われた通りに勉強しなかったくらいで、我が子は特性持ちだと全世界に発信する親がいるのもややこしくするね。
あれを最初から最後まで読んで親がやるべきことを放置してると考えるのは端的に共感力がないと思う。不登校支援て本当に本当に親も苦しい。あの人も何年も登校させようと奮闘した末の決断だった。過程を無視し過ぎ
人によって正解が違うらしいというのは知ってる
こういうのは正解がないから余計にネットで支持を得ると反対意見も沸いてくるししんどいと思うんだよな…
雑談の入り方がわからない。←不登校じゃない私もこれが分からない。30代の時までは同性の友人数人いた私も実母の介護中余裕がなくて縁が切れてずっと同性友人0人のまま。年齢不問で同性友人欲しい
反発の感情の部分は、「自分は嫌でも学校行ったのに」ではなくて、「将来こいつらの重荷をおれらが背負わなきゃならんのか?」の方だと思うけど。村八分の精神の方やろ
自分も知らずに入ってから驚いたんだけど、大学にもクラスがあって、ほぼ全科目必修で、高校の延長線上のような所もある。なんかフリーダムな大学のイメージが崩壊してしまった。
大人でも嫌を主張できる人間が嫌われるから(その人の嫌を誰かがカバーするから)この手の話は炎上しやすいんだろうなとは思ってる。
私が普通の全日制の高校ではない高校(全日通ったけど大学の授業方式の高校)に行ったのは悪い選択ではなかったなと思う。生徒との交流はあんましなかったけど先生たち優しかったし。人生はこれからも続いていく
身も蓋も無い話、不登校で東大行った人の研究なんて超超上澄みだと思うんだけどそうでない人は居ない事になってるんだろうな
コミックエッセイやドキュメンタリー映画は事実そのものではないので、作者の主題や書きたいテーマに合わないことは書かないしデフォルメも当然入る。事実そのものと思ってる人が多すぎでは?
東大に入れるくらいのIQと勉強を妨害されない環境があれば不登校は大した問題ではないということがわかりました
はてブですら当事者でなさそうな人間の攻撃的な発言があるのに(テロって何よ)、Twitterとか地獄だろうな(くわばらくわばら)
周りが無責任に「学校行かなくても大丈夫」ってやつはやめて欲しい。学校はやはり社会に出るための訓練所の側面も当然あるので、学校で身に付かなかった社会性がその後社会に出た後にする苦労をちゃんと伝えないと
“よく知らない人と用事もなく同じ空間にいること。好きでも嫌いでもない人と、なんとなくやっていくこと。そういうものを、学校のかわりにどこで、どうやってどれくらい無理のない量で練習するのか”重要
私の場合、心から「直る」のは無理なんだろうなー。迎合はできる部分はあるけど。魂が浮世向けの形をしていないって辛いもんよなあ
“中学の時期にすっぽり抜けた何か” 不登校だったから人付き合いがわからなくなった的な主張だけど、因果が逆ってことはないのかね。元々人付き合いが苦手なのが吹き出して不登校になってた的な
小中高いったけど社会性なんて身に付かなかったし大人になって引きこもった自分のような人間もいる
フリースクールでも在宅学習でもなんでもいいが高コスト 一カ所に集めて同じことする効率の良さに勝てない
大学は「一緒にいる」「人の輪に入る」が必要ない場所だと思うのだけど
重い
不登校の先に大人になった子供がどう自立するかがある。学校なしでそれを親が準備するのは相当しんどい。そこを言わずに積極的に不登校を選んだと言われると単に逃げに見えてしまう。
「ある年齢時点で学校に行かないことでどんな影響を受けうるか」を具体化してあげれば、少し不安も取り除ける、言い訳にもなる、リカバリも効く。なるほどね。
その子の特性に応じていろいろな選択が出来る(選択を受け入れられる)社会、っていうのは、他者への愛が薄くなった世界には難しいね。
親が義務教育を受けさせるのは義務なんですよ 義務 わかりますかそれがどういうことか
逆も分かってほしいなあ。不登校したくても強制的に学校に行かされ、案の定まわりとの差を突き付けられながらズルズル大人にまでなり「強制がなかったらもっとぶっ壊れていた」という感想をもつ場合もある。
「子供の復帰したい意思」を親が邪魔してるエピソードがあって燃えてたような気がする。シンプルに子供に対する虐待。
うちの子はグレーゾーンで学習面にかなり偏りがあって苦労してる。一方で社会への適応力/社交性が高いので助かっている。子ども4人いるが他の子に比べこの先どうするかを考える機会は多い。社会を味方にできるように
筆者の経験をベースにしたせいで、不登校からでも大学に進学するのが当然のような論調だけど、人生それだけじゃないよね。何でもない雑談の輪に入れなくても生きていける道だってあるだろう
こんな医者からの診断書はいらない、でも特別児童扶養手当2人分ゲット、久しぶりのパチンコでちょっと勝った等、逆撫で感のある母のエピソードがね…。中卒のまま社会人orN高で高卒ゲットの2択で予後が変わりそう
本当に「全ての選択は自己責任」だろうか? 判断力の未熟な小学生が「中学は男女別学校に行く」「往復3時間かかる学校に行く」等の選択をしても自己責任とは言えない。責任の主体になるための分別がないからだ
母親が作った卵焼きをゴミ箱に捨てるレベルのASDだと学校行ってもどうにもならんな
エッセイは諸刃の剣
これからは学校教育のもつ「機能」が本当の意味でシビアに問われる時代になるはず。不登校児のケアと将来について考えるのは、実は子ども達の未来について考えることとイコールになると僕は考えている
概ね同意だけど、中学の不登校期間が分からないのと、「とりあえず一緒にいる」は高校で達成できてるのではというのは気になる。なお私は不登校せず暗黒義務教育を過ごしたたけど大学で筆者と同じような苦労をした。
「批判する側も擁護する側も、ちがう子どもを思い浮かべながら話している」SNSだけじゃない、家庭内で本人を前にしてこれが起きるからひどいことになる。ヒトの多様性に思いを致すのはシステム2なので、謙虚に学べ。
だから福本伸行のみんな嫌だ…それでも…行くんだよ…!が引用されてたのか。無理やり行った方が良かったが壊れるかギリ壊れないなんて運だな…
「親が自分が楽するために子の不登校を容認してる」という疑いで批判されてる可能性は筆者もわざわざ言及しているのに、ブコメでもコメ欄でも「親が楽してることを批判されてるんだぞ」と書かれる学校国語教育の敗北
個人も家庭もそれぞれ事情が違うんだから一般論化しようとする事自体が無理筋なのに、みんな何故か『ひとつの正解』を求めたがるよね。それこそが不登校児が抱える生きづらさの象徴とも言える。
結構昔からこの作者さん知ってるけど、昔はかなり子供の特性に寄り添って工夫したり色々やってたよ でも長期にわたる不登校生活である種開き直ってしまったように見受ける 親もケアが必要や
大概は人間関係が原因だから、通信制含め気軽に転校したり戻れるようにする、毎学期クラス替えをする、あるいは、クラス単位をやめて科目単位にするなど、文科省が教育システムを根本的に見直したらどうか。
各家庭でどんな事情があるかは知らんが文句つけてる外野はゆたぼんの再放送でしょ。昔の発達障害の人はどうやって生活してたのかな。今のほうが幸せなのかな。
届くべき人に届くと良いなと思う文章だった。 ここもそうだが、届かない人間が多すぎて当事者たちには辛い世の中だと思う。
「親が"自分が面倒だから"子供を学校に行かせていないように見えるからで、」/その発想は出てこなかったのでちょっと驚いた。どう転ぼうが面倒そうにしか見えなかったから。
うちの子も不登校児クラスなのでかなり学びがあった。また、炎上する理由はもっと単純で、人間は誰かを罰することが大好きなだけな気がするな。自分が正義だと思ったときに特に顕著だ。
私も学校にろくに行ってないので不登校は全然いいと思うしその先のヴィジョンが今は全く見えないのもいいんだけど、子どもを社会に属させようとしてないのが見えるのが気になった。
別に学校いかなくてもどうとでもなるのに。不登校未経験者の偏見だよね。大多数は、真面目に勉強して、就職してってルートしか知らないくせいに偉そうなんだよ。一番イージーモードやってるだけのくせに。
自給自足生活をしない限り、どんなに嫌でも人は社会から離れて生きていけない、その距離感は人それぞれでも学ばないといけない
不登校というよりも、人間関係をうまくこなせないことが主眼だよな。不登校はその表れのひとつ。私は不登校も一切無く仕事をしてそれなりの立場になったが、昔も今もグループに入るのが苦手で浮いている。
自分自身や隣接する体験があると何か言いたくなるだろうけど、個人ごとに幅がありそうな話で難しいね。この筆者の目線は私は嫌ではないが。
積極的不登校なら登校拒否という言葉に戻せば良いのでは
興味があるなと思って読み始めたが文章のAI感が気になって気が散る/書いてあることはとても納得のできることだった。不登校という選択はあっていいし、でも人と接する機会は必要。
すまん、ちょっとよくわからんかった。自分から輪の中に入らないといけないの?人は所詮孤独だよ。周りとの関わり合いは関わり合い始めてから考えれば良くて、まずは己が楽しく生きる術を身につけることが大事。
ASDの私は不登校にならなかったけど、ごく僅かな人としか交流しないを選択したから通えた。クラスではハブられてたし、組んでする何かは先生がそのグループにと指示するまでは入れなかった。今も職場でもハブられてる
この話題、各家庭次第でしかないと思ってるんだけど、断罪したい人の多さを目にしてそれが恐怖だったな。世間を批判する弱者自覚ある人が更に弱い家庭を叩いてる図に見えたというか
SNSの「一面切り取り炎上」に流されず、不登校の『そのあと』に横たわる社会性の獲得という課題に踏み込んだ名文。これは本当に読まれるべき記事
自分はしっかりと仕組みのあった高校はそれなりに通えていたけど、宿題もなくフリーな大学は確かに今思うときつかったんだな。サークルにも入れず大学の知人とも離れネット廃人になり今に至る
私は塾で発達障害や不登校の子どもと接していて「別の場所になる」「進路先を案内してサポートする」をしている。その子の今と進路を考える第三者の立場として参考になるnote / 接する加減が難しい
不登校それ自体はありふれているし、なったら終わりみたいなものではなく対応メソッドも世間にはあるのだが、家庭が外(教師・医者・地域)につながりあるのが前提なのでこの件については終わりだよ終わり感強い
理解のある夫くん→理解のあるママ→その子供の将来やいかに!?
これ読んだら、自分が人の輪に入るの下手な自覚があるからこそ、大学ではサークルにたくさん入ったりボランティアやったり人と関わる機会を意図的に作ろうとしてた自分を思い出した えらかったね…
世の中の95%強の人たちは発達特性や教育についてなにも知識はないのだから外部からの発言はクソバイスでしかない。親は自分たちで考え、決定する立場にあるが当然正答率100%なんてことはない。
うちの娘がそうだったけど "「これをやる」という目的があって、用が済んだら帰っていい集団 " であれば問題ないタイプは学校ダメでも社会OKってことはあるんよな
んー、あれも結局は「女型の保守」案件なんじゃないかな…と。「お母さん保守」的なるものに反する育児が許せない、みたいな。/後、大学で友達作れないのは、不登校経験云々関係ない気がする(白目)。
論点の切り分けと理解の先回りをやりすぎるとAI臭がするのだなぁ、という感想。
"これも若干ズレてて、あれが批判されるのは親が"自分が面倒だから"子供を学校に行かせていないように見えるからで" それは反発理由のみっつめに書いてるだろ
だいたい人の家庭のことを批判するって何様、という根本的な問いもあるし。
出社拒否や老後の閉じこもりにも通底。論点は楽することと嫌でも我慢すること。今とあとでの視点。傍目と内心の自他の視点。死ぬほど嫌ならやらない、嫌さの度合いの視点。ズルい!には今まで何だったの?への配慮。
興味深く読んだ。ゆたぽんが炎上したのと似てるかなあと、批判する人が感じているのは不安が大きいと思ってる。不登校を肯定するなんてこの先この子はどうなってしまうの?という不安、これが大きい
これ子供がどうとかの前に、親のほうも支援が必要そうな人なところで燃えてるのかと思ってたが
"不登校はそんなにきれいに終わらない。", "それぞれの「そのあと」がある。","意思として選んだ道にも、当然、坂がある。その坂を、本人のせいにも、親のせいにもしないで語れる言葉が、私たちにはまだ足りない。"
炎上するのは当然で、社会で生きていくためには社会に適応する必要があるという観点がないんだよ。不登校児の末路がどういうものかは、大抵の人間が悲惨な実例を知っている
いろんな防衛ラインがあるので、その辺が大きく食い違うと摩擦が増えるよな(´-`)
子供が登校したいという意思を示したにも関わらず、母親側が面倒なタスクをしたくないという理由で、登校しないよう促したのが問題視されたのでは?特児手当でパチンコ行くエピとか、色々思うところはあった。
まだ斜め読みしかできてないけど男性なのか/この方、この前回のエントリも興味深いな/卵焼き(うっかり)捨てたくらいで何だよなあ
人間は、自分より厚い支援が必要な人間の人権を認めたがらない動物ではある
そんな難しくなくて、ケースバイケースで答えが無いものに対しても、発露した感情を叩きつけないとすまない人達だらけなだけです。「学校行きたくない」なんてみんな思う題材だから切り放題w
えー、めっちゃ良い記事「わからないまま、みんなが自分の知っている子どもを当てはめて、結論だけをぶつけあっている。そりゃあ、噛み合わない。」
その子の持つ気質として、社会とどれぐらい接続した状態が将来もっともその子が過ごしやすいかを周りの大人が考え、その状態に向かって補助をするというのが教育の有り様じゃないかな。
『自由な集団というのは、「自分で輪に入っていける人」にとってだけ自由なのだ』『本人の意思とは関係ない偶然のつながりのなかで人はたぶん「よく知らない人ととりあえず一緒にいる」練習を何年もかけてしている』
『自由な集団というのは、「自分で輪に入っていける人」にとってだけ、自由なのだ』『学校をやめたことは物語になる。でも、何年もあとに、大学で人の輪に入れずにいることは、物語にならない』
「職場の差し入れへのお礼(社会人同士の摩擦回避)」という話に対して、作者が「嫌いな卵焼きを押し付けられた娘の気持ち」という全く前提の違う話を安易にくっつけて話たから炎上しただけだね。
素晴らしい文章
社会性を身につけにくい特性の子は必ずいつか生きづらくなる。不登校だとそのハードルはさらに上がるが、避け難くそうなってしまった場合、一義的には親が導くしかないだろう。広く知られるべきはそのことだと思う
“積極的不登校”というと亡くなった羽仁未央が思い出される。思えば気の毒なひとであった。
学校行かない人生は普通に開かれてるのに苦しいアピールしてる人らはほんと迷惑
親の役割として、子供を育てて社会に参加させるというのがあると思うんだけど、それを中長期的に放棄するように見えるのよね。
“当時の自分は矛盾していた、と書く親を、私は「甘やかし」とは呼べない” "「予後が悪い」という冷たい言葉は、この不安が、いちばん尖った形で表に出たもの" / 誰も他人の人生の責任はとれない
claude文体、句点とclaudeクリシェがきつすぎて目が滑りまくる。不誠実なんだよなnoteこんなんばっかり
親の理解があるのは子供にとって、非常に心強いと思う。小学生の頃は色んな事が上手く出来なくて、不登校になりかけた。中学高校は部活という居場所があった。大学に入り、何か違和感があった。社会人になる時に躓い
“むしろ、うまくいかなかった話こそが、後に続く子どもたちと家族にとって、いちばんの地図になる。学校に行かないと決めたあとで、人といることをどう練習したのか。どこでつまずき、誰がそこにいてくれたのか。”
よくぞここまで丁寧に言語化できたものだ。
Twitterの将来、社会に適応できる姿が想像つかないなんて心配を装ってるようなこと言ってるヤツの本音はお荷物を作るな、オレの税金が食い散らかされる、だからな。24時間テレビの星野真里の件と同じよ。
あの漫画が燃える理屈はシンプルで、随所で肝心な部分を伏せているからだ。そこを想像で補うと読む人によって解釈が分かれて論争になる。個人的には都合の悪いことを隠しているように感じるのでやや批判側。
不登校って一言で言っても、元の才能が高すぎて、学校外で社会性を育むハッカーや学者になる才人も混ざるし。天才で社会性あるなら学校行ずとも勝手に自走するし。人間関係完成してる所に後から入るのコミュ力いる
耐性
要するに「今はいいけど後で困るよ。でもそれは君のせいじゃないよ」か。そしたら親のせいですかね?この記事自体、「親はその先まで考えろ」って結論になってる感じも。
不登校にかわるになる何か、未来を見つけてないから、かなぁ。定型に戻す休憩なのか、また別の道を見つけるための修行なのか。そこがないから「積極的不登校」と感じた。でも無理に学校に行かなくていい。普通に死ぬ
初動間違えたら不登校じゃなくても→“雑談の入り方がわからない。誰かの輪に、どのタイミングで、どんな顔で入っていけばいいのか。”/必要なのはセカンドチャンスかな。
私の周り、不登校で成功してたり幸せな人が多数いて、そうでない人は学校行ってても遅かれ早かれ躓いただろうな……という印象なんだよな。不登校は履歴書でもバレないし、大人になってからの方が人生長いしなぁ。
この人の意見の是非はともかく、せめてこのくらいの経歴の人以外は「専門家然」とした顔で他人に口を出すのは控える、というくらいの世間の良識が欲しい。
金持ちでもない限りは10年後20年後…とずっと同じ生活を続けてはいけない。今学校に行かないのはそれでいいとして、その後はどうするんだ?と思う。多くの人はそこが引っかかってんじゃないの、今じゃなくて未来に
自分は不登校ではなかったが、大人になってから”発症”した。社会人につまずいて引きこもったし、今は子どもの頃や若い頃よりよっぽど知らない人が怖い。生まれつきというよりは後天的な、運命じみたものを感じる。
ゆたぽんだっけ、不登校で有名だったのは。多くの人が当時、彼を批判し彼を擁護した。でも、彼は結局、他人は責任を取らないと言った。つまり、どんな事情があって、何が懸念されているのかなんて他人には分からない
その後つまづいたら親のせいでしょう。子供には自己決定権はない、そうでしょう?全部感情かN=1でしかなかったね。親は先に死ぬ、その前に自立しないと子供が惨めに死ぬのだ。他人は責任を取らないしNIMBYでもある。
学校に通う方がずっと楽かつ選択肢が多い。ので積極的に外れにいく行為だということを本人が理解しているのなら誰も文句は言えない。が、江戸時代より早く進路を決めさせるなんて、あまりに時期尚早だと感じてしまう
日記なのに読者が指南書とか攻略本を求めて読んでるアンマッチで、作者が噛みつかれるのでは
学校なんて嫌でも行くものなんだよ
まあ「積極的」不登校なんててのは単なる開き直りだわな。
どれだけのコストを支払えるかって問題だと思うんだよな。金、時間、労力があれば、その子の適性に応じたオーダーメイドの教育ができるだろう。公教育は安上がり。安上がりな教育を受けられないなら、高くつく。
不登校って恥じゃないんすか
研究知見の話は特にでてこなかった
中高2~3年不登校で、クラスがない単位制高校でなんとか高校を出た自分としては、まぁどうすれば良いのかわからんかったろうなと。僕は普通に大学出て就職して一人暮らししてるマシな側
「はじめに」が終わったあとから、漢字の開きぐあいのテクニック的なものが気になり続けてうまく読めない。どうしてだろう…
あとで読む(読まない)長いな。 あと文章が固い。イヤ読みましたけど結論がよくわからなかった。
もう時代が違うのかもしれないけれども、自分にとって大学は基本的に中盤まではソロプレイでやるところだったなあ。ゼミが始まってからはそうでも無くなったけど。
親だって将来のビジョンなんかみえねーよ。ってか、会社のビジョンとかだって、ほとんどは世の中の流れに乗って語ってるだけなんだから、それより目の前の人と向き合ってるだけマシじゃねーか。というイチ親の遺憾。
この親が◯んだとき、子供が一人で食っていけるならいいんじゃないの。積極的不登校でそれが可能なのかはわからない。
自分も不登校→再登校→無事就職→パワハラで無職な人間だけど、嫌いな事から逃げちゃいかんのか?みんなも電車とかでうるさい人いたら別の車両に移るでしょ?
私は(自称進学校の)高校時代から既にこんな感じで全くついて行けなかった。そのうえ担当教師から罵倒され二度と立ち上がれず…部活がなかったら私も不登校だったかも。
意見が真っ二つに割れて炎上してしまった時点で、我が子をネタにして実生活を切り売りしてしまっている漫画は公開しないほうがいいんじゃないの?と思ってしまった。部外者なのにすいません。
まあ実家太いとか才能あるとかステータスが高ければ不登校が問題にならないこともあるよな。人それぞれやな。小学校、中学校、高校、大学という区分だけでも不登校の内実や問題性は変わってくるしな。
要するに「で、将来どうすんの?」って話かな。当然すぎる疑問だね。/その漫画じたいは読んでないけどこんだけバズったんならエッセイ漫画としては大成功だろ。
応援したい。
高校以前と大学以降はいろいろ違うので、正直、高校までの不登校経験はあまり関係ない気がする……。ある意味、高校まで問題ないと「エクスキューズ」もないので、より悩むひともいる。
ただの格差問題だ。生育環境が非常に劣悪なケースでは、当事者の声を周囲が聞き入れる頃には主観が歪みきっている。気の持ちよう次第で努力できるのは、豊かだからこそ。
こういう話題って必ず隙自が湧く。ブコメなんなの。/不登校ビジネスにドップリな人を見ると、そういうとこだよ、とため息しかでない
不登校児は同学年15人に1人の割合で、多分これからも増える。ネット通信制スクールが合理的で、あまりにも今の社会にマッチし過ぎて選択肢になりつつある。どこかでこのような文化衝突が大きく起きる可能性
SNSでの議論は行数が短いからね。コミニケーションを成立させるには交換できる情報が少ない。
研究者らしく、フェアで誠実な記事だった。
小中高には通ってたけど大学での人間関係に全く同じ感覚を抱いたので、不登校経験の影響がそこに出るのかは疑問である
大学院での不登校研究の内容に絡めた意見は見当たらない。不登校の肯定は子供の教育として甘やかしすぎかどうかギリギリのラインだと思う。だからこそ意見が割れる。一度くらいは中学校に登校してみるべきだと思う。
他人の子育てにああやこうや言うのは下品。どうせろくな子育てしてないでしょうしこどもいなくて言うてる奴は自分の子供時代のストレス発散に使ってるでしょ
学校に行くことの今見えてるデメリットと、行くことで得られる強烈なメリット
『だったら私も、自分の不登校の話から始めるしかない』
不登校でも最終的には結果的にそれなりに暮らしてる人いるし、もちろんしんどい人もいるし、責任はちゃんと親子で背負うだろうから外野がとやかく言っても感。今はN高とかあるから選択肢多くていいよね
高校→大学の環境の変化って人によっては精神やられるからねぇ
うちの子も6年間ほど不登校 外野から見たら甘やかしているように思われることも多いけど、理解してもらうのは無理だと諦めてる こういう経験しないと出会えなかっただろう方々には心から感謝してる
小~高まで曲がりなりにもまともに登校して卒業したのだが、大学(のクラス)で人の輪に入ることは難しかった…というか完全に失敗した。今でも人の輪に入るのは苦手だ。どうやって学べばいいんですかね?
炎上の件は全く知らなかったが、不登校の当事者から見た不登校やそれによる影響の話はとても勉強になった。炎上についても緻密に分析されて素晴らしい文章だと思う。
人生の多様性が下がってるからな。中卒や高卒で働くこと、ホワイトワーカー以外の仕事につくことが普通なら、学校行けなくても大したことないのに
noteとXを見た感じ本当に支援が必要なのはお子さんではなくお母さんなのではと思ったが
当事者だったから書ける文章だと思った。ただふたつめの懸念は取り越し苦労で結局家族が背負う話(8050引きこもりみたいな不登校と関係ないやつ)だと思う。みんなnot for meな日記に食いつきすぎじゃない?
お部屋の断捨離みたいな番組でずっと不登校の高校生くらいの男の子がいて、どんなコミュ障かと思ったら普通に会話できるし明るくて友だちもいると。ただ通った学校に合わなかっただけなのねと思った
我々大人は、学校以外の「子供の社会・居場所」を作らないといけない。
「つまりこれは、「ひとつの家族の日記」が、いつのまにか「不登校と発達障害の子どもをどう育てるべきか」という、ものすごく大きな問いの代表にされてしまった出来事なのだと思う」
私は明確にイジメられていたのに親は根性論タイプで不登校にはさせて貰えなった。全然予後はよくないよ。リアルの人間が怖いし無職だし。正直この親子はちょっと羨ましいと思った。叩きたいとは思わないけど。
自分も仕事あるのに子2人に不登校になられたときは自分と子の人生のどちらかを諦めるかみたいな選択を迫られてどちらも選べず子供を押して学校(別室)に行かせた… 不登校を選べるって豊かでよいことだと思います
「その後どうすんの?」なんて当事者が一番知ってて、そこまで辿り着けるかすら分からんから今だろうに。派遣と無職を繰り返し実家を出られない氷河期に「早く正社員になりなよ、老後困るよ」なんて言うか?とな
「積極的」不登校。という革命ユーチューバーのゆたぼん氏が思い出される。学校というシステムは親が昼間働いていて面倒を見れないから発達したものだとは思うが、面倒見れるなら不登校でも問題ないよな。
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昔、村の噂話面倒だなと思ったが、現代はSNSが村の機能果たしてるなと思った。正直、個別事案の正解なんか分からんと思うのだが。
全部は読めてない。件の日記は卒業証書の回を読んで学校側に同情してしまった。
不登校だった過去、耐え難い苦痛と不安の日々だったな
「積極的不登校」は「登校拒否」でいいだろう。/「困るのは本人ではないか。そして、そのつまずきを支えるのは、結局、社会の側になるのではないか」そう。だからこの漫画はネオリベの伸長を支えるだろう
"そして、行けなくなった子どもが最初に向きあうのは、たぶん「学校」ではない。「学校に行けない自分」のほうだ。"
不登校の子が怖れているのは「知らない人たちに自分のことを決めつけられること」だ。あの子は甘えている。あの子は弱い。あの子はもう無理だ。そういう言葉は本人の耳に届かなくても何となく伝わる。あとまで残る。
「自由な集団というのは、「自分で輪に入っていける人」にとってだけ、自由なのだ。」同意。▼学校が嫌だった俺は、登校後に授業を抜け出して木造校舎の床下に隠れていた。学力も社会的な力もいまだに遅れたままだ。
卵焼きは「教えた通りにやっててえらい」と認めた上で「でもね」と修正してくもの/学校行かないのはいいけど代わりに福祉も含めた社会と繋げてってるのが描かれてないだけなのかそうでないのか
「多くの人は、嫌でも学校に行った」「我慢には、「これは大人になるために必要なことだ」という意味を与えてきた」「明るい色で肯定される。すると、自分が払ってきた我慢の意味が、少しだけ揺らぐ」
人とのかかわりについてはこの記事に同意する(私は不登校にはならなかったが17歳くらいまでできなかった)。
"いま「積極的に」学校を休んでいる子どもたちが、何年かあと、私と同じようにどこかでつまずいたとき。そのつまずきに、先に名前をつけておいてあげられるのは、たぶん、先につまずいた人だけだからだ。"