“国の認定を支える事実関係を、特別調査委員会も追認したという意味で、重い言葉だと思います。ただ、報告書には残念ながらこの記載がありません。少なくともこの文言は、報告書に入っていてほしかったと思っていま
ブックマーカー図鑑に「ブックマークしない記事の傾向」追加してほしい。辺野古の記事をあえてスルーするブクマカにこそ、「平和教育と団体への盲信との因果関係」の意見を聞きたい。
安全軽視の背景にある教育内容を検証しないのは不自然だな
忘れられているけど、修学旅行って授業の一環だし、その授業内容が偏っていたからこそこうなっているのだから「教育内容」に触れてほしいってのは分かる話なんだよな
ご遺族は無念だろうが、この点については、事故2日後にデニー詣でをして平和教育を存続するとした校長がいる学校側が向き合うことはないだろう
同志社経営陣も、同志社国際の校長、教員も、そしておそらくそれなりの数の生徒も、このnoteを読んでいると思う。生徒にとって遺族の当然の疑問に学校がどう答えるかは、学校が自分たちをどう見ているかの鏡になる。
コメ欄、はてブサヨに読ませるのは無理だろ。連中は自分たちに都合が悪い記事からは逃げるか、これ以上調べて何になると吐かすhanajibuuやuehajみたいな連中しかいないから。
核心に近づく。"その目的は、学校にとって、それほどまでに重いものだったのか。そして、その目的の重さが、本来いちばん大切にされるべき安全を、あれほどまでに軽くしたのではないか"
id:GamingSoboroDon 「言いたくない事は言わない」だってさ https://b.hatena.ne.jp/entry/4784685395611762786/comment/donovantree
教育内容の偏りを論じるのは遺族ではなく、学者の責任でしょう。
まぁ、文科省のペーパー読めば、結論は妥当であろうとなるのが社会通念的に適切妥当なラインだよな。「国の認定を支える事実関係を、特別調査委員会も追認したという意味で、重い言葉だと思います。」
修学旅行が教育じゃなかったら何なんだよ。平和「教育」の美名の下に子供が殺されたんだろうが
ご遺族のブログを読む度に、この事故が起きるまでは学校に全幅の信頼に近いものを抱いていたんだろうと思う。それを裏切る形になった同志社は、全方向から学校法人としての対応を求められているはずなんだけどな……
それまでは饒舌だったのに突然押し黙り5mもの波が押し寄せるリーフエッジに舳先を向け全速力で進む船長。まるで死地に赴くがように。若い人を道連れに(´・ω・`)
平和が大事なことはみんな思ってて、その上で法律や社会の仕組みに反抗してまで抗議する必要があるのかはちょっと考えてほしい。法律すら反抗の対象なら、それを表す言葉として適切なのは抗議じゃなくて戦争なんよ。
辺野古埋め立て推進派は「米軍基地を負担していない地域の住民」だよ。米軍基地はNIMBY問題だから。反対派の反対派は土建屋とカルト宗教ね。
成人が設定した道徳的・教育的目的のために、十分な情報も拒否権も持たない未成年者へリスクを移転したことが問題…でもまぁ左派というかリベラルは受け入れがたいんだろうな(左派右派両方で起きるが、文字数
親が学校を信用していたように、学校も牧師を信用していたのでは。
沖縄在住で平和運動とか力入れてる印象のあるブクマカが数人いるけど、彼らは全く発言しないね。ほぼしてても無言ブクマ
どうしたもんかね。学校も行政も腐り始めているが、自浄作用が無い。
“目的のために、この船でなければならなかった。そして安全への疑問は、目的の前で口をつぐんだ。その可能性が本当になかったのかどうか、今回の報告書からは分かりません”
これまでと比べてかなり踏み込んだ内容。自分もここがこの事件の核心だと思うが、残念ながら組織文化が事故に繋がる判断をさせた事を証明することは非常に難しい
“主たる目的は「きれいな海を見る」ことではなく基地建設とそれに反対する人が対峙する「現場」を見ること”対立構造にした上で反対する側からしかみせない./多様な捉え方を放棄した説明文./平和教育とは?
壺が舟に置き換わった話であり、何をするにも宗教が絡むと難しいな。変えたい気持ちは理解しつつ、庶民としては宗教自体に隠避するんだろう。同志社は死の舟の商人としての矜持をずっと見るし私が親なら避ける。
ヤクザ活動家の教育介入(と、当然の帰結としての安全軽視)が直接的原因なのは明白なわけだが、その原因が沖縄政治との癒着なのも明白。で、その遠因が社会の左翼への甘やかし。東浩紀の言うように争点化を。
今回の件を見ると、保守派の方が遵法精神強いんだろうなと思う。/保守:秩序を守るために法を守る。伝統、既存価値観にならう。 リベラル:正義・権利を守るためなら、既存の法を批判することもある/現代のコンプラに
“その目的は、学校にとって、それほどまでに重いものだったのか。そして、その目的の重さが、本来いちばん大切にされるべき安全を、あれほどまでに軽くしたのではないか。”遺族がこの疑問を提示する前に他の誰か
ご家族の気持ちが強くて凄い。でも辛さの上に立っている強さだと思うといたたまれない。こういう方がこんな辛いことを続けなければいけなくて、何が平和教育だというのだろうか
平和教育の名のもとに社会的に常軌を逸した抗議船プログラムが紛れ込んだので、平和教育自体のありかたが問われて当然。異物混入の原因が究明されない限り、沖縄での修学旅行や平和教育には忌避感が出てもやむ無し。
確かに「何故、平和教育目的で、あの船か」の答えが無ければ第三者機関の調査も単なるアリバイでしか無いね。
そろそろ学校関係者や左翼のお仲間達が「人々は文科省に怒っている、我々ではない」「人々は米軍に怒っている、我々ではない」と某大統領みたいな妄言を声高に叫びそう。既に似たような妄言を言い続けてるし。
はてサの緑の人は絶対辺野古の事件ブクマしないよね
「その目的は、学校にとって、それほどまでに重いものだったのか。そして、その目的の重さが、本来いちばん大切にされるべき安全を、あれほどまでに軽くしたのではないか。」✕『学校』◯『活動家』『信仰』
平和教育への偏重が安全の確保という最も大切なものを軽視する事につながってたのではないかという点に踏み込んでる、ここが核心であり避けて通れない問題だと思う
事件は事件で思想は思想だと思うけど、別問題であることを検証すべきだったってこと? どんな通底の仕方があり得ると考えるのか、仮説でいいから示してほしい感じ。
「平和教育」←もうこの表現がキモサヨ過ぎて無理。平和でもなければ教育的でもなく、ましてや帝国ですらない。
“基地問題に対する多様な見解・視点に触れる機会" ふと、推進派のスピーカーはどんな人が相応しいかなと考えたけど、補助金もらってる漁師や軍用地主かな、修学旅行程度じゃ絶対出てこなそうだな…
日本基督教団ってのは天皇制反対や反軍備など極めて政治的なメッセージを出している団体で、その京都教区は部落差別への取り組みなど更に極端なの。ここやNCCに絵を描いてる奴がいるのかもしれない
明治から築いてきた同志社ブランドは日に日に毀損していくが、世論の風化待ちを選んだようにしか見えなくなってしまった。一般人がキリスト教に抱く愛と包摂のイメージを捨ててでも守りたいものって何なんだろう。
わざわざ旅行代理店を遠ざけて不安全かつ違法行為を繰り返す団体に生徒を送り出していたことに合理性は欠片もない。学校側や日本共産党の防衛ラインは思想的背景なんだろうが、思想が事故を起こしたのが合理だろう。
教育内容や、その背後にある思想と事故とは不可分だと思っているが、そこを検証しようとすれば思想自体を評価の対象にしなければいけないので、思想中立を破れない公的な調査の対象にのせるのは難しいだろうと思う
本来なら、目的が重いことと安全は独立で、むしろ重いほど安全を重視すべき。なのになぜか。それは、「目先の安全や日常を捨て犠牲にしてこそ得られるはずだ」というショック療法的教育観があったのでは/唾棄すべき
教育内容については文科省の指摘を受けて教育関係者を交えた第三者委員会で調査するらしい
2026年5月の北越高校マイクロバス事故のように特定の思想背景がなくても安全管理不全で事故は起きる。実際この2つの事故の発生原因には構造的類似性が認められる。だからこそ、価値中立的な再発防止策が重要なのでは?
過去の動画を見ても「海保にチャレンジ」みたいな危ないギリギリを攻めてイキるような体験させてたもの。あれを平和教育とは言えない。
「組織文化そのもの」を事件の根幹と証明するのは難しいかもしれないが、辺野古の高校との交流のような普通の平和教育を今のイビツなものを使う組織文化に変えた張本人は、明らかに校長である。そこを追求できないか
「原因」には近因と遠因があり、近因の分析のみで遠因の分析をしなければ全体の原因は分からない。原因究明には遠因も含まれて当然かと。教育的方針や政治的意図が注意義務違反の真の原因となっている可能性がある。
目的のために、この船でなければならなかった。そして安全への疑問は、目的の前で口をつぐんだ。その可能性が本当になかったのかどうか... > 当然の疑問だ。
調査報告書を読んで③ 「教育内容は対象外」|辺野古ボート転覆事故遺族メモ
“国の認定を支える事実関係を、特別調査委員会も追認したという意味で、重い言葉だと思います。ただ、報告書には残念ながらこの記載がありません。少なくともこの文言は、報告書に入っていてほしかったと思っていま
ブックマーカー図鑑に「ブックマークしない記事の傾向」追加してほしい。辺野古の記事をあえてスルーするブクマカにこそ、「平和教育と団体への盲信との因果関係」の意見を聞きたい。
安全軽視の背景にある教育内容を検証しないのは不自然だな
忘れられているけど、修学旅行って授業の一環だし、その授業内容が偏っていたからこそこうなっているのだから「教育内容」に触れてほしいってのは分かる話なんだよな
ご遺族は無念だろうが、この点については、事故2日後にデニー詣でをして平和教育を存続するとした校長がいる学校側が向き合うことはないだろう
同志社経営陣も、同志社国際の校長、教員も、そしておそらくそれなりの数の生徒も、このnoteを読んでいると思う。生徒にとって遺族の当然の疑問に学校がどう答えるかは、学校が自分たちをどう見ているかの鏡になる。
コメ欄、はてブサヨに読ませるのは無理だろ。連中は自分たちに都合が悪い記事からは逃げるか、これ以上調べて何になると吐かすhanajibuuやuehajみたいな連中しかいないから。
核心に近づく。"その目的は、学校にとって、それほどまでに重いものだったのか。そして、その目的の重さが、本来いちばん大切にされるべき安全を、あれほどまでに軽くしたのではないか"
id:GamingSoboroDon 「言いたくない事は言わない」だってさ https://b.hatena.ne.jp/entry/4784685395611762786/comment/donovantree
教育内容の偏りを論じるのは遺族ではなく、学者の責任でしょう。
まぁ、文科省のペーパー読めば、結論は妥当であろうとなるのが社会通念的に適切妥当なラインだよな。「国の認定を支える事実関係を、特別調査委員会も追認したという意味で、重い言葉だと思います。」
修学旅行が教育じゃなかったら何なんだよ。平和「教育」の美名の下に子供が殺されたんだろうが
ご遺族のブログを読む度に、この事故が起きるまでは学校に全幅の信頼に近いものを抱いていたんだろうと思う。それを裏切る形になった同志社は、全方向から学校法人としての対応を求められているはずなんだけどな……
それまでは饒舌だったのに突然押し黙り5mもの波が押し寄せるリーフエッジに舳先を向け全速力で進む船長。まるで死地に赴くがように。若い人を道連れに(´・ω・`)
平和が大事なことはみんな思ってて、その上で法律や社会の仕組みに反抗してまで抗議する必要があるのかはちょっと考えてほしい。法律すら反抗の対象なら、それを表す言葉として適切なのは抗議じゃなくて戦争なんよ。
辺野古埋め立て推進派は「米軍基地を負担していない地域の住民」だよ。米軍基地はNIMBY問題だから。反対派の反対派は土建屋とカルト宗教ね。
成人が設定した道徳的・教育的目的のために、十分な情報も拒否権も持たない未成年者へリスクを移転したことが問題…でもまぁ左派というかリベラルは受け入れがたいんだろうな(左派右派両方で起きるが、文字数
親が学校を信用していたように、学校も牧師を信用していたのでは。
沖縄在住で平和運動とか力入れてる印象のあるブクマカが数人いるけど、彼らは全く発言しないね。ほぼしてても無言ブクマ
どうしたもんかね。学校も行政も腐り始めているが、自浄作用が無い。
“目的のために、この船でなければならなかった。そして安全への疑問は、目的の前で口をつぐんだ。その可能性が本当になかったのかどうか、今回の報告書からは分かりません”
これまでと比べてかなり踏み込んだ内容。自分もここがこの事件の核心だと思うが、残念ながら組織文化が事故に繋がる判断をさせた事を証明することは非常に難しい
“主たる目的は「きれいな海を見る」ことではなく基地建設とそれに反対する人が対峙する「現場」を見ること”対立構造にした上で反対する側からしかみせない./多様な捉え方を放棄した説明文./平和教育とは?
壺が舟に置き換わった話であり、何をするにも宗教が絡むと難しいな。変えたい気持ちは理解しつつ、庶民としては宗教自体に隠避するんだろう。同志社は死の舟の商人としての矜持をずっと見るし私が親なら避ける。
ヤクザ活動家の教育介入(と、当然の帰結としての安全軽視)が直接的原因なのは明白なわけだが、その原因が沖縄政治との癒着なのも明白。で、その遠因が社会の左翼への甘やかし。東浩紀の言うように争点化を。
今回の件を見ると、保守派の方が遵法精神強いんだろうなと思う。/保守:秩序を守るために法を守る。伝統、既存価値観にならう。 リベラル:正義・権利を守るためなら、既存の法を批判することもある/現代のコンプラに
“その目的は、学校にとって、それほどまでに重いものだったのか。そして、その目的の重さが、本来いちばん大切にされるべき安全を、あれほどまでに軽くしたのではないか。”遺族がこの疑問を提示する前に他の誰か
ご家族の気持ちが強くて凄い。でも辛さの上に立っている強さだと思うといたたまれない。こういう方がこんな辛いことを続けなければいけなくて、何が平和教育だというのだろうか
平和教育の名のもとに社会的に常軌を逸した抗議船プログラムが紛れ込んだので、平和教育自体のありかたが問われて当然。異物混入の原因が究明されない限り、沖縄での修学旅行や平和教育には忌避感が出てもやむ無し。
確かに「何故、平和教育目的で、あの船か」の答えが無ければ第三者機関の調査も単なるアリバイでしか無いね。
そろそろ学校関係者や左翼のお仲間達が「人々は文科省に怒っている、我々ではない」「人々は米軍に怒っている、我々ではない」と某大統領みたいな妄言を声高に叫びそう。既に似たような妄言を言い続けてるし。
はてサの緑の人は絶対辺野古の事件ブクマしないよね
「その目的は、学校にとって、それほどまでに重いものだったのか。そして、その目的の重さが、本来いちばん大切にされるべき安全を、あれほどまでに軽くしたのではないか。」✕『学校』◯『活動家』『信仰』
平和教育への偏重が安全の確保という最も大切なものを軽視する事につながってたのではないかという点に踏み込んでる、ここが核心であり避けて通れない問題だと思う
事件は事件で思想は思想だと思うけど、別問題であることを検証すべきだったってこと? どんな通底の仕方があり得ると考えるのか、仮説でいいから示してほしい感じ。
「平和教育」←もうこの表現がキモサヨ過ぎて無理。平和でもなければ教育的でもなく、ましてや帝国ですらない。
“基地問題に対する多様な見解・視点に触れる機会" ふと、推進派のスピーカーはどんな人が相応しいかなと考えたけど、補助金もらってる漁師や軍用地主かな、修学旅行程度じゃ絶対出てこなそうだな…
日本基督教団ってのは天皇制反対や反軍備など極めて政治的なメッセージを出している団体で、その京都教区は部落差別への取り組みなど更に極端なの。ここやNCCに絵を描いてる奴がいるのかもしれない
明治から築いてきた同志社ブランドは日に日に毀損していくが、世論の風化待ちを選んだようにしか見えなくなってしまった。一般人がキリスト教に抱く愛と包摂のイメージを捨ててでも守りたいものって何なんだろう。
わざわざ旅行代理店を遠ざけて不安全かつ違法行為を繰り返す団体に生徒を送り出していたことに合理性は欠片もない。学校側や日本共産党の防衛ラインは思想的背景なんだろうが、思想が事故を起こしたのが合理だろう。
教育内容や、その背後にある思想と事故とは不可分だと思っているが、そこを検証しようとすれば思想自体を評価の対象にしなければいけないので、思想中立を破れない公的な調査の対象にのせるのは難しいだろうと思う
本来なら、目的が重いことと安全は独立で、むしろ重いほど安全を重視すべき。なのになぜか。それは、「目先の安全や日常を捨て犠牲にしてこそ得られるはずだ」というショック療法的教育観があったのでは/唾棄すべき
教育内容については文科省の指摘を受けて教育関係者を交えた第三者委員会で調査するらしい
2026年5月の北越高校マイクロバス事故のように特定の思想背景がなくても安全管理不全で事故は起きる。実際この2つの事故の発生原因には構造的類似性が認められる。だからこそ、価値中立的な再発防止策が重要なのでは?
過去の動画を見ても「海保にチャレンジ」みたいな危ないギリギリを攻めてイキるような体験させてたもの。あれを平和教育とは言えない。
「組織文化そのもの」を事件の根幹と証明するのは難しいかもしれないが、辺野古の高校との交流のような普通の平和教育を今のイビツなものを使う組織文化に変えた張本人は、明らかに校長である。そこを追求できないか
「原因」には近因と遠因があり、近因の分析のみで遠因の分析をしなければ全体の原因は分からない。原因究明には遠因も含まれて当然かと。教育的方針や政治的意図が注意義務違反の真の原因となっている可能性がある。
目的のために、この船でなければならなかった。そして安全への疑問は、目的の前で口をつぐんだ。その可能性が本当になかったのかどうか... > 当然の疑問だ。